「ブラジル」と一致するもの

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津軽三味線奏者、高橋竹山を通して見える日本の地方と音楽の在りよう
『津軽のカマリ』大西功一監督インタビュー
 
明治末期に生まれ、幼少期に視力を失い、三味線を弾き門付けをしながら生きてきた初代 高橋竹山。後に津軽三味線の名人と呼ばれ、数多くの津軽民謡を編曲し、独奏者としてその名を残した竹山の人生とその演奏が蘇るドキュメンタリー映画『津軽のカマリ』が、2019年1月11日(金)よりシネ・リーブル梅田、1月12日(土)より京都シネマ、今冬元町映画館ほか全国順次公開される。
 
監督は前作『スケッチ・オブ・ミャーク』で宮古島の「古謡」や「神歌」、御嶽(うたぎ)での神事に密着した大西功一監督。竹山の素晴らしい演奏やその苦節の人生を体感できるだけでなく、沖縄、滋賀とロケを敢行し、普遍的な音楽、土地の歴史を追求する壮大な作品に仕上がっている。大西功一監督に、お話を伺った。
 

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■学生時代から興味を持っていた高橋竹山を通して、津軽のカマリ(匂い)を描く

――――いつ頃から、津軽三味線の第一人者である高橋竹山さんに注目していたのですか?
大西:学生時代にテレビ等多くで取り上げられていたこともあり、竹山さんのことは知っていましたし、興味を持っていました。病気のせいで盲目となり、何もしなければ飢えてしまうような状況の中、音楽で食べていくという時代ではなかった(大正〜昭和初期)にも関わらず、なんとか津軽三味線を弾いて生きるしか、竹山には道はなかった。そこから昔の日本の風景が見えてきます。僕達が生まれた頃には音楽産業が既に出来上がっていたので、お金を出して音楽を聞くことが当たり前になっていますが、元々音楽はそうではなかった。そういう元々の日本の地方の在りよう、音楽の在りようが、竹山を通して見えてきました。
 
――――前作の『スケッチ・オブ・ミャーク』では、宮古島での「古謡」や「神歌」、女性が中心となって執り行う御嶽(うたぎ)での神事に密着していました。今回はぐっと北上しましたね。
大西:98年に鈍行列車で東北各地を廻ったのですが、北上した津軽半島の十三湖の風景や、湖と海とが繋がる境界に架けられた橋から流氷の大群、そして無数の地蔵の姿を見た時、東北への想像を遥かに超える巨大な悲しみをたたえた風景やその絶叫を聞き、いつかは津軽を題材に映画を撮りたいと思いました。
時が経ち、『スケッチ・オブ・ミャーク』公開後に次回作のことを考え、津軽を再訪しました。僕の知り合いが竹山と同じ平内町出身というご縁で、初代・高橋竹山の弟子達が作った竹伸会の民謡教室を見学させていただいた時、竹山の直弟子、八戸竹清さんや、竹山の孫、哲子さんとの出会いがありました。また、僕はイタコ(東北北部で口寄せを行う巫女)が唱える呪文や歌のように聞こえる音が歌の原点のように思え、自分にとって大事なものとして、その音源を所有して聞いていることを話すと、哲子さんが「私のおばあちゃんがイタコだった」とおっしゃって。翌日お宅にお邪魔させていただき、竹山の奥様、ナヨさんが使った道具を見せてもらったり、祭文が入ったカセットテープを聞かせていただきました。本編でもたくさんその声が入っています。また、十三湖を再訪すると、流氷はなかったものの、同じ土地の空気感を思い出しました。旅行を終え、東京に帰った時に、竹山を中心にして津軽を描けばいいのではないか。竹山の原体験を描くことで、津軽を描くことにもなりますし、縦の歴史にも繋がっていく。僕が映画で映し出そうとしたことが津軽のカマリ(匂い)だし、竹山が音で表そうとしたのも津軽のカマリですから。
 
 
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■竹山自身が「津軽のカマリ」を超えて、宇宙のような普遍の領域まで到達している

――――私は本作で初めて高橋竹山さんの三味線演奏を聞いたのですが、非常に軽やかで小気味好く、感動しました。大西監督が感じる竹山さんの三味線の魅力とは?
大西:ブラジル民謡とか沖縄の音楽は、根底には悲しみがあるものの、すごくカラッとして洗練されている感じがするのですが、竹山の三味線もそうですよね。竹山の生い立ちを聞いて、ブルース的なものを想像していると少しズレを感じると思うのですが、そのカラッとした感じがいい。後は、竹山自身が津軽のカマリを超えて、世界に通じる人間の本質や生命、ひょっとしたら宇宙のような普遍の領域まで到達している感じがします。
 
