topへ
記者会見(過去)
旧作映画紹介
シネルフレバックナンバー プレゼント
 
 ・ ラスベガスをぶっつぶせ
 ・ 接 吻
 ・ モンテーニュ通りのカフェ
 ・ ヤーチャイカ
 ・ 幸せになるための27のドレス
 ・ 痛いほどきみが好きなのに
 ・ ブレス
 パリ、恋人たちの2日間
 ・ 最高の人生の見つけ方
 ・ ミスト
 ・ 丘を越えて
 ・ 山のあなた〜徳市の恋
 ・ アフタースクール
 ・ 散歩する惑星
 ・ 愛おしき隣人
 ・ A Swedish Love Story
 ・ ランジェ公爵夫人
 ・ 僕の彼女はサイボーグ
 ・ 相棒−劇場版
 ・ ラフマニノフ ある愛の調べ
 ・ ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
 ・ ハンティング・パーティ
 ・ 光州5・18
 ・ ジェイン・オースティンの読書会
 ・ チャーリー・ウィルソンズ・ウォー
 ・ 譜めくりの女
            つづく・・
 
 
 
プレゼント
 
新作映画
 ラスベガスをぶっつぶせ

『ラスベガスをぶっつぶせ』
〜ペンを札束に持ち替えて―天才学生は凄腕ギャンブラー〜

(2008年 アメリカ 2時間2分)
監督:ロバート・ルケティック
出演:ジム・スタージェス、ケイト・ボスワース、ローレンス・フィッシュバーン、ケヴィン・スペイシー
5月31日(土)〜TOHOシネマズ梅田、敷島シネポップ、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸 他にてロードショー

公式ホームページ→

 世界最高峰の理科系大学として名高いマサチューセッツ工科大学(MIT)。その中でもとびきり優秀な生徒たちが、秘密裏に“あるチーム”を結成する。持ち前の天才的頭脳を活かした “カード・カウンティング”というブラックジャック必勝法によって、ラスベガスのカジノを攻略しようというのだ。“平日はボストンの名門大学生、週末はラスベガスの凄腕ギャンブラー”。そんな夢のようなストーリーだが、これがなんと実話を基にしているというのだから驚いた。

  原作に惚れ込んだオスカー俳優ケヴィン・スペイシーが映画化権を取得。プロデュースを担当しながら、優秀な学生をピックアップしてチームに招き入れるMITのミッキー・ローザ教授役で出演も。
 「ギャンブルじゃない。これはビジネスだ!」と、ミッキー・ローザはチームの面々に何度も言い聞かせる。運に身を任せることを禁じ、あくまで数学理論と頭脳で確実に勝つというのがチームのルールだ。 “カード・カウンティング”は、残りのカードの枚数や既に出されたカードの札目などから出目を計算するという非常に知的なテクニックで、違法性もない。チーム・プレイであることを忘れなければ、必ず勝つことが出来る。しかし、学生たちは、その若さゆえ、次第にのぼせ上がり、協調性を失ってしまう。暴走してしまう。
  面白い!! 本作は、スリル、サスペンス、アクション、ラブコメといった様々な要素をバランスよくまとめ上げている。同時に、高額な学費や、母子家庭の経済的厳しさなどといった、現実的な問題もきちんと盛り込んであり、ドラマとしての厚みもある。
 「数学理論? なんだか難しそう・・・・・・」という方でも心配御無用。ブラックジャックのルールに詳しくなく、おまけに数学が大の苦手という筋金入りの文系人間である私でも充分に面白く観賞することが出来たのだから、その面白さは保証しよう。邦題の印象そのままの、痛快な青春ギャンブル映画の秀作として広くおすすめしたい。
(喜多 匡希)ページトップへ
 接 吻
『接 吻』
〜愛と狂気に走る孤独な女を小池栄子が熱演!〜

監督:万田邦敏  (2006年 日本 1時間48分)
出演:小池栄子、豊川悦司、仲村トオル
5/31〜 シネ・リーブル梅田 他、順次公開

公式ホームページ→  

  誰からも必要とされず、自ら人と繋がろうともせず、ただひっそりと孤独に生きてきた者にとって、もはや人生など無意味で虚しいものでしかない。だがもし、自分と同じ気持ちを抱えた人間に出逢ったとしたら…?

 京子(小池栄子)は、ごく平凡な28歳の独身OL。家族とは疎遠。会社では同僚たちから利用される“都合のいい存在”だ。そんな彼女はある日、自宅で見ていたTVのニュースに釘付けになる。モニターの中で謎めいた微笑みを浮かべているその男は、何の罪もない一家を無差別に襲い、親子3人の命を奪った殺人鬼・坂口(豊川悦司)だった。坂口に強烈なシンパシーを感じた京子は、事件に関する記事をかき集め、裁判の傍聴にも足を運ぶ。そして、坂口の弁護士・長谷川(仲村トオル)に接近した京子は、彼を通じて坂口に差し入れや手紙を送り続け…。
 周囲に固く心を閉ざし、どんよりと曇っていた京子の表情は、坂口に恋をした瞬間たちまち生気を帯び、ゾッとするほどの輝きを放つ。坂口の記事をスクラップしているときの表情、手紙をしたためているときの表情、そして何より、坂口と京子の関係を報道しようとする記者たちに囲まれたときの不敵な笑みは、あまりにも恐ろしいが美しく、忘れがたい。
 冷酷な殺人鬼を一途に愛し、ついには獄中結婚まで果たしてしまう京子の心理は到底理解できるものではない。だが、これまで1人で耐えてきた孤独と絶望を“分かち合える”相手を見つけた、その言葉にならないほどの喜びを小池栄子が静かな迫力をもって体現しており、終始観客の心を掴んで離さない。また、セリフの少ない役ながら、ふとした表情で感情の揺れを滲ませる豊川悦司と、次第に京子に惹かれていく長谷川を演じた仲村トオルも見事。危険な愛のトライアングルを象徴するかのような不気味な音楽にも、心をかき乱される。

 皮肉にも、京子の献身的な愛が坂口にもたらしてしまう“変化”。それによって訪れる前代未聞の結末とは…?!タイトルの意味が明らかになったとき、純粋な愛と表裏一体の狂気が息苦しいほどの衝撃となって、観る者を襲う! 
(篠原 あゆみ)ページトップへ
 モンテーニュ通りのカフェ
『モンテーニュ通りのカフェ』
〜他の誰のものでもない自分の人生なのだから〜

(2006年 フランス 1時間46分)
監督・脚本:ダニエル・トンプソン
出演:セシール・ドゥ・フランス、ヴァレリー・ルメルシエ、アルベール・デュポンテル、クロード・ブラッスール、シュザンヌ・フロン
5/31〜梅田ガーデンシネマ、夏公開〜京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンター
公式ホームページ→  
 本作は,フランス映画祭2006で「オーケストラ・シート(原題)」として上映され,「芸術のパリをめぐるおしゃれでハートフルなコメディ」と紹介されている。原題のオーケストラ・シートは劇場の1階席を意味する。どの席が良いかは多分に主観の問題だが,どの位置に座っても,それに満足せず,より良い席を求めるのが人情だ。同じように,人は,現在の生活がどのようなものであっても,それに満足せず,違った生き方を求めてしまう。本作では,地方からパリに出て来たジェシカをいわば案内人として,人生の転機が間近に迫った3人の3日間の様子が描かれている。まず一歩踏み出さなければ何も始まらないという,ジェシカの祖母の言葉が印象に残る。
 TVドラマの人気女優カトリーヌは,昼メロに飽き足りず,芸術的な映画に出演したいと思い,映画監督の注意を惹こうとする。世界的なピアニストのジャン=フランソワは,本当に音楽を必要とする人々のために演奏したいと望んでいる。美術品の収集を続けてきたジャックは,過去を清算して残された人生を見詰めようとする。彼らは,それぞれ舞台の初日,コンサート,オークションを3日後に控えていた。「モンテーニュ通りのカフェ」(カフェ・ドゥ・テアトル)では色々な人生が交差する。本作は,この3人だけでなく,彼らの周囲の人々についても,手際よく丁寧に描いているので,奥行きと深みが出ている。
 ピアニストの妻は,夫の成功に自分の夢を投影し,マネージャーとして夫を支えているつもりだったが,実は夫を束縛してきた。ジャックの息子フレデリックは,妻と離婚し,恋人と別れ,父親との確執を抱えている。2人は,夫の心情を汲み取れるのか,また父親と和解することができるのか。劇場管理人クローディは,引退を目前に控えている。その中で,最初に幸運を引き寄せたのはジェシカだ。彼女は,パリでギャルソン(男の給仕)しか雇わないはずのカフェに運良く雇われる。彼女を始め,誰もが人生の転機に直面している。そんな人々を優しく包み込むようなジェシカの祖母の眼差しが監督の視線と重なってくる。祖母を登場させるタイミングやカメラの位置と角度が工夫されているからだろう。
 ところで,映画の中でクローディが聞いていた音楽が耳に残る。受け売りになるが,これはジルベール・ベコーというフランスを代表するシンガーソングライターの曲だそうだ。そして,クローディに扮しているのは,ダニという1970年代にフレンチ・ポップス界で活躍した歌手だという。音楽ファンには見逃せない映画だろう。それから,カトリーヌに扮したヴァレリー・ルメルシエも忘れてはならない。彼女は,フランス映画祭2006で上映された「パレ・ロワイヤル!」では監督・脚本・主演を務めていた。英国がモデルのような架空の王室を舞台にした洒落た上質のコメディで,センスの良さに魅せられる。カトリーヌ・ドヌーヴも女王役で貫禄を示していた。
 また,本作でジェシカに扮したセシル・ドゥ・フランスは,その軽やかさが絶妙の味わいで,キュートな魅力を発散している。彼女の存在が本作の成功の鍵となった。人は皆,彼女に触発されたように人生のベクトルをほんの少し修正しようとする。カトリーヌが舞台で即興の自己表現をして映画監督にアピールし,ジャン=フランソワが格式張った形式を脱ぎ捨て自分自身を解放し,ジャックがある出来事をきっかけに思い出の詰まった彫刻のオークションへの出品を取り止める。クロスカットの手法が効果的だ。映画特有の興奮が味わえる。そして,ジェシカとフレデリックが静けさの戻ったカフェで新しい未来を見ている美しいショットで,幕が閉じられる。
(河田 充規)ページトップへ
 ヤーチャイカ
『ヤーチャイカ(Я чайка)』
〜壮大な宇宙から届けられる音楽を感じるとき〜

