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記者会見レポート
  『60歳のラブレター』 中村雅俊記者会見

『60歳のラブレター』 ゲスト:中村雅俊

配給:松竹(2009年・日本・2時間9分)
監督:深川栄洋
脚本:古沢良太
出演:中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、
    イッセー尾形、綾戸智恵
5月16日より梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、神戸国際松竹、MOVIX京都、他松竹系全国ロードショー
(c)2009「60歳のラブレター」フィルムパートナーズ
★公式ホームページ⇒
★作品紹介⇒

 「一人より二人で生きる方がより豊かな人生が送れるだろう」と思って結婚したものの、20年以上経った現在、伴侶に対して特に意識することもなくなったが、やはり傍に居ないと寂しい。いつの間にか惰性で結婚生活を送っているような気がするのは筆者だけだろうか。また、結婚に対し不安を抱いている若い人もいるのでは? 本作は、団塊世代の3組のカップルを通して、自分にとって良き伴侶とは? 本当に大切な人とは? 愛おしく思える人との貴重な出会いなど、いたわり、慈しみ、愛し合うことの素晴らしさを、改めて教えてくれる。
 今回、主人公を演じた中村雅俊さんが、キャンペーンのため来阪し取材に応じてくれた。薄いグレーに白のピンストライプの入った細身のスーツに白い靴。豊かな髪に以前と変わらない艶のある肌。男性は歳を重ねる度に素敵になっていくというが、この方も然り。本作では、定年を機に離婚してベンチャー企業の社長である愛人の元で再び第一線で働こうとするが挫折を味わうという主人公を演じている。世の妻達からすれば“とんでもない夫!”と見られがちだが、この役込めた意気込みなどを訊いてみた。
――― 最初に脚本を読んだ感想は?
率直に、凄くいい台本だと思いました。長い役者経験の中でもかなりのもので、涙を流しながら読んでしまいました。


――― この脚本のどこに一番感動しましたか?
自信満々な男がどん底に突き落とされるというドラマチックな展開の中で、主人公の精神的変化が面白いと思いました。
――― 女性を敵にまわすような役柄でしたが……?
確かに、ひどい男ですよね〜。でも、作品自体がいいものなので、イメージ通りの役ではなくちょっと変化球的な役を演じることも、役者としてのチャレンジになると考えました。確かに、いろんなとこで「私だったら受け入れられないわよ!」なんて言われ方をしています(笑)。あれは中村雅俊ではなく、役柄の男の話だから! と説明したりして、ちょっと大変なことも……どうです? 自分だったら、やはり許せませんか?


――― はい!
即答ですね(笑)

――― でも、中村雅俊さんが演じられることによって、主人公に対する嫌悪感よりも夫婦が変化していく様子を冷静に見られて、より一層感動することができました。
確かに、自身満々だった男が定年退職して、離婚し環境を変えることでどん底に落ちてしまい、初めて家族や女房の大切さに気付き、最終的には女房を取り戻さなければという風になるのですが、それはあまりにも自分勝手過ぎるだろう!と思いますね。
――― 離婚後、美しくなった妻を見つめる眼差しが、次第に優しくなっていくところが良かったですね。
定年退職の日、会社を出る夫とお祝いの準備をする妻とをカットバックで見せていくシーンがありますが、結局夫が向かった先は……最初に“ひどい男”という印象を見せつけておいて、その後、妻の変化に戸惑う夫というコントラストが効いているのでしょう。
――― 原田美枝子さんとの共演は如何でしたか?
共演者として原田さんとはとてもやりやすい方です。あの方は役作りを徹底してされる方ですし、信頼できる女優さんです。今まで4度夫婦役をさせて頂いているのですが、なぜか僕が不倫をして妻を困らせるという役が多く、この間も原田さんのマネージャーに「いつもそうよ!」と言われました(笑)。

――― 夫婦円満の秘訣は?
そんなものがあったら教えてほしい位です。これっ!という決まり事などないような気がします。32年経っても新しい発見はあります。家族も自分も変化していくし、いつも同じ方向を向いているとは限りません。良かれと思ってしたことでも家族にとって良いことだとは限らない。長く一緒に暮らす努力は必要でしょう。今回の映画はとてもいいキッカケになりました。自分たちのケースに置き換えて考えさせられましたしね。結婚すると優先順位が変わってきます。二人の愛は後回しになります。この主人公のように、空白の30年間を埋めるためにも、生まれ変わって、もう一度恋愛するような気持ちが必要でしょうね。
――― 50〜60代の女性にひと言。
女性に限らず男性にも言えることですが、今の文化や芸術の変化は団塊の世代の方々が牽引してきたものが多いと思います。決して、歳をとるということは取り残されることではありません。時代のリーダーとして、今こそ表に出て来てもいいのではないかと思います。
また、これから結婚する若い方にも、“夫婦っていいもんだなあ”と感じて頂けたら嬉しいですね。
――― 32歳という若い深川監督については?
最初は“若造”だと思いましたが、撮影が始まって監督として実に堂々としていて驚きました。最近、“セリフ言えたらOK”という監督が多い中で、彼は細かい演技指導をして、いろいろと拘って撮っていましたね。芝居心やニュアンスを理解し、作り手の感覚などを身に付けた監督です。今回の撮影では、全てのパートの人がエキスパートに徹していて、セッションを繰り返しながら、情熱を持って映画を作っていました。そんな現場に居られてとても幸せでした。


  中村雅俊と言えば、がむしゃらに突っ走る青春ドラマのような印象がある。今回も、大きな挫折の後、妻を取り戻すためがむしゃらに走っては、立派に青春していた。だが、そこには人生の苦難を痛いほど経験した男の悲哀が滲み出て、思わず応援したくなる。だからこそ、ロマンチックな夢を見せてくれるラストシーンもまた、嬉しい贈り物として素直に受け止められるというもの。

  この映画では、夫婦の情愛を描きながらも、観客を泣かそうとするあざとさは全く感じられない。人物を微妙な距離感で捉えた映像は、それぞれの役者が醸し出す内面性が浮き彫りとなり、心情が直に伝わってきて感動的だ。特に、朴訥だが誠実な魚屋を演じたイッセー尾形がいい! 共に暮らせる日々の幸せが、切々と伝わってきた。

  嬉しいことも、辛いことも、悲しいことも、すべて想い出の中。また、夫婦喧嘩も夫婦の会話の内。本心でぶつかり合える大切な存在が夫婦なのかもしれない。ぜひカップルで見に行って欲しい映画です。
(河田 真喜子)ページトップへ
  『60歳のラブレター』完成披露記者会見
『60歳のラブレター』完成披露記者会見

●3月24日(火)帝国ホテル
●出席者: 中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、
        イッセー尾形、綾戸智恵、
       深川栄洋監督

原案:「60歳のラブレター」(NHK出版)
監督:深川栄洋(ふかがわ・よしひろ)『狼少女』『真木栗ノ穴』
脚本:古沢良太(こさわ・りょうた)『ALWAYS 三丁目の夕日』『キサラギ』
出演:中村雅俊 原田美枝子 井上順 戸田恵子 
    イッセー尾形 綾戸智恵


(c)2009「60歳のラブレター」フィルムパートナーズ
公開表記:5月16日(土)全国ロードショー


公式ホームページ→
 
★作品紹介⇒
○解説
日本中で交わされた86,441通の愛の実話、完全映画化!
夫から妻へ、妻から夫へ、言葉にできない想いを伝える3通のラブレター。

 大手建設会社の定年退職を目前に控え、第二の人生をはじめようとする孝平と、専業主婦として家族に尽くしてきたちひろは、離婚を決意。お互いが別々の道を歩み始めたとき、新婚当初ちひろが30年後の孝平に宛てて書いた手紙が、時を経て届けられる――。

 5年前、愛妻に先立たれ娘と暮らす医師・静夫は、医療小説の監修を求められ、翻訳家として第一線で活躍する麗子と出会う。新しい恋に臆病だった2人に勇気をくれたのは、思いがけない人からの英文ラブレター。

 青春時代にビートルズを謳歌し、今は魚屋を営む正彦と光江。口げんかは絶えずとも、友達のような2人に訪れた悲しい出来事。手術にのぞんだ光江が眠る病室には正彦が弾き語るギターの音色が響く。それは2人の思い出の曲――。

 長年連れ添った夫婦が、口に出しては言えない互いへの感謝の言葉を1枚のはがきに綴る応募企画「60歳のラブレター」。2000年から毎年募集され、日本中から約8万通を超えるはがきが寄せられ大きな反響と共感を得ている人気企画に着想を得て、本作は製作されました。中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、イッセー尾形、綾戸智恵といった豪華キャストが、個性的な3組の夫婦を熱演。監督は、弱冠32歳ながらその確かな演出力が注目されている深川栄洋、脚本は『ALWAYS 三丁目の夕日』『キサラギ』など話題作を手がける73年生まれの古沢良太。団塊ジュニア世代とその親世代がともに作り上げたコラボレーションは、団塊世代をはじめとする中高年はもちろん、これからパートナーと人生を歩みだそうとする若い世代にとっても夫婦のあり方を見つめるきっかけとなる作品です。
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<挨拶>
中村: すごくいい映画が出来上がりました。この作品に参加できて光栄です。ぜひ、皆さんのお力でこの映画をたくさんの方に見ていただけるようご協力ください。


原田: ミドルエイジの作品が少ない中で、このような作品ができたことを嬉しく思っています。映画を楽しんでいただければと思います。

井上: 地味な衣装で失礼します。(会場爆笑・当日井上さんは派手なラベンダー色のジャケットを着用)映画を見たらおわかり頂けると思いますが、このラベンダーは作品のキーカラーとなっています。この日のために新調しました。 あたたかい映画ができましたので、みなさんも一緒に盛り上げて下さったら嬉しいです。

戸田: 「大人すぎるほど大人」な現場で楽しく撮影させていただきました。今日の控室の話題は病気の話ばかりです(会場爆笑)。こんな映画ができるのを待っていました。

イッセー: 若いころは60歳になるなんて想像もできませんでした。ご覧になる方は、自分自身を重ねてみたり、人の家庭を覗き見るような気持ちになるかと思います。

綾戸: オファーがきたときは「60歳なんてちょっと早いんじゃないの?と思いました(会場爆笑)。女優という仕事は初めてだったので、今、こんな豪華な方々と一緒に座っているだけで「ひぇ〜」という気持ちになってしまいます。

深川監督: 今、32歳なのですが、私が生まれる前からずっと一線で活躍されている方々と一緒に仕事ができて大変光栄に思っています。勉強になることが多くありました。

<質疑応答>
Q:映画を見てそれぞれのカップルの掛け合いが素晴らしいと感じたが、お互いの印象は?


中村:(原田に対して)
原田さんとの夫婦役は多くて4,5回やっているんですが、それに共通して言えることは、何故か僕が不倫・浮気をする役柄が多いということ(会場笑)。原田さんの胸を借りるつもりで演じました。頼りがいのある奥さんでした。
原田:(中村に対して)
中村さんと初めて会ったのが17歳の頃。この作品では30年間連れ添った夫婦の役を演じていますが、役柄の30年間を実際の自分の時間に重ねることができたので演じやすかったです。


井上:(戸田に対して)
戸田さんのことは前からよく知っています。僕は気が弱い役で戸田さん演じる女性に引っ張ってもらう設定なのですが、まさにその通りに画面に映しだされたと思います。戸田さんはお芝居が上手で演じていても「素晴らしい女優だ」と思いました。

戸田:(井上に対して)
井上さんとは前からの知り合いで、いつも可愛がっていただいています。この3組の中で私たちだけが夫婦役ではないのですが、大人の恋愛のもどかしさを表すカップルになったと思います。現場では歌ってばかりで、ノープランで2人で演技をしました。

イッセー(綾戸に対して)
綾戸さんにお会いする前に「ついていくことになるんだろうなあ」と予感していましたが、その通りになりました(会場笑)。とてもひたむきな方で、歌うことと演じることは同じなんだなあ、と感じました。

綾戸(イッセーに対して)
女優という仕事が初めてだったのですが、相手役がイッセーさんだと聞いて「これならやる」と決めました。この方だったら台本通りにできなくても何とかなるんじゃないかと思って(会場爆笑)。演じているときは時々、自分の亭主なんじゃないかと思うこともあるほど楽しく演じることができました。
Q:30代前半という非常に若い監督ですが、一緒に仕事をしての感想は?

