レポートインタビュー、記者会見、舞台挨拶、キャンペーンのレポートをお届けします。

2012年6月アーカイブ

punsanke-s3.jpg(2011年 韓国 2時間01分 R15+)
製作総指揮・脚本:キム・ギドク
監督:チョン・ジェホン
出演:ユン・ゲサン、キム・ギュリ、キム・ジョンス、オダギリジョー
2012年8月18日(土)~渋谷ユーロスペースにて境界線上のロードショー
銀座シネパトスほか全国順次公開
・作品紹介⇒こちら
・公式サイト⇒ http://www.u-picc.com/poongsan/


 分断国家の苦しみを乗り越える? 38度線の境界線を軽々と飛び越え、北と南を3時間以内で配達する運び屋、通称“プンサンケ”を描いた分断映画「プンサンケ」が8月公開される。先頃、チョン・ジェホン監督(34)が来阪PR、若い世代からの新しい視点による“分断映画”を強調した。

punsanke-1.jpg――キム・ギドク監督の脚本だが、映画はどういういきさつだったのか?
一昨年秋、キム監督から電話で「シナリオ読むか」と聞かれた。「自分はこれをうまくやれるか」と思ったが4時間後に再度電話があり「やらせてもらいます」と伝えた。当時、キム・ギドクフィルムは苦しい状況にあり財政的に底をついていた。「プンサンケ」は低予算で短い期間で多くの人々に訴える映画を作らなければいけなかった。

――苦労したところは?
「分断」というテーマとどう向き合うか。その単語が入るだけで重くなるから。いかに負担なく訴えるか。低予算に見えないようにするにはどうするか。商業的に成功しなければならなかった。2億ウォンで成功するのは難しい。

punsanke-s2.jpg――後半で北も南もひとつの部屋に閉じ込めるコミカルなシーンがある。
シナリオでもそうだが、キム・ギドク監督と私では分断のとらえ方に差がある。ギドク監督は朝鮮戦争に参加しているし海兵隊にも入っている。私は10代でアメリカに行ったし、父の仕事(外交官)でオーストリアに4年間暮らした。だから視点は異なる。私の視点でいこうと思った。こんなに近いのに手紙1通も往来させられないのはおかしい。

 ――キム監督とは話し合ったのか?
脚本はよかった。どのように映画化するかの話はなかった。現場には一度も来なかった。分断を理解しているか心配していた。「若過ぎるのではないか」と。私は北朝鮮には早くから関心を持っていた。韓国では「北は勝たなければいけない敵である」と考えているが、私はオーストリアでの経験が大きかった。あちらで歩いていて、北の言葉が聞こえてきて冗談を言っている。彼らは音楽を専攻していて、決して(思われているような)殺人兵器ではなかった。私も彼らも警戒して、話したりは出来なかった。

punsanke-2.jpg――いつごろ? その経験は映画に生きている?
2000年から2004年ごろだから当然生きている。お茶とか出来なかったのが残念だった。

――分断を描いた?
分断映画とは思っていなかった。これまでの分断映画は主人公が軍人か工作員でかっこよかった。戦争とかは過去の話。軍人だけの映画ではない。華麗で派手な英雄ではなく、愛する人を亡くしたりする。主人公が軍人ではない映画にしたかった。苦しみの中にある家族のメッセンジャーを描いた。彼が悪い訳ではない。現実に離散家族が見ることもあるのだから。キム・ギドク監督の最初のキャラクターは違う。彼は(主人公を)戦争の神様ととらえていた。 私は、ギリシャ神話のような、運命的な愛を描きたかった。プンサンケが運命の女性イノクに会ってから人間的な感情を取り戻す。人間としてのプンサンケで 彼は神ではない。

punsanke-3.jpg――実際にあんなメッセンジャーはいるのか? それとも空想の産物か?
休戦ラインを越すことは出来ない。だが、映画の後、新聞にそういう組織があることが出ていた。(映画作家として)満足だった。

――実際は延坪島(ヨンピョンド)を砲撃する事件も起こり、南北関係は悪化しているが?
延坪島砲撃事件は撮影の最中に起こった。大きな驚きだった。戦争中なんだと痛感した。撮影現場にも影響があった。ミサイルが落ちることはなかったが、撮影を止めて、砲弾が落ちた家を見に行ったりした。朝鮮戦争から60年経ってもこういうことが起こるのが分断国家なんだと思った。韓国政府からは(現場付近で)火薬を使ってはいけない、という通達があった。

――砲撃事件で脚本は直したのか?
直した。より観客の皆さんに柔らかく見せるように作らなければ、と。反省した。分断であることに無感覚だった。

――最後に鳥が2羽、国境を越えていく。「イムジン河」の影響があるのか?
「イムジン河」は知らないが、鉄条網を壊したかった。イメージはそうだ。

――カンヌ国際映画祭へ、キム・ギドク監督にアポなしで会いに行ったそうだが、どの作品に惹かれたのか?
「うつせみ」(04年)です。音楽、ビジュアル、独創性、すべてが素晴らしかった。カバンひとつで行ったが、拒むどころか温かく接してくださった。私は28歳だった。

――キム・ギドク監督の助監督は経験したのか?
「絶対の愛」と「ブレス」を手伝ったが、雑用係みたいなものだった。監督には「お前が助監督になるのは4年たたないとなれない」と言われた。助監督になる夢はあったが。先輩たちはキム監督を恐れていた感じだった。監督として道をどう歩めばいいのか、学んだ。個人指導を受けたので、先輩たちからは憎まれていると思う。

――この映画を見たキム監督の反応は?
驚いていた。ずいぶん違うんで。でも面白いと言ってもらった。公開以来73万人動員するヒットになったので、キム・ギドクフィルムにも貢献できた。私は「後輩のために出ていけ」といわれたけどね(笑)。