(2008年 日本 1時間10分)
監督・原作・脚本:覚和歌子
監督・脚本:谷川俊太郎
出演:香川照之、尾野真千子
5/31(土)〜シネヌーヴォ(九条)にて独占ロードショー
公式ホームページ→  
 最近は,ビル・ヴィオラのビデオアートや,ルイ・デリック,マン・レイらの映画など,多様な映像作品を楽しむ機会がある。本作もその一つで,写真映画と呼ばれる。多数のスチール写真を編集して「朗読するための物語詩」を映像化した,フォトストーリーとムービーの中間のようなものだ。現代の詩人である覚和歌子と谷川俊太郎が共同監督で生み出した全く新しい映像世界が展開される。2人の対談によると,「撮影現場では7割が谷川,編集作業では7割が覚というような配分だった」という。また,全編で流れる覚のナレーションも心地好く,カラダ全体に染みわたる。
 覚は,「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」などを作詞している。谷川は,「二十億光年の孤独」(集英社文庫)の著者で,「ビッグイシュー日本版」94号(2008.5.1)で「孤独な宇宙人が書いたような,透明で乾いた叙情の世界」と紹介されている。2人の世界観が融合し,映画史上初の見事な映像詩が生まれた。原詩になっているのは,覚が著した物語詩作品集「ゼロになるからだ」(徳間書店)の中の「ヤーチャイカ」で,ここから70分という長尺の写真映画が生まれた。
 また,覚は,上記対談で「伏線をはりめぐらすような物語の構造ではなくて,ごくシンプルな筋のお話を静かに味わい深く進める,というやり方がふさわしいと踏んでスタートしました。」「この世に存在することの孤独ってあると思うんですけど,それは寂しいだけじゃなくて実は静かで豊かなことじゃないかといつも思ってるんですね。」と語っている。そのとおり,広大な宇宙の中に浮かぶ地球上に美しい自然が広がり,女と男の静かな時間が流れていく。映像と音楽に語りが重なり,柔らかな光が緩やかな曲線を描いていくように,心の安らぐ空間を生み出している。
 谷川は,新菜(尾野真千子)の豊かな表情を映し出す。優しい笑みを浮かべたり,目を閉じて静かな時間を感じたり…。彼女が一面に映える緑の中に仰向けになり,手足を思いっきり上下に伸ばしているシーンは,爽快だ。また,正午(香川照之)は,何もかもイヤになり,新菜のいる村に逃げてきた。彼は,3日間眠り続けて生まれ変わる。そして,無農薬野菜をむさぼるように食べる。そのときの表情が豊かで生き生きとして,まるでカラダの内側から生きる力が湧いてくるようだ。ちっぽけな人間のでっかいエネルギーが見える。
 ところで,「ヤー・チャイカ」とは,ロシア語で「私はカモメ」を意味する。旧ソ連の宇宙船ヴォストークのコールサインだ。これに乗って人類最初の女性宇宙飛行士テレシコワが宇宙へ旅立った。そこには無数の星たちがきらめいている。満天の星空から何万年も何億年も前に旅立った星たちの光が地球に届けられる。新菜は,手を下向きにグーにし,親指と小指をいっぱいに伸ばしてカモメの翼に見立て,「ヤー・チャイカ」と挨拶する。そのマネをすれば,壮大な宇宙と繋がることができるようで,何だかほっこりした気分になる。
  
 新菜は,結婚を約束した恋人がいたが,ドライブの途中で事故に遭い,恋人を失った。このシークエンスでの語りが幻想的で美しい。生死を分けたのは誰のどんな意思なのだろうか…女には考えても分からないことだらけだった。また,女と男が結ばれるとき,映像は白い光に包まれた2人の姿を映し出し,原詩「ヤーチャイカ」が朗読される。そして,男は,一度は投げ捨てた携帯電話機を再び手にして,逃げ出してきた世界へと戻っていく。笑顔で敬礼をする男を見送る女の口元が”動く”そして,優しい笑みをたたえる。2人は「ヤーチャイカ」と言って爽やかな笑顔を浮かべる。ゾクッとするほど,いいシーンだ。
(河田 充規)ページトップへ
 幸せになるための27のドレス
『幸せになるための27のドレス』
〜欲しいものは何ですか?〜


(2008年 アメリカ 1時間51分)
監督:アン・フレッチャー
出演:キャサリン・ハイグル ジェームズ・マーズデン マリン・アッカーマン
5/31〜三宮シネマフェニックス MOVIX六甲 109シネマズHAT神戸ほか

公式ホームページ→  
 欧米の結婚式にはブライドメイドと呼ばれる“花嫁付添い人”が存在する。映画を観ているとよく登場する、花嫁の隣で何人かがお揃いのドレスを着ているアレだ。日本にはない習慣だけど、機会があればやってみたかった!ソレをTV「グレイズ・アナトミー」で大ブレイクしたキャサリン・ハイグルが体当たりで演じた。
 美人で人当たりが良く誠実で仕事もできる、何もかも揃ったパーフェクトな女ジェーン。 そんな彼女の趣味はなんと結婚式。ウェディングプランナー顔負けにセッティングし結婚式の付き添いに励む。クロゼットからは思い出(のドレス)が溢れている。そんな彼女の夢はいつか誰よりも幸せな花嫁になること。それもそのはず、理想の男性は彼女のすぐそばにいるからだ。
 お相手はボスで社長のジョージ(エドワード・バーンズ)。しかし、彼は彼女の恋心にはまったく気付かず、あろうことかジェーンの妹テス(マリン・アッカーマン)と急接近!!テスは絵に描いたようなイマドキ娘。家事はダメ、恋愛にも奔放で色んな嘘をつきまくってジョージとの愛を成就させようと必死なのだが・・・。
 27着のドレスがハンパじゃない。花嫁さんのお色直しほどの華やかさだ。女は着飾るのが大好き。たとえ主役じゃなくたってその楽しみに変わりはない。たまにギョッとするようなのがあってもそこはご愛嬌、仮装と思えばらくらくクリアできてしまう。花嫁に感謝されブーケと共に拍手のシャワーを浴びればヤミツキになるのもわからなくはない。しかし、それもいつかは自分も・・・と信じていればこそのこと。それが淡い夢と消えそうになったときのジェーンの逆襲が恐ろしい。まじめな人間ほどキレると怖いのだ。10年前なら恐らく彼女の反逆に快哉を叫んだだろう。しかし今は・・・・・・。
 ユーミンも唄っている♪“欲しいものは欲しいと言った方が勝ち”初めて聴いたときはエ!?と思ったこの歌詞、今ならうなずける。体当たりで自分の欲しいものを取りに行って、吉と出ても凶と出てもそこから始まる全てひっくるめて引き受ける覚悟があればいいんじゃないかと思うからだ。行動できるかどうかは別にして、そう思うようになってからはむやみに他人を羨むことはなくなった。さて、アナタはこの二人の審判、どう下す?

