「フィリピン」と一致するもの

I Do Bidoo-s1.jpg『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』クリス・マルティネス監督、ユージン・ドミンゴさんインタビュー

『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』  “I Do Bidoo Bidoo“
(2012年 フィリピン 2時間1分)
監督:クリス・マルティネス 
出演:サム・コンセプション、ユージン・ドミンゴ、ゲイリー・バレンシアノ
(c)Unitel Productions and Studio 5

「ドゥ・ビドゥビドゥ~♪」と思わず口ずさみたくなるフィリピン発のカラフルミュージカル『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』。OAFFでは『100』(OAFF2009)、『浄化槽の貴婦人』(OAFF2012)に続き、名女優、ユージン・ドミンゴと組んでクリス・マルティネス監督が撮りあげたOAFF2013のコンペティション部門作品だ。フィリピンのビートルズ、APO Hiking Societyの曲を全編に散りばめたフィリピン版『マンマ・ミーア』は、金持ちのお嬢様と、下町の青年との恋物語に、青年のママ演じるユージン・ドミンゴやママ友達の賑やかおばさん、青年に恋心をいだく男友達とカラフルな人間模様が繰り広げられ、心に沁みる歌の数々が感動を呼ぶ楽しさが詰まった愛の物語だ。

『100』(OAFF2009)以来の来場となったクリス・マルティネス監督と主演のユージン・ドミンゴさんに、本作の撮影秘話や、フィリピン映画界の現状について話を伺った。上映後のQ&Aの様子も合わせてご紹介したい。

<ストーリー>
1I Do Bidoo-2.jpg9歳のロックとトレイシーは、トレイシーの妊娠を機に結婚を決意。ロックの母(ユージン・ドミンゴ)は、お金持ちのお嬢様のトレイシーとの若すぎる結婚に心配を隠せない。トレイシーの母親も夫との冷え切った関係を払しょくすべく、トレイシーを結婚させずに一緒に渡米するよう説得する。ある日トレイシーの招きで、結婚前の挨拶に訪れたロック一家は、退役軍人のトレイシーの祖父に差別的扱いを受け大憤慨。喧嘩別れをしてしまったロック一家とトレイシー一家の険悪な関係は、若い二人の絆にも影を落としていく…。 


<上映後のQ&A>
I Do Bidoo-s2.jpg―――この作品で全面的に使われているフィリピンバンド、APO Hiking Societyについて教えてください。
クリス・マルティネス監督(以降マルティネス監督):APO Hiking Societyは3人組のバンドで、70年代初期から活動しています。作詞作曲も手がけ、その楽曲は何世代にもわたって作り直されたり、リメイクされたりしながら歌い継がれ、今だにヒットしています。フィリピン人からすれば40年に渡って聞き続けてきた曲で、映画のサントラを手がけるなど幅広い活動をしてきたバンド。本作は「フィリピンのサウンドトラック」ですね。APO Hiking Societyはまさに、フィリピンのビートルズなのです。

―――本作制作のきっかけは?
マルティネス監督:プロデューサーからAPO Hiking Societyの楽曲を使って『マンマ・ミーア』みたいな映画を作れないかと打診がありました。それからAPO Hiking Societyの楽曲を全て聴きこみ、人気のあるものを選んでいきながら、究極の愛とは家族愛なのだと感じました。フィリピン人はとてもロマンチックで、ラブソングが流行るのですが、これらの曲を聴いてストーリーが沸き、脚本を書いていったのです。


<単独インタビュー>
 ―――監督とユージンさんの出会いや、お互いの魅力について教えてください。
I Do Bidoo-s3.jpgユージン・ドミンゴ(以降ユージン):クリス・マルティネス監督は、フィリピン大学で同じ劇団に所属していました。監督の方が先輩で、在学中は私のことを召使いのようにみなしていたので(笑)、なんとか見返してやろうと頑張りました。最初の映画や短編、私の最初の舞台の脚本をクリス監督が書いてくれましいたし、最初のCMも作ってくれました。おそらく私のことを認めてくれたのでしょうね。それ以来仕事をくれる関係なので、好きにならざるを得ない状況です。

