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★ フランス映画祭2009 インタビュー (写真・文 河田真喜子)
『西のエデン』 コスタ=ガヴラス監督インタビュー


『西のエデン』  ゲスト:コスタ=ガヴラス監督
(2009年3月14日 ホテルオークラ)

 今年のフランス映画祭の来日ゲストの中で、最も取材希望の多かったのがコスタ=ガヴラス監督。まだ世界が冷戦下で大きく分かれていた時代に、「Z」(1969)や「戒厳令」(1972)など自由を弾圧する政治と闘う人々をサスペンスフルに描いた作品を発表し、社会派監督として世界にその名を広めた巨匠である。取材期間の最後のインタビューということで、さぞやお疲れでは?と思いきや、コンパクトレコーダーに興味を示され、「ピンクは初めて見たよ。ほう、軽いね〜!300時間も録れるの?一生分はありそうだね。」と緊張気味の筆者を和ませてくれた。

★作品紹介@(浅倉志歩バージョン)

        A(河田充規バージョン)
★映画祭サイト

――― 「Z」や「戒厳令」が公開されて、日本でも当時の若者に影響を与えたことをご存じでしたか?
それは知りませんでした。来日の度にいろんな方に歓迎して頂けるのは大変嬉しく思っております。

――― あの頃に比べても世界はあまり良くなっていませんが、映画を通じて世界へアプローチするという方法に変化はありますか?
世界は不幸なことにとても悪い方に変わってしまいました。「Z」の頃はより良い未来に進めると誰もが思っていたので、そのためにも悪いところを指摘しなければならないと思っていたのです。残念ながら、今日はより良い未来に向かっているとは思えません。経済状況は悪くなる一方だし、地球環境も悪くなる一方です。そういう時代にはむしろ楽観的な見方をしなければならないと思います。楽観的な考えが世界を救えるだろうと思うのです。

――― それが今回の作品に繋がったのでしょうか?
そうです。この映画の中には悲劇も沢山出てきますが、軽やかで明るく輝くところもあります。困っている主人公に対し良い人も沢山登場します。このような移民に対してだけでなく、世の中の困っている人々に対し、誰でも自分のできる範囲で人を助けることができることを示したかったのです。

――― ご自身も移民であるということで、この映画への想いは?
自分にとって大切な作品ですが、自伝的なものではありません。確かに、国や家族と離れ言語の違う国へ行って苦労したことや、パリに対する想いなど経験に基づいた部分は多分にあります。

――― タイトルに込めた想いは?
「エデン」とは楽園のことですが、主人公が最初に辿り着く小さな「エデン」は、高級リゾートホテルでお金を出さないと得られない楽園です。さらに本物の楽園を求めてパリを目指しますが、パリでも厳しい現実が待っています。それでも、出身国よりはいい生活ができるのです。
――― 移民問題を扱った映画は他にも沢山ありますが、その大半は住民との軋轢や苦難の道を描いたシリアスなものが多いですよね。でも本作は、助けてくれる人が多く、しかもロードムービー。このような物語を撮ろうと思った理由は?
今のご質問は、この映画のスタイルの核心点に触れて頂いたように思います。映画で移民というと、潜在的に必ず問題を起こすような存在として描かれています。ネガティブなイメージで不信感を持たれます。逆に今回の作品では、困難に遭遇する主人公を少しずつ助けてくれる人々を登場させて、軽いタッチで描いています。必ずしも移民は危険で悲劇をもたらす存在ではなく、社会にとってポジティブにもなりうる存在だということを示したかったのです。

自分では生まれる国を選べません。より良い生活を求めるのは人間として当然の欲求であり、そのために困難を乗り越えて移住しようとする力強い存在でもあります。そうした移民に対するオマージュ的な意味合いもあります。

――― 主人公はアイデンティティを捨てるような行動をとりますね? また、エリアスを通して観客も旅人になれると感じたのですが・・・。
不法移民は船が目的地へ近付くと身分を証明するようなIDカードを捨てます。それは、捕まった時強制送還されないためなんです。また、そのシーンは、自分の過去を捨てて新しい自分に生まれ変わろうとする力強さの象徴でもあるのです。悲劇的でもありますが、同時に希望もあります。より良いものを求めて闘っていく過程を、観客に旅するように共感してもらえ
るのではないかと思いました。

――― ラストで急に演出が変わったように感じましたが、その意図は?
エリアスにとってパリは一種のマジックだったんです。マジックでは自分の問題は解消されず社会の問題も解決できない。それに気付いたとき、初めて自分の力で解決していこうとする、マジカルではない本当の力が生まれたことを表現したかったのです。

――― 一瞬エリアスがカメラを見つめるシーンがありますが。
それは、観客に対して今後も夢を求めて行くという意志表示なんです。そして、光りきらめくエッフェル塔を目指して行きます。パリそのものが光り輝く存在だからです。

――― 最後に、エイリアスはセクシーでハンサムなのでみんなが助けてくれるのかな、とちょっと都合良すぎる感じがしたのですが、主演のリカルド・スカマルチョを起用した理由は?
フランスでも全く知られていません。これから人気が出てくると思いますよ。何より27歳の彼の演技力に惹かれました。移民のイメージを良くするために美しい主人公をと考えていました。移民が決して忌み嫌う存在ではないということを示したかったのです。同時に、彼には外見だけでなく内側から滲み出る美しさを感じました。彼だったら関心を持って見てもらえるのではないかと思ったのです。

