「パリ」と一致するもの

 


MET2017-18-laboem-550.jpg
《METライブビューイング2017-18》 
プッチーニ 『ラ・ボエーム』巨匠フランコ・ゼフィレッリ演出
「なんばパークスシネマ」限定招待券プレゼント!


■日時:3月31日(土)~4月6日(金) 10:00の回/18:30の回
■会場:なんばパークスシネマ 

(大阪市浪速区難波中2-10-70 なんばパークス 8F)
■上映時間:3時間6分(休憩2回) (予定)

■提供: 松竹
■プレゼント人数: 3組6名様
■締切日:2018年3月24(土)

■公式サイト: http://www.shochiku.co.jp/met/

 


 

プッチーニの甘美な音楽が織りなす青春賛歌!
永遠の定番ゼフィレッリの名舞台に注目の歌手が集う!


ニューヨークのメトロポリタン・オペラ(通称:MET(メト))の最新公演を映画館で上映する「METライブビューイング」。世界のトップ歌手の競演を大スクリーンと迫力の音響でお楽しみ頂けます。2017-18シーズン第6作目を飾るのは、巨匠フランコ・ゼフィレッリ演出の絢爛豪華な舞台で若者たちの悲恋を描くプッチーニの名作《ラ・ボエーム》です。パリの街に花咲く青春と胸を打つ哀しみを甘美な名アリアが彩る本作は、ミュージカル「RENT」の原作にもなっておりオペラファンから演劇ファンにも親しまれています。
 

◆プッチーニ 《ラ・ボエーム》 MET2017-18-MET-240.jpg
指揮:マルコ・アルミリアート
演出:フランコ・ゼフィレッリ
出演:ソニア・ヨンチェヴァ、マイケル・ファビアーノ、スザンナ・フィリップス、アレクセイ・ラヴロフ、ルーカス・ミーチャム、マシュー・ローズ 
※キャストは余儀なく変更されることがございます。

◆あらすじ
パリの学生街に花咲く恋と友情!クリスマス・イブに屋根裏部屋で始まった詩人ロドルフォとお針子ミミの恋の行方は?青春の愛と哀しみをプッチーニの甘美な名アリアが彩り、中でも出会いのアリア〈冷たい手を〉〈私の名はミミ〉はオペラファンのみならず、聴く者全てを虜にします。19世紀のパリの情景と賑わいを鮮やかに再現した絢爛豪華なF・ゼフィレッリの名舞台で、心を揺さぶるソプラノ S・ヨンチェヴァ、魅惑の美声テノール M・ファビアーノ、コケットな魅力のS・フィリップスら新世代のスターたちが華麗に歌い上げます!


31日(土)より大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ ほか全国にて《ラ・ボエーム》全国公開! 

MET2017-18-pos.jpg
◎世界最高峰のオペラの感動をお近くの映画館で!



ニューヨークのリンカーン・センターに位置する世界屈指のオペラハウス、メトロポリタン歌劇場。その最新公演を映画館で上映する「METライブビューイング」は、世界のトップ歌手たちの夢の競演、最高のオーケストラ、刺激的な演出の数々を、リーズナブルな価格でお楽しみいただける画期的なオペラ・エンターテインメント!初心者からオペラ通までを虜にする選りすぐりの名演の数々をお楽しみください!

 

 


  (プレスリリースより)

suwa.jpg

ジャン=ピエール・レオと「生きていることは素晴らしいという映画にしよう」
『ライオンは今夜死ぬ』諏訪敦彦監督インタビュー
 
ヌーヴェルヴァーグの申し子、ジャン=ピエール・レオを主演に迎えた諏訪敦彦監督の最新作、『ライオンは今夜死ぬ』が20日(土)からYEBISU GARDEN CINEMA、1月27日(土)からシネ・リーブル梅田、2月3日(土)からシネ・リーブル神戸、近日、京都シネマ他全国順次公開される。
 
2012年、フランスのラ・ロッシュ=シュル=ヨン国際映画祭で自身のレトロスペクティブ上映が行われた際に、同じく特集上映され、来場予定だったジャン=ピエール・レオから「会いたい」と連絡をもらったのが出会いのきっかけだったという諏訪監督。今回はフランスで映画作りに興味のある子どもたちを募集。ワークショップを重ねた後、出演者に選ばれた子どもたちが劇中で映画作りをするという試みも取り入れた。「映画を撮っていて初めて楽しいと感じた」という本作の諏訪監督に、ジャン=ピエール・レオとの映画づくりから、現在フランスで起こっているヌーヴェルバーグ的動きまで、縦横無尽に語っていただいた。
 

