「ブラジル」と一致するもの

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今年で9回目を迎える『ブラジル映画祭2013』が、全国6都市で開催される。関西は10月26日(土)から大阪:シネ・ヌーヴォ、11月16日(土)から京都:元・立誠小学校特設シアターで上映される。

全8本の上映作品で長編作品部門では、ブラジル音楽史に大きく名を残すルイス・ゴンザーガ、コンサギーニャ親子の実話に基づく話題作『ゴンサーガ~父から子へ~』や、ダウン症の主人公3人をダウン症の俳優たちが演じる異色コメディー『ぼくらは”テルマ&ルイーズ”』他1本が上映される。

ドキュメンタリー部門でも、ブラジル史に名を残すミュージシャンやサッカー選手、サントスのドキュメンタリーのほか、砂糖の過剰摂取問題を取り上げた社会派ドキュメンタリー『世界中の子どもが危ない』を上映。ブラジルの息吹を映画から感じてみて!

『ブラジル映画祭2013』公式サイト http://www.cinemabrasil.info/

 


ocinefes-550.jpgocinefes-2.jpg「おおさかシネマフェスティバル2013」が3月3日(日)、大阪・谷町四丁目の大阪歴史博物館に満席の280人を集めて行われ、ハイライトの表彰式では主演女優賞・高橋惠子さん、主演男優賞・井浦新さんら豪華ゲストの顔ぶれの登場に歓声とため息が巻き起こった。
同フェスティバルは今年も早くにチケットが完売する人気。高橋聰同委員長のあいさつの後、午前10時10分からベストワンに選ばれ2012年度の「作品賞」に輝いた『かぞくのくに』を上映。終了後にはヤン・ヨンヒ監督、井浦新さんにおおさかシネマフェスティバルの顔、浜村淳さんが加わってトークショーが行われた。

 

 

 

ocinefes-3.jpg監督の経験をもとにした題材の映画化に「北へは帰れなくなり、始末書を書けとも言われました。だけど映画は自由であるべき。政府公認の問題児になろうと決意しました」とヨンヒ監督。井浦新さんは「監督から電話をもらってうれしかった。監督が信頼してくれていると感じながらやれた」。大阪出身の監督には故郷での受賞の意味は大きいようで、感激しきりだった。

 

 

 

 

ocinefes-4.jpg昼食休憩後、午後1時からの表彰式では、同映画祭の創立メンバーでもある大森一樹監督が1月15日に亡くなられた大島渚監督追悼の思いを話された後、故・若松孝二監督に特別賞を贈呈。昨年、若松監督の『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』に主演した井浦新さんが代わって受賞。若松組の常連の水上竜士さんも登場され、井浦新さん、浜村氏とお三方で若松監督の思い出話を繰り広げた。水上竜士さんは「最後までおっかなかった。いつもおせーよ、このヤローという調子だったので、いつもスタンバイしてましたね」。井浦新さんは「60、70年代の歴史を題材に作っている人でした。もっともっと作ってほしかった」と偲んでいた。


<表彰式ハイライト> 

ocinefes-13.jpg【主演女優賞】高橋惠子『カミハテ商店』 
「主演は23年ぶりで、初めての主演女優賞。映画を作った学生と喜びを分かち合いたい。山本監督のおかげで初心に帰って楽しめました。私としては新たな女優としてのスタートが切れます。プロデューサーの夫(高橋伴明監督)に感謝したい」。

 

 

 

 

ocinefes-12.jpg【主演男優賞】井浦新『かぞくのくに』『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』
「三島由紀夫をやらせてもらって、実在の人物に頭を抱えてましたが、(若松)監督からナ ゾる必要はない、お前がやりたいようにやれ、と言われて、ボクなりの日本の美を追求しました」。

 

 

 

ocinefes-11.jpg【助演女優賞】松原智恵子『「わたし」の人生?我が命のタンゴ』『私の叔父さん』
「和田秀樹監督の2作目です。認知症の女優ですが、可愛い女性の役。タンゴでよくなる希望が出てくるんですね。みなさんに知ってもらいたいと思ってやらせてもらいました。仕事はどんな役でも楽しんでやりたいと思ってます

 