――――今回、高橋竹山さんの色々な音源や映像が盛り込まれていますが、どのようにそれらを選択し、編集していったのですか?
大西:竹山は有名でしたし、テレビでも度々紹介されていたので、アーカイヴがあることには安心していました。今回は青森放送に多くをご協力いただいています。加えて、渋谷ジァンジァンという小劇場が作っていた竹山のビデオ映像を採用しています。晩年のものはドキュメンタリー映画『烈 ~津軽三味線師・高橋竹山~』の映像をお借りしました。
竹山が最後に三味線を手にしたという夜越山温泉の映像は、施設のスタッフが撮影したホームビデオです。
 
――――最後の温泉での演奏は、生涯を津軽三味線と共に生きた竹山の生き様が生々しく伝わってきました。厳しい自然と対峙してきた津軽の人々の歴史にも触れていますね。
大西:米作がメインだったので、豊作の時は米を高値で取引でき、人々も豊かだったそうですが、冷害が多いのでその時は大変だったと思います。労働歌も昔は今みたいに音楽を再生する装置がないので、単純作業をしている時に自分で歌いながら作業をした方が、気がまぎれる。そんな中にどんどん歌が生まれてくるし、替え歌も生まれてくる。姑や夫の文句の替え歌も、きっとあったと思いますよ(笑)。
 

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■民謡の歌い手より格下だった三味線弾きが、独奏でレコードデビューするまで

――――確かにそれは気が紛れます(笑)竹山さんは、元々歌の伴奏者で、後に今でいうインスト奏者として独立されたのですね。
大西:最初、師匠の戸田重次郎から基本の独奏を3曲教わっています。歌のある曲のメロディーを三味線で弾く曲弾きと呼ばれるもので、当時は津軽民謡もその3曲ぐらいしかなかった。しかもほとんどは歌が聞きたいので、三味線の独奏を求められることは滅多になかったのです。
当時、津軽民謡の大御所、成田雲竹は青森の方々に出向いて土着の歌を収集し、竹山に伴奏をつけさせました。それで今、津軽民謡がたくさん残っている訳です。竹山自身が編曲しましたから、それを曲弾き(独奏)できるのは自然なことです。
その後、キングレコードの斉藤幸二氏が成田雲竹の伴奏で弾いている竹山の三味線に興味を示し、雲竹を通して竹山と出会います。当時は民謡の歌い手と三味線弾きとはギャラも一桁違い、三味線弾きは見下されていました。でも竹山は三味線だけの演奏を披露することをどうも狙っていたようで、その後キングレコードから「津軽三味線高橋竹山」を53歳で発売し、7万枚のヒットを記録しました。そこから労音から声がかかります。それまではクラッシックを中心に聞く会でしたが、民謡を聞く会を開き、そこで初めて聴衆の前で津軽三味線の独奏を披露して、竹山は大喝采を浴びるのです。
 
――――まさに日本のフュージョン音楽のはしりのような存在ですね。本作では津軽三味線を作るところにもスポットを当て、蚕の糸から弦を作るということで滋賀県でもロケを行っているのも興味深かったです。
大西:これも偶然の出会いだったのですが、『スケッチ・オブ・ミャーク』の上映会をした時に、主催者である陶芸家の友人が近くに三味線の弦を製造する工房があると教えてくれたのです。今はほとんどが化学繊維の糸を弦に使用しており、蚕の糸を使って弦を作る工房は日本では2箇所だけしか残っていないと。7月に行けば、蚕を仕入れるので製造工程を見ることができると教えていただき、撮影しに行きました。竹山も三味線の弦を作ってもらっていたそうです。
 
 
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■沖縄、津軽「土地の慰霊」に繋げたい

――――18歳で既に60代だった竹山に弟子入りし、竹山が亡くなる前年に襲名した二代目高橋竹山さんも本作に登場し、師匠の思いを辿る旅をしています。この旅での狙いは?
大西:竹山は沖縄でひめゆりの塔にも立ち寄り、ステージでは絶句して涙したと本に書かれています。今回、二代目と一緒に沖縄をなぞり、また二代目も久しぶりに沖縄でライブを行いました。もう一つ、東北で飢饉凶作のことを描いていますが、土地の慰霊に繋げたいという気持ちがあります。沖縄のシーンもその意味を込めています。沖縄戦の哀しい事実があると同時に、内地の人も沖縄で戦い亡くなっている。そういうことも伝えたかったのです。
 
――――初代の記憶を辿る旅から、最後は襲名後初となる青森市のライブに結実していきますが、二代目と共に旅をした大西監督から見て、彼女の中にどんな変化を感じましたか?
大西:ライブが俄然良くなったと思っています。沖縄のライブも良かったですし、その後の青森初のライブももっと良くなっていました。今はいい意味で力が抜け、歌声も落ち着きが出ましたね。やはり華があります。
 