クリス・マルティネス監督(以降マルティネス監督):最初から自分は監督をしていたのですが、すごく面白い新人が入ってきたと思っていました。ユージンは小道具などの裏方をやっていたのですが、だんだん「こいつは面白いのではないか」と気付き、彼女を演出していくと、頭角を現してきました。次第に僕の方がユージンの衣装を縫うようになり、立場が逆転して、ユージンが女王様、僕が召使いのようになって現在に至っています。このままの関係が続いていくでしょう(笑)。

―――APO Hiking Societyの曲を使ったミュージカルを作るという企画を提示されてから、同グループの全ての曲を聞かれたそうですが、なぜ『ドゥ・ビドゥビドゥ』をタイトルやメイン曲にしたのですか。
マルティネス監督:歌詞が音楽を作ることについての内容で、「音程が狂っていても関係ない。自分を表現することが大事」といったメッセージや、音楽に対する愛を歌っているのが、映画そのもののテーマにも合っていると思いました。フィリピンではミュージカル映画が珍しいので、APO Hiking Societyの楽曲の中でも一番馴染みのある選曲がいいと思いましたし、幕開けのにぎやかな感じにふさわしい曲です。

―――フィリピンではミュージカル映画が珍しいとのことですが、制作するにあたって大変だったことは?
 I Do Bidoo-1.jpgマルティネス監督:プロデューサーから話を持ちかけられてから、完成まで約3年半かかりました。脚本を書くのに1年、その後2年ぐらいでキャスティング、楽曲の権利問題を解決したり、アレンジやレコーディングなどを行い、そこから撮影しました。長い道のりなのでそれが大変でした。特に群衆でのダンスのシーンは何度もリハーサルを重ねました。でもその甲斐があったので、また機会があればミュージカル作品をユージンさんと一緒にやりたいですね。僕自身も旅行にいけば一日2本ミュージカルを見るぐらい、ミュージカルが好きですから。

ユージン:舞台女優からキャリアをスタートしたので、歌も踊りもこなしていましたが、映画の世界に入って演技に集中するようになってからは、歌や踊りから遠ざかっていました。実を言うと、最初はこの母親役は別の人がキャスティングされていましたが、諸事情がありマルティネス監督がいつも私を信頼してくれるので、話が回ってきたのです。そこからボイストレーニングやダンスレッスンを重ね、歌やダンスをやっていた頃の感覚を取り戻していきました。大変でしたがとてもやりがいがありました。なにせ、トレイシーの両親役はプロの歌手だし、ロックの父(ユージンさんの夫役)は自分で作曲もできるミュージシャンで、フィリピンの歌手協会の会長をしている方なんです。いかに私の状況が大変だったか分かっていただけるでしょう(笑)
でも一番重要なのは歌を感じて演技で表現することなので、そこは自信を持ってやりました。

―――ユージンさん演じるロックの母とその友達3人組は大阪のおばちゃんのような賑やかさと、情の深さがとても魅力的でした。どうやってこの役を演出していきましたか?
 I Do Bidoo-3.jpgマルティネス監督:ユージンさんにとって脚本が一番大事なんです。ですから、彼女がやったことのないような挑戦的な役を書くようにしています。どういうキャラクター像にするのか、髪型や見た目を最初に決めながら、ユージンさんに役に入ってもらうようにしました。
ユージン:毎年いろいろな作品に出演しており、テレビよりも映画に出るのが好きなのですが、映画は監督のものだと思っています。どこでカットをするのか、どう編集するのかも監督にかかっていますから、役者としては監督に全てを委ねる心構えでいます。監督のやりたいビジョンを理解することが絶対に必要ですが、幸運なことにクリス監督とは長年一緒に仕事をしているので、感性も分かる間柄で、モダンな感性をお持ちなところも共通点があります。いつもいい意味でやりがいのある仕事を与えてくれますし、大変だけれど最終的には苦労が報われる仕事ができるので、クセになって毎年クリス監督の作品に出てしまうのです。次のプロジェクトを進行中で、今は浴衣を物色中で、彼氏役の日本人男優を探しています。