――観客にアピールするなら?
観客に望むのは楽しんでもらうこと。「プンサンケ」はテーマは重いが、アクションもあり、コメディでもある。身近に見てもらえるのではないか。終わった後、少しでも分断について考えてもらえたら、と思う。 (安永 五郎)

river2.jpg(2011年 日本 1時間29分)
監督・脚本:廣木隆一
出演:蓮佛美沙子,根岸季衣,田口トモロヲ,中村麻美, 尾高杏奈, 柄本時生,葉葉葉,小林ユウキチ
2012年3月10日よりユーロスペース、6月16日~第七藝術劇場、4月7日~MOVIE ONやまがた にて公開
公式サイト⇒
http://river-movie.com/

作品紹介はコチラ

(C) 2011 ギャンビット

 

『ヴァイヴレーター』、『軽蔑』と若者の激しくも刹那的な愛をギリギリのところまで描いてきた廣木監督。秋葉原殺傷事件をモチーフに、今までのタッチとは異なり、主人公を見守るような距離感が印象的な最新作『RIVER』がいよいよ関西でも公開される。

キャンペーンで来阪した廣木隆一監督に、冒頭の歩くシーンが印象的な本作の狙いや、撮影直前に起きた震災が監督や作品に与えた影響について話を伺った。


river_1.jpg━━━事件そのものを描くのではなく、事故から数年経った今が舞台ですね。
事件というと、加害者の方のことを描いて、犯罪につながるということになりますが、動機はいろいろなこじつけがあって、何が本当かということより、人が死んだ事実の方がすごく心に残っています。セオリー通りの犯罪者の成り立ちが信用できなくて、逆に被害者側や、変わらず存在している街の方に興味がありました。

━━━監督から見て、秋葉原という街をどう捉えていますか。
久々に撮影で秋葉原に行きましたが、すごく変わっていましたね。メイド喫茶やきれいなビルや、AKBの劇場や、そこにくると同じ趣味を持った人たちに出会えるものを作っています。僕が昔、学生で東京に出てきたときは歩行者天国があって、いろいろなパフォーマンスやライブをやっているのとそんなに変わってないです。ただ、昔はそこに文化がありましたが、今は文化がない気がしますね。

━━━冒頭15分間、主人公が秋葉原の街を歩く姿が長回しで映し出したのはどういう狙いですか。
最初はあんなに長く撮ろうとは思わなかったのですが、実際ロケハンをしているうちに、秋葉原を知らない人もたくさんいるだろうと感じたんです。それで、秋葉原の駅を降りて、事件が起きたところまでリアルで見せるようという気になりました。

━━━秋葉原の街の様子や、映り込んだ人たちの姿に見入る一方、どこまで続くのかというドキドキ感がありました。
そのスリル感は僕にもあって、映画はカットしながらできていくのでしょうが、そうではなくて、「どこまで行くの?」と思ってもらうのもいいんじゃないかと。

━━━主人公ひかり役に蓮仏さんを起用したきっかけは。
この企画を出した段階で、紹介され、興味があるので合わせてもらいました。僕は女優さんと会うときはイメージを持たないので、蓮仏さんも逆に普通の女子大生みたいでいいなと思いました。すごく芝居が上手くて、細かい内面の芝居をしてくれました。

━━━蓮仏さんのどういう部分の芝居がよかったですか。
蓮仏さん曰く、ドラマをしているとある流れ作業の中で芝居をしていくのに対し、この現場ではいきなり街に放り込まれて「歩いて」と言われて、設定だけはしているものの、まさかこれだけ歩かされるとは思わなかったそうです。その間彼女が何をやるかというより、その街に降り立った瞬間その役になりきれる。久々そういう演技を思い出しましたと言ってくれたのがすごくよかったです。冒頭ワンカットのシーンでも台本に泣くとは書いていなかったけれど、そういう気持ちになったので泣いちゃったと言っていました。

━━━本作のような手法で映画を作ることは、珍しいですね。
僕はピンク映画出身ですが、当時は事件が起きるとすぐに脚本を書いて、ピンク映画の中に取り入れて撮れました。今そういう風に撮って公開できることがあまりありません。マンガや売れた小説が原作か、テレビからの流れからといった見え方がしてしまって、自分自身がこういう映画(『RIVER』)を見たかったのかなという気がします。

━━━映画のタイトルや作品中流れる『MOON RIVER』など『RIVER』というキーワードにはどんな意味が込められているのですか。
最初タイトルも『MOON RIVER』だったんですよ。基本的には川に写る月と、秋葉原には忘れられたように神田川があるのですが、そこに写る月と本物の月との違いを表しています。昔は街が幻想を見させてくれましたが、それが今はあまりありませんね。

━━━作品中ではメイド喫茶でバイトをしている女性など、秋葉原で非日常を生きる人の断片が映し出されていました。
非日常にとけ込める人と加害者のように裏側でその人たちを疎ましく思ってしまう人がいます。僕も若かったら溶け込めない方の人間でしょう。シナリオやロケハンの時にメイド喫茶を何軒か見ましたが、「お帰りなさい!」と言われても、別に帰ってきたつもりはないし(笑)。

ビルの屋上にいた青年のように、心地よい場所を壊されたという人もいるでしょう。単なるゲーム好きだけではなく、そこで友達になった人が犯罪者になってしまったみたいな中立的で純粋に秋葉原を好きな人物を絶対にいただろうと思い、登場人物に加えました。

river1.jpg━━━本作制作の際、震災はどのようなタイミングで発生したのですか。
準備やロケハンをしているときに3.11が起こりました。映画業界は皆そうですが、映画を撮ることをやめたり、映画なんかをやっていいのかという気持ちになっていて、僕らやスタッフも一瞬止まりました。でも、せっかく3月下旬から撮影に入る映画があり、また、何年か前に秋葉原で起きた事件で、今もう一度そこに立つ主人公がいるときに、今起きていることを取り入れた方がいいのではないかと思って脚本を書き直しました。

