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2018年5月アーカイブ

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日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。
「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー
 
シネマパーソナリティーの津田なおみさんが、初の著書となる「映画監督 田中絹代」を5月11日に出版した。サイレント映画の時代から活躍し、戦中、戦後と常にトップスターとして注目を浴びた田中絹代。300本近くの映画に出演し、『愛染かつら』『女優須磨子の恋』『西鶴一代女』『雨月物語』『楢山節考』『おとうと』等多数の代表作で知られる大女優には、映画監督としての顔もあった。なぜ監督になりたかったのか。監督として描きたかったことは。津田さんの優しい語り口そのままに、田中絹代の監督としての一面や、全6作品に迫っている。日本映画の変遷も分かりやすく解説され、映画初心者にもオススメしたい一冊だ。著者の津田なおみさんに、お話を伺った。
 
 

 

■監督作が6本もあったことに驚き。迷わず「自分で映画監督、田中絹代を研究しよう」と決意。

―――元々は女性監督のことを研究しようと思ったところから、スタートされたそうですね。
津田:日頃から映画のことを書いたり、話したりさせていただいていますが、どうしても物の見方が主観的になってしまうので、もっと映画を分析する力を付けるために2012年に大学院に入学しました。修士論文のテーマに女性監督を取り上げようと考え、日本に的を絞って女性監督を調べていると、田中絹代さんの名前が出てきたのです。絹代さんは大女優ですが、その時まで彼女が監督をしていたことは知らなかった。しかもなんと6本も監督作があるのには本当に驚きました。絹代さんを監督として取り上げた書籍は今までなかったですし、研究論文も監督作の中の数本を取り上げたものはあっても、全作品をまとめて研究したものはありませんでした。指導教授からも勧められ、私も「自分で研究しよう」と思ったのが始まりですね。
 
―――私も、監督の一面は知らなかったです。戦前から戦後まで国民的人気の大女優、田中絹代さんを取り上げることに対して、迷いは全くなかったですか?
津田:迷いは全くなかったですが、調べはじめると、大変でした。論文が何もないので、まず文献を集めるところから始めなければならず、作品を安易に観ることもできません。
 
―――そこはお聞きしたいところでした。著書では、この6本のことを細かく分析されていますが、どうやってご覧になったのですか?
津田:近代フィルムセンターにアーカイブで全作品が保管されています。研究者は申請をすれば観ることができるので、センター内の試写室にたった一人で2日間に分けて6本全て観ました。一人田中絹代監督映画祭です(笑)。『恋文』はDVDが発売されているので取り寄せましたが、それ以外の作品は本を執筆するのに1度観ただけでは書けないので、最終的には修士論文を書く2年間で3回観に行きました。
 
―――文献もかなりの数をあたられていますね。
津田:田中絹代さんについて書かれた書物と、雑誌ですね。検索で少しでも引っかかれば、それを確かめに方々の大学図書館等へ足を運びました。欲しいコメントが得られるかどうかは行ってみなければわかりませんが、このことについてしゃべっていることが欲しかったというコメントに出会えた時は、本当にうれしかったですね。
 

■なぜ6本で監督を辞めたのか。その真意を知るためのエピソード、証言探しに苦労。

―――特に、探すの苦労したのはどんなコメントですか?
津田:彼女がなぜ6作品で監督を辞めてしまったのか。私はそこがどうしても知りたかったのですが、あまり分からなかったのです。本文で触れていますが、6作目の『お吟さま』撮影当時、宮川一夫と並び撮影界の巨匠と呼ばれた宮島義勇に、監督だった絹代さんは随分絞られていたそうです。文献の裏付けは取れませんでしたが、その様子を見た、聞いたという話を多数の方から伺い、その状況なら彼女はこう思うだろうと、私なりの考察で書いています。監督を続けなかったことに関してご本人もあまり語っておらず、今回の執筆で一番苦労した部分でした。
 
―――当時を知っている方の証言として、神戸100年映画祭のゲストで来場された香川京子さんのコメントも掲載されています。
津田:香川さんは、バッシングを受けて自宅に籠っていた絹代さんを訊ねた時のことを語って下さいました。他にも、「監督をしていないように言われることもありましたが、絹代さんはちゃんと監督していらっしゃいましたよ」とおっしゃっていたのです。昔の事なので詳しくは覚えておられず、本にはこのコメントは書いていませんが、香川さんは今まで何度も、絹代さんが現場でちゃんと監督をしていたのかと聞かれていたのだと思います。実は、『お吟さま』主演の有馬稲子さんにもお手紙を書き、取材を申し入れたのですが、「女優としては尊敬しておりますけど…」と取材は叶いませんでした。当時のことを知っておられる方がどんどん少なくなってしまい、あと10年早く着手できていれば、もっと多くのお話が伺えたのにと、つくづく思いましたね。
 
