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大企業に立ち向かう母子の物語から垣間見る、メキシコの脆弱性『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』(メキシコ)記者会見@TIFF2015

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大企業に立ち向かう母子の物語から垣間見る、メキシコの脆弱性『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』(メキシコ)記者会見@TIFF2015
登壇者:ロドリゴ・プラ氏(監督)、サンディーノ・サラヴィア・ヴィナイ氏(プロデューサー) 
 

~映画全体に漂っている考え方は、「自分たちも他の人たちに映っている映像なのだ」~

 
10月22日より開催中の第28回東京国際映画祭でコンペティション部門作品として上映されたメキシコ映画『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』。主人公ソニアは、寝たきりの夫により良い治療を受けさせるため奔走するものの、腐敗と怠慢に満ちた保険会社に話も聞いてもらえず、責任の追及に乗り出していく。息子を引き連れての追及劇は、冒頭から裁判の証人として、登場人物たちのモノローグが挿入され、ソニアが法廷で裁きを受ける立場になっていることが分かりながら、記憶の断片のような映像を組み合わせ、「何が起こったか」が明らかになっていく。非常にテンポよく、そして巧妙に練られた語り口で、大企業の餌食になり行き場のない庶民の怒りとその行動を描写。気持ちが抑えらない母の様子をドキドキしながら見ていた息子が、警察相手にたじろぎもしない変貌ぶりを見せ、自己主張するまでを描く母子物語でもある。
 
10月28日に行われた記者会見では、監督のロドリゴ・プラ氏、プロデューサーのサンディーノ・サラヴィア・ヴィナイ氏が登壇。大企業に猛然と立ち向かう主婦と息子の物語の背景にある現在メキシコ社会に漂う空気や、ストーリーを語る上で客観性を維持するための持論をたっぷりと語って下さった。熱気にあふれた記者会見の内容をご紹介したい。
 

―――社会の弱者に寄り添った作品を作っていますが、今回は同じ視点ながら、サスペンスタッチになっています。この発想のもとはどこからきたのですか?
ロドリゴ・プラ監督(以下プラ監督):いくつか前の作品から、小説家である妻のラウラ・サントゥーマと一緒に仕事をしています。この作品は彼女の散文をベースにして作っており、複数の主人公が、それぞれの主観でモノローグ的に語るプロットにしました。スクリーンに登場する人たちの動きに集中しストーリーを作っていきましたが、私のキャリアからも、やはり社会的視点に注目することになりました。というのも、私と妻は38年前、ウルグアイからメキシコに逃れた人間で、二人とも社会的な要素に関心を持っているからです。
 
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■色々な人の視点でストーリーを書くことにより、複数の主観的見方がまとまって、客観性を生み出す。

―――母、ソニオ・ボネットと息子ダリオが75分で警察、権力に立ち向かいます。後半1シーンで登場するドアマンの名前はミランダ・サンティアゴというカトリック系の名前です。権力に立ち向かう息子を描くことの意味や、カトリックに対する監督の考え方について教えてください。
プラ監督息子はティーンエイジャーで、最初は母の言いなりになっていますが、最後は抵抗する力を身につけます。ティーンエイジャーが現実に対面し、どのように成長するかを表したかったのです。子どもについては、どの作品でも、できるだけ作品の中で成長を遂げるキャラクターを作ろうとしています。
 
ドアマンですが、この映画ででてくるその他の人物は裁判で証人の一人になっている人で、「私はカトリックです」と語ったのは、その後出てくるものを予兆しています。
 
この作品の構成について説明しましょう。僕たちはソニアと息子が夫の死に直面しつつ、どんなことをしたかを中心に描こうとしましたが、主人公だけに焦点を当てて描くとバランスを欠き、自分たちの意見を観客に押し付けることになるのではないかと思いました。複数の視点でストーリーを語る方法を選択したので、主人公の気持ちをすぐに共感するわけではないと思います。現に主人公は銃を撃つ訳で、それを受け入れられない人もいるでしょう。色々な人の視点でストーリーを書くことにより、複数の主観的見方がまとまって、客観性を生み出すと考えています。
 