lion_main.jpg
■学生時代から大好きなジャン=ピエール・レオは、「特殊な存在」

―――ジャン=ピエール・レオさんとの初対面は、どんな感じでしたか?
諏訪監督:事前に送った僕の作品のDVDを全部観てきてくれ、実際会った時には「良かったよ」とジェスチャーしてくれました。一緒に食事をした時も、カンヌにフランソワ・トリュフォーと来た時の話等、昔話をたくさんしてくれ、なんとなく一緒に映画を作りたいという雰囲気になっていたし、ジャン=ピエール・レオ(以降ジャン=ピエール)本人にお会いして、改めて「この人を撮れたら面白いな」と思いました。僕は学生の時、『男性・女性』のジャン=ピエールが、煙草を投げてくわえるのを真似していたぐらい大好きで、『不完全なふたり』の時に、ワンシーンだけの出演を考えましたが、自粛したのです。その『不完全なふたり』をジャン=ピエールは、「ヌーヴェルヴァーグみたい」と評し、何度も見たと言っていました。ジャン=ピエールもそこで関心を持ってくれたのだと思います。
 
―――どのようにして本作のアイデアを出したのですか?
諏訪監督:僕は自分の頭の中だけで作り上げるより、俳優と会って雑談する時間が必要。僕がパリに行くこともあれば、3年前ジャン=ピエールが初来日した時にも会って話をし、少しずつどんなことをするか探っていきました。僕の中では割と早い段階で幽霊の存在が出てきたんですよ。
 
―――なぜ幽霊が出てきたのですか?
諏訪監督:ジャン=ピエールはとても特殊な存在です。一般的な俳優は、どんな役でもやるし、いい俳優はどんな役でも「こういう人がいるかもしれない」というリアリティを与える。ロバート・デ・ニーロのデ・ニーロアプローチは有名ですし、こういう人がいると思わせるのですが、ジャン=ピエールの場合は「現実にこんな人はいない。映画の中にしかいない」という感覚をもたらします。演じているのかどうかよく分からないギリギリのところにいる。そういう俳優がどの映画にもはまるかといえば、現代の一般的な映画のリアリティにはそぐわないです。

 

lion_sub2.jpg

■ジャン=ピエール演じる俳優と幽霊との恋物語、子どもたちと映画を作る。二つの映画的欲望が組み合わさった作品。

―――ジャン=ピエールさんと釣り合うには、幽霊ぐらいしかいないということですね。
諏訪監督:ジル・ドゥルーズという哲学者が「非職業的職業俳優」という風にジャン=ピエールのことを呼んでいましたが、そういう特殊性があります。チャップリンの『街の灯』のように、若い女性と組み合わせようかと思いもしましたが、どうもしっくりこない。幽霊なら釣り合うのではないかという直感が働きました。幽霊と普通に暮らしている男です。一方で、小学生とのワークショップを通じて、彼らに映画を撮らせるという映画的活動を行ってきて、いつか子どもたちをスタッフにして映画を撮りたいと考えていたのです。例えば脚本チームを作って映画を作るとか。その二つの映画的欲望が一つにまとまり、老人と子どもの組み合わせの映画もあり得るのではないかと発展していきました。
 
―――ジャン=ピエールさんはあまり子どもとの共演作はないですが、現場ではどのような反応をされていたのですか?
諏訪監督:僕の知る限りでも、ちゃんと子どもと共演したのはほとんどないと思います。ただ、どうすれば子どもとジャン=ピエールが一つの物語になっていくのか。子どもと一緒に映画を作るのが面白かったので、今回は映画の中で子どもたちが映画を作る設定にし、本当に自分たちの映画を作らせようと決めていきました。最初ジャン=ピエールが役者という設定ではなかったのですが、やはり普通の役はできない。今年公開される『ルイ十四世の死』では王様を演じていますから。最終的にはジャン=ピエールに俳優役で了承してもらいました。
 
 
lion_sub1.jpg

■ジャン=ピエールは、子どもたちと一緒だと、見たことのないような表情を見せる。

―――全体的には年齢を感じさせますが、瞳は少年のまま。子どもたちとのシーンでも、脅かしたり、追いかけているのがとても楽しそうで、子どもみたいに映る時もありました。
諏訪監督:僕も最初は、「こんなに年をとったのか」と思ったし、まだ元気な年頃なのに、彼には深いシワが刻まれ、消耗し、傷ついている雰囲気がありました。一方、話している最中にふっと笑うと、『柔らかい肌』のアントワーネル少年の瞬間がすぐに現れる。実際のジャン=ピエールは、子どもですよ。彼の奥さんは、「彼は一度だって、責任ある大人であった試しがない」と言っていました。子どもたちとの距離を縮めるためにリンゴを投げることを提案したら、本番でジャン=ピエールは剛速球でリンゴを投げつけたので子どもたちもビックリしていました。多分子どもたちと対等なのでしょう。犬でも子どもでも同じ共演者という感覚です。子どもと一緒にスープを飲むシーンで即興のやりとりがあるのですが、ジャン=ピエールは今まで見たことのないような表情をしていたんです。子どもとやりあったから出てきた、彼の新しい表情なのではないでしょうか。
 