 

ocinefes-10.jpg【助演男優賞】青木崇高『るろうに剣心』『黄金を抱いて翔べ』
「大阪・八尾の出身で、三池崇史監督、天童よしみさん、河内家菊水丸さんらがいますが、 これからは私が代表できるようになりたいですね。これはキツイなという役の方がありがたい。これの受賞を機に大きくなりたい」。

 

 

 

ocinefes-9.jpg【新人女優賞】宮嶋麻衣『とめ子の明日なき暴走』
「映画はワクワクしてやらせてもらった。今、このような賞をもらって夢がひとつ叶った。 信頼される女優になりたいですね」。

 

 

 

 

ocinefes-8.jpg【新人男優賞】五十嵐信次郎『ロボジー』
「新人男優賞に選んでくれてありがとう。って130本出てるんだぜ。五十嵐信次郎という芸名は中学高校時代に考えて一度使ってみようと思っていた。シャレのつもりで出て、そのシャレをわかってくれてシャレ賞もらえたのがうれしい」。

 

 

ocinefes-1.jpg【監督賞・作品賞】ヤン・ヨンヒ『かぞくのくに』
「今でも母親は鶴橋で、毎日、にんにく焼いて食べてます。次の映画は企業秘密ですが、同じく家族の映画で自分の家族ではありません」。

 

 

 

 

 

 

ocinefes-7.jpg【脚本賞】西川美和『夢売るふたり』
「この映画で受賞できるなんて、おおさかはなんて素晴らしい。夫婦の物語をやりたくて、2人の犯罪に走る特別な感情を出したかった。おおさかの市民映画祭は雰囲気がとてもいいですね」。

 

 

 

 

ocinefes-6.jpg【音楽賞】谷川賢作『カミハテ商店』
「(詩人・谷川俊太郎の息子だが)小学校の時に詩を書いたが、才能がない、と悟ったのでミュージシャンになった。『カミハテ商店』は情緒を抑えて、ブラジルの楽器ビリンバウを使ってドライな感覚で作りました」。

 

 

 

 

ocinefes-5.jpg【新人監督賞】山本起也監督『カミハテ商店』
「この歳で新人は恥ずかしいですが、映画を志したのが34歳のときなので。“北白川派”の映画は学生さんに教室の中で教えるよりも、映画を作ってしまおうということでやってます。現場は8割が学生さん。『カミハテ商店』は徹底的に寡黙で無愛想に作りました。評価されてうれしい」。

 

 

 

【撮影賞】木村大作『北のカナリアたち』=代理受賞 東映宣伝・井川洋一さん
「『北のカナリアたち』はおかげさまで100万人を動員しました。今日はぜひ出席したかったのですが、次回作の準備のため行けなくなって残念です。今回はどうもありがとう」。

【外国作品賞】『アーティスト』(一色真人 ギャガ株式会社西日本配給支社支社長)
「3D時代にモノクロ、サイレント映画。当たる感じはなかった。でも、逆にそこが新鮮だったのでは」。

 

 

 

 

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『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』中村真夕監督インタビューはコチラ

 

『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』中村真夕監督インタビュー

kodokunatsubametachi-s1.jpg(2011年 日本=ブラジル 1時間28分)
監督:津村公博、中村真夕 
出演: 佐竹エドアルド、鈴木ユリ、佐藤アユミ・パウラ、松村エドアルド、カルピノ・オタビオ他
2012年11月17日(土)~第七藝術劇場、元町映画館他順次公開

公式サイトはコチラ

 日本の製造業を支えてきたデカセギの日系ブラジル人が多く住む浜松市。そこで働き暮らす日系ブラジル人の若者たちに密着し、アイデンティティーの揺らぎや仕事、人生の悩み、差別や不況にも負けず逞しく生きる姿を国境を越えて映し出した青春ドキュメンタリー、『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』が公開される。

 浜松の夜回り先生こと、津村教授に同行して出会った日系ブラジル人の青年たちへの取材、リーマンショックで帰国を余儀なくされた彼らの決断とそれからに密着した中村真夕監督に、彼らの素顔や彼らを取材して痛感したこと、そしてこの作品に対する想いを伺った。 


