「フィリピン」と一致するもの

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春の大阪の風物詩、第11回大阪アジアン映画祭が、3月4日に開幕、19時から大阪市北区の梅田ブルク7で、オープニングセレモニーおよび台湾ナイトが同時開催され、オープニング作品『湾生回家』の海外初上映が行われた。上映に先立ち行われたオープニングセレモニーでは、《台湾:電影ルネッサンス2016》上映作品の『湾生回家』ホァン・ミンチェン監督、コンペティション部門も兼ねる『欠けてる一族』ジャン・フォンホン監督、『雲の国』ホアン・シンヤオ監督、『The Kids』のサニー・ユイ監督が登壇。そして第2回オーサカ Asia スター★アワード受賞の永瀬正敏が登壇。ゲストを代表して「ここに呼んでいただき非常に感激しています。アジアの映画人の皆さん、ようこそ、大阪へ。」と挨拶し、満席の会場から大きな拍手が送られた。
 
 
 
 
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引き続き行われた《台湾:電影ルネッサンス2016》台湾ナイトでは、台湾文化省副大臣 陳永豊氏による挨拶の後、『湾生回家』舞台挨拶が行われ、ホァン・ミンチェン監督をはじめ、プロデューサーの范健祐氏、他出演者の皆さんが登壇。映画についてホァン・ミンチェン監督は、「70%以上が日本語なので、日本で上映し、どのような反響があるかワクワクしている。とても温かいストーリーなので、この映画によって日本と台湾がもっと温かい関係になることを祈っている」
また、出演者を代表し、最年長となる89歳の富永勝氏が台湾から若いファンが逢いに来て驚いたというエピソードを交えながら「台湾の若い世代の人たちが撮影中も非常によくしてくれ、感激した」としっかりした口調で挨拶し、大きな拍手が沸き起こった。舞台挨拶のあとは、オープニング作品『湾生回家』が海外初上映された。上映後は一緒に映画を観ていた監督や出場者の皆さんへ向け、スタンディングオベーションで映画の感動を伝える観客の姿も多数見られ、温かい雰囲気に包まれた。
 

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第11回大阪アジアン映画祭は3月13日まで梅田ブルク7(梅田)、シネ・リーブル梅田(梅田)、ABCホール(福島)、第七藝術劇場(十三)、プラネット・スタジオ・プラスワン(中津)他で過去最多の計55本(うち、世界初上映8本、海外初上映10本、アジア初上映1本、日本初上映22本)を上映する。クロージング作品は『南極料理人』の沖田修一監督オリジナル脚本による究極のホームドラマ『モヒカン故郷に帰る』。親子役の松田龍平と柄本明をはじめ、モヒカン息子の彼女役に前田敦子が出演。瀬戸内海の島で完全ロケを敢行した風情溢れる映像も見どころだ。
 
また、特別企画「ニューアクション!サウスイースト」の中の小特集、「刷新と乱れ咲き ベトナム・シネマのここ数年」では、ベトナム版『怪しい彼女』をはじめ、大ヒットの最新作からアート系作品まで、勢いに溢れるベトナム映画を一挙紹介。 “台湾:電影ルネッサンス2016”では、与那国島を舞台にしたドキュメンタリー『雲の国』、台湾金馬奨50周年を記念して制作されたドキュメンタリー『あの頃、この時』をはじめ、コンペティション部門にも出品している青春ドラマ『欠けてる一族』等を上映。≪Special Focus on Hong Kong 2016≫では、ミリアム・ヨン主演の青春プレイバック映画『私たちが飛べる日』や、日本で初紹介されるデレク・ツァン、ラム・シュー出演のファイヤー・リー監督作『荒らし』、香港の十年後を5人の監督が描いたオムニバス映画『十年』他が上映される。
 
常設のコンペティション部門では香港人気俳優のチャップマン・トーが自身主演で初監督した『ご飯だ!』(マレーシア)、世界初上映となる石倉三郎、キム・コップW主演の『つむぐもの』(日本)、海外初上映のフィリピン映画『眠らない』『ないでしょ、永遠』、モンゴル人女性監督の衝撃デビュー作『そんな風に私を見ないで』(ドイツ・モンゴル)、アメリカ人2人が夜の香港で繰り広げるラブストーリー『香港はもう明日』(香港・アメリカ)、ドキュメンタリー映画『あの店長』と2本出品しているタイのナワポン・タムロンラタナリット監督作『フリーランス』など、新しい才能がアジアだけでなくアメリカやヨーロッパから集まった全11作品がラインナップ。
さらに、インディ・フォーラム部門は昨年よりパワーアップし、第12回CO2助成作品『見栄を張る』『私は兵器』『食べられる男』の世界初上映をはじめとした全11作品を上映する。
 
チケットの詳細は大阪アジアン映画祭ホームページ参照。
お問い合わせ:大阪アジアン映画祭運営事務局
TEL 06-6373-1232 http://www.oaff.jp/
 

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《第7回京都ヒストリカ国際映画祭》を終えて

2015年10月31日(土)~11月8日(日)、京都歴史博物館と京都みなみ会館で開催されていた《第7回京都ヒストリカ国際映画祭》は、最終日に『NINJA THE MONSTER』(日本初上映)と『ラスト・ナイツ』(11/14公開)の上映で幕を閉じた。毎年、時代劇のメッカ・京都にふさわしい作品を世界中から集めた映画祭は、時代劇ファンにとっては大変貴重な映画祭である。特に、日本初上映を含む新作だけを集めた【HISTORICA WORLD】は毎年楽しみにしている。今年は全部は見られなかったものの、『フェンサー』『吸血セラピー』『大河の抱擁』『NINJA THE MONSTER』を見る機会を頂いたので少しご紹介したい。
 


his-fencer-500.jpg★自由のない暗い時代でも、生きる希望が人を強くする
第二次世界大戦後のエストニアを舞台にした『フェンサー』 (2015年)は、戦後ソ連の領土となったエストニアの田舎の子供たちと、フェンシングを通して夢と生きる力を育んだ実在の教師エンデル・ネリスの勇気ある行動を精緻な映像で描いた感動作である。政治犯としてソ連の秘密警察に追われる身のエンデルは、息を潜めてエストニアの田舎で教師生活を送っていたが、戦争で父親を失った子供たちに慕われ、特技のフェンシングを教えるようになる。子供たちに支えられ自らも居場所を見出すエンデルの様子や、戦後の困窮生活の中にも柔らかな光が差し込んでいく描写は胸を熱くする。フェンシングの全国大会でのエンデルや子供たちの表情がいい。シンプルな構成ながら、次第に色味を増していく映像から希望がわいてくるのが実感できる、そんな映画だ。
 
