「パリ」と一致するもの

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asagakurumaeni-550.jpg『あさがくるまえに』カテル・キレヴェレ監督インタビュー
(2017年6月24日 大阪・九条のシネ・ヌーヴォにて)



「感情は言葉よりも雄弁」
臓器と共に移植される17歳・シモンの青春

 

是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)や小津安二郎監督の『父ありき』(1942年)の世界観が、自分の描きたいものに似ているというフランス新進気鋭の女性監督カテル・キレヴェレ、37歳。脳死状態になった17歳のシモンをめぐる残された人々の再生を、移植タイムリミットの24時間の物語として描いた心に沁みる感動作『あさがくるまえに』を創り上げた。「言葉で説明するより、映像や俳優のエモーションで表現したい」と、リアルな映像と抒情性を巧みに融合させることができる、グザヴィエ・ドランやミア・ハンセン=ラブと並び期待される映像作家である。


asagakurumaeni-di-500-2.jpg突然最愛の息子を失う不幸に見まわれ、離れかけていた夫婦の絆を取り戻す両親。静かに横たわるシモンと両親の気持ちを尊重しようとする移植コーディネーターのトマ。若くもない自分が臓器提供を受けることに迷いを感じる二人の息子の母・クレール。この三者を結びつけるのはシモンの心臓。恋にトキメキ、大きな波のうねりにも挑み、あらゆる可能性を秘めた未来を生きようとしていたシモンの心臓は、強く逞しく活発に躍動していたのだ。「“生きたい!”という衝動に駆りたてられる力強さを表現したかった」と語る監督。


asagakurumaeni-500-2.jpg「映画は“生”を写し撮るものだから、死者より生きている者を描きたくて、残された人々に光を当てるストーリー展開にした」――― 臓器提供を決心し、シモンとの最後の別れをする両親や、心臓を摘出される直前のシモンに波の音を聴かせる医師のトマ、そして、感情を排除したようなオペ室の中で、人の生と死を司る儀式のような手術の模様を真上から捉えた映像など、“命の連携”の神々しさを表現。早朝、シモンが彼女の部屋の窓から抜け出す時のふと振り返ったその表情は、シモンの魂が別世界へ飛び立とうとするかのように、新たな息吹を観る者の心にも刻み込む。


asagakurumaeni-500-1.jpg「脚色は、原作を尊重しながらも自分らしい作品にしたかった。原作を超えていく難しさもあれば面白さもある」――― 映画化争奪戦となった話題のベストセラー小説を基に、キャラクターを生きる実力派俳優をキャスティングし、印象的な深みのある映像で残された者の心に寄り添うキレヴェレ監督。『聖少女アンナ』『スザンヌ』とオリジナル脚本で製作してきたが、長編3作目にして早くも普遍的テーマを打ち出せる実力が発揮された。その躍進ぶりについて、「私も人生と共に変化していく訳で、生きている経験が深みとなって出ているのかも。撮影監督と協議しながら撮っているので、一作毎に学べることも多い」。


asagakurumaeni-500-3.jpg「人生を描くためには、理性的に考えて決断する力が重要。様々な流れの中に身を置くことは多いが、必ずしも時系列に表現する必要はない。ひとつひとつの出来事を受け止める力や、情緒的な要素やミステリアスな人間関係を映画で表現していきたい」と、エモーションを秘めた思慮深さがキレヴェレ監督の特徴と言えよう。大胆な編集から繰り出される生命力あふれるタッチや、ひと目でキャラクターがどんな生き方をしている人物かを理解させる描写力と、その映像からは片時も目が離せなくなる。


     (河田 真喜子)


『あさがくるまえに』

◆Reparer les vivants 2016年 フランス・ベルギー 1時間44分(PG12)
◆監督:カテル・キレヴェレ
◆出演:タハール・ラヒム、エマニュエル・セニエ、アンヌ・ドルヴァル、ブリ・ラレーヌ、クウール・シェン、モニア・ショクリ
公式サイト: https://www.reallylikefilms.com/asakuru
◆(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms

◆2017年9月16日(土)~ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、近日~京都シネマ、神戸アートビレッジセンター、シネピピア 他にて心揺さぶるロードショー!