―――『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』はフィリピン国内向けに作られたとのことですが、海外映画祭出品作品と、どういう点で違いがあるのですか?
マルティネス監督:『100』『浄化槽の貴婦人』はシネマラヤ映画祭のプロジェクトとして作られたものなので、国内というよりは外国映画マーケット向けに作られました。インディペンデント映画なので、商業映画とは違うオルタナティブな作品として作っていたので、制作の根本が違います。今回の『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』は、完全な商業映画なので、国内のお客さんに見せるために作られました。今回この作品がOAFFやほかの映画祭に呼ばれることになり、歌詞や歌はフィリピンの人しか分からないと思っていたので、それが普遍的な受け入れられ方をすることが分かってとてもうれしかったです。
予算の規模も全然違います。本作1本の予算で、『浄化槽の貴婦人』規模の映画が20本作れるぐらいありました。そのお金を回収するためにフィリピンで利益を上げなければいけないのです。

―――フィリピン国産映画市場は今、どんな状況にあるのでしょうか?
 I Do Bidoo-s4.jpgマルティネス監督:ハリウッド映画の人気があるのは確かですが、どんな映画がかかるかによります。フィリピンの国内事情から言うと、映画は中流以上の人の娯楽であり、貧しい人たちは映画を観るお金がない、チケットを買うなら食べ物を買うという状況です。
ユージン:海賊版が出回って、公開日になればその日の夜に海賊版が街で売られているわ。
マルティネス監督:クリスマスの2週間は、フィリピンの人たちは皆映画をみにきます。メトロマニア映画祭というフィリピンの映画だけを上映する週間で、それで収益を上げた国内の監督にとってもプレゼントになるというお祭りがあります。
ユージン:この2週間は、ハリウッド映画は一切なしなの。
マルティネス監督:今だんだんフィリピン映画も観られるようになってきて、ハリウッド映画にも勝てるフィリピン製の映画も登場しています。ユージンさんが出演した『Kimmy Dora and the Temple of Kiyeme』というコメディー(マルティネス監督は脚本を担当)はその時同時に上映されたハリウッド映画よりもヒットしましたし、クオリティーも非常に良かったです。『浄化槽の貴婦人』も同じ年に公開された『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』より興行成績が上でした。ですから、本当に映画の脚本やキャストなどの質が良ければ国産映画でもハリウッド映画に負けないと思います。 

―――最後にOAFF観客のみなさんにメッセージをお願いします。 
マルティネス監督:今回OAFFで上映していただき、たくさんのいいお客さんに見に来ていただき、ありがとうございます。また次回作を持ってこの場を訪れることを楽しみにしています。
ユージン: (日本語で)ありがとう!ありがとう!Thank you!Thank you!


『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』が初上映されたのは、ちょうど映画祭の半ばとなる13日。私も恥ずかしながら疲れが出て、上映前はフラフラだったが、この作品を観終わったら元気復活。やはりHappyで楽しい映画を観ると、カラダも元気になれるのです!後日来日したユージン・ドミンゴさんを交えてのインタビューは、お二人の出会いエピソードを質問した冒頭から笑いが絶えないものに。大学の劇団時代から歩みをともにしてきたお二人の漫才のようなやりとりを聞きながら、これからも末永く魅力的な作品を作り出すフィリピンの名コンビの次回作が早く見たくてたまらなくなった。(江口由美)

第8回大阪アジアン映画祭『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』作品紹介はコチラ

【毒戦】OP、コンペ、香港1.jpg 3月8日(金)~17日(日)の期間、梅田ブルク7をメイン会場に市内各劇場で開催される第8回大阪アジアン映画祭。さる2月6日(水)にプログラムが発表され、9日(土)よりチケット発売も開始された。    