 


 his-kyuuketu-550.jpg★悩めるドラキュラ伯爵のセラピー治療とは!?
20世初頭のウィーンを舞台にした『吸血セラピー』 (2014年)は、500年も連れ添った妻の愚痴に悩むドラキュラ伯爵がフロイトのセラピーを受けに来るという、ドラキュラとはいえ人間的な悩みを持つことに親しみがわいてくる映画だ。影がなく鏡にも写真にも映らない。自分がどんな顔なのか見たことがなく、美しいかどうかさえ分からない。他人の意見を聞くしかないので、毎日夫に自分についての感想を言わせる妻。それが500年も続けば、そりゃストレスも溜まるだろう。フロイトがドラキュラ伯爵夫妻に紹介した若い画家とその恋人をめぐる愛と血を追い求めるホラーコメディが、思いのほか面白かった。

◎『吸血セラピー』トークショーの模様はこちら
 


his-taiga-500.jpg★大河が見つめてきた、西洋文化の功罪
アマゾンの奥深く、西洋文化が如何に自然を破壊し原住民たちの生活を踏みにじっていったかがよくわかる『大河の抱擁』 (2015年)。部族で最後の生き残りとなったシャーマン(呪術師)カラマテの記憶を辿りながら行くアマゾン探検の旅である。20世紀初頭、カラマテが若い頃随行した探検家の日記を基にアマゾンを遡上したいとアメリカ人のエヴァンがカラマテを頼りにやってくる。アマゾン流域の豊かな自然がゴム資源を求める白人たちに破壊され、流域で暮らす人々の暮らしも残酷なほど一変させてしまう。それは、資源を求めてやってくる山師であり、無理やりキリスト教を押し付ける宗教家である。自然の息吹を感じながら、畏怖の念をもって逞しく生きて来た人々の変化をモノクロ映像で捉えた世界は、失われた文明を再発見する旅でもある。

 


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★忍者本来の姿を描く時代劇スリラー
松竹株式会社の若手レーベルが海外向けに制作した『NINJA THE MONSTER』は、朝の連ドラ「あさが来た」で五代友厚を演じて人気急上昇中のDEAN FUJIOKA主演の忍者映画。江戸中期の浅間山噴火と天明の飢饉を背景に、困窮する長野藩のお家存亡の危機と正体不明の化け物騒ぎを絡ませたストーリー展開は、斬新。自然界のパワーバランスに敏感な山伏のような忍者像は、黒覆面の超人という従来のイメージを一新させる。お家の困窮を救おうと人身御供にされるお姫様と忍者・伝蔵との微妙な関係性も興味深い。イケメンすぎるDEAN FUJIOKAの甘いマスクがキリリと光る忍者ぶりに魅了される一篇だ。

 



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この上映会は、京都ヒストリカ国際映画祭のいつもの客層とは違い、観客は女性ばかり!映画祭ナビゲーター・飯星景子さん司会による上映後のトークショーでは、黄色い歓声に迎えられてDEAN FUJIOKAと落合賢監督が登場。本作についていろいろ語ってくれた。

■今までの忍者のイメージを一新するアクションと忍者像
国際的に活躍するスタッフやキャストが集結して完成した作品とあって、ブルーレーベル海外向け第1作として自信を持って売り出したいと力強く語る落合監督。5年前に出会って意気投合したDEAN FUJIOKAとは、いつか一緒に映画を作りたいと、東京にあるジャマイカ料理を食べながら語り合ったそうだ。その後、『NINJA THE MONSTER』の企画書がDEAN FUJIOKAの元に届き、スカイプで連絡を取り合い、忍者についての資料を勉強するよう宿題が出されたという。かねてより中華武術をやってきたDEAN FUJIOKAは、今までの忍者像を一新するようなアクションを学ぶように言われ、フィリピンの「カリテ」という接近戦に強い武術を練習。劇中では、一番の見せ場となる山小屋の薄暗い中でのアクションに活用され、忍者・伝蔵の独特の殺陣が生まれた。

 

his-ninja-t-di-1.jpg ■神秘性を出すためにデザインされた液状の化け物
アニメ『もののけ姫』や『プレデター』などからイメージして、CGで創り上げているが、あまり知性的な化け物にはしたくなかったという。そのため目をひとつにして、予測不可能な動きと正体不明な不気味さを出している。具体的なビジュアルが完成する前に実写部分の撮影が進んだので、DEAN FUJIOKAは見えない敵との演技に苦労したようだ。落合監督のゾウのような声を合図に、それに向かってアクションを起こしたという。DEAN FUJIOKAは、『風の谷のナウシカ』のオウムのようなものを想像していたので、完成した作品を見て驚いたという。

 
■京都での撮影と日本武術の様式美
京都の松竹撮影所を中心に行われた撮影は真冬に行われ、劇中降っている雪は本物だそうだ。年末の撮影所では餅つきをしていて、お餅をご馳走してもらって嬉しかったというDEAN FUJIOKA。日本武術の様式美を教えてもらい、別のクルーの人たちと一緒に素振りもしたと懐かしそうに語る。そこで、DEAN FUJIOKA自前の武器を持ち出し、この日来場していたアクション俳優と殺陣を披露。DEAN FUJIOKAの生アクションを近くで見られて、観客も興奮気味。

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■他人とは思えぬ“もののけ”と忍者に親近感
DEAN FUJIOKAは、“もののけ”も忍者も陰の存在で、世の中に認められず孤独に生きている覚悟が心に沁みると振り返り、伝蔵役をまた演じたいと希望。落合監督も、伝蔵が自分の居場所を求めているのに対し、藩のために人身御供になろうとしているお姫様もモンスターも忍者も、同じ立ち位置にいるという。DEAN FUJIOKAと落合監督は海外で長く暮らしてきて、こうしたキャラクターたちと共通するものを感じたようだ。DEAN FUJIOKAも、「5年前、なぜ落合監督に声をかけたのか今分かった。他人とは思えぬ何か共感するものを感じたからだ」と振り返った。


