「パリ」と一致するもの

air-di-550.jpg『エール!』エリック・ラルティゴ監督インタビュー

 (2015年6月26日 東京パレスホテルにて 《フランス映画祭2015》)
 

・(“La Famille Bélier” 2014年 フランス 1時間45分)
・監督:エリック・ラルティゴ
・出演:ルアンヌ・エメラ、カリン・ヴィアール、フランソワ・ダミアン、エリック・エルモスニーノ
・配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
公式サイト⇒ http://air-cinema.net/

・コピーライト:La Famille Bélier © 2014 – Jerico – Mars Films – France 2 Cinéma – Quarante 12 Films – Vendôme Production – Nexus Factory – Umedia

公開情報:2015年10月31日(土)~新宿バルト9、ヒューマントラスト有楽町、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、T・ジョイ京都、京都シネマ、シネ・リーブル神戸、TOHOシネマズ西宮OS ほか全国ロードショー


 

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~巣立ちの時を迎えた子供を愛情深く見送る両親と、
家族思いの健気な少女の物語~


《フランス映画祭2015》で観客賞を受賞した『エール!』。本国フランスでも大ヒットを飛ばし、新星ルアンヌ・エメラをセザール賞とリュミエール賞の両方で最優秀新人女優賞に、母親役のカリン・ヴィアールをリュミエール賞最優秀主演女優賞に輝かせた。いよいよ日本でも10月31日より全国公開される。両親と弟が聴覚障がい者で唯一健常者のポーラが、世間と家族の橋渡しという役割と自分の夢との狭間で悩み、さらにポーラの歌の才能を理解し応援する人々の物語は、映画祭でも大きな感動の渦を巻き起こした。フランス映画は今まで、『コーラス』(04)『モンテーニュ通りのカフェ』(06)『オーケストラ!』(09)と、音楽を主軸にした感動的なヒューマンドラマを送り出してきたが、本作でもハンディキャップを抱える家族と歌の才能を見出された少女との家族愛を、緑豊かな農村を舞台に、ユーモアあふれる明るい演出で魅了する。

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テレビのオーディション番組で注目されたルアンヌ・エメラを起用したエリック・ラルティゴ監督は、歌唱力と演技力の他に、健康的な美しさと優雅さを備えたルアンヌの魅力に着目したという。彼女の魅力が大きな存在となって映画を牽引したことは言うまでもない。また、聴覚障がい者の立場になってポーラの歌を聴くという離れ業で、自分たちだけがポーラの歌を聴けない悲しみを体感させている。両親の心の痛みと寂しさがひしひしと伝わり、胸が張り裂けそうになった。
 


【STORY】
酪農家のベリエ家の長女ポーラ(ルアンヌ・エメラ)は高校1年生。両親も弟も聴覚に障がいがあり、世間との通訳はポーラが担っていた。飼料業者への連絡や市場で売るチーズの説明や、はてまた両親の性習慣を医者に説明するのもポーラの仕事。元ミスの明るく社交的な美人の母親ジジ(カリン・ヴィアール)に、ぶっきら棒で無口だが家族思いの父親ロドルフ(フランソア・ダミアン)、おませな思春期真っ盛りの弟カンタン(ルカ・ジェルベール)と、ポーラを中心にした仲良し家族だった。


air-500-1.jpg気になる男の子ガブリエル(イリアン・ベルガラ)を追ってコーラス部に入ったポーラは、音楽教師のファビアン(エリック・エルモスニーノ)に歌の才能を見出され、パリの音楽学校の受験を勧められる。だが、歌うことの歓びを全身で感じながらも、耳の聴こえない家族をどう説得すればいいのか悩むポーラ。一方、娘の特別な才能である歌声を聴くことができない寂しさと家を離れようとする娘に落胆する両親。お互いを思い遣ればこそ苦悩は深まるが、日頃大人しい父親がとった行動とは?
 



巣立ちの時を迎えた子供を愛情深く見送る両親と家族思いの健気な少女の物語という、笑って泣ける感動作を撮ったエリック・ラルティゴ監督に、映画製作の過程や出演者についてお話を伺った。


――― テレビのオーディション番組で芸能界入りしたルアンヌ・エメラさんは、とても瑞々しい魅力を発揮していましたが、彼女を見てこの脚本を書いたのですか?
air-500-2.jpgいえ、映画製作は先に決まっていて、ポーラを演じられる女優を捜していました。ルアンヌはTVに一度しか出たことなかったのですが、彼女を見た瞬間に「彼女だ!」と感じました。オーディションでの即興劇の中のたった一言を聞いて、「ルアンヌでいける!」と思わせてくれました。ルアンヌが持つ美しさや優美さで長編映画を作ることができる!とね。彼女も私を信頼してくれましたが、それからが大変な思いをすることになるのですが(笑)。

――― 重いテーマを明るく感動的に作られていましたが、製作の経緯と演出で気を付けたことは?
確かにフランスでもこのような題材は重く落ち込みがちですが、私はそのハンディキャップを逆手にとってこの映画を作りました。ただ笑っているだけではなく、他の見方をすることもできます。元々この話は、ヴィクトリア・ヴドスという人の父親のアシスタントをしていた人にインスピレーションを得て、この話を書きました。フランス語でコダスといって、両親が聴覚障がい者の子供のことを指します。私はその話をもっと掘り下げて、家族に焦点をあてて、聴覚障がい者の両親の元からコダスが独立する物語としてシナリオを書き上げました。さらに、体の成長に心が追い付かない思春期特有の問題などを盛り込みました。

――― 両親役のカリン・ヴィアールとフランソア・ダミアンについて?
air-di-240-1.jpgカリン・ヴィアールには、お喋りで外交的で常に興奮状態にあるような、子供をとても可愛がって家庭を切り盛りする役を望みました。一方フランソア・ダミアンの方は、ぶっきら棒で内向的で、母親に比べれば控え目な役です。そのコントラストが面白いと思いました。聴覚障がい者は手話で話すと同時に顔でも語ろうとするので、そこが過剰演技に見えたかもしれませんが、健常者と同じようにお喋りな人と大人しい人がいることは確かです。

そんなベテラン二人が両親役を演じたことは、ルアンヌにとって大きな支えになったと思います。彼女自身、若いせいもありますが集中力が途切れることもありました。でも、ルアンヌの役は、手話をしながら話さなくてはなりません。この短い期間にそれをマスターしたことは快挙だと思います。特に、フランス語と手話は主語・述語の順番が逆で、構文が違うのです。手話とセリフを同時に言うことは二重に困難なことだったのです。それを遣り遂げたことはルアンヌにとってかなりのチャレンジだったと思います。

――― ポーラがパリに出たいと言った時両親と揉めましたが、フランスでも地方からパリに出るのに親と揉めるものなんですか?
どこでも子供が大都会に出たいと言ったときの問題は同じだと思います。いろんなカテゴリーの子がいます。ポーラの場合は歌で成功したいと思いましたが、パリや東京へ行きたいと夢見るような子はどこにでもいます。ただ、ポーラの場合は、聴覚障がい者の両親にしてみれば健常者との通訳という大きな橋渡しの役割を担っていた訳ですから、それは大問題です。それでも、それまでとは違う人生を歩むためにも家から出なければなりません。様々な問題を克服していくことこそ人生の醍醐味だと思います。

