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olo-s2.jpg(2012年 日本 1時間48分)
監督:岩佐寿弥
プロデューサー:代島治彦
音楽:大友良英 
絵・題字:下田昌克

© OLO Production Committee

6月30日~ユーロスペース(東京)、7月7日〜シネ・ヌーヴォ、(公開時期未定)京都みなみ会館
公式サイト⇒http://www.olo-tibet.com/

~少年オロの悲しみと明るさが心に刻みこまれる…~

チベットでは、中国政府の政策でチベット文化やチベット語の公教育が十分行われず、親たちは、インド北部のダラムサラにある「チベットこども村」(チベット亡命政府が運営)という全寮制の学校で勉学させるため、あえて子どもたちを人に託して、ヒマラヤを越え、亡命させる。少年オロもそんなふうに6歳の時、母から国外へと送り出された一人。映画の前半では、オロの学校生活や、友達の家族の姿が描かれ、家族が離散した悲しみや、友達が体験した亡命の苦労が語られる。後半は、岩佐監督ご本人が登場。オロは、監督とともに、チベット難民一世でネパールで暮らすおばあちゃん(監督の前作『モゥモ チェンガ』(2002年)の主人公)の家を訪ねる。

おちゃめで繊細な少年オロはじっと見守りたくなるくらいにかわいく、その表情にひき込まれる。オロを主人公としたドキュメンタリーでありながら、他のチベット映画の映像やアニメ映像も挿入され、撮影者である監督と被写体のオロとが映画について語りあうシーンもあり、自由な作風が魅力的。来阪された岩佐監督と代島プロデューサーから本作の魅力についてたっぷりとお話をうかがったのでご紹介したい。


■映画化のきっかけ

olo-1.jpg―――最初にチベットに魅かれたきっかけは何ですか。

監督「16年前、妻がトレッキングをやっていて、ガイドの方がネパール国籍を持つチベットの難民でした。妻たちが山に行っている間、僕は、彼が育った難民キャンプに行くようになりました。日本人と顔も感覚も似ていて、難民キャンプの空間も、僕の子どもの頃を思い出し、とても懐かしい、でもひとつ微妙な違いを感じていました。何だろうと思っていたら、こびへつらわない、卑屈にならないというのがあって、チベット文化が生み出すものだと思いました。チベット仏教が生活のひだまでしみとおるようにあって、そういう伝統の中から生まれてきた一つの人格という独特のものを、難民の人たちが外国へ行っても、とても大事にしているところに、とてもひかれました。

こびへつらうことは、威張ることの反対のようにみえますが、僕は一つのことだと思います。威張ることの裏返しがへつらうことで、威張りたい人は局面によってはすぐ卑屈になるし、卑屈な人は威張るチャンスがあれば威張りたがる。チベットの人たちにはそういうものがありません。日本人でも卑屈でない人はたくさんいますが、チベットの場合、子どもの時からそのようなものが育たないように育てられてきている感じがして、それがひきつけられた第一の理由です」

―――チベットの映画を撮ろうと思われたのは?

監督「チベットの人たちは、異国の地で、自分たちが持ってきた文化を抱きしめるように大切にしています。お寺もすぐつくるし、難民になってもお坊さんはいっぱい出てくるし、日常は全部祈りを中心に進んでいきます。衣装やお茶、生活の細かい様式で、強いられなくても自然に文化を保っている姿をみると、戦後私たち日本人が失ってしまったものがとても大事だったと考えさせられました。それで、最初は、そういった文化を一番守っているおばあさんの映画をつくりたいと思い、それから10年経って、今度は少年の映画をつくりたくなって、踏み出したんです」

olo-2.jpg―――なぜ少年を主人公にしたのですか。

監督「2008年の北京オリンピックの聖火リレーで、世界中あちこちの聖火が通る場所で人権デモがあり、チベットの置かれた状況についても広く知られるようになりました。その時、日本でもチベットのための運動が起きて、33年間監獄に入っていたバルデン・ギャツォ師という老僧が日本に来て講演をされました。僕は、壇上のそのおじいさんにずっと見入っていたのですが、その時ふっと横から少年が現れ、二人が対話を始めたというような幻がでてきて、“少年”と思ったのです。それからしばらくして、十歳位の少年を主人公にしたら、何かが生まれそうだと思ったのが、始まりでした」

―――オロが暮らすダラムサラはどんなところですか。

監督「北インドのダラムサラは、チベット難民に与えられた街で、インドの中のチベットです。1959年にダライラマ法王と一緒に亡命した難民たちに対し、翌年、インド政府がそこを与えることを決定しました。イギリス植民地時代のイギリス人たちの保養地、避暑地です。商売をするインド人もいますが、量的にも質的にもチベットの街で、当時のネルー首相が教育は大事だからと、チベットの学校もつくられました。

その頃チベットでは、中国政府の下、チベット文化の教育が全くなされず、そのことに耐えられない親たちが、ちゃんとしたチベットの教育を受けさせるため、子どもをインドに送り出すことが始まりました。年間何百人もの子どもたちが亡命したことも一時期ありましたが、今はそれほどではありません。お金を渡して、人に子どもを託し、ヒマラヤを越えてインドまで送りつける。そして、その人だけがチベットに帰ってくるということが秘密裏に行われていました。

映画に登場するホームの子は、警察に捕まるという典型的な苦労をしていますが、凍傷で足の指がなくなる子どももいます。生涯会えないかもしれないという不安があっても、親は子どもの教育が一番大事と考え、あえて亡命させるのです。中国の学校では差別があるでしょうし、チベット語で5、6歳まで育った子が、学校に行くと全然チベット語を使えないというのは、親にしたら、心配で見ていられないのではないでしょうか」

■少年オロの魅力 

olo-s1.jpg―――山で、オロがお母さんに向けて、しゃべりながら歩く場面がとても印象的です。

 

監督「お母さんに手紙を書くように語ろうかと丘の上でオロに言いました。それまで特に何も言ってなかったのですが、やろうと言ってから3分位で、あれだけ大人びた、しっかりした内容の言葉を頭の中で構築できるのは、驚くべき才能ですね。オロが特別ではなく、チベットの子はああいうことができるのです。日本の子とはえらく違います。でも、おやつをもらえなかったりした時、お母さんが恋しい、と子どもみたいなこともオロは言うでしょう(笑)」

―――映画の冒頭では、逆にオロが原稿を読むシーンがありますね。

監督「あれは真反対ですよね。映画の中でこれぐらいのことは言っておかないと筋道がわからないというのがあって、モノローグのナレーションをつけようと思って撮りました。録音機がなくて、カメラで録ったのですが、それなら写っていてもいいじゃないかということで、ライティング(照明)も何もせず、音を録るために撮っていた映像を、編集の時にそのまま使うことになりました。あのナレーションにどんな映像をあわせても、ちっともおもしろくなく、一緒に写された映像をそのまま入れると、言葉で説明しているオロがドキュメントされていて、非常に立体的になっています」

代島「あれは、オロ自身が、『音しか使わない』と言われてしゃべっていますから、表情を撮られているとは思ってなくて、ほとんど素なんです。だから、しゃべる緊張感とかしゃべり終わった後の開放感とか、一番オロらしい表情で撮れたところですね」

監督「観客に伝えなきゃいけないある程度の事実の説明もできるし、非常にうまくいったと思います。あれは『やらせてますよ』ということと、『やってますよ』ということと、そういう関係を、ずっと縄をよじるようにやってきて、映画の後半は、やらせていた人(監督)が、いつのまにか被写体となってくるとか、そういう意味もありますね」

代島「嵐がきて、外で撮影ができないということで、音も密閉されていない普通の部屋で録音しましたので、雷が鳴ったり、どんどん暗くなっていったのも妙にリアルでしたね。意図したわけではありません(笑)」

olo-s3.jpg―――オロがカメラをのぞきながら、監督に向かって「アクション、スタート」と言うシーンは、おもしろいですね。

監督「ああいう遊びは、放っておけば、するんですよ」

代島「オロはずっと撮られてるんですよね。ずっとそうだったから、逆のことをずっとやってみたかったんです。監督も長旅で疲れていましたが、オロにつきあってましたね(笑)」

監督「同じバスの中で、オロが、揺りかごのまねをするところも本当にかわいらしいですね。気持ちが自由なんですよ。小さな街から出て行ったこととか、いろいろ含めてちょっと気持ちもはしゃいでいて、バスの中の移動感も出ていて、あそこはよかったですね。オロというのは本名とは違うんです」

―――オロが、ネパールの難民一世のおばあちゃんと、チベットでの放牧の話をしているときの顔は、本当に生き生きとしていましたね。

監督「観た人の中で、あのシーンについて語ってくれる割合はものすごく高いです。二人はかなり長くしゃべっていますが、その長さがいいみたいな感じで、観客からのリアクションがあります」

―――明るくて屈託のないオロが、ネパールの難民キャンプで仲良くなった難民三世の姉妹に、亡命する途中の苦労について尋ねられて、初めて、つらい思い出を終始うつむき加減で答えるシーンがすごく印象的でした。

代島「オロがしゃべるのは、ある程度仲良くなって、好かれてるということがわかってるからだと思います」

監督「オロは僕たちにはああいうことはずっとしゃべりませんでした。全体として、オロは、特に思い出したくはないというのがあって、その中でやっと語ったということだと思います。その前に『いい人に拾われて』と言っていますが、そういうのも気を遣っているんだと思いますよ。朝、水をぶっかっけられて起こされた人だというのに、『いい人』と表現するなんて、矛盾しているおもしろさですよね。子どもが、しゃべりながら、状況に気を遣っているんです。彼女たちがかなり追求するみたいな形でしゃべるのは、映画の方から頼んでる面もあるんですけど、チベット人は聞き出したらずけずけ聞いていくところがあって、非常にチベット人らしいです」

―――亡命の途中、たった一人で迷子になってしまったオロがお店の人に雇ってもらうよう頼んだ時の言葉が「僕を買って」という訳になっているのが気になりました。

監督「きつい言葉なので、「雇って」という言葉に変えた方がいいのではないかと話し合いました。それで僕がチベット人に、ああいう時に「買って」と言うのかと聞いたら、それは言いませんとのこと。じゃあ、オロはどう言っているのかと聞くと、オロは「買ってください」と言ってます、と教えてくれた。それで、これは絶対僕は使いたいと思って、あえて、オロが言っているとおりに「買う」という言葉を訳に入れました。子ども心に、オロはそこまで追い詰められていたということなんですね」

―――最後にオロが、監督に向かって「ありがとう」というときの表情がすごいですね。

代島「チベットの人たちを代表して言ってる顔だねという感想がありました」

監督「オロはちゃんとだぶらせてますね。心のどこかで、チベットとしてありがとうと言っているのだと思います。本人はそんなことを計算しているわけじゃないですよ。でも、心の中は多分そうだろうと思います。本当にロケの最後の頃に撮ったシーンです」

■似顔絵と歌について 

―――映画の最後に出てくる似顔絵は、一枚一枚深みがあって、人生を感じました。似顔絵を使おうと思ったのはなぜですか。

 