撮っているときは、マスコミから流れる映像しか知らないし、行ってみても撮れなければ仕方がない。とりあえず行って、自分の目で確かめてみようと思っていました。それをフィクションの中に採り入れると、どんな風になるのかは分からなかったけれど、編集段階で何を言われても責任を持てばいいと思って、撮影したものを使うことに決めました。今は入れてよかったなと思いますけどね。先日震災から一年経って色々な行事がありましたが、何年かするとだんだん震災の記憶も薄れていくじゃないですか。忘れないために、そのときの感情をちゃんと記録できたのでよかったです。
実際最初に行った場所は、本当に水浸しで何もないのを目の前にして、何の言葉もなかったです。登場人物の小林と一緒で言葉を失いました。

━━━震災を体験し、目の当たりにすることで、今後撮りたいものや、映画を撮る姿勢などで変化はありましたか。
職業として映画を選んで、その時代に生きて死んでいくのだろうし、そのときに残る映画というのは、ちゃんと時代を反映した映画を撮らなければと思っています。商業映画でも、そのときの時代はこんな気持ちだったという部分をどこか残したいし、古典や芥川のような文学を手がけるときも、映画は今の僕らの視点でやっていかなければいけませんね。

━━━監督の中で印象的なシーンはありますか。
全部です。特に後半は強すぎて。リアルタイムで十数分秋葉原の駅から事件の現場まで歩いて行く蓮仏さんの芝居はすごくいいですね。

━━━押しつけがましくない描き方で、こちらも一緒になって考えたり、寄り添える作品ですね。
東京で上映したときには、毎年3月になったら上映してくれと頼んだりもしました。どんなに大きな出来事でも、どうしても日常に流されて忘れてしまうけれど、また再び『RIVER』を観て思い出せれば、この映画の意味がある気がします。癒されたり消えたりしないのは普通だと思うし、見てくれて楽になってもらえればいいと思います。
あと、『ぼくらは歩く、ただそれだけ』というDVDが8月にリリースされますが、それも安藤サクラが写真を撮っている女の子役で歩く映画です。やっていることは似てますね。

━━━歩く姿を映し出すのがお好きなんですね。
僕自身歩くのは嫌いですが(笑)都内も歩いているとおもしろいですよね。色々な発見があって。 歩くのって基本じゃないですか。走らなくてもいいから歩こうよと、映画の中でも思っています。急ぎすぎじゃないか、歩くスピードでいいんです。

━━━最後に、監督からのメッセージをお願いします。
『RIVER』は震災のことを描こうとしているわけではなく、今起きていることと、今感じていることを映画にしたので、多くの方に見ていただきたいと思います。


秋葉原殺傷事件で亡くなった彼の面影を探す主人公の旅は、いつしか秋葉原に集う人たちや、そこで働く人たちの”他では得られない何か”を探す姿までも切り取り、震災の地の故郷に降り立つ男へとつながっていく。「今起きていること」を切り取りながら、喪失感と、そこから一歩前へ踏み出すまでを描く再生の物語は、今まだ多くの苦しみを抱える被災者への静かなメッセージなのかもしれない。(江口 由美)


 

masaokun-s1.jpg『LOVEまさお君が行く!』

ゲスト:香取慎吾、広末涼子、まさお(犬)

(2012 日本 1時間45分)
監督:大谷健太郎
出演:香取慎吾、広末涼子、光石研、成海璃子、木下隆行、寺島進他


2012年6月23日~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都他全国一斉公開
公式サイト⇒
http://www.love-masao.com/


 テレビ東京の動物バラエティー番組で犬が売れない芸人と旅をする「まさお君が行く!ポチたまペットの旅」。その実話エピソードを元にした感動物語が、香取慎吾主演でスクリーンに登場する。 売れない芸人松本君と食いしん坊なラブラドール・レトリーバーのまさお君が繰り広げる旅と友情、松本君を支えてきた恋人里美との恋の行方、そしてまさお君との永遠の別れ。お茶の間に愛されながら、惜しまれつつこの世を去ったまさお君との思い出や感動がいっぱいの本作公開に先駆け、大阪帝国ホテルにて記者会見が行われ、香取慎吾とまさお君、そして広末涼子が登壇した。
 途中でまさお君が興奮して吠え続ける場面もあったが、映画の松本君さながらの香取慎吾がまさお君とコミュニケーションを取りながら、落ち着かせる姿も微笑ましい会見となった。

masaokun-1.jpg━━━香取さんはまさお君と絡みのあるシーンがほとんどだが、どうやってコミュニケーションを深めていったのか。
香取:もともと犬は大好きで、一番飼いたかった犬種が偶然ラブラドールだったので、撮影でもこういう形で一緒にいれてよかったです。あまりいい感じではないコミュニケーション状態ではじまる話だったので、最初はほとんどコミュニケーションをとらずに、本番でリードをもらって、終わったら離れてといった状態でした。順撮りに近い形で撮影できたので、後半だいぶんいい感じになったときに仲良くなる撮影ができました。