━━━本作で登場したエドアルドやユリたちに出会い、撮るようになったきっかけは? 
 2008年は日本人がブラジルに渡って100周年で、当時テレビ関係の仕事をしていたのでその取材で浜松学院大学の津村教授(本作の監督)に出会いました。津村教授が夜の浜松の町を回って、日系ブラジル人の青年たちに生活状態を聞いたり、インタビューをされていて、その調査に同行したときに、すごく魅力的な子どもたちだったので「ドキュメンタリーを撮りたいです」と申し出たのがきっかけですね。

kodokunatsubametachi-1.jpg━━━企画ありきではなく、撮り始めてから惹きつけられていった感じですね。
  特に企画という感じではなく、彼らの前向きさや人間性に惹かれて撮り初め、彼らのほとんどが中卒か中学を中退して工場で働いている子が多かったので、義務教育って逸脱できるものなのかと。一応外国籍の子どもに対しては義務教育は薦められているけれど強制ではなく、本人や親が辞めるといえばやめられます。彼らはデカセギの子どもなので、お金を稼ぐことがメインで日本に来ています。親に言われなくても親にあまり迷惑をかけないように、皆早めに働こうと自ら働き始めます。どちらかといえば、そういう方を当時テーマにしていたのですが、突然起こったリーマンショックで離ればなれになる人の話になってしまいましたね。それがドキュメンタリーの醍醐味でもあるのですが。

 ちょうど私もテレビでそういう関係の仕事をしていたので、リーマンショックがらみでブラジル人たちがバラバラになってしまう話をテレビで見ていたのですが、その後1、2ヶ月経つとぱったりその話を聞かなくなってしまう。メディアの悪いところかもしれませんが、一過性でパッと飛びついて終わると引いていく部分があり、個人的には彼らがどうなったのか気になる部分もあったので、それを追いかけて撮った感じです。

━━━「彼女が妊娠している」とさらっと告白したり、皆あっけらかんとしていますね。
  彼らの魅力というのは、強がりを言っているところはありますが前向きで、ラテン系なのかなと思います。「デカセギで苦労したことは、自分たちの人生のカテになる」と皆言うのですが、先祖の代から苦労してがんばってきた人たちの知恵なのかもしれません。

 後はデカセギ特有の渡り鳥みたいな生き方ですね。このタイトルの「ツバメ」というのも、「渡り鳥」という意味で付けたのですが、日本とブラジルの間を行ったり来たりして、どこにでも行けるんだけど、どこにも属せない。どこでも適応できるけれど、どこも自分の家じゃない。だけどHOMEを求め続けている、独特の生き方をしている人たちで、それが魅力的で不思議だなと思いました。

 デカセギという運命を受け入れていて、家族や友人の絆はすごく強いのですが、どこか「いつか別れがくる」と覚悟を持って付き合っているからこそ、絆が強い。そんな感じですね。皆、友達や仲間がいつか帰るだろうなとどこかで予測しながら一緒にいます。

━━━彼ら自身のつながりも強く感じましたが、その中に中村監督はどうやって馴染んでいったのですか?
  津村教授は彼らの教育支援をなさっている方で、そういう意味では元々信頼関係がありました。エドワルドの場合は、私も2年ぐらい彼の元に行っては撮影をしていたのである程度信頼関係はできました。彼は一番強がりの子で、「大学に行く」など立派なことを言っている割には、またこんな失敗をしてしまったのかという部分があって、憎めないです。皆、会って話すとまじめな賢い子で、普通にちゃんとした教育を受けられれば、できると思うのですが、たまたま恵まれない環境にいるので発揮できていないのかもしれません。逆に私はいろいろと学ぶところが多かったです。この年で人生観を持っているんですよね。

━━━差別を受けたりしながらも、日本のことを恨んではいないと彼らが言い切るのには驚きました。
  そうですね。不思議だったのは、彼らと話すと「私たちは外国人の中でも恵まれている方だ」と。デカセギという選択肢を持っているし、日系人ということで、こちらに滞在するのも大変ではないし、中国人やインドネシア人たちに比べたら仕事も大変なことをやらされないし、自分たちは恵まれていると。もちろん差別や、何もしていないのに警察から職務質問をしょっちゅう受けるという話は聞きますが、与えられた環境でベストを尽くすといった感じですね。皆「日本に来れてよかった」と言いますよ。 