 
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■絹代監督に「あなた出たらいいのよ」と声をかけられて。

―――証言を得るにもかなり難しい状況の中、原作者のお子様で、撮影中に田中絹代監督と交流された方とお会いできたそうですね。
津田:5作目となる『流転の王妃 満州宮廷の悲劇』原作者の愛新覚羅浩さんの次女、福永嫮生(こせい)さんです。嫮生さんは、ご両親の写真を関西学院大学に寄贈されています。本書にも掲載させていただいている写真が偶然展示されていたので、大学を通じて嫮生さんをご紹介いただきました。もう50年ほど前の話ですが、絹代さんはとても気さくで「あなた(映画に)出たらいいのよ」と何度も声をかけて下さっていたそうです。
 
―――一番多くの資料を提供してくださったのが、下関にある田中絹代記念館だったそうですが、記念館の成り立ちも含め、取材のエピソードを教えていただけますか?
津田:田中絹代さんは下関出身です。生涯独身を通したので、遺品は又従弟の小林正樹監督が管理をされていました。小林監督が下関に彼女の遺品を集めた記念館を作ろうと動き、2010年に小林監督が管理していた遺品を下関市に譲渡し、オープンしたのが田中絹代記念館です。絹代さんが当時使っていた監督台本もありますし、着用していた帽子やハイヒール、自宅に置いていた棚など、絹代さんの私物が本当にたくさんあるのです。季節ごとに展示も変わりますし、監督コーナーには、監督協会に入っていたことを示す書類や、影響を受けた監督として溝口監督などの写真も飾られていました。また、小林正樹監督が作られた毎日映画コンクールの田中絹代賞の過去受賞女優も展示されています。事務局長からは「監督として書かれた本はないので、是非頑張ってください」と激励していただき、色々とお力を貸していただきました。
 

■監督になった一番強い動機は、「なんとしてでも映画業界で生き残りたい」

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―――地道な資料の読み込みを重ねて、女優田中絹代が監督を志した動機を津田さんなりの仮設を立てながら章立てで解き明かしています。最終的には映画しかなかったというのが、一番強い動機に見えますね。
津田:本書でも触れていますが、家族を経済的に支えているのは絹代さんでした。彼女の肩に全員の生活がかかっていたのです。また、先日蒼井優さんが「私は映画に関わっている人たちとずっと生きていたい」とおっしゃっていたのですが。田中絹代さんもそう思っていたのではないかと。この映画業界が大好きだし、(女優として)もう若くないと言われても、なんとしてでも映画業界に生き残りたい。だからいつか監督できたらとずっと思っておられたのではないでしょうか。
 

■一番好きなのは、女性の性欲を描く3作目『乳房よ永遠なれ』。

―――6本も残しながら、作品の評価は当時あまり高くないと本書でも書かれていますが、実際にご覧になった津田さんの評価はどうですか?また、一番好きな作品は?
津田:作風があまりにも一作ずつ違うのには驚きましたが、例えば「そんなに小津監督風に撮らなくてもいいのでは」と思う一方、小津風に撮れるのは逆にすごいなとも思います。一番好きなのは3作目の『乳房よ永遠なれ』です。本当に不思議な角度で撮っています。例えば乳がんで乳房を切除した主人公がベッドに仰向けになっており、その上から恋人が覆いかぶさる図を、ベッドの下から撮っています。透明のベッドなのでしょうか、主人公の背中と恋人の顔が見えて、斜め上に電球が見える。男性監督なら、死を間際に恋人と一体になる喜びを噛みしめる女性の顔を映すでしょうが、絹代さんはそうはしなかった。アップになるのは、喜んでいるだけではない戸惑いも見える恋人の顔です。愛しているとはいえ、相手は病気なのですから。一方、表情が映らない主人公は、何を思っているのか分からない。視点を変えて、面白い撮り方をしています。『乳房よ永遠なれ』は女性の性欲を描きながらも、生々しくなり過ぎないように鏡を使ったり、背中で見せたり、少しオブラートに包みながら、言いたいことを表現しています。そこが上手いと思いました。
 