【STORY】
asagakurumaeni-pos.jpgル・アーブルの早朝。恋する彼女と一夜を共にしたシモン(ギャバン・ヴェルデ)は、部屋の窓から抜け出して二人の友人と合流して車で海岸へ向かう。冷たいうねりもものともせず、血気盛んな若者はサーフィンに興じる。だが、その帰り自動車事故を起こし、シートベルトをしていなかったシモンだけが脳死状態となる。突然の悲報にうろたえる母親(エマニュエル・セニエ)は、ようやく連絡がついた別居中の夫(クール・シェン)と共に医師からシモンの脳死宣告を受ける。さらに、気持ちの整理のつかぬ内に、移植コーディネーターのトマ(タハール・ラヒム)から臓器提供の依頼を受けてショックを受ける。


「まだ生きている。心臓が動いている。今にも起きてきそう」。最愛の息子・シモンを抱きしめる父と母。臓器提供の承諾を受けて動き出す移植ネットワーク。その適合者はパリに住む音楽家のクレール(アンヌ・ドルヴァル)だった。2人の息子が心配する中、もう若くもない自分が貴重な移植を受けて良いものか、と弱りつつある心臓を危惧しながらも迷っていた。だが、かつての恋人・アンヌ(アリス・タグリオーニ)との再会がクレールの背中を押す。「生きたい!」と…。 

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『セザンヌと過ごした時間』ダニエル・トンプソン監督インタビュー

~セザンヌとゾラ。神格化されたイメージを覆し、知られざる二人の友情を描く~

 
近代絵画の父と呼ばれる画家セザンヌと、不朽の名作『居酒屋』で知られる小説家ゾラの40年に渡る友情を描いた『セザンヌと過ごした時間』が、9月2日(土)からBunkamuraル・シネマ他で全国順次公開される。
 
 
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監督は、『モンテーニュ通りのカフェ』のダニエル・トンプソン。幼馴染ながら、正反対の生き方をするセザンヌ(ギヨーム・ガリエンヌ)とゾラ(ギヨーム・カネ)の友情のみならず、衝突、嫉妬など様々な感情が、濃密な映像の中浮き彫りになる。また、セザンヌが長きに渡って絵を描き続けたエクス・アン・プロヴァンスの風景や、後年ゾラが邸宅を構えたパリ郊外のメダン等、セザンヌやゾラが実際に滞在したロケーションでの撮影を敢行。二人をはじめとするサロン仲間たちの会話から、フランス社会や絵画における主流の変化、写真のような新しい技術に心揺れ動く様子まで描かれ、19世紀後半のフランスにタイムトリップした気分になる、味わい深い作品だ。
 
フランス映画祭2017のゲストとして来日したダニエル・トンプソン監督に、作品についてお話を伺った。
 

 

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―――監督は、元々セザンヌ、ゾラに対してどんな印象を持っていましたか?また、本作を作る過程で、その印象や二人の関係への解釈はどう変わっていきましたか?
セザンヌとゾラの間に友情関係があるとは全く知りませんでした。15年前にそれを知って驚いたことが、二人の事を調べるきっかけになっていきました。おそらく皆さんが思っているのと同じ、19世紀の偉大なる作家であり、アーティストで、髭を生やしている動かないアイコンのような存在だったのです。でも本作では、そのように一般の人が抱いているような二人に対するイメージを覆してやろうと思っていました。我々はどうしても過去の偉人を神格化してしまうところがあり、遠い存在の人だと思ってしまいますし、私自身もそうでしたから。
 
