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『The Final Lesson(仮題)』パスカル・プザドゥー監督、主演マルト・ヴィラロンガトーク@フランス映画祭2016

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『The Final Lesson(仮題)』パスカル・プザドゥー監督、主演マルト・ヴィラロンガトーク@フランス映画祭2016
 
家族に92歳の誕生日を祝われた主人公が、その場で宣言したのは2か月後に「死ぬ」ことだった…。助産婦として、人生の様々な局面で自由を求めて闘ってきたマデリーンが自分らしく死ぬ「尊厳死」を求めて人生最後の闘いに挑む様子を、娘や息子、孫たちの葛藤と共に描いたヒューマンドラマ『The Final Lesson(仮題)』。マデリーン役を演じたマルト・ヴィラロンガの老いることに抗えない自分を受け入れながらも、自分らしさがあるうちに死にたいと強く願う姿や、娘のディアーヌを演じたサンドリーヌ・ボネールの母の最期の願いを叶えるかどうかで葛藤する姿など、どちらの立場からも観る者が感情を重ねることができる。肉親たち以外にも、マデリーンの身の回りの世話をしているアフリカ系黒人のヴィクトリアが、マデリーンの意思を尊重し、アフリカの風習を引き合いにだしながら死について語る場面も興味深い。「自分の死に方は自分で決める」を貫くマデリーンの姿は、老婆が主演の物語とは思えないぐらい力強く、そして人生の終わり方がいかに大事なものかを教えてくれるのだ。
 
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本作の上映後、パスカル・プザドゥー監督、主演マルト・ヴィラロンガさんが登壇し、原作(実話)部分に加えた映画ならではの設定や、「尊厳死」というテーマを映画として見せる工夫について語ってくれた。その模様をご紹介したい。
 

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―――フランスでは有名な実話を元にしていますが、映画化した理由は?
プザドゥー監督:原作を読み、大変美しい物語だと思いました。人生についてのベーシックなことが書かれています。愛する人を失うと後悔しますが、愛する人の選択を受け入れることで、後悔をしない人生を送ってほしいという思いで作りました。
マルト・ヴィラロンガ:この役のオファーが私に来た時はとてもうれしく、絶対他の人に取られたくないと思いました。第一印象はみなぎる力強さを感じました。全ての人に起こる話ですし、身内の人が受け入れるのは難しいけれど、このようなケースもあることをこの映画に参加することで伝えることができ、うれしいです。
 
―――主人公と同年代の祖母がいるので、非常に興味深く拝見しました。重いテーマながら笑える要素を挟み込んだ演出について、お聞かせください。
プザドゥー監督死という重大なテーマですが、それをみなさんに紹介できる形で伝えたいという私の強い意思がありました。そこには軽い要素が必要です。深刻さにも軽さがあり、それがあるからこそ深みも出ます。笑いを誘うことを取り入れることで、あまり深刻にならないようにし、編集時にも非常に気を遣いました。
マルト・ヴィラロンガあまり深刻に考えないように心がけました。できるだけ役柄に溶け込み、脚本を読み込んで、あまり深刻ぶらないようにしました。人生は笑う時もあれば、涙するときもある。そのようなことを忘れないように、考え込み過ぎず、自然に演じることを心がけました。
 

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―――映画ではあえて語られなかったが、マドレーヌとジョルジョ(初恋相手で以来現在まで文通を続けている)の関係はどのように想定したのですか?恋多き女性と描かれていますが。
プザドゥー監督実話を元にしており、それから脚本を書いたのですが、ジョルジュは創作しました。冒頭に死を宣言しているので、途中で観客もダレてしまいます。サスペンスのようなこと、つまりマドレーヌがジョルジュに会いに行くことで、心が動き、もしかしたら自殺できないのではないかと観客に思わせたかったのです。この世を去る前に、友達に会いに行くとよく聞くので、初恋の人に会いに行くという設定にし、象徴的に扱いました(原作では尊厳死決行前に、フランスを一周して友達に会いに行っている)。 
 
 
―――音楽の使い方が印象的でした。病室で使われる『そして今は』や、ラストシーンからエンディングロールにかけてアフリカの歌などを採用した理由は?