━━━その後ブラジルに帰国した彼らを追いかけた訳ですが、住環境や仕事環境、勉強の環境、ブラジル国内での地域差が映し出されていました。実際に撮影して彼らが日本にいた時に比べどういう部分で成長していましたか? 
 よくみんなブラジルでやってるなと思います。日本は安全なので、「向こうは怖い」と言いますね。コカの家はデカセギでお金を貯めて、そのお金でアパートをブラジルに建てて、家族はそこの家賃収入で暮らしているのですが、それ以外の帰国した子たちは親戚の家などに身を寄せて、家自体はきれいのですが、そこに何人も住んでいるので狭苦しい感じです。ブラジルは経済格差がすごくあるので、賃金が安くて月給3、4万円ぐらいです。日本の工場だと残業をすれば20~30万円ぐらいになるのですが、ブラジルではなかなか稼げなくて生活が苦しいですね。

 逆に日本で高校に行かないのは、どうせ工場労働者になるから行っても仕方がないと彼らは言っていたのですが、ブラジルでは普通の仕事、例えば清掃の仕事などでもそれなりの学歴がないとできないので、皆夜学に通っています。戦後の日本に近いのかもしれませんが、皆働きながら夜学に通って勉強しています。ブラジルに帰ると、そういう意味で選択肢が広がった部分がありますね。 

kodokunatsubametachi-s2.jpg━━━日系ブラジル人を扱った映画として、社会問題に興味のある方が見に来られると思いますが、どんな反響がありましたか? 
 サンパウロで上映したことがあったのですが、そのときは日系1世、2世に観てもらいました。彼らは自分たちが苦労して築いたコミュニティーを捨てて、デカセギに行った人たちのことをあまり良く思っていないと聞いたので、最初はどうかと思いましたが、リーマンショックでデカセギの人たちが皆戻ってきて、若い日本語や日本の文化が分かる人たちが帰ってきてよかったと言われました。

 逆に日本の日系ブラジル人コミュニティーでもエリートの人たちには、「なぜ成功者じゃない人たちをわざわざ取り上げるのか。こういう環境でもがんばって大学に行った人もいるじゃないか」と言われたりしました。映画に登場する彼らはこちらが意図的に選んだのではなく、浜松にいるごく平均的な状況に置かれた日系ブラジル人たちが、どうやって与えられた環境の中でもがきながら生きているのか。成功者だけ取り上げるのはまた別の話だと私は思っているので、日系ブラジル人コミュニティーの中でもいろいろ格差があることを知りました。悪い道に行った子もいるけど、必ずしも不良だとは思っていないし、間違いを犯しながらも大人になっていく姿を本作で描いたつもりです。

━━━ヒップホップが彼らの心の支えとなり、ブラジル帰国後も地元の青年たちとつながるきっかけになり、ドキュメンタリーの一つの核として描かれていますね。
  先日『サイタマノラッパー』の入江悠監督とトークショーをしたときに、ブレイクダンスのようなヒップホップダンスは万国共通で、自分たちがコミュニティーの中でマイノリティーだと思っている人たちの共通言語みたいになっている。『サイタマノラッパー』も地方社会でちょっとアウトサイダーみたいな人たちがラップにはまっていきますが、元々黒人のマイノリティー文化から出てきたもので、日系ブラジル人の彼らもそういうところに共感して、ダンスをすることで自分の生き甲斐をみつけるといった感じですよね。日本人と違って、彼らはもっと大変な状況の中で生きる希望をみつけるツールになっています。ブラジルのファベーラみたいに不法占拠している場所にいたコカなどは、生きるか死ぬかみたいな、犯罪者になるか殺されるかヒップホップをやるか、その三択みたいな話をしていましたが(笑)。

━━━今回取材して一番感動したのはどんな点ですか?
  たくましさですね。今考えるとエドワルドなんて状況的にはずっと逃げないといけない立場に置かれているのですが、ずっとがんばっていますし、パウラも帰国して一人で家族7、8人も抱えて仕事をできるなと思って。彼女は一番若いですが、一番たくましくて成長したと思います。会社行って、帰ってきてから学校に行って、週末は徹夜で遊んでと、前向きに生きることやたくましさなどを学ぶことが多かったです。

 日本の同世代の若者に観てほしいという気持ちがあって、あまり社会正義を訴える映画というよりは、青春群像劇として、若者特有の悩みを抱えた人間に密着し、そこから社会背景や社会的問題を意識してもらえればいいなと思っています。東京で上映したときは、大学生や若い人たちが見に来てくれたのでよかったと思います。