日本公開は、海外での映画祭のスケジュールによるので未定。細かな歴史的考察とファンタジックなシーンをミックスさせた新しい忍者映画に、乞うご期待下さい。

(河田 真喜子)

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ユージン・ドミンゴ、コメディー路線からの転機となったメンドーサ監督作品出演秘話を語る『フォスター・チャイルド』(フィリピン)Q&A@TIFF2015
登壇者:ブリランテ・メンドーサ氏(監督)、ユージン・ドミンゴさん(女優) 
 

~ドキュメンタリータッチで活写する、里子一時預かり母とフォスターチャイルドの日々~

 
10月22日より開催中の第28回東京国際映画祭で、CROSSCUT ASIA #02 熱風!フィリピン部門より、ブリランテ・メンドーサ監督特集の一本として上映された『フォスター・チャイルド』(07)。フィリピンにおける里子の養育制度を扱ったメンドーサ監督の長編4作目だ。
 
出演は、大阪アジアン映画祭では『100』(OAFF2009)、『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』(OAFF2013)、『インスタント・マミー』(OAFF2014)が紹介され、東京国際映画祭では『浄化槽の貴婦人』(TIFF2011)、そして最優秀女優賞に輝いた『ある理髪師の物語』(TIFF2013)と実力を証明した、フィリピンの人気女優ユージン・ドミンゴ。
 
 
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本作では、主人公テルマ(チェリー・パイ・ピカチェ)に里子一時預かりの仕事を斡旋し、里子希望の家族と対象となる子どもの仲介やケアを行う基金職員、ビアンカを大阪のおばちゃんのようなチャキチャキと面倒見のよい、親近感の湧くキャラクターとして演じている。スラム街で生きる家族が、生活は決して楽ではない中で自身の子どもだけでなく、いずれは里子にもらわれていく身寄りのない子どもを愛情をかけて育てていく様子や、スラム街で生きる人々、子どもたちの息遣いが映像の端々から生々しい生活音と共に伝わってくる。
 
若くして子を産む少女たちや、母親が育児放棄をし育てる人のいない赤ちゃんなど、里子の養育制度の裏にある根本的な問題にも思いを巡らせたくなる、この機会に是非観ていただきたい作品だ。
 
<上映予定>
10月30日(金)10:20~ TOHOシネマズ 六本木ヒルズ
登壇ゲスト(予定): Q&A: ブリランテ・メンドーサ(監督)、ユージン・ドミンゴ(女優)
 
10月28日の上映後に行われたQ&Aでは、監督のブリランテ・メンドーサ氏と、主演のユージン・ドミンゴさんが登壇。いつもQ&Aでサービス精神旺盛な楽しいトークを繰り広げてくれるユージンさんは、フィリピンでもなかなか出会えないメンドーサ氏と東京で出会えたことに感無量の様子で、自身にとってほぼ初のインディーズ作品出演となった本作について語ってくれた。その内容をご紹介したい。
 

(最初のご挨拶)
ユージン・ドミンゴさん(以下ユージン):ここにいられることにワクワクしています。そしてこの東京国際映画祭は、いつも私の中で特別の位置を占めている映画祭です。今回は、ブリランテ・メンドーサ特集ということで、とてもうれしく思います。8年も前の作品ですし、私にとってほぼ初めてのインディペンデント映画出演経験でした。当時は自分でも若かったと思いながら見ていますが、実際、今の方がきれいでしょ?メンドーサ監督には海外でしかお会いしたことがないので、今回このような機会を与えてくれ、メンドーサ監督と招いていだいたことを本当に感謝しています。
 
ブリランテ・メンドーサ監督(以下メンドーサ監督):今回の特集上映では5本目の作品になります。ユージン・ドミンゴさんがまさか来てくださるとは思いませんでした。仕事が忙しくないなんてことはないと思います。とても忙しい方です。そうでなければ個人的に忙しいのでしょう。
 

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―――ユージンさんは、『キミドラ(Kimmy Dora)』などのコメディー映画に出演しているイメージが強く、メンドーサ監督作品に出るのは意外でしたが、どういう意図でオファーしたのでしょうか
メンドーサ監督:8年前にオファーした頃、ユージンさんは舞台女優をされており、コメディーもしていましたが、シリアスな役はこれが初めてかもしれません。この役は当初からユージンさんを想定していました。題材がシリアスですから、彼女の明るさで少し軽い感じになることを狙いました。
 
ユージン:2007年頃に撮った時、監督に出演を依頼されただけでなく、主演のチェリー・パイ・ピカチェさんからも「自分も出演するから是非」と言われ驚きました。既に連ドラやコメディーに出演していたし、あまりにもギャラが安かったですから(笑)。
 
本当の話をいえば、色々なことを学びました。話は横道にそれますが、三輪車から降りるシーンでドライバーを演じていたのは、今や大スターのココ・マーティンでした。もし当時知っていたらと思っていても・・・。ともあれ、三輪車から降りて歩いていくところはワンショットワンテイクで撮っています。つまり、俳優として非常に違う感覚を覚えました。顔だけでなく、首や背中など、顔でない部分が映るんです。私にとってチャレンジでしたが、顔が映るのが大事ではなく、メッセージを伝えることが大事なのです。メンドーサ監督にとってストーリーが全てで、日常を描いている。私も8年経ってやっとわかりました。私はついサービス精神を発揮してし、楽しい風に演じてしまうのですが、監督は「楽しませなくてもいい。ただビアンカの役を演じればいいんだよ」と言われました。そのあと3年たって、『浄化槽の貴婦人』では、メンドーサ作品のパロディーを演じてます。
 

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―――フィリピンでの里親ビジネスはどれぐらい認知度があるのでしょうか。また、この映画に対するフィリピンの現地の人の反応は?

