阪神淡路大震災の1年後、1996年にスタートし、今年で第20回の節目を迎えた神戸100年映画祭が、11月2日にピフレホール(新長田)で開幕、奥田瑛二さんを迎えてのトークショーが行われた。毎年テーマを設定し、神戸で撮影した作品や往年の名作を上映、ゲストを迎えてのトークを交え、映画ファンにとって神戸の秋の風物詩となっていた映画祭だが、残念ながら今年で一旦その幕を閉じる。
今年のテーマは「震災20年、戦後20年」。2日は奥田瑛二さん自らが選んだ、生命の尊厳と戦争の狂気を描いた『海と毒薬』が上映され、3日は「健さん、ありがとう!」と題した『駅 STATION』追悼上映時に、20年前神戸の被災者を励ますため高倉さんが吹き込んだ20分のメッセージが流された。2日のオープニングでNPO神戸100年映画祭代表理事の石田雅志さんが「DVDで観た作品はすぐに忘れてしまうが、映画館で観た作品は忘れません。いつ、どこで、誰と観たかを鮮明に思い出すことができます」と、映画祭だけでなく映画館に足を運ぶ人そのものが減少傾向にある今、改めてスクリーンで鑑賞する意義を言葉にされていたが、来年以降も継続する「新開地 淀川長治メモリアル」をはじめ、神戸100年映画祭がまた新しい形で再出発する日を、一映画ファン、映画祭ファンとしても楽しみにしていたい。
初日の11月2日は、午前中の『海と毒薬』上映に引き続き、モントリオール映画祭グランプリ受賞作『長い散歩』上映が行われた。上映後に開催された奥田瑛二さんを迎えてのトークショーでは、午前中から映画を鑑賞し、感動冷めやらぬ観客の熱い拍手に応えて、奥田瑛二さんがにこやかに登場。シネマパーソナリティー、津田なおみさんの司会により、『長い散歩』撮影秘話をはじめ、硬軟合わせたトークが繰り広げられ、大いに盛り上がった。その主な内容をご紹介したい。
―――『長い散歩』は今日、久しぶりにご覧になったそうですね。少し目に涙も浮かんでいらっしゃいますが。
自分が撮った映画で、悪い映画はありませんが、『長い散歩』はもう一度撮れと言われても撮れません。(映画制作については)自分の会社、ゼロ・ピクチュアズで、原案から全てを手掛けています。大きな映画会社に企画を持っていけば、もう少しお金はいただけるが、口も出されます。口を出すのはプロデューサーですが、大体感性が悪いので、私の命がけの作品をそんな風にいじられた日には、死んでも死にきれません。今の世の中は、社会の病巣にネガデティブなものがいっぱいあります。それに眼差しを向け、人間模様や人との関わりを描く中で、明日に繋がればいいなというのが、僕が映画監督になった最大のテーマです。それは『海と毒薬』の熊井啓監督から教わった最大のことでもあります。
―――老いや若者の自殺など様々なテーマが描かれていますが、作品の発想はどこから来たのですか?
緒形拳さんとネスカフェのコマーシャルを、千葉の山奥で焚き火をたきながら撮影していたときに思ったのです。アメリカならアンソニー・ホプキンスなどの名優が主役になる映画があるが、日本は年を取れば本当はいい俳優になるはずなのに、逆に脇に追いやる風潮があり、それはダメだと。「緒形拳という名俳優をこのままにしてはいけない」と勝手に思いながら帰る車中、緒形拳主演で何かいいストーリーはないかと考えました。教育者だった人が児童虐待に関わるというのはどうだろうかと。3時間半で大まかなストーリーが作れたので、すぐ緒形さんに電話し、ストーリーを説明してみると「一度お会いしないといけないね。君とコマーシャルで一緒の時に、とっても素敵な人だと思った。一度会おう」と言ってくださり、その後快諾いただきました。
すぐに脚本に取り掛かり、最初は不安だったので、女性の脚本家に入ってもらい、ストーリーの柱を作って、第一稿を仕上げました。そこから第二稿、第三稿は自分で書き足し、最終稿が出来上がるまで、僕は、必ずキッチンのテーブルに脚本を投げておくんです。すると、まずはかみさん(安藤和津さん)が夜中に見て赤鉛筆で赤が入り、次は長女(安藤桃子さん)が「お父さん、若い子はああいう言葉遣いはしないよ。翔太君のところなんだけど」と。次女の安藤サクラは何も言わないので、これらの指摘をこの野郎!と思いながら読み返し、プラスにしていきます。何度かキッチンに置いていたので、随分役に立ちました。出来上がった時、初脚本で、「脚本、奥田瑛二」というのは恥ずかしかったので、家族の名前を合わせ「桃山さくら」にしました。
―――スーパーバイザーに奥様(安藤和津さん)の名前もありますね。