―――『乳房よ永遠なれ』までの初期2本は、周りが「監督、田中絹代を失敗させてはいけない」と、映画業界をあげて全力支援していたのも、当時の日本映画界の裏事情が垣間見えるエピソードでした。
津田:今で言えば、吉永小百合さんが監督するようなものですから。絶対に失敗させられないと皆が思っていたはずです。でも絹代さんは、初監督の前に、成瀬監督の『あにいもうと』の撮影では監督見習いとしてずっと撮影に立ち会った努力家でした。(「絹代の頭では監督できない」と言い放った)溝口監督に対して「この人に認められなければ」という気持ちがずっとあったのでしょう。必死だったのだと思います。溝口監督が亡くなった後、『サンダカン八番娼館 望郷』でベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した際、「監督したことがこの賞に結び付いたことを、溝口健二に言いたい」という趣旨のコメント(原文は著書に掲載)を残していますが、あれが本音だと思います。女性監督第一号の坂根田鶴子さんは監督としての仕事に迫った本が2冊(いずれも女性著者)出版されているのに、絹代さんの本がなかったのも、他の監督たちが力を貸した作品だから、彼女の作品と認められてこなかったのでしょう。でも、私は監督として最終的にOKを出す以上、どれだけサポートがあってもそれは絹代監督の作品だと思います。
 
―――確かにそうですね。それらの作品全てを解き明かすだけでなく、日本映画の黎明期からの流れや当時の日本の状況も丁寧に解説しながら進行するので、すっと頭の中に内容が入ってきます。津田さんが語っているような優しい文体で、「小説 田中絹代」のように絹代さんの人物像が立ち上がってきますね。
津田:田中絹代さんが生きた時代がどうであったか。そして日本映画界がどういう動きをしていたか。作品は、その時代に置かなければ分からないことがたくさんあるので、昭和初期から戦後の映画のことを分からない方にも理解していただけるように、並行して分かりやすく書くことを、とにかく心がけました。
 
 
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■少し先をいく女性を描こうとした映画監督、田中絹代

―――後は、戦前戦後の女性が社会の中でどういう立場に置かれていたのか、その中で田中絹代さんがどういう存在であったか。監督として作った作品の中に、どんな意義があったのかを、女性ならではの視点で考察しています。
津田:どの作品もヒロインは悲しい目に遭うのですが、最後は必ず立ち上がる。そこは一貫しています。自分で死ぬと決めて死ぬことも(『お吟さま』)自立として描きます。絶対に男に迎合しないです。2作目の『月は上りぬ』は小津監督が脚本を手掛けており、前時代的な台詞を言わされている箇所もありますが、最終的には家から出るという形をとり、少し先をいく女性を描く意図が読み取れます。彼女自身がそういう女性が主人公になる映画がないと憂いでいたのでしょう。
 

■素の絹代は孤独。全てを映画に捧げ、プライベートも「田中絹代」を演じきった。

―――監督としての田中絹代さんに焦点を当てた本を書かれた今、改めて彼女の人生をどう感じましたか?
津田:きちんと日本映画史に点を残した人だと思います。絹代さんが映画監督であったことは、今まで素通りされていました。この本を執筆したことで、絹代さんはささやかではあっても、きちんと女性が活躍する社会が本当に来ればいいと思い、監督した6作品できちんと点を残してきた。それが面になればいいのにと思っていた人だと私自身も実感できました。その一方で、溝口監督にとても執着していたことから、負けず嫌いな点もあったのでしょう。そして色々な映画監督が放っておけない面もお持ちだった。絹代さんは本当に言葉遣いが丁寧です。監督として普通なら「よーい、スタート!」と言う場面でも、「今から参ります」という具合で、どんな人にもとても丁寧な応対をされる方でした。だからいい意味で“監督田中絹代”を演じて6作品を作った人だと思います。一生田中絹代を演じ続けた。一方、自宅ではいつも電話の前で、オファーの電話がかかるのを待っていると何かで読んだことがあります。素の彼女は孤独だったのでしょう。全てを映画に捧げ、プライベートも演じきった人ではなかったのでしょうか。
 