 日系ブラジル人の彼らは散々学校でいじめられたという話を聞きましたが、それでもへこたれない。幼いときから大人になることを強いられているので、どこの環境に行ってもなんとか生きていく術を持っていて、学歴はないけれど生きる知恵をもっています。日本の学校で教えることではないけれど、こういう風に自分で生きる力を学んでほしいなと思います。


 中村監督も語ったように、鬱屈した青春かと思いきや、彼らのバイタリティーと力強さには本当に驚かされる。家族のために中学校を中退して働くこともいとわず、日本での差別もバネにして同い年の10代の数倍も成熟し、人生を見据えている彼らの姿は逆にこちらが学ばされる。リストラや強制帰国など、どんな状況に置かれてもそこでベストを尽くしていく彼らの青春を若者目線で綴った青春群像劇風ドキュメンタリー。非行に走るのを救ったダンスチームの練習風景を挿入し、全篇を貫くヒップホップのリズムが彼らのアイデンティティーを表現しているかのようだった。(江口由美)

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毎年秋の恒例となった『ブラジル映画くうk祭2012』。今年も東京を皮切りに、大阪ではシネ・ヌーヴォで10月13日(土)から、京都では京都シネマで10月20日(土)から開催される。

すでにハリウッドリメイクも決定しているブラジリアン・アクション映画の決定版『トゥー・ラビッツ』、ブラジル音楽ファン必見の天才詩人を描くドキュメンタリー『バイオファンに愛を込めて』をはじめ、南米の空気を肌で感じる作品を堪能できる。

日本人監督による2作品も特別招待作品として上映される。塩崎祥平監督による母親の出稼ぎで来日した少年の淡い初恋物語『茜色の約束~サンバ Do 金魚~』。津村公博、中村真夕両監督による浜松在住の日系ブラジル人5人の若者を2年半に渡って追いかけたドキュメンタリー『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて』。両作品とも監督の舞台挨拶が予定されているので、是非チェックしてほしい。


ブラジル映画祭2012公式サイトはコチラ

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(C) 2011 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED
 

saudade-s1.jpgゲスト:富田克也監督、野口雄介さん(天野幸彦役)

(2011年 日本 2時間47分) 
監督:富田克也
出演:田我流、鷹野毅、伊藤仁、まひる、ミャオ、野口雄介他
2012年2月11日~シネ・ヌーヴォ、3月3日~第七藝術劇場、3月24日~新京極シネラリーベ、4月14日~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開。
・作品紹介⇒こちら
・公式サイト⇒http://www.saudade-movie.com/
※ナント三大陸映画祭グランプリ「金の気球賞」受賞作


      地方都市、山梨県甲府市を舞台に、そこで生きる土方の男たちや、ブラジル人コミュニティー、そしてタイ人コミュニティーなどの派遣労働者たちがもがきながら生きていく姿を、土の香りがする映像とパンチの効いた音楽で焼き付ける『サウダーヂ』が2月11日よりシネ・ヌーヴォをはじめ関西の劇場で順次公開される。関西での上映に先駆け、富田克也監督、主人公天野の弟役として個性的な役柄に挑んだ野口雄介さん(天野幸彦役)に話をうかがった。


saudade-2.jpg━━━本作の着想はどこから得たのか、今まで富田監督が作ってきた作品と『サウダーヂ』の関連性はあるのか、そのあたりの経緯をお聞かせください。
富田:前作『国道20号線』では、いわゆる地方都市のバイパス、ロードサイドで、中心街が寂れて、ロードサイドに大型商業施設ができて、みんな車に乗って駐車施設のあるところに人が流れてしまう流れの中で、そのロードサイドにいる人々の映画を作りました。僕らの中で典型的になってしまった地方都市の風景みたいな、どこへ行ってもその風景が延々と続くといった作品です。

次に何を撮ろうかと考えたときに、今度はもう少し視野を広げて、ロードサイド云々ではなく、それを含んだ一つの大きな街を舞台に、街自体を舞台にしてみようと思いました。今の地方都市は、ここ十数年不景気だなんだということを含めて、空洞化だとか、疲弊した地方だとか延々と言われてきたわけですが、そういう言葉は聞きあきるほど聞いた訳で、それが実際ぼくらの目の前にどういう形で現れているのかを描きたかったのです。