―――その事実を知ってから、映画ができるまで15年かかった理由は?
15年間ずっと二人の事を調べていた訳ではありません。他の作品を撮ったり、脚本を書いたりしていましたが、それらが終わる度に、このタイミングでセザンヌの話に取り組めるか、そもそもこの企画をやりたいかどうかを自問自答していました。脚本を書く以前に、セザンヌとゾラの話で映画ができるかどうか確かめるために、数ヶ月間費やしてみようと決意したのが、この作品のはじまりでした。 ですから結果的に15年もかかってしまったのです。
 
―――40年以上に渡るセザンヌとゾラの関係をきめ細かく、かつ2時間で描くのはとても挑戦的なことだと思いますが、どのように脚本を作り上げていったのですか?
冒頭に始まり、何度か挿入される1888年の再会を、セザンヌとゾラの友情における「まとめ」のようなシーンにしました。まさに映画の中心部分です。実際の二人は、あのような形で再会していないかもしれませんが、再会した時、二人は復讐をするかのように言いたいことをぶつけ合い、自分たちの友情を思い返し、疑念を抱くシーンにしました。子ども時代、青年時代に二人が分かち合った楽しい時代を組み込みながら、一方で友情の中にも不吉で暗い部分を盛り込む。このような構成は私にとってはとてもロジックなものでした。
 
 
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―――ギヨーム・ガリエンヌさんとギヨーム・カネさんは二人とも自身で監督もこなす名俳優ですが、二人はどのように役を作り込んでいったのですか? 
不思議なことに私が今まで一緒に仕事をしてきた俳優は、結構監督を兼ねていることが多いのです。アルベール・デュポンテル、シドニー・ポラックや、ダニー・ブーン、息子のクリストファー・トンプソンもそうですね。実際に彼らが私の現場で演じる時は、監督としてではなく俳優として集中してくれます。彼らが監督もする人であることを忘れさせてくれますし、「僕だったらこう演じる」という考えはないのです。そういう意味ではとてもやりやすく、快適でした。 
 
 
―――本作は、ロケーション(エクス・アン・プロヴァンス、パリ、メダン)や暗い室内のシーンがとても印象的です。撮影(映像)面での工夫やこだわりは? 
まさにコントラストを強く出そうとおもっていました。ゾラが仕事をしている書架だけではとても閉鎖的で暗く、物が多いですし、演劇的なシーンだけになってしまいます。そういうシーンがあるかと思えば、一気に光りあふれる自然の中に観客を誘います。片や暗くて閉鎖的、片や広々として明るいというシーンを行ったり来たりすることは、観客の皆さんにもすごく快感を覚えていただけると思います。ゾラとセザンヌの話は一つの戯曲として舞台でも上演できるような内容ですが、映画だからこそできるのが光溢れるシーンではないでしょうか。そのような映画ならではの表現で、観客を旅に誘ったのです。 
 
 
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―――南仏エクス・アン・プロヴァンスの景色に魅せられましたが、監督自身がその場に立たれた時、感じたことは?

 

圧倒される感じでした。自然保護地区ですし、監督にとっては夢のような場所でした。普通、歴史映画を撮るときは電信柱やドラッグストアの緑色のランプなど、何かと現在社会を彷彿とさせるものが映り込んでしまうのですが、エクス・アン・プロヴァンスでは一切そのようなことがありませんでしたから。素晴らしい景色で、まるでセザンヌの絵のようであり、大きなインスピレーションを与えてもらいました。
 
―――お父様(ジェラール・ウーリー)も映画監督ですが、映画の道で生きていこうと決めたきっかけは? 
最初は弁護士や美術士を目指していた頃もあったのですが、やはり父が映画監督ですからその影響を受けました。父も、何か私の中に脚本家としての才能を見ていたようで、父の勧めで脚本を書いてみたら、それがとても面白かったのです。その時に私は脚本家になろうと決めました。 
 
―――これからご覧になる観客の皆さんにメッセージをお願いします。
私たちは激動の時代を送っています。そういう意味では過去にタイムトラベルすることはとても重要なことです。過去に身を置くことで、そこで与えられる心地よさがあります。もちろん戦争や暴力は存在しましたが、過去から現在に受け継がれている不変のものはアートや自然であります。私たちは、そういうものを今、必要としているのではないでしょうか。
 

