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外から悪魔的なものが入ったとき排除する姿に現在の風潮を重ねて。美しき歴史ホラー映画『カーミラ ―魔性の客人―』トークショー@第11回京都ヒストリカ国際映画祭

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登壇者:エミリー・ハリス監督、映画評論家 ミルクマン斉藤さん
 
 10月26日から京都文化博物館にて開催中の第11回京都ヒストリカ国際映画祭。8日目となる11月3日は、ヒストリカワールドよりイギリス映画『カーミラ ―魔性の客人―』(18)が上映され、上映後にはエミリー・ハリス監督と映画評論家ミルクマン斉藤さんによるトークショーが開催された。
 
 ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でフィルムを使った展覧会やインスタレーションを行なっているエミリー・ハリス監督。過去に短編や長編も制作しているが、本作で初めての歴史ものに挑戦したという。ドラキュラーに先駆けて著されたホラー小説『カーミラ』を大胆に翻案。18世紀イギリスを舞台に美しくも不穏な招かれざる客を描いた美しき歴史ホラー映画だ。「最も美的なカーミラ伝説の映画」と絶賛したミルクマン斉藤さんが、エミリー・ハリス監督と繰り広げた興味深いトークの内容をご紹介したい。
 

 

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―――愛への希求、エロティシズムの要素が含まれていましたが、とても風格の高い映像でした。ドラキュラーに先駆けたカーミラ伝説のアウトラインを追っていると思うが、現代のハリス監督:映画として翻案する際、どういう点に一番注意を割きましたか?
ハリス監督:原作とは全く違います。私は吸血鬼の表面的なお話ではなく、人の心理的な部分を深く掘り下げ、内面を見ていくのが興味深く、初の女性吸血鬼の話であることに大変惹かれました。翻案する際には、外から悪魔的なものが入ってきたときは、それを排除するという現代人にも通じる行動を描きました。
 

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―――カーミラが吸血鬼かもしれないという、ちょっとした意匠が散りばめられているのも印象的です。解剖図を見るということは、肉体、性への目覚め、思春期の目覚めが見て取れますが何を意図していますか?
ハリス監督:色々な理由はありますが、まずは大人になるストーリーがメインです。女性の周りにジェラシーが渦巻き、時代的に恐れや宗教や無知や、外とは繋がらない世界に生きている孤立感があります。その中で医学は全く違い、手品師がでてきますが、幻想にもつながっているところがあり、手品師は悪魔という悪いものも連想させます。さらには伝えていないバックストーリーもたくさんあります。ララの父は医者で家にたくさんの医学本があり、ララはスリルを持って本を読んでいます。彼女はティーンエイジャーなので大人の体になることに魅力を感じています。一方、フォンテーヌは宗教がベースにあるので、他者を知ることや医学本を見ることは信念に反する危険なもので、発見してほしくないと思っています。リボンが巻かれているというのは、フォンティーヌに押さえつけられている抑制のイメージです。
 
 
―――あちらこちらに昆虫のクローズアップが出てきます。ネイチャーシネマトグラフィーという肩書きもエンドクレジットに出てきますが、それらを挿入した理由は?
ハリス監督:全体のストーリーは自然がベースになっています。自然部分のパートを全部取り出して並べると、大人になるというストーリーになります。すごく美しく綺麗な虫たちが、だんだんダークサイドになり、腐っていく。またはてんとう虫が1匹から2匹になり、だんだん腐っていく。自然は美しいけれど、それだけでなく醜い部分もある。見え方によって違ってくるということも伝えたかったのです。
 
 
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―――ドラマ部分もできるだけ自然光を取り入れていると思います。イギリスのイースト・サセックスという自然が豊かなロケーションも寄与していると思いますが。
ハリス監督:意図的に多くの自然光を使いました。キャンドルライトも多用しています。映画を見ると炎がゆれるのが写っていますが、映画のフレームの外でたくさんキャンドルを炊き、反射させ、自然な明かりをみせるようにしました。今はデジタルで何でも作れますが、私はアート的に面白くないと感じるのです。炎でライブ感を出し、予測できないものを描きました。レンズもロシア製の50年代のレンズを、時間をかけて探しました。キャンドルの揺れを、ライブ感をもって写すことができるものです。セリフだけでなく、それを伝えることができたと思います。
 
 

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―――35ミリフィルムかと思うぐらい、ロウソク光が美しく撮られ、ゴシック的な風味を高めていました。
ハリス監督:本当は35ミリを使いたかったのですが…。カメラでは不可能なこともありますが、CGIを使いたくなかったので、幻想部分もうまくクリエイトし、カットせずに撮るようにしました。
 
 
―――ララとカーミラをつなぐ間に、一つのポエムがあります。「永遠という名の孤独」から始まるものですが、実在するポエムですか?
ハリス監督:実在の詩で、それを使うことで他のことではできないような内面的なところに入り込むことができました。特に若い子が演じるので、人生経験もあまりありませんし、ストーリーを理解し、伝えてもらう上で、大事な役割を果たしました。
 
 
―――馬車が壊れ、カーミラが放り出された後に落ちていたプリニウスの博物誌も、非常に意味があるように感じました。
ハリス監督:医学本も、プリニウスの博物誌も、色々アーカイヴしている場所にあるものをベースに、自分たちで作った本です。人は色々なイメージからアイデアを作ったり、創造して決めたりするのものです。ララは医学本に興味をもったり、十字架をカーミラのものと思ってずっと枕の下において大事に持っていますが、最後は彼女のものではないと分かります。フォンティーヌも本が悪魔のものだと思いますが、本は色々な理由を持っていて、悪魔だから持っていたのではないと思うのです。私がビジュアルシンボルとして入れ込んでいったものを、観客が見て、どう結論づけるか。それは自分たちで考えればいいと思っています。
(文:江口由美 写真:河田真喜子)
 

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