監督「はじめ僕は成立するかなあと疑問に思っていたのですが、ものすごくよかったですね」

代島「似顔絵を描いた下田昌克さんは、チベットと出会うことで人生が変わった画家です。会社を辞めて放浪の旅に出て、いろんな絵や似顔絵を描いて、旅から帰って、その絵を気に入った編集者がいて、週刊誌に連載したりして絵描きになりました。この映画の気持ちがよくわかったのだと思います。

この映画は、監督の『ヨーイ、スタート』という掛け声から始まっていて、作り手のメッセージがあってもいい映画だと思っています。撮るということで、皆さんを引き込みながら映画をみせていく。フェイクしながらリアルをみせる。だから、最後にすごくリアリティがあるけど、『絵』というもの(フェイク)が入ってきてもいいんじゃないかと思いました。

映画は、学校の夏休み、冬休みと進んでいきますが、前半の物語と後半の物語とに分かれていますよね。映画の最後に、物語の総体というか、最初からの全体を感じてほしかったんです。そのとき登場人物の一人ひとりがどういう思いを抱えて生きているのか、ということを思い出してほしい。そこに岩佐監督の大好きなオロの歌「きっとまた会おう、兄弟たちよ」という歌を重ねたい。あの登場人物一人ひとりにも会いたい人がいるし、皆が会いたい。じゃあ、人間を出したいという中で、似顔絵を出そうという発想が出てきました」

監督「あの歌には『チベットでみ仏と会うことができますように』という歌詞が何回も出てきますが、チベット人は“み仏”というのを“ダライラマ”だと思って歌っているんです。でも、翻訳の人に、具体的に“ダライラマ”と言ってるのかと聞くと、いや、“み仏”と言ってると言われました。ダライラマ法王は観音菩薩の化身なんです。それを“み仏”といって歌にしていますが、心は具体的には“ダライラマ”なんです。ただ、歌の訳を“ダライラマ法王”と書いたら、日本人からみたら全然違うイメージになる。結局、言葉として言っているのは、“み仏”だから、“み仏”という訳にしようということになりました。

僕は、頑張ってチベット人と同じ気持ちになって、あれが“ダライラマ”だと思って歌っていると想像して、あの画面を観てると、ぐーっと迫ってきて、涙が出てきました。チベットの人たちにしたら、“ダライラマ法王”にチベットに帰ってきてほしいんです、そして、自分たちもチベットに帰って、あそこで会いたい、そういう歌なんです。ダライラマを慕って、一緒に国外に亡命した人もたくさんいますし、中国政府に禁止されているのを承知でダライラマの写真を大切に持っている人もいます」

―――観客の方へのメッセージをお願いします。

監督「チベットが中国にいじめられているという概念ではなく、映画を楽しもうという気持ちで、構えないで、観てほしいと思います」


オロが乗り越えてきた苦しみ、悲しみを知り、驚きながらも、今、目の前に映っているオロの明るさ、賢さ、たくましさに、未来への希望を感じずにはいられなかった。最後に、監督にお礼を言う時のオロの表情は、少年と大人が同居しているような、あどけなくて深みのある顔で、その成長ぶりに息をのんだ。ぜひ映画館へオロに会いにいってほしい。

少年オロの姿をとおして、未来がみえない不安の中でも、人とつながっていること、人との絆を感じることで不安を乗り越えていけるし、しっかりと前を向いて歩き続ける勇気がわいてくることを教えられた気がした。

 大阪シネ・ヌーヴォXでは、本作の公開にあわせ、「チベット映画特集2012」と題し、『モゥモ チェンガ』(2002年)をはじめ、チベット映画4本も上映される。ぜひこの機会に観に行ってほしい。

(チベット映画特集2012⇒http://www.cinenouveau.com/sakuhin/tibet/tibet.htm)

(伊藤 久美子)

 

punsanke-s3.jpg(2011年 韓国 2時間01分 R15+)
製作総指揮・脚本:キム・ギドク
監督:チョン・ジェホン
出演:ユン・ゲサン、キム・ギュリ、キム・ジョンス、オダギリジョー
2012年8月18日(土)~渋谷ユーロスペースにて境界線上のロードショー
銀座シネパトスほか全国順次公開
・作品紹介⇒こちら
・公式サイト⇒ http://www.u-picc.com/poongsan/


 分断国家の苦しみを乗り越える? 38度線の境界線を軽々と飛び越え、北と南を3時間以内で配達する運び屋、通称“プンサンケ”を描いた分断映画「プンサンケ」が8月公開される。先頃、チョン・ジェホン監督(34)が来阪PR、若い世代からの新しい視点による“分断映画”を強調した。

punsanke-1.jpg――キム・ギドク監督の脚本だが、映画はどういういきさつだったのか?
一昨年秋、キム監督から電話で「シナリオ読むか」と聞かれた。「自分はこれをうまくやれるか」と思ったが4時間後に再度電話があり「やらせてもらいます」と伝えた。当時、キム・ギドクフィルムは苦しい状況にあり財政的に底をついていた。「プンサンケ」は低予算で短い期間で多くの人々に訴える映画を作らなければいけなかった。

――苦労したところは?
「分断」というテーマとどう向き合うか。その単語が入るだけで重くなるから。いかに負担なく訴えるか。低予算に見えないようにするにはどうするか。商業的に成功しなければならなかった。2億ウォンで成功するのは難しい。

punsanke-s2.jpg――後半で北も南もひとつの部屋に閉じ込めるコミカルなシーンがある。
シナリオでもそうだが、キム・ギドク監督と私では分断のとらえ方に差がある。ギドク監督は朝鮮戦争に参加しているし海兵隊にも入っている。私は10代でアメリカに行ったし、父の仕事(外交官)でオーストリアに4年間暮らした。だから視点は異なる。私の視点でいこうと思った。こんなに近いのに手紙1通も往来させられないのはおかしい。

 ――キム監督とは話し合ったのか?
脚本はよかった。どのように映画化するかの話はなかった。現場には一度も来なかった。分断を理解しているか心配していた。「若過ぎるのではないか」と。私は北朝鮮には早くから関心を持っていた。韓国では「北は勝たなければいけない敵である」と考えているが、私はオーストリアでの経験が大きかった。あちらで歩いていて、北の言葉が聞こえてきて冗談を言っている。彼らは音楽を専攻していて、決して(思われているような)殺人兵器ではなかった。私も彼らも警戒して、話したりは出来なかった。

punsanke-2.jpg――いつごろ? その経験は映画に生きている?
2000年から2004年ごろだから当然生きている。お茶とか出来なかったのが残念だった。

――分断を描いた?
分断映画とは思っていなかった。これまでの分断映画は主人公が軍人か工作員でかっこよかった。戦争とかは過去の話。軍人だけの映画ではない。華麗で派手な英雄ではなく、愛する人を亡くしたりする。主人公が軍人ではない映画にしたかった。苦しみの中にある家族のメッセンジャーを描いた。彼が悪い訳ではない。現実に離散家族が見ることもあるのだから。キム・ギドク監督の最初のキャラクターは違う。彼は(主人公を)戦争の神様ととらえていた。 私は、ギリシャ神話のような、運命的な愛を描きたかった。プンサンケが運命の女性イノクに会ってから人間的な感情を取り戻す。人間としてのプンサンケで 彼は神ではない。

punsanke-3.jpg――実際にあんなメッセンジャーはいるのか? それとも空想の産物か?
休戦ラインを越すことは出来ない。だが、映画の後、新聞にそういう組織があることが出ていた。(映画作家として)満足だった。

――実際は延坪島(ヨンピョンド)を砲撃する事件も起こり、南北関係は悪化しているが?
延坪島砲撃事件は撮影の最中に起こった。大きな驚きだった。戦争中なんだと痛感した。撮影現場にも影響があった。ミサイルが落ちることはなかったが、撮影を止めて、砲弾が落ちた家を見に行ったりした。朝鮮戦争から60年経ってもこういうことが起こるのが分断国家なんだと思った。韓国政府からは(現場付近で)火薬を使ってはいけない、という通達があった。

――砲撃事件で脚本は直したのか?
直した。より観客の皆さんに柔らかく見せるように作らなければ、と。反省した。分断であることに無感覚だった。

――最後に鳥が2羽、国境を越えていく。「イムジン河」の影響があるのか?
「イムジン河」は知らないが、鉄条網を壊したかった。イメージはそうだ。

――カンヌ国際映画祭へ、キム・ギドク監督にアポなしで会いに行ったそうだが、どの作品に惹かれたのか?
「うつせみ」(04年)です。音楽、ビジュアル、独創性、すべてが素晴らしかった。カバンひとつで行ったが、拒むどころか温かく接してくださった。私は28歳だった。

――キム・ギドク監督の助監督は経験したのか?
「絶対の愛」と「ブレス」を手伝ったが、雑用係みたいなものだった。監督には「お前が助監督になるのは4年たたないとなれない」と言われた。助監督になる夢はあったが。先輩たちはキム監督を恐れていた感じだった。監督として道をどう歩めばいいのか、学んだ。個人指導を受けたので、先輩たちからは憎まれていると思う。

――この映画を見たキム監督の反応は?
驚いていた。ずいぶん違うんで。でも面白いと言ってもらった。公開以来73万人動員するヒットになったので、キム・ギドクフィルムにも貢献できた。私は「後輩のために出ていけ」といわれたけどね(笑)。

――観客にアピールするなら?
観客に望むのは楽しんでもらうこと。「プンサンケ」はテーマは重いが、アクションもあり、コメディでもある。身近に見てもらえるのではないか。終わった後、少しでも分断について考えてもらえたら、と思う。 (安永 五郎)

river2.jpg(2011年 日本 1時間29分)
監督・脚本:廣木隆一
出演:蓮佛美沙子,根岸季衣,田口トモロヲ,中村麻美, 尾高杏奈, 柄本時生,葉葉葉,小林ユウキチ
2012年3月10日よりユーロスペース、6月16日~第七藝術劇場、4月7日~MOVIE ONやまがた にて公開
公式サイト⇒
http://river-movie.com/

作品紹介はコチラ

(C) 2011 ギャンビット

 

『ヴァイヴレーター』、『軽蔑』と若者の激しくも刹那的な愛をギリギリのところまで描いてきた廣木監督。秋葉原殺傷事件をモチーフに、今までのタッチとは異なり、主人公を見守るような距離感が印象的な最新作『RIVER』がいよいよ関西でも公開される。

キャンペーンで来阪した廣木隆一監督に、冒頭の歩くシーンが印象的な本作の狙いや、撮影直前に起きた震災が監督や作品に与えた影響について話を伺った。


river_1.jpg━━━事件そのものを描くのではなく、事故から数年経った今が舞台ですね。
事件というと、加害者の方のことを描いて、犯罪につながるということになりますが、動機はいろいろなこじつけがあって、何が本当かということより、人が死んだ事実の方がすごく心に残っています。セオリー通りの犯罪者の成り立ちが信用できなくて、逆に被害者側や、変わらず存在している街の方に興味がありました。