――― 劇中、ハッとするようなシーンがいくつかありました。コーラスの発表会のクライマックスのシーンや、ポーラを見送るシーンの演出について?
air-di-240-3.jpgあのシーンで音を切ったのは、観客の方に聴覚障がい者の世界を知ってもらいたいという意図からです。聴こえるはずの音が聞こえないと健常者はそこで欲求不満を感じるはずです。歌から受ける感情を一気にカットすることによって、その感情を他に持っていくことができたはずです。耳の聴こえない人の立場に立つ体験をしてもらいたかったのです。

ポーラが出発するシーンでは、聴覚障がい者はとても慎み深い人たちでして、一度目ではきちんとお別れできなかったので、ポーラは戻ってきたのです。二度目は家族みんなで抱き合っていましたが、彼らは耳が聴こえない分他の感覚に優れていますので、母親がポーラの髪を触ったり匂いを嗅いだり、体に触ったりしたのです。日本ではあまり他人を触ったりしないと聞いていますが、私はこういうシーンは好きです。聴覚に障がいがあると、視覚・嗅覚・触覚といった3つの感覚でコミュニケーションをとっているのです。

――― フランスで大ヒットしましたが、完成版を見た時、「これはいける!ルアンヌは女優賞を獲れる!」という確信は持てましたか?
いえ、確信は持てませんでした(笑)。映画はとても面白いものですが、もろいものでもあります。この映画を撮って2年半経ちますが、今でもこれでいいのだろうかと疑問が沸いて不安になる事もあります。映画を撮っている時は、白髪が増えるし眠れなくなるし、とても怖く感じることがあります。そんな時は、「ただの映画じゃないか」と自分に言い聞かせています。映画はとても不思議なものです。

 



劇中、ミシェル・サルドゥの曲が多く使われているが、特に、ポーラそのものを歌っているような「Je Vole(青春の翼)」が素晴らしく、見終えてからも頭の中でぐるぐるとリピートされていた。監督は脚本の段階からミシェル・サルドゥの曲を使おうと決めていたそうだが、フランスでは懐メロのようで、コーラス部の学生たちから「え~っ!?」とブーイングが起こっていた。だが、歌詞の内容は若い世代の心情と重なる部分が多く、まるで描き下ろし曲のように思えた。音楽にも注目して何回でも見たくなる、そんな映画です。

(日本のものが大好き!というエリック・ラルティゴ監督は、おかきを美味しそうにポリポリ食べておられました。)

 (河田 真喜子)

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映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』公開記念スペシャルトークイベント開催!

10月31日(土)よりテアトル梅田ほかにて『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』がいよいよ公開となります。
これに先立ち、アメリカ村digmeout ART&DINERにてトークイベントを開催することとなりました。


 

20世紀の写真史を変えていたかもしれない謎の女性写真家ヴィヴィアン・マイヤー。

そのミステリアスな生涯と、発見に至るまでを描いた奇跡のドキュメンタリーの公開を記念して、映画の予告編、彼女の写真作品を見ながら、そのミステリアスな生涯と作品の魅力を語ります。ゲストは『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』のプレス解説も手掛け、ライター・編集者、翻訳者として、音楽、デザイン、映画、絵本、知育玩具、フランス語など様々な分野で活躍する小柳帝さん。入場無料。トークが面白ければ投げ銭でギャランティを決めるという「投げ銭」システム。トークイベント終了後、小柳帝さんとJAZ-T51のラウンジDJもお楽しみ下さい。

 

■日時:10月1日(木) 19:30スタート
■会場:digmeout ART&DINER(大阪アメリカ村)
■ゲスト:小柳帝(編集者)
■参加費:無料(ワンオーダーお願いします)+投げ銭
■お相手:谷口純弘(digmeout)
■お問合せ:digmeout ART&DINER  TEL:06-6213-1007

★当日会場で特別観賞券1,500円(税込)をご購入の方に、非売品プレスシートをプレゼント。

 


 vivian-500.jpg★☆ 第87回アカデミー賞 長編ドキュメンタリー賞 ノミネート ☆★

20世紀の写真史を変えていたかもしれない謎の女性写真家ヴィヴィアン・マイヤー。

そのミステリアスな生涯と、発見に至るまでを描いた奇跡のドキュメンタリー!

 

2007年、シカゴ在住の青年ジョン・マルーフがオークションで偶然手に入れた写真をブログにアップしたところ 「最高!」「大発見!」など熱狂的な賛辞が次から次へと寄せられた。この奇跡の大発見を世界の主要メディアが絶賛!発売された写真集は全米売上No.1を記録、NY・パリ・ロンドンでいち早く展覧会が開かれるや人々が押し寄せた。撮影者の名はヴィヴィアン・マイヤー。すでに故人で、職業は元ナニー(乳母)。15万枚以上の作品を残しながら、生前1枚も公表することがなかった。ナニーをしていた女性がなぜこれほど優れた写真が撮れたのか?なぜ誰にも作品を見せなかったのか?監督は、この世紀の大発見の張本人であるジョン・マルーフ。アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた新たなアート・ドキュメンタリーの傑作がついに日本上陸!

監督:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル 2013年/アメリカ映画/83分/原題:Finding Vivian Maier
配給:アルバトロス・フィルム Ⓒ 2013 RAVINE PICTURES, LLC.  ALL RIGHTS RESERVED.   http://vivianmaier-movie.com/

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90年代、パリの音楽シーンを駆け抜けたDJの栄光と挫折~『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ氏インタビュー
 

「最初の10年は実り豊か、その後の10年は時が止まってしまったようだった」

 
90年代パリ。親友とDJデュオを結成し、瞬く間にクラブシーンで有名になっていったポールを主人公に、彼が辿った栄光と挫折の道のりを、時代を彩るガラージミュージックやクラブミュージック満載で綴る青春群像劇『EDEN/エデン』が、9月5日(土)から劇場公開される。
 
監督は、『あの夏の子供たち』のミア・ハンセン=ラヴ。兄で20年間ガラージミュージックのDJとして活動してきたスヴェン・ハンセン=ラヴの体験を元に、90年代後半から00年代にかけてフランスのダンス・ミュージックシーンで起こったムーヴメント、“フレンチ・タッチ”の最中で生きた若者たちの姿をリアルに再現。20年に渡る軌跡を、「パラダイス・ガラージ」と「ロスト・イン・ミュージック」の2部構成で瑞々しく描き出した。実存する伝説のクラブで行われる音楽イベントやパーティーは、当時の様子そのままの熱気と華やかな空気が伝わってくる。DJたちがアメリカの人気DJたちとセッションする様子や、音作りする様子など、DJの活動を詳細に映し出しているのも興味深い。ガラージミュージックにハマった世代には懐かしく、初めて知る人にはその魅力が全編から伝わってくるだろう。
 