━━━まさお君との撮影で、苦労したエピソードは?
香取:(まさおは)お芝居ができる子ではないですね。訓練された犬だときちんと背筋を伸ばしてピシッとしてるんですが、見ていてちょっと違うなと思ったら、偶然預けられていたこの子だったんです。この姿に監督が「これだ!」と思って飼い主さんに連絡を取って、「映画の主役なんですが、いいですか。」と。僕からしたらとんだ迷惑で(笑)、悪い意味ではないですが、何も分からない子でしたから。でも難しいだろうなと思うところで、本当におとなしくしていたりして、「まさお君はもしかしたら天才なんじゃないか。」と思ったりもしました。


masaokun-s2.jpg ━━━松本君とまさおの友情だけでなく、松本君と里美の恋愛の行方もハラハラさせられるが、広末さんからみた見所は?
広末:松本君とまさお君だけなら仲良しドタバタ劇のロードムービーになるところですが30代を迎えて結婚を意識したり、松本君が売れない芸人で実家から呼び戻されたりと、里美の存在はすごく現実とリンクするリアリティーを生む役でした。最初から松本君との別れを予感していたり、脚本だけ読むとシリアスになりそうでしたが、きっと二人で過ごした10年間は楽しかったことを感じさせるようなお芝居を意識しました。


━━━広末さんとのシーンで印象に残ったところは?
香取:二人の状況がすごく悪くて、里美がいなくなるときに、お好み焼き屋で声をかけることもできない。今の状況を謝るでもなく、先の発言をするでもなく、何もできずに会計までしてもらって申し訳なくても何もいえない。このだめっぷりが大好きです。本当に何もいえないのがすごくリアリティーがあります。ぼくは、そんな経験はありません、スーパースターなので(笑)。

━━━松本君の漫談のシーンはすごくリアリティーがあったが。
香取:最近、綾小路きみまろ師匠の一番弟子になりましたが、本作はその前に撮影をしていたので漫談の経験はありません。でもスマスマでコントをたくさんやらさせてもらっているのは近いところがあったかもしれません。あのシーンはやっていて超楽しかったです。一応台本はあるのですが、直していいと監督もおっしゃったので、松本君として、香取慎吾として、こうした方がおもしろいというところは順番を入れ替えたりしました。監督には尺だけ聞いて、6分ぐらいを自分で計りながらやりました。

masaokun-s3.jpg━━━SMAPのメンバーで誰をペットにしたいか。
香取:つよぽん(草なぎ剛)は今でもペットみたいなので、あえて木村君。ペット扱いは今後20年ぐらい僕はできないと思うので。
広末:香取さんがいいです。香取さんの食べっぷりが大好きなんです。大きなお口でたくさん食べられて、気持ちがいいですよ。稲垣さんとか木村さんだと、餌にうるさそう。


━━━香取さんからみた広末さんの魅力的な点は?
香取:見れば分かるじゃないですか!(笑)こうやって共演するのは初めてで、もっと小さい頃から涼子ちゃんとお仕事をさせてもらっていましたが、改めてかわいいだけではなく、とてもきれいな大人の女性で素敵ですね。
僕も結構本番の瞬間に相手の役の方を好きになるんですが、涼子ちゃんは本番で松本君のことを見ている好きさ加減が半端じゃなくて、危なく香取慎吾に戻りそうな鋭さがありました。


━━━現場でのまさお君のエピソードは?
香取:犬は人に癒しを与えると言いますけど、本当だなと思います。この子がいるだけですごく現場の空気が和むんです。撮影の現場でアシスタントの子たちがぐったりしてきたときに、合間にまさおを触って、夜中で疲れてるはずなのにいい笑顔になっているのを見てすごいなと思いました。それによって、ちょっとほんわかした空気になるんです。今まで経験した現場とは違いますね。
広末:まさお君の座り方が好きです。調教された犬だとピシッと座るんですよね。ウロウロして、草食べてるような歩き方もラブラドールだとなかなかできないんじゃないかと思うんです。

━━━売れない芸人役だが、参考にした芸人はいるのか?
香取:売れない芸人さんや、売れていたのに売れなくなった芸人さんや、どん滑りの芸人さんなどたくさんの方とお仕事をしてきたので、引き出しはたくさんあります。この人とは言いづらいですが、ポンと浮かぶところでは狩野英孝さん。あの感じでちょっと愛されるというか、僕は愛してないですけどね(笑)


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記者会見後に大阪城公園で行われたおさんぽイベントでは、まさお君のトレードマーク「赤いバンダナ」を巻いた関西のまさお君仲間(犬)たちと飼い主50組が大集合。先頭を切って歩きながらも、お堀の方へ寄り道をするまさお君は映画の中のうろうろ歩きそのもの。一番寄り道し、一番吠えたまさお君は、仲間たちとともに大阪城をバックに記念撮影に収まり、香取慎吾、広末涼子とのお城おさんぽを満喫したようだ。犬好きならずとも、まさお君と松本君の不器用な二人が奏でる友情に心温まるこの夏一番のハートフルなワンワンLOVEストーリーをお見逃しなく!(江口 由美)

(C) 2012「LOVE まさお君が行く!」製作委員会

 

 

 (2011年 韓国=日本 1時間10分)
監督:イム・テヒョン
出演:ミン・ジュンホ、杉野希妃、松永大司
2012年6月30日~シネ・ヌーヴォ、8月4日~京都みなみ会館、元町映画館
公式サイト⇒http://ameblo.jp/two-rabbits-in-osaka/
※7/1(日)にシネ・ヌーヴォにて杉野希妃さん舞台挨拶あり


 usagi-s1.jpg『遭遇』のイム・テヒョン監督最新作『大阪のうさぎたち』は、まさに全く新しいタイプの大阪発映画だ。
  2011年映画祭で来日時に、『遭遇』の主演俳優ミン・ジュンホと再びタグを組んで撮影した本作では、『歓待』の主演兼プロデューサーとして来阪していた杉野希妃が急遽撮影に参加。世界中で90%の人類が亡くなった地球で、唯一秩序を維持し、普通の生活を送り続けている都市が大阪という設定のもと、中之島、梅田スカイビル、大阪城など大阪の今を切り取るロケーションで即興的な技法を取り入れながら撮影し、浮遊感のあるSFに仕上がっている。
  大阪アジアン映画祭2012特別招待部門出品で舞台挨拶のために来阪した杉野希妃さんとイム・テヒョン監督に本作作成の経緯や、撮影秘話を聞いた。