僕の映画にはずっと僕の友人であり仲間たちがずっと主演をしてきてくれたので、基本的には身近な人間の生活の中から僕らはエピソードを拾いだして映画を作ってきたわけです。そんな土方の友人の話を聞いていると、土建業もバタバタと潰れていっちゃって、仕事がなくてヒイヒイ言ってる。僕らが学生時代というのは頭が悪くて勉強できなくても、悪さをしていても、土方になれば生きていける時代だったけれど、僕らが抱いていたものがついになくなり始めた。じゃあ土方を主人公にして土方の目線から切り込んで今の疲弊した地方都市を描こうという発想に至りました。そこから街全体を捉えるべくリサーチに入り、タイ人やブラジル人がいるということで、一つの地方都市を描くには日本人だけじゃなく、そういった色々な人が自然に入ってきました。


saudade-3.jpg━━━今までは友人に主演してもらっていたとのことですが、本作のキャストはどうやって選んだのですが、?
富田:2007年の年末ぐらいから1年に渡ってリサーチに行きました。リーマンショックがきて、そのあと北京オリンピックが終わって、鉄鋼の特需がストップして、ブラジル人たちが一斉解雇された。年も越せない、ブラジルに帰りたいけど帰れない。僕はちょうどそういう彼らのところに入り込んだわけで、そこから一緒に過ごす中で彼らの状況を見聞きし、「出てほしいな」と思う人にはどんどん声をかけて仲良くなっていったんです。
でもリサーチが1年にも及ぶわけですから『サウダーヂ』を作るまでにかなりの時間待たせてしまう。実際『サウダージ』を撮るときになったら、主演のデニスというブラジル人役の男の子に「もう帰らなきゃいけない。」と言われ、自分が地元なので彼の職探しをして、彼の仕事をみつけて映画を撮り終わるまではなんとかそこにいてもらうということもありました。タイ人の女の子も僕が入ったタイ人コミュニティーの中で知り合った人たちだし、前作までになかったことで言うと、野口君とか土方役の川瀬さん、まひるさんなどプロの俳優さんに入っていただいたことですね。

━━━撮影で一番大変だったのはどういった点ですか。
富田:いわゆる一般商業映画のやり方の、企画から始まって資金集め、映画を撮るために集まるというわけでありません。ほぼ逆で、まずそこに人々がいてそれを撮りたいと僕らの方から実際撮りたい人たちに会いにいって、その人たちに合わせて撮るというやり方ですよね。映画に人々を合わせているのではなく、映画の方から合わせにいくんです。ドキュメンタリーというのはある種今起こっていることまでですが、それを元にして一歩先に踏み込めるのがフィクションで、だからフィクションにしかできないことをやりたいのです。

 saudade-1.jpg━━━富田さんが所属する「空族」は配給まで手がけられてますね。
富田:20代前半の頃に今の中心メンバーがお互いにそれぞれ別の場所で自主制作を作っていて、僕が『雲の上』という作品を撮り終って、脚本を一緒に書いてる相沢も作品を撮っていて、この二本を同時上映しようということで、自主上映会をやり始めたんです。2003年ごろは今みたいにインディペンデント映画が劇場でかけてもらえるような時代でもなかったので、渋谷のミニシアターを一晩箱借りして二人の作品を合わせて同時上映を始めたんです。そのときに僕らが外に向けて名乗れる名前ということで空族と名付けました。それからずっとそのときのままいまだにやり続けています。

どこからかお金もらって撮っているわけでもないし、誰に頼まれて撮っているわけでもないから、結局好き勝手なことを撮るわけです。だからこそ僕らが自主制作映画でやるべき題材や内容があると思っていたし、一般商業映画で絶対作られないようなものを僕らが作った。そうすると簡単に配給はつかないわけですよ。だからあらゆることを自分たちでやるということになって、製作も配給も宣伝も自分たちでやってきました。自分たちだけでやってきたものが果たしてどれだけ世の中に受け入れられるかどうかは未知数だったわけです。『国道20号線』も配給会社に持ち込んだりもしましたが、門前払いでした。本当にそうなのかなと思っていたら、実際上映してみたら「いい」と言ってくれる人が色々なところに結構いたんです。今回も世間一般の理屈やシステムには乗らずに、どこかに自分たちが共感する仲間がいるだろうと思って上映活動を展開してきて、その仲間がみつかって『サウダーヂ』の興業が広がっていきましたね。


