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『311』森達也監督インタビュー

311-s1.jpg (2011年 日本 1時間34分)
監督:森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治
出演:森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治他
2012年3月3日~オーディトリウム渋谷 ユーロスペース、
3月24日~第七藝術劇場、4月7日~神戸アートビレッジセンター、他全国順次公開
公式サイト⇒http://docs311.jp/

 (C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治



   2011年3月11日に起こった東日本大震災のわずか2週間後、ジャーナリストや映画監督の4人が福島から宮城、岩手に入り、被災地の様子やそれを撮影する自分たちにキャメラを向けたドキュメンタリー『311』が公開される。
 事件の後のオウム真理教信者たちに焦点を当てた『A』、『A2』の映画監督森達也と映画プロデューサー安岡卓治、『がんばれ陸上自衛隊@イラク・サマワ』の映像ジャーナリスト綿井健陽、『花と兵隊』の映画監督松林要樹。彼らがメディアとして体験した311を、自身のキャメラでさらけ出す異色作だ。
 関西公開に先立ち、森達也監督が来阪し、賛否両論が飛び交う本作の狙いや、メディアをはじめ、我々が311以降抱えてきた「後ろめたさ」について話を伺った。


 311-1.jpg━━━どうして震災後すぐに、4人で被災地へ行くことになったのか。
震災後二週間経つか経たないかで、綿井さんが電話で「行きませんか。」と声をかけてきました。僕は11日からずっと家に閉じこもってテレビや新聞ばかり見ていて、鬱になりかけていたので、「とても無理だ。」と一旦断ったんです。疑似的にPTSDになっていたので、それだったら疑似を外そうと「やっぱり行きます。」ともう一度連絡して、そこから安岡さんや松林さんが加わっていきました。


━━━最初から映画にするつもりだったのか。
現場に行ってみようとは決めていましたが、その段階で作品にしようと僕は考えていなかったです。4人の共同監督作品になりましたけど、ドキュメンタリーは一人称ですから、そもそも共同監督はありえないです。結果的にはみんなの素材を開封してみて「いいかな。」という感じでした。1ヶ月ぐらいして「つないでみたから見に来い。」と言われて、そのあたりがスタートですね。

 311-2.jpg━━━放射能のある福島へ向かった映像が、怖さやどこかおかしさを出していたが。
大はしゃぎに見えるじゃないですか。実際は怖いからしゃべらずにはおれなかったんです。爆発から2週間も経っていない時で、初めて線量計を見ているので、誰も分かっていない。あれだけ大騒ぎしていたけれど、今から思えばそんなに大した数値じゃないんです。逆に言えば、僕らが今すっかり慣れきってしまっていることが問題ですね。

戦場撮影経験のある綿井さんは「戦場より怖い。」と言っていました。戦場の兵士も怖さが高じてそう状態になるのだそうです。線量計の数値が目に見えて上がりますからね。何の装備もせずに行って、ワークマンで買い物をして、一番のホットスポットにかっぱと風邪のマスクで行ったんですから。
 

 311-3.jpg━━━遺体が置かれた跡のある安置所の映像はなぜ撮ったのか。
空っぽの安置所なんてメディアは誰も撮らないでしょう。避難所でも子どもにインタビューしましたが、あそこに行けば親のいない子どもがたくさんいると聞いたからであり、あの映像はふつうのメディアだったら全部NGです。でも今回はNGを全部使っています。メディアは、どうしてもより被害や悲劇をこうむっている人にカメラを向けてしまうのです。後ろめたさや人の不幸をネタにしているのです。
高円寺のドキュメンタリー映画祭で特別上映したときの質疑応答で、安岡が「『A』と『A2』を一緒に作ったときにメディア批判と言われて、違うポジションに立っているように思われているけれど、我々もメディアの一部なんだ。」と答えたんです。たまたまカメラの位置が違ったらこういう映像が撮れたわけで、メディアの問題点を自分たちでもっと表したいという気持ちが本作にはありました。

━━━大川小学校の前でお子さんを探していたお母さんたちにかけた言葉は、森さんのリアルな言葉なのか。
最初腕章を付けていたのでお母さんたちとは思わなかったのですが、「子どもを探している。」といわれて何と声をかけていいか分からなくなりました。でもカメラを持っているからぼうっとしているわけにはいかない。最後に「不満があれば僕にぶつけてください。」と言ったのは最低ですね。歯の浮くような偽善的な言葉じゃないですか。あれはカットしたかったのですが、自分たちのぶざまさや狡猾さ、計算していることが露わなので、全員一致で残しました。

 311-4.jpg━━━遺体を撮ろうとして、正当性を主張するシーンもあるが。
阪神淡路大震災のときは、取材しようとするとみんな「どつくぞ。」みたいな剣幕でしたが、今回は声をかければちゃんと答えてくれて、みんなびっくりしました。あまりに皆さん礼儀正しくて、逆に困っちゃったなと思っていたので、(遺体の写真を撮るのを阻止するべく)棒を投げられた時は当然だなと思いました。彼らからすれば、謝っているくせに撮るのをやめようとしない自分たちメディアは意味不明ですよね。でも、メディアは引き裂かれながらも踏ん張る存在ですから。


━━━森監督は社会派のイメージがありますが。
「ドキュメンタリーはうそをつく」と、ドキュメンタリー作家は内心みんなそう思っています。多少刺激的な言葉ですが、僕が言いたいのは主観だということです。僕の見方であり、ドキュメンタリーは僕にとっては真実でもあなたにとっては嘘かもしれない。メディアにしても、建前と思いつつやっていればいいが、そうでないと正義になってしまう。メディアで自分を正義と思うのは、僕は最悪だと思っています。

 311-s2.jpg━━━3.11以降の日本をどう思うか。
非当事者が自分が当事者であるかのように錯覚している傾向が非常に大きいです。オウム真理教事件によって被害者感情というものは増大しました。不特定多数が狙われ、遺族の感情を共有しながら、危機も共有化する。人間は危険を察知するとまとまりたくなりますが、群は暴走するリスクも持っていて、日本人はその傾向が強いです。敵を探し、強いリーダーを求めたくなる。震災以降の東京都知事や大阪での選挙結果をみたら分かるでしょう。僕らは被害者になれないことを自覚しなければなりません。後ろめたさからくる群れはとてもリスキーなのです。


  「作品にするなら僕たちの後ろめたさを描ければと常々言っていました。その辺で安岡と僕の理想線みたいな形になりましたね。」と語った森監督。3.11以降当然のように広がった自粛の流れにも警笛を鳴らし、非当事者が当事者のように感情を共有し、一方向にしか向かない今の日本の現状に危機感を募らせていることがインタビューからもヒシヒシ伝わってきた。

 正直な感想を言えば、筆者も本作を見て最初は不快感を覚えていたのだが、これもまた当事者ではない後ろめたさからくるものなのかもしれない。メディアとは何なのか。日頃のメディアでは絶対に映らないNGシーンを入れることで、大災害の爪痕を前に何もできないでいる生身の彼らの姿が浮き彫りになった異色ドキュメンタリー。メディアが必死になって映そうとしている悲劇こそ、当事者ではない者が渇望しているという事実にも気付かされるのだ。 (江口 由美)

(C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治