 
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バブルのように人気が膨らみ、一転して挫折を味わうポールを演じるのは、22歳の時に本作の主役に抜擢されたフェリックス・ド・ジヴリ。若くしてアーティストだけでなく企業家の顔を持つフェリックスの、瑞々しくも堂々とした演技に注目したい。ポールと関わる女性たちには、ポーリーヌ・エチエンヌ(『愛について、ある土曜日の面会室』)、グレタ・カーヴィグ『フランシス・ハ』)、ローラ・スメット(『愛の残像』)、ゴルシフテ・ファラハニ(『彼女が消えた浜辺』)と、若手実力派女優が揃った。国籍もタイプも違う女たちとポールとの関係性の変化もリアルに描写され、ポールの揺れ動く内面を感じとることができるのだ。
 
フランス映画祭2015のゲストとして来日した共同脚本のスヴェン・ハンセン=ラヴ氏に、妹のミア・ハンセン=ラヴ監督と脚本を書くに至った経緯や、本作で描かれたガラージミュージックの魅力、当時の音楽的ムーヴメントを描くにあたって注力した点ついて、お話を伺った。また、『EDEN/エデン』トークショー@フランス映画祭2015でのスヴェン・ハンセン=ラヴ氏のトークも改めてご紹介したい。
 

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―――ご自身の半生を反映させたような本作を妹のミア・ハンセン=ラヴ監督と作るに至ったきっかけは?
スヴェン:ミアは、以前に撮っていたのが三部作だったので、次は少し違う方向の映画を作りたいと考えていました。音楽が登場人物のように重要な映画であると同時に、90年代の若者についての映画を撮りたいと思っていたのです。私はその時代の音楽シーンである程度の役割を担っていたので、ミアの方から声がかかり、一緒に映画を作ることになりました。
 
 
―――脚本を書くにあたり、スヴェンさん自身の人生を振り返り、妹のミアさんが今まで知らなかったことを話すことは、大変な作業だったのでは?また、どのように分担したのですか?
スヴェン:ミアが描こうとした90年代はパリでも音楽的なムーヴメントが起こっていた時代です。日々、お祭りやパーティー、また友達の集まりなどがあり、そこからムーヴメントが起こってきました。ミアからは音楽的ムーヴメントを語るために、「当時、そこで何があったのか、思い出を語ってほしい」といわれました。決して、私自身のことを話してほしいと言われたのではありません。私の語った事柄をもとに、ミアがシナリオを書き、第一稿ができあがったのですが、そこにはすでに私が話したことからインスピレーションを得た話や、彼女自身が当時私を見ていた時の思い出から生まれたミアの創作も加わっていたのです。第一項の段階でフィクションが作られていき、そこに私が参加していきました。
 
 
―――冒頭に流れた曲で一気にガラージの世界に引き込まれたが、スヴェンさんから見たガラージミュージックの魅力とは?
スヴェン:どの音楽にも似ていないところが魅力的です。変わった音楽でもありますが、色々な音楽を合わせることにより、オリジナルな音楽が生まれています。ガラージは当時新しく、また革命的な音楽でした。ダンス的な踊り出したくなる要素がある反面、ゴスペル的な要素も入っています。有機的なところと構成音のコントラストも、非常に魅力がありますね。
 
 

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―――映画では当時のDJの仕事ぶりや、クラブのライブなどが非常にリアルに再現されていましたが、それらを再現する際に一番こだわったことは?
スヴェン:ミアが重要視していたのは、嘘ではない本物を作ることです。そのためにディテールにこだわりました。DJが実際どうやって音楽を流すのか。それを正確に見せることが重要だと考えていたので、音楽シーンで重要な役割を担っている方に直接話を聞き、時には手取り足取りで教えてもらうこともありました。歴史ものを作っている時のように、お互いに意見を出し合い、専門家の助言を受け、間違いのないように注意して作っていきました。そこをいい加減にすると、後で非難されることをミアは分かっていたのです。
 
 
―――ポールの過ごした10年はポール自身だけでなくDJシーンの浮き沈みやパリで起こった音楽ムーヴメントの終焉を示唆しているようだったが、この時代を音楽シーンで生きたスヴェンさん自身は、この10年をどう捉えているか?
スヴェン:今振り返ってみると、最初の10年は実り豊かで、楽しかったです。毎日パーティーをし、様々な国にも行き、お金も儲けていました。全てが非常にうまくいっていたのです。ただ、未来のことは何も考えていませんでした。その後の10年は時が止まってしまい、まだ終わらないパーティーの中にいて、自分はずっとその中に浸かっているような感じがしていました。7~8年経ってようやく、私は目が覚めました。何も進化していない、ずっと同じことをしていると気づいた時から、私にとって人生で難しい時期が始まったのです。そこから未来を考えざるを得ない状況に追い込まれ、私は変わっていきました。
 

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―――映画は音楽で始まって、ロバート・クリーリーさんの詩で終わるが、この詩への思いや、このようなエンディングにしようとした狙いは?
スヴェン:もともとロバート・クリーリーは私が好きだった詩人で、ミアに紹介しました。“The Rhythm”という詩を選んだのはミアです。最後に詩を挿入するのは、ミアの映画の世界観に合っていますし、詩の内容も映画にマッチしていたと思います。
 
 
―――スヴェンさんは、音楽から書くことへと今は方向転換したが、今後の活動予定は?
スヴェン:文学のマスターを得るのにあと1年あるので、それを終えたら一度フランスを離れてスペインに行きたいと思っています。そこでできれば書くことに没頭したいと思います。すでに作品は書いているのですが、また新しいものを海辺の小さな街で書ければと思っています。
(江口由美)
 

『EDEN/エデン』トークショー@フランス映画祭2015

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―――『フランシス・ハ』に出演したグレタ・ガーヴィクさんをジュリア役に起用した理由は?
スヴェン:グレタさんは私もミアも大好きで、彼女が出演してくれるのは一つの夢でもありました。出演を了承してくれるかどうか不安でしたし、エージェントを通じて打診すると役が小さすぎると言われましたが、偶然にもグレタさんはミアの映画が好きで、すぐにやりたいと言ってくれました。少しのシーンですが、彼女の軽やかな感じが、作品に温かみを与えてくれたと思います。
 
 
―――今再びディスコやガラージが盛り上がってきているようですが、スヴェンさんから見て、この動きをどう思いますか?
スヴェン:一番大きな違いは、昔はこのようなクラブミュージックを聞いていた人が今より少なかったし、新しいミュージックを発見したという熱がありましたが、今は世界中で若者たちが様々なミュージックを聞いていて、彼らは自分たちの聞いている音楽の根っこが昔にあると知っています。
 
 
―――自身の役をフィリップさんにしようとした決め手は?
スヴェン:ミアがオーディションで、フィリップのことがすぐにいいと思ったのは、当時の若者の中にあったエネルギーを彼の中に感じたからです。フィリップスは音楽のことも知っています。音楽のことは門外漢という人は選びたくなかったのです。
 