6月24日、フランス映画祭2017の上映後に行われたダニエル・トンプソン監督トークショーの模様を一部ご紹介したい。
 

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―――本作では手紙も多く登場しますが、どんなリサーチをしたのですか?
セザンヌとゾラの書簡が多数残っているので、子どもの頃から大人になってからの最後の手紙まで読みました。ただ、「最後の手紙」が新たに発見されたので、本当に決定的な二人の別れとなる再会のシーンは、私自身が想像して付け加えました。確かなことは、本当にたくさんの書簡を交わしていた二人が、いつの間にか疎遠になってしまったことです。私が描いたほどの出来事はなかったかもしれませんが。
 
こういう芸術的な作品にリサーチは欠かせません。それはまるで井戸から水をくみ上げるように何度も何度もくみ上げていく作業でした。ゾラやセザンヌの伝記もたくさん読みましたし、そういう作業の中から私自身のフィクションの部分を膨らませ、構築していきました。史実はもちろん大事にしますが、私の作家としてのフィクションとして忘れてはならない題材は、ゾラが書いた「制作」という作品です。この作品が発表されたことで二人の関係はややこしくなっていきます。私自身、今回映画のリサーチをするまで読んだことはありませんでした。
 
 
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―――ギヨーム・ガリエンヌとギヨーム・カネの二人の会話や刻々と変わる緊張感が、セザンヌとゾラの微妙に変化する関係を見事に表現していましたが、監督から二人にどんな指示をだしたのですか?
大好きな二人と共同作業で作り上げた感じです。私がやりたいことが全てできました。教務深かったのは、二人は撮影現場ではとても和気藹々とやっていたのですが、後半の再会のシーンが近づくにつれ、二人の役者の関係もややこしそうな関係になっていくのを「そういうこともあるのだな」という思いで見ていました。ゾラとセザンヌの関係性が、ガリエンヌとカネの関係性に重なり、それを見てワクワクしました。一つのカップルについての作品なのでこういうことが起こるのは当然なのかもしれません。
 
 
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―――ギヨーム・ガリエンヌさんにセザンヌ役をオファーしたきっかけは?
前作『モンテーニュ通りのカフェ』で小さい役ながら出演いただき、マルチな才能を見せてくれました。ガリエンヌさんはコメディーフランセーズに所属している舞台俳優でもあり、親しくしていたのですが、そのうち監督業にも乗り出し、『不機嫌なママにメルシィ』でセザール賞6冠を達成し、大スターになったのです。私自身は今回シナリオを書いてオファーした時、ゾラ役でのオファーだったのですが、ガリエンヌから戻ってきた答えは「ぜひ出演したい。でも僕がやりたいのはセザンヌなんだ」と。それから読み合わせをしたとき、すぐに彼がセザンヌ役に相応しいと納得できました。あれほど日ごろは軽やかな人が、数時間も立たないうちに、私が書いたセザンヌになりきっていたのです。
 

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―――セザンヌとゾラの言葉の応酬が印象的でしたが、監督はどのようにセリフづくりをされたのですか?
この作品を作るのが一つのアドベンチャーだとすると、台詞を作るのはワクワクする瞬間です。まさにゾラのおかげという部分もありますが、それはゾラの小説にあったセリフを拝借している部分もあるからです。ただ、書斎でゾラとセザンヌが言い争うシーンは、私が想像して描いたシーンです。「開花しなかった天才」とゾラは最後に言いますが、実は画商ボラールの回想録に、ゾラがそのように言ったと人づてに聞いたセザンヌが、とても傷ついたと書き残しています。その部分は史実なのです。
 
今回の作品は史実をベースにしながら、私自身のイマジネーションを混ぜ、ゾラの小説の部分も混ぜ、エピソードを作り上げた、コンフィチュール(ジャム)のようなものです。だから気難しいセザンヌの反抗的な人物像を作り上げることができました。監督、脚本家としてこういうパズルを組み立てるような作業は、本当にワクワクしました。
(江口由美)
 