 
lion_sub7.jpg

■映画は現実ではないが、映画でしか体験できない現実がある。この作品はある意味で「カーニバル」。

―――幽霊の登場は、年寄りが感傷的な気分に浸るという意味合いもあるのでしょうか?
諏訪監督:僕が映画を作り始めた頃は、映画の中で起こっていることは嘘くさいと思っていました。自分が知っている世界ではこういう風に話さないし、人間だってもっと訳のわからないものだけど、そういうものに映画で触れられないのかと、よりリアリスティックなものになっていきました。でもある時点で、映画は現実ではないが、映画でしか体験できない現実があるはずだと気付きました。必ずしもリアルである必要はないし、現実的である必要もない。映画の現実があればいい。だから、現実にはない幽霊という存在が映画としてのリアリティに繋がりました。
 
今回の映画はある意味でのカーニバルだと思いながら撮っていました。ロシアのミハイル・バフチンが著書「ドストエフスキーの詩学」で「ドストエフスキーの新しさは、新しい小説の形を発明した。それはカーニバルだ」と書いています。誰がいつ、何を言うか分からないし、ここで何か起これば、また別の場所で何かが起こる。それは演じる、演じられるとか、ましては舞台と客席の区別もなく、演出家もいない。それを統制している人もいない。観客が演者になる可能性もある。それは鑑賞されるのではなく、生きられるものだと。カーニバルではヒエラルギーもひっくり返されます。この映画では、子どもたちが「くそじじぃ、いつまで寝てるんだ」という無礼な事を言ってもいい。大人が考える常識的な社会に幽霊はいないけれど、そこからこぼれおちている場所があります。子どもたちがいる場所だけでなく、ジャンも年をとり、常識的な大人たちのいる場所から外れた場所にいます。彼自身、70代は「非理性的な年頃」と言っていますが、子どもも含めてそういう人たちが作っていく映画ですね。
 
―――『ライオンは今夜死ぬ』はタイトルでもあり、劇中でも子どもたちと歌っていますが、なぜこの歌を選んだのですか?
諏訪監督:ジャン=ピエールに好きな歌を聞くと、この歌でした。フランスでは皆知っている歌で、アンリ・サルバドールがヒットさせています。内容が白紙の段階で、タイトルだけ既にこれだと決めていました。シナリオを書いていく時点で、ライオンを実際に登場させたのもある種のいたずらのようなもの。カーニバルですから、常識的な世界をひっくり返すという意味もありました。ジュールという男の子の父親的シンボルでもあるでしょうし、ジャン=ピエールとも重なるでしょうし、子どものイマジネーションのシンボルかもしれない。色々なものが響き合い、現れてくるのが面白いですね。 
 
―――ポーリーヌ・エチエンヌ演じるジュリエットとジャンのシーンは、台詞も非常に詩的で印象深いですね。

 

諏訪監督:ジュリエットのシーンは、ジャン=ピエールの父が書いた戯曲をダイアログで使っています。一部男女をひっくり返している場面もありますが、彼は父の台詞を演じていて、感慨深かったと思います。それまで彼にとっての父はトリュフォーで、カンヌで名誉賞を獲った時の第一声が「私はカンヌで生まれた」でした。最近、僕には「精神的な父とフィジカルな父、僕には二人の父親がいる」と言いますね。

 

lion_sub8.jpg

■「生きていることは素晴らしいという映画にしよう」南仏の明るさに、イキイキとした生命の輝きを感じて。

―――南仏らしいまばゆい陽光が全編に渡って広がり、湖のシーンも皆もがキラキラしているのが印象的でした。
諏訪監督:およそ幽霊が出てくる明るさじゃありませんね(笑)『山椒大夫』のような陰影のある世界ではなく、本当にキラキラした南フランスの光ですね。南に行くというのはフランス人にも映画的な意味があります。ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』はマルセイユに向かっていく話ですし、『勝手にしやがれ』は逆にマルセイユからパリに向かう話です。ジャン・ピエールはパリが似合う人で、南仏だと明るすぎるのですが、イキイキとした生命の輝きを感じていただけたと思います。
 
―――死をモチーフにした場面はありながらも、生きる希望を感じましたね。
諏訪監督:ジャン=ピエールと「死」の話はよくしましたが、暗い話は嫌で、「もうその話は止めよう」と。困難に耐えてきた人は暗い話はしたくない。それに、福島原発事故以降、世界的にも困難な時代になってきていると思います。だから、映画では明るく振る舞おう、できるだけ楽しくやろう、生きていることは素晴らしいという映画にしようと、話しました。普通の俳優はカメラの存在を消すように演じるのですが、ジャン=ピエールはカメラが恋人なので、カメラに向かって演技をします。

 

