原題 | Tonnerre |
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制作年・国 | 2013年 フランス |
上映時間 | 1時間40分 |
監督 | 監督・脚本:ギョーム・ブラック |
出演 | ヴァンサン・マケーニュ、ソレーヌ・リゴ、ベルナール・メネズ |
公開日、上映劇場 | 2015年2月14日(土)~シネ・リーブル梅田、2月28日~神戸アートビレッジセンター、3月7日~京都シネマ ほか全国順次公開 |
~恋することの輝きと重さと、かけがえのなさ~
恋することの切なさ、切実さは、幾つになっても、変わることはない。失恋して、こっぴどく受ける痛手は、年をとるほど、立ち直れないくらいに重くなるものだろうか、それとも……。恋するあまり、危うい冒険をしてしまう男の姿を、冬の凍てついた町、美しい湖畔を舞台に、淡々と描き、恋する喜びと悲しみと、それでもなお、恋にめぐり合えた幸せを伝えてくれる。
マクシムは、かつて少しは名の売れたロックミュージシャン。中年となり、パリでの生活に限界を感じ、ブルゴーニュの山間の小さな町、トネールの実家に帰ってくる。地方日刊紙の取材に来たメロディに一目惚れ。20歳ほどの年差を超えて、恋に落ちる。雪の降る中、ガラス越しに、踊るメロディを熱く見つめる表情は、恋する喜びできらきら輝き、まるで少年のよう。しかし、ある日突然、メロディからの連絡が途絶え、ロリコン男と侮辱するメールが届く。メロディに冷たくされ、現実を受け入れられず、怒り、苦しみ、泣き叫ぶマクシム。別れた彼氏と寄りを戻したとメールで知らされても、信じられない。一途な思い込みは暴走し、危険な行動に出る……。
恋は盲目とはいえ、マクシムがしでかしたことは、世間的には許されない。でも、なぜか狂気も必然に思えるし、大らかに見守りたくなる。頭が少しはげて、色白でロン毛の、決してかっこいいとはいえないマクシム。でも、思わず引き込まれて見入ってしまうのは、マクシムを演じるヴァンサン・マケーニュの、誠実さともろさと情熱をあわせもった独特の存在感ゆえ。ぎりぎりのところで、嘘はつけないと言った彼のありよう、誠意が、狂気に狩られた彼の行為も、愛の深さゆえと受け入れてしまう。愛の女神は、きっとマクシムにそっと微笑みかけ、甘酸っぱい何かを残してくれる気がする。
特筆すべきは、マクシムの父クロードの存在。サイクリングをしたり、女性とつきあったり、自由奔放に人生を謳歌している。かつて妻を置いて、20以上年下の娘と姿をくらまし、湖のほとりで過ごしたことをマクシムに責められ、「あの3か月はちっとも後悔していない。永遠に自分のものだ。誰にも奪えない」と言い切る。過ちであっても、本人にとっては、生涯忘れ得ぬ大切な思い出。マクシムの場合、それが行き過ぎだったとしても……。
クロードを演じるのはベルナール・メネズ。70歳近くというのに、飄々とした存在感がいい。息子のためにワインを抜いたり、食事を用意する立ち居振る舞いは、ジャック・ロジエ監督の『オルエットの方へ』(1971年)で、若い女性たちに袖にされながらも、甲斐甲斐しく世話をする姿をほうふつさせ、当時と変わらない姿はファンにとって嬉しいかぎり。
詩の好きな犬が登場する。クロードに拾われた、悲しげな犬。クロードが詩を読むと、起き上がり、寄ってきて、詩に聞き入る。けなげな表情は、どこかマクシムに似ている。さみしがりのマクシム。ラスト、自転車からとらえた、過ぎてゆく雪景色の力強さから、それでも春はやってくる、希望を見失ってはいけないと、つくり手の優しさを感じずにはいられない。傷ついた分だけ、何かは残るのだ、きっと……。人は誰もなにかしら足跡を残す。きっとマクシムもいい歌を生み出すにちがいない。
(伊藤 久美子)
公式サイト⇒http://tonnerre-movie.com/
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