「パリ」と一致するもの

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~自由を奪われてきた老女が人生の最後にやりたかったことは・・・生きる勇気と知恵を与えてくれる感動作~

 
自然の中でひたむきに生きる人間を、ドキュメンタリーのようなリアルなタッチで描き、独自の世界感を築き続ける河瀨直美監督。最新作は、ドリアン助川さんの元ハンセン病患者徳江を主人公にした小説『あん』を原作に、ドリアンさんが「徳江を書くときにイメージしていた」という樹木希林、国際的な活躍も著しい永瀬正敏、そしてオーディションで役を射止めた内田伽羅らが結集し、心に深く染み入るヒューマンドラマを紡ぎあげた。
 

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訳あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長となった千太郎(永瀬正敏)は、桜の咲く季節に徳江(樹木希林)という女性から店で働くことを懇願される。最初は断っていた千太郎だが、徳江が持参した粒あんの味に惹かれ、徳江を採用。どら春は徳江の粒あんのおかげで大繁盛する。シングルマザーに放ったらかしにされる日々で、高校受験も諦めていた中学生のワカナ(内田伽羅)も、毎日店に訪れるうちに徳江と親しくなっていく。だが、徳江にまつわる心ない噂が広がり、千太郎も次第に窮地に追い込まれていくのだった。
 
 

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自由を奪われ生きてきた徳江、過去の傷を負って生きる千太郎、未来への希望を見いだせないワカナと、世代も生きてきた境遇も違う三人が心を通わせる様子や、自由に生きられるはずなのに、翼が折れてしまった千太郎に、人生の先輩として生きる知恵を与える徳江の姿など、人の中に息づく温かい気持ちが溢れ出る。人と出会うことが少なかった徳江が自然や小豆の声に耳を傾けている様子は、私たちが失ってしまった自然の声を聞く能力の扉を叩いてくれているかのようだ。元ハンセン病患者、徳江を演じる樹木希林の味わい深い中に初々しさも覗かせた演技、それに応えて生きる意欲をたぎらせていく千太郎を演じる永瀬正敏の生活感が滲む演技も素晴らしい。国立療養所多摩全生園でもロケを敢行。ハンセン病患者の方に対する理解も深まることだろう。桜の季節に始まり、桜の季節で終わる一年の物語は、変わらず巡り続ける季節の中で、成長し、年をとりそして消えていく人間の生を浮かび上がらせた。
 
河瀨直美監督に、新しいチャレンジに満ちた本作について、また準備で大事にしたことや、本作を通じて向き合った偏見や差別について、お話を伺った。
 

■元ハンセン病患者の方々の共感を得た原作『あん』。生きる意味を失うような出来事の中で、勇気を持って私たち自身が命を愛でてあげるような作品になれば。

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―――元ハンセン病患者を主人公にした物語で、通常よりも様々な苦労があったと思いますが、準備や役作りはどのように行っていったのですか?
河瀬監督:原作の『あん』を書かれたドリアン助川さんも、20年来の構想の末書かれたとおっしゃっていたのですが、一度は大手の出版社に断られたものの、ポプラ社の心ある編集者の方が出版化して下さったそうです。いざ出版されると、読者の方は純粋に物語に感動してくださり、一番良かったのは元ハンセン病患者の方が、この作品に共感されたことだったのです。他にも多くのハンセン病に関する書物や映像が世に出ていますが、当事者の皆さんにはどこか違和感があったのだと思います。『あん』に関しては、元ハンセン病患者の方々の共感を得たことが大きく、ドリアンさんから私に映画化したいからと、その監督のオファーをしてくださいました。 
 
ドリアン助川さんは、樹木希林さんを思って徳江さんを書いたということで、希林さんにまずアプローチし、快諾をいただいたのですが、その段階でまだ出資者は見つかっておらず、いつプロジェクトが動き出すのか分からない状態でした。 
 
永瀬さんも偶然ではありますが、ハンセン病を扱った映画のオファーを受けていたものの、なかなか出資者が見つからない壁にぶちあたっていたそうです。私も同じように断られることもありましたが、今回出資いただいたところは「ハンセン病の映画という訳ではなく、生きる意味が描けており、純粋に作品として素晴らしい」と賛同していただきました。ですから、ハンセン病だけを前面に押し出すのではなく、我々皆に起こってしまうような差別意識であったり、生きる意味を失うような出来事の中で、勇気を持って私たち自身が命を愛でてあげるような作品になればという思いを込めました。 
 