 
―――フランスの文化を紹介する一方で、本作はアメリカの影響を強く受けていることを示していますが、その意図は?
スヴェン:確かにこの映画の中ではアメリカ文化のことを紹介していますが、フレンチ・タッチを紹介する映画でもあります。フレンチ・タッチというのはアメリカとフランスのつながりによって生まれた音楽です。フランスは昔からアメリカの黒人音楽に対する根強い愛着がありました。この映画は、ある意味フランスの伝統を表しているともいえますし、その絆がいかに美しいかということを示した映画でもあります。私の好きなシーンで、主人公がシカゴに行き、アメリカのDJに会うシーンがありますが、そこで二つの全く違う文化をもったDJの間に絆が生まれ、お互い違いはないのだということが分かります。
 

<作品情報>
『EDEN/エデン』
(2014年 フランス 2時間11分)
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
出演:フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ
配給:ミモザフィルムズ
2015年9月5日(土)~新宿シネマカリテ、大阪ステーションシティシネマ、今秋~京都シネマ、元町映画館ほか全国順次ロードショー
公式サイト ⇒ http://www.eden-movie.jp/
© 2014 CG CINEMA - FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD– YUNDAL FILMS
 
『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ、主演フェリックス・ド・ジヴリトークショー@フランス映画祭2015はコチラ
 

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『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督トークショー
 
『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』“Le Sel de la terre”
(2014年 フランス=ブラジル=イタリア 1時間50分)
監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド
出演:セバスチャン・サルガド
提供:RESPECT 配給:RESPECT×トランスフォーマー
2015年8月1日(土)~Bunkamuraル・シネマ、8月8日(土)~シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、8月15日(土)~シネ・リーブル神戸、8月22日(土)~京都シネマ他全国ロードショー
© Sebastião Salgado © Donata Wenders © Sara Rangel © Juliano Ribeiro Salgado
 

~息子とヴィム・ヴェンダースが紐解く写真家セバスチャン・サルガド、40年の旅路~

 
60年代から40年にも渡って、地球を旅し、虐げられた者、移動せざるを得ない者、労働する者、長きにわたって部族の伝統を守り繋いでいる者、そして人類の営みに惑わされることなく生きる動物や雄大なる自然を、真っ直ぐに撮り続けてきた写真家セバスチャン・サルガド。彼の人生の歩みを写真と共に振り返ると共に、彼の家族人としてのもう一つの物語も語られていく。
 
セバスチャン・サルガドの息子であり映像作家のジュリアーノ・リベイロ・サルガドとヴィム・ヴェンダースが、写真の奥にあるセバスチャン・サルガドの視点、そして彼の実体験に迫るドキュメンタリー『セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター』。セバスチャン自身の独白だけでなく、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドやヴィム・ヴェンダースの語りが挿入され、セバスチャンの知られざる姿を多面的に浮かび上がらせる。
 
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撮影旅行に同行したときの映像では、セバスチャンの写真がなぜあれだけの力を持つのか、現地の人々と一体となっている様子からうかがい知ることができる。大虐殺の現場や、飢餓で亡くなっていく人々など、同じ人間のする残酷さに目を背けたくなるような写真もあるが、それも含めて、セバスチャンが今までカメラで捉えてきたものが今に伝えようとしていることは大きい。一方、セバスチャンが新たなる希望として掲げる「自然の再生」は、希望を失いがちないな現代を生きる私たちに力を与えてくれるのだ。
 
上映後のトークでは、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督が登壇し、「映画の中でセバスチャンが持っている希望を皆さんと分かち合えたならうれしいと思います」と挨拶。映画でも触れられている父、セバスチャン・サルガドとの関係や、ヴィム・ヴェンダース監督の考えた仕掛けについて、たっぷり語って下さった。その内容をご紹介したい。
 

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―――どのようにして、この企画が始まったのか?
ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督(以下監督):2009年から企画が始まりました。セバスチャンは南アメリカインディアンのゾエ族の写真を撮りに行くことにしました。ゾエ族は女性が非常に重要な位置を占めています。当時の私と父との関係は非常にぎくしゃくしていて、なかなかコミュニケーションができない状況でした。ですから、当時は父の映画を作るなんて考えられませんでした。ただゾエ族は1万5千年前から同じような生活をしている人々に出会う機会はなかなかありませんから、取材旅行に同行することに決めたのです。ゾエ族の人たちは非常に温厚な人たちで、私たち親子にもいい影響を与えてくれました。
 
セバスチャンが仕事をしているときの映像を旅行中撮影していたので、パリに戻ってから編集をはじめると信じられないことが起こりました 映像を撮るときは、映像を撮る人の感情が映像を通して見えてきますが、セバスチャンは息子がどういう感情をもっているか初めて私が撮った映像を通じて見たのです。あまりにも感動して、ずっと涙を流していたのです。私と父の間の扉が開かれ、一緒に映画を作ることもそのとき可能になったのだと思います。
 

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―――写真家である父のどの部分をどういう視点で捉えようとしたのか?
監督:セバスチャンは写真家なので、彼が撮った写真はアルバムや展覧会で観れますが、写真の映画であってはいけない。また、彼の撮影の旅を題材にしてもあまり強いテーマのにはならない。むしろ、世界を40年間特別な視線で見てきた証人として、彼が見てきた世界を描こうとしました。
 
 
―――ヴィム・ヴェンダース監督はどのように映画制作に関わっていったのか?
監督:セバスチャンは非常に色々な人を見た経験がありますし、(映画を通じて)何か分かち合うものがあるのではと、1年間考えました。彼のことを語ることがとても重要で、若い頃世界と対峙していたのが、だんだん変わっていく部分が面白いし、セバスチャンが、世界を見る時の仲介役となって、カメラを通すことでより豊かに表現できた訳です。セバスチャンは、自分がとても耐えられない状況をエチオピアなどで見ることになりますが、彼はその中で自分なりの世界を作っていくわけです。そこで、ヴィム・ヴェンダース監督に連絡をとり、11年から彼に加わってもらいました。
 
 
―――原題の『地の塩』“The Salt Of the Earth”の意味は?1940~50年代にアメリカ映画で『地の塩』という作品もあったが、この作品と関連はあるのか?
監督:唯一関係を考えるとすれば、50年代の同作は鉱山で働く人たちを描いており、社会的なテーマを描いているという部分では通じるかもしれません。実際にはこのタイトルは聖書の一節です。セバスチャンは合理的で神を信じない人なので、少し矛盾がありますが、彼の写真はシンボリックなものを見出だすことができ、ある意味宗教的とも言えます。セバスチャンは人々を通して地球を好きになったのです。色々な人々と出会うことで、彼らの目線で写真を撮っていきました。ですから、人間について語った言葉が、非常に適切ではないかと考えました。
 
 

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―――セバスチャン・サルガドは、写真を撮る活動を辞めて、森に帰っているが、人類を愛する、信じることが今できているのか?
監督:94年、セバスチャンは、ルワンダの撮影から戻り、ルワンダで見たものに心を痛めていました。彼の写真の撮り方や取材旅行の仕方は、行った先の共同体と一体化し、人と人との人間関係を作りそこから、生まれる感動を写真にしていました。彼の写真は何か希望を持っていて、写真を撮ることや見ることで、人々の意識が変わるだろうと思っていました。しかし、ルワンダでは悲惨な状況があり、自分の写真は役に立たないと感じたのです。その時、彼の中で写真を撮ることに終止符が打たれたのです。
 