メンドーサ監督:リサーチで分かった事ですが、80年代末からフィリピンではこのような里親制度がありました。実はこういう制度は途上国では無理だと思っていました。貧しい人がさらに他の子を育てるなんてと思いましたが、大事なことは裕福な環境ではなく、家庭で育つということを知ったのです。養子に行くまで、親や兄弟がいる環境に身を置くことが大事なのです。お客さんの反応で皆さん驚いていたのが、母親が無条件に愛情を与えていることです。サラリーをもらっているシーンもありましたが、それは子ども一人育てるのに十分な金額ではありません。

 
―――修道院も出てきましたが、宗教と密接に関係しているのですか?
メンドーサ監督:二つの施設が出てきます。一つは尼さんが運営している、子どもをケアする孤児院のような施設で、もう一つは子どもとフォスターペアレントを結びつける施設です。
 
―――主人公のテルマは病気の子どもたちも育てていましたが、もし養子のもらい手がないときはどうなるのですか?
メンドーサ監督:全ての子ども(フォスターチャイルド)が養子先を見つけてもらえるとは限りません。その場合は施設で働くことになります。通常は0歳代で養子に行くので、子どもが9歳、10才ぐらいになると施設は心配になるわけです。
 
(ユージンさんよりラストメッセージ)
本当に東京国際映画祭にご招待いただき、ありがとうございます。今年はコンペ部門に選ばれていませんが、十分に名誉です。またフィリピン映画を呼んでいただきたいということと、メンドーサ監督には是非また一緒に仕事をさせてください。
(江口由美)
 

<作品紹介>
『フォスター・チャイルド』
(2007年 フィリピン 1時間38分)
監督:ブリランテ・メンドーサ 
出演:チェリー・パイ・ピカチェ、ユージン・ドミンゴ 
第28回東京国際映画祭は10月31日(金)までTOHOシネマズ六本木ヒルズ、TOHOシネマズ新宿、新宿バルト9、新宿ピカデリー他で開催中。
第28回東京国際映画祭公式サイトはコチラ 
 

nobi-di-550.jpg若い人の宝になる映画を!『野火』塚本晋也監督インタビュー

(2014年 日本 1時間27分)
・原作:大岡昇平
・製作・脚本・撮影・監督・編集:塚本晋也
・出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森 優作、中村優子
・2015年7月25日(土)~渋谷ユーロスペース、8月1日(土)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国順次公開
・公式サイト⇒ http://nobi-movie.com/
・コピーライト:(C)SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER


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~雄大で美しい風景と無残で小さい人間、このコントラストを撮りたかった~

 

大岡昇平が第2次大戦中、フィリピン戦線での日本軍の苦闘を描いた問題作。1951年に「展望」に発表した戦争文学の代表作。第3回(昭和26年度)読売文学賞・小説賞受賞。59年に市川崑監督が大映で映画化している。


【物語】
nobi-550.jpg第2次大戦末期のフィリピン・レイテ島。敗色濃厚で日本兵たちが飢えに苦しむ中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを命じられるが、病院も負傷兵で入れず、田村は追い出される。戻った部隊からも入隊を拒否され、原野をさまよい歩く。空腹と孤独、容赦なく照りつける太陽の熱と戦いながら、田村は地獄のありさまを目の当たりにする。殺人、人肉食への欲求、同胞すら狩ってまでも生き延びようとする戦友たち。何とか生き延びた田村にも、いつしか狂気がしのび寄る…。  

死体が行く手にゴロゴロ転がる、凄惨な画面には絶句するしかない。人間はどこまで残酷になれるのか? 限界を試すようなフィリピンの無残極まりない描写は、今転がって行きつつある“いつか来た道”への警告に違いない。


 塚本晋也監督が構想20年をかけた悲願の作品『野火』(大岡昇平原作)が完成し9日、大阪・シネ・リーブル梅田で先行上映された。舞台あいさつのため来阪した塚本監督に、映画に込めた思いを聞いた。


―――『野火』の映画化はいつ頃から考えていたのか?
塚本晋也監督:原作を高校時代に読んで、鮮烈に頭に残った。悪いトラウマではなく、いいトラウマになった。映画少年だったんで、いつか映画化したい、とその時から思っていた。あれから40年。凄惨な戦場の映画ですが、雄大で美しい風景と無残で小さい人間、このコントラストだけは描きたいと考え、30代でも40代でもそこは変わらなかった。

nobi-di-2.jpg――― 脚本執筆はいつ頃? 
塚本監督:30代にはシノプシスを書いた。輪郭は変わっていない。原作に近づいて、追体験していく旅、みたいな感じですね。

――― 市川崑監督の『野火』(59年)は見たか?
塚本監督: 銀座・並木座で見た。強い印象を受けた。崑さんを大尊敬している。心に残りました。崑さんの人間性にも…。自分が撮っていたモノクロの8㍉映画に影響を受けた。その後、崑さんの映画をずいぶん見た。

――― 市川崑監督フリークだった?
塚本監督:日本映画が好きで崑監督も好きだが、黒澤明監督、岡本喜八監督も好きでした。一番好きなのは神代辰巳監督ですけど。全盛期の日活ロマンポルノは中学生なので見られなかった。東宝時代の『青春の蹉跌』や『アフリカの光』などを見てます。日活時代の映画は今後の楽しみにしています。

――― 監督としては最初が『鉄男』(89年)になる?
塚本監督: 『野火』にはまだまだ手が届かなかった。30歳過ぎて映画にしようとしたが、規模が大きく現実的にはならなかった。10年ぐらい前に、戦場に行った方々が80歳を超えられた頃、インタビューを始めた。レイテ島の戦友会のリーダーの紹介で10人ぐらいの方々に聞いた。実際、人間がいかに簡単に物体に変化するものか、聞いた。写真も見せてもらった。

――― カニバリズム(人肉食)については?
塚本監督:自分が、とは誰も言わないが、現地では普通に行われていたようです。理性が働いてる状況じゃない。食べたか食べなかったか、良い悪いを問う映画ではない。

nobi-di-3.jpg――― 原作は文学的表現になっているが?
塚本監督:市川崑作品では食べていない。人肉を食べて歯がボロボロになって食べられなかったということになる。今作では、食べただろうなという程度。サルの肉とされているが、バラバラ死体はサルではなく人間に見える。