中村: 最近はTVも映画も「NGを出さなければOK」という現場も多いのですが、深川監督はしつこいです(笑)。かなり細かく演出をされる方で、撮影が始まってすぐ、この方についていこうと決めました。
原田: またぜひ一緒にお仕事しましょう。

井上: 中村さんと逆で、あまり監督には細かく演出されませんでした。僕の場合は良かったのか、言っても無駄だと思われていたのかわかりませんが・・・(会場笑)。
和やかな中に、いい緊張感があって毎日撮影が楽しかったです。

戸田: 私のお友達や仕事仲間にも若い方はいっぱいいるのですが、監督はとてもしっかりしている方だな、と思いました。1シーン1シーン丁寧に演出してくださいました。

イッセー: 静かな声でお話されて、とても理性的な方だと思っていたのですが、撮影終盤、綾戸さんが頭を剃るシーンで、監督も剃ってきたのを見たときに、理性的なだけではなく、熱い方なんだなと思いました。

綾戸: 監督に「長年付き合ってきた夫婦なんだから、相手の目をみないで話すんですよ」と演出されたときに「一体いくつなんだ」と思いました(笑)。ただ、その演出を受けたときに、セリフを噛まないように言う、とかそういうことではなく「この人とずっと一緒にいる」という気持ちで演じればいいんだ、と思いとても楽になりました。演技のスタンスを教えていただきました。

深川監督: 撮影をしているときは役者さんと響きあいながら映画を作ろうと思っているのですが、撮影が終わるとただただ恥ずかしいです。 今日もこうしてお会いしてみると、皆さん非常に輝いていて、この方々と一緒に仕事をしたというよりはお客さん気分になってしまいます。 お一人お一人違う輝きをもっている方なので、どうやって磨いたら良い一瞬が撮れるのか考えながらやりました。6人が素晴らしいのでそこを是非みていただきたいです。

Q:この作品は「ラブレター」を題材にしていますが、皆さんのラブレターの思い出はありますか?

中村: 記憶にございません(笑)。頂いたことことはありますが書いたことはありませんね。

原田: 極秘です(笑)。

井上: 気になる女性がLAに行く、という時に知り合いの航空会社の方に頼んでラブレターを渡してもらいました。初めてのラブレターで一生に一度の思い出ですね。

戸田: 筆まめなので、いざという時は直筆で手紙を書くのですが、ラブレターというよりは謝罪の手紙のほうが多いですね(笑)。小学生のときにもらったラブレターを親に見つけられ、担任の先生に提出された、という苦い思い出があります(笑)。

イッセー: 書いた記憶ももらった記憶もありません(笑)。高校のときにバレンタインデーにチョコをもらい「これは何ですか?」と聞いた記憶はあります(笑)。

綾戸: ラブレターは書いたことはありません。友達の分はよく書きました(笑)。
ラブソングだったらいくらでも歌えるんですけどね。

深川監督: 小学校のときに交換日記をした記憶はありますがラブレターはないですね。

Q:夫婦円満の秘訣を教えてください。(代表して中村さんに)

中村: 秘訣ってあるんでしょうか?
私の場合で言うと、相性が良かったのだと思います。「この人でよかった」と思うことが度々あります。夫婦はそれぞれだと思うので、秘訣もそれぞれだと思います。
(image・net 及び 松竹より)ページトップへ
  『ハリウッド監督学入門』合同インタビュー
  ゲスト:中田秀夫監督

(2008年 日本 1時間23分 配給:ビターズ・エンド)
監督:中田秀夫
撮影・録音・ライン・プロデューサー:ジェニファー・フカサワ
音楽:川井憲次
5月16日(土)〜 第七藝術劇場
順次、 京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

公式ホームページ→http://www.bitters.co.jp/hollywood/
『ハリウッド監督学入門』作品評はコチラ→

 『リング』(1998)で爆発したJホラーのムーヴメントは、日本のみならずハリウッドにも波及し、世界的なブームとなった。ハリウッドは、ブームの火付け役である中田秀夫監督に注目し、監督オファーを出した。当然の流れと言える。アメリカに渡った中田は、慣れないハリウッドでの映画製作に戸惑いつつ、様々な企画を同時進行で抱え、その中から『ザ・リング2』(2005)でハリウッド監督デビューを果たした。同作は世界的にスマッシュ・ヒットを記録し、続けざまに企画が舞い込む。その中で本格的に取り組んだのが『THE EYE』。2002年製作のタイ産ホラー『the EYE 【アイ】』のハリウッド版リメイクである。しかし、予想以上に製作が難航し、日々募るフラストレーションを持て余し始める中田。そんな中、鬱屈した彼の心の中に、一つのアイデアが天啓の如く湧き上がったのである。

【このフラストレーションを原動力にしてドキュメンタリー映画を作ろう!】

  かねてよりドキュメンタリー映画製作に意欲的な中田らしい機転である。最終的に『THE EYE』からは降板したが、このアイデアは『ハリウッド監督学入門』として陽の目を見ることとなった。

 そしてこの度、中田秀夫監督が来阪。この機会を逃す手はなく、本誌シネルフレも取材を申し込み、合同インタビューの席に加えていただいた。監督の口から飛び出した興味深い話の数々は、映画ファンにとってこたえられないものばかり。本誌読者に、その模様をお伝えしよう。

(中田秀夫監督→以下、中田と表記。敬称略)

―――本作を製作したきっかけは?

中田:『THE EYE』(【注】)の企画から離れることが決まってフラストレーションが解放されたというのが大きいですね。ただ、結果的に作品として昇華できなかったわけですが、そのことを愚痴にしても仕方がない。愚痴になっちゃダメだ、と。そういう思いはありました。
【注】『THE EYE』は、最終的にフレンチ・ホラー『THEM ゼム』(2005)の監督コンビ:ダヴィド・モロー&ザヴィエ・パリュがジェシカ・アルバ主演で2008年に映画化。日本では『アイズ』のタイトルで同年公開された。

―――ハリウッドでの映画製作はそんなに大変なのですか?

中田: 日本とは、やる事もやり方も違いますからね。企画開発に2・3年かけるのは当たり前で、中には10年以上かかっているものも普通にあります。この作品はルサンチマンが製作のきっかけ。そこからスタートしているので、自分の主観だけで語ることはしないと決めました。「アメリカ人から見るとどうだったのか?」と必ず検証する。現に、脚本家のジョー・メノスキーは『THE EYE』の製作進行を「すごく早い」と言っていますよね。僕なんか遅くて遅くてイライラしていたのに(笑)

―――中田監督は、学生時代に篠田正浩監督の表現社で現場アルバイトをしたことがあると聞きました。また、卒業後は日活に入社して、助監督として数々の現場を体験して来られました。日本の映画製作現場を熟知している監督ということになります。そんな中田監督から見て、日本とハリウッドの映画作りにおいて最も違いを感じたのはどういったところでしょう?

中田:とにかく時間がかかるなあと(笑) 日本人は特に時間の使い方に長けていると思います。日本の場合、時間を有効に使うために段取りをしますけど、ハリウッドはそうじゃない。企画開発で一つの物事を決めるにしても、とにかく時間がかかるんです。

―――間に入る人が多過ぎるのではないですか?

中田:そうなんですよ。無駄な人材を多く雇い過ぎていると思います。

―――しかし、中田監督がハリウッドに数年滞在している間に、日本もプチ・ハリウッド化しているように思います。日本に戻って来られた時、そう感じたりはしませんでしたか?

中田:感じました。邦画バブルが弾けてしまっていますから、興行的にハズせない。何としても当てに行く。勝ちに行く。今はそういう製作姿勢がまずありますね。
―――それが製作委員会方式ですね?  

中田:そうです。今は日本でも監督を指名して、脚本を練って、キャストを決めてから、慎重に製作決定することの方が多いと感じます。以前は監督に依頼があるときは、その企画には実質的にもうゴーサインが出ていたと思います。意志決定がもっとシンプルだったのでしょうね。例えばハリウッドに行く前、5本ほど話がありました。ハリウッドに行くことを最大限優先したかったので断りましたけど、その内4本は他の監督で映画になっています。
―――その後、『ザ・リング2』でハリウッド監督デビューされたわけですが、当初は別の作品が予定されていたそうですね。オリジナル作品で『True Believers』というタイトルの……

中田:そうです。そうです。ありましたねー。

―――その他にも複数の企画がありました。ニューラインで『OUT』のリメイク、FOXサーチライトで『エンティティー/霊体』のリメイク、MGMで『True Believers』。その中から実現したのがドリーム・ワークスの『ザ・リング2』ということになります。メジャー会社の企画ばかりです。

中田: 全部で5本の企画がありました。その中で実現したのが1本ですから、打率2割……(笑) まず、企画開発契約というのを結ぶんですよ。『OUT』以外は全て企画開発契約を結んでいます。

―――ハリウッドでは主演俳優が発表された後に立ち消えになる企画がとても多いと感じます。『THE EYE』ではレニー・ゼルウィガーさんが主演すると発表されていましたし、『True Believers』はマーク・ウォルバーグさんだと発表されていました。これがとても不思議です。「『決定』じゃないのか?」と(笑)

中田:そう。それも企画開発計画を結んだということなんですよね。マーク・ウォルバーグさんとは確かに話をしました。けれど最終的に諸条件が合わなかったんです。けれどガセネタがホント多いですよ。

―――話が変わりますが、本作は3本目のドキュメンタリー作品です。全て映画を巡るドキュメンタリーですね。

中田:そうです。今までは映画(監督)についてでないと、自分が作るものとしては「嘘くさい」感じがしていました。けれど4本目は違いますよ。社会派です。(笑)

―――ドキュメンタリー映画には以前から関心があったのですか?

中田:はい。小川徹さんや土本典昭さん、佐藤真さんのドキュメンタリーが特に好きですね。皆さん亡くなられてしまいましたけど…… 僕の場合、下手の横好きですが。小川さんたちのような取り組み方は年月もかかるので、出来ません。自分なりの理念はあるけど、今、実際に同じようにアプローチできるかというと難しいですし。その中で、ビデオ時代の利点を活かして撮りました。一人で複数のパートを担当しました。照明は僕がやっていますし、ライン・プロデューサーは撮影や録音も担当してくれました。「素人が素人としてまじめに撮る」と。

―――これからもドキュメンタリー映画の制作は続けるのですね?

中田: はい。劇映画と並行してドキュメンタリーも継続して作っていきます。

―――今回の作品はどれくらいの日数で撮ったのですか?

中田:どれくらいでしょうね。インタビューが1日につき1人で、1日に2人はあったかなあ? あったとしてもあまりなかったと思いますし。延べ日数30日では収まっています。インタビューの他にも色々撮ったんですよ。『THE EYE』の鬱憤を晴らすためにボクシングジムに週3回通っていて(笑) ランニングマシーンを使っているところも撮ったんですけど、使うのを忘れちゃって(笑) そうこうしている内に『THE EYE』の製作会社が変わってしまったりと色々あって。残ろうと思えば残れましたし、引き止められもしましたが、丁度、日本から『怪談』(2007)のオファーがあったので降りることにしました。

―――『THE EYE』は最終的にフランスの監督によって完成しました。他、『THE JUON/呪怨』(2004)は本作にも出演している清水崇監督でハリウッド映画化。中田監督の『仄暗い水の底から』(2001)はブラジルのウォルター・サレス監督が『ダーク・ウォーター』(2004)としてリメイク。『女優霊』(1995)は香港のフルーツ・チャンがリメイクしているそうですが、どれもハリウッド映画なのに外国人監督ばかりですね。『ザ・リング2』の中田監督もそうですが、海外ホラー作品のハリウッド・リメイクに海外監督の起用が目立つことには、特に理由があるのでしょうか?