■ヌーヴェルヴァーグの時代のように、ユキの成長した姿を見せる。

―――前作『ユキとニナ』で出演したユキ役の女の子も出演し、成長した姿を見せてくれました。
諏訪監督:今は女優ではありませんが、快く出演してくれました。僕の現場には慣れているので、すごくやりやすかったですね。ジャン=ピエールもアントワーヌ役で別の映画に出演していますし、年齢を重ねるたびに、成長した姿でスクリーンに現れるので、ユキもこんなに大きくなったというのを作品に出て残していきたかった。ヌーヴェルヴァーグの時代は、役者がお互いの映画に出演していましたが、そんな意味で、これからもユキに出演してほしいですね。
 
 
lion_sub4.jpg

■フランスの若い世代は、現在のヌーヴェルヴァーグ。この時代に一緒に映画を作っている仲間として、色々な人と繋がれるのが映画のいいところ。

―――ヌーヴェルヴァーグといえば、撮影のトム・アラリさんと、兄で監督(本作では俳優)のアルチュール・アラリさんも本作で一緒に仕事をしていますね。
諏訪監督:撮影監督のトム・アラリはすごく注目していただきたい人物です。兄の『汚れたダイヤモンド』監督、アルチュール・アラリは、本作に出演しています。フランスのこの世代は正に現在のヌーヴェルヴァーグで、ギヨーム・ブラックの撮影監督もトム・アラリですし、若いフランスのジェネレーションと仕事ができたのは、今回うれしかったですね。僕は基本的に長回しが多かったのですが、それを知った上でトムは切り返しや、カット割りなどを提案してくれました。照明担当も仲間同士で映画を撮るところから始まっているので、助手経験がない。だからすごく大胆です。そこもヌーヴェルヴァーグらしいですね。どんどん新しいアイデアが湧いてきて、不自然なことに対する怖さもない。ヴァンサン・マケーニュ周辺の人たちも面白いですし、今回ギヨーム・ブラックに編集を見てもらったのも、ヌーヴェルヴァーグ的な仲間意識が表れていると思います。色々な人と繋がれるのが映画のいいところですね。今、この時代に一緒に映画を作っている仲間なのですから。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ライオンは今夜死ぬ』
監督・脚本:諏訪敦彦
出演:ジャン=ピエール・レオー、ポーリーヌ・エチエンヌ、イザベル・ヴェンガルテン
配給:ビターズ・エンド
2017年 / フランス=日本 / 103分 / ビスタ
2018年1月20日~、YEBISU GARDEN CINEMA、1月27日~テアトル梅田、2月3日~シネ・リーブル神戸、順次京都シネマ にて公開。
 
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/lion/
Facebook : https://www.facebook.com/lion.tonight/
Twitter:@lion_tonight
(C) 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BALTHAZAR-BITTERS END
 

DSCN6387.JPG

若い人たちに挑戦状を叩きつけるような、エネルギッシュでキラキラした映画を作りたかった。
『星くず兄弟の新たな伝説』手塚眞監督インタビュー
 
1985年にロックンローラー・近田春夫が発表した架空の“ロックミュージカルのサントラ盤アルバム”を手塚眞監督が映画化、伝説の映画として若者に熱狂的な支持を得た『星くず兄弟の伝説』が30年の時を経て甦る。三浦涼介、武田航平ら若手俳優陣に加え、前作も出演した久保田しんご、高木完、ISSAY、更には夏木マリや井上順のベテラン勢も登場するロックミュージカル『星くず兄弟の新たな伝説』が1月20日(土)からテアトル新宿、1月27日(土)からシネ・リーブル梅田、2月17日(土)から元町映画館、出町座他にて全国順次公開される。
 
スターを夢見て月にやってきたスターダスト・ブラザーズが、ロックの魂を探す旅に出る物語では、ロックの神様に内田裕也、更にはウエスタンパートで浅野忠信も登場。主人公が2度変身を遂げる他、随所にロックなミュージカルシーンを交え、何が起こるか分からないワクワク感が味わえる。とにかくパワフルで音楽が楽しい本作の手塚眞監督に、作品に込めた思いを伺った。
 

hoshikuzu-550.jpg

 

■切実で辛い映画が多い今、楽しくて、豊かで、前向きで、キラキラした映画をやってみたかった。

―――『星くず兄弟の伝説』から32年ぶりとなる本作ですが、映画を作る環境や観客の変化について、感じることは?
手塚監督:30年前はバブルの真っ盛りで、日本全体が上向きであり、色々と豊かなものがあった時代。その中で『星くず兄弟の伝説』を作ったのは、そんな時代を反映する意味合いがありました。当時は若い人のエネルギーを見せることができ、それを企業が後押ししてくれる。そんな夢のような時代だったのです。ところが今は、皆が穏やかに暮らしてはいるけれど、気持ちが保守的で現状維持志向になっています。キラキラした夢など見てはいけないという雰囲気がある。映画も切実だったり、暴力的で辛いものばかり。そんな時代だからこそ逆に、『星くず兄弟の新たな伝説』は必要だと痛切に感じています。楽しくて、豊かで、前向きでキラキラした映画をやってみたかったのです。
 