――――竹山に話を戻すと、竹山は日本全国を廻りながらも、最後まで津軽を拠点にして活動し続けました。これも竹山らしさを感じる部分だと思うのですが。
大西:戦後に大民謡ブームが起こり、やはり東京で仕事が多いものですから、津軽から腕利きの三味線弾きや民謡の歌い手がみんな東京に流れてしまった。だから青森放送の民謡番組の伴奏は竹山が一人で何時間も伴奏し続けていたそうです。奥様がイタコだったので青森を離れることができないという事情もあったと思いますが。
 
 
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■音楽と喋ることとの境界線は?音楽を掘り下げるうちに本質的なことに到達

――――この作品を見ていると、日本の音楽史を紐解いているようにも見えます。
大西:音楽と喋ることとの境界線って曖昧ではないかと僕は思うんですよ。お経だっていわば歌ですし。鳥の鳴き声も歌以外の何者でもないと捉えています。
 
――――大西監督はかなり若い頃から、普通にレコードで聞くような音楽以外の音も、音楽と捉えていたのですか?
大西:20代後半ぐらいからでしょうか。ロックの歌詞に照らし合わせて、自分自身や社会のことを考えたり、ロックの音自体に現代を生きることの苦しい感覚が重なったり。でもだんだんとロック自体が機能しなくなってきた時代があり、その時に音楽とは、歌とは何だろうと考え始めたのです。そこから『スケッチ・オブ・ミャーク』や竹山に繋がって行きました。もっと本質的なことを見ていかなければいけないと。
 
――――自分が生まれた時代に既にあった音楽から、もっともっと遡る必要があった訳ですね。
大西:それは音楽だけの問題ではなく、社会や生きること、食べることと繋がっていくのです。僕が今、函館で住んでいるのも、食のことを手がけたかったからなのです。
 
――――食に関心を持つようになったのはいつ頃からですか?
大西:『スケッチ・オブ・ミャーク』にて、宮古島で儀式の継承が危機である事実を知り、僕なりに撮りながらどうするべきかを考えさせられました。彼女たちがやっているのは五穀豊穣や安産祈願など生活の中の切実な願いに対する祈りなのですが、五穀豊穣と言いながらも今はほとんど穀物を作っておらず、サトウキビに偏っていて、スーパーでは島外から輸送された食物が季節を問わず豊富に陳列されている。一方儀式のためにクジで選ばれた女性の司たちは、厳格な所では年間100日ほどの務めがあり、辞退する人も出てくる訳です。例えば粟の豊作祈願をする場合にも、その時神様に奉納するミキ(発酵飲料)を作るのですが、その材料となる粟の大部分を輸入物に頼っている。そこまでして豊作祈願をしなければいけないのか。ご先祖が続けてきたことをすることによって、ご先祖や神様と繋がるという普遍的な部分は明らかにあるのですが、そもそも何のためのお願いだったのかという点が抜け落ちていることに気付いたのです。選ばれる司の女性が大変な思いをしているのなら、収穫してもいない豊作祈願を行うことを見直し、負担を減らして続ける方法はないのか。僕は撮影中そういう思いを抱いていました。
 
 
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■五穀を取り戻す運動から、本当の意味でのいきた神歌が継承できると確信

――――現代において、食や祈りを考え直すきっかけは、そこにあったのですね。
大西:その後映画を作り終わって2ヶ月後に東日本大震災が起こり、スーパーマーケットから食べ物が一時的ですがなくなり、その時はショックでした。これが長期化するとマズイことになると思った時に宮古島の状況に思いを馳せると、災害時に島民の命を守る五穀が、ここまでなくなってしまったこと自体が問題であることに気付いたのです。五穀豊穣祈願を見直し、削った方がいいと思ったけれど、時間をかけてでもプランを立てて、命を繋げるだけのもの、五穀を取り戻す運動をしていけば、本当の意味での神事も継承され、また本当の意味での生きた神歌が歌われるだろうと分かりました。
 
今は一般の人と、作物を作る人との間を繋ぐような役割が必要であると感じ、一軒家でレストラン(café&market「プランタール」)を経営しています。菜園を作り、そこで作った野菜や近隣の提携農家から届いた野菜を使ったお料理を提供しています。直売もやっていますし、ゆくゆくは家庭菜園を普及させていきたいと思っています。高齢化社会の中、シニア世代が作った野菜をお互いに分けあうことで、地域コミュニティも活性化しますし、先細りしていく年金頼りで、若い人たちのお荷物になってしまうような高齢化の構造を逆転できる。音楽の原点を見つめていくうちに、自ずと人間の原点に到達したという思いがあります。種を植えてから実り、またその種を植えてそれが芽を出すまでを見ていると、絶対の真実がそこにありますから。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『津軽のカマリ』(2018年 日本 104分) 
監督・製作・撮影・編集: 大西功一(『スケッチ・オブ・ミャーク』)
出演:初代 高橋竹山、二代目 高橋竹山、高橋哲子、西川洋子他
2019年1月11日(金)~シネ・リーブル梅田、1月12日(土)京都シネマ、今冬〜元町映画館ほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://tsugaru-kamari.com/   (C) 2018 Koichi Onishi