ですから、徳江さん自身の口から、自分がハンセン病患者であることを言わせないようにしました。周りの人間はそれを感じ、差別をする人もいれば、千太郎のように守れなかったと後悔する人もいます。でも徳江さん自身は、変わらず人生を全うした人という風に描いていきました。
 
 

■慣れ親しんだ自分のやり方を白紙に戻し、映画を初めて撮るときのようにコミュニケーションを重ねる。

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―――今までは新人を発掘されてきた河瀬監督ですが、今回は樹木希林さん、永瀬正敏さんと大物俳優を主演に迎え、また初めて原作ものに挑戦されています。他にも何か今回初めて取り組んだことはありましたか? 
河瀬監督:撮影監督はコマーシャルを撮ってきた方に初めてお願いしました。そういう意味では、慣れ親しんだ自分のやり方を白紙に戻して、映画を初めて撮るときのように、撮影監督や役者さんとコミュニケーションをとりながら、映画に昇華させていきました。いわばトリプルで新しいことに挑んだので、スタッフ間でもディスカッションを重ねなければいけませんでした。 
 
私はリアリティーを追求する撮り方をするので、いつスタートがかかり、いつカットがかかるのか分からない点も戸惑われました。また、こちらで撮影の準備をしていても、俳優の方がいい動きをしていたら、私はいい動きをしている方を選んで撮ろうとするのです。コマーシャルを撮っていると、準備にかける時間が大事なので、俳優はそこに合わせる感じになってしまいます。私は俳優の心模様が大事なので、そこで現場の混乱が起こることもありました。でも話し合って、改善を重ねていきました。
 
 

■撮影準備期間に、町の人たちと、ずっとその町に住んでいるような関係性を作る。

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―――撮影の準備も時間をかけたのでしょうか? 
河瀬監督:準備としては撮影の1、2ヶ月前から助監督が町に入り、町の人たちとコミュニケーションを取り、まるで自分たちがずっとその町で住んでいるかのような関係性を作りました。エキストラの方は町の人たちを起用しました。どら焼き屋も、美術部が先行して入って作り上げたお店に、千太郎演じる永瀬さんが撮影前に何日か入ってもらって過ごしながら、自然と買いに来られる一般の方にどら焼き屋として応対してもらいました。本当に接客してカンを掴むだけでなく、お昼もスタッフルームに戻るのではなく、コンビニに行って、午前中の売り上げをシミュレーションしてその範囲で買えるお弁当を買っていました。永瀬正敏の金銭感覚ではなく、千太郎の金銭感覚を体感してもらった感じです。 
 
―――オーディションでワカナ役を射止めた内田伽羅さんですが、一番惹かれた点は? 
河瀬監督:物怖じしないところですね。希林さんも、「伽羅は小さい頃から大舞台でも物怖じしなかった」とおっしゃっていました。撮影中もスタッフルームに誰もいなくなってからやってきて、黙々とお弁当を食べたり、誰ともしゃべらず静かに帰っていくので、緊張しているのかと思っていました。でも役が決まる前、私がパリにいたときに留学先のイギリスから家族で訪ねてくれたことがあったのですが、そのときも全く同じ様子で、ほとんど話さないけれど、目で弟の様子をみて世話をしていたのです。多弁ではないけれど、色々なことを見ている点も、まさにワカナにピッタリでした。 
 
 

■ずっと隔離された人生を送ってこられたにもかかわらず、前向きな方が非常に多かった療養所訪問体験。病んでいるのは私たちの方。

―――実際にハンセン病患者の皆さんと交流をされ、改めてこの作品に込めた思いが強まりましたか?

河瀬監督:『二つ目の窓』撮影中に、本作のお話をいただいていたので、奄美にある療養所に訪れ、元患者の方とお会いしました。最初お会いする前はずいぶん緊張しましたが、逆にお会いして、学ぶことがとても多かったのです。 ずっと隔離された人生を送ってこられたにもかかわらず、前向きな方が非常に多かったのです。施設はとても清潔ですし、多摩全生園では桜、奄美の療養所ではガジュマルの樹があり、それらがイキイキしていました。入所されている方が毎日きちんと掃除をされているので療養所の中はゴミひとつ落ちていませんし、製菓部や美容院、学校など必要なものは全てこの場所にあり、入所者がその仕事に従事しています。そういう情景を見ていると、もしかしたら私たちの方が病んでいるのかもしれないと思い、丁寧な生活ができていないと感じました。

 
 

