(写真:左から『悪戦』のウォン・ジンポー監督、『暮れ逢い』のパトリス・ルコント監督、阿部勉京都ヒストリカ国際映画祭実行委員長、山下晃正京都府副知事)
第6回京都ヒストリカ国際映画祭 オープニングセレモニー&トークショー
(2014.12.6 京都文化博物館)
登壇者:パトリス・ルコント(映画監督)
滝本誠(編集者、映画評論家)
~来年で監督生活40周年を迎える名匠パトリス・ルコント、創作意欲の源やこだわりに迫る~
12月6日(土)から京都で開催中の第6回京都ヒストリカ国際映画祭。オープニングにパトリス・ルコント監督の最新作『暮れ逢い』が上映され、上映後オープニングセレモニーと、パトリス・ルコント監督(以下ルコント監督)を迎えてのトークショーが開催された。
オープニングセレモニーでは、主催者を代表して実行委員長阿部勉氏が「世界中から集まった300本の作品から、今この時代、この映画祭で観ることに価値ある作品を選んだ。歴史を切り口に文化や人間を描くところに迫りたい」と挨拶。引き続き、京都府副知事の山下晃正氏が「京都は今も映画を作っており、作り手が街にいることも映画祭にとって大変大事な視点。京都ヒストリカ国際映画祭は歴史劇を作る人々と観る人々との思いが交差する場なので、できるだけ多く作品をご覧いただき、楽しんでほしい」と映画の街京都発信の映画祭であることをアピールした。
海外からのゲストとして登壇したルコント監督は、「私のこの作品で映画祭のオープニングを飾れたことを本当に光栄に思います。実は車で撮影現場にいくとき、僕は時代劇を作っているのではないと言い聞かせて撮影現場に向かっていました。とても矛盾していると思われるでしょうか、時代劇がとても興味深くなるには、現代人の心と通じるものがあるから。過去ではなく、現在を生きている人を語ったつもりです」。続いて、明日上映される香港映画『悪戦』のウォン・ジンポー監督は、「この映画祭に『悪戦』を選んでいただき、本当に感謝している。監督という立場でありながら、非常にカジュアルな服装であることを申し訳なく思っています。明日はもう少しましな格好をします」と茶目っ気たっぷりに挨拶した。
引き続き行われたルコント監督のトークショーでは、映画評論家の滝本誠氏が司会を務め、ルコント監督若き日の驚愕エピソードや、ルコント監督作品に通じるこだわりまでがユーモアたっぷりに語られた。その主な内容を観客との質疑応答も交えてご紹介したい。
■映画学校時代の伝説的エピソードについて
―――映画監督になろうと思った動機は?
パトリス・ルコント監督(以下ルコント監督):父親はシネフィルで映画を観るのが大好きでした。地方に住んでいましたが、父親によく映画館へ連れて行ってもらい、映像で物語を語れるのはなんてすばらしいだろうと思っていました。子どもの頃は夢のまた夢であった映画監督ですが、当時住んでいたトゥールでは短編映画祭があり、短編映画を観ながら、手が届くのではないかと感じたのです。その後、パリの映画学校に行きましたが、学校では何も学ばず、むしろ映画館に行って映画を観て学ぶことの方が多かったですね。低予算で短編映画を撮ったことも勉強になりました。最初の長編はコメディーでした。みなさんに笑ってもらうことが好きだったからですが、興行的には失敗作で、以降3年間はほとんど何も撮れず辛い時期でした。そこを耐えて2本目を撮ると大ヒットし、それを気にすべてが滞りなくノンストップで撮り続け、今に至るわけです。来年は、私が映画監督になってから40年目となります。
―――学生時代にクロード・シャブロル監督作品を観て、あまりのくだらなさからシャブロル監督へ批判の手紙を書いたというエピソードを聞きましたが。
ルコント監督:シャブロル監督の超駄作『DOCTEUR POPAUL(邦題:ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚)』を観て、なんとかして指摘しなければと住所を調べたのです。文面はこんな感じでした。「親愛なるムッシュ、もしリュミエール兄弟が、あなたが『DOCTEUR POPAUL』を撮ることを知っていたら、映画を発明しなかったでしょう」 実名を添えて書き、返事も期待していたのですが・・・その後、私が監督になったときにエージェントが同じだったので、マネージャーに声をかけられシャブロル監督に会わせてもらいました。映画学校時代に手紙を送ったのは私だというと「すばらしい。額縁に飾ってあるよ」 そして郵便局に行くのを忘れ、出せなかったという手紙には、「ムッシュ、もし万年筆を発明したウォーターマンが、あなたがこんなに辛辣な手紙を書くことを知っていたら、万年筆を発明しなかっただろう」と書いたのだそうです。