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ernesto-inta-di-550.jpg『エルネスト』阪本順治監督インタビュー

■2017年 日本=キューバ合作 2時間4分 
■【脚本・監督】:阪本順治 (『顔』、『闇の子供たち』、『大鹿村騒動記』、『団地』)
■【出演】:オダギリ ジョー、ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ、永山絢斗
■2017年10月6日(金)~TOHOシネマズ梅田ほか全国ロードショー!
公式サイト⇒ http://www.ernesto.jp
■(C)2017“ERNESTO”FILM PARTNERS

★作品紹介⇒こちら
★舞台挨拶レポート(9/21)⇒こちら



~見果てぬ夢に生きる男たち…阪本順治監督の初挑戦。~

 

チェ・ゲバラといえばキューバ革命で知られる歴史的英雄。それ以上に、学生運動に一度は情熱を燃やした日本の多くの学生たちの“究極の目標”にして反体制の象徴でもある。そんなカリスマと行動をともにし、戦った日系人がいた…、ほとんど誰にも知られていない、その男の名はフレディ前村ウルタード。“歴史に埋もれた男”を主役に据えて阪本順治監督が撮りあげたのが『キューバの恋人』(69年)以来48年ぶり日本・キューバ合作の『エルネスト』だ。


ernesto-550.jpgデビュー作『どついたるねん』(89年)や『顔』(00年)など型破りな映画を作り続けて評価が高い阪本監督が、長編映画として初めて“実在の人物”を主人公にした画期的な「阪本作品」でもある。主演はオダギリジョー。


主人公のエルネストはゲバラ本人からファーストネームを授けられ、戦士名「エルネスト・メディコ(医師)」と呼ばれたが、ボリビアの山中で25歳の若さで散った。先ごろキャンペーンで大阪にやって来た阪本順治監督にこの“異色作”について聞いた。



――大変に生真面目な作品。これまでの作風とはかなり違うが、ズバリ製作動機は?
阪本監督「これは私の初めての青春映画です。こんな日系人がいた、ということを誰も知らない。私も若いときに“監督になりたい”と思って、それからはわき目も振らずに一途に監督になるために邁進してきた。自分で大義を掲げたら悩まない、そういう生き方は分かるし、共感も出来ます。エルネストは実直でナイーブ、デリケート。こんなにまじめな映画はほかにない、といろんな人に言われました」。


ernesto-500-2.jpg――はじまりは?
阪本監督「4年前、ポシャった映画の主人公の一人に日系移民がいた。そのために調べていたら、ブラジル、ペルー、ボリビアあたりで有名な日系移民でフレディ前村という人がいたことを知った。医師になるためにハバナ大学に留学し、チェ・ゲバラと行動をともにしたという。興味を牽かれて、まずご家族に会い、ご家族が書かれた著書『革命の侍』という本を読み、キューバ留学してからの学友の方々と会って、内容を固めていきました」。


――何度か現地にも行くなど、撮影には苦労が多かったのでは?
阪本監督「最初は合作が可能かどうか、でしたね。相手は社会主義国ですから。あちらではまずテレビと映画の2本のラインがあって、どちらにするか考えるところから始まった。最終的にテレビの方になりました。ゲバラご家族のカミーロさんに会って(映画化の)許可をもらい。姉のマリーさんにも会いました。50年前のキューバの事情など、調べるのはもちろん大変でしたが…」。


ernesto-500-1.jpg――クランクインは広島からだった。
阪本監督「ゲバラは日本に来て、広島を訪問して、原爆慰霊碑に献花している。日本人としてぜひ、このシークエンスから映画をスタートさせたかった」これが監督のこだわりだった。この場面で登場するのが中国新聞の林記者(永山絢斗)。監督は林記者の娘さんから記事と取材メモを提供してもらい、実ゲバラに迫った。この記者役を演じたのは「阪本作品出演を熱望していた永山絢人」。彼は撮影1週間前に単身広島入り、平和記念公園でお祈りをして本番に臨んだ。映画エルネストには、こうした内面の力が働いているようだ。原爆慰霊碑に献花するゲバラ…極めてインパクトの強いこの写真も、林記者の取材がもたらした“奇跡”の写真だった。


主人公・フレディ前村ウルタードは阪本作品3度目のオダギリジョー。原作の『革命の侍』や脚本から「自分と似ている部分を探すことから始めた」そうだが、監督から“オダギリのままでいい”と言われた、という。監督はフレディ前村と似ている、と感じていたのだろう。」自分であり続けたオダギリは、全編スペイン語、それもボリビア・ベニ州の方言という至難の役作りに多くの時間を費やした。


ernesto-500-3.jpgフレディ前村=オダギリに阪本監督は深い信頼を寄せていた。面倒な外国語を当然のようにマスターし、12㎏も減量するような“苦行”をやって当たり前、それを自慢など絶対しない、それこそが役者である、ということが身体に染み込んでいる。それこそゲバラと接点がある、と思う。