■差別については知ることが大事、何が偏見なのか自分自身にも問い直す。

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―――劇中でも、風評被害で千太郎のどら焼き屋が窮地に追い込まれますが、撮影の準備段階で何か取り組まれたことはありますか?
河瀬監督:差別については、スタッフともだいぶん話し合いました。深く知らずに浅く知っている人たちが一番問題ではないかと。ですから、知ることが大事だと思い、今回は伽羅さんや大賀さんも撮影前に実際にハンセン病資料館に一日行って、全部勉強してもらってから現場に来てもらいました。全員で知ることから始め、何が偏見なのかを自分自身にも問い直しました。知らないうちに、誰かに言ってしまっていることが、偏見や差別につながっているのかもしれませんから。
 
実際、今でもハンセン病患者の方への差別は根強く、自分の村からハンセン病患者を出したと地域ぐるみの差別もあれば、実家にとっても消してしまいたい事実であることが多いのです。死んでもなお遺骨を引き取ってもらえないのは、国の責任だけでなく、私たちの感覚の中に差別が存在しているのでしょう。
 
 

■かけがえないからこそ美しい桜の花に、徳江の思いを託す。

―――河瀬監督はいつも「命」にこだわった作品づくりをされていますが、桜で始まり、桜で終わるのは命の生まれ変わりの象徴に思えます。
河瀬監督:桜は日本が世界に誇れる美の象徴です。なぜ日本人が桜の花に魅せられて集うのかといううと、一年を通してほんの少しの時間しか咲かないところに美しさを見出しているのです。永遠にあるものに対して、人はあまり心を向けません。かけがえがないからこそ、美しいと思えるのです。特に、徳江さんは二度と故郷の桜を見ることができませんでしたから、桜に託した一つ一つのセリフも、きっと故郷の桜を思いながら言っていたでしょうし、なぜ千太郎にそんなことを言ったのかも映画が進むにつれ分かってくるはずです。そこで感じてもらえることが、たくさんあるのではないかと思っています。
 
 

■かつて私たちが経験したようなリアリティーに連れ去る音にこだわり。

―――徳江さんは小豆の音や、自然の音を聞く人でしたが、徳江さんが聞いていた自然な音がスクリーンを通して伝わってきたのが印象的でした。
河瀬監督:音にはとてもこだわっています。小豆の音や春、夏、秋や冬に差し掛かる時の音、電車の音がどこで聞こえているのか、多摩全生園に入ったときの音など、細かいところまで音のデザインをしていきました。そのおかげで、かつて私たちが経験したようなリアリティーに連れ去ってくれると思うのです。この音響デザインをしたのはフランス人で、逆に言語が分からないからこそ、音を認識するかもしれません。言語ではないのだなと思いました。
 
―――カンヌで公開する際のタイトルは?
河瀬監督:1週間前ぐらいまで、悩み抜きました。最終的には「an」にしました。フランス語だと、「アン・ドゥ・トワ(1・2・3)」の「アン」になるのですが、ひらがなの最初の文字「あ」と最後の文字「ん」という意味で最初から最後につながるイメージと説明すると、納得していただけるのではないかと思っています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『あん』
(2015年 日本・フランス・ドイツ 1時間53分)
監督・脚本:河瀨直美 
原作:ドリアン助川『あん』ポプラ社刊
出演:樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、市原悦子、水野美紀、大賀、兼松若人、浅田美代子他
主題歌: 秦基博
2015年5月30日(土)~新宿武蔵野館、Tジョイ 梅田ブルク、シネマート心斎橋、OSシネマズ神戸ハーバーランド、イオンシネマ京都桂川他全国公開
※第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品
公式サイト⇒http://an-movie.com/
(C) 2015 映画『あん』製作委員会 / COMME DES CINEMAS / TWENTY TWENTY VISION / ZDF-ARTE
 

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~心の原風景を探す母の秘めた決意とは?~

 
息子にある決意を告げると決めた戦中世代の母が、幼き頃の原風景を探す旅。それは淡い恋心を思い起こす旅になるのだった。故岡本喜八監督の妻であり、長年、岡本作品のプロデューサーを務めてきた中みね子さんが76歳で監督デビューを果たした。シナリオライターを目指していた初心に戻り、時間をかけてオリジナルシナリオを書き上げ、シニア世代の原風景や、子世代につなぐ思いを詩情豊かに綴り上げた『ゆずり葉の頃』。八千草薫×仲代達矢のゴールデンコンビの演技に、この上ない深みと温かさを感じることだろう。
 