もう一つは、今、学生が作った作品を指導する機会も多いのですが、彼らの作品からエネルギーを全く感じない。作り方は上手いのですが、内容が保守的で小さくまとまっており、悪くはないが強いインパクトもない。要は薄味なのです。そういう中で、もう一度僕たちが若い頃にやってきたエネルギーを見せたい。そんな気持ちがありました。
 
―――こじんまりとまとまるのではなく、もっとハチャメチャにということですね。
手塚監督:若いうちだからこそできる奔放さがあるのではないか。こちらはもう若くないけれど、まだ負けないよと。「できるものなら、これぐらいやってみたら」と、若い人たちに挑戦状を突きつけた気分ですよ。
 
―――前作に引き続き、今作もロックミュージカルですが、舞台が宇宙なのに驚きました。
手塚監督:30年前に近田春夫さんが「続編にするなら月に行く話」とおっしゃっていたのです。冗談ついでに、さらに次の映画は西部劇ともおっしゃっていたのです。それをずっと覚えていて、今回映画を作るにあたり、そのアイデアがすごくいいなと。本当は別々の映画のつもりだったでしょうが、二本立てのつもりで作ってしまいました。
 
―――地球から始まり、宇宙もの、西部劇と展開していく物語は楽しいですが、作るにはすごくエネルギーが要りますね。
手塚監督:前作は東京で自分たちが体験している面白さや、こんなことが起きればいいなと思う夢を含めて作りました。昔ご覧になった方は、「東京ってこういう場所なんだと、あの映画で知りました」と感想を寄せてくださいます。当時の若者たちにとって、最も憧れる東京の雰囲気が表現されていたのだと思います。ネット社会ではなかったので、映画で目にした東京のインパクトが大きかった。今は東京の事はリアルタイムで分かるし、地方都市でも東京とさして変わらない。その中で映画を撮るのなら、もう一度自分たちが見たことがないものをみせるしかない。それならいっそのこと、月まで行った方が潔いし、外国の西部劇の時代に戻るのも面白いのではないか。そういうものを自分も見てみたかった。
 
 
 
hoshikuzu-500-2.jpg
 

■若い頃、見たこともない、理解できないものに触れることがとても大事。

―――余談ですがパンフレットで、原案・音楽の近田春夫さんがジューシー・フルーツをプロデュースされていたことを知り、初めて聞いた時の衝撃が甦っていたんです。
手塚監督:若い頃は、見たことがないもの、理解できないものに触れることがとても大事です。僕自身も背伸びをして大人の映画を観に行っていました。例えばフェリーニの映画など、子どもが観ても全く分からない。でもどこか見たこともない世界を見せられているドキドキ感があったのです。50歳を超えて初めてフェリーニ作品が分かったぐらいですから、20代の若者が理解するのは無理でしょうが、それをその年齢で観たことが大事だと思います。普段見慣れていないものでも観てほしいという気持ちがありますね。

 

hoshikuzu-500-1.jpg

 

■シンプルな映画の対極や、映画の禁じ手をわざと取り入れる。

―――前作の主演から映画初出演の若手まで、幅広い年齢層の俳優陣がキャスティングされていますが、若い人たちにアピールする狙いもあるのでしょうか?
手塚監督:必要な役柄を揃えると必然的にそうなりました。主人公は2人でも、それぞれ3人ずつで演じているので、人数が大幅に増えています。それも皮肉で面白いですね。今は登場人物が3人だけとか、場面もあまり変わらない、とてもシンプルな映画が多いので、その対極をやってみました。
 
―――三浦涼介、武田航平が演じるスターダスト・ブラザーズの思わぬ変身ぶりは、予想できませんでした。
手塚監督:若くてカッコイイ俳優さんが出てくれるのだから新しい衣装をと思っていたのですが、前作主演で、今回もカン役と衣装を担当してくれた高木完さんが、「絶対前のままがいい!」。実際着てもらうと、前よりカッコよかったです(笑)。音楽もテーマ曲『星くず兄弟の伝説』だけが前のままなのは僕の考えではなく、スタッフからの意見。衣装も音楽も前作のものを継承するアイデアを出してくれて、感謝しています。変身してからが長いですが、映画でやってはいけない“禁じ手”を集めて、わざとやっています。普通ならそっちには行かないという脚本にしていますね。
 
―――ロックの神様として登場する内田裕也さんの存在感が凄かったですが、オファーの経緯は?
手塚監督:内田裕也さんは「ロックの神様だったら、自分が出ない訳にはいかないね」と、1日だけ空いている日に出演を快諾して下さいました。実際はその日が撮影初日で、いきなり裕也さんのシーンから撮り始めたのです。通常、映画の初日は軽いシーンから始まるのですが、一番濃いシーンから(笑)。スタッフが映ってもお構いなし、複数のカメラで撮影したので、スタッフの方も「この映画はそれでいいんだ」と理解してくれ、かえって良かったですね。
 