映画『エルネスト』の冒頭、チェ・ゲバラのゲリラへの定義が字幕で流れる。  「もし我々を空想家のようだと言うなら、救いがたい理想主義者だと言うなら、できもしない事を考えていると言うなら、我々は何千回でも答えよう。その通りだと」。この定義か、はたまた“宣言”こそがこの映画『エルネスト』の骨子ではないか。


“夢見る男たち”はキューバで大仕事を成し遂げ、それは世界中に伝播した。多少でも近づくべく、エルネスト・チェ・ゲバラの書『ゲリラ戦争  武装闘争の戦術』を繙いた。そこには半世紀以前の革命戦術、ゲリラのあり方が極めて具体的に、極めて生々しく書かれていた。キューバ革命を例にあげ、今にも世界中で武装闘争がぼっ発しそうな熱がこもっていた。革命を志すゲリラたちは「救いがたい理想主義者、夢に生きる男」に違いない。彼らは今もまだ“夢の中”にいて、“夢の続き”を見ているのかも知れない。


(安永 五郎)

 

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『メカニック:ワールドミッション』特別試写会プレゼント(9/5〆切)

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■ 提供:株式会社博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
■ 日時:2016年9月15日(木)  
    18:00開場/18:30開映
■ 会場:大阪商工会議所国際会議ホール 
     大阪市中央区本町橋
2-8
*大阪府の条例に基づき、16歳未満の方は保護者同伴でご来場いただきますようお願いいたします。

■ 募集人数:5組10名様

■ 締切:2016年9月5日(月)


★公式サイト⇒ http://mechanic-movie.com/

2016年9月24日(土)~梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都、109シネマズHAT神戸 他全国ロードショー

 


 
ジェイソン・ステイサム最新主演作!アクション映画の傑作『メカニック』続編、遂に始動!
舞台は世界、ミッションは3つ、依頼人が最大の敵――。


mechanicWM-400-1.jpg殺し屋稼業から足を洗い、平穏に暮らしていたビショップ(ジェイソン・ステイサム)のもとに、暗殺の依頼が入る。依頼主は、幼少期に暗殺者として一緒に育てられたが、ある日ビショップを裏切って逃走した兄弟子のクレイン。ビショップは断るが、何の罪もない女を人質にとられ、やむなく復帰する。ターゲットは3人、武器商人として世界を裏で操る巨大フィクサー。条件は完全な事故に見せかけて殺すこと。しかしやがて、クレインはこの世でただ一人、精密機器=メカニックと呼ばれる彼の弱点を知る男であることから、ミッションが失敗しても成功しても、自身も女も消されることに気づくビショップ。果たして、超難関ミッションの行方は?そして、クレインの真の目的とは──?

今やハリウッドを代表するアクションスターにのし上がったジェイソン・ステイサム。アクションに身を捧げた圧巻のキャリアの中でも、必見の1本と熱く支持される『メカニック』。その待望の続編となる本作では、ブラジル、タイ、オーストラリア、ブルガリア等、舞台をワールドワイドに広げ、ステイサムの新たな代表作にして集大成となるアクション超大作に。さらにキャストも、演技派俳優の重鎮トミー・リー・ジョーンズ、多彩な作品に出演するだけでなく、ブランドの経営者としても成功しているジェシカ・アルバ、007のボンドガールとしても知られ、女性アクションスターの先駆けとして活躍するミシェル・ヨーと豪華にパワーアップ。ただ1人、初めてにして最大の危機に立ち向かう伝説の殺し屋が復活する!


監督:デニス・ガンゼル
出演:ジェイソン・ステイサム、ジェシカ・アルバ、トミー・リー・ジョーンズ、ミシェル・ヨー

2016年/アメリカ/カラー/配給:ショウゲート
(C)ME2 Productions, Inc. 2016

2016年9月24日(土)~梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、T・ジョイ京都109シネマズHAT神戸 他全国ロードショー

 


 (プレスリリースより)

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『ペレ 伝説の誕生』試写会プレゼント(6/19〆切)

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■ 提供:アスミック・エース
■ 日時:2016年6月27日(月)  
    18:00開場/18:30開映
■ 会場:大阪商工会議所国際会議ホール 
     大阪市中央区本町橋

■ 募集人数:5組10名様

■ 締切:2016年6月19日(日)

★公式サイト⇒   http://pele.asmik-ace.co.jp/ 

 

2016年7月8日(金)~TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマ 他全国ロードショー

 
 


 
アカデミー賞に輝く豪華製作陣が贈る、2016年夏、最も熱くなる感動と興奮の実話! 