  ━━━どのような経緯で本作に出演することになったのか。
杉野:当初はイム・テヒョン監督の『遭遇』に出演したミン・ジュンホさんと2人で撮るつもりだったそうです。本当は2人の知り合いの女優と3人で撮る予定でしたが、3月11日の震災の影響で来阪できなくなったのだとか。翌日の12日が撮影日で、監督がキャメラを廻していたのを偶然見かけたので何をしているかお聞きしたら、「映画を撮っている。」とおっしゃって。面白そうと話しかけると、出演を打診されました。通行人ぐらいのつもりが、いつの間にか主役になっていましたね。

usagi-1.jpg━━━大阪のシーンは、一日で全て撮影したのか。
杉野:撮影に参加することになってすぐに「今からツアーに入って。」と言われて、歩いているところをずっと撮られました。ミン・ジュンホが話かけても軽く流すようにと言われ、内容も知らずにドキュメンタリーでも撮るのかと思いながら参加していました。撮影の合間にどんな映画を撮るのか聞いて、はじめてSF映画と知りました。あとは撮影しながら教えてもらった感じですね。
当初から、女優がいないならそれなりに、ミン・ジュンホさんプラスアルファで、流れに身を任せて撮ろうといったスタンスだったようです。人類最後の日、最後はホテルで2人がどうなるかといった設定は最初からありました。

━━━本作でも『歓待』同様プロデュースを担当しているのか。
杉野:もし映画を作るのであれば、日本の映画祭や日本公開についてはこちらで話を進められるので、後乗りですがプロデューサーを買ってでたところ、監督も乗り気になってくださいました。

━━━.ホテルのシーンはどのように撮影したのか。
杉野:12日の夜に作品にも登場する誕生日会があって、そのままイム・テヒョン監督が泊まっていたホテルにみんなで行って撮影しました。朝の5時ぐらいまで、本当に時計を見ながら「あと1時間」と言いながらやっていました。「死ぬ前にホルモンが食べたい。」というシーンも、ホテルまで歩いて帰るときに撮りました。 

usagi-s2.jpg━━━「ホルモンが食べたい。」は監督のアイデアか。杉野さんのアドリブか。
 杉野:全くのアドリブです。好きな話をしてほしいと監督から言われていて、実は死ぬ直前にホルモンを食べたいとずっと思っていたので、この設定(翌朝午前5時に人類が死ぬ)で言うしかないと自然に口から出てきました。
 

━━━ホテルで午前5時まで2人で過ごすシーンは、どういう設定で撮っていったのか。
 杉野:お互いに歌を歌うという部分はあらかじめ決まっていましたが、お互いに歌うことは知りませんでした。私が監督から言われたのは、歌を歌うことと、何でもいいから怒ることでした。その理由は自分で考えてと、それらを撮影直前の私の誕生日パーティーの席で言われてビックリしました。ジュンホさんは歌を歌うこと、錠剤を彼女(杉野さん)に渡して自分は死ぬという設定だけ伝えられていて、お互い何をするのか分からないという状況で投げ出された感じです。
しかも、怒るという状況をすっかり忘れていて、監督に小声で指摘されて、一瞬で思い浮かんだのが、「昔の彼氏に裏切られ怒りが溜まっているけれど、彼は死んでしまって怒りのはけ口をどこに向ければいいのか。」というシチュエーションでした。

━━━怒りをジュンホさんに向けるシーンでは、かなり激しくジュンホさんを叩いて、今までにない杉野さんの表情が出ていたが。
杉野:本当はもっとジュンホさんを叩きたかったですけどね。あのシーンだけでは背景が分かりづらいので、チョンジュ映画祭でお会いした松永大司監督にお願いして、映画祭の会場から監督の別宅に行っていただいて追加撮影しました。

usagi-s3.jpg━━━どうして大阪でSFを撮ろうと思ったのか。
監督:『ブレイドランナー』の始まりが大阪を背景にしていて、SFっぽいイメージがありました。エキゾティックな感じに魅力を感じていたんです。昨年の大阪アジアン映画祭で、関西国際空港からバスに乗ってくるときにSFっぽいイメージであることを再確認しました。

━━━本作の構想は昨年の初来日以前に考えていたのか。
監督:大阪アジアン映画祭に招待されて、大阪に行けると分かってから考えました。来たこともないのに、勝手に想像していました。

━━━かなりオリジナリティーのあるSFだが、監督が考えるSFとは。
監督:大層なSF映画でもその中で小さい話があると思います。自分はその中の小さい話を撮ったと考えています。


━━━大まかな設定は決めているけれど、かなり役者に委ねるスタイルは、最初からそういう風にするつもりだったのか。
監督:前作の『遭遇』もそういう風にして撮った作品です。朝起きて紙一枚ぐらいにその日の内容を書いて、皆にやってもらうというスタイルでした。『遭遇』以降は役者を自由にやらせるのが楽しいし、演技をするときの緊張感が保てるし、役者の良さもでるので、今は自由にやらせるスタイルにしています。