saudade-4.jpg━━━プロの俳優である野口さんが、空族の映画の現場を体験してみていかがでしたか?
野口:空族の現場というのは、フィクションであっても僕らにとっては本当なんです。空族の映画に惹かれるのは、カメラを向けたときに作るのではなくて、その土地が映っているんですよ。空族の撮る映画の中に僕が立つことはすごくチャレンジだったし、怖い部分もありましたが、ああいう独特の個性的な役をいただいたし、甲府は行ったことがなかったので、撮影前に何回かリサーチしました。本当に少ない日数での撮影だったんですけど、感想としてはめちゃめちゃおもしろかったです。空族の映画づくりのノウハウというか、フォーメーションがあるんですよね。自主映画といえば自分たちで好きな映画を撮っているではなく、自分らが撮りたいものを呼び込むフォーメーションは、間違いなく日本を代表する現場だと思います。

もう一つ空族がおもしろいのは富田さんは日頃仕事をしながら、週末に映画撮影をして、仕事もして、また週末集まって撮影して、それを毎週毎週やっているんです。大きな現場というのはみんな一ヶ月集まってごそっとやって終わりですが、今回の撮影を冷静にみてまた準備して、またそれに向けて準備して、週末に向けてまたテンションを上げていって、ちゃんと終わったら打ち上げやみんなで飯を食ったりするんですよ。僕にとっては新しい映画づくりに感じるし、逆に言えば自分たちの撮りたい映画を自分たちのペースで撮ることができる。となると空族の持っている制作体系というのは、すごくユニークで、それがあるからああいう力強い映画ができると思います。

 saudade-5.jpg━━━ナント三大陸映画祭でグランプリを受賞されましたが、世界ではどんな反響がありましたか。
富田:ロカルノでもナントでもそうなんですが、一番最初に皆が口をそろえて前置きとして言ってくれるのは「日本という国への認識を僕たちは改めたよ。」やはりそれは今までの(日本の)映画が通り一辺倒だってことですよね。日本というのは経済大国でお金持ちの国で、そこの域をでてない。しかも日本で撮られる映画といえば東京か、自然豊かな山の中といった形になってしまいがちで、あれぐらい中途半端でローカルな町が舞台になって延々とそこで繰り返す人々のストーリーをヨーロッパの人が目にすることもないです。だから当然驚いたと思うんです。さらに言うならばそこに移民というヨーロッパの人たちが日常的に抱える問題も絡んでいて、日本も自分たちと同じ問題を抱えている国ではないかという点で認識を改めたと。それを前置きとして言ってくれた上で、文化として映画が日常的に芽吹いていてそれを大切にしている人々なので、ものすごい鋭い意見はでました。

━━━特に、印象的だった意見は?
富田:ナントに行ったときに現地の映画学校の編集の先生が「『サウダーヂ』の編集はミラクルだ。すべてのショットの替わり際に驚きがあった。あの編集はどうしてやったんだ。俺には想像もできない。」と誉められたことです。僕も編集ということに関してはかなり考え抜いてやったことだったので、フランスという映画の発祥の国の、映画学校のしかも編集の先生に誉められたのはすごくうれしかったですね。

  saudade-s3.jpg━━━富田監督が今の日本のインディーズ映画について思うことを教えてください。
富田:インディーズ映画のいい面と悪い面が当然あります。あらゆる人が簡単に映画というものを作れる環境になったのはいいことです。ただそれをやる上でやはり映画が映画として持っているべき力というのはあるはずで、撮影方法が簡単になったことでそれが失われることはあってはならない。歴史ある映画に肩を並べるべく拮抗していかなければならないと思っています。とはいえ、そういう映画だけが偉いという訳でもないので、そこはインディーズだからこそできるものをバンバン作ればいい。だからすごく難しいんです。 


 誰も描いたことのない地方都市の生々しい姿に肉薄し、国内外で観る者に衝撃を与えた富田監督の言葉には、自主制作映画でしか撮れないものを作るという気概に満ち溢れていた。
また、今回初めて空族の作品に参加した野口さんの現場体験談から、制作現場の熱気が伝わってきた。次回はタイを舞台にした作品を考えているという富田監督、これからも生きた土地と人間の香りがする作品を生み出してほしい。 (江口 由美)

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