中田:ハリウッドが新しもの好きというころでしょうね。僕の場合、『仄暗い水の底から』の評判がわりかし良いんです。わかりやすいですからね。そのわかりやすさがハリウッドでは有効です。新しもの好きとなると、若い監督が多くなりますね。するとギャラも安く済むわけですよ。そのため、外国の比較的若い監督の登竜門になっているのだと思います。その中でコンスタントにヒット作を監督すれば評価はうなぎ上りになって撮りやすくなる。後は代理人が交渉するわけです。ただし、ハリウッドは飽きやすいですから、映画監督などの人材の評価に株に近いものを感じますね。Jホラーやアジアン・ホラーのリメイク・ブームも終わって、今は『13日の金曜日』や『テキサス・チェーンソー』といった昔のスプラッター・ホラーのリメイクが中心のようです。

―――かなりフラストレーションが溜まったということですが、ハリウッドでの経験は貴重なものだったろうと思います。技術面などで持ち帰ったものもあるのでは?

中田:もちろん貴重な体験でした。例えば、カバレッジ(複数台のカメラ、アングルで同時に一場面を最初から最後まで通して撮影し、最善のものを採用するハリウッド独自の撮影技法)。これは『L change the WorLd』で、タイの村のシークエンスを撮る際に採り入れました。時間を有効に使えて便利です。

―――中田監督がハリウッドで得たものは何ですか?

中田:度胸がつきましたね。意見が異なったときにぶつからないとそのまま呑まれてしまいます。向こう(ハリウッド)はぶつかってお互いに良い物を見つけるという考え方ですから。けれど、日本人には物事をはっきり言わない特性がありますよね。そのため、より直接的に言わないと伝わりません。なので“信念を持てるなら首をかけてでも言う”ということが大事。僕も2・3度その必要があってはっきり言いました。

―――もうすぐ次回作のためにイギリスに発たれるそうですね?

中田:はい。イギリスの映画製作はハリウッドとは違って、どちらかというと日本に近いものがあります。良い中間どころと捉えています。

―――オファーがあれば、またハリウッドで監督することもありますか?

中田:もちろん。ただし、「これは面白い!」と、心底自分のやりたいものだ
ったら、ですけどね。ホラーはもういいかな…… 元々ホラー専門じゃないですし。少し前にホラー映画の話があって、それはイイかなと思ったんですけどね。スプラッターですけど(笑) あの企画はまだ生きていると思います。誰かが撮るんじゃないですかね。

―――偶然、キャリアのポイント・ポイントにホラー作品があったということで、中田監督としてはむしろメロドラマやラブストーリーがお好きだとか?

中田:はい。物語の中にある人物・空間の持つエモーションに興味があります。

―――『ハリウッド監督学入門』に、『テキサス・チェーンソー ビギニング』のジョナサン・リーベスマン監督が出演していてビックリしましたけど、彼もホラー映画が好きというわけではないとか?

中田:ジョナサンもそうですね。彼は『RINGS』(2005 日本劇場未公開)という、『ザ・リング2』の前日譚にあたる短編を撮ったんです。ハリウッドで初めて撮った『DARKNESS FALLS』(2003 邦題『黒の怨み』)がヒットして、それからホラー監督というイメージがついてしまった。ホラーを好きなわけではまったくないですね。けれど「南アフリカに帰っても映画の仕事がない」って言っていましたから。あ、あと、ジョナサンは物真似が上手いんですよ。(映画監督・プロデューサーの)マイケル・ベイの物真似とか、凄いんです。あまりに凄すぎてここでは言えないですけど(笑)


―――『ハリウッド監督学入門』。特にどういう方たちに見ていただきたいですか?

中田:まず、映画製作をやっている人たち。それから一般の映画ファンの方々にも見て欲しいですね。やはり映画と言えばハリウッドですから。イーストウッドも頑張っていますしね。ただ大きくなりすぎた。どの監督が撮っても似通った作品ばかりといった状況だから当たらなくなってきた。映画ファンも、作り手の立場から「最近のアメリカ映画ってどうなのよ?」というところを知ってもらうことができると思います。

 日帰りで東京へ戻り、すぐさま新作のためにイギリスへ飛ぶという目まぐるしいスケジュールの中、多くのインタビュー取材に応じるという積極的なプロモーション姿勢から、本作への愛着がひしひしと伝わって来た。『ハリウッド監督学入門』は、“災い転じて福と成す”を地で行くポジティブな創作姿勢が生んだ注目すべき1本である。是非、広く映画ファンの目に触れて欲しい快作だ。
(喜多 匡希)ページトップへ
  『Beauty うつくしいもの』

Beauty うつくしいもの』
〜戦争に全てを潰された男の80年〜

(2007年 日本 1時間49分 配給:ジョリー・ロジャー)
監督:後藤俊夫
振付:藤間勘十郎
タイトル題字:片岡仁左衛門
出演:片岡孝太郎、片岡愛之助、麻生久美子、嘉島典俊、眞島秀和、大西麻恵、二階堂智、赤塚真人、高橋平、
大島空良、兼尾瑞穂、井川比佐志、串田和美、北村和夫 他
4月11日(土)〜 第七藝術劇場
5月中旬予定    京都みなみ会館 にて公開


公式ホームページ→
『Beauty うつくしいもの』作品評はコチラ→

 長野県伊那谷村を舞台に、村歌舞伎を通じて知り合った2人の少年・半次と雪夫の60年以上に及ぶ流転の生涯を綴った一大メロドラマ『Beauty うつくしいもの』。美しくも厳しい信州の風土と伝統の村歌舞伎。日本独自の美にのせて綴られる人間ドラマが胸を揺さぶります。

  本作の公開を前に、半次役の片岡孝太郎さんが来阪されました。20年振り2度目の映画出演。前作はハリウッド映画でしたから、今回が初の日本映画出演となります。しかも、本歌舞伎の花形役者が郷土色溢れる地芝居=村歌舞伎の役者を演じるという入れ子構造の妙味に溢れたキャスティングにより、映画ファンのみならず、歌舞伎ファンにとっても必見の作品に仕上がりました。合同インタビューには、シネルフレ記者も取材に駆けつけ、舞台裏の出来事や本作に託した想いについてはもちろん、20年前のデビュー作についてもお聞きしてきました。

―――『Beauty うつくしいもの』というタイトルの通り、自然や伝統芸能、人間の営みや心が持つ、日本的な美しさが存分に描かれていました。その対極の存在として、醜く愚かしい戦争が描かれているのが重要なポイントですが、戦争についてはどういった思いがありますか?

片岡孝太郎さん(以下、片岡と表記。敬称略。):映画の中で、戦争の暗い影が多くの人々の生活から光を消し、人生を狂わせていきます。私は実際に戦争を経験したことは無いですが、身近な人から体験談を聞いて育ちました。私の父や祖父は大阪の北畠にあった家を空襲で無くして京都に疎開しました。それから京都に住むようになったんです。他にも、戦後、GHQから歌舞伎界に対して色々な制限が出されました。 この作品でも、若い人が戦争で死んでしまって(村歌舞伎)を演じることが出来なくなりますが、実際に、戦争で歌舞伎役者が大勢亡くなっています。そんな話を聞いているので、自分にとって戦争は遠いものではありません。戦争は恐ろしいものです。そして絶対にあってはならないものです。観客の方にも、このストーリーに入り込んでいただいて、戦争でどれだけの苦労があったのか、戦争がどれだけ醜いものであるかを感じ取っていただきたいです。
―――孝太郎さんは今回が20年振り2度目の映画出演となります。初出演作品は『太陽の帝国』(1987)でしたね。いきなりハリウッド作品で、しかも監督があのスティーヴン・スピルバーグ。実に華々しいデビューだったわけですが、今回ふと気づいたのは、デビュー作も本作も戦争映画だということです。これは偶然でしょうか? それとも意識的な選択でしょうか?
片岡:それは偶然です。でも、仰る通りですね。戦争映画が2本。偶然ですけど、偶然じゃないような不思議な感じがします。『太陽の帝国』はオーディションを受けたんですが、その時、実は監督が誰であるとか、どんなお話であるのかといったことを、全く知らないままだったんです。ギャラが1億円と聞きましてね。ただそれだけで「そりゃ凄い!」となって、事務所に「とりあえずエントリーしてください」とお願いしたんです(笑) その後でスピルバーグ監督が撮ると知らされてビックリですよ。最後の選考の時、本物のスピルバーグさんが来日されてお会いできたので、その時に「もうこれでいいや」と満足したんです。受かるとは思っていませんでした。もう、これは宝くじに当たったようなものですね。歌舞伎の世界の人間がハリウッドの大作に出演出来た上に、凄い方々と共演できました。主演は、当時まだ子どもだったクリスチャン・ベールでした。彼も、今や立派な大スターになりました。『太陽の帝国』が撮り終わった時、「もうこれで充分だ」と感じ、これから中途半端なものに出るのは止めて、この思い出を心の中にしまっておこう、大切にしていこうと。それ以来、映画の話は封印していたんですよ。それが、今回、後藤監督からお話をいただいて、歌舞伎の人間が歌舞伎役者を演じるのもどうかな、と思いましたが、この村には13代目の祖父からのご縁があるんです。だから、祖父に背中を押されたと思ってお受けすることにしたんです。
―――久々の映画撮影はいかがでしたか?  

片岡:初めての時はスピルバーグ監督の時は、朝、現場に行くと、その日に撮影する分のシーンが書かれた1枚の紙を貰いました。日本語ではなかったので、その場で訳して覚えていました。今回は逆で、夜中に台詞が書かれた紙と絵コンテを渡されて…… そこに書いてある台詞がまた少ないんですよ。麻生(久美子)さんや(片岡)愛之助君と、「これ、台詞少な過ぎるよ…… これだとお客様に理解してもらえないんじゃないかな……」と不安でした。
けれど、映画は全てを監督にお任せしないといけません。そう考えていますから、監督から言われた通りに動きました。ただそれだけです。もちろん、わからない箇所は監督にお尋ねしたりもしました。あと、現地ロケでしたから、泊り込みです。スタッフの人たちは老人ホームの大広間をお借りして雑魚寝でした。けれど、とても仲が良くて、良い雰囲気でした。夜、皆で和気藹々とお酒を飲んだりと、撮影隊は素敵なチームワークでした。そんなこともあって手作り感のある作品になったように思います。

―――10代から70代まで幅広い年代を演じていらっしゃいますが、一番楽しかったのはどの年代でしょうか?

片岡:お爺さんを演じている時ですね。お爺さんになった半次が舞台に上がるときは白塗りですが、その下にもちゃんとお爺さんの特殊メイクをしています。白塗りメイクの下に、更に特殊メイクというのは映画史上初めてじゃないのかなあ。その前日に10代を演じたりするんですよ。1週間ほどの短期間に、10代から70代までを演じ分けないといけないという状況でした。10代の場合は、メイクも若々しく赤を入れたりして、時間もそれほどかからずササっと出来ますが、老けメイクの場合は、凄く時間がかかるんですよ。メイクさんが怒ってしまうほどでしたから、それは大変でしたね。

―――映画の中で村歌舞伎を演じるという2重構造を持った作品ですが、同時に、歌舞伎役者が歌舞伎役者を演じるという、もう1つの2重構造も持った作品ですが、戸惑いはありませんでしたか?

片岡:そこがやはり今回の演技で一番難しいところでした。例えば歌舞伎のシーンですが、「片岡孝太郎が歌舞伎を演じている」ではいけません。「主人公の半次が歌舞伎を演じている」でないといけないのです。しかも、半次は他の村でも有名になるほどの実力の持ち主という設定です。それに、一口に歌舞伎と言っても、半次たちのは村歌舞伎です。私が普段演じているのは本歌舞伎。村歌舞伎には、その土地に伝統の独特の型がありますから。となると、そのまま歌舞伎をやっても駄目です。だからどうしようかと愛之助君と話し合いましたね。いつも演目ごとに悩みました。
―――半次や雪夫の少年時代を演じる子役さんたちにも踊りやお芝居をする場面がありましたが、これも大変だったのでは?  