ここで実際見ているものは、実際に起きていることそのものではなく、その人の記憶をベースに再生されたものなのです。だからこそ、ピンとのボケたような撮り方をし、イメージが若干ぶれたような見え方にしています。それは現実ではなく、記憶が作った事実だからです。ですから、ミラーや反射の使い方で画像をゆがませ、記憶であることを表現しています。映画全体に漂っている考え方は、「自分たちも他の人たちに映っている映像なのだ」ということです。
 

■ミスを犯すキャラクターが好き。豊かなキャラクターの女性を描きたかった。

―――女性が犯罪を図らずも起こしてしまう作品は他にもありますが、途中でどこか弱みを付かれることがあります。この作品は、最初から最後まで女性が強かったです。日本では、実際の平均的な女性よりもあくの強い女性像が人気を博すことがありますが、主人公ソニアはメキシコの女性をさらに強調したものですか?メキシコの女性は皆、これぐらい強いのですか?
プラ監督女性はこうだと決めつけるのはよくないですから、色々なタイプの女性がいると思います。妻と私は共通して、豊かなキャラクターの女性を書きたいと思いました。人口の半分は女性ですから、女性が主人公の映画でいいじゃないかと。また、キャラクターとしてミスを犯す人が好きです。彼女はミドルクラスの人間で、今後進む道を考えたとき、選択をミスすることは自然だと思います。もちろん銃で成敗することはいけませんが。
 
ソニアは夫が死ぬかもしれない可能性に直面し、自分の殻に閉じこもってしまいます。夫の死をみとった後のことが考えられなくなり、大きな保険会社に立ち向かう行動をとるのです。
 

■このストーリーが示しているのは“脆弱性”。国は何も統制していない。

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―――妻の夫に対する究極の愛を描いているように見えますが、監督ご自身の夫婦愛が反映されているのですか?また、劇中でサッカー中継などのシーンが登場しますが、サッカーの意味するところは?
プラ監督もちろん妻を愛しています。できるだけ家族の関係性を描くのが好きです。父と息子や家族、そして愛を描くのに加え、愛していたものがなくなることで心が壊れ、ミスをすることを描いています。サッカーですが、時間的な感覚を感じていただくために使っています。最後にサッカーゲームを中継するコメンテイターが出てきますが、審判について話す際に、審判はいつも正義がなく皆を怒らせていると言っていますが、審判を正義に例えて使っています。
 
このストーリーについては、脆弱性を示しています。メキシコのミドルクラスで生活をしているとかなり複雑で、国は何も統制しておらず、何もやっていないことを実感します。保険会社の不正という小さいことに対しても国家権力は何もしません。そういう国のバイオレンスを描いています。
 
複雑なのでタイトルについてもお話すると、妻の書いた小説ではタイトル「A Monster with a Thousand Heads(千の頭を持つ怪物)」の後に「No Brain(脳みそがない)」とついています。この小説は企業について書かれていますが、大企業は縦割りで、隣にいる人は自分には全く関係のない、倫理的な判断をすることもありません。そういった官僚制にソニアは直面している訳です。
 
―――裁判の場面が最初から出てくるにも関わらず、最後まで辿りつきません。書類もなくなり、ソニアは大きな企業の不正が決して裁かれないことが分かるのですが、国家的法システムの正義は信じていないと感じているのでしょうか?また、息子と母の最後のシーンのように個人の関係からは希望が見えるとお考えなのでしょうか?
プラ監督作品の中でご覧いただいているのは色々な人の主観的な表現で、最終的な目的はラストシーンを見せることです。そこで何があったのか一度立ち止まり、観客の皆さんが裁判官の立場で何があったのか判断していただきたいのです。
 
私自身、政府に対しての不信感は確かにあります。この10年の間に16万件の残虐な殺害事件、2万件の失踪事件があり、それだけ暴力が横行するにも関わらず政府は何もしていません。麻薬の犯罪組織などが暴力を加速させおり、その全体的な雰囲気がこの映画の中にも反映されています。
(江口由美)

 
『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』
(2015年 メキシコ 1時間27分)
監督: ロドリゴ・プラ
出演: ジャナ・ラルイ、セバスティアン・アギーレ・ボエダ
 
第28回東京国際映画祭は10月31日(土)までTOHOシネマズ六本木ヒルズ、TOHOシネマズ新宿、新宿バルト9、新宿ピカデリー他で開催中。
 
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