 

プザドゥー監督音楽は私にとって一種の魔法です。映画は映像で訴えかけますが、会話や音楽を取り入れることで魔法が生まれます。『そして今は』は素晴らしい詩でびっくりするような内容です。病気のフランス人高齢者がとても素朴に会話をしているところにその曲はぴったりだと思ったのです。ただ使用権を巡って、とても闘いました。というのも、『そして今は』を歌ったジルベール・ベコーの奥様が、作品の内容が悲しすぎると使用許可をなかなか出してくれなかったのです。ただ、出来上がった映画を観た後、「あなたが頑張って一生懸命この曲を使いたいという意味が分かった」と納得してくれました。
 
 
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―――扱いにくいテーマをなめらかに、ついジュースと一緒に飲んでしまったような、素晴らしい作品でした。この映画では老衰を避けたいという西洋的な考え方が背景にあり、東洋の老いて、枯れて、自然に消えていく死についての考え方との違いを感じましたが。
プザドゥー監督ヨーロッパでは死について語ることを避けますが、日本では『楢山節考』のような作品もあり、死を受け入れる文化だと思いました。マルト・ヴィロンガが演じたマドレーヌは闘いの人でした。助産婦として闘い、人生で強く自分の意思を持って生きていました。原作者は、本作のマドレーヌとは違い、身体が痛くて麻痺が始まっていました。寒くて眠れぬ夜が何度も過ごし、自分でできることが少なくなり、死を目前に見ていた訳です。朽ちていく姿を後に残したくない。そんな自分の意思を持って生きていた人でした。
 

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―――親しい人を亡くす際、受け入れる方の立ち位置も難しいですが、娘ディアーヌとは別の意味でマドレーヌを見守る人物として、アフリカ系女性のヴィクトリアを登場させていますが、その意図は?
プザドゥー監督実話では二人の姉がおり、家事の手伝いをほとんどしていたとお聞きしました。映画では、母と娘という関係を描くためにディアーヌを登場させたので、二人目は家事を担当する人物で、より間接的な関係としてヴィクトリアを登場させました。これが面白いというだけでケラケラ笑ったり、アフリカ的価値観を持つ間接的な距離感の登場人物です。彼女の存在は重苦しい中にフレッシュ感を取り入れてくれます。
 
 
―――孫のマックスも祖母のマドレーヌに気遣いを見せますが、彼の感情はどのように演出したのですか?
プザドゥー監督すべての世代を映画に登場させたいと思いました。祖父母、両親、青年、子ども。青春期にいるのがマックスで、フランスでは小さい時によく子どもを祖父母に預けるので、なついているのです。ずっといるものと思っていたのに(死によって)消えてしまうことが感覚的に分からないのです。最初マックスはマドレーヌが死ぬことを反対しますが、次に受け入れ「どうしてわかってあげないの」「自由が大切」と両親に言い放ちます。ところが他の人たちが受け入れ始めた時に拒否に回り、最後にまた受け入れます。大人たちの言うことに反対する思春期の行動をマックスに込めました。若い人にも観てもらいたいですから。
マルト・ヴィラロンガフランスでの上映を観た小さい子が映画館からでるとき「来週おばあちゃんの家に、ご飯食べにいこう」と言ったのを聞き、嬉しく思いました。
 
 

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―――最後に、メッセージをお願いします。
プザドゥー監督今回日本に来ることができ、みなさんに私の映画を観ていただくことができたことに心から感謝を申し上げます。この作品で、死についてポジティブに考えてもらえたらうれしいです。
マルト・ヴィラロンガ皆さまが良かったと思ってくれることが私たちにとって大きな喜びです。難しいテーマですが、私たちが映画を作ったメッセージを皆さんに理解していただき、この作品をきっかけに(死について)話ができればいいと思います。映画では様々な立場で意見を言う人がいます。観ていらっしゃる方も、それぞれの意見で共感しながら観ていただいたのではないでしょうか。そういう形で映画の中に入ってくださること、この映画を作り、日本まで持ってきてみなさんに観ていただいたことを大変うれしく思います。
(写真:河田真喜子 文:江口由美)
 

<作品情報>
『The Final Lesson(仮題)』“La Dernière leçon”
(2015 フランス 1時間46分)
監督:パスカル・プザドゥー
出演:サンドリーヌ・ボネール、マルト・ヴィロンガ
2016年~シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
©Jean-Marie Leroy
©2015 FIDÉLITÉ FILMS - WILD BUNCH - FRANCE 2 CINÉMA - FANTAISIE FILMS
 
フランス映画祭2016は、6月24日(金)~27日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!