 
 

<作品情報>
『セザンヌとすごした時間』“Cézanne et moi”
(2016年 フランス 1時間54分)
脚本・監督:ダニエル・トンプソン
出演:ギヨーム・カネ、ギヨーム・ガリエンヌ、アリス・ポル、デボラ・フランソワ、フレイア・メーバー、サビーヌ・アゼマ、イザベル・カンドリエ
9月2日(土)~Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
 

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~バレエからコンテンポラリーダンスへ、

自分だけの踊りを探求したダンサーが辿り着いた表現とは?~

 
祖国ロシアで、両親の望みであるボリショイバレエ団を目指していた天才バレエ少女が、コンテンポラリーダンスとの出会いをきっかけに、自らの進む道を自分で切り開こうと葛藤する。フランスのエクス・アン・プロヴァンス、ベルギーのアントワープと、街並みも異なれば、踊りも異なる場所を舞台に、ヒロイン・ポリーナの成長を描いたダンス映画、『ポリーナ、私を踊る』が、フランス映画祭2017で上映された。
 
ドキュメンタリーや劇映画を手掛けているヴァレリー・ミュラー監督と共に本作の監督を務めたのは、自身もバレエダンサーでコンテンポラリーダンスの振付師でもあるアンジュラン・プレルジョカージュ。オーディションで選ばれた映画初出演のアナスタシア・シェフツォワが踊りだけでなく、その目力で貪欲に自らの踊りを追求するヒロイン、ポリーナを強烈に印象づける。ポリーナの才能を見い出した恩師ボジンスキー役には、ポーランドの名優、レクセイ・グシュコフ。エクス・アン・プロヴァンスのコンテンポラリーダンスカンパニーでポリーナを指導する振付師役、ジュリエット・ビノシュも劇中で伸びやかなダンスを披露。さらにパリ・オペラ座のエトワール、ジェレミー・ベランガールも、本作ならではのダンスで圧倒的な存在感をみせる。EDM (エレクトリック・ダンス・ミュージック)のリズムに乗りながら、挫折から立ち上がったポリーナが初めてのコンテンポラリーダンスの創作に取り組む一連のシーンは、クライマックスにも負けない高揚感を与えてくれるだろう。
 
躍動感溢れる本作の上映後に行われたアンジュラン・プレルジョカージュ監督、ヴァレリー・ミュラー監督を招いてのトークショーをご紹介したい。
 

DSCN5826.JPG―――『ポリーナ、私を踊る』を映画化したきっかけは?
ヴァレリー:原作は、バスティアン・ヴィヴェスのバンド・デシネ(コミック)です。この作品を選んだのは、作家自身をよく知っていますし、彼の仕事ぶりをとても評価しているからです。原作の「ポリーナ」は現代の若い女性の強さを描いています。普通のバレエ物語のような固定観念がないところにも惹かれました。この物語や主人公ポリーヌを通して、だんだん成長し、自分自身を見出だしていく様を語ることができると思い、本作を作りました。ダンスという仕事を通して成長が見えてくるが、小説みたいな冒険を語ることと、ダンスをあまり知らない人にダンスを踊るということがどういうことかを伝えるきっかけになりました。
 
―――共同監督した経緯は?
アンジュラン:バレエの映像は何度も撮っていましたが、ヴァレリーはとても優れた監督でありシナリオライターですから、ダンスを題材にフィクションを作ったら面白いのではないかと思いました。バスティアン・ヴィヴェスのバンド・デシネはとても優れた作品でしたから、プロデューサーが提案してくれた時は、私もすぐにやる気になったのです。
 