━━━監督から見て、秋葉原という街をどう捉えていますか。
久々に撮影で秋葉原に行きましたが、すごく変わっていましたね。メイド喫茶やきれいなビルや、AKBの劇場や、そこにくると同じ趣味を持った人たちに出会えるものを作っています。僕が昔、学生で東京に出てきたときは歩行者天国があって、いろいろなパフォーマンスやライブをやっているのとそんなに変わってないです。ただ、昔はそこに文化がありましたが、今は文化がない気がしますね。

━━━冒頭15分間、主人公が秋葉原の街を歩く姿が長回しで映し出したのはどういう狙いですか。
最初はあんなに長く撮ろうとは思わなかったのですが、実際ロケハンをしているうちに、秋葉原を知らない人もたくさんいるだろうと感じたんです。それで、秋葉原の駅を降りて、事件が起きたところまでリアルで見せるようという気になりました。

━━━秋葉原の街の様子や、映り込んだ人たちの姿に見入る一方、どこまで続くのかというドキドキ感がありました。
そのスリル感は僕にもあって、映画はカットしながらできていくのでしょうが、そうではなくて、「どこまで行くの?」と思ってもらうのもいいんじゃないかと。

━━━主人公ひかり役に蓮仏さんを起用したきっかけは。
この企画を出した段階で、紹介され、興味があるので合わせてもらいました。僕は女優さんと会うときはイメージを持たないので、蓮仏さんも逆に普通の女子大生みたいでいいなと思いました。すごく芝居が上手くて、細かい内面の芝居をしてくれました。

━━━蓮仏さんのどういう部分の芝居がよかったですか。
蓮仏さん曰く、ドラマをしているとある流れ作業の中で芝居をしていくのに対し、この現場ではいきなり街に放り込まれて「歩いて」と言われて、設定だけはしているものの、まさかこれだけ歩かされるとは思わなかったそうです。その間彼女が何をやるかというより、その街に降り立った瞬間その役になりきれる。久々そういう演技を思い出しましたと言ってくれたのがすごくよかったです。冒頭ワンカットのシーンでも台本に泣くとは書いていなかったけれど、そういう気持ちになったので泣いちゃったと言っていました。

━━━本作のような手法で映画を作ることは、珍しいですね。
僕はピンク映画出身ですが、当時は事件が起きるとすぐに脚本を書いて、ピンク映画の中に取り入れて撮れました。今そういう風に撮って公開できることがあまりありません。マンガや売れた小説が原作か、テレビからの流れからといった見え方がしてしまって、自分自身がこういう映画(『RIVER』)を見たかったのかなという気がします。

━━━映画のタイトルや作品中流れる『MOON RIVER』など『RIVER』というキーワードにはどんな意味が込められているのですか。
最初タイトルも『MOON RIVER』だったんですよ。基本的には川に写る月と、秋葉原には忘れられたように神田川があるのですが、そこに写る月と本物の月との違いを表しています。昔は街が幻想を見させてくれましたが、それが今はあまりありませんね。

━━━作品中ではメイド喫茶でバイトをしている女性など、秋葉原で非日常を生きる人の断片が映し出されていました。
非日常にとけ込める人と加害者のように裏側でその人たちを疎ましく思ってしまう人がいます。僕も若かったら溶け込めない方の人間でしょう。シナリオやロケハンの時にメイド喫茶を何軒か見ましたが、「お帰りなさい!」と言われても、別に帰ってきたつもりはないし(笑)。

ビルの屋上にいた青年のように、心地よい場所を壊されたという人もいるでしょう。単なるゲーム好きだけではなく、そこで友達になった人が犯罪者になってしまったみたいな中立的で純粋に秋葉原を好きな人物を絶対にいただろうと思い、登場人物に加えました。

river1.jpg━━━本作制作の際、震災はどのようなタイミングで発生したのですか。
準備やロケハンをしているときに3.11が起こりました。映画業界は皆そうですが、映画を撮ることをやめたり、映画なんかをやっていいのかという気持ちになっていて、僕らやスタッフも一瞬止まりました。でも、せっかく3月下旬から撮影に入る映画があり、また、何年か前に秋葉原で起きた事件で、今もう一度そこに立つ主人公がいるときに、今起きていることを取り入れた方がいいのではないかと思って脚本を書き直しました。

撮っているときは、マスコミから流れる映像しか知らないし、行ってみても撮れなければ仕方がない。とりあえず行って、自分の目で確かめてみようと思っていました。それをフィクションの中に採り入れると、どんな風になるのかは分からなかったけれど、編集段階で何を言われても責任を持てばいいと思って、撮影したものを使うことに決めました。今は入れてよかったなと思いますけどね。先日震災から一年経って色々な行事がありましたが、何年かするとだんだん震災の記憶も薄れていくじゃないですか。忘れないために、そのときの感情をちゃんと記録できたのでよかったです。
実際最初に行った場所は、本当に水浸しで何もないのを目の前にして、何の言葉もなかったです。登場人物の小林と一緒で言葉を失いました。

━━━震災を体験し、目の当たりにすることで、今後撮りたいものや、映画を撮る姿勢などで変化はありましたか。
職業として映画を選んで、その時代に生きて死んでいくのだろうし、そのときに残る映画というのは、ちゃんと時代を反映した映画を撮らなければと思っています。商業映画でも、そのときの時代はこんな気持ちだったという部分をどこか残したいし、古典や芥川のような文学を手がけるときも、映画は今の僕らの視点でやっていかなければいけませんね。

━━━監督の中で印象的なシーンはありますか。
全部です。特に後半は強すぎて。リアルタイムで十数分秋葉原の駅から事件の現場まで歩いて行く蓮仏さんの芝居はすごくいいですね。

━━━押しつけがましくない描き方で、こちらも一緒になって考えたり、寄り添える作品ですね。
東京で上映したときには、毎年3月になったら上映してくれと頼んだりもしました。どんなに大きな出来事でも、どうしても日常に流されて忘れてしまうけれど、また再び『RIVER』を観て思い出せれば、この映画の意味がある気がします。癒されたり消えたりしないのは普通だと思うし、見てくれて楽になってもらえればいいと思います。
あと、『ぼくらは歩く、ただそれだけ』というDVDが8月にリリースされますが、それも安藤サクラが写真を撮っている女の子役で歩く映画です。やっていることは似てますね。

━━━歩く姿を映し出すのがお好きなんですね。
僕自身歩くのは嫌いですが(笑)都内も歩いているとおもしろいですよね。色々な発見があって。 歩くのって基本じゃないですか。走らなくてもいいから歩こうよと、映画の中でも思っています。急ぎすぎじゃないか、歩くスピードでいいんです。

━━━最後に、監督からのメッセージをお願いします。
『RIVER』は震災のことを描こうとしているわけではなく、今起きていることと、今感じていることを映画にしたので、多くの方に見ていただきたいと思います。


秋葉原殺傷事件で亡くなった彼の面影を探す主人公の旅は、いつしか秋葉原に集う人たちや、そこで働く人たちの”他では得られない何か”を探す姿までも切り取り、震災の地の故郷に降り立つ男へとつながっていく。「今起きていること」を切り取りながら、喪失感と、そこから一歩前へ踏み出すまでを描く再生の物語は、今まだ多くの苦しみを抱える被災者への静かなメッセージなのかもしれない。(江口 由美)


 

 (2011年 韓国=日本 1時間10分)
監督:イム・テヒョン
出演:ミン・ジュンホ、杉野希妃、松永大司
2012年6月30日~シネ・ヌーヴォ、8月4日~京都みなみ会館、元町映画館
公式サイト⇒http://ameblo.jp/two-rabbits-in-osaka/
※7/1(日)にシネ・ヌーヴォにて杉野希妃さん舞台挨拶あり


 usagi-s1.jpg『遭遇』のイム・テヒョン監督最新作『大阪のうさぎたち』は、まさに全く新しいタイプの大阪発映画だ。
  2011年映画祭で来日時に、『遭遇』の主演俳優ミン・ジュンホと再びタグを組んで撮影した本作では、『歓待』の主演兼プロデューサーとして来阪していた杉野希妃が急遽撮影に参加。世界中で90%の人類が亡くなった地球で、唯一秩序を維持し、普通の生活を送り続けている都市が大阪という設定のもと、中之島、梅田スカイビル、大阪城など大阪の今を切り取るロケーションで即興的な技法を取り入れながら撮影し、浮遊感のあるSFに仕上がっている。
  大阪アジアン映画祭2012特別招待部門出品で舞台挨拶のために来阪した杉野希妃さんとイム・テヒョン監督に本作作成の経緯や、撮影秘話を聞いた。


  ━━━どのような経緯で本作に出演することになったのか。
杉野:当初はイム・テヒョン監督の『遭遇』に出演したミン・ジュンホさんと2人で撮るつもりだったそうです。本当は2人の知り合いの女優と3人で撮る予定でしたが、3月11日の震災の影響で来阪できなくなったのだとか。翌日の12日が撮影日で、監督がキャメラを廻していたのを偶然見かけたので何をしているかお聞きしたら、「映画を撮っている。」とおっしゃって。面白そうと話しかけると、出演を打診されました。通行人ぐらいのつもりが、いつの間にか主役になっていましたね。

usagi-1.jpg━━━大阪のシーンは、一日で全て撮影したのか。
杉野:撮影に参加することになってすぐに「今からツアーに入って。」と言われて、歩いているところをずっと撮られました。ミン・ジュンホが話かけても軽く流すようにと言われ、内容も知らずにドキュメンタリーでも撮るのかと思いながら参加していました。撮影の合間にどんな映画を撮るのか聞いて、はじめてSF映画と知りました。あとは撮影しながら教えてもらった感じですね。
当初から、女優がいないならそれなりに、ミン・ジュンホさんプラスアルファで、流れに身を任せて撮ろうといったスタンスだったようです。人類最後の日、最後はホテルで2人がどうなるかといった設定は最初からありました。

━━━本作でも『歓待』同様プロデュースを担当しているのか。
杉野:もし映画を作るのであれば、日本の映画祭や日本公開についてはこちらで話を進められるので、後乗りですがプロデューサーを買ってでたところ、監督も乗り気になってくださいました。

━━━.ホテルのシーンはどのように撮影したのか。
杉野:12日の夜に作品にも登場する誕生日会があって、そのままイム・テヒョン監督が泊まっていたホテルにみんなで行って撮影しました。朝の5時ぐらいまで、本当に時計を見ながら「あと1時間」と言いながらやっていました。「死ぬ前にホルモンが食べたい。」というシーンも、ホテルまで歩いて帰るときに撮りました。 

usagi-s2.jpg━━━「ホルモンが食べたい。」は監督のアイデアか。杉野さんのアドリブか。
 杉野:全くのアドリブです。好きな話をしてほしいと監督から言われていて、実は死ぬ直前にホルモンを食べたいとずっと思っていたので、この設定(翌朝午前5時に人類が死ぬ)で言うしかないと自然に口から出てきました。
 