■日本映画史の年表の中に「田中絹代監督」をきちんと入れるきっかけになれば。

―――ありがとうございました。最後に、メッセージをお願いいたします。
津田:私は、日本映画史の年表の中に「田中絹代監督」をきちんと入れるきっかけになればと思い、執筆しました。今は「女性監督特集」というくくりでは記載されても、映画監督本になると、田中絹代が入っていないのです。それどころか、女性監督はほとんど入っていません。この本は薄いですし、まだまだ深める余地がたくさんありますから、「田中絹代は映画監督だった」ともっと多くの方に知っていただき、研究していただいたり、女性監督が羽ばたく起点を再発見してもらえるとうれしいです。
(江口由美)
 

 
「映画監督 田中絹代」
著:津田なおみ 
出版:神戸新聞総合出版センター 
 

 

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『ミッドナイト・サン』

 ◆監督:スコット・スピアー 
 ◆脚本:エリック・カーステン 
 ◆音楽:ネイト・ウォルコット 
 ◆出演:ベラ・ソーン、パトリック・シュワルツェネッガー、ロブ・リグル、クイン・シェパード、ケン・トレンブレット 
 ◆アメリカ/2018年/英語/シネスコ/92分/字幕翻訳:野城尚子/原題:MIDNIGHT SUN 
 ◆配給:パルコ ◆提供:パルコ/バップ/松竹 
 ◆協力:S・D・P © 2017 MIDNIGHT SUN LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

2018年5月11日(金)~新宿ピカデリー、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、他にて全国ロードショー!


 

FP-550.jpg『フロリダ・プジェクト 真夏の魔法』タイアップのお知らせ

本年度アカデミー賞®助演男優賞&ゴールデン・グローブ賞ノミネート(ウィレム・デフォー)
計107部門ノミネート・57部門受賞世界中が大喝采!

この度、『フロリダ・プロジェクト真夏の魔法』が5/12(土)より全国公開するのを記念し、「古着屋JAMアメリカ村店」と、神戸旧居留地「ニューラフレア」でのタイアップが決定いたしました。



FP-jam-1.jpg【古着屋「JAM アメリカ村店」】

関西圏に7店舗を構る「古着屋JAM」。床面積110坪で品ぞろえも最大級の「古着屋JAMアメリカ村店」では、〝レディースTシャツお買い求めの方“に先着で、非売品オリジナルポストカードをプレゼント!店内では、映画をイメージしたファッションアイテムのディスプレイと映画のパネル展示を開催中。


FP-jam-2.jpg「古着屋JAMアメリカ村店」
〒542-0086大阪府大阪市中央区西心斎橋2丁目9−28
TEL06-6563-7905

期間:開催中~5月31日(木)
※非売品ポストカードプレゼントは5/12(土)公開初日より実施

・ホームページ  https://jamtrading.jp/

・JAMアメリカ村店ブログ https://jamtrading.jp/americamura/3058/witter

・古着屋JAMアメリカ村店 https://twitter.com/jam_americamura/status/989360921523896320

・Instagram  https://www.instagram.com/p/BiBWoqRAWCl/?taken-by=furugi_jam_americamura



FP-NR-1.jpg【神戸旧居留地ニューラフレア】

神戸旧居留地の食・音楽・アートがクロスするワンダーランド「ニューラフレア」では、カラフルな風景が広がるフロリダ映画のシーンをイメージしたタイアップドリンク、レモンとライチの甘酸っぱさがクセになる“真夏の魔法”ドリンク550円(税込)を限定発売!テイクアウトもOK。映画半券ご提示でご飲食代が10%OFFになるサービスも。また、1階ギャラリーにて、映画のパネル展示を開催中。映画を観たあと「ニューラフレア」に行けば、あのシーンをもう一度楽しめます!


FP-NR-2.jpg「ニューラフレア」

〒650-0037 兵庫県神戸市中央区明石町18−2 大協ビル
TEL078-333-0808
営業時間11:00-23:00不定休
期間:開催中~5月30日(水)

・ホームページ http://www.roughrare.com/about/

・Facebook https://www.facebook.com/roughrare/

・Twitter https://twitter.com/ROUGHRARE

・Instagram https://www.instagram.com/newroughrare/

 



『フロリダ・プロジェクト真夏の魔法』

FP-500-1.jpg全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』(15)で世界中を驚愕させたショーン・ベイカーが、本作では全編35mmで撮影し、世界中で107部門ノミネート・系57部門受賞!アカデミー賞助演男優賞とゴールデン・グローブ賞にもノミネートされ世界中から大喝采を受けている。鮮やかなブルーの空、モーテルのピンクやパープル―― どこか現実離れしたパステルカラーに彩られた世界で、夢に満ちた毎日を生きる幼いムーニー、変えられない現実に抗う母ヘイリー、そして同じく社会の片隅で生きる人々の日常を、眩いほどの映像美《ベイカー・レインボー》でカラフルにそしてリアルに描き出す――