 

2016年夏、南アメリカ大陸では初めての開催になる、ブラジル/リオデジャネイロオリンピック。連日、オリンピックに関 するニュースで賑わい、ブラジルに注目が集まっています。この度、そのブラジルの英雄で、20世紀最高のアスリートと評価を受けるサッカーの王様“ペレ”の誕生を描く、映画 『ペレ 伝説の誕生』が、7月8日(金)より大阪ステーションシティシネマ他にて全国ロードショーいたします。


pele-550.jpg1958年、スウェーデンW杯。わずか17歳の少年ペレは崩壊寸前の母国ブラジル代表を救い、世界の頂点へと導きます。 スラムしか知らない少年がプロチームに入団してから、わずか18か月後の偉業でした。全国民の期待を背負い、少年ペレが選んだ絶望を希望に変える“禁じられた切り札”。世界中がその背中に憧れ、エースナンバー“10”の原点となった少年の偉業の知られざる真実とは―――!?


この偉大なドラマを作り上げたのは『ファベーラの丘』で20の 映画賞に輝いたマイケル・ジンバリストとジェフ・ジンバリスト兄弟監督。そして、『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー賞歌曲賞、作曲賞に輝いたA・R ラフマーンが音楽を担当し、『ブラック・スワン』でアカデミー賞撮影賞にノミネートしたマシュー・リバティークが鮮やかな映像を切り出します。製作総指揮は『ビューティフル・マインド』でアカデミー賞作品賞を受賞したブライアン・グレイザー。アカデミー賞にも輝く豪華製作陣が贈る、2016年夏最も劇場を熱くなる、かつてない興奮と感動のクライマックスをお届けします。


『ペレ 伝説の誕生』

pele-500-1.jpg製作:ペレ、ブライアン・グレイザー『ビューティフル・マインド』『ラッシュ/プライドと友情』
脚本・監督:ジェフ・ジンバリスト『ファベーラの丘』 、マイケル・ジンバリスト
撮影:マシュー・リバティーク『ブラック・スワン』 音楽:A・R ラフマーン 『スラムドッグ$ミリオネア』
キャスト:ケヴィン・デ・バウラ、ディエゴ・ボネータ『ロック・オブ・エイジス』、コルム・ミーニイ『ワン チャンス』セウ・ジョルジ『シティ・オブ・ゴッド』、
ヴィンセント・ドノフリオ 『ジュラシックワールド』ロドリゴ・サントロ『300〈スリーハンドレッド〉』
2016年アメリカ/107分/スコープサイズ/5.1chサラウンド/日本語字幕翻訳:風間綾平 配給:アスミック・エース
公式HP:http://pele.asmik-ace.co.jp/  © 2015 Dico Filme LLC

2016年7月8日(金)~TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマ 他全国ロードショー


 (プレスリリースより)

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『若き詩人』ダミアン・マニヴェル監督インタビュー
 

~詩人を夢見る青年、レミの迷い道が瑞々しく描かれる、珠玉のフランス発インディーズ作品、上陸!~

 
まるで水彩画のように淡く、透き通った色合いの映像が、陽光降り注ぐ南仏の海辺をやさしく映し出す。そこにいるのは、詩人になりたいと、ノート片手に街を歩き回る青年、レミ。カッコイイのに、どこかファニーな部分も漂う非モテ男子は、街の漁師に話しかけ、リゾートで親戚の家にやってきたカメラ女子の手モデルをしてみたり、大好きな詩人が眠る墓地で向かい合い、自分が作った詩を披露したりする。
 
詩を作るというとても私的、内面的かつ地味に思える行為をテーマにしながら、一方で街の人々とコミュニケーションを取りながら自分を見つめ、苦悩する青年のリアルな姿を、独特のテンポでカラリと描いた『若き詩人』。本作が初長編作となるダミアン・マニヴェル監督と、今回併映される短編『犬を連れた女』でも主演のレミ・タファネルががっぷり組んで作り上げたインディーズ作品の本作は、ロカルノ映画祭で特別大賞を受賞し、フランス映画界でも大きな話題となった。フランス映画の新しい時代を予感させる才能に、思わずワクワクさせられることだろう。
 
本作上映に合わせて来日したダミアン・マニヴェル監督に、映画着想のきっかけや、主演のレミ・タファネルとの映画づくり、どんどん進化してきた自身の映画制作手法についてお話を伺った。
 

 
―――本作の舞台となった場所は海や坂があり、作品中でも「詩を作るのに適している」と言われるほど魅力的でしたね。
フランスのセットという地中海に面したリゾート地で、イタリア系の方がとても多い地域です。僕自身が小さい頃からよくバカンスで行っており、既に街全体の雰囲気や、小さい通りをよく知っていました。映画を撮るにあたって、自分が既によく知っている場所であることは必要不可欠でしたから。
 