撮影が10月中旬から11月の初旬の寒い時期で、弁当では気の毒だと、炊き出しで豚汁を作ったり、弁当で添加物が入っているのは良くないから野菜を買ったり、もらったりして炊き出しを作ってもらっていたのです。それを含めてのスーパーバイザーですね。
―――冒頭は、ほぼ緒形拳さんの背中のシーンで、娘が見ているのもお父さんの背中なのが印象的でした。
(背中を撮るのは)緒形拳さん、もしくはそのクラスの俳優でないと成立しません。普通は怖がるものですが、怖がらず背中から撮りました。僕の緒形さんへの尊敬の念と憧れの念をこめ、今回の安田役は背中を撮ろうと決めていました。
―――ラストシーンも緒方さんの正面と背中のカットですが、光が射し、希望が見えました。
上映後に、ラストシーンの後どうなったのかとよく聞かれますが、実は刑務所から出てきた後の生活までメモに残っています。緒形さん演じる安田世代の先生は権威主義なところがあり、戦中世代でもあります。僕も小中学生の頃、少し悪いことをすると往復ビンタされましたが、安田はそういうところがありながら、校長までのぼりつめ、自分の家族を愛することが出来なかった人物です。誰もが年を重ね死んでいきますが、死ぬ前にきちんと精算し、死を成立させることが大事で、その十字架を緒形さんに背負わせました。安田が(母親に虐待されていた)サチと旅をするのは誘拐です。犯罪は犯罪なので、きっちり始末をつけました。刑務所から出てきたときサチは立っていなかったですが、(映画で5歳のサチが映ったのは)彼の心の奥底にある願望なのです。安田は断絶状態だった娘のところに行き、刑務所で書いた手紙を渡す。娘は父のためにアパートを借りてくれ、娘と話し合います。そうして、娘もようやく父を受け入れ、別々には過ごすが安田は人生を精算するためのいい時間を過ごしたのです。
―――サチのその後はどうなったと考えていますか?
重要なのは虐待を受けていた5歳の子が、(安田との旅を経て)母親の元に戻ると、同じ虐待を受けることになるということです。映画を撮った当時は、親の虐待から子どもを守る法律ができるかどうかギリギリのところでした。僕の考えは18歳か20歳ぐらいになるまでサチは絶対に母親に合わせるべきではない。でないと彼女の心が壊れてしまうでしょう。
最後の方に、サチの母親(高岡早紀)が雨の中を傘もささずにいるシーンがありますが、彼女は出口が全く分からない鏡の迷路に入っているのです。サチが戻り、一度は抱きしめるけど、また同じ虐待を繰り返すでしょう。サチは養護施設で明るく成長を遂げる。そして、サチが18ぐらいのときに母親と再会し「私のことを覚えてる?」「覚えています」と言い合えるような虐待のない二人の暮らしがあり、それぞれのシチュエーションでお互いがどう思うかと。そこまでストーリーを構築し、今の場所で終わらせています。そうして観た方が、その後の人生を考えて下さったらいいなと思っています。
―――高岡早紀さん演じる母親が、足の指の間にクリームを塗っているシーンだけで、こういう女の人なのだと、くっきり分かりますね。
黒いスリップを身に着け、一人で色気ぶっている。美しくても生活感があり、娘を虐待している女性を演じてもらいました。テストの時に黒いスリップとブラジャーをつけていたので、「取れ、ブラジャー。とらなきゃ中止だ!」と怒鳴ったこともありました。やはり、四つん這いになり、たわわな胸の輪郭が見えるのは裸よりもドキリとしますから。
―――『長い散歩』は街の景色や、登場人物たちが住む街がどんな姿をしているか、きちんと教えてくれるので、観る者にとって親切で、家族を立体的に捉える力になります。
そう言っていただけるとうれしいです。ロケハンは、通常制作部という部署があり、そのチーフが何千枚も撮ってアルバムにし、ラインプロデューサーに見せるのですが、僕は頭の中で台本を全部書いた後に、一人で行き、一人で街の人に聞いてまわるのです。街をくまなく、隅から隅まで歩き、時には住んでいる方の家にお邪魔することもあります。奥田瑛二ですから(笑)。「どうしても家の門構えが撮りたいのでお会いできないでしょうか?」と、たとえその家の主が頑固だからやめておけと言われても、交渉しますね。
ラストの駅前で、安田がひざまずいて泣き、通行客が集まるシーンがありますが、あの「上尾張駅」は実際にはありません。架空の街にし、山の名前も全て架空にしています。ファンタジックに撮りたかったので、現実の街の名前を全部架空にしました。公民館を駅に仕立て、役場に警察署を作った訳です。岐阜県笠原町の350名のエキストラの方に全部説明して様々なコスチュームを着てもらい、通行人として出演いただきましたし、バスや、タクシーを行ったり来たりさせて、複数台通っているように見せました。