━━━ホテルで午前5時まで2人で過ごすシーンは、どういう設定で撮っていったのか。
 杉野:お互いに歌を歌うという部分はあらかじめ決まっていましたが、お互いに歌うことは知りませんでした。私が監督から言われたのは、歌を歌うことと、何でもいいから怒ることでした。その理由は自分で考えてと、それらを撮影直前の私の誕生日パーティーの席で言われてビックリしました。ジュンホさんは歌を歌うこと、錠剤を彼女(杉野さん)に渡して自分は死ぬという設定だけ伝えられていて、お互い何をするのか分からないという状況で投げ出された感じです。
しかも、怒るという状況をすっかり忘れていて、監督に小声で指摘されて、一瞬で思い浮かんだのが、「昔の彼氏に裏切られ怒りが溜まっているけれど、彼は死んでしまって怒りのはけ口をどこに向ければいいのか。」というシチュエーションでした。

━━━怒りをジュンホさんに向けるシーンでは、かなり激しくジュンホさんを叩いて、今までにない杉野さんの表情が出ていたが。
杉野:本当はもっとジュンホさんを叩きたかったですけどね。あのシーンだけでは背景が分かりづらいので、チョンジュ映画祭でお会いした松永大司監督にお願いして、映画祭の会場から監督の別宅に行っていただいて追加撮影しました。

usagi-s3.jpg━━━どうして大阪でSFを撮ろうと思ったのか。
監督:『ブレイドランナー』の始まりが大阪を背景にしていて、SFっぽいイメージがありました。エキゾティックな感じに魅力を感じていたんです。昨年の大阪アジアン映画祭で、関西国際空港からバスに乗ってくるときにSFっぽいイメージであることを再確認しました。

━━━本作の構想は昨年の初来日以前に考えていたのか。
監督:大阪アジアン映画祭に招待されて、大阪に行けると分かってから考えました。来たこともないのに、勝手に想像していました。

━━━かなりオリジナリティーのあるSFだが、監督が考えるSFとは。
監督:大層なSF映画でもその中で小さい話があると思います。自分はその中の小さい話を撮ったと考えています。


━━━大まかな設定は決めているけれど、かなり役者に委ねるスタイルは、最初からそういう風にするつもりだったのか。
監督:前作の『遭遇』もそういう風にして撮った作品です。朝起きて紙一枚ぐらいにその日の内容を書いて、皆にやってもらうというスタイルでした。『遭遇』以降は役者を自由にやらせるのが楽しいし、演技をするときの緊張感が保てるし、役者の良さもでるので、今は自由にやらせるスタイルにしています。

━━━2作連続で主演を務めているミン・ジュンホさんの魅力とは。
監督:とりあえず親しいからです(笑)。ジュンホさんは真剣にやってもサイコみたいなところがあって、人が見るとちょっとおかしい部分があります。そんなところがすごく好きで、『遭遇』のときにジュンホさんがiPhoneを見せるシーンは、実際に私にやったことを取り入れたりしています。

━━━プロデューサーとして、女優としての杉野さんをどう見ているか。
監督:はじめはジュンホが主人公だったのですが、撮影、編集をしているうちに、杉野さんに人を惹きつける力やオーラがあるので、主人公を杉野さんに変更しました。
プロデューサーとしての杉野さんですが、プロデューサーの質は二つに分けられます。一つはどれだけお金を集められるか。もう一つは人です。お金の部分はまだ分かりませんが、一緒に仕事をできる人を集める力はすばらしいです。偶然この大阪アジアン映画祭でお会いして、映画を作ろうという話になったという意味でも人を惹きつける力や挑戦するパワーがあります。初対面の監督に一緒に映画を撮ろうと言われたら、普通は拒否をする人が多い中で、「やろう」という彼女の大胆さが素晴らしい。無理を承知で依頼したのですが、それを真剣に受け取って形にしてくれたのが、とてもありがたかったです。

━━━杉野さんからみた作品のみどころは?
杉野:この作品は震災の次の日に一日で撮った作品ですが、まさに日本のそのときの大変な状況が写り込んでいる作品だと思います。現実とフィクションがシンクロしていて、見ていて緊張感があります。映画は準備をして、脚本を書いて、作るまで時間がかかるのが普通ですが、この作品のように映画がもっと身近なものであると感じていただけたらと思います。


  インタビュー終了後、舞台挨拶に駆けつけた主演のミン・ジュンホさんは、本作について「地震の混乱や恐怖、人が死ぬという感情が俳優たちの表情だけではなく、風景も含めて表現できた作品。」、「この映画が一つの表現で、その瞬間を暗い状態なら暗いままで捉えている。」とコメントし、共演の杉野さんについては、「集中力が本当に素晴らしく、準備期間がない中で、いつでも状況を理解する力があった。」と賛辞を惜しまなかった。
 韓国でのシーンを交え、日本のシーンでも韓国語と日本語が入り混じる『大阪のうさぎたち』は、映画作りの新しいスタイルを提示してくれた。映画祭がきっかけで誕生する大阪発映画としても意義深い作品だ。関西先行公開となる本作で、いつもの大阪がスクリーンでどのように映し出されるのか目撃してほしい。 (江口 由美)

(C)'Film Bee' all rights reserved.

kisetsu-s1.jpg(2012年 日本 1時間22分)
監督:大宮浩一
2012年6月9日~第七藝術劇場、他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.kisetsumeguri.com/


 2011年3月11日に起こった東日本大震災のドキュメンタリーとして、世界最速で公開された『無常素描』、若き介護スタッフたちの取り組みや介護福祉の現状を描いた『ただいま、それぞれの居場所』の大宮浩一監督の最新作『季節、めぐりそれぞれの居場所』が公開される。死や看取りに焦点を当て、再び被災地を含めた介護の現場を映し出しながら、死との向き合い方を描いた本作の関西公開に先立ち、大宮浩一監督が来阪し、誰もが避けては通れない「死」や「介護」、そして宅老所という新しい看取りの場について話を伺った。 


 ━━━本作のテーマは何でしょうか。
2年前の『ただいま、それぞれの居場所』は介護の現状でしたが、今回はある程度「死」ということを念頭に置いて作りました。介護の現場では看取りを目指している部分がありながら、なかなか出来ないという情報があり、本作を撮影していたら3月11日を迎えてしまったのです。3月11日の現場では看取るとか、病院が云々などと言っている場合ではありません。自然災害の死もしかりですが、いろいろな死をどういうふうに受け止めるのか。死を受け止めないことには私たちも亡くなった方との物語を紡げないので、介護の現場を体験して、受けとめ方を表現しました。

━━━若い世代の介護スタッフに焦点を当てたのはなぜですか。

介護をしてきたスタッフの人たちが、亡くなった方に対して最後に「ありがとう」という言葉をみなさんがおっしゃるんですよ。新人のスタッフが本当に「ありがとう」と言ってうなだれたりもします。それがすごく気になっていて、このテーマでやろうと思いました。多分一様ではなく、それぞれが何かを伝えてもらっていて、そういう感謝の言葉になるというのはすばらしいことです。血縁ではない者から「ありがとう」と言われる関係性のある場が羨ましくもあります。もしかしたらそれが、介護という現場の特権かもしれませんね。

kisetsu-1.jpg━━━若い世代にとって、介護のどんな点が魅力的だと感じているのでしょうか。

2年前から撮っていて感じることは、なんとなくポストバブル世代が本当に生きづらくなってしまったのではないか。生きにくくなってしまった時代に、私たちが職業や住む場所や、放浪することを含めてたどり着いたのが、こういう老人や障害を持つ人たちのいる場所で、そこだと自分が認められるといううれしさが相手にも伝わるのでしょうね。

大概の社会行為は一方通行だと思いますが、(宅老所の)彼らと出会ったおかげで、行ったりきたりの本当にいい関係になっています。医療は一方通行のような気がしますね。他の作品で重度の障害者を描いた映画があるのですが、「君らはDoじゃなくていい。Beでいいんだ。」という名セリフがあります。行為をして代償が払われるのではなく、君はいるだけでいいという意味です。賃金を払うのも必要ですが、それだけではなくて、存在しているということが価値があるのです。

宅老所のような場所があるということが僕にとってはBeです。居るだけで一方通行ではなく深く関われる。深く関わるから深く悲しいけれど、ある時間が経つとそれがすごく爽やかになる。悲しいで終わるのではなく、その後爽やかな表情で語れる関係性がうらやましいと思いますね。

kisetsu-2.jpg━━━前作『ただいま、それぞれの居場所』で登場した子安さんの娘さんが、両親亡きあと最後に登場し、清々しい表情だったのが印象に残りました。
前作は子安さんがお客さんを見つめてラストカットを迎えたのですが、あの時期から周りは死があまり遠い時期ではないということは意識していました。奥さんもご主人が亡くなって3ヶ月で亡くなっています。子安さんが心筋梗塞で倒れてから、亡くなるまで5年半ぐらいあったので、お嬢さん方は一番多感な時期でした。ある時期はお姉さんが家に寄りつかなくなったり、それを繰り返しながら倒れた後のお父さんを受け止めてきた二人だったのです。

ご両親の死を受け止めるまでにもちろん葛藤もあれば、時間も必要だったと思います。撮影させていただいたのは亡くなってから1年ちょっと経った頃でしたが、まさか遺影とお骨が家にあるとは思っていなかったので、やっと小さい頃のように4人で暮らし始めたのだなと思いながら撮影してきました。

━━━被災地の様子も一部描かれていますが、その意図は何ですか。
これは僕の希望ですが、震災で2万人もの方が亡くなって、悲しみの正体は比較にならないんでしょうけれど、それでも時間と受け止めるということがあれば、いつかは施設の人たちのように悲しいことでも爽やかに語れる日がやってくる。その想いで、介護の舞台を中心にした映画なのですが、あえて震災という時代のシンボルをいれました。

kisetsu-3.jpg━━━介護にも病院や宅老所など、選択の幅があり、さまざまな関わり方ができますね。
どういう亡くなり方をされても、ああすればよかったとか、グラグラしていく気持ちの揺れがあるのはいいことです。あまりにもすべてのことがマニュアル化していて、人間味が薄れてきてしまっていますが、立ち止まるときも迷うときも必要です。病院と介護と看護は最近よく話題になっていますが、僕はあまりうまくいっていないイメージがあります。もっとその人らしい死に場所を考え、それによって死を垣間見る機会が増えるということは、決して悪いことではないと思います。専門職の方や家族だけが関わるのではなく、友人の方々が関わることによって、亡くなった方の思い出話をときどき話題にのせたり、生物的には亡くなってしまっても、まだまだ遺された者の生活の中に生きていることが撮りながらも感じられました。

━━━長期間キャメラを回された中で、他に印象的なエピソードはありましたか。
あまりエピソードを積み重ねると日常的なことが薄らいでいくので、あえてあまり極端なエピソードを使っていません。いろんな方が亡くなるかもしれないという情報もありましたが、その臨終の場をキャメラで撮影できても、すべきではないし、僕らはそういう関係性を作ってきてないのです。関係性をもたれたみなさんの話や想いで十分僕らは感じられたし、その瞬間ではなく、引き受けて、引き継いでいるものを感じて伝えているのです。 