―――詩を作るという非常に個人的、内面的で地味な行為を映画の題材にしようとした理由は?
レミの人物像に、詩の創作がとても合うと思いました。レミの世界の見方や考え方、それを言い表す方法は、彼が現代の詩人になることが可能であると思わせてくれます。
 
 

■皆、こっそりと詩を書いていたことがあるけど、個人的すぎて誰にも見せたくないのではないか。

―――日本人はあまり詩を身近に感じる環境ではないように思いますが、フランスは小さい頃から詩に親しむ習慣があるのでしょうか?
日本と同じような状況ではあると思います。生活から詩はすでに遠いものになっています。だからといって、詩が我々に全く必要ではないとは言い切れません。若者は詩という表現方法だけに固執せず、音楽や絵など、様々な表現方法から自分に合うものを探しています。僕の映画を上映したときに、若い観客が僕のところまでわざわざやってきて、自分も詩を書きたいんだとそっと告げてくれることがあります。皆、こっそりと詩を書いたことはあるけれど、誰にも見せないし、誰にも伝えたくないのではないかと感じています。私も18歳の頃詩を書いたことがありますが、とても個人的なものすぎて、誰にも見せたくないものでしたから。 
 
―――主人公、レミが度々墓地を訪れ、墓石に向かって対話するシーンが描かれていますが、実際に有名な人の墓があるのですか?

 

ポール・バレリーのお墓に向かって話をしています。世界的に有名な詩人ですが、私たちは映画の中で彼の名前を出していません。映画の中で誰の墓かは大切なことではなく、一番大切なのはレミ自身が偉大だと思っている詩人と会話をしているということなのです。
 
 
 
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■夢見がちな少年を探していて出会えた主演のレミ・タファネル。撮影中も合わせる努力をしながら、彼の提案を全部試してみた。

―――主演のレミ・タファネル君は、カッコイイのにちょっとヘンな独特の雰囲気を持つ好青年です。今回同時上映される短編『犬を連れた女』から2作連続で彼を主演に映画を撮っていますが、レミ君との出会いや、彼との映画づくりについてお聞かせください。
『犬を連れた女』の共同脚本、レミ・エステファル氏がレミ・タファネル君を見つけ、私に会うようにと勧めてくれました。その頃僕は、夢見がちな少年を探していたのですが、レミ君は会った瞬間、本当に気に入りました。まさにパーフェクトです。同時に彼はスペシャルな少年なので、通常なやり方では無理で、私が彼に合わせなければいけないこともすぐに分かりました。ですから撮影中もレミ君に合わせる努力をしました。彼はとても想像的な少年で、勇気もあり、リスクも取ります。様々なことを提案してくれるので、それを採るか採らないかは僕の判断ではありますが、それらは全部試してみました。特に『若き詩人』では、彼も私のやり方を分かっていますし、私も彼がどんな出方をするか分かっているので、とてもカッチリと組み合わさった感じで撮影できました。出演者もレミ君以外は、全てセットに実際住んでいる方ばかりです。エンゾ君も実際に現地で漁師をしています。バーでレミ君がおばちゃんに「あんた、迷ってそう」と話しかけられますが、それも本当にその場で起こったことで、何も仕込んでいません。
 
―――なるほど、シナリオが全てある訳ではなかったのですね。現場では、レミ君にどんな指示を出しながら撮影していたのですか?
古典的なシナリオという感じのものはありませんでした。毎日新しいアイデアを見つけるよう努力しました。まるで、映画を撮りながら物語を書いているような感じです。本来はまずシナリオを書き終えてからテストをし、撮影していくのですが、私たちはまず最初にテストをし、それからシナリオらしきものを書くような感じで進めていきました。いくつかのシーンは前もって書いていますし、いくつかは全く即興で撮りました。ですから1つだけのメソッドというものは私の映画にはありません。まず何が起きているかやってみて、眺め、それから決めていきました。
 
 

■新しい作品を撮るごとに、スタッフの数もシナリオの量も減っていき、逆にストーリーを語れるようになった。

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―――今まで短編4本を撮られていますが、短編時代から今回のような撮り方をされてきたのでしょうか?それとも、初長編の本作でシナリオではなく、まずはテストというやり方を取り入れたのでしょうか?
とても興味深い質問です。僕は1作撮るごとに進化を遂げ、今回のやり方に近づいていきました。最初の『男らしさ』という短編では、スタッフが20人もいました。新しい作品を撮るごとに、だんだんスタッフの数が減っていったのです。シナリオを書く量もどんどん減っていきました。撮影を重ねるごとに、段々ストーリーを語るようになってきたのです。今思えば、自分のやり方を探していたのでしょう。普通に考えると、変わったやり方で撮れば撮るほど、映画の内容は少し抽象的になっていくと考えられますし、そういう結果を得られるのが当たり前ですが、私の場合は正反対です。きちんとしたやり方でしないことにより、はっきりと物語性を帯びてきます。物語自体は全然ドラマチックではなく、とにかく自分の範疇に近いもので、僕はそういうものが好きなのです。
 