<ストーリー>
海外駐在中の進(風間トオル)は、一時帰国の際に女手一つで育ててくれた母、市子(八千草薫)を訪れたが、母の姿はなく、画家、宮謙一郎(仲代達矢)の新聞切り抜きが残されていた。市子は、幼い頃に心の支えとなった絵を探し、一人で軽井沢を訪れていたが、探していた絵に出会えず、しばらく軽井沢に滞在することを決める。軽井沢で様々な人と出会ううちに、宮謙一郎が軽井沢に滞在していることを知るのだったが・・・。

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市子を演じる八千草薫の、おっとりとした物腰に潜む強い決意が、彼女が今まで過ごしてきた人生の辛苦を静かに物語る。人生の終いを迎えつつある中、戦中の貧しい中に希望を見出した青春時代の淡い思い出に触れるラストチャンスと突き動かされる市子の姿は、周りの人を動かしていく。市子と謙一郎が出会い、二人だけの時間を過ごすシーンは、積年の思いが優しく溢れ出し、胸を打つ。
 
大阪で行われた記者会見では中監督が登壇し、冒頭に、市子がお世話になった軽井沢の人々に手渡す飴や飴が入った布袋のエピソードを披露した。私たち記者陣も飴玉をいただき、「NGなことは何もありませんから、何でも聞いてください。映画公開時にも参りますので、ぜひまたお会いしましょう」と、本当に飾らない姿で接してくださった中監督。ゼロからのスタートとなった本作制作の経緯や、監督をしたことで体得したことなど、岡本喜八監督のエピソードも交えながら話してくださった記者会見の模様を、ご紹介したい。
 

 

■岡本喜八(監督)の語り部を卒業し、ゼロに戻ってはじめたシナリオ書き。八千草さんに「今までで一番すっと入ってきたわ」と言われ、映画にしなくてはとの思いが強まる。

―――『ゆずり葉の頃』制作の経緯、中みね子として監督デビューした理由についてお聞かせください。
中監督:学生時代にシナリオライターとしてデビューし、岡本喜八(以降喜八)と結婚してからもテレビの仕事等コツコツとシナリオを書いていましたが、才能のある人のそばにいると、自分の才能のなさが分かってくるのです。プロデューサー、子育てをしながらシナリオを書くのはやはり難しく、シナリオを書くことを断念しました。ただ、喜八の最後の作品『幻燈辻馬車』(映画化には至らず)で、アクションはもう撮れないからとシナリオを書き直す作業を喜八と一緒にしたことがありました。シナリオを読みながら直すという日活のやり方ですが、今思えば、最後に私にシナリオの書き方を思い出させるためにしてくれた気がします。
 

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喜八の七回忌を終え、もう喜八の語り部は卒業するときだと思い、ゼロに戻って何かをはじめようと旧姓の「中みね子」の名前でシナリオを書き始めました。八千草さんのご主人の谷口千吉監督は喜八の師匠なのですが、谷口さんは八千草さんを主演にした映画をいつか撮ろうと思っておられたようで、よく喜八とその話で言い合っていたのを八千草さんと横で聞きながら、「(あの二人より)私たちで撮った方がいいわよね」と話していたのです。そんなことを思い出しながら、八千草さんを主役にしたシナリオを2、3本書いたのですが、どうしても気に入らず、脚本家の青木研次さんにご指導を仰ぎました。「主食が少し増えるのはいいけれど、おかずの多い映画は面白くならない」と最終的には完全に一人で書くように勧められ、ようやくオリジナルの脚本が書きあがったのです。
 
早速八千草さんに読んでいただくと「今までで一番すっと入ってきたわ」と言ってくださり、もう本当にうれしくて。あんな美人に言われたら、なんとか映画にしなくてはとの思いがさらに強まり、喜八とのつながりや、目に見えない皆さんの励ましをいただき、長い歴史の中から生まれた作品となりました。
 
 

■八千草さんを中心に、風が吹いて止まることのないリズムを大事に。

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―――初めての演出はいかがでしたか?
中監督:撮影に入る前に、役者さんとは徹底的に話をしました。八千草さんには気持ちを全部お話し、準備の時間を取れたのですが、仲代さんからは「芝居中にこんなにセリフが覚えられるか」と言われたりもしました。仲代さんがお忙しいので、こちらの気持ちを全て書いたことをお話し、仲代さんからはセリフを削ったシナリオが戻ってきました。そこでまた八千草さんのセリフと調整したりといった作業を繰り返しました。演出部は私を入れて3人だけとコンパクトでしたが、その分やりやすくて良かったと思います。特にカメラマンには「八千草さんの所作や仕草など、全て彼女を中心に、風が吹いているような止まることのないリズムで撮ってほしい」とお願いしました。映画には映画のリズムがありますから、そこはまず大事にしたところです。
 