―――『鉄男』をはじめ、海外や日本でも“塚本フリーク”は多いが『野火』はアレっと思う作品では?
塚本監督:そうかな?  ある種のファンタジーとして見せる映画が多かったが、根っこのところでは共通している、と思う。

――― 丁度戦後70年の節目の公開になるが?
塚本監督:そこを目指した訳じゃないが、偶然のようで、実は必然だった。10年前には取れなかった原作(の映画化権)も取れたし、周りのスタッフも頑張って、1着買った軍服を50着にしてくれた。奇跡みたいにして出来た映画です。

――― 自ら主演も。はじめから自分でやるつもりだった?
塚本監督:いやいや、もっとほかの人でオファーもありましたが、やっぱり自分で、ということに。普通の人っていう目線を意識した。田村(主人公)とお客さんが一緒です、と。

―――『野火』の前に(マーティン・)スコセッシ監督の『沈黙』に3か月、中心になる「茂吉」役で出演しているが?
塚本監督:遠藤周作原作で、これもスコセッシ監督が20年ぐらい温めていた作品。『野火』、スコセッシ監督作品と、宿願の作品にかかわれた、意義ある1年。この1年は“ビフォーアフター”みたいですね。 

――― 昨年9月にベネチア国際映画祭コンペ部門に出しているが、反響は?
塚本監督:お客さんのスタンディング・オベーションはものすごく長かった。マスコミは賛否両論。暴力シーンではっきり別れました。

――― 若い人に見てもらいたい映画?
塚本監督:本当にそう。私たちが子供時代に“はだしのゲン”を見て心から感動したように、若い人には宝になる映画です。

(安永 五郎)

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『マリキナ』(フィリピン)ミロ・スグエコ監督インタビュー@第10回大阪アジアン映画祭

~父親の真実を探すヒロインに、アイデンティティーを探し続けるフィリピン人の姿を重ねて~

 
昨年に続き、今年もフィリピン映画の勢いが止まらない。第10回大阪アジアン映画祭コンペティション部門出品作として日本初上映された『マリキナ』も、クオリティーの高いフィリピン映画から選りすぐられた一作だ。OAFF2014のコンペティション部門に出品された『もしもあの時』のジェロルド・ターログ監督が脚本を担当、フィリピンの靴工業で栄えた街、マリキナを舞台に、靴職人の父とその娘の30年に渡る葛藤と、その人生を辿りながら自分のアイデンティティーを見つめなおす物語を、美しい映像で叙情豊かに綴った。フィリピンでトップ級の実力派俳優たちが出演し、まさしく、暉峻プログラミングディレクターが定義した、「規模はインディーズだが、スター俳優が出演している“メインディーズ”作品」と言えよう。70年代から現代にかけてのフィリピン社会の変遷も丁寧に描かれ、興味深い一作だ。
 
映画祭ゲストとして来阪した本作のミロ・スグエコ監督に、構想のきっかけや、監督が感じているフィリピン人のアイデンティティーについてお話を伺った。
 

 
―――――脚本は昨年のOAFF『いつかあの時』のジェロルド・ターログ監督ですね。
ジェロルドとは友達で、お互いに映画を作るとき手伝うことも多いです。今回は私が書き始めた脚本を、ジェロルドが仕上げてくれました。また音楽も担当してくれています。
最初、80場面を書いてジェロルドに渡し、最終的にはジェロルドが180場面に増やし、物語も書きこんでくれました。台詞も全てジェロルドが書いたものです。物語の流れも、会話も非常に上手いですね。
 
―――――なぜ靴の街、マリキナを舞台にした物語を描こうとしたのですか?
5年ほど前、貧困や汚職など第三世界的な問題を抱えているフィリピンにすごく失望が募った時期がありました。その時に、どうしてフィリピンの国民は自分たちの問題を他人事のように捉えてしまい、自分の事として考えようとしないのかと自問自答したのです。この物語の主人公、イメルダも小さい頃から大人になる過程を通して、自分が何者なのか、自分のアイデンティティーをずっと探し続け、また父が自殺した後、父にぴったりの靴を探すため、彷徨います。過去を振り返ることで前に進もうとしている訳です。このイメルダに、フィリピン人が自分のアイデンティティーを今だに探している姿と重ねています。
 
この作品では、靴産業が停滞し、従事していた人たちが困窮していきますが、世界中がグローバリゼーションの波にさらされている中で、どこの国でも起きていることです。ただ日本は外から様々な文化や資本が流入しても、日本人的アイデンティティーや日本の文化をかなり持っているように感じられます。一方中国の資本が流入してきたときに、フィリピン人はどうしていけばいいのかが掴めずにいます。
 
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―――フィリピン人は、他の国民よりも強くアイデンティティーを探し続けているということでしょうか?
フィリピンの場合は長い間スペインの支配下にあり、アジアの中で唯一カトリック国でもあるため、アメリカの影響を多く受けています。日本の場合は、他の国から影響を受けても、あくまでも日本であり続けてきましたし、外国からのものを取り入れながらも、日本人としてのアイデンティティーをしっかり持っていると思います。フィリピンでは、植民地主義の遺産のような感じで、植民地としてのメンタリティーがまだ残っているのが残念です。愛国心が十分にないということなのかもしれません。庶民に罪がある訳ではなく、政府も頑張っていると思いますが、一方で、自国での稼ぎだけでは生活が成り立たないので、他の国に出稼ぎに行っている人も大勢います。日本にもそのように出稼ぎに来ているフィリピン人はたくさんいますね。
 
―――本作はシネマラヤ映画祭からの助成を受けて作られたそうですね。
一番最初、助成金の1万ドルだけで映画作りをスタートしました。撮影は15日間で済ませました。お金がないのなら、その分周到な準備をし、撮影にとりかかったら、日本人のように効率的に進めていきました。試行錯誤している余裕はありませんね。
 

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―――父と娘の繊細な関係が見事に描かれていました。撮影も美しく、端正な映像で、そんなに短期間で撮ったとは思えません。
辛いこともたくさんありますが、登場人物皆が、間違えは犯しながらも、最後はまじめに生きようとしている人間であることを映し出したかったのです。日本はどうか分かりませんが、フィリピンでは女性のキャメラマンが増えています。『マリキナ』のサシャ・パロマレスさんは、フィリピンで最も優秀な女性キャメラマンの一人です。まだ26歳と若いですよ。
 