片岡:皆、本当に頑張りましたねぇ。子役さんたちはゼロからの練習ですから、私たちよりも、もっともっと大変だったろうと思いますよ。けれど、上手くやっていると思います。アレルギー持ちの男の子がいましたが、それがもう相当にひどいアレルギーで、気の毒なほどでした。その男の子が撮影の途中で一度倒れてしまったんです。けれど、最後まで頑張ってくれました。凄い頑張りようで、素晴らしかった。

―――村歌舞伎は現在も残っているのですか?

片岡:ええ。残っています。伊那谷の村歌舞伎は奉納歌舞伎なんですよ。神様に捧げる歌舞伎なんです。ずっとその地域に伝わってきた歌舞伎で、演じるのも歌舞伎役者ではない普通の村人です。だから独特の型が生まれ、それが代々伝わっているわけです。私のお祖父さんが、噂を聞いて伊那村の歌舞伎を見に行った時、「私たちの世界には無い形です。どうぞ皆さん方で守っていって下さい」と言ったんです。私も興味深く思いますし、ずっと守って、伝えていって欲しいと思っています。ああ、そうそう。義太夫の方、素敵なおじ様でしたが、とても上手でビックリしました。僕らの世界でも充分に通用するので「こちらに来ませんか?」とお誘いしたいほどでした。あと、村には私たちが払い下げた衣装が一杯あるんです。昔に着ていた人の名前が入っていたりして、感慨深いものがありました。ただし、映画に映っているのは、この作品の為に新調したものです。

―――村歌舞伎の場面で、たくさんの方がエキストラとして出演されていましたが、村の方ですか?

片岡:そうです。皆さん、地元の方々です。明日エキストラが何人必要だ、となれば、地元ローカルの有線放送で呼びかけていました。朝早くから村役場に集合して貰ってバスで移動。現場では、地べたに御座を敷いただけで長時間の撮影で、他にすることもないから皆さんジッと座って…… これがもう寒くて、寒くて。記念品とお弁当くらいしか出てないと思います。それなのに、皆さん喜んで協力して下さっって、とてもありがたかったですね。村の方々にとっては撮影そのものがお祭りだったんですね。僕らが初めて現地入りした時、地元新聞の1面にドーンと大きく出ました。まるで総理大臣が来たような扱いで(笑) とても嬉しかったんですけど、こんなに良くしてもらっていいのかな、という戸惑いはありましたね(笑)

―――見物客の中に孝太郎さんのお父様(15代目片岡仁左衛門)もいらっしゃって、驚きました。村の方々もビックリされたのでは?  

片岡:実は、父のスケジュールがどうしても合わず、別の日に撮ったんです。だから、あのシーンは合成なんですよ。父の隣に座ってらっしゃる女性は後藤監督の奥様です。もし、父のスケジュールが空いていて、あんな風に客席の真ん中に座っていたら、私が緊張してしまって大変だったでしょうから、正直、ホッとしたんですけど(笑)

――――従弟である片岡愛之助さんとは、これまでに何度も歌舞伎の舞台で共演されていますが、映画での共演はいかがでしたか?

片岡::愛之助君とは、普段から男役・女役としてよく共演しますから、次はこう動くだろうなというのがわかるんです。阿吽の呼吸というやつですね。彼もそう思ってくれているはずです。相手の動きやしたいことが解ると、とてもやり易いですね。以前、父に教わったことなんですが、一緒に芝居をしていても、上手いことスッと懐に入ってくる人と、そうでない人がいる。スッと入ってくる人は大切にしないといけない、と。私の場合は、愛之助君ですね。後、市川染伍郎さんも。この2人なら、彼らの次の動きが解ります。

―――今回、孝太郎さんと愛之助さんの間に挟まる形で麻生久美子さんが出演しています。映画出演の経験の豊富な麻生さんですが、踊りなどはやはり大変だったのではないでしょうか? また、資料に、孝太郎さんの言葉として「共演者はある意味で敵だ」とありましたが、これは?

片岡:ええ。共演者はある意味で敵です。麻生さんだけではなくて、愛之助君も同じくです。ただ、愛之助君のことは良く知っていますが、麻生さんは初めて。なので、敵を知ろうと思い、撮影前にDVDで麻生さんの出演作品を幾つか観たんですが…… 役によって雰囲気がガラリと変わる凄い女優さんだなぁ、と。実際にお会いしてみると、大変気さくな方でした。舞踊のシーンは大変だったと思いますよ。夜中まで旅館で練習しているのを何度も見ました。

―――半次・雪夫・歌子の関係は、とても繊細なものです。半次と雪夫の間に流れる感情が、友情ではなく、愛情に感じられもします。しかし、敢えてはっきりとは描かれません。孝太郎さんとして、3人の関係をどう解釈されますか?

片岡:やっぱり、出た(笑) 実は3人で何度も話し合ったんです。けれど…… 正直に言いますね。答えが出なかったんです。考えれば考えるほど解んなくなるんですよ。半次と雪夫の間には、相手役という関係を超えたものがあるとは思います。ただし、幼い頃に出会って以来、一貫して友情を超えそうで超えないでしょう。とても微妙なんですよ。理屈ではなく感覚的な、それも境界ギリギリのところで成立している関係なんだろうと思います。

―――半次と雪夫の間にある感情は擬似恋愛に思えますが、孝太郎さんは舞台上で疑似的に相手役に愛情を感じるということがありますか?

片岡:しょっちゅうありますよ。相手役の魅力的な箇所を見つけて、そこを自分の中で大きいものにするんです。あと、私は女形ですから、手がカサカサだったら相手に申し訳ないなあ、というように考えます。だから、クリームを塗ってきちんと手入れをしておく。そういった努力をすることで、役柄に必要な感情が生まれてくるんじゃないか、お客様にも伝わるんじゃないかって思ってやっています。ただ、私の場合は、舞台を降りると擬似的な感情はスッと引きますね。

――― 一番お好きな場面はどこでしょう?

片岡:半次の引退興行の場面ですね。普段とは違って男役。しかもお年寄りの役というのが面白くて、演じ甲斐もありました。お年寄りの動きというものは、体力的な力は無いけれど、形がいい。無駄を省いた動きです。私らの場合は、どうしたってどこかで力が入ってしまいます。その違いですね。

―――完成した作品をご覧になっていかがでしたか?

片岡:当初、台詞が少ないことを心配に思っていましたが、実際に出来上がった映画を見ると、ちゃんと伝わっているなと。凄いなと思いましたし、安心しました。日本の原風景を映した素敵な作品に仕上がっているので、是非多くの方に御覧いただきたいです。


 片岡孝太郎さんは、終始穏やかな表情と柔らかな口調を崩さず、一つ一つの質問に対して真っ直ぐに答えて下さった。本業が歌舞伎役者ということで、慣れない筆者はカチンコチンに緊張してしまっていたものだが、気が付けば心地良い空間に身を委ねていた。幼少の頃より身に付けたのであろう気品が、会場全体を包み込んでいたように思う。女性記者はうっとりし、男性記者は和んだ。まるで、オアシスのような方であった。

(喜多 匡希)ページトップへ
  『新宿インシデント』 ジャッキー・チェン
『新宿インシデント』 ゲスト:ジャッキー・チェン

(2009・香港/1時間59分)R-15
監督 イー・トンシン
製作 ジャッキー・チェン
主演 ジャッキー・チェン 竹中直人 ダニエル・ウー シュー・ジンレイ 加藤雅也 ファン・ビンビン 峰岸徹 
5月1日(金)〜TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条)、MOVIX六甲、他全国ロードショー

公式ホームページ→  
【STORY】
  中国東北部の寒村でトラック整備士として働く鉄頭(ジャッキー・チェン)は、10年以上前に日本へ留学し音信不通となった恋人のシュシュ(シュー・ジンレイ)を探し出すため日本への不法入国に踏み切る。しかし、やっとのことで再会したシュシュは、新宿を仕切る三和会の幹部・江口(加藤雅也)の女房になっていた。残酷な現実を目の当たりにするも、国に帰ることができない鉄頭は新宿で生きていくことを決意。金を稼ぐため、同じ移民仲間と犯罪に手を染めるようになる。
 新宿・歌舞伎町を舞台に不法移民と日本ヤクザの抗争を描く『新宿インシデント』で製作&主演を務めたジャッキー・チェンが来日!東京に続き、TOHOシネマズ西宮OSでも舞台挨拶を行いファンに笑顔を振りまいた。ジャッキーが関西を訪れるのは実に10年ぶり!
 今回の映画でジャッキーは、得意のアクションを封印。恋人を捜すため中国から日本に不法入国し、生きるため裏社会に染まる決意をした男をシリアスに演じる。いつもの陽気なイメージとは異なる演技派な一面を打ち出したことについて「色んな種類の役柄をみてもらいたかった。『ラッシュアワー』シリーズや、『ポリス・ストーリー』の続編ばかりじゃなくて(笑)新たな映画を見て欲しいと思った。今は、新しいジャッキー・チェンがどう受け入れられるのかドキドキしています。」
 共演した竹中直人については「すごく面白いけど、ちょっと変!撮影が始まるとマジメになって、カメラが止まるとおかしくなる(笑)」その竹中演じる刑事・北野と出会う場面は、神戸で実際に使用されていた湊川隧道でロケを行ったと言い「あの場面は、一日中水の中で撮影していてすごく寒かった。マイナス6度だったから、喋るときも震えていた」と苦労話を披露。その一方で「撮影のクルーが、カメラマンから照明まで全員日本人だったことが嬉しかった」と話す。「日本のクルーはレベルが高い。夜中の2時まで撮影して翌朝6時スタートでも、食事の時間がズレても文句を言わないし、カメラ部門のスタッフが照明を手伝ったりもする。礼儀、規律、清潔さなどすべてにおいて素晴らしく、香港に帰ってから向こうのスタッフに日本人クルーを見習った方がいいと言ったんです。また映画を撮るときは是非一緒にしたい。」と褒めちぎり会場のファンを盛り上げた。
 そして最後に「『新宿インシデント』はショッキングな作品ですが、この映画の主人公をジャッキー・チェンであると見ないで、1人の俳優として見てください。アクションは多くありませんが、心配しないで!またアクションにも挑戦します。次回作は『ビッグ・ソルジャー』という映画。その作品で今年の末か、来年にまた皆さんにお会いできると思います」と述べ、締めには日本語で「みなさん応援してください。僕、映画がんばります。どうもありがとうございました!」と挨拶し、大声援を背に舞台を後にした。
(中西 奈津子)ページトップへ
  『レイン・フォール』 椎名桔平
『レイン・フォール 雨の牙』 ゲスト:椎名桔平

(2008・日本/1時間51分)
監督・脚本 マックス・マニックス
原作 バリー・アイスラー
出演 椎名桔平 長谷川京子 ゲイリー・オールドマン 柄本明 ダーク・ハンター
4 月25日(土)〜丸の内ルーブルほか全国ロードショー
関西地区: 梅田ブルク7、梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸、109シネマズHAT神戸 他にて公開
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント


公式ホームページ→
【STORY】
 暗殺者ジョン・レインは、仲介者のベニーからある仕事の依頼を受ける。それは、国土交通省の官僚・川村を殺し、メモリースティックを奪うという内容のものだった。その頃、CIAアジア支局長のホルツァーは、レインを拘束し先にメモリースティックを手に入れるため東京中に捜査網を張り巡らせていた。CIAが監視するなか満員の電車内で作戦を実行に移すレイン。だが、川村はメモリースティックを持っておらず…。

〈ジョン・レインのプロフィール〉
日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた日系アメリカ人。ニューヨークで育ち18歳で軍に入隊。27歳で秘密工作員になり、アフガニスタン、イラク、南米の紛争に参加。最後の18ヶ月は海軍特殊作戦司令部に属していた殺しのスペシャリスト。
 原作者は元CIAのバリー・アイスラー。監督は『トウキョウソナタ』の脚本家マックス・マニックス。主演は『余命』の椎名桔平と『レオン』のゲイリー・オールドマン!
国際色豊かな俳優&スタッフが揃いつつも、実は日本映画という独特の雰囲気をもつ本作で、米海軍あがりの暗殺者ジョン・レインに扮した椎名桔平がキャンペーンのため来阪。大阪市内のホテルで合同インタビューに参加し、作品に対する思いを語った。