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―――ダンサーの起用はどのように行ったのですか?
ヴァレリー:アンジュランと決めたことは例えば頭は俳優だけど、下半身は別というような特写ではなく、本人に踊ってもらうようにしました。オーディションではダンサーで演じられる人か、俳優で踊れる人を選びました。映画とダンスがこういう形で一致して、一緒に歩むことができるようにしたかったし、ダンサーと俳優がお互いにノウハウを分かち合うようにもしたかったのです。ポリーナ役のアナスタシア・シェフツォワも元々バレリーナで、映画は初出演です。また、ジェレミー・ベランガーはオベラ座のエトワールですし、ジュリエット・ビノシュはイギリスのダンサーと一緒に舞台でダンスも定期的に踊っています。ニールス・シュナイダーは撮影前にアンジュランと、彼のダンス舞台に出てもらって踊りを学んでもらいました。それぞれ6カ月の準備をかけて、撮影で踊ってもらっています。
 
アンジュラン:ヴァレリーと私は映画作りに関して特別な考え方を持っています。体で表現できる映画を作りたい、まさに身体が表すことを示したいのです。例えば、夜に灯りがないところを歩いていても、それが誰かは歩き方で分かります。身体の動かし方で人物像が映し出されますし、その人の意味を表していると思います。顔が表しているようなものを、身体全体が表している映画を作りたいと思いました。
 
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―――原作とは少し設定を変えているところは?本作は原作より両親との関係にフォーカスして、バレエ界の現実を描いているが?
ヴァレリー:映画化にあたり考えたのは、主人公を社会や家族の中に位置づけ、それぞれのつながりを描きたい。成長の物語と共に、自分のダンスの先生が望んでいること、両親が望んでいることを受け入れながら花開いていく設定にしたいと思いました。恵まれない家庭の出身で、ダンスを通じて社会を登りつめていく。ピナ・バウシュなどのように、恵まれない家庭に生まれながら、類まれな才能に恵まれて成功していく姿を重ねながら、映画作りを行いました。
アンジュラン:シナリオを書いている間に主人公ポリーナの周りが男性ばかりだったので、今の時代は女性も描くべきだと考え、女性が目標になるような人物ということで、ジュリエット・ビノシュの女性振付師役を設定しました。実際に振付師になった女性もいらっしゃいますから。少し人生が違っても人物像の本質は変わらないわけで、原作者は「人物像を戻してくれた」と喜んでくださいました。そこが原作から映画を作る時の醍醐味かもしれません。
 
―――主役のアナスタシアさんは非常に目力がありますが、ヒロイン役に選んだ理由は?
ヴァレリー:ダンサーの女性の方には、パリで200人以上、モスクワやサントペテルブルクで300人以上にオーディションでお会いしました。アナスタシアさんの良さはバレエがとても上手で、コンテンポラリーダンスも、とても強い眼差しを持っていたところ。カメラに向かって自分を出し切るように見せることができました。カメラの前に立ちたいという意欲もありましたし、目の輝きの中にはミステリアスな力があり、私たちの想像した主人公ポリーナに近かったのです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ポリーナ、私を踊る』“Polina, danser sa vie”
監督:アンジュラン・プレルジョカージュ、ヴァレリー・ミュラー
出演:アナスタシア・シェフツォワ、ニールス・シュナイダー、ジェレミー・ベランガール、ジュリエット・ビノシュ他
10月28日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次公開
© Carole Bethuel - Everybody on Deck
 
フランス映画祭2017
 
 
 
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今年で第25回の節目を迎えるフランス映画祭のオープニングセレモニーが6月22日(木)19時30分よりTOHOシネマズ日劇にて開催された。満席の観客を前に、カトリーヌ・ドヌーヴ団長他豪華ゲストに加え、スペシャルゲストとしてフランス映画祭2017親善大使を務める北野武監督も登壇。短い時間ながらフランス映画祭に向けての熱いメッセージが寄せられた。
 

