(2011年 日本 1時間58分)
監督:小池征人
ナレーション:竹下景子
5月26日から第七藝術劇場にて上映中
公式サイト⇒ http://danran-nippon.main.jp/index.html
~人とともに生き、人の中で生かされて~
愛知県に住民が主体となって、地域の福祉や医療の仕組みづくりに取り組んでいる「南医療生活協同組合」がある。1959年、伊勢湾台風により五千人を超える死者が出た。甚大な被害を受けた名古屋市南部では、「自分たちの命は自分たちで守る」ために住民たちが出資して診療所ができ、以来50年、いまや総合病院のほか、グループホーム等さまざまな介護・福祉施設を運営し、さまざまなボランティア活動が行われ、6万人の組合員を有するに至る。本作は、南医療生協で働く人たちの生き生きとした姿をとらえ、その実態に迫るドキュメンタリー。PRのために来阪された小池征人監督にお話をうかがった。
―――緩和ケア病棟で喫茶ボランティアとして働いている女性の言葉がとても印象に残りました。
現場で撮っていた時に、これがラストシーンだと思いました。緩和ケア病棟は、余命約5か月の人が入るところですが、ボランティアの方々が毎日、お昼から夕方までいて、患者さんのところにお茶を持っていったりして、あの場がなごんでいるわけです。この人たちがいることで、緩和ケア病棟の緊張感が和らぎ、医者代わりの大事な役割をされています。一番感心したのは、自分たちの出したお茶が、患者さんにとって最期の飲み物になるかもしれないと、心を込めて提供している姿です。ちょうど1週間程前に旦那さんを亡くした奥さんが、偶然、看護師さんに報告に来ていて、病棟で、旦那さんの結婚以来の一番いい顔を見たと言っていました。看護師さんたちもすごく優しくて、患者さんをベッドごと、屋外に連れて行って花壇のお花を見せたり、そういうところに南医療生協の思想があると感じました。
―――苦労したところは?
いろんな建物や病院があって丁寧に撮影していくと、解説映画になってしまいます。だから、そこで働く人たちの生き生きとした姿や、いかに元気かという力みたいなものを撮ることができれば、施設をつくった人たちの考えや、生協という組織が持っている思想に近づけるのではないかと思いました。 衣食住しかないごく当たり前の日常を撮っていますので、なかなかドラマチックには展開しませんが、生活の中にある“いのちの時間”みたいなものが撮れればいいと思っていました。
――― 取材・撮影期間はどれ位、かかったのですか?
2010年3月から2011年3月頃までです。いろんな施設を順番に回って、病院や診療所のある名古屋市南区、東海市をメインにしました。3月11日に大地震があり、この映画は、社会がゼロになった時のモデルとして「ちゃんと生きられる」というメッセージを伝えることができるように思いました。今年2012年が「国際協同組合年」に当たり、世界中の国々が協同組合に注目していることを偶然知って、時代の動きともぴったりだと思いました。
―――地域のご老人の家をまめに訪ね、グループホームづくりに尽力している活動的な女性が、自分の母親に対してはつい手を上げそうになることがあると言われたのが、印象的でした。
家族の介護というのは、本当に大変なことです。介護を家族だけに押し付けてきたから、虐待といった問題が出てきました。社会が、仕事として引き受けるのであれば、家族の場合と違って、感情の起伏に発展することはありませんし、社会で負担し、面倒をみる仕組みづくりが大切だと思います。
映画の中でも紹介しましたが、南医療生協では、総合病院が移転して、新しい病院をつくる時、組合員の要望の多かった助産所を新設しました。赤ちゃんが生まれるまで妊婦が家族と一緒に泊り込んだり、若いお母さんたちが、赤ちゃんをみてもらっている間に、お灸をしてもらったり、育児での悩み相談にのってもらったり、母親の心と身体を癒す場として、子育てで孤立しないような仕組みになっています。
―――妻に連れられて、毎日、施設(小規模多機能ホーム)に通って来る認知症の初老の男性への施設職員の対応も丁寧で熱心ですね。
彼が、現役の技師として工場で働いていた頃の写真が幾枚も施設のロビーに貼ってあります。当時よく出張しては、家族に手土産を買って帰ってきたそうです。施設の職員は、そのことに気が付き、彼を車に乗せ、どこかのおみやげ売り場に出かけ、彼はそこで手土産を買って施設に帰ってきます。お店で楽しそうに値切っている姿を見ると、認知症ではないように思えましたが、やっぱり認知症なんですね。
彼の一番いい時代の写真を施設に飾り、彼は毎日、自分の物語を見ています。認知症で、自分の一番楽しい過去の時間の物語を生きているから、ケアする側も、当時と同じように、一緒に手土産を買うのにつきあったり、その物語にあわせて世話をすれば、彼も満足する。そうやって、相手の持っている時間につきあうこと、それが医療生協のもっている哲学だと思いました。
―――映画館に映画を観にいきたいという、寝たきりの患者さんの要望にこたえて、訪問看護ステーションのスタッフたちが付き添って、映画館にベッドのまま連れて行くのもすごいですね。
普通の医療機関ではできないことだと思います。ひとりの要求に対してどう対応するのかという、南医療生協の姿を通して、社会の仕組みを問うてみたいと思いました。地域のつながりが希薄になり、個人がばらばらになって、自己責任ばかりが問われる時代に、そうではなくて、もっと一人ひとりが声を出して、お互いに助け合っていこうというのが協同組合の原点です。力をあわせれば、人とつながったら何かできるという協同組合の試みが、今の日本の閉塞状況を突破するのではないか、そういう社会の仕組みができれば、もっと家族も楽になるはずだし、そのためには、社会の仕組みをどうしていったらいいのか、というのが映画のテーマです。
助け合って当たり前という社会ができてこなかったから、虐待や老老介護といった問題が出てきました。人間も、どこかで何かの役割を持つと、変わっていきます。一人ひとりの存在価値がもっと豊かになるような場をつくっていくのが協同組合のよさだと思います。
「みんなちがって、みんないい」との言葉どおり、自由活発に意見を言い合う土壌ができている南医療生協では、一人ひとりの考えや意見が組織を動かし、地域への働きかけとなって、人々を結びつけていく。地域の絆を取り戻そうとする試みが、住民たちによって主体的に取り組まれていることに驚かされる。とりわけ元気なのが女性たちだ。そうして、地域に“だんらん”が生まれることで、人々の表情が変わり、地域が変わっていく。そこに日本の未来像を見出したいと小池監督は語られた。
「50歳で枯れたと思っていましたら、私も花が咲きました」と言った女性がいたそうだ。この映画の魅力は、なんといっても、一人ひとりの笑顔と輝き。ケアする側もケアされる側の表情も強く心に残っている。戦後の大変な時期を和裁・洋裁の腕で頑張りぬいてきたおばあちゃんが、今、病院にリハビリに通いながら、車椅子の女性のために、当て布やカバーをつくってプレゼントしている。認知症で身寄りがないおばあさんが、日記をつけるのが日課で、ぼそりと子どもがいないことを口にし、ずっと気にかけてきたことがわかる。一人ひとりの人生の重み、そして、今、生き生きと毎日を過ごしている姿に触れ、人生について深く教えられた気がした。 (伊藤 久美子)
(C)2011「だんらんにっぽん」製作委員会