 Sub Still 01 剧照.jpeg オープニング上映はOAFF4度目となるジョニー・トー監督作品『毒戦』が華々しく登場。クロージング上映は今年の監督特集<リー・ユーの電影世界>よりリー・ユー監督×ファン・ビンビンコンビ最新作『二重露光』。他にもアジアスター出演話題作の日本初上映に胸躍らせているアジア映画ファンも多いことだろう。今年OAFF初となるキルギス、イラン映画など、映画通注目必須の作品もラインナップされている。

   映画祭開催に先駆け、大阪アジアン映画祭の暉峻創三プログラミング・ディレクターが、今年のコンペティション部門、特別招待作品部門や特集企画の見どころについて語った内容をご紹介したい。


■OAFF初上映のキルギス映画、イラン映画は必見!

OAFF2013teruoka.JPG 今年特筆すべきは上映する作品の国に広がりが出てきたことでしょう。キルギス映画『誰もいない家』(アカデミー賞キルギス代表)は素晴らしい才能で、昨年の『セデック・バレ』同様の驚きをもたらす作品です。人生に絶望的になるような内容ですが、こんなに絶望感が伝わる映画は今まで何千本観てきてもこれしかないというぐらいです。映画としてのあらゆる場面が観ていて面白く、全く退屈している暇がありません。映画好きであれば、最初のワンショットで心掴まれるでしょう。

 特別招待作品部門ではイラン映画をOAFFで初めて上映します。『別離』主演女優レイラ・ハタミの最新作『最後の一段』で、彼女は美術監督もしています。監督は彼女の夫であり監督、脚本、主演を務めたアリ・モサファ。語り口が斬新で、色々な解釈の余地がある映画です。カルロヴィ・ヴァリ(チェコ)映画祭で出品、レイラ・ハタミは最優秀女優賞を獲得しています。

 

■世界初上映でユー・ナン(『トゥヤーの結婚』)主演作や、大阪ミナミ発映画が登場!

【親愛】1.JPG コンペティション部門で世界初上映の一本目は中国映画『親愛』でユー・ナン(『トゥヤーの結婚』)主演作です。監督は、学生時代日本語の勉強をしており、本作でも主人公が働いているのは日系企業という設定です。映画を作っているときは中国が反日的になっている時でしたが、日本人と中国人の親密な関係を描こうとしている人たちもいるということがご覧いただけるのではないでしょうか。みなさんの反響が楽しみな作品のひとつです。

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 二本目の『Fly me to Minami~恋するミナミ』は大阪のミナミを舞台にした映画ですが、ミナミだけではなく、韓国のソウルと香港も舞台になっています。監督は大阪在住のマレーシア人監督リム・カーワイで、昨年末から撮影し、3月の映画完成に向けて現在字幕作成および編集中の作品なので、出来立てのホヤホヤをご覧いただけるでしょう。

 

 

■音楽好きにおススメ、『レ・ミゼラブル』より数段面白いフィリピンミュージカル!

【カラ・キング】メイン.jpg コンペティション部門ではフィリピンから本格的なミュージカル映画が登場します。『浄化槽の貴婦人』(OAFF2012上映)監督の最新作で、「フィリピンのビートルズ」APO Hiking Societyという伝説的バンドの曲にインスパイアされて作られた『アイ・ドゥ・ビドゥビドゥ』。フィリピンのマニラの町がシェルブールに見えるぐらい美しく、『レ・ミゼラブル』よりもはるかに素晴らしいと思います。
『カラ・キング』はOAFF2012で来るべき才能賞を受賞したNamewee監督の第三作。世界初上映です。パンクな感じがする新しいスタイルを持ったミュージカルで、台湾伝説の大歌手カオ・リンフォンや、チャウ・シンチー映画でおなじみのン・マンタが準主役級で登場しています。

 

 