(山口 順子)ページトップへ

 痛いほどきみが好きなのに

『痛いほどきみが好きなのに』
〜 傷付くことを恐れないで! 失恋は心の成長につながるから 〜


(2007年 アメリカ 1時間57分)
監督:イーサン・ホーク
出演:マーク・ウェバー、カタリーナ・サンディーノ・モレノ、ローラ・リニー、ソニア・ブラガ、イーサン・ホーク
5/24〜テアトル梅田、6/7〜シネカノン神戸、6/28〜京都シネマ
公式ホームページ→  
 急に恋人の気持ちが離れてしまった・・・あんなに愛していたのに・・・心変わりの理由を追及すればするほど相手の気持ちは離れていく。ポッカリと空いた心の空洞を埋めようともがき苦しむ・・・失恋とは、その恋が真剣であれば尚更、ダメージも大きい。あなたにはそんな経験ありませんか?
 『ガタカ』や『リアリティ・バイツ』、『ビフォア・サンセット』などで若い女性の心を掴んできたイーサン・ホークが、自らの失恋の経験を綴った小説が『THE HOTTEST STATE』。「不安定な若者の心情を見事に描き出した」と、アメリカでも高い評価を受けたらしい。そんな自伝的小説を、自ら脚本を書き監督したのが本作である。劇中、父親役でも登場している。
 駆け出しの若手俳優・ウィリアムは、バーでシンガーソングライターを目指すサラと出会い恋に落ちる。幼い頃両親が離婚し母親と二人で暮らしてきたウィリアムは、心のどこかにある寂しさを埋めるように彼女にのめりこんでいく。サラは、失恋の痛手から立ち直るため地方からニューヨークに出て来たばかりだったが、偶然にもウィリアムのアパートの近くに住むことになり、次第に彼に惹かれていく。二人はウィリアムの仕事に便乗して訪れたメキシコで蜜月の時を過ごす。メキシコの暑さ以上に高まる情熱は、ついに結婚を決意させる。しかし、サラが結婚の直前母親に電話すると、「あなたは歌手として自立することを希望してたんじゃないの?」と言われ、ハッと魔法が解けたように現実にもどる。
 仕事で先にニューヨークに帰ったサラに少しでも早く会うため、ウィリアムは700ドルもかけて予定便を変更して早く帰って来る。だが、「何で予定より早く帰って来たの」と冷たいお言葉。メキシコでのあの情熱はどこへ・・・それからというもの、サラの心変わりを理解できないウィリアムの地獄のような苦しみが始まるのだった。
 世間では、女性より男性の方が失恋(離婚の場合も同様)の尾を引く場合が多いといわれる。現実的な女性に対し男性の方がロマンチストなせいだろうか? サラの気持ちの変化を信じられないウィリアムは、幸せの絶頂から真っ逆さまに落とされたような気分だったろう。“痛いほど”ウィリアムの気持ちがよく解るが、果たして本当に愛し合っていたのだろうか。勢いで結婚を決意しただけではないのか。その点、母親に言われたとはいえ、現実に目覚めたサラは立派で、そんな彼女の意志を理解できず、自分本位な思いをぶつけるウィリアムは気の毒なぐらい無様(ぶざま)である。

  劇中時折、ウィリアムの両親の出会いと別れのシーンが挿入される。彼にとって、父親が去った寂しさはトラウマのようになり、愛する人が自分の元から去っていく喪失感に耐えられなかったのだろう。最後、自分を見つめ直す旅に出たウィリアムとその背景を捉えた映像は、傷付きながらも大人へと成長していく“希望”を感じさせて美しい。

  この映画のもうひとつの魅力は音楽だ。ノラ・ジョーンズの成功の立役者でもあり、グラミー賞受賞の天才シンガーソングライターのジェシー・ハリスは、イーサン・ホークの友人でもあり、本作のために書き下ろした新曲「Never See You」「It Will Stay With Us」を提供している。他にも、ノラ・ジョーンズやウィーリー・ネルソン、キャット・パワーなど大物歌手が参加しての豪華なサウンドは、作品に切なさと深みを出している。
(河田 真喜子)ページトップへ
 ブレス
『ブレス』
〜保安課長に扮したキム・ギドクの2つの視線〜

(2007年 韓国 1時間24分)
監督・脚本:キム・ギドク
出演:チャン・チェン、チア、ハ・ジョンウ、カン・イニョン、キム・ギドク
5月31日(土)〜シネマート心斎橋にて公開
公式ホームページ→
 
 本作は,限られた時間と空間の中で,愛することだけでなく,人間が生きていくということが凝縮されて詰め込まれている。人間は誰しも,どこにも逃れられない閉じられた世界の中で生きている。そのような状況下での決して成就することのない男と女の愛を通じて,夫婦や家族について冷徹に見つめ直す映画だといえるかも知れない。人間が社会の中で生きていく最も小さな単位は,同時に人間の社会全体の縮図でもある。小さな作品のようだが,そこから見えてくるイメージは無限大に広がっていく。そこでは喜劇のような悲劇,あるいは悲劇のような喜劇が展開される。
 キム・ギドク監督作品としては初めてではないかと思うが,コミカルでミュージカル的なシーンが挿入される。主人公である妻ヨンは,テレビで知った死刑囚チャン・ジンを刑務所に訪ねていく。その面会室という閉鎖的な空間で,春,夏そして秋をプレゼントする。それぞれの季節の服を着て,それぞれの季節の風景の壁紙を貼り,それぞれの季節を歌ってみせる。上手いとはいえないが,素朴な味わいがある。ここでは,時間や季節でさえ,イミテーションに過ぎない。しかも,悲しいことに,その後にやってくる冬だけは本物だ。
 妻は,陶芸をやっているが,夫から「土ばかりいじってないで人と会ったらどうだ」と言われる。10年前にソラク山で出会ったという夫は,浮気をしている。満たされない思いを抱えながら生きている女。彼女は,9歳のとき5分だけ死んでいたという。精神が肉体から分離したように,死んでいた自分をプールサイドから見ている何人もの自分がいた。閉塞した世界の中に閉じ込められた自分とその自分を外から見ている自分がいる。閉じられた世界で生きていくしかない人間が自己防衛のために作り出したイメージかも知れない。
 ヨンは,チャン・ジンと会う前は,誤って落とした夫のワイシャツを捨ててしまうが,彼と会った後は,夫のワイシャツをワザと落として一度は捨てたものの,すぐにゴミ箱から取り出して洗っている。彼女は,家族の存在を抹消したいと思っていたが,チャン・ジンとの接触を通して家族という存在をもう一度見つめ直す。夫と幼い娘が作った3つの雪だるまや家族3人での雪合戦の中には,平凡でささやかな幸せが確かに存在している。だが,妻の役割を演じることで幸せを繋ぎ止めたとしても,そこには悲しみがまとわりつく。
 一方,チャン・ジンは,妻と子2人を殺害して死刑になったが,その動機は不明だとテレビで報道されている。彼は,刑が執行される前に何度も自殺を試みるが,いつも未遂に終わってしまう。死刑から逃れるための自殺は,死に向かっている点では死刑と同じであり,外から見ている限り,反語的であり滑稽でさえある。彼は,強制的な死によって自己の存在が否定されることには耐え難く,自己を肯定するために自発的に死を迎えようとしたのかも知れない。だが,家族の存在を消してしまった男は,皮肉にも,ヨンと接して家族の存在を取り戻したいと願うようになる。

  また,面会室で会う2人の姿をモニター映像でじっと見ている保安課長の存在が気になる。はっきり姿を見せないため不気味な存在であり,その存在がいなければ男と女が愛し合うことはなかったのだと思うと,全てが彼の意図の下にあるような印象を受ける。人は見えない力に操られているという運命的なものさえ感じられる。だが,彼は,妻が死刑囚とキスをしているモニター画面を夫には見せず,2人を守るような行動をも見せる。物理的にも精神的にも限定された状況の中,ささやかな幸せを求めて生きている人間を柔らかく包容するような優しさの感じられる映画だ。
(河田 充規)ページトップへ
 パリ、恋人たちの2日間
『パリ,恋人たちの2日間』
〜マリオンの飼い猫の名前はジャン=ジャック〜
       ゴダールもニンマリ(?)の痛快ラブ・コメ

(2007年 フランス,ドイツ 1時間41分)
監督・脚本:ジュリー・デルピー
出演:ジュリー・デルピー、アダム・ゴールドバーグ、ダニエル・ブリュール、アルベール・デルピー、マリー・ピレ
5/24〜梅田ガーデンシネマ、シネ・リーブル神戸、6/7〜京都シネマ
公式ホームページ→
 