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最初に登壇したユニフランスのジャン=ポール・サロメ会長は「25年間多くの方に来ていただきありがとうございます。今年も多くの方に来ていただけますように。良い映画祭をお過ごしください」と挨拶。同イザベル・ジョルダーノ代表もスポンサーへの感謝の言葉を述べ、カトリーヌ・ドヌーヴの出演作をダイジェスト編集した7分間のトリビュートフィルムが上映された。ブラボーというかけ声の中、新作の『The Midwife(英題)/ルージュの手紙(邦題)』主演女優でもある、フランス映画祭2017団長のカトリーヌ・ドヌーヴが登壇し、ひと際大きな拍手が送られた。サロメ会長から贈呈された花束を手に、「25回目の団長を務めることができ、大変うれしいです。今回11作品が選ばれていますが、そのうち4作品は女性監督のもので、大変重い意味を持っています。新しいことであり、私はこのチョイスに賛同いたします。多くの映画を観ていただきたいです。今日はお越しいただき、ありがとうございます」と挨拶したドヌ―ヴ団長は、笑顔で客席からの歓声に応えた。
 
 
引き続き、来日ゲストが紹介され、ポール・ヴァーホーヴェン監督(『ELLEエル』)、イザベル・ユペール(『ELLEエル』主演女優)、カテル・キレヴェレ監督(『あさがくるまえに』)、ダニエル・トンプソン監督(『セザンヌと過ごした時間』)、アンヌ・フォンティーヌ監督(『夜明けの祈り』)、ルー・ドゥ・ラージュ(『夜明けの祈り』主演)、エドゥアール・ベール監督(『パリは今夜も開催中』)、トライ・アン・ユン監督(『エタニティ 永遠の花たちへ』)、マルタン・プロヴォ監督(『The Midwife(英題)/ルージュの手紙(邦題)』)ら総勢9名の来日ゲストが揃い、檀上は一気に華やかさに包まれた。
 
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ここで、フランス映画祭2017親善大使の北野武監督が登壇。イザベル・ジョルダーノ代表に「独特のユーモアやポエジーのセンスにインスピレーションを得ている」と紹介された北野監督は、ドヌ―ヴ団長と昨年の団長で今年もゲストとして来場したイザベル・ユペールの大女優に囲まれながら、「どうも遅れましてすいません。安倍晋三です」と得意のシュールな政治ネタを繰り広げ、客席を笑いの渦に巻きこんだ。改めて「25回目ということですが、僕にとってフランス映画はジャン・ギャバンから始まり、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの『ガラスの墓標』をはじめ、イザベル・ユペールさんやカトリーヌ・ドヌーヴさんの影響を本当に受けています。最近の(日本の)映画事情として親子で楽しめる映画はいいけれど、映画は恋人や友人とそれを観ながら語り合い、お互いの教養を深める役目もあります。フランス映画は一番語りやすく、そして難しい映画です。こうやって大女優と大監督が揃い、25回目を迎えたことは本当におめでたいし、そこに呼んでいただけたのは光栄です」と自身のフランス映画への愛を交えてのスピーチが行われた。
 
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写真左よりイザベル・ユペール、ポール・ヴァーホーヴェン監督(『ELLEエル』)、ジャン=ポール・サロメ会長、アンヌ・フォンティーヌ監督、ルー・ドゥ・ラージュ(『夜明けの祈り』)
 
フォトセッションに引き続き行われたオープニング上映作品『The Midwife(英題)/ルージュの手紙(邦題)』の舞台挨拶では、「この映画の中では自由な女性と、自分の家に閉じこもってしまう女性を描いています。私がドヌ―ヴを発見したようにだんだんお互いを見い出す作品です。ドヌ―ヴと一緒にこの場に来ることができ、嬉しく思います。良い映画を!」(マルタン・プロヴォ監督)
「みなさんを感動させ、また笑わせてくれる映画です。人生とは何か、死とは何かをいつもとは違う切り口で伝えている映画です。どうぞお楽しみください」(カトリーヌ・ドヌーヴ)
とメッセージを寄せ、観客から改めて大きな拍手が寄せられた。
 
(江口由美)
 

フランス映画祭2017は、6月22日(木)~25日(日)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催。
 
 
 
 
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