その後、セバスチャンは故郷の森に戻り、一時はまる裸になった畑に250万本の木を植えるプロジェクトを行いました。そうすると、生態系の頂点にあるジャガーが戻ってきたのです。以前のように絶対人間が前向きに進むという希望は失いましたが、この時彼は、別の希望を持ちました。私たちはゴリラのようにも、海のクジラのようにも、世界の一部になれると思えるようになったのです。彼が発表した13年に発表した『GENESIS』からも、それを感じていただけるでしょう。
 
 

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――――ジュリア―ノさんは子どもの頃、父、セバスチャン・サルガドさんのことをスーパーヒーローと思っていたそうですが、実際に父の仕事の現場を見た感想は?
監督:一緒に旅をしているときは、父のことを全く知ることができませんでした。彼は非常に集中していて、色々な動物や人と出会うことに完全に入り込んでいます。パプアニューギニアでは、2日間歩いてジャングルの森を上がり、村から1~2キロぐらいのところで畑を耕している人々を見つけると、お互い言葉は分からなくても10分間でその人たちと関係を築き、彼らの共同体に入っていくのを目撃しました。その場では、父のことを探求する余裕はないのです。
 
同行しての撮影が終わり、この映画をヴィム・ヴェンダースと仕事をするようになり、彼のおかげで父を見出しました。私は最初からこの映画をどう語ろうか、決めていました。セバスチャンが写真についての話をし、写真と話を結びつけることにより、若者だった彼が40年の経験の中で、どうやって『GENESIS』のセバスチャン・サルガドアーティストになっていったのか、その変容を語ろうと思っていたのです。
 
そこで、ヴェンダースが撮影にあたってとてもいい仕掛けを考えてくれました。セバスチャンをスタジオに座らせ、周りを黒い幕でかこみ、撮影チームも静かにしていて、何も見えない、聴こえない状態に置きます。彼の前に鏡を置き、マジックミラーで、鏡の後ろにはカメラを据えています。鏡には写真が映るようにし、ヴェンダースは写真を変えるだけでした。彼の物語はよく知っていましたので、写真は私が十分吟味して選んでいました。セバスチャンは、2、3枚写真を見ただけで、完全に写真を撮っている時に戻って語りだしたのです。撮影をしたあとに、事前編集をして、初めて他の人の目を通して父が語るのを見て、彼が精神的にどう成長していったのかを知りました。そこから私と父、セバスチャンとの関係は完全に変わり、友人になりました。
 
 
―――:素晴らしい音楽でしたが?
監督:サルガドが見た世界をどのような音楽を使って表現できるか考えました。サルガドの感情が表に出るように、控えめで抽象的な音楽をさりげなく使いたかったのです。ローレント・ピティガントはそれに応えた音楽を作ってくれました。
(江口由美)
 

 
フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)…終了しました。
公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2015/
 

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『ヴィオレット(原題)』マルタン・プロヴォ監督、主演エマニュエル・ドゥボストークショー@フランス映画祭2015
 
『ヴィオレット(原題)』“Violette”
(2013年 フランス 2時間9分)
監督:マルタン・プロヴォ
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、サンドリーヌ・キベルラン、オリヴィエ・グルメ
2015年12月15日(土)~岩波ホールほか全国順次ロードショー
配給:ムヴィオラ 
© TS PRODUCTIONS – 2013
 

~初めて女性で“性”を語った作家ヴィオレットの孤独と葛藤に満ちた半生~

 
フランスを代表する女性作家でありフェミニズム運動家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールが、その才能に惚れ込み、世間に認められるまでバックアップを惜しまなかった女性作家がいた。自らの体験を美しい文体で、赤裸々に綴り、初めて“性”を語った女性作家として64年の『私生児』で大成功を収めたヴィオレット・リュデュックだ。父親に認知されず、またその容姿から愛する人からも拒まれ、孤独の中で全てを書くことに捧げてきた激動のヴィオレットの半生を、『セラフィーヌの庭』のマルタン・プロヴォ監督が映画化した。
 
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監督が「最初からヴィオレット役と決めていた」というエマニュエル・ドゥヴォスが、自分の容姿に悩み、母との関係に苦しみながら、ボーヴォワールを慕い、自分の力で生きる道を切り開く、ヴィオレットを熱演している。ヴィオレットの愛には応えられないと断言しながらも、女性の自由な表現を求めて、ヴィオレットの執筆活動を全面的に支援するボーヴォワール役には、『屋根裏部屋のマリアたち』のサンドリーヌ・キベルランが扮し、フランス文学界に革命を起こした二人の友情や愛情を超越した関係が描かれている。40年代から60年代に渡る二人の対照的なファッションや、その変化も見どころだ。
 
上映後には、マルタン・プロヴォ監督、主演エマニュエル・ドゥボスが登壇、「このようにエマニュエル・ドゥボスと一緒にこの作品を紹介できることを本当にうれしく思います。フランスでは2年前に公開された作品なので、また新たな気持ちで観ております」と監督が挨拶すると、エマニュエル・ドゥボスはヴィオレットを「文学界のゴッホ」と称し、日本の皆さんにもぜひ読んでほしいと勧めた。また質問では10年前のフランス映画祭でエマニュエル・ドゥボスが来日時にも足を運んだというファンが、感激の言葉を伝える場面もあった。『セラフィーヌの庭』撮影後から始まったという制作の経緯や、ヴィオレットに対する考察など、興味深い内容が語られたトークショーをご紹介したい。
 

 

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―――ヴィオレット・ルデュックはフランス文学界でどのような地位にいるのか?
マルタン・プロヴォ監督(以下監督):ヴィオレット・ルデュックは、フランスで60年代によく知られた作家でしたが、その後忘れ去られてしまいました。博識の方や文学人なら知っていますし、彼女の文体が素晴らしいと、アメリカの大学では研究の対象になっていますが、フランスではそこまでヴィオレットに関心を持つ人はいなくなっています。書店ではヴィオレットの傑作の一つである『破壊』をはじめ、他の作品は並んでいない状況でした。しかし、本作が公開されたことにより、書店でも再びヴィオレットの作品が並ぶようになり、とてもうれしく思っています。60年代の日本で出版された和訳の『私生児』の本を見せていただきました、また新訳の『私生児』が書店に並んでくれればうれしいです。
 

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―――ヴィオレット・ルデックを題材にした映画を撮影しようと思った経緯は?
監督:ヴィオレットは、私が『セラフィーヌの庭』を撮り終えたばかりのときに、私の自伝的小説を出版してくれた編集者でもあるルネ・ド・セカッティから教えてもらいました。ヴィオレットの名前は聞いたことがありましたが、作品を読んだことはありませんでした。セカッティは、ヴィオレットがセラフィーヌのことについて書いた文章を渡してくれたのです。それは本当に素晴らしく、また美しい文章で、感銘を受けました。その中には、様々なセラフィーヌのセクシュアリティーなことについても触れられており、その後『セラフィーヌの庭』が公開されて成功を収めたので、セカッティに会い、ヴィオレットを題材にした作品のためのシナリオを共同で書いてくれるかとお願いし、このプロジェクトが始まりました。
 