―――ルコント監督とシャブロル監督のユーモアの応酬ぶりが素晴らしいですね。
ルコント監督:もし、ジャン・ピエール・メルビル監督に同じ手紙を送っていたら、殺し屋を送り込んでいたでしょう。メルビル監督は全くユーモアがありませんから。映画学校時代にメルビル監督が来校すると聞き、ワクワクして待っていると、アメリカの外車で学校の中に乗り付け、お馴染みのトレンチコートスタイルに、おきまりの帽子と真っ黒のサングラス姿でした。我々が大階段教室で待っていると、メルビル監督がコートも脱がず、帽子やサングラスもとらずに入ってきて、とても行儀の悪い人だと思いました。勇気のある学生がインテリジェントな質問をすると、「その質問はあまりおもしろくない。次どうぞ」 その後誰も質問できず、学生たちが静まり返っていると、メルビル監督は「質問ないですね」と起立して立ち去りました。たった5分だけの滞在でした。その日以来、メルビル監督の全作品が大嫌いになりましたね。
■ルコント作品の音楽と、レコードをかけるシーンについて
―――ルコント監督の音楽といえば、マイケル・ナイマン氏ですが、ナイマン氏を知ったきっかけは?
ルコント監督:ピーター・グリーナウェイ監督作品は毎回音楽がいいなと思い、サントラを買って何度もナイマンさんの音楽を聞きました。『仕立て屋の恋』 でも、ナイマンさんの『数に溺れて』を使わせてもらっています。はじめてナイマンさんがそのことを知ったとき「グリーナウェイ作品より、君の作品の方が私の音楽が生きている」と語っていたそうです。のちに、その時期ナイマンさんがグリーナウェイさんと喧嘩をしていたのだと知りました。
そのように、ナイマンさんの作曲家としての仕事ぶりが大好きで、プロデューサーに音楽担当のことを聞かれたとき、夢としてはマイケル・ナイマンと仕事がしたいと答えました。最初は、ナイマンさんはイギリス人で、ロンドンに住んでいるので難しいと言われたのですが、僕が直接ナイマンさんとコンタクトをとり、ロンドンに出向いて交渉し、快諾をいただきました。どんな分野においても同じですが、無理だといわれてもトライすることです。Ouiといわれたら儲けものですよね。結果、『仕立て屋の恋』や、『髪結いの亭主』で一緒に仕事ができましたから。
―――ルコント監督作品といえばレコードがよく登場しますね。
ルコント監督:ほとんどの作品で少なくとも一度はレコードをかけるシーンがあります。『仕立て屋の恋』や、『髪結いの亭主』では常にクローズアップのカットを挿入しています。実は、次回作でもレコードに針をおとす瞬間のクローズアップシーンあるのですが、撮影監督は僕がレコードプレーヤーにカメラを近づけているのを観て「またルコントショットを撮るんだね」と笑っていました。
音楽は好きですが、映画における音楽がとても好きで、音楽なしの映画は作れません。レコードに針を落とすシーンを入れるのは、これから音楽がはじまることをみなさんに知らせる意図があります。アメリカ映画は終始音楽が流れたり、観客が気づかない感じで流れていますが、そういう投げやりな感じは好きではないのです。
■最新作『暮れ逢い』について
―――『歓楽通り』では、パリにおける娼館システムが終わり、そこから女性がどう生活していくのかというフランスのシビアな時代が背景となっていました。主人公男性の人物造詣に驚かされましたが。
ルコント監督:主人公のプチ・ルイは娼館の雇われ人で、レティシア・カスタ演じる娼婦マリオンに恋をします。プチ・ルイは絶対マリオンが自分の彼女にならないとわかっているので、彼女が幸せになれるような男を捜してきます。無償の愛ではあるけれど、実は代理恋愛ともいえます。そう考えてみると『歓楽通り』の三角関係は、『暮れ逢い』の三角関係にも似ています。青年フリドリックはすごく恋をしているけれど、それは許されない恋です。相手の女性は自分のパトロン(実業家ホフマイスター)の妻であり、社会的地位もあり、叶わぬ恋なのです。一方で「どんな恋も不可能ではない」と原作者のシュテファン・ツヴァイク自身は言っています。