■世界で初めての特集『GTHの7年ちょい~タイ映画の新たな奇跡』

【ATM】メイン.jpg 今回、GTHというタイの映画会社の特集を組みました。もともとトニー・ジャー、ジージャーの勢力がある中、GTHが7年前に参入し、昨年のタイ興行収入第一位を獲得した『ATMエラー』(コンペティション部門でも上映)もGTH制作の作品です。ムエタイアクションものは作ったことがなく、洗練されたラブロマンスかホラーを作っていることが特徴で、タイにも中産階級が膨らみ、一番メジャーな層になって洗練されたものを好むようになってきていることも影響しているでしょう。昨年設立7周年記念で制作した『セブン・サムシング』や、GTH設立のきっかけとなった『フェーンチャン ぼくの恋人』、他過去にOAFFで上映したGTH制作作品も上映します。世界で初めての特集と言っていい独自のプログラムです。

 

■距離は遠いけれど、親密さを感じてもらえるプログラム

 普通、日本から遠い国の映画を観たときの発見は「今まで知らない文化」という側面だと思いますが、今回は距離的には遠い国でも、我々と似ている点があると感じてもらえる映画が揃いました。日本の文化や我々の感情のあり方と変わらない、距離は遠かったし、縁はなかったけれど、親密さを感じてもらえるプログラムになっているのではないかと思います。

 


第8回大阪アジアン映画祭 公式サイト http://www.oaff.jp/2013/index.html

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tonaruhito-s1.jpg(2011年 日本 1時間29分)
監督:刀川和也  撮影:刀川和也、大澤一生、小野さやか
2012年8月18日(土)~第七藝術劇場、ポレポレ東中野※アンコール上映、9月15日(土)~神戸アートビレッジセンター他全国順次公開
公式サイトはコチラ

  “子どものための子どもの施設”を掲げた児童養護施設「光の子どもの家」を8年間記録し続けたドキュメンタリー『隣る人』がいよいよ関西で公開される。大家族のような賑やかさと暖かさがあるその場所で、理由があって親と暮せない様々な年代の子どもたちが職員たちを母親のように慕いながら生活している姿を丁寧に描写。静かな感動を呼ぶ作品だ。キャンペーンで来阪した刀川和也監督に、作品を通じて描きたかったことや、撮影秘話について話を伺った。


━━━アジアプレスで海外取材活動をされていた刀川監督が、光の子どもの家に巡り合った経緯は?
  2001年6月ごろフィリピンで児童労働の取材後マニラ空港のテレビで、付属池田小学校の無差別殺人事件の映像が流れたんです。フィリピンは環境としては過酷ですが、色々な人間がくしゃくしゃになりながら生きている姿を取材してきた後で、あの豊かなはずの日本での事件に衝撃を受けました。巷やニュースでも「虐待」という言葉がよく聞かれるようになった頃で、家族問題の評論をされている芹沢俊介さんの『「新しい家族」のつくり方』という本の後書きに光の子どもの家のことが書かれていて知りました。

tonaruhito-1.jpg━━━光の子どもの家のどういった点に惹かれたのですか。
  「子どもがまっすぐ育つには伴走するように居続けるしかない。」ということが「隣る人」という言葉とともに書かれていました。「家族を内側としたら、内側と外側の狭間に、家族のことを考える場所があるかもしれない。」と、一般的な児童養護施設は家族の外側だけど、光の子どもの家は家庭的であることを実践しようとしている訳です。子どものための子どもの施設を作る、そのために子どもと暮らすという理念で、子どもと一緒に寝たりご飯を食べたり、食器ひとつにしても皆が自分の陶器を使ったり、細部まで意識化していく。僕の中では、児童養護施設という場で家庭的であることを実践している様を見つめることによって、家族や家庭、親子の中身が逆に見えてくるのではないかということを途中から意識していました。

━━━光の子どもの家に初めて行った時の感想は?
  僕もびっくりしたのですが、匂いがあったんです。友達の家に行ったときに入ってくるその家の匂いがあって、学校や施設とは違う”家”だと、一番最初に感じました。