―――CGやセットを使うのではなく、夜空に月ではなく地球が浮かんでいることで宇宙にいることを表現する演出方法も斬新ですね。
手塚監督:僕のイメージの中でオマージュとしてあるのは、2つの映画です。一つはジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』。舞台っぽい装置の前にダンサーが出てきて、皆が踊りながら見送ります。するとピストル弾のような形のロケットが月に飛んでいき突き刺さる。そんなサイレント時代のメリエスの世界を今の技術で作りたかった。特別な細工をしなくても、そこが月や未来になるというのは、ジャン=リュック・ゴダールの『アルファヴィル』のオマージュです。パリを架空の「アルファヴィル」という都市に見立てているのに、若い頃すごく衝撃を受けましたね。

 

hoshikuzu-500-3.jpg

 

■『月世界旅行』のように、百年後観てもいい映画を作りたい。

―――技術面では劣っても、往年の名作から学ぶべき点は、やはり多いのですね。
手塚監督:『月世界旅行』はモノクロで技術も大したことはないけれど、百年以上経った今でも観て楽しい。表現として古びていないのがすごいですね。今回僕が作った映画も百年経って古びていなければいいなと思っています。映画を作る時はいつも、百年後観てもいい映画を作りたいし、今の流行りでは作りたくない。見方によってはすごく古くも、新しくも見える。今回ご覧になった方が、30年後ぐらいにもう一度観ても同じぐらいの気分で観ていられる。まさに前作がそうでした。作った当時は、後々古臭く見えるのではと思いましたが、今観てもそうではないし、若い人が新たに観て、楽しんでもらっているようです。
 
―――作品中、手塚監督がそのまま登場するシーンが何度かあります。「細かいこと言わなくていいの、映画なんだから」という台詞も面白かったですが、最初から出演を決めていたのですか?
手塚監督:実は自主映画の頃は、しょっちゅう出演していたので、もう一度その頃に戻ってみようと思ったのです。当時は監督をしていても、絵的にはただの学生で監督に見えない。でも、今回は完璧に監督なので、ちゃんと監督として出演できるなと(笑)
 
学生映画の歴史に必ず名前が出てくる僕の作品『MOMENT』は、ミュージカルではないのに、主役が急に歌い始め、周りからダンサーが出てきて歌い踊るミュージカルシーンがあり、当時とてもウケました。誰もミュージカルシーンなど撮らなかったので、みんな驚くのですが、最後に僕が出ていって言うんです。「みなさん、この映画はミュージカルではないんです。やめましょう!」。ちなみに本作では僕がミュージカルシーンの後に出て行って「OKです!細かいことは気にしない」と言う。セルフパロディーなんですよ。

 

hoshikuzu-500-5.jpg

 

■70年代イギリスロックミュージカルのイメージや、発想の面白さを参考に。

―――ちなみにどんなミュージカル映画がお好きですか?
手塚監督:一つはロックを使ったミュージカルです。70年代に流行ったイギリスの映画が多いですが、近田さんが熱愛したブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』や、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のように舞台を映画化したものもたくさんありました。でも90年代以降にそれらがパタリとなくなってしまった。もう一つはもっと古い40~50年代のジーン・ケリーらに代表されるハリウッドミュージカル。『ザッツ・エンターテイメント』を観てから、ビデオで昔の映画を見返したのが自分の中で大きな経験になりました。ハリウッドミュージカルは芸の極み。ものすごい芸人を、ものすごい職人がきちんと計算をして撮る。ヨーロッパのロック映画はむしろニュアンスやイメージの飛躍、演出の飛躍が面白いのです。ビートルズ映画などを見ても、彼らは普通のミュージシャンで芝居も達者ではないけれど、その勢いが面白い。普通の映画と違うことをする。ケン・ラッセルの『トミー』もそうですが、少し反体制的なところも含めて、違うイメージを持っていて、その両方とも好きです。今回はロックミュージカル寄りなので、職人的世界よりもイメージや発想の面白さを重視しています。
 
 
 
hoshikuzu-500-4.jpg
 

■インディーズで、幅広い世代が楽しめる作品があってもいい。

―――各キャラクターに合わせた曲や衣装のバリエーションが豊かで楽しい作品ですが、こだわった点は?
手塚監督:長年映画をやってきて思うのは、「観客はいつも若者」。最も一般的な映画は、子どもから大人まで楽しめるという前提がないとつまらない。インディーズ映画と言えば、ことさら若者に向けた作品が増えてしまうので、むしろインディーズなのに幅広い世代が楽しめる作品があってもいいのではないかと思いました。観る人は永遠に若者のつもりですから。この作品も若い人に向けて作ったのに、むしろおじさんが喜んでいるぐらいです。
 