 まず、ゲイリーとの共演について「本当に大好きな俳優と日本映画のなかで共演できるなんて思ってなかったから、大きな経験でした」と話し、日本人の目を挟んでいない東京の描き方に対して「画期的で面白い」と語る。「原作者も監督も東京に住んでいた経験があるから、リアルな東京を知っている。それでも生まれた育った文化とかは違うから、いつも暮らしている東京じゃないように見える。『ブラックレイン』では大阪の町がニューヨークっぽく見えましたよね。そういう作用がこの映画の最大の魅力でもある。」
 孤独な暗殺者とCIAの攻防。日本国家を崩壊させる情報が入ったメモリースティック。その内容が洩れると日本はアメリカの圧力に屈せざるをえなくなる…、など日本では現実味が薄く感じる設定もありますが、その辺りの解釈は?との問いには「普段、CIAや暗殺者を目にはしないけれど、連日ニュースで報道されているように東京には色々なことがある。実際、CIAの人間が東京にいないのかと聞くと実はいるらしい。原作者も元CIAで、こんな物語があるかもしれないと考えるとリアリティは逆にあると感じる。」
 さらに、ゲイリーと対峙する場面で実際に“牙を剥かれた”感想は?と聞かれ「牙を剥かれましたね(笑)僕は彼の『レオン』の芝居が印象に残っている。あの時はナタリー・ポートマンが怯えていましたけど、僕は体育座りで怯えるわけにもいかないので、一応拳銃で対抗していました(笑)あのシーンは10分くらいですが、途中で止めずに3回ほどノーテストで撮影した。レインとホルツァーという人間同士の戦いになったと思います。ゲイリーの芝居スタイルはすごく自由。だから、あれほど瞬発力がある芝居ができるし、瞬間的な感情の変化ができるんでしょうね。」
 「例えば、彼はたまに自分で芝居を中断して、ちょっと戻ってリスタートするのだけど、気に入らないと僕の目の前で「ファック!」を連発する。でも、次には笑いながら芝居に入ってくる。苛立ちのテンションを逆に利用して、違うテンションに向けている。そういう芝居の仕方は、日本にはない。あそこまで、感情を利用して変化をもたらす芝居は始めて見ました。きっと、自分の感情に対して自由なんでしょうね。そのうえで、役柄を客観的に捉えてリアルに、しかもイキイキと感じさせる芝居をする。」と、大俳優の演技スタイルに驚き感動した貴重なエピソードを披露してくれた。
 そして、最後に劇中では明確にされないレインの生い立ちと背負う孤独について「具体的に説明しないでどう伝えるかを考えながらやっていた。まだ差別が色濃く残るニューヨークで育ち、戦争に行き、紛争地で国の大義名分として人を殺める。それを、感情を表さないでやってきた。でも、大人になって国家に失望したんじゃないかと僕は思うんですよ。だから、組織から離れて一人で仕事をすることになったのかなと。そして、また違う変化があって、リタイアを考えている。そこからがこの映画のレインの始まり。これを最後の仕事にしようという葛藤と孤独。「誰も自分とは一緒に仕事をさせないでくれ」と映画の冒頭で言っていますが、その孤独感をジョン・レインにどうまとわせるか。そういうことを考えながらキャラクターを演じていました。」と語ってくれた。
(中西 奈津子)ページトップへ
  『おくりびと』アカデミー賞受賞合同会見
『おくりびと』 第81回米アカデミー賞授賞式ご報告
【参加者】滝田監督、本木雅弘、広末涼子、余貴美子、小山薫堂(脚本)

「おくりびと(英語タイトルDepartures)」が第81回米国アカデミー賞にて外国語映画賞を受賞いたしました。こちらに関しまして、キャスト、監督のコメントを以下の通りご報告申し上げます。
皆様のおかげでこんなにも栄誉ある賞を頂くことができました。
ご協力に心からお礼申し上げます。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

■授賞式後・合同会見
【日時】現地時間 2009年2月22日(日) 22:30〜23:00
【場所】Hollywood Roosevelt Hotel
Q.外国語映画賞を受賞しての感想をお聞かせ下さい。

滝田監督:夢のようです。アメリカアカデミーに来ることができることさえ信じられなかったのに、こんなにすばらしいプレゼントをもらえました。納棺師という題材で、終わり方が見えませんでしたが、最高の終わり方が見えました。皆さんのおかげです。ありがとうございます。

ロングランして頂いておりますが、映画の神様がたまたま落とし物をしたものが「おくりびと」のところに着たのではないかと思います。本当にありがとうございます。
スタッフ、キャスト、すばらしい日本の技術が世界に認めてもらえたと、誇りに思います。

本木さん:言葉になりません。まだまだ気持ちの整理がつかないでいます。信じられないことが続いて起こっている渦中にいるようです。この作品にかかわっている全ての人の思いがかなって大きな花を咲かせたと思います。実はイスラエルの作品を見ていて、とても素晴らしかったので、そちらが受賞すると思っていました。ですので、レッドカーペットはミーハー的な気持ちで歩いていました。こんなことならもっと堂々と歩いておけば良かったと後悔しています(笑)

広末さん:日本映画が世界で認められ、"Congratulation"の嵐の中この会場に着きました。
この映画に導いてくれた監督、スタッフ、そして日本にいる友人、いつも支えてくれている家族、いつも有難うと言いたいです。

余さん:心から誇りに思います。「おくりびと」の仲間に入れて頂いて、本当にありがとうございます。舞台に上がった時、最初はよくわからなかったけど、今になってこみ上げてくるものがあります。本当に嬉しいです(涙)

小山さん:今まで自分が経験したことや悲しかったことなどの体験をちりばめて書いた作品がこんなことになってしまい、自分の人生がここに向かっていたのかな、と思います。もしオスカーをとったら、"今週木曜日のパン屋タダ"という張り紙を出してきた。赤字ですが、ぜひいらしてください。人生の運を全部使い果たしてしまったか、帰りの飛行機が落ちるんじゃないかと心配です。みなさん気をつけて帰ってください。

間瀬プロデューサー:皆さんの応援のおかげだと思います。スタッフキャストを代表してお礼を申し上げます。英語タイトル「Departures」死は一つの旅立ち、大吾と美香の成長の物語として名付けました。この映画そのものが、自分の子供のようです。親元離れて旅立ち、親以上に成長してしまった。僕らが作品を追いかけている感じです。
Q.監督、スピーチは考えていたのですか?
滝田監督:聞かないで下さいよ・・・うれしかったです!昨日5本の映画の一部を見せてもらいました。イスラエル、フランス、どれもすばらしかった。賞をとれるとかそういう次元ではなく、その監督と知り合いになれてそういったいい出会いがあってよかったです。

Q.奥様へは何とお伝えしたのですか?
本木さん:"信じられない"という感じで笑顔で飛び込んできてくれました。二人でオスカーを持って写真をとらせてもらいました。山崎努さんにも電話でお礼と喜び、この瞬間の臨場感を伝えられました。この画面を通じて、峰岸徹さんにも報告したい、そして私的なことですが、この映画の企画に参加してくれた小口社長にも報告したいです。実は胸に写真を入れて臨みました。

Q.監督からスタッフへの言葉は?
滝田監督:このオスカーはみんなのものです。ロスまでみんなが来てくれました。それが本当にうれしいです。

Q.レッドカーペットや授賞式の思い出は?
滝田監督:レッドカーペットは無我夢中でした。長いようで短かく、すばらしかったです。全然飽きずに、ずっとドキドキしていたのでもっと落ち着いて見たかったですね。

本木さん:レッドカーペットが無事に終わり、よりビッグなセレブに会いたくて終わり辺りで待っていました。ショーン・ペンの後ろを歩いてみました。持っているチケットでバーに行き、メリル・ストリープとすれ違いました。サラ・ジェシカ・パーカーは臭いがわかるくらい近くに感じました。途中にトイレに行ったとき、ペネロペ・クルスが携帯電話で話しているのを見ました。
パパラッチな気持ちで眺めていました(笑)
ハイスクールミュージカルの女の子には握手を求めて、娘がファンですと伝えました。

広末さん:壇上に呼んでもらえて、壇上からの景色は全く違うもので、エキサイティングでファンタスティック、言葉にできない格別なものでした。それを経験させてもらえたのは映画人としてこの上ない幸せだったと思う。

余さん :RCでは、アンソニー・ホプキンスのインタビューをしていたのでモニターを確認して映りこむように後ろを歩いてみました。挙動不審なアジア人がいたと思います(笑)。会場に入る前にリムジンが渋滞していて、その光景にも騒いでいました。実に当事者とは思えない位でした。

小山さん:ABCの放送でたまに見かける皆さんを見て、いい臭いするんだろうな〜と見ていました。

Q.この作品について、もしスピーチするなら何てしますか?
本木さん:昨晩夕食を共にした北米の配給会社の人たちに、どうしてこの作品がうけるのか、理由を聞いたら、世界中の人たちが感じられる、日本人の繊細なもてなしのこころを受けて、癒される映画だと、普遍的なこと、シンプルな感情は伝わるので自信を持ってくれ、と言われました。もしスピーチするチャンスがあるなら、この作品は、別れの儀式の映画です、と軽く説明できたら、と思っています。

Q.下馬票は芳しくなく難しいと思っていましたが、不安はありましたか?
滝田監督:受け入れられるかは考えてもしょうがないことです。自分の作品を作ったまでです。受け入れられなければそれはしょうがない。作ったあとではそういうことは考えません。
映画が一人歩きをしてくれました。

Q.オスカー像の行方は?
滝田監督:このオスカー像を誰にも売ってはいけません、という証書にサインしました。ですので、私が保管します。が、スタッフには1週間レンタル。メインスタッフには1ヶ月。明日から枕にして寝て、新しい映画の夢をみます。みんなで分かち合いたい。

小山さん:オスカー像、元気の源。予想以上につるつるしていた。

広末さん:日本人だけでなく、パーティー会場でもこの像にみんな寄ってきて触らせてほしい、と言っていました。


Q.勝因は何だったと考えますか?


滝田監督:日本映画のスタッフキャストのすばらしさ。ただそれだけです。

本木さん:先ほどイスラエルの作品を見たといいましたが、それは本当に心揺さぶられる作品でした。昨日お会いした北米の配給会社の方たちに、なぜイスラエルの作品はとれなかったのか?ときいたら、アニメーションだったこと、アカデミーは生身の人間を選んだ。「Departures」には、もっとやわらかい救いがある。前向きな救いをたくさん感じる。と言われました。

間瀬プロデューサー:どれも秀逸な作品でした。ただ、おくりびとは特別。コミカル、笑いながら泣いてしまう。そこが他の4作品と違ったのではないかと思います。

                             以上

※本作品にご出演されました山崎努さん、吉行和子さん、笹野高史さん、音楽を担当された久石譲さんのコメントも頂きましたのでお送りいたします。

山崎努
先日の日本アカデミー賞でも過分に評価されたのに、今度はアメリカとは─。
自分が参加した作品の出来を冷静に判断することは難しいものです。
やたらにうまくいったと昂奮したり、逆にダメだダメだと落ちこんだりします。
でも「おくりびと」はたしかに成功したんですね。
こいつぁ春から縁起がいいや!
さ、ビール飲もう!

吉行和子
おめでとうございます。すばらしい出来事ですね。本木さんの長年の夢が、こんな大きな花を咲かせたのですね。どんなに嬉しい事でしょう。私も参加できたことを、心から喜んでいます。
何度も何度もおめでとう!