―――奥田さんは、他の俳優さんではできないような、「ちょっとだめ男だけどラブシーンが多くて、若い女性に惚れられる」役をよく演じておられます。主演最新作の高橋伴明監督『赤い玉。』でも女子高生に翻弄される役どころですが。
15年ぶりのラブシーンでしたね。同い年の高橋伴明監督と話をし、今の映画はダメだなと。日常の中にエロティシズムが満載なのに。ネガティブな摩擦もあれば、ポジティブな摩擦もあるけれど、今の映画は全部それを省いている。それらを今の時代に取り戻そうということで書かれたのが、とんでもないエロエロの台本でした。この年で全裸かよ(笑)と。どうしようか。腕立て伏せ、ジムに通うかと思いましたが、結局この年の体をさらしましたよ。
―――前貼りは一切貼らないそうですね。
デビュー作『もっとしなやかに もっとしたたかに』のとき、前貼りで大変な目に遭いました。今でいうガムテープのような素材でしたから、剥がすのが大変で。また、ガムテープのところが映ると、フイルムだからもったいなかったんです。緒形さんも付けたことはないでしょう。いい俳優は前貼りを付けないですね。(「エロスの王様」と呼ばれることに対して)当時、不倫したい男のナンバーワンでしたから、そういう意味では自負していますよ。枯れることは死ぬまでありません。人生、枯れたら男も女も終わりですから。
―――(観客からの質問で)奥田さんにとって一番好きな外国映画、日本映画、そして監督は?
自分がずっと思っている映画は、黒澤明監督の『椿三十郎』です。三船敏郎さんのなんともいえない魅力、そして映画の中に溢れる優しさと強さ。あれを越える映画は僕の中にはないということで、ベスト10の中の4、5本は黒澤映画が占めてしまいます。外国映画は、表ベストワンと裏ベストワンがあります。裏ベストワンは『ブレードランナー 完全版』が、映画の中で僕の理想の形です。エンターテイメントとしても、映像の美しさも、地球という問題も含めた中で、あの作品は大好きです。
表ベストワンは『ローマの休日』で、50回ぐらい観ています。ぜひ、おうちに帰られたらDVDを借りてご覧になっていただきたいのですが、新聞記者とアン王女は結ばれているのか、結ばれていないのか。そこが50回見ると分かるんですよ。僕は2年前に「おー、見つけた!」と。アン王女がジャーナリストとの謁見の際に新聞記者を見つけ、目と目がぶつかる。その関係性を「わぁ二人が結ばれなくてかわいそう。でも新聞記者と王女では仕方ない」と思うと、見方が浅いです。あの目の切り替えしをもう一度見ると、「あぁ。良かったね、君たち。たった一日だったけど、うん、よし。その思い出を大事に生きるんだ」というのが、目の輝きの中にあります。
―――最後に、『ブラック・レイン』で松田優作さんが演じた役のオファーが、最初奥田さんにあったとお聞きしました。
ちょうど『海と毒薬』をニューヨークで観て「感動した」というプロデューサーから、オーディションなしでオファーがありました。凶悪な犯罪者だが、見た目が普通の青年という役柄で、当時はやったと思ったのですが、舞台と熊井啓さんの映画『千利休 本覺坊遺文』のスケジュールのど真ん中に撮影スケジュールが入っていたのです。東京に来ていたプロデューサーに出演できない旨を話すと、「お前は馬鹿か、この映画に出ればいいんだ」と言われたのですが、「日本人には義理があり、それは絶対に守らなければいけないこと。それを反故にしてまで自分のチャンスを掴むと、自分がダメになってしまうし、神様も許してくれない。だから僕は舞台と熊井啓監督の作品を大事にしたい。とても残念だけど」と説明すると、「分かった。ところで、君の着ているスーツはどこのだい?」と(笑)。後悔はしていません。89年10月10日に東宝マリオンのスクリーンで、『ブラック・レイン』と『千利休 本覺坊遺文』が同時公開されたときは、感無量でしたね。
13日から行われる「新開地 淀川長治メモリアル」@神戸アートビレッジセンター2FKAVCホールでは、『ロミオとジュリエット』、『二十四の瞳』(いずれも13日)、『大人は判ってくれない』(14日)を上映。また同日には、東日本大震災前の人の営みを伝えるドキュメンタリー映画『波伝谷にい生きる人々』上映および、我妻和樹監督トークを開催する。
その他、元町映画館や神戸アートビレッジセンターB1F KAVCシアターでも上映あり。
詳しくは、第20回神戸100年映画祭まで http://kff100.com/
(江口由美)