―――西部劇風シーンで登場する浅野忠信さんは『白痴』以来のタッグですが、久々に一緒に仕事をしての感想は?
手塚監督:僕の監督としての持論は「演技と芝居は違う」。演技というのは心の中から出てくる感情によりするもの。芝居は人に見せるためにするもの。見せ方が違う訳です。浅野さんは若い頃は圧倒的に演技の人で、感情を大事にし、感覚で捕まえてパッとやってしまう。人に見せるための計算はしなかった。一方、夏木マリさんや井上順さんなどのベテランは自分がどう大きく動けば一番伝わるかという芝居が分かっています。浅野さんも今はそういう大きな芝居ができるようになりました。撮影現場では男のスタッフまで見とれるぐらい。昔よりもカッコよくなり、今一番脂が乗っています。根っからのスターですね。
 
―――最後にこれからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
手塚監督:夢をみようというのがこの映画のテーマでもあります。それは世相など関係なく、意識の問題。どんな社会状況でも夢を見ることはできる。それを伝えたいですね。若い皆さんが見慣れない俳優もたくさん出ていますが、勇気をもって観に来てください。
(江口由美)
 

<作品情報>
『星くず兄弟の新たな伝説』(2016年 日本 2時間8分)
監督:手塚眞 
出演:三浦涼介、武田航平、ISSAY、藤谷慶太朗、久保田しんご、高木完、谷村奈南、田野アサミ、ラサール石井、板野友美、野宮真貴、浅野忠信、夏木マリ、井上順、内田裕也
2018年1月20日(土)~テアトル新宿、1月27日(土)~シネ・リーブル梅田、2月17日(土)~元町映画館、出町座他全国順次公開
公式サイト⇒http://stardustbros.com/
(C) 2016 星くず兄弟プロジェクト
 

yogoretadiamond-550.jpg

Giacometti-550.jpg

LOpera-550.jpg

lumiere-550.jpg

silk-tolk-500.jpg
原作者アレッサンドロ・バリッコ氏が語る「絹」と映画『シルク』@第9回京都ヒストリカ国際映画祭
登壇者:アレッサンドロ・バリッコ氏(作家) 
    中井美訪子氏(聞き手、通訳)
 

~原作で一番感じるのは淋しさよりも、人生色々なことがあるという「驚き」~

 
10月28日から開催中の第9回京都ヒストリカ国際映画祭。4日目となる11月1日は、特別招待作品として、仏と幕末日本で織りなされる愛の物語『シルク』(07日本・カナダ・イタリア)がフィルム上映された。マイケル・ピット、キーラ・ナイトレイ、アルフレッド・モリーナという豪華出演陣に加え、日本パートでは主人公エルヴェが心を寄せる謎めいた少女を芦名星が演じた他、役所広司、國村隼、本郷奏多らが出演。中谷美紀も最後に得るヴェへ重大な秘密を明かすパリ在住の夫人役で見事な存在感を見せる。シルク・ドゥ・ソレイユの演出でも知られるフランソワ・ジラール監督が、見事な映像美で神秘的な日本での情景を描き出し、坂本龍一の音楽が情感を静かに掻き立てる。まさにシルクのように滑らかで美しく、そして切ない物語だ。
 
『シルク』上映後、原作者であり、イタリアを代表する作家として多方面で活躍しているアレッサンドロ・バリッコ氏が登壇し、原作本となった「絹」の執筆秘話や、映画化の裏話をざっくばらんに語って下さった。聞き手、通訳として登壇した中井美訪子氏とのトークショーの模様をご紹介したい。
 

silk-550.jpg

■チェスをしているように、一つ一つの章を丁寧に書いた、小さな本「絹」(seta)

映画化されましたが、原作は本当に薄い、小さな本です。章が小さく、中には4行で終わる章もありますが、一つ一つの章を丁寧に書きました。まるでチェスをしているような気分で、とてもコントロールされた感じで書けた印象があります。イタリアではこの本が出版されたとき、日本の俳句を集めているようだとまで言われたものです。実はこの物語は自分のために書きたかった。ですから、出版社にこの物語ができた時、「あまりにも短いのでゴメン」と言ったのです。「今回の本はとても短いけれど、次の本はかなり分厚い本になるから、そちらは成功すると思うよ」と伝えました。実際には、この小さな本「絹」(seta)は僕の人生で一番ヒットした作品になったのです。
 