━━━撮影の許可を得るのは大変だった?
  2003年末一度話に言った後、ちょうど光の子どもの家で職員の誕生会をしていたので理事長の菅原さんに「行く?」と誘われました。撮ってもいいよと言われて撮り始めてからは、ある意味自由でしたね。撮影に行く前にテレビ局が入っていたこともプラスに働いたのでしょう。暮らしを撮りたかったので、とりあえずキャメラを回して、でもビデオを撮りに来た人ということは認識してほしかったんですよ。最初の1年半ぐらいは一人で週に一度日帰りや一泊二日で、敷地内の5軒をぐるぐる回って全ての職員さんや子どもたちと仲良くなることはできました。でもそれだけでは撮れるものは限られていて、こんなのを撮っていてどうなるのかと思いましたし、映画にするためには踏み込まなければいけない。プライバシーのことも気になりましたが、モザイクをつけるのなら公開しないと決めていたので、このまま撮っても公開できるのかと悩みました。

tonaruhito-s2.jpg━━━手さぐり状態の撮影に活路が見えたのはいつ頃ですか。
  いろんな出会いに助けられました。大澤一生さんや『アヒルの子』公開前の小野さやかさんに偶然出会って、彼女も同じようなテーマを撮っていたので、是非来たいと2005年頃から一年ほど二人が代わりに撮影に行っていました。映画でも一部使っています。

  再び一人で撮り始めた時に、企画の稲塚由美子さんに出会いました。映画にするのなら本気でやるか、やめるしかないと決断を迫られていたときで、撮ってきた素材を稲塚さんに見せたんです。すると「普遍的なことが日常の中にいっぱいあるから、絶対やった方がいい。」と言ってくださり、そこからは稲塚さんと一緒に議論しながら作り上げていきました。

━━━作品中でも「撮らないで」と子どもたちが嫌がるシーンもありましたが、どうやって彼女たちとコミュニケーションを取っていったのですか。
  子どもは意外と撮らせてくれるのですが、恥ずかしいと思ったことや、親のことには結構小さな子でも反応します。そのときに居合わせても撮影できる自分でなければいけない。それぐらい撮影を日常化することで撮るほうも撮られる方もストレスが減るんです。撮ることは集中力はいるので、力が抜けているときもあるのですが、それでも突然ぐっとくることがあります。むっちゃんとマリナが「ママなんていないじゃないの!」と泣くところも、最初は二人で相撲をしていただけなのに、マリコさんが洗い物をしていたらぐっとくる展開があるんです。むっちゃんも「ずっとカメラで撮ってるじゃん。」と言うということは、ずっと撮られてることを知っているし、許しているわけです。

  さらに、公開できるかという部分で、話をしてもまだわからない小さい子どもたちばかりなので、自分と子どもたちの信頼関係になるんですよ。そのためにも居て、映画を撮っているだけじゃないぐらい関わっていく。半分職員のようになってましたね。どうなるか分からないけれど、いつかは公開できる、子どもたちは「うん」と言ってくれると信じて撮っていました。

tonaruhito-2.jpg━━━子どもたちが職員を「ママ」と呼んでいたのが印象的でしたが、自然にそう呼んでいるのでしょうか。
  子どもたちは呼びたいように呼んでいますよ。「マリコさん」と言ったり、「ママ」と言ったり。逆にマリコさんも初めて担当した留学費まで出してあげた子であっても「ママ」と呼ばれて、即座に「違う」と拒否したことがあったそうです。職員たちも若い頃は「私はお母さんじゃない」と思うようです。でも「ママ」と呼びたい子どもの気持ちは、親密でありたいという表現で否定しないほうがいいのではないかと菅原さんと話をし、呼びたいように呼ぶようになっています。子ども自身も複雑な想いで葛藤しているんですよ。テロップは入れていませんが、子どもたちが「ママ」と呼んだときに、観ている人にこれってママなの?ママのように見えるけど職員だし、ではママの中身って何だろうと考えてもらえればと思っています。