 ガッチリ構築された喜劇であり,男女の機微を描いた人間ドラマである。登場人物全ての会話がウィットとユーモアに包まれて,快適なテンポに乗せられる。しかも,マリオンとジャックの2人をバランスよく描いているのが良い。そしてまた,シリアスな一面も見せてくれる。2人が関係を持続させるためには,互いを知り欠点や過去を受け入れなくてはならない。嫌われることを怖れて本当の自分を見せないなら,心から愛し合うことはできない。男女の愛についての見解が示される。
 マリオンは33歳でジャックと出会った。彼らは,交際歴2年でニューヨーク在住。ベネチアへ旅行した帰りにマリオンの実家のあるパリに2日滞在することになる。マリオンは,感情の起伏があるが,憎めないキャラで,フツーに隣にいるような感覚が抜群だ。奔放に振る舞っているように見えて,要所要所でしっかりジャックをフォローしている。その様子がさり気なく,しっかりと描き込まれているため,確かな実在感があり,安心できる。
 アメリカ人のジャックは,水を得た魚のようなマリオンに付いて歩くうち,彼女の知り合いの男がみんな元カレに見えてくる。ナーバスで嫉妬に駆られ,何だか情けなくて愛くるしい。見たくもない写真を見てしまうなど,ストレスが溜まる一方だ。また,フランス語を話せない彼がバーガーを注文するシーンも,リアルで面白い。フランス人は,相手が理解できるかどうかに頓着せず,フランス語で一方的にしゃべりまくることが,確かにある。
 そして,何だかヘンだけど,愛すべきマリオンの家族。彼らの存在が映画に立体感を与える。姉から頭に来るやつだけど大好きだと言われる妹。ズケズケとものを言う陽気な父親。彼はジム・モリソンを快く思っていないが,その理由は1969年の母親にあった。彼女は,1971年に中絶の自由化を唱えた「343人の宣言」の女性の一人だという経歴の持ち主。ジャックは,マリオンの両親のアッケラカンとした性の話にも翻弄されることになる。
 また,2人が乗るタクシーの運転手も色々で,コーヒー・ブレイクの感覚で楽しめる。2人の妻を殴ったという男に,マリオンに馴れ馴れしく話しかけてジャックを不安にさせる男がいるかと思えば,マリオンと口論になるフランス万々歳の国粋主義者など,パリの良さも悪さもあるがままに描いているようだ。映像的にも変化を持たせている。チョークで黒板に書くようにレトロな感覚で図解したり,ベネチアでの写真を速射砲のように並べたり,パリの街並みを動画と静止画の中間的なコマ落としで見せたり,コミカルな味が出ている。
 さらに,パリの風物も楽しめる。ジム・モリソンらが眠っているペール・ラシェーズ墓地。2人がケンカするサン・マルタン運河には,一度は乗ってみたい遊覧船がある。そして,ジャックがマリオンに「ラストタンゴ・イン・パリ」のマーロン・ブランドのマネをさせるビル・アケム橋。その近くの白鳥の小径にある自由の女神像とその背景となるエッフェル塔を同じフレームに収めるショットも,個人的には前々から気に入っている構図だ。
 そんなふうに観光気分になっているうち,ジャックがウディ・アレンに見えてくる。しかも,ヒゲが何とも愛らしくてジャックの方がキュートだ。彼は,旅行中,ベッドの上でもマリオンとギクシャクしてしまい,とうとう本気で口論になる。その2人の様子に,目は釘付けになり,耳はピンと張り詰める。さて,2人はどのように2日間のパリ滞在の結末を迎えるのだろうか。ラストのダンスシーン,そして,エンドロールでのジュリー・デルピーの歌声が印象に残る。映画は必見,サントラは必聴の,愛すべきラブストーリーだ。
(河田 充規)ページトップへ
 最高の人生の見つけ方
『最高の人生の見つけ方』
〜最高の人生となるようなヒントがいっぱい!〜


(2007年 アメリカ 1時間37分)
監督:ロブ・ライナー
出演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ、ロブ・モロー、ビバリー・トッド
5月10日(土)〜梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、他にて全国ロードショー

公式ホームページ→
 余命幾ばくもないと告げられて、あなたならどうする?―― そんなシチュエーションの映画は今までにいくつもあった。古くは黒澤明監督の『生きる』、近年ではサラ・ポーリー主演の『死ぬまでにしたい10のこと』、役所広司主演の『像の背中』、豊原功補主演の『受験のシンデレラ』など枚挙に暇がない。ご多分に洩れず本作の2人の主人公も死ぬまでにしたいことを片っ端から実現させていく訳だが、そのスケールが違う!そして、対照的な境遇の2人の関係と、彼等が人生最後に見つけたものに、「本当の幸せとは?」と、自問自答せずにはおれなくなる。
 何よりも仕事を優先してきた大富豪のエドワードと、夢を諦めて家族のために車修理工として働いてきたカーターは、共に60歳半ばにして病気で倒れ、入院先で同室となる。大富豪のエドワードが個室ではなく相部屋なのは、その病院はエドワードが運営する病院のひとつなのだが、経営者として効率を上げるために、個室を廃止し全室例外なく相部屋という規則を作ったため仕方なくである。家族の見舞いが絶えないカーターに対し、トマスという秘書が報告に来るだけのエドワード。それまで境遇も生き方も違った2人に共通するものは、自分の病状を自覚し、遺された時間をどう過ごすかを決めることだった。棺桶に入るまでにやりたい“棺桶リスト”なるものを作って、残りの人生を最大限に輝かせようと、2人は世界各地へと羽ばたいていく。
 「何か雄大なものをこの目で見る」「善い行いのために見知らぬ人を助ける」「泣くまで笑う」「ムスタングを運転する」「ピラミッドを見る」などと書き出すカーターに対し、「スカイダイビングをする」「世界一の美女とキスする」「刺青をいれる」「ライオン狩りをする」「最高級のレストランでのディナー」などとアクティブなことを書くエドワード。大富豪のエドワードの自家用ジェット機で世界中を飛び回り、喜々として夢を叶えていく2人。それを見ているだけで、実際にそんなことなど出来ない庶民にとっては夢のような気分になれて楽しい。
 また、それまで対照的な生き方をしてきた2人は、お互いの夢を共有することによって友情を深めていく。自分一人では思いもつかなかったことを誰かが教えてくれることによって、新しい世界が広がり、喜びも倍増するというもの。家族にも友人にも恵まれなかったエドワードが、孤独な人生の最後に見つけたものとは?また、今まで選択権を持たず、いわば家族に縛られてきたようなカーターが、最後に見つけた喜びとは?
 「私の“棺桶リスト”に“ジャック・ニコルソンと共演すること”と書くだろう」、というモーガン・フリーマンの、謙虚で精神性を大切にするカーターの役は、穏やかで人間味に溢れている。一方、バイタリティに富んだエドワードを演じたジャック・ニコルソンは、わがままだけど憎めない子供のような大人がよく似合っていて微笑ましい。
(河田 真喜子)ページトップへ
 ミスト
『ミスト』(THE MIST)
〜本当に恐ろしいものとは?〜

(2007年 アメリカ 2時間5分)
監督・脚本:フランク・ダラボン  原作:スティーブン・キング
出演:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローリー・ホールデン

5/10(土)〜敷島シネポップ、TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、三宮シネフェニックス
 『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』に続く同じ原作者と監督による3本目の作品。激しい嵐の後突如正体不明の濃い霧に覆われ、何ものかに襲われる人々が続出する。スーパーの中に閉じ込められたデビッドと息子は、思わぬ敵と戦うことになる。
 得体の知れない怪物に襲われる恐怖。だが、この映画で描かれる本当の恐怖とはそんなありふれたものではない。やたら不安を煽るカルト信奉者の言葉に不安を募らせる人々。次第に恐怖や不安が人間の理性を狂わせ、怪物より怖い存在に思えてくるから不思議だ。常に理性的に判断し行動してきたデビッドが下した決断とは? 原作にはない衝撃のラストは、忘れがたい恐怖となって私たちを襲う!
(河田 真喜子)ページトップへ
 丘を越えて
『丘を越えて』
〜大正時代と戦中・戦後の昭和、
          その狭間で短くも煌いた時代があった〜

監督:高橋伴明
出演:西田敏行 池脇千鶴 西島秀俊
5/17(土)〜梅田ブルク7/109シネマズHAT神戸、5/31(土)〜京都シネマ
6月中旬〜水口アレックスシネマ

公式ホームページ→

 “きくちかん”にはピンとこなくても“芥川賞”に“直木賞”は誰もが知っているだろう。それをつくった人物が菊池寛だ。ドラマ「真珠夫人」のヒットも記憶に新しい。いわゆるメロドラマの名手で文藝春秋・オール読物などの小説誌を創刊し、現在の文壇の礎を造った。これを西田敏行が演じてみごとにはまった!人相風体がそっくりな上、涙もろく情に厚い様子を見るにつけ、どっちがどっちかわからなくなるほどだ。
 昭和初期――海を渡って舶来雑貨が入り始め、モボやモガ(モダンボーイ、モダンガール)なる言葉に代表される洋装・洋髪が街でもちらほら見られるようになり、まだ日本が貧しいながらも穏やかだった時代。下町育ちの葉子(池脇千鶴)は知人のコネで文芸春秋社に面接を取り付け、社長の菊池(西田敏行)と出会う。そこへ朝鮮貴族のマ・カイショウ(西島秀俊)も絡み、ひととき交錯した三人の男女の人生に時代の流れや世相が映し出される。
 数人の女性の世話をしていたとされる菊池だが、葉子を口説く場面が印象的だ。鏡に向かう池脇の後姿に西田が語りかけるこのシーン、実際には西田が手前、その向こうに池脇という構図だが、画面上では西田を鏡の中に捉え画面左手に持ってきている。背中越しに語りかける場面では画面上は向かい合わせに、池脇が振り向いて西田をみつめれば画は背中合わせになる。男女関係の危うさ、ズレをスタイリッシュに見せた。
 夏目漱石との文学的志向のちがい、直木賞の直木三十五との対談風景、雑誌の創刊や休刊など、近代から現代への布石となる歴史が折々に見られ興味深い。文学好きな人なら間違いなく楽しめる世界。セリフに節はないけれど、昭和の空気を歌謡や江戸の言葉あそびに載せたレビューとしても存分に楽しめる。“その手は桑名の焼き蛤”や“恐れ入谷の鬼子母神”は今に残る名調子だ。
そして、下世話になりそうな内容をリアリティを持たせながらも品位を保ち、美化しすぎることなく描き上げたのは監督・脚本・キャストによる手腕の賜物だろう。満州事変勃発の前の、一瞬の煌きを余すところなく描いた珠玉の一編。
(山口 順子)ページトップへ
 山のあなた〜徳市の恋〜
『山のあなた 徳市の恋』
〜心地よくてちょっと切ない和の恋心〜 