━━━誰にでも訪れる介護の現場の話ですが、自分が介護する立場に立っても怖がらなくていいと希望が持てました。 
宅老所みたいなところをみなさんも作りましょうという映画ではなくて、こういう場やいろいな場があり、その中でいろいろな死がある。死に方もさることながら、死に場所や死というものをときどき考えたり、話題にすることによって、死が身近になってきます。できたら自分もこんな死に方をしたいという場にたくさん出会っていると、生きている間がすごく豊かになると思いますよ。


  大宮監督ならではの暖かい視線で見つめる看取りと死をテーマにしたドキュメンタリーには、介護する側、される側の垣根がなく、人と人の触れ合いの中から生まれる老人たちの穏やかな笑顔が映る。これから介護をする立場になる人も、介護される立場になる人も、最期の居場所についてさまざまな想いを描いてみてほしい。(江口 由美)


(C) 大宮映像製作所
 

danran-s1.jpg(2011年 日本 1時間58分)
監督:小池征人
ナレーション:竹下景子
5月26日から第七藝術劇場にて上映中
公式サイト⇒
http://danran-nippon.main.jp/index.html


~人とともに生き、人の中で生かされて~

  愛知県に住民が主体となって、地域の福祉や医療の仕組みづくりに取り組んでいる「南医療生活協同組合」がある。1959年、伊勢湾台風により五千人を超える死者が出た。甚大な被害を受けた名古屋市南部では、「自分たちの命は自分たちで守る」ために住民たちが出資して診療所ができ、以来50年、いまや総合病院のほか、グループホーム等さまざまな介護・福祉施設を運営し、さまざまなボランティア活動が行われ、6万人の組合員を有するに至る。本作は、南医療生協で働く人たちの生き生きとした姿をとらえ、その実態に迫るドキュメンタリー。PRのために来阪された小池征人監督にお話をうかがった。


 danran-1.jpg―――緩和ケア病棟で喫茶ボランティアとして働いている女性の言葉がとても印象に残りました。
現場で撮っていた時に、これがラストシーンだと思いました。緩和ケア病棟は、余命約5か月の人が入るところですが、ボランティアの方々が毎日、お昼から夕方までいて、患者さんのところにお茶を持っていったりして、あの場がなごんでいるわけです。この人たちがいることで、緩和ケア病棟の緊張感が和らぎ、医者代わりの大事な役割をされています。一番感心したのは、自分たちの出したお茶が、患者さんにとって最期の飲み物になるかもしれないと、心を込めて提供している姿です。ちょうど1週間程前に旦那さんを亡くした奥さんが、偶然、看護師さんに報告に来ていて、病棟で、旦那さんの結婚以来の一番いい顔を見たと言っていました。看護師さんたちもすごく優しくて、患者さんをベッドごと、屋外に連れて行って花壇のお花を見せたり、そういうところに南医療生協の思想があると感じました。

 ―――苦労したところは?
いろんな建物や病院があって丁寧に撮影していくと、解説映画になってしまいます。だから、そこで働く人たちの生き生きとした姿や、いかに元気かという力みたいなものを撮ることができれば、施設をつくった人たちの考えや、生協という組織が持っている思想に近づけるのではないかと思いました。 衣食住しかないごく当たり前の日常を撮っていますので、なかなかドラマチックには展開しませんが、生活の中にある“いのちの時間”みたいなものが撮れればいいと思っていました。

danran-2.jpg ――― 取材・撮影期間はどれ位、かかったのですか?
 2010年3月から2011年3月頃までです。いろんな施設を順番に回って、病院や診療所のある名古屋市南区、東海市をメインにしました。3月11日に大地震があり、この映画は、社会がゼロになった時のモデルとして「ちゃんと生きられる」というメッセージを伝えることができるように思いました。今年2012年が「国際協同組合年」に当たり、世界中の国々が協同組合に注目していることを偶然知って、時代の動きともぴったりだと思いました。

―――地域のご老人の家をまめに訪ね、グループホームづくりに尽力している活動的な女性が、自分の母親に対してはつい手を上げそうになることがあると言われたのが、印象的でした。
家族の介護というのは、本当に大変なことです。介護を家族だけに押し付けてきたから、虐待といった問題が出てきました。社会が、仕事として引き受けるのであれば、家族の場合と違って、感情の起伏に発展することはありませんし、社会で負担し、面倒をみる仕組みづくりが大切だと思います。
映画の中でも紹介しましたが、南医療生協では、総合病院が移転して、新しい病院をつくる時、組合員の要望の多かった助産所を新設しました。赤ちゃんが生まれるまで妊婦が家族と一緒に泊り込んだり、若いお母さんたちが、赤ちゃんをみてもらっている間に、お灸をしてもらったり、育児での悩み相談にのってもらったり、母親の心と身体を癒す場として、子育てで孤立しないような仕組みになっています。

danran-3.jpg―――妻に連れられて、毎日、施設(小規模多機能ホーム)に通って来る認知症の初老の男性への施設職員の対応も丁寧で熱心ですね。
彼が、現役の技師として工場で働いていた頃の写真が幾枚も施設のロビーに貼ってあります。当時よく出張しては、家族に手土産を買って帰ってきたそうです。施設の職員は、そのことに気が付き、彼を車に乗せ、どこかのおみやげ売り場に出かけ、彼はそこで手土産を買って施設に帰ってきます。お店で楽しそうに値切っている姿を見ると、認知症ではないように思えましたが、やっぱり認知症なんですね。

彼の一番いい時代の写真を施設に飾り、彼は毎日、自分の物語を見ています。認知症で、自分の一番楽しい過去の時間の物語を生きているから、ケアする側も、当時と同じように、一緒に手土産を買うのにつきあったり、その物語にあわせて世話をすれば、彼も満足する。そうやって、相手の持っている時間につきあうこと、それが医療生協のもっている哲学だと思いました。

―――映画館に映画を観にいきたいという、寝たきりの患者さんの要望にこたえて、訪問看護ステーションのスタッフたちが付き添って、映画館にベッドのまま連れて行くのもすごいですね。
普通の医療機関ではできないことだと思います。ひとりの要求に対してどう対応するのかという、南医療生協の姿を通して、社会の仕組みを問うてみたいと思いました。地域のつながりが希薄になり、個人がばらばらになって、自己責任ばかりが問われる時代に、そうではなくて、もっと一人ひとりが声を出して、お互いに助け合っていこうというのが協同組合の原点です。力をあわせれば、人とつながったら何かできるという協同組合の試みが、今の日本の閉塞状況を突破するのではないか、そういう社会の仕組みができれば、もっと家族も楽になるはずだし、そのためには、社会の仕組みをどうしていったらいいのか、というのが映画のテーマです。
助け合って当たり前という社会ができてこなかったから、虐待や老老介護といった問題が出てきました。人間も、どこかで何かの役割を持つと、変わっていきます。一人ひとりの存在価値がもっと豊かになるような場をつくっていくのが協同組合のよさだと思います。


  「みんなちがって、みんないい」との言葉どおり、自由活発に意見を言い合う土壌ができている南医療生協では、一人ひとりの考えや意見が組織を動かし、地域への働きかけとなって、人々を結びつけていく。地域の絆を取り戻そうとする試みが、住民たちによって主体的に取り組まれていることに驚かされる。とりわけ元気なのが女性たちだ。そうして、地域に“だんらん”が生まれることで、人々の表情が変わり、地域が変わっていく。そこに日本の未来像を見出したいと小池監督は語られた。

 「50歳で枯れたと思っていましたら、私も花が咲きました」と言った女性がいたそうだ。この映画の魅力は、なんといっても、一人ひとりの笑顔と輝き。ケアする側もケアされる側の表情も強く心に残っている。戦後の大変な時期を和裁・洋裁の腕で頑張りぬいてきたおばあちゃんが、今、病院にリハビリに通いながら、車椅子の女性のために、当て布やカバーをつくってプレゼントしている。認知症で身寄りがないおばあさんが、日記をつけるのが日課で、ぼそりと子どもがいないことを口にし、ずっと気にかけてきたことがわかる。一人ひとりの人生の重み、そして、今、生き生きと毎日を過ごしている姿に触れ、人生について深く教えられた気がした。 (伊藤 久美子)


(C)2011「だんらんにっぽん」製作委員会
 

hikarinooto-s1.jpg (2011年 日本 1時間29分)
監督・脚本:山崎樹一郎
出演:藤久善友、森 衣里、真砂 豪
4/7(土)~シネ・ヌーヴォにて公開
公式サイト⇒http://hikarinooto.jp/


 


~“農”をつうじて“生の営み”を見つめる~

岡山県北、山深きところ。代々酪農を営む狩谷家の長男の雄介は音楽を志し東京で暮らしていたが、父のけがをきっかけに家業を手伝うため故郷に戻った。音楽への思いや酪農の現状、恋人との行き違いから、酪農家として生きていくのか迷いを抱えた雄介の葛藤とささやかな希望を描く…。

 岡山県北部の真庭市でトマト農園を営む山崎樹一郎監督。6年前、農業をするために大阪から真庭に移り住み、現在33歳。『ひかりのおと』は監督の初長編作品。「その土地と人の営みを見つめる"地産地生"映画」として、出演・製作とも多くの地域の方々が参加し、2年半かけて完成。昨年10月末頃から約5ヶ月間かけて岡山県内での51会場でキャラバン巡回上映を終え、大阪での一般公開を控えて来阪された山崎監督にお話をうかがった。今年3月に開催された大阪アジアン映画祭の特別招待作品部門の1本として関西初上映された際の客席との質疑の内容と併せてご紹介したい。


 hikarinooto-1.jpg■映画、そして農業…

――映画との出会いは?映画づくりはいつ頃から?
小さい頃、家族でお正月に寅さんとかの映画を観に行くのを楽しみにしていました。母が児童映画や人形劇などの親子劇場によく連れて行ってくれました。ピアノを習っていて、特に映画音楽をやりたいと思っていた時期があって、大学で映研サークルに入ってからもしばらくはそう思っていました。
京都国際学生映画祭で映画を撮っている人達と出会い、皆映画をつくるという感じで、僕も演出みたいなことをして何本か映画をつくりました。人類学を勉強していたので、祭りの記録のドキュメンタリーをつくったりして、京都でラーメン屋をやりながら映画監督をしている佐藤訪米監督のところで、シナリオをつくらせてもらったり、現場に行かせてもらったりして、劇映画もつくろうとしていました。