―――一番好きなシーンを教えてください。
イメルダの卒業式に長年不在の母から電話がかかり、その様子をずっと愛情を注ぎ続けてきた父親が、娘に十分に伝わらない気持ちを抱えながらそっと電話を盗み聞きしているシーン。派手なシーンではありませんが、登場人物の気持ちを考えると心に迫るものがあります。いい父であろうとしていますが、娘にとっては分かりにくい父で、母とは違う形で愛していることを分かってもらえません。そういう父娘の難しい関係がこの場面に凝縮されています。
 
―――父親役のリッキー・ダバオさんの演技が素晴らしかったのですが、フィリピンではどういう立ち位置の役者さんですか?
70~80年代の若い頃からずっと活躍している方で、俳優一家に育っています。監督も手がける、才能豊かな方です。マイリン・ディゾさんもフィリピンの人気女優で、ユージン・ドミンゴさんとは大の仲良しです。
 
―――日本の有名な俳優は、あまりインディーズ作品には出演しませんが、フィリピンでは状況が違うのでしょうか?
若手と仕事をする方が、新しい分野の作品に取り組めるので、皆さん積極的に出演してくださいます。大手映画会社のオファーは大体同じような内容の作品ばかりなので、脚本を気に入って下さったら、インディーズ作品でも積極的に出演してくださいます。
 
―――今後どんな作品を作っていきたいですか?
ラブストーリーを作っていきたいです。ロマンチックコメディーやティーンエイジャー向けの軽いラブストーリーではなく、成熟した大人のラブストーリーに挑戦したい。家族ドラマはもう卒業したいかな。サスペンスやバイオレンス系も興味があります。北野武監督や『バトルロワイヤル』系ですね。
 

インタビューが終わり、上映前の舞台挨拶同様にいつもパッション、パッション(情熱)と言っていることを明かしたミロ・スグエコ監督。フォトグラファーでもあり、ポスターなども自分で手掛けたという。映像のセンスの良さもその才能によるものなのだろう。「自分の映画を実現させるためには、情熱も努力も惜しみません。自分がやっていることが情熱をもって取り組めるなら、単なる仕事ではなくなります」と低予算でも情熱をもって取り組めば映画が撮れると力強く語ってくれた。長編第2作目とは思えない洗練され、深みのあるドラマを撮り上げたミロ・スグエコ監督。今後の活躍も大いに期待したい。
(江口由美)
 
<作品情報>
『マリキナ』“MARIQUINA“
2014年/フィリピン/116分
監督:ミロ・スグエコ 
出演:リッキー・ダバオ、マイリン・ディゾン、ビング・ピメンテル、バルビ・フォルテザ、チェ・ラモス
 

 

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~戦後70年の今、戦場にいるかのような衝撃を体感する塚本晋也監督入魂作~

 
第二次世界大戦末期、フィリピンのレイテ島での日本軍の惨劇を描いた大岡昇平の傑作戦争小説『野火』。59年に市川崑監督により映画化された『野火』が、戦後70年を迎えた今、塚本晋也監督により新たな体感型戦争映画としてよみがえる。
 
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長年同作の映画化構想を練っていた塚本監督が自主映画という形で完成にこぎ着けた、まさに入魂作だ。自ら監督・脚本・編集・撮影・製作を担当するだけでなく、日に日にやせ衰え、飢えと闘いながら原野を彷徨う主人公田村を全身全霊で演じている。また、リリー・フランキー、中村達也といったベテラン勢の中で、豹変していく青年兵、永松を演じる森優作の存在が光る。
 
オーディションで永松役を射止め、本作で本格映画デビューを果たした大阪出身の森優作さんに、塚本監督や塚本組の現場でのエピソード、『野火』撮影を通じて得たこと、同世代に伝えたいことについてお話を伺った。
 

―――森さんが、大阪出身とは知りませんでした。初インタビューをさせていただけて、うれしいです。
がっつり関西ですよ。もともと関西弁は強くないので、たまに地元に帰って友達と飯食べていると「(関東に)カブレてる」といじられます。シネ・ヌーヴォも九条もはじめてです。昔はよくアポロシネマに行っていました。定番の『ターミネーター』シリーズとか、当時は映画イコール洋画というイメージがあり、洋画ばかり観ていました。
 
―――どういう経緯でオーディションを受けたのですか?
22歳のときに古厩(智之)監督のワークショップに参加して映画『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』(13)に出演したのが、映画と関わるきっかけになりました。事務所に所属せず、フリーで次にチャンレジする機会を探していた状態がしばらく続いたときに、ワークショップで知り合った友人が『野火』のオーディションを教えてくれたのです。それまで塚本監督の作品を観たことはありませんでしたが、実は僕と同じ古厩監督の作品で役者として出演されていたことを後から知りました。戦争という題材も興味があり、オーディションを受けることに決めた感じです。
 

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―――オーディションでの塚本監督の印象は?
緊張感をなくしてくれているのか、すごく柔らかいイメージの方でした。でもそのイメージの中に真逆の強い意志を持った目だけがありました。「この目、すげえ」と思って、とにかく監督の目だけを見て帰ろうと、ずっと目を見ていました。
 
―――オーディションを受かったときはどんな気持ちでしたか?
もちろん「やった!」という気持ちはありましたが、それ以上にオーディションの時に(森さん演じる)永松が自分に近いものがあるなとずっと思っていたので、自分が演じたいという気持ちがあり、この役をできるという喜びが大きかったですね。
 
―――永松のどういう部分が、森さんご自身に似ていると感じたのですか?
すごく孤独を抱えた人物ですし、永松の純粋さが逆に危うい部分を持っています。関わる人によっては、どんな道にも振られるし、無知な部分も多い。でも孤独だから誰かに頼りたいという思いがすごくある人物で、僕自身に似ていると思います。
 
―――オーディションに受かってから、クランクインまでに、塚本監督から役作りの準備で言われたことはありますか?
「痩せろ、日焼けしろ」と言われました。元々はすごく白いので、日焼けサロンに行ったりしました。あとは葉っぱをちぎって紙で巻くような昔の煙草の吸い方ですね。塚本監督からはレイテ島の闘いに関する資料が送られてきたので、それを読みましたが、自分から調べたりはしませんでした。まず自分が戦地に行ったらどうなるのかということをずっと頭に置いて、その上で永松の役を演じました。
 