 
―――エマニュエル・ドゥヴォスのキャスティングは?
監督:シナリオを書く前に、ドゥヴォスさんにヴィオレットを演じてほしいと思っていました。前から彼女と仕事がしたいと思っていましたし、この役は彼女しか考えられません。最初にドゥヴォスさんと会ったときに聞いたことが、「顔を醜くしてもいいかな?」。その時の答えが素晴らしかったのですが、ドゥヴォスさんは「その役は女優にとって素晴らしいプレゼントです」と言ってくれました。
 

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―――ドゥヴォスさんは、オファーを受けてどんな気持ちだったのか?
エマニュエル・ドゥヴォス(以下ドゥヴォス):ヴィオレット・ルデュックのことは全く知りませんでしたが、『セラフィーヌの庭』が大好きだったので、マルタン監督が私に役を下さったことが、とてもうれしかったです。その後、監督からヴィオレットのことを聞いたり、実際に本を読んだりし、女優としてその役を演じることが出来ることは素晴らしいと思いました。
 
 
―――ヴィオレットが母親に抱く印象は愛情や憎しみもあるが、子どもの頃は手も握らない母親が、最後は入院後の娘の世話をするようになったが、母親の心境の変化をどう考えているのか。
監督:まずはヴィオレットが父親に認知されなかったことが重要なポイントです。母親もヴィオレットが1歳半になるまで出生届を出していないので、母親もある意味その存在を最初は認めていなかった訳です。映画では描くことができませんでしたが、ヴィオレットは祖母に育てられています。母親の唯一の関心事は夫を見つけることで、当時は女性一人で生きることは非常に難しかったわけです。実際にも内装業の男と結婚し、ヴィオレットとは腹違いとなる息子を産んでいます。父親にも母親にも認められなかったことが、ヴィオレットが生涯抱える葛藤の原因となっていった訳です。
 
家族の問題を乗り越えるためには、どうしてもそういった葛藤を乗り越えなければならないと思っています。私の解釈ですが、ヴィオレットにとって父親変わりだったのがシモーヌ・ボーヴォワールだったのでしょう。ヴィオレットは生涯母親に反抗し続けますが、母親の半年前に亡くなるのも、もしかすればヴィオレットの母親に対する反抗の一つだったのかもしれません。
 
ドュヴォス:母親役のカトリーヌ・イジェルとの共演は、ものすごく強烈な経験でした。イジェルさんの出番になって撮影現場に来られることで撮影のリズムができました。色々なシーンで感情がエスカレートしていきますので、私が演じるヴィオレットに力をくれました。
監督:今でも思い出しますが、イジェルさん演じる母親とヴィオレットが「なぜ私を産んだのか、私を産んだことが全ての問題なのだ」と大ゲンカするシーンがありました。最初のテイクで、ドゥヴォスさんが「これがいいわよね」と言っていたのに、私が少し疑問があったので何度もテイクを重ねたのです。結局はドゥヴォスさんの言う通り、最初のテイクが採用されたのですが、彼女は最初からヴィオレットになっており、私から見ても素晴らしかったです。
 

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―――ヴィオレット・リュデュックは本当に激しい気性だが、ドュヴォスさんは自分で演じてどのような女性と理解したのか?
ドュヴォス:映画の撮影に入ったときも、公開されたときも、私の気持ちは全く変わっていません。男性であっても、女性であっても、絵画であっても、映画であっても、文学作品であっても、自分が持っている問題をアートを通じて乗り越えることほど美しいことはありません。ヴィオレットは文学界のゴッホだと思っています。日本語訳になるとどうなるかわかりませんが、素晴らしいフランス語で描かれているので、皆さんもきっと気に入ると思います。
 
 
―――長回しが多かったが、苦労はなかったか?
ドュヴォス:偉大な監督と仕事をすれば、そういう問題にぶち当たることはありません。むしろ長回しは細切れにストップをかけられることなく勢いをもって演じることが出来るので、役者にとって楽なのです。
 
 
―――『セラフィーヌの庭』同様自然描写が素晴らしいが、自然を描写するときに心がけていることは?
監督:セラフィーヌは自然とシンプルな関係にある人物でした。町自体が森に囲まれており、セラフィーヌにとって田舎の風景は唯一の逃げ場でした。ヴィオレットも、自然とシンプルで強力な関係性を自然と持っていたと思います。お料理や家事などのシーンも、細かく描写していますし、散歩したときに目にした木や川などもシンプルで美しい描写になっていると思います。私自身も、パリ近くの自然に囲まれた場所で暮らしており、セラフィーヌやヴィオレットと同じような自然との関わりを持って暮らしています。そういった私自身の自然との関わりが映画に滲み出ているのではないでしょうか。生き物と私たちの関係性や、私たちが一部であるところの偉大な自然界は尊重するべき、非常に美しいものだと思います。
 
 

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―――映画でも冒頭に描かれているが、ヴィオレットが小説を書き始めるきっかけとなった人物、モーリスとヴィオレットの関係は?
監督:ヴィオレットは生活のために色々なアルバイトをしていました。出版社の電話オペレーターをしていた時に小説家のモーリスと出会い、まずは友人関係になっています。彼は、良家の出身ですが、戦争中はユダヤ人を逃がすと偽ってお金をだまし取ったりする怪しい存在になっていきます。ヴィオレットとの偽装夫婦は、3週間の予定でしたが、実際にはもっと長くなり、その間ヴィオレットは恋に落ちるのです。実際、モーリスはとても優れた作家で、ヴィオレットの人生において、いくつかの道しるべを示す人物の中の最初の一人となりました。モーリスは「君は書くべきだ」と言ってヴィオレットを励まし、ヴィオレットは「自分が書く資格を得たのだ」と書いています。それまでヴィオレットは自分に書く資格はないと思っていたのです。(江口由美)
 

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!
 

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『EDEN/エデン』共同脚本スヴェン・ハンセン=ラヴ、主演フェリックス・ド・ジヴリトークショー@フランス映画祭2015
 
『EDEN/エデン』
(2014年 フランス 2時間11分)
監督:ミア・ハンセン=ラヴ
出演:フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ
配給:ミモザフィルムズ
2015年9月、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
© 2014 CG CINEMA - FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD– YUNDAL FILMS
 

~90年代パリ、若者たちが熱中した音楽の中心にいたDJの夢と挫折、そして未来へ~

 
90年代パリで、親友とDJデュオを結成し、瞬く間にクラブシーンで有名になっていったポールを主人公に、彼が辿った栄光と挫折の道のりを、時代を彩るガラージミュージックやクラブミュージック満載で綴る青春群像劇、『EDEN/エデン』。
 