 (2008年・日本 1時間34分)
監督 石井克人
出演 草なぎ剛 加瀬亮 マイコ 平田亮平 三浦友和 堤真一 津田寛治
5月24日(土)〜東宝系公開

公式ホームページ→
 『鮫肌男と桃尻女』『PARTY7』などアート系作品を得意としてきた石井克人監督が、その作風をガラッと変えて、清水宏監督の『按摩と女』(38)のカヴァーに挑戦。温泉地を舞台に、目の見えない按摩の徳市の恋と、彼を取り巻く周囲の人間模様をユーモラスに描く。

  温泉に浸かって、マッサージでまどろみ、ほんのり恋をする…といった他に特別なことは何も起こらないシンプルなストーリーだが、そこから浮かび上がる何気ない日常のほのぼのとした可笑しみや、古き良き時代のゆとりある喜びが、美しい風景と相まって鮮明に印象に残る。徳市に扮するのは草なぎ剛。瞼や首の微妙な動きを作り込み、“心の目”を磨いて役を自分の物にした働きかけはさすが。
(中西 奈津子)ページトップへ
 アフタースクール
『アフタースクール』
〜この感覚、クセになる!心温まる謎解きエンターテインメント〜

監督・脚本:内田けんじ  (2007年 日本 1時間42分)
出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、田畑智子、常盤貴子
5月24日(土)〜梅田ガーデンシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、シネ・リーブル神戸 他

公式ホームページ→
 『運命じゃない人』の内田けんじ監督、待望の新作は、とびきり爽快な“逆転ムービー”。
 
  お人好しの教師・神野(大泉洋)は、中学の同級生で親友のサラリーマン・木村(堺雅人)の行方を追う、おなじく同級生だと名乗る探偵・島崎(佐々木蔵之介)の“木村探し”を手伝うハメに。だがやがて、神野も知らない木村の姿が明らかになり…。
 キャスト陣の、観る者を翻弄する絶妙の“うさん臭さ”と監督の優れた“人間洞察力”が、入り組んだ物語の鮮度を最後まで保っている。だからこそ、不意を突かれたときの嬉しさもひとしおだ。

 温かく幸せな余韻を残してくれる結末に、誰もが荒みきった世の中で“愛の勝利”がもたらす奇跡を感じることだろう。          
(篠原 あゆみ)ページトップへ
 散歩する惑星
『散歩する惑星』
〜映画界の異才,スウェーデンから異彩を放つ〜

(2000年 スウェーデン,フランス 1時間38分)
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:ラース・ノルド、シュテファン・ラーソン、ルチオ・ヴチーナ、ハッセ・ソーデルホルム、トルビョーン・ファルトロム

日本公開日2003年7月19日   DVD 4,935円
 同じ監督の第1作「スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー」では,10代半ばの少年と少女の恋愛を描く中で,これとは対照的な大人たちの孤独,不安等を示す苦いエピソードを挿入していた。本作には,この大人たちの世界をデフォルメしたようなイメージがある。第1作が製作されたのは1969年で,本作が生まれたのは2000年だが,時間の隔たりはここにはない。人間の住む社会がどのように変わろうとも,その基本的な生活や生き様には変化はない。だからこそ,2008年の今,1969年や2000年の作品を観ても,全く違和感がない。今を生きる人たちがモデルとなっていると言われても,それを否定することはできない。
 30年勤めたのに突然リストラされる男,人を探していただけなのにワケもなく暴行を受ける男…いきなり理不尽な光景が映し出される。この社会では,株価は下がり,景気の回復の兆しはない。街中では,奇天烈なデモが行われ,同じ方向を目指して街を脱出しようとする車でひどい渋滞が続いている。空港では,カートに山積みされた荷物を持った人々が搭乗ゲートを目指しているが,なかなか前に進まず到達できない。ストーリー性は希薄で,映画において文字化できるストーリーを語ることの無意味さについて考えさせられる。
 地球とよく似た惑星の中の殺伐とした社会が,無機的な感触を伴う映像で,被写体から一定の間隔を保ちながら,客観的に描かれていく。観客は,特定の人物への感情移入が一切拒否されるため,地球とそっくりなある惑星の生き物たちの生の営みを観察する立場に置かれる。そして,いつの間にか,我が地球上の出来事と重ね合わせて観ている自分に気付かされる。昔は詩を書いていたのに,今は全く書けなくなった男の存在が印象的だ。社会から詩という精神的な余裕や潤いが失われたことが示されているようで,悲しさが募る。そんな中で,静かで穏やかな暮らしをしたいという夢は,果たして実現するのだろうか。
(河田 充規)ページトップへ
 愛おしき隣人

『愛おしき隣人』
〜異能の監督による愛おしくも奇抜なコメディ〜

(2007年 スウェーデン,フランス,デンマーク,ドイツ,ノルウェー,日本 1時間34分)
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:ジェシカ・ランバーグ、エリザベート・ヘランダー、ビヨルン・イングランド、レイフ・ラーソン、オリー・オルソン
5月10日〜梅田ガーデンシネマ、6月〜京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンター にて公開
公式ホームページ→

 観る人それぞれが色々な思いを抱くに違いない。なぜなら,ここには種々雑多な人生が詰まっているから。誰も私を理解してくれないと訴える女。彼女がいつしか歌い始めるが,ミュージカル仕立てというわけではない。人々の共通の願いとして,悲しみや欲望がなく争いもない世界,病や苦しみのない世界が希求されるが,重い人間ドラマでもない。この表現のユニークさには舌を巻くしかない。ステキな短編のコラージュのようだ。「また明日がある」と繰り返されるセリフが心地よい。
 ベッドの上ですれ違う会話を続ける夫婦,犬も食わない夫婦喧嘩,ミュージシャンとの結婚を夢見る女の子…特に,彼女が夢想する結婚のシーンのシュールな映像には目を見はらされるし,暗いムードの中で溜飲が下がるような痛快さが得られる。いくつかのエピソードがストーリー的に一つに収れんしていくわけではない。もっとも,一見バラバラなエピソードの羅列のようでいて,何か通底するものが確かに存在する。それは,この世界にうごめいている人間たちの愚かしさや悲しみであり,そんな人間たちに対する慈しみだろう。だから,惹き付けられずにはいられない。
 コミカルな展開ではあるが,強烈にブラックな刺激が含まれている。冒頭で爆撃機の夢を見たという男が登場する。そして,人々に真実を隠す政府,無実の者を投獄する法廷,情報操作をするマスコミなど,人間の悪しき行いについて神に赦しを請う女。ラストでは,スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」を思い起こさせる衝撃があるが,まだ最悪の悲劇は回避できるという救いも示される。黒木和雄監督の「TOMOROW 明日」のラストでは原爆が投下され,人々の日常が一瞬のうちに消え去る様に慄然とさせられた。だが,幸いなことに,本作では爆弾が投下されるシーンは映し出されていない。
 また,200年以上も前の曽祖母の母の時代から受け継いできたという食器を壊してしまった男。彼は,重大な過失による器物の損壊ということで裁判を受ける。この一連のシーンのシュールなナンセンスさが秀逸だ。ビアホールで酒の肴にするような感覚で,男に対する刑が競りで決められ,死刑を宣告される。男は,「これが人生さ」と達観したような台詞を口にするが,いよいよ執行という場面では実に往生際が悪い。伝統を軽んじてはならないとはいえ,必要以上に伝統に縛られることの愚劣さが強烈なパンチで示される。
(河田 充規)ページトップへ
 A Swedish Love Story  スウェディッシュ・ラブストーリー
『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』
〜仏頂面したコメディ,おませな恋のメロディ〜

(1969年 スウェーデン 1時間54分)
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:アン・ソフィ・シリーン、ロルフ・ソールマン、バーティル・ノルストレム、
マグレート・ベバース、レナート・テルフェルト
5月10日〜梅田ガーデンシネマ、6月〜京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンター にて公開
公式ホームページ→
 15歳になった少年ペールともうすぐ14歳になる少女アニカの恋のメロディ。アラン・パーカーの脚本とビー・ジーズの音楽に身震いさせられた,あの愛おしきイギリス映画「小さな恋のメロディ」(1971年)を思い起こさずにはいられない。日本では,この映画と同じ時期に,本作が「純愛日記」という題名で,なぜか約20分カットされて公開されたという。両作品には,初恋の微笑ましさがリリカルな映像で綴られている点で共通するものがある。
 後に「散歩する惑星」(2000年)や「愛おしき隣人」(2007年)を撮った監督とは思えないほど,瑞々しい印象を受ける。もっとも,恋する2人を取り巻く大人たちは,孤独,不安,絶望,後悔などに囲まれ,苦しみ,苛立っている。その描写には,上記2作品に通じるものがある。が,本作では,その大人たちの世界の中でペールとアニカの2人の幸せが映えている。思春期の輝きを強調するために大人たちが存在しているような印象を受ける。
 タバコを吸い,シェリー酒を飲む2人だが,互いに見初めてようやくの思いで友人を介して言葉を交わし,苦渋のときを乗り越えて,睦まじい時間を過ごし,2人は大人の世界の入り口に到達する。キャスティングが素晴らしく,2人の表情や仕草を見ているだけで心が洗われるようだ。互いに意識し合いながらも,なかなか話しかけられないぺールとアニカ。その2人の姿に優しい眼差しが注がれる。