――岡山で農業をしようと思ったのはどんな経緯からですか?
劇映画をつくりたいと思いながらも、何を描いたらいいのか、なかなかテーマがみえてこず、映画がつくれなくて悶々としていました。そんなとき、日々食べているものが、どうやって種がまかれ、収穫され、どうつくられているのかを、ふと考えてもわからなかった。感覚的にこれではいけないと思い、まずは、食べ物をつくることを覚えたくて、農業と思い、京都を離れました。大阪育ちで、都会を離れたかったという思いもありました。父の実家が岡山の山の中にあり、26歳頃でしたが、農業はゼロからでしたので、最初は見よう見まねで、いろんな人から教えてもらいながら、地域に慣れるということと、寄り合いとか地域の行事を体験したりで、映画のことはすっかり忘れていました。
2年位、文化的なものに全く触れていなかったら、突如としてものすごく浴びたい欲求に駆られ、まずは映画を上映するチームをつくり、仲間ができてきて、映画づくりをやってみようと、短編映画『紅葉』(08)をつくりました。まずはトマトの映画をつくろうと、トマト農家の作品です。



■『ひかりのおと』ができるまで

――『ひかりのおと』で酪農を描こうと思ったきっかけは?
農業という視点は取り入れようと思っていて、たまたま若い酪農者と出会い、遊びに行ったら、山を切り開いた牧場と、すぐ隣に高速道路があって、ここを映画にしようと思い、映画づくりが始まりました。だから、酪農の映画というより前に、まず場所がありました。

――撮影はどれくらいかかったのですか?
1年目の年末年始に一期目の撮影を、翌年の年末年始に二期目として、それぞれ10日位かけました。一期目に撮った分で編集まで終わり、ほぼ完成していましたが、ニ期目を撮るにあたって、脚本はだいぶ書き換え、別の映画と思うぐらい大幅に変えました。

――ニ期目の撮影を行ったのは、どんな点が足りないと感じたからですか?
客観的にみて映画になっていない部分があったというか、前作の『紅葉』の時に「わからなかった」という感想が結構ありましたので、そうはなりたくない、特に地域の人たちにわかってほしいというのがあって、もう一回撮りたいと思いました。都会の映画好きにわかってもらえればいいというのではなく、田舎の山の中にいて、普段全く映画を観ないような、近所のおっちゃん、おばちゃんにわかってほしいというのが大きかったかもしれません。

――雄介が悩み、おじの義之とドライブインで話すシーンがよかったです。雄介役の俳優の藤久さんは普段からあんな感じで考えながらしゃべられるのですか?
これは二期目に撮ったシーンで、本当は全部ワンカットでもいいかなと思っていたのですが、リハーサルしたら15分位あって、さすがにカットを割ろうと、カメラマンやスタッフと相談してつくっていきました。「考えて出た答えは誰がなんと言おうと…」という義行のセリフは、2期目の撮影のためにシナリオを書いていたのですが、全然できなくて、僕自身に言ったみたいな…(笑)。義行に僕を救ってもらおうと思って、入れました。
藤久さんは、普段から大体ああいう感じです(笑)。彼は、僕が岡山に住み始めて最初の友人です。農協の職員で、野菜の苗をつくったり、農業に携わっていて、実際山の中に住んでいる彼の姿を見て映画をつくりたいと思いました。

――撮影で苦労したところは?
全部苦労しました(笑)。今回、演技の経験者は、雄介役の藤久善友さんが『紅葉』に続き2作目、おじの義行役の真砂豪さん、恋人の陽子役の森衣里さんの3人だけ。素人だから許されるということはできるだけしたくなかった。OKかNGを出すのが、唯一僕の仕事ですから、何回もやらせてもらったりして、一から細かく演出しました。自然にできるようになる、器用な人もいますが、最初、慣れるまでは、何回かテストを繰り返しました。若い人の方がすんなり役に入ることができた感じですが、やっているうちに、この人がどういうお芝居が得意かわかってきたので、時々脚本を書き換えながら、進めました。


 

hikarinooto-s2.jpg■『ひかりのおと』のタイトル、テーマについて

――『ひかりのおと』というタイトルの意味は?
トマトの栽培をやっていると、太陽がでたら、葉が元気になります。葉っぱをよく見ると、光の粒子がみえて、きらきらしたり、ちかちかしたり、とてもきれいで、おそらく光合成をやっているのでしょう。太陽があったら作物は大きくなって、食べ物ができ、生きてはいけます。太陽があれば生きてはいけるというのを、ひかりを「みる」というのでなく、より積極的に、その感覚を「とりこむ」というか、とらえられればと思います。光をそんなふうにとらえた時に、本来聞こえない音が鳴り始める、というか、雄介自身、太陽があれば生きてはいけるというか、小さな葛藤や悩みに向かって、光の音を聞いて一歩を踏み出すという思いを込めました。
ただ、大震災が起きてからは、太陽があっても作物をつくれない地域ができてしまい、僕の中でもどうとらえればいいのかわかりません。本作は震災前につくった映画なので、次の課題ということになるかもしれません。

――家族というのもこの映画のテーマですよね?
僕が真庭にいて、いろんな農家を見ながら思うのは、家族経営しているところはやっぱり強くて、酪農にしても最後まで残っています。家族もいろんなありようがあっていいと思うのですが、農業に限らず、家族経営が一番強いと思います。いろんな外的な状況の変化に耐え、柔軟に対応できるのは、家族という一つのチームで一緒に仕事する規模だろうなと思います。

――牛の出産シーンもよかったですし、男性が「父親になること」はすてきなことだなと感じました。
映画だからやっていいことと、やっていけないことがあると思います。そこのところは、僕の中で明確に線引きができていて、今回の映画に関しては、映画だからやらなくていいところは、そこまでみせなくていいと避けましたし、ドラマに抑揚をつけるために実際にないことを組み入れたりはしていません。実際の牛の出産シーンがなくても、映画として成立することは成立しますが、僕はあの場面が必要と考えました。産まれてくるときの音もすごくリアルです。生まれることとか、死ぬこととかは、農業にしてもそうですが、普遍的なことだと思います。

――年始の山登りをはじめ、家族の営みが描けていますね?
あの地域では正月に山に登るという習慣があります。僕が実際に知っていたり、経験したり、具体的に聞いた話でないと、演出はなかなか難しく、実際に経験して聞く話は、そこに住んでいる者と住んでいない者とでは全く違う解釈になると思います。今回は、実際に僕がこの土地で聞いた話、見たことを基にシナリオを書いており、この地域で、この人たちと、という限られたところでつくっていて、自分では、ドキュメンタリーに限りなく近いとは思っています。実際雄介のモデルになった酪農家の青年も音楽をやっていて、ああいう環境で育ち、実際あそこに住んでいると高速道路の音がすごくしていて、彼の部屋の窓ガラスも二重になっていて、爆音で音楽を聞いたり、音楽にこだわりをもっています。雄介の母のオルガンも実際にあった話で、地域では、出て行く女の人というのは、わりと目に付くのです。

――スピーカーを牛舎に持っていくところもいいですね。
雄介のモデルになった青年も牛舎にスピーカーを設置して、ヘビメタを聴いているんです(笑)。ミュージシャンの菊地成孔さんに一度真庭に来てもらい、ちょうどシナリオの段階で、映画の話をしたら、牧場まで一緒に来てくれて、場所にはすごく興味をもってくれました。高速道路がうるさいのとスピーカーはおもしろいと言って、「僕だったら高速道路にスピーカーを向けて、高速道路のノイズに対して、爆音で音楽を流す」と言われたのがずっとひっかかっていました。それがラストの、雄介が音楽を奪還して、牛舎にスピーカーを持ち込む行為、酪農のために都会の音楽を捨てて、こもっていたけれど、どちらかを選ぶのでなく、酪農しながら音楽もやっていくという宣言としてスピーカーを置くという行為に、つながりました。
 


■上映について


――地元の岡山県で約5か月間かけて51会場で巡回上映されたのですね?
東京で公開して大阪でやるという順当なルートも初めは考えていましたが、もともと東京の人達が地域に行って撮って、東京に持って帰って上映するということに違和感があって、住まないとわからない部分もあるだろうし、生活したがゆえにできる環境というのもあり、まず地域で先に上映したいというのは早くから、2期目の撮影開始前には思っていました。映画をつくった地域から上映を行うというのは、ごく普通の当たり前のことだと思います。
ここまでやろうと思ったのは3.11の大震災の後、僕らに唯一できることは、何が起こるかわからないの中で、いざという時のために、何かあらがえるようなネットワーク、人間関係みたいなものを、この映画をきっかけにつくっていきたいと思いました。映画だけじゃなく、なにかやりたいと思った人が手を上げれば、そういうものが動くようなネットワークができないかなと。

――地元での反応は?
頑張らないといけないと思ったとか、ひかりのおとが聞こえたような気がするとか、もちろん、難しかったとかわかりにくかったという感想もありました。今回、51会場で、100回以上上映し、毎回アンケート用紙を渡しましたが、アンケートの回収率がすごくよくて、半分の千枚以上が返ってきました。観たら何か言いたくなる映画なのかなと思いました。映画を観て終わりでは、もったいないと思い、「人と出会っていく」という意味でよかったと思います。

――観客の方々へのメッセージをお願いします。
本当は上映中全部行きたいのですが、農業が始まっていますので、限られた日しか劇場に行けません。一つのきっかけとして出会えればなあと、ぜひ僕にも牛にも会いにきてほしいと思います。映画をかろんじていうわけではないですが、映画をきっかけに人と人が出会っていくという、映画の一つの機能はやはりあっていいと思います。

――次の作品のイメージは?
時代劇で、今準備しているところです。江戸時代に、真庭を中心に美作地方で、山中一揆という大きな一揆が起こり、若者を含め50人ぐらいが処刑され、犠牲になりました。一揆というのは、怒りを表現したもので、いろんな感情を表に出せた時代といえます。今は、何によって封じられているかわかりませんが、なかなか感情を出せない時代のように思います。一種の感情を出せた時代の豊かさみたなことを描ければと考えています。
 



 「映画をつくりたいという気持ちが根本的にあり、農業もなかなかおもしろくて、まだまだ半人前ですが、農業をしながら映画を続けていこうと思っています。住みながらじゃないとつくれないという部分もあり、生活からあふれだすものがなければつくらなくていいとも思います」と語る山崎監督。最後、牛が横になって寝ているところを撮影するのも、結構大変だったそうだ。
牛のものいわぬ瞳に宿る光の奥深さも、本作の魅力の一つ。悩みや葛藤を抱え、これからまだ長い人生を生きてゆく雄介が次の一歩を踏み出す姿からは、答がすぐ見つからなくても探し続けることが大事だという心強いメッセージが伝わり、家族や人生についても深く考えさせられた。多くの人に観てもらい、映画づくりのあり方についても一考してほしい作品だ。 (伊藤 久美子)

kotoko1.JPG

唯一無二の存在感で熱狂的なファンを持つ沖縄出身のシンガーソングライターCoccoと『鉄男』シリーズの鬼才塚本晋也監督が作り上げた衝撃作『KOTOKO』。完成したばかりで出品した第68回ベネチア国際映画祭では、スタンディングオベーションで熱狂的に受け入れられ、オリゾンティ部門グランプリを受賞した作品だ。音楽から企画、原案、美術まで担当し、初主演を果たしたCoccoと本作を作り上げる過程や、その中でのこだわり、本作で描きたかったことなど、キャンペーンで来阪した塚本晋也監督にお話を伺った。