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―――塚本監督をはじめ、共演者がリリー・フランキーさんと少人数の撮影ながら、ベテランぞろいで緊張はしなかったですか?
田村を演じているときはもちろんですが、現場にいてカメラを撮っているときの塚本監督も、日ごろとは全く違う感じでした。やはり、目が凄かったです。
リリー・フランキーさんは、とてもフラットな方ですね。リリーさんと話したことを思い出すと、クスッと笑えることが多いです。前半は埼玉の深谷で撮影したのですが、待ち時間にリリーさんと竹とんぼをしたときに、リリーさんはめちゃくちゃ上手なのに、僕はうまく飛ばせなくて「森君、めっちゃヘタクソだねー」と言われたのがすごく印象にあります。そこから1か月後の沖縄ロケまでに、僕はさらに役作りのため痩せなくてはいけなかったのですが、痩せてくると色々なことに敏感になって、すぐにイライラしたりしていると、リリーさんが「森君、めっちゃ疲れてるねー」と声をかけてくれたり。これも思い出すとクスッときますね。
 
―――塚本監督からはどんな演出をされましたか?
僕を理解した上で演出してくださったのだと思います。「それもいいですね。でも次はこっちをやってみましょうか」といった感じで、いきなりダメと言うのではなく、柔らかく演出してくれました。怒鳴られたりはしませんでした。
 
―――少人数で製作された自主映画ですが、現場では演じる以外にも何か手伝ったりしましたか?
空き時間に死体造詣を一緒に作りました。死体を黒く塗るのですが、スタッフさんに「森君、それ少し薄い」と言われながら、塗っていましたね。皆が試行錯誤で、手が空いている人は分からなくても自分で考えてやる現場でした。前の現場は小規模でしたが、周りに制作会社の方など、映画に関わるスタッフ以外の人も大勢現場にいました。『野火』はそうではありませんでしたが、作っているのは同じ映画ですし、前の現場よりは自分がみんなと一緒に作っているという感覚が強かったです。
 

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―――一番難しかったシーンは?
一番最初、リリー・フランキーさん演じる安田に煙草を売ってこいと言われ、塚本監督演じる田村に「煙草を買ってくれ」と迫るシーンがあるのですが、一番できなかったですね。塚本監督が求めるものと、自分が演じるものとの差が大きかったと思います。
 
―――逆に一番最後の恐ろしい形相のシーンは、順撮りなので魂が入った感じですか?
あのシーンは、特に「こうしてやろう」と考えてはいませんでしたが、田村演じる監督の目とばっちり合ってました。撮影が終わった後、ご飯を食べに行ったときに監督から「今日は疲れたね」と言われたことを覚えています。
 
―――出来上がった作品をご覧になっての感想は?
観るたびに悔しさが増していきますね。より見えてくるところがありますし、演じていたときにどんな気持ちなのか思い出して「もっとできたな」と思うことがすごくあります。
 
―――ベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映されましたが、お客様の反応は?
「これは、戦争を描いているけれど、本当のリアルじゃないでしょ?」と海外の方がおっしゃっていたのが、印象的でした。色々な見方があると思いますが、この見方が世界のスタンダードなのかなと。僕も『野火』に出演したから戦争のことを考えるようになりましたが、そうでなければ、そのお客様と同じような印象を持つのではないかと感じました。
 
―――塚本監督に『KOTOKO』のインタビューをさせていただいた時から、『野火』の構想を少し話されていたのを覚えているのですが、ずっと温めてきてようやくという意気込みや、その意気込みをこえるぐらいの想いを現場で感じることはありましたか?
並々ならぬ想いをお持ちなのは重々承知していますが、それを周りに見せることは変にプレッシャーになることを分かっていらっしゃるので、あえてそれを前面に出さずに、周りの人に居心地の悪くならないように接していらっしゃいました。多分、塚本監督ご自身は、すごく疲れたのではないでしょうか。
 

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―――初めての本格的な映画出演が、塚本組での仕事だった森さんですが、仕事をしてみての感想は?
友達にもどうだったのかと聞かれるのですが、僕自身の中では言葉にしたくない、そっと取っておきたいという気持ちがあります。今の自分が言葉で表すのはすごく難しいのですが、絶対にかけがえのないものですし、映画というものへの関わり方や、芸術の一部である映画の本質的な部分を体験させていただいたので、幸せ者以外の何者でもないですね。
 
―――森さんから、同世代の皆さんにメッセージをお願いします。
戦争という題材は結構重たいイメージがあるので、観るのに勇気がいるかもしれません。僕も戦争を知らない世代ですが、この映画に関わらせていただき、戦争が起こったらどうなるかと考えたので、若い世代の皆さんも『野火』を観て、自由に捉えてもらいたいです。そして何でもいいので、観終わって心に残ったものを書き起こしたり、吐き出したりしてもらいたいです。映画のスタッフのほとんどは僕と同世代で、全く知らない戦争を試行錯誤しながら作りました。そういう部分も含めて、観ていただければと思います。
 
(江口由美)
 

<作品情報>
 
『野火』
(2014年 日本 1時間27分)
監督・脚本・編集・撮影・製作:塚本晋也
原作:大岡昇平『野火』新潮文庫
出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作
2015年7月25日(土)よりユーロスペース、今夏シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマ、豊岡劇場他全国順次公開。
※第71回ベネチア国際映画祭コンペティション部門入選作
※第15回東京フィルメックス特別招待作品
※第10回大阪アジアン映画祭特別招待作品
公式サイト⇒http://nobi-movie.com/
(c)Shinya Tsukamoto/KAIJYU THEATER
 