━━━むっちゃんがお母さんやおばあちゃんとの関係で揺れ動く様子は、双方の辛さが伝わりました。
  親御さんというのは映画の中にちゃんといてほしかったんです。家族の絆といっても、実は血縁が人を縛っていたりもしますし、本当は児童養護施設で暮らしていることや、実の親御さんに育ててもらっていないことをマイナスに感じる必要はないのです。一緒に暮らしていないから、ぶつかりたくてもぶつかれなくて親も子どももお互いに幻想を抱く。マリコさんが言う「憎たらしいことがいっぱいあっても、一個いいことがあると帳消しになる。」のが”暮らし”なのですが、一回しかなければ一回が全てです。暮らしている強さなんです。とはいえ、生んだ人間だから唯一無二で、子どもの人生のためにどうするかを中心に据えれば、お母さんとしての役割は永遠にあります。時には成長した子どもに罵倒されたするかもしれませんし、暮らすだけが役割ではないですね。

tonaruhito-pos.jpg━━━大家族のような光の子どもの家で、子どもたちと職員たちが生活する様々な日常を映し出していますが、撮影ではどんなことを心がけたのでしょうか。
  単純に好きなので、抱きしめているシーンは一番撮っています。長くいると、あと数時間いなければ見逃してしまうという局面が分かるようになります。週に一度ぐらいでは分からないし、月に一度では何も変わってないように見えますが、ずっといると毎日のように大事件があって、そこに時間が許す限りできるだけ居合わせて、ぎりぎりまで頑張ってみる。本当に「ダメ」と言われたら、その瞬間にバチッとくるので、その時は止めます。ぎりぎりのところに居合わせ、撮影もしましたが、逆にそこまでいなければ映画の公開もできなかった。そこまでいた責任も同時にあって、居合わせるなら逃げないということです。

━━━家庭とは、家族とはを考えさせられる普遍的な内容でしたが、一番伝えたかったことを教えてください。
  この映画で説明やテロップも入れなかったのは、児童養護施設という特殊な場所の話にしたくなかったからです。僕と地つづきだし、あそこにいる人たちは私たちの問題でもあると思うようになりました。すでに東京で上映してきましたが、感想としてむっちゃんを見ながら自分の子ども時代を見たり、マリコさんを見ながら自分のお母さんを振り返ってみたり、あの映画を観ながら自分を見ていると言ってもらえたのがうれしいです。誰も一人で生きられません。児童養護施設で撮りましたが、人と人との関係やその有り様や大事なことを撮ったつもりなので、そのことがきちんと伝わればいいなと思います。


  本作に登場したむっちゃんことムツミちゃんとマリナちゃんを昨年の山形ドキュメンタリー映画祭に招待し、質疑応答の席から二人への感謝の言葉と劇場公開するつもりでやっていることを伝えたという刀川監督。8年間の撮影で培った人間関係が、デリケートな部分に踏み込みながらも、家族の本質を考える機会を与えてくれるドキュメンタリーを完成に導いたといっても過言ではない。血のつながりだけが全てではない子育てと幸せの姿は、誰もが子どもたちの、しいては大人の“隣る人”になれる可能性を示してくれた。自分の原体験に引き寄せて、改めて家族とは、親子とはを思い巡らせてほしい。(江口由美)


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大阪アジアン映画祭のオープニング作品『道 ~ 白磁の人 ~ 』で高橋伴明監督(右)と主演の吉沢悠。
(C)2012「道~白磁の人~」フィルムパートナーズ

 michi-1.jpg   『道~白磁の人~』

(2012年 日本・韓国 1時間58分)
監督:高橋伴明
出演:吉沢悠、ペ・スビン、塩谷瞬、黒川智花、近野成美、
    チョン・ダス、チョン・スジ、市川亀治郎、堀部圭亮、
    田中要次、大杉蓮、手塚理美
2012年6月9日(土)~新宿バルト9、梅田ブルク7、T・ジョイ京都、TOHOシネマズ西宮OS ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ http://hakujinohito.com/


 ●第7回大阪アジアン映画祭スタート
 大阪アジアン映画祭が9日夜、大阪・梅田ブルク7で日韓合作映画「道~白磁の人~」の上映からスタート、高橋伴明監督と主演の吉沢悠が初日舞台あいさつを行った。


 michi-3.jpg 「~白磁の人」は激動の大正初期、朝鮮半島に林業技師として渡り、朝鮮の伝統工芸・白磁に惚れ込んでその芸術的価値を多くの人に知らせた浅川巧の生涯を描いた“現代へのメッセージ”。
 上映前に会見した高橋監督は「アジアがもっと強くならなきゃならないと思ってた時にオファーがあった。日本と韓国が手を結んでいくことが大事。8割以上 韓国人スタッフで、撮影から仕上げまでほぼ全部韓国でやった。新たなことが出来た」と韓国で映画を完成させたことに満足げ。