『あの夏の子供たち』のミア・ハンセン=ラヴ監督が、兄で20年間ガラージミュージックのDJとして活動してきたスヴェン・ハンセン=ラヴの体験を元に、90年代後半から00年代にかけてフランスのダンス・ミュージックシーンで起こったムーヴメント、フレンチ・タッチの最中で生きた若者たちの10年に渡る生き様を、2部構成で瑞々しく描き出した。当時行われていた音楽イベントやパーティーを実存する伝説のクラブで再現する他、DJたちがアメリカの人気DJたちとセッションする様子や、音作りする様子など、DJの活動ぶりからその苦悩まで赤裸々に映し出され、音楽を通じて10年間を顧みることもできるのだ。
 
最初に「23歳です。私は日本を明日去らなくてはならないのでとても淋しいです」と挨拶したフェリックス・ド・ジヴリさんと、「ミア(ミア・ハンセン=ラヴ監督)の兄です。42歳です。前回日本に来たのは15年前だったので、帰ってくることができてうれしいです」と返したスヴェン・ハンセン=ラヴさん。今日空き時間に買ったばかりのジーンズ姿もお揃いで、主人公と、そのモデルとなった人物が揃っての登壇となったトークショーの模様をご紹介したい。
 
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―――主人公ポールの役を10年に渡って演じて、一番難しかったことは?
フェリックス・ド・ジヴリさん(以下フェリックス):モデルになっている人物がスヴェンさんで、彼自身も若々しいので、10年間を演じることに対して抵抗は感じませんでした。ミア監督と相談し、老けメイクをしてまで、年を重ねたようにしないようにしようと決めていました。
 
 
―――『フランシス・ハ』に出演したグレタ・ガーヴィクさんをジュリア役に起用した理由は?
スヴェン・ハンセン=ラヴさん(以下スヴェン)グレタさんは私もミアも大好きで、彼女が出演してくれるのは一つの夢でもありました。出演を了承してくれるかどうか不安でしたし、エージェントを通じて打診すると役が小さすぎると言われましたが、偶然にもグレタさんはミアの映画が好きで、すぐにやりたいと言ってくれました。少しのシーンですが、彼女の軽やかな感じが、作品に温かみを与えてくれたと思います。
 
 

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―――今再びディスコやガラージが盛り上がってきているようだが、スヴェンさんから見て、この動きをどう思うか?
スヴェン:一番大きな違いは、昔はこのようなクラブミュージックを聞いていた人が今より少なかったし、新しいミュージックを発見したという熱がありましたが、今は世界中で若者たちが様々なミュージックを聞いていて、彼らは自分たちの聞いている音楽の根っこが昔にあると知っています。
 
 
―――どうしてご自身の人生を反映させて、このシナリオを書こうとしたのか?
スヴェン:この映画は私の人生を語るために作られた映画ではなく、ミアは音楽と90年代の若者たちについての映画を撮りたいと思っていたのです。たまたま、そのときに私がある音楽シーンの役割を担っていたので、最初は当時起こっていたことを語っているうちに、一緒に脚本を書くようになりました。
 
 
―――自身の役をフィリップさんにしようとした決め手は?
スヴェン:ミアがオーディションで、フェリックスさんのことがすぐにいいと思ったのは、当時の若者の中にあったエネルギーを彼の中に感じたからです。フィリップスは音楽のことも知っています。音楽のことは門外漢という人は選びたくなかったのです。
 
 

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―――フェリックスさんは俳優以外にどんな活動をされているのか?
フェリックス:レコードレーベルを持っていますし、色々なイベントの企画もしています。近々、服のレーベルを立ち上げる予定です。
 
 
―――フェリックスさん自身は、今上り調子の人生ですが、かなり手痛いことが待っていた主人公を演じて共感できたのか、それとも別の感情を覚えたのか?
フェリックス:私はこの作品を成功と失敗を描いたものとは考えておらず、夢に向かってどこまで立ち向かっていけるかという映画だと思います。自分の目的に対してどこまで突き進んでいけるかということで、私はスヴェンさんのように心配性ではないので、そこまで違和感はなかったです。
 
 
―――フランスの文化を紹介する一方で、本作はアメリカの影響を強く受けていることを示しているが。
スヴェン:確かにこの映画の中ではアメリカ文化のことを紹介していますが、フレンチ・タッチを紹介する映画でもあります。フレンチ・タッチというのはアメリカとフランスのつながりによって生まれた音楽です。フランスは昔からアメリカの黒人音楽に対する根強い愛着がありました。この映画は、ある意味フランスの伝統を表しているともいえますし、その絆がいかに美しいかということを示した映画でもあります。私の好きなシーンで、主人公がシカゴに行き、アメリカのDJに会うシーンがありますが、そこで二つの全く違う文化をもったDJの間に絆が生まれ、お互い違いはないのだということが分かります。
 
 

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―――最近のフランス映画は以前と比べて、生身の人間を辛辣に映し出す作品が多いことをどう思うか?
スヴェン:確かに作家主義の映画はよりリアルな人間を映し出し、人間の弱さを表しています。もしそのような映画が増えているのなら、フランスが今難しい時代に入っているのではないでしょうか。
 
 
―――今後映画とどのようにかかわっていきたいですか?また主演する可能性はあるか?
フェリックス:今後も映画の仕事は続けていきたいです。フランスではすぐラベルを貼って、枠にはめようとするのですが、今回の映画出演で新しいチャンスも得ましたし、私はこの若さを利用して色々なことに挑戦していきたいと思います。
スヴェン:私は映画が大好きですが、本当にやりたいことは文学です。
 
 
―――フランス映画ファンにお二人から一言お願いします。
フェリックス:アルノー・デプレシャン監督の『My Golden Days(仏題:”Trois Souvenirs de ma Jeunesse”)』 が素晴らしいです。フランス映画は普遍的なものなので、日本で公開されるフランス映画を今後も見てください。
スヴェン:アラン・カヴァリエ監督の初期の2作は、フランスの評論家も「最も美しい映画」と評しているので、皆さんも見てください。
(江口由美)
 

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!

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『エール!』エリック・ラルティゴ監督、主演女優ルアンヌ・エメラ、トークショー
 
『エール!』“La Famille Bélier”
(2014年 フランス 1時間45分)
監督:エリック・ラルティゴ
出演:ルアンヌ・エメラ、カリン・ヴィアール、フランソワ・ダミアン、エリック・エルモスニーノ
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
La Famille Bélier © 2014 – Jerico – Mars Films – France 2 Cinéma – Quarante 12 Films – Vendôme Production – Nexus Factory – Umedia
 

~耳が聴こえなくても胸に届く、魂の歌声~

 
本国フランスでも動員700万人超えの大ヒットを記録し、フランス映画祭2015のオープニング作品として上映された『エール!』。聴覚障害を持つ家族の中で、唯一“聴こえる”長女ポーラを主人公に、家業を助け、親たちの通訳をしながら生きている少女が夢に向かって葛藤しながら進む姿を、歌や手話と共に描いたパワフルかつハートウォーミングな作品だ。主演のルアンヌ・エメラはエリック・ラルティゴ監督に見いだされ、本作で映画デビューを飾った新人で、その歌声はソウルフルで情感に訴える魅力がある。また、聴覚障害者の家族たちの手話も、彼らのキャラクターを表すような明るさや激しさがあり、手話や歌を通じて、聴こえなくても声なき声が届く様がまさに感動を呼ぶ。上映後、大きな拍手と共に迎え入れられた同作のエリック・ラルティゴ監督、主演女優ルアンヌ・エメラによるトークショーの模様をご紹介したい。
 