笹野高史
バンザイ、バンザイ!!「おくりびと」バンザイ。日本映画、バンザイ!!
素晴らしい出来事に参加できたことを、心から光栄に思います。
オスカー像に触らせてもらえたら「また会おうのぉ」と云います。

久石譲
本当に優れた作品だからこそ、アメリカのアカデミー賞で海外映画のトップまで上り詰めた。滝田さん、本木さんをはじめ、スタッフの皆さんの作品への思いが偉大な結果につながった。
音楽的には全編チェロをフューチャーするなど僕なりの実験もした。この結果に心から満足しています。おめでとうございます。

(image・net 及び 松竹より)ページトップへ
 カフーを待ちわびて
『カフーを待ちわびて』 

(2009年 日本 2時間1分)
原作 原田マハ
監督 中井庸友
出演 玉山鉄二 マイコ 勝地涼 尚玄 瀬名波孝子 宮川大輔 ほんこん 伊藤ゆみ 白石美帆 高岡早紀 沢村一樹
2/28日(土)〜梅田ブルク7、なんばパークスシネマ 他全国ロードショー

公式ホームページ→
 青い海と白い砂浜が広がる沖縄の与那喜島を舞台に、ちょっぴり心に傷を追った男女が“絵馬”を通して出会い、ささやかな幸せを得るまでを描いた原田マハ原作のラブストーリーを『ハブと拳骨』の中井庸友監督が映画化。その公開を前に大阪市内で舞台挨拶付き試写会が行われ、中井監督、明青役の玉山鉄二、幸役のマイコ、原作者の原田マハの4人が勢ぞろいした。
【STORY】
 与那喜島で古びた雑貨屋を営む明青。ほとんど島を離れることのない彼が、友人に連れられて行った内地の神社で絵馬に「嫁にこないか。しあわせにします。」と書き込んだ。しばらく経ったころ明青のもとに一通の手紙が届く。その手紙には「絵馬の言葉が本当なら、わたしをお嫁さんにしてください。」と記されていた。突然のことに驚き慌てふためく明青。やがて、手紙の主である幸と名乗る美しい女性が明青のもとへ転がり込んでくる。
 素性もはっきりせず、自分のことについて多くを語らない幸だが、彼女との暮らしはずっと1人で生きてきた明青にとって新鮮な響きとなる。だが、2人での生活が定着した頃、幸の隠された秘密が明らかになってゆく…。
 カフーとは、「果報」や「幸せ」といった意味。不器用な男女が、運命の出会いを通して本当の幸せとは何かを心に受け止めるまでを、ゆったりとした沖縄特有の空気感にのせて描いた本作で、もどかしいくらい奥手な明青を演じた玉山は「台本を読んだあと涙が止まらなかった。でも感動した反面、明青はすごくピュアな役なので自分で大丈夫かなと不安もありました」と話す。原作者の原田も「小説で明青はすごく情けない男性に描いている。なので、キャスティングを初めて聞いたときは、玉山さんがあの明青!?とビックリしました。どう演じてくれるのか興味津々でしたが、本当にナチュラルに、ダメなんだけどカッコイイ明青になりきってくれた」と映画版の明青に太鼓判を押す。
 幸役のマイコは玉山の印象を「クールなイメージを持っていたけど、実際は面白い方。現場をすごく盛り上げてくれていました。」と語り、玉山はマイコについて「とても真面目で今っぽくない女性。いつも目を輝かせて色んなものを吸収しようとしているし、要らないものは出そうとしているし、スポンジみたいな女優さん」と評した。
 しかし、玉山は監督から、「宮川大輔や尚玄ら共演者と飲んでいたとき、みんなが盛り上がって踊りだすと、玉山1人だけトイレに逃げていた」と撮影裏側のエピソードを暴露される一幕も。劇中にも明青が飲み会からサッと帰る場面があるが、慌てて「人見知りするし恥ずかしいので」と弁明する玉山は、明青そのもののようでとても可笑しい。一応、玉山の言い分を記しておくと「あれは踊りというより、乱れた大人たちが入り混じる地獄絵図のようだった」から遠慮(?)したそうだ。そのとき、監督たちは「地元の人につかまって延々と踊っていた」とか。

 とにかく仲良く、日々共に笑い苦しみながら仕上げた作品は、それぞれにとってとても大切な1作になったよう。
 最後のメッセージでは、原田が「清らかな光に満ちたピュアなラブストーリーに仕上げていただきました。みなさん一番好きな人と2人以上で見に来てください。」と伝えると、マイコは「愛にあふれていて、やさしい波のような映画です。私自身も、この映画をきっかけに身近な人を大事にしようと思えたので、みなさんもそう思っていただけたら嬉しいです。」玉山は「ピュアでファンタジックな恋愛をすごくうまく描いている作品だと思います。目に見える形あるものばかりに捉われるのではなくて、もっともっと大切なものが自分の近くにあるのではないかと再確認できると思います。好きな人とこっそり手をつなぎながら見てください。」と各々の思いを投げかけた。
 そして最後に監督が「最近ではあまりない繊細な男女のラブストーリーに仕上がりました。2人の心のキャッチボール、間を丁寧にとりながら描いているので、そういった空気のなか過ごした2人の一瞬を凪のような心で受け止めていただければ幸いです。」と語り舞台挨拶は幕を閉じた。
 その後に行われたマスコミによる取材では、より細かい作品の裏側を聞いた。まず、撮影に挑むにあたって役作りで気をつけたことはと聞くと、玉山は「あんまり考えすぎないで、自分の持っているものを削ぎ落として現場にのぞむように心がけた。」と話し、マイコも「私も役を考えすぎて頭がカチカチになってしまったので、それは一回捨てて、沖縄の雰囲気に身を任せてみようかなと思い演じていました。」と語った。2人ともナチュラルさを心がけたようだが、玉山は沖縄の方言だけは「本当に難しかった」と振り返る。「ずっとI podで聞きながら練習していました。それでも、現場でのアドリブに対してすぐにリアクションが出来なかったので辛かった。」と苦労をにじませた。
 本編では明青の飼うカフーという犬が、第3の主役として大きな役割を果たしている。撮影ではオスとメスの2匹をうまく使い分けて演じてもらったそうだが、玉山との相性はというと「オスのラッシュは全然言うことを聞かなくて、僕は普通の仕事より5倍は働きましたね。メスは言うことは聞くんですけど、逆に僕から全然離れなくなって(笑)」と意外にも苦戦したようす。その他に、明青と幸の気持ちが近づく印象的なシーンとして、海辺で明青の髪を切るカットがあるが、あの場面は「実際に切っています」とマイコ。「玉山さんがガツガツ切っていいよと言ってくれたので、これはガツガツいくしかないと(笑)わりと大丈夫、楽しくできました。」そして最後にカフーにちなみ日常で“幸せ”を感じる瞬間はと聞くと、玉山「僕はいい作品に巡り合えて、いいお芝居ができて「よかったよ」って周りが言ってくれたりする瞬間です」マイコ「私は日々の生活の小さなことですけど、友だちと電話で話したりすることに小さなカフーを感じています」と教えてくれた。
 本作はラブストーリーが主軸となっているが、明青と幸の微妙な関係性を活かしたコミカルなシーンも多々ある。特に、明青の世話を焼く隣人のおばあ(瀬名波孝子)に幸が料理を教わるシーンや、積極性のかける明青におばあが「若いんだからモタモタしてないで早くやっちまえ」的な恋愛アドバイスをコテコテの沖縄弁(字幕あり)で話す場面などはコミカルで楽しい。その他では、辰夫役の宮川大輔と、渡役の勝地涼のなじみのいい演技センス、そして何よりも沖縄の風景を存分に堪能してほしい。
※ちなみに本作の舞台となる「与那喜島」はいかにもありそうだが、実は架空の島で、原作のモデルとなったのは「伊是名島」。だが、実際に撮影が行われたのは沖縄本島北部の「今帰仁村」または、今帰仁唯一の離島「古宇利島」なので、ロケ地へ行きたいと思った方はお気を付けを。今帰仁は美ら海水族館のある本部町の隣なので、出演者はオフの日に水族館にもでかけたとか〜。
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 ご縁玉 パリから大分へ

『ご縁玉 パリから大分へ』
ゲスト:江口方康、山田一貴


〜受け継がれる“いのち”の輝き〜


(2008年 日本 1時間12分)
監督・撮影:江口方康
出演:山田泉、エリック−マリア・クテュリエ
2009年1月31日〜シネ・ヌーヴォ                  
(c Inter Bay Films)
公式ホームページ(山田泉さんのブログ)
 自身のがん体験をばねに「いのちの授業」に取り組み、命の大切さを伝えてきた山ちゃんこと、元養護教諭の山田泉さんは、2007年夏、旅先のパリでエリック−マリアに出会います。彼は、ベトナムの孤児で、フランス人の養父母に育てられ、国際的に活躍するパリのチェリスト。山田さんが手渡した五円玉に引き寄せられるようにして、その年末、山田さんのいる大分県にやってきます。本作は、養護施設や病院での演奏をはじめ、二人の深い魂の交流を記録したドキュメンタリー。

  山田さんは、昨年11月21日、49歳の若さで亡くなられました。大阪での公開初日、パリ在住の江口方康監督と山田さんのご子息山田一貴さんが来阪。上映前の舞台あいさつと江口監督へのインタビューをご紹介します。
《舞台あいさつ》
Q:山田さんはどんなお母さんでしたか?
一貴:好奇心旺盛で、突然変なことをしたり、おもしろい母親でした。変なことの一つというのが、「私の余命がわかったから、最後の旅行に、退職金全部つかって家族全員でパリに行こう」と1週間で決めたことです。
Q:山田さんに出会って、どんなことを感じましたか?
監督:テレビ局の上野ディレクターを通じて山ちゃんに初めて会うまでは、全然知りませんでした。「おもしろい学校の先生で、「いのちの授業」というドキュメンタリーのことを聞き、3日間ほどパリの街を案内しました。その時は、おしゃべり好きのただのおばさんという印象でした(会場笑)。でも、人の魅力ってうまく説明できないもので、すごくひかれるものがありました。「江口ちゃんは何やってる人?」と聞かれ、「映像の仕事をしていて、いつか映画を撮りたいんです」と話したら、「私もうすぐ死んじゃうから、早く映画撮ってね。観たいから」と言われました。その時には、まさか彼女の映像をつくろうなんて思ってもみなかったですし、実際、私が撮った彼女の映画がこうして劇場で公開されるなんて想像もしなかったことです。


Q:エリック−マリアとの出会いは?
エリック−マリアとは山ちゃんと一緒に初めて会い、それ以来の飲み友達ですが、酒の話しかしていませんでした。でも、日本で予定していたコンサートがキャンセルになり、それでも日本へ行くと言うので、どうして行くのか聞くと、自分がベトナム戦争の孤児であることや、2年前に乳がんで養母を亡くしたことや、いろいろな話をしてくれました。彼の心の中に沈んでいた様々なものが、ふっと出てきた感じでした。彼が単にコンサートのついでに山ちゃんに会いに行くのではなく、こんなにたくさんのことがあって、それで会いに行くことを山ちゃんに映像で伝えたくて、みせたくて、撮り始めました。彼と一緒に山ちゃんの家に行って、いろんな人に会って行く中で、やっぱりこの映画を一人でも多くの人に観てほしいと思いました。
Q:まさか、本当にパリから来るとは、と思われたんじゃないですか?
一貴:はい、せっかく静かなお正月が迎えられると思っていたら、元気な二人が来るということで、大変でした(笑)。来てからすぐ、江口監督が怪我してしまって。

監督:京都に着いた撮影初日、撮影中に階段で捻挫し、大したことはなかったんですが、山ちゃんのいる大分へお昼過ぎに着くつもりだったのが、昼から皆で飲んで、酔っ払ってしまい、山ちゃんはいつ来るかと待っていたのに、結局、大分に着いたのは夜明けになってしまい、大ひんしゅくでした(笑)。
Q:本当に偶然の縁が重なったのですね。
監督:一気に同じところに皆が集まって、穴に落ちて「山ちゃん、ホールインワン」という感じでした。今、がんの方は回りにたくさんいるので、がんの話だと、皆ひいてしまうんですね。でも、この映画は、がんというよりも、35歳の男が日本に来ちゃうという話で、観終わった後に「あ、いいかもしれない」と思っていただけるとうれしいです。


Q:山田さんはこの映画をご覧になってどんなことを言われましたか?
一貴:「主演女優だ」、「女優デビューした」と嬉しそうに言ってました(笑)。
監督:山ちゃんは、まさか本当に映画になるとは思ってなかったみたいですし、別に望んでなかったです。でも、映画になって劇場で公開されて本当によかったですし、映画になったという事実はすごいと思います。