━━━Coccoさんと一緒にやることになったきっかけは。

CoccoさんのPVを撮ってた監督やドキュメンタリーを撮っていた監督が集まってCoccoさんの短編を撮るという企画『inspired movies~Cocco歌のお散歩』(10)に参加させていただき、その作品を気に入っていただいたのが直接のきっかけです。前からCoccoさんと映画をやりたいと言っていたので、「今だったらできるよ。」と声をかけてくれました。それ以前にも『ヴィタール』(04)に出てくるヒロイン像にCoccoさんを重ね合わせていて、その世界観を見てもらおうと台本をお送りしたら、Coccoさんから自宅でギターを弾いた歌が送られてきて、それがきっかけでエンディングに使わせてもらったりもしています。

━━━Coccoさんに初めてお会いになったときの印象は。

ちょうど活動休止をされた後、ゴミゼロ大作戦というイベントに参加されたときに挨拶に行ったのが初対面で、すごく緊張しました。Coccoさんがデビューしたての頃から歌と存在感、歌っている詩の世界にインパクトを受けて、ずっと興味がありましたから。実は『BULLET BALLET』(98)を描くときにもCoccoさんのイメージを投影していたんです。肝心のCoccoさんのほうは、「やっと会えたね。」みたいな明るい感じでしたね。

━━━お二人でどういう形で作品を組み立てていったのか。

Coccoさんにインタビューを繰り返しました。最初に「私は二つ見えるんです。」という話を聞いて、それ以降はメールで事実の描写や詩のようなものをいただきました。本当と空想が入り混じった混然としたものをたくさん浴びながら、徐々に物語にしていきました。

━━━母子の物語にしたのはなぜか。

『inspired movies~Cocco歌のお散歩』を撮ったときに、自分が母を7年介護した直後だった関係で、Coccoさんと母の話をしたことがありました。僕は母とべったりでしたが、Coccoさんはお子さんとの間に距離を感じたので、その距離は何なのかを探る旅にしました。最後には両方とも違う形で深い愛情があることに変わりはないことに気づくまでの旅でもあったのです。実際にCoccoさんからいただいたエピソードを母子中心の話にして、Coccoに意見をいただきながら書き直し、今の形になりました。駄目なところはちゃんと言っていただいたので、出来上がったときにはCoccoさんの中で琴子が一本化した揺るぎないものになったと思います。

━━━Coccoさんに言われて一番印象に残った意見は。

暴力的な描写の場面で、こちらはCoccoさんのファンのことを考えて、緩和した表現にしようとしたときに「緩和してはいけない。」と言ってくれました。緩い暴力の表現は暴力を肯定することになります。これは暴力をファンタジーで描くのではなく、完全に暴力を否定する映画だから「徹底的にやった方がいい。」と言われたことが一番大きかったです。今までの『鉄男』は、人間の中にある暴力性をきれいごとで隠すのではなく、想像の世界はエンターテイメントとして表現したのですが、そういう類の暴力ではないんです。本当にイヤな見たくないものをやるということです。

━━━クランクイン直前に震災が起こったことで、作品自体に影響はあったか?

子どもが登場するシーンがあるので、かなり難しいこともありました。自分の周りのお母さんもすごくエキセントリックになる人がいるので、琴子のイメージとすごく重なったんです。脚本は全く書き換えていないのですが、自然に重なり、こういうお母さんたちの気持ちにガッチリ入り込んで作ってきた映画だと思います。

━━━即興的な演出のようにも見えたが。

即興的に見えたのは沖縄でのシーンがあるからだと思いますが、基本的にはコンテがちゃんとあって脚本通りのセリフを言っています。Coccoさんにインタビューで聞いたことを起こしたセリフだから実感を持って言えるというのが基本にありますね。田中としゃべっていて自傷するシーンやベランダで父のことを話すシーンは、即興的なアドリブというよりは、自分で話すことを決めてきたアドリブです。沖縄は子どもと仲良くなるまでという課題があって、それをCoccoさんが自由演技でやっています。カット割りも実はオーソドックスです。Coccoさんも「人生を注いだ。」と言ってくださっている通り、ドキュメンタリーではなく人生のありようを投影したフィクションです。

━━━Coccoさんの演出で心がけたことは。

本番で本当の感情を出すような演技をされる方で、リハーサルではそういう演技はされないので、なるべく本番になるまでに細かい段取りを積んで、本番に集中してもらうようにしました。そのときやっている感情はホンモノなので、リハーサルで何度もやってもらうのは逆に申し訳ないのです。

━━━塚本監督演じる田中はどういう考えから生まれたキャラクターなのか。

元々は、インタビューでCoccoさんが巨大な喪失感を抱えているように感じたので、映画の中盤で巨大な喪失感をもたらす、救世主じゃない意味合いで作った役なんです。でも田中を自分が演じる段階で、最後の喪失感は全く関係なく自分がCoccoさんをリサーチするように、キャメラ、田中が三者一体となって現場でもリサーチしていくような役柄になっていきました。実際、田中を自分が演じると思っていなかったのですが、Coccoさんも現場の人数を増やしたくなかったし、僕も集中したかったのでほかの俳優さんを呼ばないようにしたのです。Coccoさんにこの役をやれと後押しされた形でやっただけで、『鉄男』のときみたいに、「絶対に俺がやるんだ!」といった気持ちや役者としての野心や野望全くなしに、ただ琴子に寄り添いました。Coccoさんが後押ししてくれた大事な役なんだろうということしかなかったです。

━━━本作での暴力描写はどんな意味を持つのか。

今度の映画を作る発動力となったのは、「戦争が怖いという映画を作りたい。」という想いでした。暴力とは主人公に襲いかかる戦争のようなものです。戦争では自分の子どもが奪われてしまうことが一番怖いので、子どもを守ることに神経質になってしまう。琴子はその気持ちを投影している役です。戦争は絶対暴力なので、それがきたら絶対に復活できなくなります。だから、「それはダメだ。」ということを恐ろしいまでに描きました。田中さえも離れてしまうぐらい、絶対に近づけないのです。

━━━母と子の関係は本作で描かれるようなあらゆる恐怖を越えるのか。

映画で主観が移るというのはとても大事なことで、最初はずっと琴子が主観で躍起になっているのですが、だんだん子どもが主観になります。子どもが琴子を守る立場になるから大丈夫ですよ、とCOCCOさんにエールを送りたいという感じでしょうか。

━━━監督がこれから描きたいと思っている題材は。

今は来るべき戦争に対する恐怖が大きいです。子どもだけでなく、大事な人を守るのが難しい時代に、それでも大事な人を守らなければいけない。本を読んで調べているのは第二次世界大戦で、いつかはこれを題材に映画を作りたいと思っています。後は真逆ですが手作りアニメも作ってみたいかな。


『鉄男』シリーズの印象からか、強面のイメージを抱いていたが、いたって自然体でかつCoccoに対する敬意の念が随所に感じられた塚本監督。今までの暴力描写とは違ったエンターテイメントではない戦争のような暴力で、絶対にあってはならないものを敢えて描き切った背景にはCoccoの強い意志が反映されている。運命的な二人が作り上げた魂の映画は、恐怖に満ちた現代に生きる私たちに衝撃と共感をもたらしてくれるだろう。(江口由美)

kogeonna-s1.jpg (2010年 日本 54分)
監督:瀬川浩志
出演:新井美穂、高木公介、よこえとも子、谷尾宏之、
    真柳美苗、松本高士、西山真来、前川桃子、片倉わき
2012年3月17日~シアターセブンにて1週間限定公開
公式サイト⇒http://kogeonna.com/
★ シアターセブンにて連日舞台挨拶、特別イベントを開催!
詳細⇒http://www.theater-seven.com/2012/movie_kogeonna.html


  なんとも不敵で不格好な恋愛模様が、懲りない男女の本質をえぐり出す瀬川浩志監督作品『焦げ女、嗤う』が17日よりシアターセブンで1週間限定レイトショー公開される。
  第1回CO2映画祭で主演女優賞を獲得した新井美穂、内田伸輝監督作品『ふゆの獣』での熱演が記憶に新しい高木公介、堀内博志監督『私の悲しみ』で第12回TAMA NEW WAVE女優賞を獲得したよこえとも子、木村文洋監督『へばの』、一昨年の桃まつりで上映された加藤麻矢監督『FALLING』の西山真来など、インディーズ界で活躍する個性的な俳優たちを迎え、むしろ彼らの知られざる一面が露わになっている。
 地元が関西の瀬川浩志監督が、凱旋公開に先駆け来阪し、本作の狙いや俳優たちに期待したこと、自身のおばけ論について語ってくれた。

kogeonna-1.jpg━━今回併映される『蛾意虫』はホラーテイストだが、今回恋愛映画に仕上げた意図は?

前作の『蛾意虫』は、ホラーと若い男女の恋愛を組み合わせて描きましたが、ホラーの部分がより取り立たされてしまったので、本作ではお芝居をちゃんと撮りたいと思っていました。普段人間が隠したい部分を見せるために、恋愛という素材を使っています。人間の格好悪い部分を描くことで、人間の愛おしい部分を描きたかったのです。

━━━本作は、若い俳優たちの演技が光っているが、キャストとのどんな部分に期待したのか。

冬子の高校時代の元彼を演じてもらった高木君とは、長野県上田市で開催されている城下町映画祭で出会いました。実は半分高木君を想定して書いたんです。彼は、見た目爽やかで、女の子にすごく思い入れがあるのに空回りする役が多いのですが、ただのいいヤツというイメージを崩したい。彼の不安定な弱さや、ちょっと腹黒いところを見せたいと思いました。 谷尾さんは、体育の先生の免許を持っているぐらい真っ直ぐないい人なのですが、オーディションでお会いしたときに目がすわっていたんです。心の奥が見えないというか、白黒はっきりつかないところが人間の面白いところで、そこを表現してもらいたいと思いました。
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━━━西山さんは『へばの』や『FALLING』での役に比べておとなしめだったが。

加藤麻矢監督とは映画美学校の同期で、『FALLING』の手伝いをしていたときに西山さんと出会いました。オーディションで役者としての魅力は感じたものの、今回はピタリとくる役がなかったので、出番は少ないですが今後ぜひ出てもらいたいという意味も込めて出演してもらっています。2シーンしか登場しないから何をやってもいいということで、スピンオフ企画として東京で上司した際もパフォーマンスをやってくれました。大阪でも「週刊小宮由紀 大阪編」として西山さんがパフォーマンスを披露してくれますよ。

kogeonna-3.jpg━━━タイトルの『焦げ女、笑う』はかなりインパクトがあるが、どんな意味を込めているのか。

しっかり意味があります。”焦げ女”は人を思う心、恋こがれる心が強すぎて焦げてしまうといった意味で、本作を見ていただいたお客様からは「全員焦げ付いてるね。」と言われたこともありましたね。”わらう”は、ちょっと上からあざ笑うという意味ですが、知り合いが調べてくれたところによると、生まれ変わるという意味もあるようです。ラストのシュウコの姿はまさにそうですね。恋愛でゴタゴタしている彼らから、過ぎ去っていきますから。