―――両作品とも、水性絵の具で描いたような透明感のある明るい色調なのが印象的ですが、色の面でこだわった点は?
色に関しては、自然光を使い、人工の明かりを使っていません。この街でどのような明かりがどこに降り注ぐかが分かってくると、後はひたすら待ちました。そこが大変でしたね。
 
 

■フランスの独立映画でも映画を作り続けることは難しい。日本の同世代の監督と、映画に対する思いを交換したい。

―――フランスのインディーズ映画業界は、今どのような構造になっているのですか?
フランスには商業映画、大きなお金を持っている人が独立映画を作る独立商業映画、そしてその下に独立映画があり、私はそこで映画を作り、自分で制作もしています。私たちにとって映画を作り続けることは本当に難しいことです。
 
―――インディーズ映画の上映環境は充実しているのでしょうか?
『若き詩人』はロカルノ国際映画祭でワールドプレミア上映をし、幸運なことに賞をいただき、世界の様々な国で映画を上映する機会を得ることができました。フランス、ブラジルでの配給に続き、日本でも配給されます。監督として映画を撮り、映画を上映することができるのは本当に幸運だと思っています。
 
―――今回の来日でダミアン監督は、日本のインディーズ映画の作り手との交流を図ろうとされているそうですね。
日本の同世代の独立系映画監督と出会いたいと思っています。最初に出会ったのは、ロカルノ映画祭での五十嵐耕平監督です。文化も人種も全く違いますが、映画人としては多くの共通点があると感じました。彼らと話をするにつれ、日本の若い独立系映画監督を取り巻く環境はとても複雑で、厳しいということが見えてきました。でもとても驚いたのは、そのような中でも彼らは映画を作りたいという熱い情熱を持ち続け、努力をやめないのです。私はそういう映画に対する思いを交換したいです。
 
 

■「僕はレミ君に似ている」という声も。日本で上映し、この作品が皆さんの心に触れていると感じられる。

―――既に、広島、福岡で短編が上映されましたが、日本の観客の反応はいかがですか?
国での違いもありますが、映画を上映する部屋が違えば反応は全く違います。日本の観客の方々の反応はとてもうれしいものです。映画を上映し、この映画が本当に皆さんの心に触れていると感じています。特に若い男の子が、「僕はレミ君に似ている」と言いに来てくれたりすると、うれしくて仕方ありません。
 
―――これからもレミ君の成長を、ダミアン監督の作品で観たい気がします。今、準備中の作品や、今後の構想があればお聞かせください。
レミ君に関しては、今後も一緒に仕事がしたいと思いますが、すぐではなく、何年か経て、僕も彼も成長したときに、また一緒に撮りたいですね。私は偶然仕事をするというスタイルが気に入っているので、彼との場合、あまり準備はしたくないのです。またバッタリ出会って、よし!といった感じで仕事をしたいです。今、編集中の長編第2作があるのですが、主人公は15歳の少女で、今までとは全く違った作品になっています。
 
―――ダミアン監督は、10代ならではの揺らぎや迷いを表現することに惹かれるのでしょうか?
青少年と働くのが好きなんですね。こうして考えてみると、全ての年代は興味深く思えます。私自身もよく自問するのですが、私の映画の大きなテーマの一つに「年齢」があるのではないかと最近思っています。年齢だけにフォーカスするだけで、とても多くの話が引きだせ、とても豊かなものが詰まっていると感じます。
 
 

■映画を撮る上で一番大事なのは、自分自身がリスクを取ること。快適な場所に居続けるならいいものを作ることはできない。

―――ダミアン監督が映画を作る上で、一番大事にしていることは?
一番大事にしているのは、自分自身がリスクを取ることです。もし自分がとても快適な場所に居続けようとするなら、全くいいものを作ることはできないと信じています。例えば、ただの道だとか、ただの顔として扱うと、それだけになってしまいますが、リスクを取ることでただ一本の道が映画の中で価値を持ちぐっと現れてきますし、ある人の顔にしても
そうだと信じています。撮影は毎日危険因子を含んだものです。私の撮影で一番リスクを取ることは、例えて言えば「待つ」ことです。とてもストレスが多いですし、イライラもしますが、同時にワクワクもします。まるで釣り師が魚を釣るのをじっと待っているような心持ちなのです。
(江口由美)
 

<作品情報>
『若き詩人』※併映『犬を連れた女』
(2014年 フランス 1時間11分)
監督:ダミアン・マニヴェル
出演:レミ・タファネル
2015年11月28日(土)~シネ・ヌーヴォ、2016年1月16日(土)~シアター・イメージフォーラム
 
 
 
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