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<ストーリー>
フランスの田舎町で農家を営むベリエ家。高校生の長女ポーラ(ルアンヌ・エメラ)以外、父(カリン・ヴィアール)も母(フランソワ・ダミアン)も弟も聴覚障害者で、ポーラは家族と健常者との通訳をしながら、家業を手伝っている。熱血漢の父と、美しく陽気な母、口の悪い弟とのサイレントだが賑やかな家族の日々を送るポーラは、ある日学校の音楽クラスでその歌声の美しさを担当教師のトマソン(エリック・エルモスニーノ)に見いだされ、パリの音楽学校のオーディション受験を勧められる。しかし、ポーラの声が聴こえない家族は大反対。ポーラも一時は夢を諦めようとするのだったが・・・。
 

FFF-エール!-3.jpg―――家族の手話が中心となって成り立つ話をどのようにして思いついたのか?
エリック・ラルティゴ監督(以下監督):日本でいう芸人の娘で、私の父親のアシスタントをしていたビクトリア・ジュドスという女性が書いたシナリオを目にしたのです。彼女は、本作のルアンヌのように家族の中で自分だけが健常者で、他の家族は聴覚障害者でした。私はそこから10か月かけてシナリオを脚色し、また別のシナリオを作り上げました。
 
 
―――映画化するには難しいと思わなかったのか?もしくはすぐにやりがいがあると思ったのか?
監督:もちろん(難しいと)思いました。この映画は色々な要素があります。手話だったり、手話をしながら歌うなど、当時はまだルアンヌが思春期で、集中力もなかったですから映画化するのは難しいかなと思いました。でも、映画を撮るたびにドキリとするのが楽しいので、今回はルアンヌにドキリとさせられました。
 
 

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―――本作に出演するまでにシンデレラストーリーがあったと聞いているが、ルアンヌさんの出演の経緯は?
ルアンヌ・エメラ(以下ルアンヌ):フランスで『ザ・ボイス』という音楽オーディション番組に出演した私を見て、監督が採用してくれました。スクリーンテストも最低だったので、なぜ私がこうなっているのか今でも分からないぐらいですが、ともあれ、今こうしてシンデレラストーリーを歩んでいるわけです。
監督:確かに一回、二回、三回と全てのスクリーンテストはダメでしたが、無意識のうちに何らかの化学反応が起こったのだと思います。彼女はとても瑞々しく、自然さを持っていて、素晴らしい歌手でした。3秒見て素晴らしいと思ったものを、映画を撮るときには1時間半続けなくてはなりません。今回は、なんとか成功したと思います。
 
 
―――ルアンヌさんが撮影中に一番難しかったことは?また撮影前にどのような準備をしたのか?
ルアンヌ:演技を覚えることが一番難しかったです。私自身は歌手ですから、映画で出演して演技をした経験がありません。本作が初めての演技経験でしたが、監督は随分私を助けてくれました。また、(準備という点では)本作のために一日4時間の手話レッスンを4か月間受けました。ただ元々外国語を覚えるのは得意なので、その点は有利で、新しいものを体得することへの好奇心がありました。やりたいと思って好きなことをやることは、そんなに苦にならないものです。
 
 

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―――カリン・ヴィアールさん、フランソワ・ダミアンさんというフランスを代表する俳優との共演は?
ルアンヌ:はじめは私自身も彼らと一緒に仕事できることに感動したり、ドキドキしていましたが、すぐに二人は演技の助言をしたりしてくれました。
監督:二人に手話をやってもらいましたが、手話はある意味ダンスの振り付けのようで、視覚的に動きの多いものです。手話のリズムを私はまず覚えなければなりませんでした。手話を見て、実際に聴覚障害者が理解しなければなりません。映画でも手もとが映らなければいけないわけで、常に画面のフレームの中に納まるように気を付けていました。
 
 
―――次に演技をするのなら、歌も含めた作品にしたいか?全く別のことを演じたいか?
ルアンヌ:今のところ分かりませんが、次回作で歌わなくてもいいと思っています。(監督に泳ぐことにしたらと言われ)じゃあ、泳ぐ役を書いてください。とにかく色々な役に挑戦したいと思っています。
 
 
―――後半ポーラが発表会でデュエットするクライマックスのシーンで、なぜ二人の歌声をなくしたのか?
監督:音を消したシーンは、私としては(観客の皆さんに)聴覚障害のある両親の身になってほしいと思いました。あのシーンで音を消すことで、健常者が彼らの感覚を味わうという意味合いがありました。プロデューサーは音を消すことにとても反対しましたが、結果納得してくれました。あそこで聞かせないことによって、父親がポーラの喉に手を当てるシーンに感動を持っていくことができました。
配給会社の方と相談中ですが、本作は難聴や聴覚障害をお持ちの方のためのバージョンも作っており、字幕の他に色を変えて、ここでドアが閉まったとか、音楽が入った等を示していますので、上映会の時に選べるようにして使っていただければと考えています。
 

 
聴覚障害者の身になってほしいという意図で作ったシーンの話の後に、エリック監督が客席に「この会場の中に聴覚障害の方はいますか?フランス手話と日本手話では違いがあるかもしれないので、全て分かりましたか?」と問いかける一幕も。客席から男性が返答し、手話で「素晴らしくて本当に泣きました。ブラボーです。全て理解できました」と喜びを伝えると、ルアンヌさんがすかさず監督の言葉を手話で伝え、また手話を訳し、まるで本当に『エール!』のポーラがそこにいるような感動的な出会いで、トークショーは幕を閉じた。
 

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このルアンヌさんと会場の聴覚障害のお客様との手話のやり取りを見て、エリック監督は最後に「聴覚障害の方のコミュニティーは本当に素晴らしい。フランスで聴覚障害を持っている方々も、日本で上映しても、国による若干の手話の違いがあってもある程度の理解はできると言っていました。例えば、(フランスの)健常者が日本の言葉を覚えるには最低でも15年はかかるが、手話は短期間で覚えることができ、外国に行ってもコミュニケーションが取れるというのは、本当に素晴らしいと思う」と手話によるコミュニケーションは世界共通言語であることを改めて実感した様子。手話シーンの多さや、演技経験のない新人を起用しての映画づくりを熱意をもって進めてきた監督と役者たち、そして聴覚障害者の方たちがより楽しんでいただけるように別バージョンも作ったという話に、映画を作るだけでなく、聴覚障害者の方々に届けることを真摯に考えた作り手の思いが会場のお客様にしっかりと伝わったことだろう。
 
尚、エリック・ラルティゴ監督によるティーチインは、6月29日(月)フランス映画祭2015大阪会場のシネ・ヌーヴォにて『エール!』上映後に開催予定だ。劇場公開は、10月31日にバルト9他にて公開予定。(江口由美)
 

フランス映画祭2015

6月26日(金)~29日(月)有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇(東京会場)にて開催!

公式サイト:http://unifrance.jp/festival/2015/

 
 
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