━━━シュウコを演じるよこえさんの存在感が強烈だが、特別な演技指導をしたのか。


よこえさんは、感情のスイッチがすぐ入ってしまう人で、普段から我慢しない性格なんです。今回のシュウコ役は後半まではずっと我慢をしている設定だったので、演出は結構大変でした。まだ泣く場面ではないところでも涙が溢れてきてしまって、涙が収まるまで撮影がストップすることもありました。それだけ表現力が豊かなところは本当に素晴らしいと思います。『ふゆの獣』の内田監督最新作にも出演していて、今注目されていますね。

━━━群像劇でありながらも、最後はシュウコが主役のような印象も受けるが、脚本はどのように作っていったのか。

人間ドラマを作ろうと思った時に、まずある男女のカップルで、女が男に捨てられるという設定が浮かびました。最初にシュウコの設定はなかったのですが、どんどん変容していきましたね。観客を裏切りたいという気持ちでじっくり構想を練ってから、一気に書き上げました。

━━━今回冒頭に登場するおばけは、後のストーリーとは無関係だが、おばけにどんな意味を持たせているのか。

 私は映画美学校で高橋洋さんに習ったので、Jホラーを尊敬している反面それに反発もしています。一般的にJホラーでは死んだ人間を矮小化して描かれていますが、自分の経験でも祖父や祖母が亡くなって死んだ人間となっても怖くなかったんです。

今回のおばけも、例えば冒頭におばちゃんに道を聞くシーンがあって、そのおばちゃんが以降一切登場しなくても誰も何とも思わない。でも、それがおばけだったら、その後何も起こらないと疑問が生じる。それは、おばけだったら何かやるだろう、怖いことが起こるだろうという固定観念があるからなんです。そういう「おばけは怖い」という固定観念を取り払って、怖くないおばけを撮りたいという気持ちがありましたね。


 kogeonna-s2.jpg━━━作品の中で好きなシーンやセリフは?

冬子に「別れよう。」と言われた圭吾が、「傲慢なヤツだな。人の心なんて思い通りになるわけないだろ。」と言った後に、「他人なんて自分がどうしようと傷つくときは傷つくんだ。」と言うんですが、このセリフが好きです。圭吾のある種の諦めであり、逆にそこに谷尾さんが演じる圭吾の強さが出ています。

━━━瀬川監督ご自身が影響を受けた監督は?

『バッドマン』のティム・バートン監督が大好きで、映画を作りたいと思うきっかけになりました。自分が映画を作り出したときにはミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』に影響を受けたし、映画美学校に入ってからは、川嶋雄三監督や増村保造監督作品を見て映画の濃度を学びましたね。

━━━今後、どのような作品を手掛けたいか。

滑稽な人間は描いたことがあるけれど、もう一歩踏み込んで、ちゃんと人を想う気持ちを伝えられるような作品を作りたいですね。恋愛を切り口に描いていくと思います。
 



  童貞系恋愛映画や純愛映画が登場する中、久々に肉食系男女の自己中心的な恋愛群像劇を見た気がする。状況的にはドロドロとしているのに、どこかバカバカしくて笑えるのは「人間の格好悪い部分を描くことで、人間の愛おしい部分を描きたかった。」と語る瀬川監督の成せる業なのだろう。それでも恋をせずにはいられないのが人間なのだ。
  今回の上映では第12回水戸短編映像祭入選作の『蛾意虫』が併映される。『焦げ女、嗤う』と合わせて、おばけや恋愛を題材に滑稽ながら愛おしい人間模様を描く瀬川ワールドを味わってみてほしい。 (江口 由美)

(C)「焦げ女、嗤う」製作委員会
 

bokura-k1.jpg (2012年日本 前篇:2時間3分 後篇:2時間1分)
監督:三木孝浩
原作:小畑 友紀『僕等がいた』小学館フラワーコミックス
出演:生田斗真、吉高由里子、高岡蒼佑、本仮屋ユイカ、
    小松彩夏、柄本佑、比嘉愛未、須藤理彩、麻生祐未他
前篇2012年3月17日~
後篇4月21日~全国東宝系ロードショー
公式サイト⇒http://bokura-movie.com/

累計1000万部を突破した大人気恋愛コミックを映画化した『僕等がいた』の三木孝浩監督と春名慶企画プロデューサーに二部作に仕上げた意図や、ブレのない恋愛映画になった秘訣についてお話を伺った。
 


 ━━━前篇での釧路の風景が印象的だが、撮影で工夫したところはあるか。
 三木監督:釧路は霧が多い町で、晴れているけれど白く霧がかかっている空気感がむしろおもしろいと思いました。前篇は釧路が舞台ですが、思い出を思い返すときの少し美化された感じとか、心の中にある映像のイメージを出せればと、少し明るく撮れるように工夫しました。 他の北海道の場所とは違う北欧っぽさ、ちょっとしっとりした感じが、キラキラした物語の中にある少し影の部分にかなりフィットしていた気がします。

 bokura-1.jpg━━━最初から二部作にするつもりだったのか。
 春名:本音を言うと三部作にしたいぐらいでした。原作で16巻分あるエピソードを、単発の2時間前後の器にエピソードを入れても表層をなぞったダイジェスト版になるのは否めません。珠玉のエピソードや恋愛の機微や深い部分を描きたいというのがまずありました。

 原作自体も8巻で矢野が七美が別れて東京に行き、その後いきなり大人になって時間のブランクがありました。高校時代の部分 はいわゆるボーイミーツガールの純愛ものだと思っていて、9巻目以降が『僕等がいた』ならではのヒューマンストーリーなのです。これをどう映画で描くかを 考えたときに、原作にあるポンと大人に飛んだ時間のブランクそのものを映画にしてしまおう。そこで一旦区切りをつけて、数週間空けて上映するという距離感 が、絵のタッチそのものや、あのキラキラから一気に影の部分に光を当てることになるのです。

 今回Mr.Childrenを主題歌に起用したのも、眩しさと切なさ、もどかしさとやるせなさ、といった青春の4要素が彼らの歌詞の世界観に全部詰まっていたからなんです。
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 ━━━二部作を興行面で説得するのに苦労した点はあるか。
 春名:5~6年前ならこの手のラブストーリーを二部作で上映するの はかなりのリスクがあると考えたでしょうが、邦画が成熟市場になってきてシネコンでプログラミングを自由に組み立てられる。そうすると、後編を公開してい ても、前編も劇場でかけていただける。そういう風に一気見することもできるサービスも新しい邦画の見せ方になるのではないでしょうか。


 ━━━年齢を問わずに感動できる作品だと思うが。
 三木監督:少女マンガだし、女性目線のファンタジーと思って作って はいますが、僕が高校時代を思い返して心を重ねた瞬間とか思い出に残っている色々な場面を全編に散りばめたつもりです。学園祭シーンや夏休みのお祭り、花 火や、放課後の屋上や、そこは世代を問わず誰でも思い出の端っこにその風景が思い浮かぶ映像ではないかと思うので、僕があの頃を思い出したように上の世代 の方にもひっかかってくれるのではなかと思う。

 bokura-k2.jpg━━━原作との違いはどこにあるのか。
 三木監督:映画も第一部、第二部と原作を踏襲して作ってはいるけれど、原作は時制に沿って描かれています。で も今回は大回想録にすることが軸になる映画にしました。だから最初に大人の七美をだしているのが大きく原作と違うところではないかと思います。そうするこ とで、そこを通り過ぎてきた人にこそ、ひっかかって欲しい。あの頃を思い出して欲しいというつもりで作っていましたね。

 ━━━後半が面白いので、それを楽しむために前篇を見ておかないとその感動は倍増しないのではないか。
 三木監督:それです(笑)。もう一度高校生からスタートして、前篇であの頃を思い出してもらって、その頃の思 い出が暖まっているうちに後篇を見てもらう。大人になったときに、そのとき好きになった想いを今どう抱えて生きていくのか、どう向き合うのかを後篇で一番 描きたかった部分です。まさしく後篇のその感じを見てもらいたいからこそ、前篇から二人の長い恋愛を体感してもらって彼らの苦悩を感じてもらえればと思い ます。


 ━━━二人の恋愛を描くのに、全くブレないように作っていると感じるが。
 三木監督:原作はエピソードが豊富にあって、竹内との三角関係のエピソードもたくさんあるのですが、映画として作る上でこの二人の恋愛にフォーカスしたいという共通のイメージがあったので。

bokura-3.jpg 春名:編集でかなり竹内のエピソードを減らしています。それがあれば原作ファンはとても喜ぶし、話が肉厚になりますが、一本線を通そうと決めました。
 七美が会えてもいないのにどうして好きでい続けられるのか。作っている自分自身にもどうやって納得させるのか脚本づくりや編集の中でずっと考えていたこと です。最近思ったのは、想い続ける原動力は記憶にあるのではないかと。それは前後篇で分けたことが功を奏していると思います。鮮烈な矢野とのまばゆい思い 出がある日ぽんと立ち消えてしまう。それによって矢野との思い出がより鮮明に刻印され、それをずっと持ち続けているからこそ愛し続けるエネルギー源に七美 はしていた。そういう物語だと納得しています。

 (キャンペーンの)壇上で監督もおっしゃってましたが、逆バリのキャスティングといってパブリックイメージとは逆のキャスティングをしました。生田斗真は 魅せる芝居で、三枚目でふわっと入ってくるキャラクターですが、今回は傷ついた王子様でとお願いしました。吉高由里子には「今まではコブつき、ワケありと いう役が多かったけど、今回あなたにそういった武器はあたえません。」と最初に言いました。王道のヒロインをやってほしかったんです。

 bokura-2.jpg━━━前篇最後、駅での別れのシーンの二人の表情がとてもよかった。
 三木監督:今回役者はすごく難しかったと思うんですよ。前篇を先に撮ってから、東京で後篇を撮ったのですが、どうしても時間軸が前後することもありました。それでも そのときどきのキャラクターの想いをちゃんと演じ分けて、見えないところでプランニングしてくれました。編集していると逆にこちらが気づかされて、主演の 二人は本当に素晴らしかったですね。


恋愛の喜びも苦しみも、真っ直ぐに伝わってくる本作を作ったお二人だけあって、作品への想いや伝えたいことが溢れている印象を受けた。邦画の恋愛映画史 上初となった二部作で上映することによって、より原作の世界観を体感できる作品に仕上げた三木孝浩監督。「初々しい恋愛を通り過ぎた大人にこそ見てほし い」というその言葉は、大人にも懐かしさを甦らせる珠玉のラブストーリーにふさわしい。過ぎし日に戻って、美しく輝く恋を思い返せる静かな感動に心揺さぶ られるだろう。
 (文:江口由美、写真:河田真喜子)

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