━━━2作連続で主演を務めているミン・ジュンホさんの魅力とは。
監督:とりあえず親しいからです(笑)。ジュンホさんは真剣にやってもサイコみたいなところがあって、人が見るとちょっとおかしい部分があります。そんなところがすごく好きで、『遭遇』のときにジュンホさんがiPhoneを見せるシーンは、実際に私にやったことを取り入れたりしています。

━━━プロデューサーとして、女優としての杉野さんをどう見ているか。
監督:はじめはジュンホが主人公だったのですが、撮影、編集をしているうちに、杉野さんに人を惹きつける力やオーラがあるので、主人公を杉野さんに変更しました。
プロデューサーとしての杉野さんですが、プロデューサーの質は二つに分けられます。一つはどれだけお金を集められるか。もう一つは人です。お金の部分はまだ分かりませんが、一緒に仕事をできる人を集める力はすばらしいです。偶然この大阪アジアン映画祭でお会いして、映画を作ろうという話になったという意味でも人を惹きつける力や挑戦するパワーがあります。初対面の監督に一緒に映画を撮ろうと言われたら、普通は拒否をする人が多い中で、「やろう」という彼女の大胆さが素晴らしい。無理を承知で依頼したのですが、それを真剣に受け取って形にしてくれたのが、とてもありがたかったです。

━━━杉野さんからみた作品のみどころは?
杉野:この作品は震災の次の日に一日で撮った作品ですが、まさに日本のそのときの大変な状況が写り込んでいる作品だと思います。現実とフィクションがシンクロしていて、見ていて緊張感があります。映画は準備をして、脚本を書いて、作るまで時間がかかるのが普通ですが、この作品のように映画がもっと身近なものであると感じていただけたらと思います。


  インタビュー終了後、舞台挨拶に駆けつけた主演のミン・ジュンホさんは、本作について「地震の混乱や恐怖、人が死ぬという感情が俳優たちの表情だけではなく、風景も含めて表現できた作品。」、「この映画が一つの表現で、その瞬間を暗い状態なら暗いままで捉えている。」とコメントし、共演の杉野さんについては、「集中力が本当に素晴らしく、準備期間がない中で、いつでも状況を理解する力があった。」と賛辞を惜しまなかった。
 韓国でのシーンを交え、日本のシーンでも韓国語と日本語が入り混じる『大阪のうさぎたち』は、映画作りの新しいスタイルを提示してくれた。映画祭がきっかけで誕生する大阪発映画としても意義深い作品だ。関西先行公開となる本作で、いつもの大阪がスクリーンでどのように映し出されるのか目撃してほしい。 (江口 由美)

(C)'Film Bee' all rights reserved.

kisetsu-s1.jpg(2012年 日本 1時間22分)
監督:大宮浩一
2012年6月9日~第七藝術劇場、他全国順次公開
公式サイト⇒http://www.kisetsumeguri.com/


 2011年3月11日に起こった東日本大震災のドキュメンタリーとして、世界最速で公開された『無常素描』、若き介護スタッフたちの取り組みや介護福祉の現状を描いた『ただいま、それぞれの居場所』の大宮浩一監督の最新作『季節、めぐりそれぞれの居場所』が公開される。死や看取りに焦点を当て、再び被災地を含めた介護の現場を映し出しながら、死との向き合い方を描いた本作の関西公開に先立ち、大宮浩一監督が来阪し、誰もが避けては通れない「死」や「介護」、そして宅老所という新しい看取りの場について話を伺った。 


 ━━━本作のテーマは何でしょうか。
2年前の『ただいま、それぞれの居場所』は介護の現状でしたが、今回はある程度「死」ということを念頭に置いて作りました。介護の現場では看取りを目指している部分がありながら、なかなか出来ないという情報があり、本作を撮影していたら3月11日を迎えてしまったのです。3月11日の現場では看取るとか、病院が云々などと言っている場合ではありません。自然災害の死もしかりですが、いろいろな死をどういうふうに受け止めるのか。死を受け止めないことには私たちも亡くなった方との物語を紡げないので、介護の現場を体験して、受けとめ方を表現しました。

━━━若い世代の介護スタッフに焦点を当てたのはなぜですか。

介護をしてきたスタッフの人たちが、亡くなった方に対して最後に「ありがとう」という言葉をみなさんがおっしゃるんですよ。新人のスタッフが本当に「ありがとう」と言ってうなだれたりもします。それがすごく気になっていて、このテーマでやろうと思いました。多分一様ではなく、それぞれが何かを伝えてもらっていて、そういう感謝の言葉になるというのはすばらしいことです。血縁ではない者から「ありがとう」と言われる関係性のある場が羨ましくもあります。もしかしたらそれが、介護という現場の特権かもしれませんね。

kisetsu-1.jpg━━━若い世代にとって、介護のどんな点が魅力的だと感じているのでしょうか。

2年前から撮っていて感じることは、なんとなくポストバブル世代が本当に生きづらくなってしまったのではないか。生きにくくなってしまった時代に、私たちが職業や住む場所や、放浪することを含めてたどり着いたのが、こういう老人や障害を持つ人たちのいる場所で、そこだと自分が認められるといううれしさが相手にも伝わるのでしょうね。

大概の社会行為は一方通行だと思いますが、(宅老所の)彼らと出会ったおかげで、行ったりきたりの本当にいい関係になっています。医療は一方通行のような気がしますね。他の作品で重度の障害者を描いた映画があるのですが、「君らはDoじゃなくていい。Beでいいんだ。」という名セリフがあります。行為をして代償が払われるのではなく、君はいるだけでいいという意味です。賃金を払うのも必要ですが、それだけではなくて、存在しているということが価値があるのです。