Q:最後に一言。
一貴:不思議なご縁でできちゃった映画なので、あまり観たことない感じがするかもしれませんが、僕はとても好きです。

監督:山ちゃんに会おうと思ったら、フランスから大分まで1万キロ来ないと会うことはできなかったんですが、昨年11月にお亡くなりになってから、変なんですが、山ちゃんを近くに感じるようになりました。やらなきゃいけない仕事をしていて、もうこれぐらいでやめて酒でも飲もうかと思ったら、「江口ちゃん、早くやれば」みたいな感じで山ちゃんが言っているのが、なんとなく聞こえてくる。そんな近い存在になりました。きっとそんな感じで、山ちゃんは、いろんな人のところで、「何言ってるの、早くやりなさいよ」と言っているような気がします。そうやって、山ちゃんパワーが続いていくことはすごいことと思いますし、山ちゃんが皆の近くにいてくれるのをすごく感じます。
【江口監督へのインタビュー】
Q:エリック−マリアが山田さんに会いに行ったわけは?
監督:彼は、ベトナム戦争中に捨てられた子どもで、自分の親を知りません。自分は何者なのかというのが根本にあります。アメリカ軍の基地が沖縄にあり、戦争当時、日本人のビジネスマンもかなりベトナムに行っていたので、ひょっとしたらそのビジネスマンとベトナム人女性の子どもかもしれないと想像したりして、最初、沖縄に行きたがっていました。
彼は、コンサートで世界中回っている時に、いつも日本人と間違われていたので、日本人の血が流れているかもしれないと思い、いつか日本にきちんと行ってみようという思いが以前からあったようです。彼の養父母が一度、ベトナムまで彼の両親を探しにいったけれど、全く見つからなかったので、彼が自分の本当の両親を探そうと思っても、多分無理。でも、日本に行ったら、自分のアイデンティティが見つかるかもしれないという思いが、そんなもの見つからないこともわかりながら、35歳にして突き動かされるエネルギー、山ちゃんに会ってみたいとか、山ちゃんにチェロセラピーをしてあげたいという思いが一気に出たと思います。

育ての母親が乳がんで亡くなった時、彼はチェロセラピーをやろうともやれるとも思わなかったそうです。でも、チェロの演奏中、目の前で、山ちゃんが感動してくれてるのを見て、チェロの後側というのはすごく響くので、それでよくなることはないとしても、少しでも気持ちよく、安らいでくれたらいいと、チェロセラピーできると思ったそうです。

彼は今までオーケストラで旅行するのがほとんどで、今回が初めての一人旅。いろんな人とのつながりがあって、この旅が実現しました。


Q:映画にしようと決めたきっかけは?
監督:はじめは、映画にしようとは思っていませんでした。そもそもはエリック−マリアのことを山ちゃんに映像で伝えたいと思ったことと、エリック−マリアは日本語がしゃべれない、山ちゃんはフランス語がしゃべれないという中で、二人の人間がどこまで近づけるのかにも興味がありました。

2回目にホスピスを訪ねた時、エリック−マリアが弾くチェロを聴きながら、患者のおじいさんやおばあさんたちが感動して泣いていました。私も涙が出て、泣きながらカメラで撮っていたのですが、そのとき、この映像を一人でも多くの人にみせたいなと思いました。

いのちが輝く瞬間。いのちって死ぬ瞬間でも、死ぬ前でも、いつでも輝こうと思ったら輝けるんだ、その起爆剤が、山ちゃんであり、エリック−マリアの弾くチェロであり、音楽であり、いろんなものなんだと思います。それが自分の目の前に来ないとなかなか輝かない。ろうそくを持っていても、マッチがなければ点かないのと同じ。マッチの役は誰がするのか、自分でマッチを探して点けるのか、誰かがいきなり目の前にやってくるのか、それはわからない。でも、あの時には、山ちゃんがいて、エリック−マリアがマッチの役割で、皆の灯りを点してくれて、いのちが輝く瞬間をみたと感じました。

あんなふうにホスピスや養護施設で撮らせてもらうこと自体、普通、ありえないことです。テレビのドキュメンタリーでは決まった時間内におさめないといけないとか、撮っていいもの、よくないものとか、いろんな基準があったりするので、これは映画としてつくりあげたいとその時、思ったんです。

Q:山田さんから影響を受けたことは何ですか?
監督:山ちゃんは本当に一生懸命生きていました。山ちゃんからは、気づかせてもらったというか、皆が持っているのだけど、隠れちゃったままになっているもの、本当は持っているものを教えてもらいました。私は一回も彼女の講演を聞いたことがないので、そういう場での彼女の魅力は全然知りません。たわいのないことを話したり、驚いたりとか、そういう彼女しか知りませんが、それだけで十分、伝わってきました。その伝わったものを人にも伝えていきたいと思います。

 人の出会いの不思議さ、おもしろさと有難さを感じさせ、生きることについて考えさせられるとともに、笑いあふれる舞台挨拶とお話でした。淡々としてみえる作品からは、いのちを慈しみ、いまを大切に生きていこうとする熱い思いがあふれてきます。観終わったとき、観客一人ひとりの胸の中に、何か暖かなものが残り、自分自身との対話が始まるような気がします。
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 ノン子36歳(家事手伝い)
『ノン子36歳(家事手伝い)』
ゲスト:熊切和嘉監督、星野源

 (2008年 日本 1時間45分 R-15)
監督・原案 熊切和嘉
出演 坂井真紀 星野源 津田寛治 佐藤仁美 新田恵利 
2月14日(土)〜 第七藝術劇場 京都シネマ
 にて公開
公式ホームページ→
 1997年に大学の卒業制作として撮った『鬼畜大宴会』でPFFアワード準グランプリを獲得し、一躍その才能を世に知らしめた熊切和嘉監督。デビュー以来『空の穴』『アンテナ』『フリージア』と男性主人公の作品で異彩を放ってきた彼が、本格的な女性主人公の作品に挑む。

 主人公は、東京で泣かず飛ばずのタレント生活を経験後、マネージャーと結婚するもすぐに田舎に出戻ってきたノン子36歳。何にも興味を持たず、実家とスナックを往復するだけの毎日を送る彼女の前に、ある日、夢にまっすぐな年下の青年マサルが現れる。やる気が空回りしているけれど、ひたむきなマサルに触れるうちノン子はひん曲がっていた心を正し、笑顔を取り戻し始める。
 36歳にして「どうにでもなれ」と人生を投げた女が、小さな“うるおい”を得て再び歩き出すまでの変化を的確に捉えた本作で、良くも悪くも女の生態をさらけだしてノン子役に挑戦したのは実力派女優の坂井真紀。的屋のひよこでひと山当てようと試みるマサルをバンドSAKEROCKのリーダーとしても活躍する星野源が演じる。そんな『ノン子36歳(家事手伝い)』から、熊切和嘉監督と星野源が来阪。インタビューに応じてくれた。
―――原案は2004年に『揮発性の女』を手がけたときからあったそうですね。

監督:はい。でも初めはマサル視点の物語でした。僕と脚本家が年上の女の人が好きで、男の妄想というか、こんな女の人いたらいいよねって(笑)女性映画が撮りたいなと思ってからは、段々と今の形に変化していきました。

―――坂井真紀さんが熊切監督の作品に出演するのは3度目になります。星野さんも以前に共演されたことがあるそうですが、印象は?

監督:坂井さんとはウマが合うんです。映画に出てもらうと“しっくり”来る。あと、笑う時に思いっきり笑う所が好きですね。

星野:坂井さんはものすごく優しくて、気を使って色んな話をして緊張をほぐしてくれます。僕が下ネタで冗談を言っても合わせて笑ってくれる(笑)
―――星野さんはマサル役にピッタリな印象ですが、抜擢した理由を教えてください。

監督:何人か候補をあげた中で、重くなりすぎないイメージがよかった。必死にチェーンソーを振り回していても重くなりすぎず、どこか許される感じ。それに、笑顔の印象がいい人そうだなと。出演してもらって大正解でした。

―――星野さんから見たマサルの印象、また役作りについて

星野:台本を読んだ次点では、もっと狂気が前面に出た恐い役かなと思っていました。マサルの役を説明してもらってからは、まっすぐで物腰が柔らかなんだけど、少しだけ狂気が見える人と理解しました。役作りに関しては、監督が何もしなくていいって(笑)でも、自分のままで演じるのも何か違うから、中身を空っぽにして役に臨もうと。そうして気付いたんですけど、空っぽにしていると近くにいる監督の念が入ってきて、すんなりマサルになれるんです。監督はいつも両手のこぶしに力を入れて役者にグァ〜っと念を送っているんで、それがよかった(笑)

―――撮影がいちばん大変だったシーンはどこですか?

星野:僕はチェーンソーを振り回すシーンです。チェーンソーってこんなに重いのかと。あのカットは前半に撮ったんですけど、撮影が終わるまで筋肉痛が続きました(笑)

監督:やっぱりノン子と宇田川のベッドシーンですね。長回しで会話からそのまま行きたかったので、芝居がよくてもスタッフに失敗があるとマズイので緊張しました。

―――星野さんも坂井さんとのベッドシーンに挑戦されていましたね。
星野:ベッドシーンは初めての経験で緊張しました。もし本当に興奮したらどうしようと思って、坂井さんに「もし本当に興奮してしまったらすみません」と断りを入れたら「逆にしてくれなかったらションボリだよ」って言ってくれて、すごくいい人だなと。でも、実際シーンに入ると芝居に夢中でそんな心配は取り越し苦労でした。坂井さんも脱ぐのは今回が最初で最後って言っていたので、ジャマしちゃいけないとも思ったし。ただ、すごく狭い部屋での撮影だったので、念を送っている監督の息づかいはバッチリ聞こえていました(笑)。
―――ノン子がまた歩き始めたエンディングが心に残ります。エンディングでこだわったことなどありますか?

監督:これはどうにもならない話なので、最終的にはどうにもならないことを受け入れる。ただ1つ変わったとすれば、ノン子が笑えるようになったこと。そういう話にしようと思っていました。坂井さんの笑顔で終われたことがよかったですね。
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 『劇場版 カンナさん 大成功です!』
『劇場版 カンナさん 大成功です!』
ゲスト: 山田優、中別府葵

 (2008年 日本 1時間50分)
配給:ゴー・シネマ
原作:鈴木由美子
監督:井上晃一
脚本:松田裕子
出演:山田優 山崎静代(南海キャンディーズ) 中別府葵 永田彬(RUN&GUN) 佐藤仁美 柏原崇 浅野ゆう子
2009年1月17日(土)公開 梅田ブルク7 109シネマズ箕面 ユナイテッド・シネマ岸和田 MOVIX八尾 MOIVX堺 TOHOシネマズ二条 109シネマズHAT神戸 ユナイテッド・シネマ大津 MOVIX橿原

公式ホームページ→
 山田優が全身整形美人を演じた映画『劇場版カンナさん大成功です!』が17日に封切られた。その公開に際し舞台挨拶が18日に大阪で行われ、主演の山田優と天然美人菜々子を演じた中別府葵が登壇。満員の観客に笑顔を振りまいた。
 韓国でも映画になった鈴木由美子の人気漫画を映像クリエイターの井上晃一が映画化。子供時代は「カンナ菌」勤め先では「ブタゴリラ」とブスでデブな容姿から孤立してきたカンナが、多くの試練を乗り越え本物の愛と友情を手に入れるまでの奮闘をポップに描く。映画版ではカンナが活躍するベースをファッション業界に移すが、カンナの浮かれた性格や、浩介の親しみやすさ、カバコの勘違いぶりなどメインキャラの設定は原作に忠実に再現する。
 そんな原作のファンだと話す山田は「ずっと大好きで読んでいました。人気マンガはファンの人のイメージが出来上がっているので、カンナを演じるのに不安もあった。けど、別の誰かが演じるくらいなら絶対私がやりたい!」と熱意を表明したという。全身整形美人のカンナとは反対に投資0円の天然美人にして、頭もきれる27歳のキャリアウーマン・菜々子に扮した中別府は、なんと撮影当時は17歳!高校生ながら大人の女性を演じたわけだが「ヘアメイクや服装ですっと入れた」とにわかに天才発言!?かと思いきや、思うようにコメントができずに落ち込んだりと、素顔は現役高校生らしく可愛らしい。本編では山田が天然役で、中別府が指導する立場のしっかりものだが、実際は真逆だったようだ。