 ペールがアニカの前で惨めな姿をさらしてしまったことから,2人の関係がギクシャクするが,やがて元の関係を取り戻していく。この過程を描いたシーンが巧い。短いカットやアングルの工夫で2人の不安が的確に描写され,観客の不安も高められる。が,原付で走り去ったペールが戻ってきて原付を放り出し,アニカと向き合い,右手を肩に置き,左手を項(うなじ)に回す。その様子をうれし泣きの表情で遠くから見詰めるアニカの友人のカットがそこに挿入される。絆を深めた2人が美しい。
(河田 充規)ページトップへ
 ランジェ公爵夫人
『ランジェ公爵夫人』
〜ウソとホントが入り混じる恋愛の果てには…〜

(2006年 フランス 1時間46分)
監督・脚本:ジャック・リヴェット
出演:ジャンヌ・バリバール、ギヨーム・ドパルデュー、ビュル・オジエ、ミシェル・ピコリ
5 月17日〜九条・シネ・ヌーヴォ にて公開
公式ホームページ→
 ジャック・リヴェット(1928年生)の最新作。19世紀初めのパリ社交界を舞台に1組の男女の展開する恋愛模様が典雅な調べに乗せてじっくりと描き上げられる。運命的な出会いと別れが豊穣な映像で川の流れのように緩急自在に綴られていく。ゆったりとしたカメラワークがたおやかで,ろうそくの光が懐の深さを感じさせる。女が男に仕掛けた恋愛ゲームの顛末は,男女の心裡を照らし出し,古今東西を問わない普遍的な真理を浮かばせる。
 男は,ナポレオンの部下で時代の寵児だが,社交界の空気にそぐわず,女を組み伏せようと直球勝負で挑み掛かっていく。女は,社交界の頂点に立ち,男よりも圧倒的な優位を保ちながら,悠然とした態度で男をするりとかわしていく。マタドールの華麗な動きに魅せられる思いがするが,彼女の叔父の「手なずけようと思っても,ワシのような男で巣に取り込まれる」という言葉が頭の片隅に残る。
 物語の前半で主導権を握っていた女は,後半は男に翻弄されることになる。その転換点となるシークエンスがまさしく本作のハイライトだ。そのとき,女の口から奔流のように台詞があふれ出す。女は恋心に抗って恥じらいに従った。つれなさは愛の印。女は心を捧げたのに,男は野蛮にも体まで求めた。男は娼婦を訪ねるように女の屋敷を訪ねた。女への敬意を欠いていた。彼女は果たして本心を吐露したのか,窮地を逃れるための策略か。
 女が男に「早く焼印を押して」「自分の家畜に押すように」と言ったとき,その表情には確かに恍惚感が浮かんでいた。ところが,「愛してるわ」「私は永遠にあなたのもの」と言われても,男の心はもはや女の言葉を受け付けない。もう騙されないという思いに支配され,女に絡め取られて身動きできなくなることへの本能的なおそれに包まれている。
 映画の始まりと終わりは,女がパリから姿を消した5年後のマヨルカ島が舞台だ。修道女となっていた女の叫びと安らぎが描かれる。叔父が言うように「人生とは損得と感情の間で折り合いをつけるもの」と分かってはいても,心の奥から湧き上がる感情は止められない。プロローグでは,男を目の前にしたとき,封印したはずの恋情が一気に吹き出す。そのとき,カメラは素早くシャッターを切るように暗転して5年前に遡る。その転換が実に鮮やかで,観る者を引き込んでしまう迫力がある。そして迎えるエピローグでは,2人は果たして愛の呪縛から解放されたのだろうか。
(河田 充規)ページトップへ
 僕の彼女はサイボーグ
『僕の彼女はサイボーグ』
〜エンドレスなミラクルワールドの温もり〜

(2008年 日本 2時間00分)
監督・脚本:クァク・ジェヨン
出演:綾瀬はるか、小出恵介、竹中直人、吉行和子
5月31日〜梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー
公式ホームページ→
 恋愛を軸とするドラマが大きなスケールで繰り広げられる。全体の構成は,メビウスの輪のように,一捻りして閉じられた世界というイメージだ。メビウスの輪では,表に線を描き始めると,途中から裏を通って再び表の始点に行き着き,一本の線となる。これと同じように,エンディングで2007年11月22日と遠い未来のはずの2133年が繋がったときのカタルシスは大きく,幸福感に包まれる。その終点のない世界の中で生き続けるジローと“彼女”の姿を通して,互いの心を感じられることの素晴らしさと命の大切さが浮かび上がり,いま生きている歓びを実感させられる。
 ジローは2007年の誕生日に初めて彼女と出会ったはずだが,彼女はジローを知っているらしい。彼女は突然現れて彼の心に強烈な印象を刻みつけていった。その彼女との別れのシーンが意味深長だ。ここまでのアヴァンタイトルが1年後のジローの回想シーンで,長編のプロローグ(メビウスの輪の始点)としてラストへの重要な伏線となっていると同時に,一本の短編としても良くできている。また,回想するジローの姿は,背景から浮かび上がってくるような感覚で表現されており,1年前のフシギ体験が強調されて効果的だ。
 ジローが2008年に再会した彼女は,1年前とは別人のようで,すごい力持ちだが,人間の感情をなかなか理解できないという大きな弱点があった。彼女に扮した綾瀬はるかのサイボーグ振りがなかなかのもので,キュートで無垢な無表情が胸に迫ってくる。ジローと同じ立場に置かれたら誰でも,彼女と心が通じないことに苛立ち,酔った勢いで彼女に悪態をついてしまうに違いない。そんな彼女に連れられてジローが子供時代の情景を旅するシーンには,大きな感銘を受ける。母の背中の温かさは,単なる郷愁や家族の情愛を超えた普遍的な人間の温もりに通じるものがある。
 また,ジローは,彼女から自分が将来には年老いて死んでいくと言われ,可哀想なボクを想って悲しむ。そのオーバーなリアクションは,笑いを誘うが,同時に人間は死に向かって生きているという不条理を容赦なく突き付けてくる。彼女が過去のジローを守るために未来の彼が送ってきたサイボーグだという設定が絶妙だ。更に,彼女が子供たちの命を救うという3つのエピソードが挿入されて,恋愛ドラマを超えた拡がりを見せる。人間が忘れてはならない心の灯りが伝わってきて,限りある生命の輝きを示された思いがする。
(河田 充規)ページトップへ
 相棒−劇場版 絶体絶命!東京ビッグシティマラソン42.195km
『相棒−劇場版−
    絶体絶命!東京ビッグシティマラソン42.195km』

〜社会派エンターテインメントを彩る
               光と陰のコンビネーション〜


監督:和泉聖治(2008年 日本 1時間57分)
出演:水谷豊、寺脇康文、鈴木砂羽、高樹沙耶、岸部一徳 
5/1〜梅田ブルク7、他全国東映系にてロードショー

公式ホームページ→
舞台挨拶レポート
 ワンクール(=3ヶ月)がお決まりのドラマ業界で、秋−冬半年枠の放送が6期続いた「相棒」が、このほど満を持して映画化された。メインキャストは水谷豊と寺脇康文。犯罪者の心の闇にスポットを当てながら、決して踏み越えてはならない一線を毅然と示す右京(水谷)と熱血漢の亀山(寺脇)。陰と陽にも見える二人が互いをみごとに補完し合い、窓際部署の“特命係”が、いつしかなくてはならない存在になった。
 水谷を一躍有名にしたのは萩原健一と共演したドラマ「傷だらけの天使」(’74〜’75)。チンピラ風の探偵役で当時の若者の圧倒的な支持を得たのだが、寺脇もまさにその世代。劇団時代には水谷のモノマネを十八番にするほど憧れていた寺脇は、ドラマの中でも彼に心酔する役どころ。そんな名実ともに“相棒”の二人が今度は何を見せてくれるのだろう。
 事件の発端はインターネットの裏サイト。そこで予告殺人が行われているというのだ。事件を追ううち、舞台は都民3万人が参加するマラソン大会へと移ってゆく。この辺りからドラマは別の顔を見せ始める。テレビ放送でも裁判員制度を扱うなど力のこもった脚本が魅力だが、今回も時事問題を取り込みつつ、それを話題性だけで終わらせない丹念な脚本が光る。何よりそこには良心がある。また、事件を読み解く鍵となる仕掛けが凝っており、右京のキャラクターともあいまってイギリスの探偵小説のような味わいがある。
 日本でテレビ放送が始まったばかりの頃、悪役を演じた俳優が道で石を投げられたとは笑い話だが、今や事態はもっと深刻である。さすがにドラマは芝居だともうわかっているが、情報が氾濫するなかでは真偽の区別がつきにくくなっているからだ。ニュースであっても例外ではない。伝え方によって受ける印象はがらりと変わってしまう。とすれば情報そのものを一度は疑ってみなければならないのかもしれない。
 そんなとき頼れるものは私たち一人ひとりが真実を見極めようとする目だ。一面的な見方で容易に結論付けてしまうものを観ると不安になるが、こういう作品が長く愛されているなら大丈夫、と思わせてくれる。ともあれ、主演の二人は至って自然体だ。「観てくれた方がそれぞれ楽しみ方をみつけてくれればいい」最大限の努力をしながらも、決して押し付けず最後は観客に委ねる、案外こんなところが一番の魅力なのかもしれない。
(山口 順子)ページトップへ
 ラフマニノフ ある愛の調べ
『ラフマニノフ ある愛の調べ』
〜ラフマニノフを巡る3人の女性たちの愛〜
(2007年 ロシア 1時間36分)
監督:パーヴェル・ルンギン
出演:エフゲニー・ツィガノフ、ヴィクトリア・トルストガノヴァ、ヴィクトリア・イサコヴァ、ミリアム・セホン、アレクセイ・コルトネフ
5/17(土)〜梅田ブルク7、MOVIX京都、シネカノン神戸 にて公開
公式ホームページ→
 セルゲイ・ラフマニノフは,1873年にロシアで生まれた偉大な作曲家でピアニストだ。本作は,重苦しい伝記映画ではないのが嬉しいが,音楽映画というには演奏シーンが短すぎて物足りない。とはいえ,サブタイトルに「ある愛の調べ」とあるとおり,なかなか味のあるポエティックで愛すべき小品だ。彼の幼馴染みの従妹で妻となったナターシャを軸として,ロシアでのアンナとマリアンナという2人の女性との出会いと別れが描かれる。
 1900年前後のロシアと1920年代のアメリカを舞台として,作曲できなくなり苦悩するラフマニノフの姿が捉えられる。アンナに捧げた交響曲の初演が失敗に終わった後に彼が彷徨するシーンでは,往年の名画を思い起こさせる光と影のコントラストが不安や恐れを鮮やかに描き出す。これに対し,アメリカでナターシャと口論になった後に彷徨するシーンは,白が基調となりトンネルからの出口を予感させ,微笑ましいラストへと繋がっていく。
 また,公演のためにアメリカ国内を移動する様子を表現するのに,列車などの記録映像を巧みにオーバーラップさせる。過密な演奏スケジュールや曲が湧いてこない焦りが浮かんでくるようだ。その中で,彼の祖国ロシアに対する郷愁や魂の平穏を象徴するものとして,ライラックが効果的に使われている。彼が幼少時に親しんだ池や小径には,水面の輝きと咲き誇るライラックがあった。冒頭と劇中で挿入されるその映像が安らぎを与えてくれる。