第10回大阪アジアン映画祭期間中は、3/8(日)21:10~※終了、3/11(水)21:10~ シネ・ヌーヴォにて上映。
 
第10回大阪アジアン映画祭 公式HP http://www.oaff.jp/2015/ja/index.html
 
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3月6日19時から大阪市北区の梅田ブルク7、オープニング作品『白河夜船』の世界初上映で幕が開けた第10回大阪アジアン映画祭。オープニングに先駆け、大阪・道頓堀で行われたリバーカーペットイベント「アジアン・スター・フェスティバル」では、大阪府の松井知事をはじめ、副知事のゆるキャラ「もずやん」が駆け付けた他、『白河夜船』の若木信吾監督、安藤サクラ、井浦新、インドネシア映画『武士道スピリット』のエグゼクティブ・プロデューサー、バーティアル・ラフマン氏、アソシエイト・プロデューサーのヨーク・ザキア氏、リュウケン・ライッサ監督、そして、同作に出演し、今回国際審査員を務める武田梨奈、初映画出演を果たした川畑要、香港映画『点対点』のアモス・ウィー監督、アンガス・タイ撮影監督、第1回オーサカ Asia スター★アワード受賞の台湾人気俳優チャン・シャオチュアンらが参加した。また、特別ゲストとして『セデック・バレ』(OAFF2012)の監督で、昨年のOAFFオープニング上映で感動のスタンディングオベーションを巻き起こし、現在絶賛公開中の『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』プロデューサーのウェイ・ダーション氏が登場。台湾等から大阪への更なるインバウンド誘客にも寄与したことに対し、大阪観光局から感謝状が贈呈された。やや肌寒い天候ながら、多くのファンが集まり、歓声がかかるたびにゲストも笑顔で手を振り応える野外イベントならではの盛り上がりをみせたリバーカーペット。ゲストの挨拶から主なコメントを紹介したい。
 
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『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』
 
ウェイ・ダーションプロデューサー:「この映画で多くの観光客が日本を伺ったと聞き、うれしいです。映画を観た皆さんには、ぜひ台湾に来てほしいです。そして、ぜひマー・ジーシアン監督に会ってほしいと思います」
 
 
 
 
 
 

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『武士道スピリッツ』

武田梨奈:「インドネシア映画に日本人代表キャストとして選ばれ光栄です。国際審査員ということで、映画祭を盛り上げたいと思います」
川畑要:「映画初出演ということで、インドネシアと日本の懸け橋になればと思います」
 
 
 

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『白河夜船』
 
安藤サクラ:「今日はここに来られてとてもうれしいです。今日は本当に初めてのお披露目の日なのでワクワクしています。ちなみに私は20歳の誕生日に一人で大阪に来て、ドン・キホーテのところで20歳になる瞬間を迎えた思い出の場所です。今日観られる方も、これから観られる方も、『白河夜船』をよろしくお願いします」
 
井浦新:「『白河夜船』は5日間で撮影した映画です。それでも、スタッフやキャストが情熱を持って取り組めば、映画は作れますし、このような素敵な場所に呼んでいただき、皆さんに観ていただくことが情熱さえあればできます。『白河夜船』のように日本の情緒を映して、日本人にしか描けない映画がもっとこれからも増えていけばいいなと思っています。ぜひ皆さんも、映画をたくさん観てください。(周りの風景や通り過ぎるクルーズ船に目をやりながら)情報がありすぎて・・・さすが大阪です。『白河夜船』をぜひ観てください。よろしくお願いします」
 
若木信吾監督:「はじめてでちょっと足が震えています。本当にこの映画は安藤さんと井浦さんの映画で、心がちょっとざわざわするような体験をしていただければ。サクラさんが本当に美しく映っています。二人に目が釘づけになると思いますので、ぜひご覧いただければと思います」
 

 

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オープニング上映前に行われたオープニングイベントでは、第1回オーサカ Asia スター★アワード受賞の台湾人気俳優チャン・シャオチュアンが「大阪アジアン映画祭にお招きいただき、ありがとうございます。アワードもいただき光栄です」と挨拶。そして4度目のOAFFの舞台となるウェイ・ダーションプロデューサーが「世界では各国で色々なことが起きていますが、映画を通して我々は様々な異なった文化を理解できます。映画によって世界に温かみがもたらされるのではないでしょうか」と挨拶し、感動的な幕開けとなった。(江口由美)
 

 
第10回大阪アジアン映画祭は3月15日まで梅田ブルク7(梅田)、シネ・リーブル梅田(梅田)、ABCホール(福島)、シネ・ヌーヴォ(九条)、プラネット・スタジオ・プラスワン(中津)で中国、香港、台湾、韓国、ベトナム、タイ、バングラデシュ、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、フィリ ピン、インド、トルコ、ハンガリー、フランス、アメリカ、日本の17の国、地域から世界初上映11本を含む全48本を上映する。クロージング作品はファン・ジョンミン主演、昨年末公開から韓国で現在も空前の大ヒットを続けるユン・ジェギュン監督の感動大作『国際市場で逢いましょう』。1950年代朝鮮戦争により家族離散、貧しい避難民生活、西ドイツへの出稼ぎ、ベトナム戦争従軍といった激動の時代を家族のためだけに働き、生き抜いてきた名もなき父親を、ファン・ジョンミンが熱演。韓国版『Always 三丁目の夕日』と呼ばれるほど見事な各時代のセットも見どころだ。
 
常設のコンペティション部門では世界初上映となるデレク・クォク監督最新作のバドミントンコメディー『全力スマッシュ』(香港)や、波多野結衣主演の『サシミ』(台湾)をはじめ、OAFF初となるハンガリー映画『牝狐リザ』、北村一輝主演の傑作ミステリー『マンフロムリノ』(アメリカ)、今勢いのあるフィリピン映画から『マリキナ』、『運命というもの』など、アジア映画のパワーを感じる全12作品がラインナップ。
さらに、インディ・フォーラム部門では、第11回CO2助成作品3作の世界初上映をはじめとした全10作品を上映。東日本大震災からちょうど4年が経つ3月11日には、東日本大震災により公開延期を余儀なくされた『唐山大地震』を4年越しの劇場公開に先駆けて上映する他、「震災と映画」というテーマのトークセッションを盛り込んだ《東日本大震災から4年「メモリアル3.11」》を開催する。
 
チケットはチケットぴあでの前売終了後は、各劇場にて順次販売。詳細は大阪アジアン映画祭ホームページ参照。
お問い合わせ:大阪アジアン映画祭運営事務局
TEL 06-6374-1236 http://www.oaff.jp/
 
 
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