  大阪のイメージを聞かれて「大阪はやさしい。「ちちんぷいぷい」に出演した時、外へ行く時間がなくて「たこ焼き食べたいなぁ〜」と呟いたら買ってきてくれました」とニコニコ。そして、よく番組出演で大阪に来るという山田の大阪イメージは「大阪は少しの話題でも拾ってくれて、面白くない話も面白く広げてくれる(笑)ノリがよくてファッションショーで来ても一番盛り上がります」と話してくれた。
 劇中のカンナは、シフォン系のワンピやカラフルな洋服を好んで着ているが、山田は普段は「ロックテイストのものが好き。黒ベースのスタッズが付いている物とかハードなものが多い」そうで、中別府は「私はワンピース系が多い。でも、現場に来る優さんが毎日おしゃれなので勉強になりました」
 さらに、山田は映画のテーマでもあるコンプレックスについて「コンプレックスも考え方を変えれば克服できるし、前向きになればそれが個性になる」と語り、共作で作詞したエンディングテーマについては「今のままでいいんだよと言われるとすごくホッとする気持ちとか、ありのままの自分でいる大切さを込めた。詞は、自分の体験だったり、カンナさんの気持ちをイメージして書きました」と述べた。

 そして最後に、中別府が作品について「おしゃれしたい気持ちが高まる自分磨きの映画」山田が「コンプレックスを克服できたり、前向きになれる作品です」とアピールし笑顔で舞台をあとにした。
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 『プライド』 初日舞台挨拶

『プライド』 1月17日(土)初日舞台挨拶
ゲスト:ステファニー<21>/満島ひかり<23>/渡辺大<24>/及川光博<39> 金子修介監督<53>

男女四角関係まで漫画とそっくり!?
舞台上でも四角関係を話題に、ステファニーVS満島ひかりのバトル勃発!


(2008年 日本 2時間6分)
監督:金子修介
出演:ステファニー、満島ひかり、渡辺大、高島礼子、及川光博
公開日:1月17日〜
公開劇場:なんばパークスシネマ、梅田ブルク7、TOHOシネマズ西宮OS,MOVIX京都

公式ホームページ
人気漫画家一条ゆかり、デビュー40周年にして一条作品初の映画化となる『プライド』が、2009年1月17日(土)、全国で公開初日をむかえ、丸の内TOEIにて舞台挨拶を行いました。

本作は、全く別々の世界に生きてきた女の子二人が、オペラ歌手という共通の夢を目指し、ライバル同士として熾烈なバトルを繰り広げながら成長していく物語です!! 監督は『デスノート』シリーズの大ヒットも記憶に新しい金子修介監督。レコード大賞新人賞受賞の5オクターブの歌声をもつ今大注目の女子大生シンガー ステファニー、『デスノート』やNHK連続テレビ小説「瞳」に出演していた若手実力派女優 満島ひかりの2人が主演をつとめており、 渡辺大、高島礼子、及川光博ら豪華キャストも集結しております。

映画さながらに、舞台上でも女同士の戦いが勃発、劇中で女装姿を披露している渡辺大からは「女装がくせになりそう」と大胆発言まで飛びだす?!など、大盛況の舞台挨拶でした。
【登壇者コメント】
 
●ステファニー (麻見史緒 あさみ・しお 役)
主演で女優デビューはうれしかったけど、緊張して大変でした!キャラクターが魅力的で、女同士のバトルが楽しくて、歌でもひかりちゃんとデュエットでバトルして・・終わるときは寂しかったです。歌手なので歌は、撮影中の里帰り、みたいなところがありましたが、演技なのでまた違った感じでした。劇中みたいな四角関係に関わってみたい!楽しそう!劇中では蘭丸(大)くんが好きなんだけど、実際の私は神野(及川)さんがタイプかな?
●満島ひかり(みつしま・ひかり) (緑川萌 みどりかわ・もえ 役)
私は現場で、いろんな女性とのバトルがありましたので、毎日が山場でした笑!映画を観た後、特に男性は私の役のことを怖い!とひいてしまうのですが、大丈夫ですか?楽しんでもらえていたら嬉しいです。ステファニーとはライバル役なので、現場では話さないようにしてました。歌は大変でしたが、ステファニーにアドバイスもらって頑張りました。でも私は四角関係は嫌、史緒(ステファニー)のように好きじゃない人との結婚を決意するのは嫌です!(及川さん:いいね〜ここでもバトル盛り上がってきたね〜!!とコメント)


●渡辺大 (池之端蘭丸 いけのはた・らんまる 役)
僕は...原作と似てますかね?笑 いい意味で原作ファンの皆さんを裏切れればいいなと思って。女装のピアニスト役なので、ピアノの練習もしました。僕の女装、みんなビックリしたと思うけれど、一番ビックリしたのは僕です。女装のシーンも、薬局に走って、お風呂で3〜40分、体毛と格闘して、のぞみましたよ!・・・実際その気があるかどうかは・・・女の人はこう見られてるんだ〜と思うと悪くないな、と思います笑。また機会があればやってみたいですね。撮影中はステファニーとひかりちゃんが準備中もバトルしていて、このライバルコンビを取り持つアシスト役でした。それがいい形でスクリーンに出て、光栄です!
●及川光博 (神野隆 じんの・たかし 役)
大くんよりはマンガとそっくりでしょうか?笑 一条先生にもお墨付きを頂いてるので、この顔に産んでくれた親に感謝します。原作ファンや一条先生の期待に応えたかったです。四角関係・・・以前の僕だったら史緒(ステファニー)をすぐに選ぶけれど、大人になって女性のタイプも変わしましたね...刑事ドラマに出てくる小料理屋のママみたいなタイプがいいですね。皆さんも一度は修羅場、どうですか?笑 僕は2回、経験してますけれど。笑

●金子修介監督
今日もたくさん初日の映画があって、映画同士もバトルしてるわけですが、『プライド』を選んで来て頂いてありがとうございます!原作がとても面白いので大事にしつつ、人間を活かして作りました!ダークでいじわるなバトルですが、音楽に一生懸命ゆえのバトルなので、さわやかな青春音楽映画です!
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【 STORY 】

「 歌手(プリマドンナ)になるのは、わたし! 」
育ちも性格も違う2人が、お互いの"プライド"をかけて歌に恋に競い合う、 世紀の女の闘い ここに開幕!
今は亡き有名オペラ歌手の娘で、裕福な家に育った麻見史緒(ステファニー)。美貌と才能に恵まれた彼女だが、父親の会社の倒産でオペラ歌手への道が断たれる。一方、貧しい家庭で育った緑川萌(満島ひかり)も、地味ながらもオペラ歌手を夢み、バイトに励む日々を送っていた。イタリア留学をかけ、神野隆(及川光博)のレコード会社・クイーンレコード主催のコンクールに2人は出場するが、萌に陥れられ、史緒は優勝を奪われる。その後、生計を立てるため、史緒は、同じ大学にいた蘭丸(渡辺大)が女装してピアニストとして働いている銀座のクラブで、歌手として働き始める。しかし、その同じ店で萌も働くことになり・・・。

(image・net 及び ヘキサゴン・ピクチャーズより)ページトップへ
 『余 命』 記者会見
『余 命』 ゲスト:松雪泰子、椎名桔平

(2008年 日本 2時間11分)
監督:生野慈朗   原作:谷村志穂
出演: 松雪泰子 椎名桔平 奥貫薫 市川実和子 林遣都 かとうかず子 宮崎美子 橋爪功
2009年2月7日(土)〜梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 他にて公開
配給: S・D・P
公式ホームページ→
 結婚10年目にして待望の子供を授かりながらも、同時に乳がん再発を知ってしまう女性の葛藤を描いた『余命』の記者会見が大阪市内で行われた。登壇者は出産か治療か苦渋の決断を迫られる主人公・滴を演じた松雪泰子と、彼女を支える夫・良介に扮した椎名桔平。
 女性に人気のベストセラー作家・谷村志穂の同名小説を『手紙』で高い評価を得た生野慈朗監督が映画化。主人公の心模様にピッタリ寄り添う生野監督特有の演出スタイルで、絶望と希望の狭間に立たされた女性の葛藤を丁寧に引き出した。中でも大きな重圧にひとり苦しむ滴を、強く儚く演じた松雪泰子の存在が光る。静かに感情を震わせる役だけに、心に相当な負担を強いられたのではないかと、役にかけた意気込みを聞いた。
 「確かにとても難しい役柄でした。結婚10年目にしての妊娠と、癌の再発をひとりで抱え込んで決断していくわけですから、その心理状態を掴むのは単純な作業ではありませんでした。ただ、椎名さんや監督と現場でディスカッションしていくうちに、ひとつひとつ丁寧に撮影することができました。」と振り返る。しかし、一方で滴を感じると苦しい瞬間もあったという。「滴は、言葉とは裏腹な感情が常に存在し、物語が進んでいくにつれどんどん変化していくキャラクターでとても不安定です。初めは、壊れてしまいそうなギリギリの精神状態を保ちながら役に没頭していました。でもある時、あまり構築せずトライしてみようと思い演じていると、思ってもみなかった感情が拡大して役に吸引されるような感覚があった。それは役との一体感を味わえた瞬間でした」
 本作で女優の醍醐味とも言える経験を味わったと語ってくれた松雪だが、彼女が滴に集中できたのは、夫役に扮した椎名桔平の支えもある。10年を共にした夫婦役を演じるにあたって椎名は「この作品はセリフ以上に夫婦の空気感が重要だと思ったので、10年一緒にいる夫婦がする会話を想定して、「お弁当はおいしかった?」とか「よく寝た?」とかそういう他愛無い会話をたくさんしました。色んな会話や芝居を互いにすることによって夫婦間のパートナーシップみたいなものが生まれてきます。なので、彼女がギリギリのお芝居をしている所を目の当たりにしたときも、滴という奥さんがいて闘っていると夫役として見ていました。」意外にも初共演という二人だが、椎名のさりげないアプローチで撮影は万事順調に進んだようだ。
 次に、自身が同じ立場だったら同じ決断をされると思いますか?との質問が松雪に及ぶと「私は独りで抱えて決断するというのはとても出来ないと思うのが正直なところです。家族がいたらこういう時こそ共有したいと思うので、私はすぐ言っちゃいますね(笑)」とハニカミながら答えてくれた。
 そして、最後に一言ずつメッセージを投げかけ会見は締めくくられた。 
松雪:「『余命』というタイトルを聞くと悲しい物語かと感じるかもしれないですが、出来上がった作品を見て私はすごくポジティブな作品という風に受け取りました。この作品は“命”や“夫婦の絆”、または“ライフスタイル”を見つめ直すきっかけになる作品だと思います。女性は乳がんに対する意識も変わると思いますので、ぜひ多くの方に見ていただければと思います。」
椎名:「命を扱ったテーマをどうエンターテインメントとして広げていくのかと最初は考えていましたが、こういうテーマを真正面から撮影するのはなかなか勇気のいること。仕上がりは素晴らしい作品になっているし、本当にやらせてもらってよかったなと自信をもって言える作品になりました。」

 『余命』は、第45回台湾金馬国際映画祭の特別招待作品としても上映され台湾でも絶賛を受けた。多くのガン患者に出会ってきた外科医という境遇、38歳での妊娠、そして乳がんの再発。生と死を同時に身体に宿す滴が、多くのハードルを乗り越え、人生に残されたわずかな余命を前向きに生き抜く姿は万国共通で感動が伝わるようだ。彼女の命が受け継がれたと確認できるラストシーン、また、松雪が赤ん坊を抱き聖母の微笑をみせるエンドロールの無垢で美しい映像には命の輝きがつまっている。
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