  セルゲイが革命後のソ連を脱出せざるを得なかった理由や確執は,十分に描かれているとはいえない。だが,ソ連でのシーンは印象に残る。彼が再会したマリアンナから通行証を受け取るシーンでは,彼女の愛憎半ばする複雑な想いが浮かび上がる。そして,セルゲイと妻子がソ連から出国するシーンでは,ナターシャが憲兵に止められたセルゲイを助けようとマリアンヌに必死に訴えるのだが,2人のセルゲイへの愛情が迸っており,圧巻だ。
(河田 充規)ページトップへ
 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
〜富を求め、欲望に狂わされた男を熱演〜

(2007年 アメリカ 2時間38分)
監督・脚本 : ポール・トーマス・アンダーソン
原作 : アプトン・シンクレア
出演 : ダニエル・デイ=ルイス 、ポール・ダノ 、ディロン・フレイジャー 、キアラン・ハインズ、ケヴィン・J・オコナー 、
5月3日(土) 〜
TOHOシネマズ梅田、敷島シネポップ、シネ・リーブル神戸、京都シネマ
公式ホームページ→

 20世紀初頭、開拓時代のアメリカ西部。プレインヴューは一獲千金を夢見る鉱山発掘者。採掘道具以外何も持たなかった彼は、偶然掘り当てた金を元手に、荒野の続く、寂れた町の土地を安く買占め、見事に油田を掘り当てる。

  莫大な財産と権力を手中におさめるものの、失うことへの恐怖が、彼をますます強欲にする。富を築き上げるためなら平気で嘘を重ね、傲慢になっていく。しかし、将来の事業の片腕として頼りにしていた息子を不慮の事故が襲う。彼は運命を呪い、神を恨み、何物をも信じなくなる。
 彼と対立する、地元のカリスマ牧師イーライもまた聖職者でありながら、狂信的で、権力欲に支配された者として描かれ、愚かで無力な人間達の姿が赤裸々になる。

  荒涼とした砂漠に立つ油井やぐらの姿は絵画のように美しく、不穏な空気を伝える。地中から、黒い石油が勢いよく噴出する光景は迫力に満ち、石油というものの得体の知れなさ、怖さを感じさせる。弦楽器を用いた音楽が観る者の不安を一層かきたてる。
 主人公の内面を深く理解したダニエル・デイ=ルイスが熱演。優しさと冷たさ、知性と狂気の両面が伝わり、一人の男の破滅的な人生が、叙事詩のような深みをもって描き出される。故郷に残してきた弟の日記を読みながら家族の記憶をたどる時の表情や、事故から必死で息子を救おうとする姿からは、彼なりに家族を深く愛していたこと、成功を手にするまでの辛く長い労苦と孤独が伝わり、共感できる。それだけに、富に執着する冷酷な姿は強烈で、驚きを隠しえない。
 ここまで変貌してしまう人間の運命の恐ろしさに圧倒される。彼が必死になって築き上げようとしたものは何だったのだろう。彼を狂わせたのは、石油であり、“欲望”という名の黒い血だったのだろうか。

  冒頭20分の、セリフもなく無声映画のように淡々と映像で語っていく場面もぜひじっくりと味わってほしい。 
(伊藤 久美子)ページトップへ
 ハンティング・パーティ

『ハンティング・パーティ』
〜スピーディで奥行きのある上質なサスペンス〜

(2007年 アメリカ 1時間43分)
監督・脚本:リチャード・シェパード
出演:リチャード・ギア、テレンス・ハワード、ジェシー・アイゼンバーグ、ダイアン・クルーガー
5月10日(土)〜テアトル梅田、敷島シネポップ、京都シネマ、OSシネマズミント神戸、109シネマズHAT神戸公開
公式ホームページ→  

 旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に関する実話に基づいたフィクションであり,喜劇的な味わいのある面白いサスペンス映画に仕上がっている。冒頭で「この物語は”まさか”と思う部分が真実である」というクレジットが示される。人を食ったような感じを受けるが,振り返ってみると,核心を突いていると思わせる鋭い響きがある。

  主人公のサイモン(リチャード・ギア)は,テレビ局の人気レポーターだったが,紛争の渦中にあったボスニアからの生放送中にキレてしまい,やがて世間から忘れられてどん底の人生を送っていた,というのがオープニングだ。その後,彼がキレた理由が明らかにされ,苛烈な状況に置かれたサイモンの悲痛な心情を追体験させられる。そして,通称フォックスルという人物に対する思いをサイモンと共有し,ラスト近くの”現代の神話”に突入した後の展開に溜飲を下げることになる。
 ボスニア紛争ではスレブレニツァの虐殺が行われた。セルビア人勢力が”民族浄化”のスローガンの下に多数のムスリム人に暴虐の限りを尽くしたという。その指導者の一人カラジッチは,戦争犯罪人として懸賞金が懸けられているが,未だに捕まっていないそうだ。最近公開のドキュメンタリー映画「カルラのリスト」で旧ユーゴスラビア国際刑事法廷の検察官カルラが追っていた人物だ。この人物が通称フォックスという男のモデルである。
 紛争終結の5年後,サイモンは,元相棒でカメラマンのダック(テレンス・ハワード)と新米のベン(ジェシー・アイゼンバーグ)と共に,フォックスの独占取材をすると言い,その所在に迫っていく。その本音は懸賞金500万ドルを手に入れることにあるのか,それとも別の意図が隠されているのかという疑問が湧いてくる。また,「死と紙一重の世界で生きるスリルは一度体験したらやめられない」という,反語的なセリフも利いている。

  途中,3人の乗った車が後ろから銃撃されて緊張感が走るが,その原因がサイモンの食い逃げだと分かったときの可笑しさ。3人がCIAと間違われ,逆にその誤解を利用する展開となり,ベンが意外な活躍をする痛快さ。ラストでは,ダイアン・クルーガーの扮した女性が実際は男だったなど,映画と実話の違いを明かす。終始,軽快なテンポが保たれているが,「テレビの映像と実際に起こったことは同じではない」というセリフが過酷で耐え難い現実と報道の限界を示して痛烈に響く。
(河田 充規)ページトップへ
 光州5・18
『光州5・18』
〜エンディングの花嫁の表情に見る深い悲しみ〜