 韓国人俳優・ペ・スビンと熱い友情を育む主役を務めた吉沢も「“道”で韓国のスタッフ、キャストと仕事するという有意義な経験が出来た。浅川さんの活動に共感出来るし、アジアにこれだけ素晴らしい 人がいたんだとアピール出来たと思う」。
 裁判映画「BOX袴田事件」、京都造形芸大の学生とのコラボ映画「MADE IN JAPAN こらっ」など一作ごとに意欲的な映画作りが話題を集める高橋監督にとって、アジアン映画祭オープニングは「自信を持って投げ込んだストレート作品」と自信 を見せた。

 michi-s4.jpg――  韓国での撮影は困難が多かった?
高橋監督: 「いきなりセットが豪雨で流され、別のオープンセットを使わなければならくなる試練がに見舞われ たが、日韓のスタッフがいろんな工夫をすることでひとつになれた。韓国は絵コンテで撮影を進めていくけど、僕は(絵コンテを)書かないのでそれを説明する のに時間がかかったかな。現場は1日で慣れた。天候は不順で雨にたたられたけど、雨の時はこうしよう、といつも考えていた」。

――伝説的な実在の人物・浅川巧の映画化だが
高橋監督:かつて芸術系の雑誌(芸術新潮)で読んでどんな人かは知っていた。(浅川さんの作品は)候補に上がった時に見せてもらって、自然の中に置きやすい、自然との共存が感じられるナチュラルな人だと思った。
吉沢:浅川さんは知らなかった。小説読んで、素晴らしい活動をした人だと知り、日記も読んでお茶目なところもあると知ったり、僕自身が浅川さんに近づいていこうと思った。ロケで感じるところもありました。監督からは“吉沢とペ・スビンが友情を育んでくれたら”と言われていた。
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 ――役作りは?
吉沢:浅川さんは好奇心があった人。朝鮮半島の文化をあの時代に受け入れた。映画は韓国で公開されることも決まっているので、こういう日本人がいたことを日本でも韓国でももっと知ってほしい。

――韓国人スタッフやキャストについては?
高橋監督:プライドの高さ、謝らないことなど、日本人が見習うべきことも多い。ごめんなさいと言わないこともあるが、自分の意見をきちっというのは大事なこと。細かいことまで監督にジャッジを求めてくる。

 ――大阪アジアン映画祭のオープニング作品だが
 
吉沢:大阪の友人に会って、大阪の人が行きやすいイベントに、韓国も中国も入っていて、ラインアップに『道』が入っている。そのオープニングなんて光栄です。
高橋監督:そういう意識は持ってなかったが、アジアン映画祭で初めて見ていただける意義は感じています。コンペ部門で反応を知りたいぐらいです。

●舞台あいさつで
高橋監督:結婚して30年、監督やめようと思ったこともあるが、(恵子夫人から)“私は映画監督と結婚した”と言われて続けてきた。今回はストレート投げました。どのように感じてもらえるか、楽しみです。
吉沢悠:言葉の壁は最初はあった。CDで韓国語を勉強していったが、スタッフ間では映画人の心と心のつながりがありました。ペ・スビンとは英語で話した。 彼は釣りが趣味で、夜に内緒で釣りに行ったりもしました。
 



※第7回大阪アジアン映画祭は10日から18日まで、大阪・梅田ガーデンシネ マ、ABCホール、シネ・ヌーヴォ、HEP HALLなどで行われ、台湾、韓国、中国、香港、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、日本などアジ ア各国の映画が上映される。問い合わせは06-6373-1225アジアン映画祭運営事務局へ。 (安永 五郎)                        
 

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