宅老所のような場所があるということが僕にとってはBeです。居るだけで一方通行ではなく深く関われる。深く関わるから深く悲しいけれど、ある時間が経つとそれがすごく爽やかになる。悲しいで終わるのではなく、その後爽やかな表情で語れる関係性がうらやましいと思いますね。

kisetsu-2.jpg━━━前作『ただいま、それぞれの居場所』で登場した子安さんの娘さんが、両親亡きあと最後に登場し、清々しい表情だったのが印象に残りました。
前作は子安さんがお客さんを見つめてラストカットを迎えたのですが、あの時期から周りは死があまり遠い時期ではないということは意識していました。奥さんもご主人が亡くなって3ヶ月で亡くなっています。子安さんが心筋梗塞で倒れてから、亡くなるまで5年半ぐらいあったので、お嬢さん方は一番多感な時期でした。ある時期はお姉さんが家に寄りつかなくなったり、それを繰り返しながら倒れた後のお父さんを受け止めてきた二人だったのです。

ご両親の死を受け止めるまでにもちろん葛藤もあれば、時間も必要だったと思います。撮影させていただいたのは亡くなってから1年ちょっと経った頃でしたが、まさか遺影とお骨が家にあるとは思っていなかったので、やっと小さい頃のように4人で暮らし始めたのだなと思いながら撮影してきました。

━━━被災地の様子も一部描かれていますが、その意図は何ですか。
これは僕の希望ですが、震災で2万人もの方が亡くなって、悲しみの正体は比較にならないんでしょうけれど、それでも時間と受け止めるということがあれば、いつかは施設の人たちのように悲しいことでも爽やかに語れる日がやってくる。その想いで、介護の舞台を中心にした映画なのですが、あえて震災という時代のシンボルをいれました。

kisetsu-3.jpg━━━介護にも病院や宅老所など、選択の幅があり、さまざまな関わり方ができますね。
どういう亡くなり方をされても、ああすればよかったとか、グラグラしていく気持ちの揺れがあるのはいいことです。あまりにもすべてのことがマニュアル化していて、人間味が薄れてきてしまっていますが、立ち止まるときも迷うときも必要です。病院と介護と看護は最近よく話題になっていますが、僕はあまりうまくいっていないイメージがあります。もっとその人らしい死に場所を考え、それによって死を垣間見る機会が増えるということは、決して悪いことではないと思います。専門職の方や家族だけが関わるのではなく、友人の方々が関わることによって、亡くなった方の思い出話をときどき話題にのせたり、生物的には亡くなってしまっても、まだまだ遺された者の生活の中に生きていることが撮りながらも感じられました。

━━━長期間キャメラを回された中で、他に印象的なエピソードはありましたか。
あまりエピソードを積み重ねると日常的なことが薄らいでいくので、あえてあまり極端なエピソードを使っていません。いろんな方が亡くなるかもしれないという情報もありましたが、その臨終の場をキャメラで撮影できても、すべきではないし、僕らはそういう関係性を作ってきてないのです。関係性をもたれたみなさんの話や想いで十分僕らは感じられたし、その瞬間ではなく、引き受けて、引き継いでいるものを感じて伝えているのです。 

━━━誰にでも訪れる介護の現場の話ですが、自分が介護する立場に立っても怖がらなくていいと希望が持てました。 
宅老所みたいなところをみなさんも作りましょうという映画ではなくて、こういう場やいろいな場があり、その中でいろいろな死がある。死に方もさることながら、死に場所や死というものをときどき考えたり、話題にすることによって、死が身近になってきます。できたら自分もこんな死に方をしたいという場にたくさん出会っていると、生きている間がすごく豊かになると思いますよ。


  大宮監督ならではの暖かい視線で見つめる看取りと死をテーマにしたドキュメンタリーには、介護する側、される側の垣根がなく、人と人の触れ合いの中から生まれる老人たちの穏やかな笑顔が映る。これから介護をする立場になる人も、介護される立場になる人も、最期の居場所についてさまざまな想いを描いてみてほしい。(江口 由美)


(C) 大宮映像製作所
 

danran-s1.jpg(2011年 日本 1時間58分)
監督:小池征人
ナレーション:竹下景子
5月26日から第七藝術劇場にて上映中
公式サイト⇒
http://danran-nippon.main.jp/index.html


~人とともに生き、人の中で生かされて~

  愛知県に住民が主体となって、地域の福祉や医療の仕組みづくりに取り組んでいる「南医療生活協同組合」がある。1959年、伊勢湾台風により五千人を超える死者が出た。甚大な被害を受けた名古屋市南部では、「自分たちの命は自分たちで守る」ために住民たちが出資して診療所ができ、以来50年、いまや総合病院のほか、グループホーム等さまざまな介護・福祉施設を運営し、さまざまなボランティア活動が行われ、6万人の組合員を有するに至る。本作は、南医療生協で働く人たちの生き生きとした姿をとらえ、その実態に迫るドキュメンタリー。PRのために来阪された小池征人監督にお話をうかがった。


 danran-1.jpg―――緩和ケア病棟で喫茶ボランティアとして働いている女性の言葉がとても印象に残りました。
現場で撮っていた時に、これがラストシーンだと思いました。緩和ケア病棟は、余命約5か月の人が入るところですが、ボランティアの方々が毎日、お昼から夕方までいて、患者さんのところにお茶を持っていったりして、あの場がなごんでいるわけです。この人たちがいることで、緩和ケア病棟の緊張感が和らぎ、医者代わりの大事な役割をされています。一番感心したのは、自分たちの出したお茶が、患者さんにとって最期の飲み物になるかもしれないと、心を込めて提供している姿です。ちょうど1週間程前に旦那さんを亡くした奥さんが、偶然、看護師さんに報告に来ていて、病棟で、旦那さんの結婚以来の一番いい顔を見たと言っていました。看護師さんたちもすごく優しくて、患者さんをベッドごと、屋外に連れて行って花壇のお花を見せたり、そういうところに南医療生協の思想があると感じました。