(2007年 韓国 2時間01分)
監督:キム・ジフン
出演:キム・サンギョン、イ・ヨウォン、イ・ジュンギ、アン・ソンギ、ソン・ジェホ

5月10日〜梅田ガーデンシネマ、シネマート心斎橋、京都シネマ、三宮シネフェニックス 他全国ロードショー
公式ホームページ→
   
韓国では,1980年5月18日から10日間にわたり光州事件が発生し,多数の死傷を出した。本作は,この事件をドラマ化したもので,全羅南道の光州市で戒厳軍が民主化を要求する学生と衝突したことに端を発し,市民軍が韓国軍によって鎮圧されるまで,実際にあった出来事の流れに即して,突然市内を銃弾が飛び交うという状況に置かれてしまった人々の悲しみや悔しさを真正面から描き上げている。
主人公のミヌは,心優しいタクシー運転手で,高校生の弟ジヌと2人で暮らしており,政治には関心がなかったにもかかわらず,事件に巻き込まれていく。ラストで韓国軍に対して「俺たちは暴徒じゃない,バカヤロー」と叫ぶシーンは,悲痛だ。また,ミヌが想いを寄せる看護師シネは,ミヌに襲い掛かった軍人を射殺してしまい,「ごめんなさい」を繰り返して涙を流す。彼女の,血に染まった両手の平を見て悄然とする姿と「すべて夢だったらいいのに」という言葉が,象徴的だ。
3人のほか,シネの父親で市民軍のリーダーになるのがアン・ソンギで,その健在ぶりは「鯨とり」以来のファンには感涙ものだろう。また,イ・ジュンギが「僕らのバレエ教室」と一味違うフレッシュさを出している。また,ミヌの同僚運転手インボンと彼のタクシーに乗り合わせたことのあるヨンデの2人が,程良いノリで本作が重苦しくなることから救うと共に,銃を持たざるを得なくなった平均的な庶民の思いを代表して,胸を打つ。
神父が事件を分かりやすく説明してくれるのがよい。「寝てる犬を蹴ると吠えるに決まっている,その犬を棒で叩いて黙らせる,そして,騒ぎを鎮めてやったのだから自分たちに従えと言う」と。また,シネの父親の「怖いのは銃ではなく人間だ」という鋭い指摘が,正に実感として迫ってくる。そして,本作を観た後で「グエムル 漢江の怪物」をもう一度観てみると,きっと面白いだろう。以前は気付かなかったことが見えてくるに違いない。
(河田 充規)ページトップへ
 ジェイン・オースティンの読書会
『ジェイン・オースティンの読書会』
(THE JANE AUSTEN BOOK CLUB)
〜大人のための課外授業〜

監督:ロビン・スウィコード(2007年 アメリカ 1時間45分)
出演:キャシー・ベイカー マリア・ベロ エミリー・ブラント エイミー・ブレネマン
5/10〜シネ・リーブル梅田、5月末〜京都シネマ、
5/31〜シネ・リーブル神戸 にて公開
公式ホームページ→
 
 海外ドラマによく登場する“読書会”。日本にはあまりない習慣だが、課題図書付きのホームパーティと言った方が近いかもしれない。オースティンは18世紀から19世紀にかけての英文学で最も読まれている女流作家のひとり。作品自体くり返し映画・ドラマ化されているが、アイコン的に使われることも多い。たとえば『ユー・ガット・メール』のメグ・ライアン演じるヒロインの愛読書は「高慢と偏見」(本作では「自負と偏見」)だし、『ブリジッド・ジョーンズの日記』には、やはりドラマ「高慢と偏見」(BBC製作)に出演していたコリン・ファースが同名のよく似たキャラクターで登場している。そして今度は、オースティンを読む人たちにスポットを当てた小説が全米で大当たり!この映画が生まれた。
 夫と別居中のシルヴィア(エイミー・ブレネマン)に娘のアレグラ(マギー・グレイス)。シルヴィアの親友でブリーダーのジョスリン(マリア・ベロ)に二人の共通の友人バーナデット(キャシー・ベイカー)。そこへお堅い高校教師プルーディー(エミリー・ブラント)とSFマニアのグリッグ(ヒュー・ダンシー)が加わり、男女6人で読書会を開く。課題作は「エマ」「マンスフィールド・パーク」「ノーサンガー・アビー」「自負と偏見」「分別と多感」「説得」の6作だ。
 読書という極めて個人的な行為をシェアするという発想がいかにもアメリカらしい。ここが共感できる、この時の主人公の心情は・・・登場人物に事寄せて、その人個人の考え方や人生観、引いては人間性そのものがあぶり出されてゆく。この作品のなかでも各人の抱えている問題が次第にあらわになってゆく。さらにそれがオースティン作品とさりげなくリンクしているからファンにはたまらないだろう。
 人は自分のこととなると、とかく口が重くなる。“聞いた話なんだけど・・・” “友達が・・・”こんな風に自分のことを話した経験はないだろうか?それが架空の人物のこととなれば話は別、とたんに心も口も軽くなる。小説というただ一点の共通項のなかで価値観のちがう人間同士、真剣に意見を戦わせる。そこには当然正解はない。しかし、誰の主張が通ろうがそんなことはこの際関係ない。そうして吐き出した言葉は、紛れもない自分にとっての真実をあらわしているのだから。それがわかっただけでも気分はスッキリ。ときには思いっきり、誰かと議論してみるのもいいものかもしれない。
(山口 順子)ページトップへ
 チャーリー・ウィルソンズ・ウォー
『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』
〜アフガニスタンに見るアメリカの成功と失敗〜

(2007年 アメリカ 1時間41分)
監督:マイク・ニコルズ
出演:トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ
フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス
5月17日〜日劇1ほか全国ロードショー
公式ホームページ→
 オーソドックスだが手際の良いプロローグに思わず引き込まれる。1980年4月,テキサス州選出の下院議員チャーリー・ウィルソン(トム・ハンクス)は,ストリッパーらと遊興に耽りながらも,テレビの画面が気になって仕方がないようだ。そこにはアフガニスタンに関する報道番組が映されていた。そして,彼は,実際にパキスタンまで行き,ソ連軍の侵攻から逃れてきたアフガニスタン難民の悲惨な実情を目の当たりにする。そして,彼の右腕となるCIAエージェントのガスト(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出会い,アフガニスタンを救済するための行動に出る。
 展開はスピーディで,ぼやっとしていると置き去りにされてしまいそうだ。が,トム・ハンクスが軽すぎず重すぎず,適度のノーテンキさと同時にシリアスな切れ味を見せてくれる。程良くブレンドされたチャーリーのキャラが魅力的に描かれる。見所の一つとして,ガストが初めてチャーリーの事務所を訪ねるシーンがある。チャーリーの2つの顔を交互に描きながら,物事を要領よく処理する術を備えた人物像を浮かばせ,その後のストーリー展開に説得力をもたらしている。同時に,ガストの才気と抜け目なさが端的に示される。
 米ソ冷戦時代を描いた映画は数多い。本作もその一本だが,過去を振り返るだけでなく,9・11以後の状況を生み出した原点にも目を向ける。アフガニスタンへ侵攻したソ連軍に撤退を余儀なくさせ,ひいてはソ連自体を崩壊に導いたのは,実はアメリカであるという,アメリカの強さを見せつけると同時に,軍事費と比べるとその欠けらほどもない学校設置費用のような,真にアフガニスタンの復興のために必要な援助を惜しまなければ,9・11の惨事を避けられたかも知れないという,悔恨の念をも描いている。ラストの字幕で示される「…でも最後にしくじってしまった」というチャーリー自身の言葉に込められた思いについて,よく考えてみるべきだろう。
(河田 充規)ページトップへ
 譜めくりの女

『譜めくりの女』
〜ピアノの美しい旋律が視覚化された心地良さ〜

(2006年 フランス 1時間25分)
監督・脚本:ドゥニ・デルクール
出演:カトリーヌ・フロ、デボラ・フランソワ、パスカル・グレゴリー、アントワーヌ・マルティンシウ
『フランス映画祭2008』 
一般公開は、5月24日(土)〜テアトル梅田、シネカノン神戸
6月14日(土)〜京都シネマ
公式ホームページ→

 一言で表現すれば,ピアニストの夢を絶たれた少女が成長し,その原因を作った人物に復讐する話だ。復讐と言えば,最近では「親切なクムジャさん」などのパク・チャヌク監督の3部作,古くは野村芳太郎監督の「霧の旗」を思い出す。本作は,どちらかと言えば後者に近いが,美しさと冷ややかさにおいて圧倒的に上回っている。パク・チャヌク監督の血の不気味な温かさとは対照的に,本作では,幾何学的な均整の取れた美しさに包まれた冷徹とも言える感触にゾッとさせられる。

  メラニーの少女時代を描写したプロローグは,それだけでも短編として見事で,その完成度は高い。メラニーがピアノを心の奥に封印する様子やその原因となった出来事が要領よく示される。しかも,その前のシーンでは,ピアノの実技試験に向けての彼女の揺るぎない自信だけでなく,技能的にも秀でていることが伝わってくる。しかも,このプロローグの鮮やかさがその後の展開で生きてくる。彼女がその後二度と鍵盤に触れないことと相俟って,怒りの強さと憎悪の深さが増幅される。

  一方,ピアニストのアリアーヌは,全く自覚のないまま,メラニーがピアニストへの夢を閉ざす原因を作ってしまう。カトリーヌ・フロが,本作では,交通事故に遭ってから演奏に自信を失った陰りのあるピアニストという,「地上5センチの恋心」の主婦オデットの明るい雰囲気とは全く違った表情を見せてくれる。メラニーに信頼を寄せながらも,なお一抹の不安を払拭できない弱さを覗かせる。

  メラニーとアリアーヌの心理戦のような展開の末,ラストでは,スクリーンを左から右に向かって歩くメラニーの表情が映し出される。その表情からは険しさが消え,柔らかくなった印象を受けるが,達成感は感じられない。彼女がアリアーヌを陥れることで得たものはない。美しいリズムで奏でられる映像の奥から浮かび上がるのは,残酷なまでに運命づけられた人間の深い悲しみではなかろうか。
(河田 充規)ページトップへ
 
topへ 記者会見(過去)
旧作映画紹介
シネルフレバックナンバー プレゼント
HOME /ご利用に当たって