 

■映画監督の孤独さや陰の部分を、体で理解する。

―――初めての監督業に臨み、一番感じたことは?
中監督:よく喜八が「映画はEndがつかないとゴミにもならない」と言っていましたが、きっと上の方から「最後までできてよかったね」と言いながら見てくれていると思います。
作品が出来た後、自分の中でもっとこうすればよかったという思いが、どんな監督でもよぎるのでしょうが、喜八は自分以外立ち入り禁止の書斎に何分か籠って、私でも声をかけることができない時がありました。「孤独のカプセル」に入ってしまうのです。映画監督は他人のせいにはできない仕事で、総合芸術の長である映画監督の孤独や演出家という仕事の本質を、今回自分が監督することで少し覗かせてもらった気がします。仕事は頭で理解することと、体で理解することとは全然違います。そういう映画監督の陰の部分や孤独の部分を知ることができました。
 
―――ご自身で監督をされて、改めて岡本喜八監督を惚れ直したのでは?
中監督:喜八はいい意味で才能があり、大変厳しい人でした。よく、結婚した方がいいかと若い方に聞かれるのですが、一人ぐらいお互いの生き様を分かってもらう人がいてもいいのではないかとお話しています。子どもは縦のつながりなので、言わずともつながりがありますが、夫婦は横のつながりなので、お互いつなげようと思わないとつながりませんから。
 
 

■親の介護や家庭、会社で頑張っている息子世代にもぜひ見てほしい。

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―――『ゆずり葉の頃』はどのような世代に見てほしいですか?
中監督:最初は「善人ばかりの映画で大丈夫か」と言われたりもしましたが、私は、人を傷つけるために生まれてきた人はいないと思っています。どの人の中にもある優しさが出てきたらいいなと思い、シナリオを書きました。
 
『ゆずり葉の頃』は、知性が残っている間に、自分の終わり方を家族に伝える物語です。私は『楢山節考』が大好きで、あの中に老後が一番描かれていると思っています。この作品は、主人公の同世代はもちろんですが、世の中に出て、親の介護や家庭、会社で頑張っている息子世代にもぜひ見ていただきたいですね。
 
 

■人間の愛情表現はそれぞれ。ベッドシーン以上に心が揺れ動くようなラブシーンと思ってもらえたら、とてもうれしい。

―――八千草薫演じる市子と仲代達矢演じる謙一郎がダンスするシーンが非常に印象的かつ、心に残るラブシーンとなっていますが、どのように作り上げていったのですか?
中監督:八千草さんと仲代さんが手を合わせて踊るのは、バロック音楽のダンスを取り入れています。私はバロック音楽が大好きで、パリでロケをするシナリオを書いていたときにこのアイデアを思いつきました。実際は軽井沢ロケのストーリーになったので、音楽担当の山下洋輔さんに、日本の誰もが知っている「あかとんぼ」のように世界中の人が知っているような曲で八千草さんのテーマとなるメロディーを作ってほしいとお願いしたところ、「キラキラ星」を選んで、編曲してくださったのです。バロック音楽ではありませんが、二人とも子どもだった時代に戻してあげたいと思い、手を合わせて無邪気に踊っていただきました。このシーンは、仲代さん演じる謙一郎が抱えている心の原風景をイメージしています。10数分をワンカットで撮影しました。
 
私を知っている人たちからすれば、男みたいな私がラブシーンを撮るなんて想像できないみたいですが、人間の愛情表現は人それぞれです。ベッドシーン以上に心が揺れ動くようなラブシーンが撮れていたら、またそう思っていただけたら本当にうれしいです。
 
―――岡本喜八監督は、この作品をご覧になったらどうおっしゃると思いますか?
中監督:喜八は他人の作品の良し悪しは絶対言いませんし、作り手としていかに映画監督が辛いかを知っている人ですから、「途中でおかしくならずに、ちゃんと皆さんに観ていただける作品が出来てよかったね」と、上から言ってくれているでしょうね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ゆずり葉の頃』(2014年 日本 1時間42分)
監督・脚本:中みね子
出演:八千草薫、仲代達矢、風間トオル、竹下景子、六平直政、嶋田久作、本田博太郎、岸部一徳他
5月23日(土)~岩波ホール、6月20日(土)~シネ・リーブル梅田、7月18日(土)~元町映画館、7月25日(土)~京都シネマ、今夏、シネ・ピピア他全国順次公開
※第36回モスクワ国際映画祭特別招待作品
公式サイト⇒http://yuzurihanokoro.com/
(C) 岡本みね子事務所
 
 
 
 
 

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