ルコント監督:後半、フリドリックがメキシコに行くまでは、ずっとフリドリックの視点で描いています。出会いのシーンは、階段上にいるのが、階層が上のロットという意味もあります。でも、ロットは階級が上だからといって、それを利用せず、ちゃんと階段を降りてフリドリックと同じ目線になるのです。恋愛のプロセスも対照的で、フリドリックは一目惚れです。ロットの場合はもっと緩やかで、恋に至るプロセスが長いです。夫のホフマイスターの方が、ロットが自分の気持ちに気づく前に彼女の中に芽生えた恋心に気づいています。
―――第一次世界大戦前後のハンブルグが舞台であり、メキシコの革命とその後の鉱山開発も描かれていましたが、ロケ地や歴史的背景について教えてください。
ルコント監督:フレデリッヒがメキシコにいくのは、できるだけドイツから離れた場所に遠ざけるという意味で原作の小説にもある部分です。大事なのは第一次世界大戦が勃発して、帰れなくなる場所であることです。恋する女性(ロット)にとって本当に耐えられない距離ですから。フランスとベルギーの合作なので、撮影はベルギーで行われました。フランスでは理想的な場所がなかなか見つけられなかったのです。
―――『暮れ逢い』で新たに自分の表現として挑戦したことは?
ルコント監督:「挑戦」という言葉はあまり好きではないですが、新しい冒険という意味では、英語でイギリスの俳優と一緒に仕事をしたことでしょうか。僕にとって初めての経験でしたが、みなさんの想像を超えるぐらい楽しみました。ツヴァイクの短編小説は時代が背景ですが、今の人間に通じるエモーションを伝えたいと思い英語にしました。時代劇でありながら、現代の感情とフィットする映画を作ろうと思っていたので、オリジナルなことを今回の撮影で取り入れました。毎朝撮影現場に俳優が到着し、今日撮影するシーンの動線を普段着のままで確認します。うまくいけばようやく控え室で衣装に着替える訳です。その間に技術的な準備を進めます。時代の衣装で演じるのではなく、Tシャツとジーンズでやってみる。それはとても大切で、役者にとってだけでなく僕にとってもすごく重要でした。普段着で演じ、感情が伝わるのなら、このシーンはうまくいくという確信がもてるのです。生の、むき出しのままで、衣装や光などが機能しなくてもちゃんと伝わるかどうか。これは今までしなかったことです。将来的に時代劇を撮ることがあれば、このエクササイズをまた採用しようと思います。
■ルコント監督の次回作、人生で一番大事に思っていることは?
―――次回作について教えてください。
ルコント監督:12月31日にフランスで公開される『Une heure de tranquillité』です。フランスでの宣伝があるので、京都からとんぼ返りしなくてはなりません。そして私の一番大好きな脚本書いて撮影する時期に入るのです。
ずっと私のキャリアでは色々なことをやってきましたが、色々なことにチャレンジするのはいつも覚醒状態にいたいからです。監督が退屈していたら、観客はもっと退屈するはずですから。次回作は『Une heure de tranquillité』は『暮れ逢い』と真逆で、とても軽やかでスピーディーな作品です。一人の主人公はレアものレコードのコレクターで、ある日レコード屋でずっと昔から探していたレコードに出くわし、家に戻ってレコードを聴こうとするのですが、たった1時間レコードを聴くだけの時間をなかなか見つけられないのです。映画のタイトルの邦訳は「1時間の休息」で、現代社会はスピーディーに流れていて、レコードを聴くほんの1時間もとれないことを揶揄しています。
―――ルコント監督が人生の中で一番大事だと思うことは何ですか?
ルコント監督:私が思う世界で一番大切なことは他者を尊重する、リスペクトするということです。それ以上大事なことはありません。もし世界中の人々がそのことを心にとどめて生きていれば、戦争もテロも飢えで死ぬ人もおらず、バイオレンスにあうこともないでしょう。
(江口由美)
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★『暮れ逢い』は、2014年12月20日(土)~シネスイッチ銀座、シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
★公式サイト⇒ http://www.kure-ai.com/