公式サイト⇒ http://floridaproject.net/

監督・脚本・編集:ショーン・ベイカー『タンジェリン』
出演:ブルックリン・キンバリー・プリンス、ウィレム・デフォー、ブリア・ヴィネイト
2017年/アメリカ/112分 提供:クロックワークス、アスミック・エース配給:クロックワークス

 2018年5月12日(土)~梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、T・ジョイ京都、シネ・リーブル神戸ほかにて全国公開

 


 

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“君もボストン食べてストロングに!”

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 この度5/11(金)より公開『ボストン ストロング ~ダメな僕だから英雄になれた~』の公開を記念し、大阪・阿倍野昭和町にある老舗レストラン「ボストン」にて、お食事券が当たるプレゼントキャンペーンや素敵な半券サービスの実施が決定いたしました!


【キャンペーン内容】
本作の公開を記念して、大阪・阿倍野昭和町にある老舗レストラン「ボストン」全店舗にて、本作の映画半券チケットをご提示の方に、グループ全員1ドリンクを無料でサービス!
さらに!抽選で素敵な豪華特典が当たるプレゼントキャンペーンも実施!


bostonstrong-colab.jpg大阪阿倍野昭和町に1952 年音楽喫茶として「ボストン」が創業以来、60 年余り地域の皆さまに愛され続け、現在、大阪市内にハンバーグ専門店・特別完全予約制レストン・ヨーグルトケーキ専門店など1 0店舗を展開。創業以来の変わらない味と伝統を受け継ぎ、また、常に新しい物を作り、取り入れ、最高の商品を提供し続ける老舗レストン「ボストン」。その筋を貫き通す在り方、維持を守り通す本作の主人公:ジェフ・ボーマンの生き抜く姿やパワーに共感!ボストン食べて君もストロングになろう!


【抽選方法】
映画チケット半券提示の際に、【抽選番号券】をお渡しいたします。

★1等★
完全予約制レストラン【1952】にて、お1 人様1万円相当のお食事にペア1組を無料でご招待!
(事前予約必須)

★2等★
レストラン「BOSTON」全店舗共通お食事券3000円分・・・5名様にプレゼント!

【当選発表について】
大阪市内での上映終了後に抽選いたします。
7月上旬(予定)に、レストラン「ボストン」HP 並びに全店舗内にて当選抽選番号を発表いたします。
ご当選の【抽選番号券】をお持ちの上、各店舗にてスタッフまでお申し出くださいませ。引き換えに特典をお渡しいたします。

【実施店舗】 レストラン「BOSTON(ボストン)」
WEB : https://www.boston01.net

【実施期間】
5/11(金)~大阪市内にて映画『ボストン ストロング』上映終了まで
※:来店回数が応募口数の為、映画上映期間中であれば何度でもドリンクサービス/ご応募いただけます。

※:ご来店時にお食事をオーダーいただいた方に限ります。
※1日1店舗、1回限りとさせていただきます。


 
『ボストン ストロング ~ダメな僕だから英雄になれた~』

<STORY>
bostonstrong-pos.jpgボストンに暮らすジェフ・ボーマンは元彼女のエリンの愛情を取り戻すため、彼女が出場するマラソン会場に応援に駆け付けるが、ゴール地点付近で爆弾テロが発生。巻き込まれたボーマンは爆発で両脚を失ってしまう。意識を取り戻したボーマンは爆弾テロリストを特定するために警察に協力。ボーマンの証言を基に犯人が特定されると、ボーマンは一躍、“ボストンのヒーロー”として世間の脚光を浴びるが、彼自身の再生への戦いはまだ始まったばかりだった―。

出演:ジェイク・ギレンホール(『ノクターナル・アニマルズ』、『ナイトクローラー』など)、タチアナ・マスラニー、ミランダ・リチャードソン、クランシー・ブラウン
監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン(『セルフィッシュ・サマー ホントの自分に向き合う旅』『スモーキング・ハイ』など)
脚本:ジョン・ポローノ  
原作:ジェフ・ボーマン、ブレット・ウィッター著  
配給:ポニーキャニオン   
提供:ポニーキャニオン/カルチュア・パブリッシャーズ   PG-12  
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2018年5月11日(金)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、TOHOシネマズ西宮OS、ほか全国ロードショー


 

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