 ―――苦労したところは?
いろんな建物や病院があって丁寧に撮影していくと、解説映画になってしまいます。だから、そこで働く人たちの生き生きとした姿や、いかに元気かという力みたいなものを撮ることができれば、施設をつくった人たちの考えや、生協という組織が持っている思想に近づけるのではないかと思いました。 衣食住しかないごく当たり前の日常を撮っていますので、なかなかドラマチックには展開しませんが、生活の中にある“いのちの時間”みたいなものが撮れればいいと思っていました。

danran-2.jpg ――― 取材・撮影期間はどれ位、かかったのですか?
 2010年3月から2011年3月頃までです。いろんな施設を順番に回って、病院や診療所のある名古屋市南区、東海市をメインにしました。3月11日に大地震があり、この映画は、社会がゼロになった時のモデルとして「ちゃんと生きられる」というメッセージを伝えることができるように思いました。今年2012年が「国際協同組合年」に当たり、世界中の国々が協同組合に注目していることを偶然知って、時代の動きともぴったりだと思いました。

―――地域のご老人の家をまめに訪ね、グループホームづくりに尽力している活動的な女性が、自分の母親に対してはつい手を上げそうになることがあると言われたのが、印象的でした。
家族の介護というのは、本当に大変なことです。介護を家族だけに押し付けてきたから、虐待といった問題が出てきました。社会が、仕事として引き受けるのであれば、家族の場合と違って、感情の起伏に発展することはありませんし、社会で負担し、面倒をみる仕組みづくりが大切だと思います。
映画の中でも紹介しましたが、南医療生協では、総合病院が移転して、新しい病院をつくる時、組合員の要望の多かった助産所を新設しました。赤ちゃんが生まれるまで妊婦が家族と一緒に泊り込んだり、若いお母さんたちが、赤ちゃんをみてもらっている間に、お灸をしてもらったり、育児での悩み相談にのってもらったり、母親の心と身体を癒す場として、子育てで孤立しないような仕組みになっています。

danran-3.jpg―――妻に連れられて、毎日、施設(小規模多機能ホーム)に通って来る認知症の初老の男性への施設職員の対応も丁寧で熱心ですね。
彼が、現役の技師として工場で働いていた頃の写真が幾枚も施設のロビーに貼ってあります。当時よく出張しては、家族に手土産を買って帰ってきたそうです。施設の職員は、そのことに気が付き、彼を車に乗せ、どこかのおみやげ売り場に出かけ、彼はそこで手土産を買って施設に帰ってきます。お店で楽しそうに値切っている姿を見ると、認知症ではないように思えましたが、やっぱり認知症なんですね。

彼の一番いい時代の写真を施設に飾り、彼は毎日、自分の物語を見ています。認知症で、自分の一番楽しい過去の時間の物語を生きているから、ケアする側も、当時と同じように、一緒に手土産を買うのにつきあったり、その物語にあわせて世話をすれば、彼も満足する。そうやって、相手の持っている時間につきあうこと、それが医療生協のもっている哲学だと思いました。

―――映画館に映画を観にいきたいという、寝たきりの患者さんの要望にこたえて、訪問看護ステーションのスタッフたちが付き添って、映画館にベッドのまま連れて行くのもすごいですね。
普通の医療機関ではできないことだと思います。ひとりの要求に対してどう対応するのかという、南医療生協の姿を通して、社会の仕組みを問うてみたいと思いました。地域のつながりが希薄になり、個人がばらばらになって、自己責任ばかりが問われる時代に、そうではなくて、もっと一人ひとりが声を出して、お互いに助け合っていこうというのが協同組合の原点です。力をあわせれば、人とつながったら何かできるという協同組合の試みが、今の日本の閉塞状況を突破するのではないか、そういう社会の仕組みができれば、もっと家族も楽になるはずだし、そのためには、社会の仕組みをどうしていったらいいのか、というのが映画のテーマです。
助け合って当たり前という社会ができてこなかったから、虐待や老老介護といった問題が出てきました。人間も、どこかで何かの役割を持つと、変わっていきます。一人ひとりの存在価値がもっと豊かになるような場をつくっていくのが協同組合のよさだと思います。


  「みんなちがって、みんないい」との言葉どおり、自由活発に意見を言い合う土壌ができている南医療生協では、一人ひとりの考えや意見が組織を動かし、地域への働きかけとなって、人々を結びつけていく。地域の絆を取り戻そうとする試みが、住民たちによって主体的に取り組まれていることに驚かされる。とりわけ元気なのが女性たちだ。そうして、地域に“だんらん”が生まれることで、人々の表情が変わり、地域が変わっていく。そこに日本の未来像を見出したいと小池監督は語られた。

 「50歳で枯れたと思っていましたら、私も花が咲きました」と言った女性がいたそうだ。この映画の魅力は、なんといっても、一人ひとりの笑顔と輝き。ケアする側もケアされる側の表情も強く心に残っている。戦後の大変な時期を和裁・洋裁の腕で頑張りぬいてきたおばあちゃんが、今、病院にリハビリに通いながら、車椅子の女性のために、当て布やカバーをつくってプレゼントしている。認知症で身寄りがないおばあさんが、日記をつけるのが日課で、ぼそりと子どもがいないことを口にし、ずっと気にかけてきたことがわかる。一人ひとりの人生の重み、そして、今、生き生きと毎日を過ごしている姿に触れ、人生について深く教えられた気がした。 (伊藤 久美子)


(C)2011「だんらんにっぽん」製作委員会