■友人の祖先の実話と、祖先が残した日記帳から、19世紀にヨーロッパ人が想像していた日本を描く。

silk-240-1.jpg

これを書いた当時、まだ僕は日本に行ったこともなければ、特別行きたくもなかった。この物語は、イタリア人の友達がその友達の祖先の話を聞いたこと、祖先の日記帳を見つけたことが発端でした。その祖先は蚕の卵を買い付ける仕事をしていたのです。イタリアから毎年日本まで買いに行ったという話を聞いた時、僕の頭の中で物語がグルグル周り出しました。卵が孵化するまでに急いでイタリアへ帰らねばならず、温度を低くするために車両を貸し切って氷詰めにしていた。それがクレイジーだけれど、とても魅力的だったのです。当時日本は、ヨーロッパでも未知の世界でしたが、そうして届いた蚕の卵から、美しい女性が身にまとうシルクの服飾品に変わっていった。冒険だけでなく、美やミステリーなど魅力的な要素がたくさんありました。そして、ヨーロッパから日本に行く話を語りたいと思いました。僕がシルクで書いた日本は19世紀にヨーロッパ人が想像していた日本、つまり伝説のようなものです。19世紀に日本に来たヨーロッパ人はほんのわずかでしたから、当時の人たちは日本のことは噂で聞いたことぐらいでしか知り得なかったのです。
 

■エルヴェが日本で出会う謎めいた女性を日本人にしたのは、ジラール監督の強いこだわりだった。

silk-240-4.jpg

自分の本が映画化される時、全然違うものになることは受け入れています。フランソワ・ジラール監督は、『グレン・グールドをめぐる32章』(93)をとても気に入っているし、イギリスで僕が書いた『ノヴェチェント』も舞台監督として舞台化してくれ、尊敬している監督です。他にも「絹」映画化のオファーはたくさんありましたが、それらは断り、イタリア人プロデューサーと相談してジラール監督に決めました。全体的には原作とかなり近い仕上がりですが、一番大きく違うのは、主人公エルヴェが日本で出会う女性が原作では西洋人だったことです。監督とこの点については結構話し合いました。監督は日本のエロチシズムについてアイデアを持っていたので、「女性は日本人」であることは譲らなかった。東洋人女性が出ているのは原作とは違う点でした。

 

■映画は原作より淋しげ。原作で一番感じるのは「驚き」だった。

あとは作品の雰囲気が違います。映画の方が原作よりも寂しい気がします。原作の中では悲劇的なことがたくさん起こるのですが、何よりも一番感じるのは驚きでした。人生はこれだけ色々なことがあるという驚きがポイント。主人公のエルヴェは原作では淋しいキャラクターではなく、イキイキして色々なことをたくさん味わいたい人物ですが、映画では少し暗いキャラクターになっていますね。ラストシーンの語り方も、映画では心の中が壊れているようです。原作では明かりや光で満ちています。エルヴェが、風が湖の平面を色々動かしていくのを眺めている。とても小さく軽い動き、湖の表面が風で色々な方向にいくのを眺め、「僕の人生はこういう感じなのだ」と思う。風の中で動く、晴れ晴れして落ち着いた湖という感じに描いています。映画が淋し気なのは、ジラール監督が僕より切ない性格だからかもしれません。
 

■主人公の妻エレーヌ役に、キーラ・ナイトレイは美しすぎた!?

silk-240-5.jpg

僕の原作がそのまま映画になっていると感じた箇所もあります。例えばパルダビュー(フランスの蚕商人)を演じるアルフレッド・モリーナは物語で描いた通りの商人像ですし、主人公の妻、エレーヌ役のキーラ・ナイトレイは『パイレーツ・オブ・カリビアン』でいい女優さんだと思ったら、僕の映画に違う感じの役で出演してくれたので、うれしかった。僕の原作ではエレーヌについて書いた箇所は少なく、あまり印象に残りません。もう一人の東洋で出会う女性の方が、存在感があります。原作では、エレーヌのキャラクターを丁寧で、少ない言葉でありながら、存在感があるように書きました。途中で登場する手紙を、実際は妻のエレーヌが書いたと分かった時、サプライズをもたらすようにしたかったのです。これを映画で表すのはとても難しいことでした。映画の4分の3の間キーラ・ナイトレイを隠すのは無理な話です。キーラ・ナイトレイが現れた時から、観客は「彼女は凄いことをするに違いない」と思うはずです。ジラール監督にはもう少し美しくなく、目立たない女優さんにした方がいいのではないかと助言しましたが、監督は「こんなに高い映画を作るのに、きれいな女優さんがいなければどうするんだ」と。私の小説が原作の『海の上のピアニスト』でジュゼッペ・トルナトーレ監督にも同じことを言われました。(原作とニュアンスや話が変わっても、美しい女優を登場させることが)映画を作るルールになっているようです。
 

silk-240-3.jpg

原作と映画の違いにも着目したアレッサンドロ・バリッコ氏によるトークショー。最後には、「絹」の一節をバリッコ氏が朗読し、流れるような美しいイタリア語に観客の皆さんも聞き惚れる、とても貴重な時間となった。最後に人生を噛みしめ、希望を抱くエルヴェを描いた原作「絹」も読んでみたいと思わせるトークショーだった。
(江口由美)
 
第9回京都ヒストリカ国際映画祭はコチラ 
 

django-550.jpg

konyakushano-550.jpg

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25