――― 彼も監督の期待によく応えていましたね。
ありがとう。私も満足しています。
 エーゲ海に夕日が沈む美しいシーンから始まり、そこを人々を満載した小さな船が横切る。何か不穏なことを予感させる。ファーストシーンからぐいぐいと見る者を惹きつける映像センスはさすがだ! 主人公が最初に辿り着いたのが「エデンの園」ならぬヌーディストビーチ! 食べていけないから国や家族を捨て不法入国してきたのに、目の前には捨てる程の有り余る御馳走が並ぶ。現代の楽園の矛盾を突きながらユーモアも忘れない。
 パリという楽園を目指して旅するエリアスに様々な困難は降りかかるが、その都度小さな親切に出会いながらも何とか自力で切り抜けていく。登場する人物像もまた面白い。言葉の壁を乗り越えて通じ合えるものは確かに存在する。少し見方を変えれば、日常の中でほんの少しの優しさと理解を示せれば、どこかで誰かの助けになるということに気付かせてくれる。

  そして、ラストシーン。エリアスの後ろ姿には、ひとつの旅を終え、新たに旅立とうとする力強さが感じられる。なんと希望に満ち溢れているのだろう。そこには、監督の優しさは勿論、人間としての寛容さが感じられた

『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』 監督&主演女優
『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』
   ヴェラ・ベルモン監督&
         主演のマチルド・ゴファール インタビュー

(2009年3月13日ホテルオークラ)

2009年5月9日〜TOHOシネマズシャンテ 他全国順次公開
関西では、6月初旬〜テアトル梅田 他

 わずか8歳の少女が、ドイツ軍に連れ去られた両親に会うため、小さなコンパスを頼りにベルギーからドイツ、ポーランド、ウクライナへと旅をする物語。そこには、少女の飢えや寒さに耐え抜く力や森の中で出会った白い狼との交流などが描かれ、少女を過酷な旅に向かわせた戦争の非情さが、改めて浮き彫りにされる。今までのホロコーストを扱った映画とは一線を画した本作。自らもユダヤの血を引いていることから戦争中辛い体験をされたヴェラ・ベルモン監督の、渾身の一作と言えるだろう。

★作品紹介@(中西奈津子バージョン)


        A(河田充規バージョン)

★映画祭サイト


公式ホームページ
 【マチルドちゃん、脱走事件!!!】 
  配給が付いている本作は今年5月からの公開が決まっているため取材申込も多かったようだ。ところが、マチルドちゃんがホテルから居なくなったのだ! てんやわんやのスタッフ! なんと、キディランドへ行っていたとか!? 「日本へ行ったら、絶対キディランドへ行くぞ〜!」と固い決意で来日したらしい。さすが、ミーシャ! インタビュー中も、マチルドちゃんのお行儀が悪いと横で注意をする監督。まるでおばあさんが孫の躾をしているようで、とても微笑ましかった。
――― ホロコーストを描いた映画は他にも沢山ありますが、少女の視点という切り口にした理由は?
監督:仰るとおり、この切り口はオリジナリティがあると思ったんです。私自身戦争中ユダヤの血を引いているために苦労した経験があるので、いつかは戦争に関する映画を撮りたいと思っていました。でも、ホロコーストを描いた映画は沢山ありますし、似たようなものを撮りたくなかったんです。自分を投影したような子供を通した作品を、と思っていたらこの小説に出会って、これだ!と思ったんです。子供と動物の触れ合いを通して戦争を描くことによって、何かを共感できるのではないかと思って製作しました。

――― 原作は世界的に有名な小説ですが、3年という時の経過のどこに重点を置いたのですか?
監督:食べるものが無く飢えや寒さに堪えたりしたことや、盗んでしまったことなど自分の戦争体験に基づいて、身近なものだけを絞り込んでいきました。これはホントかな?というところは割愛しました。狼のエピソードについては経験はありませんが、面白いのでミーシャの旅の中心に据えました。

――― 監督にとってホロコーストとは?
監督:ユダヤ人の大量虐殺という痛ましい事件です。私は生き延びられてラッキーでした。これを最後にして欲しいですよね。ドイツ人は非常に優秀な国民でヨーロッパの中でもお手本になるような国なのに、なぜあのようなことをしたのか理解できません。とても残念なことです。

――― マチルドちゃんは、ミーシャを演じた感想は?
マチルド:とても勇気があって、両親のことをずっと思い続けて最後までやり遂げるという責任感の強い女の子だと思います。ホロコーストについては学校で習いましたが、とても怖いことだと感じました。
――― 狼が殺されてミーシャが復讐するシーンは、少し残酷な気がしましたが・・・?
監督:愛する者が殺されたら復讐してもいいと思っています。特にママリタ(狼)はミーシャにとっては2番目のお母さんですしね。私は動物が好きなので、狩人を見たら殴りたくなりますよ(笑)
マチルド:両親と同じような存在の狼たちを殺されたのですから、容赦ないと思います。

――― マチルドちゃんを選んだ理由は?
監督:オーディションには130名近くの少女が集まりました。マチルドは最初の段階から来ていたのですが、とても気になる存在でした。カメラを通して見た彼女が何か持っていました。お下げ髪スタイルがとても良かったですね。恋に落ちるのに理由なんかないように、終いにはマチルドしか眼中になかったですね。周りも彼女が選ばれるだろうと思っていたみたいよ。

――― オーディションに応募した理由は?
マチルド:小説を読んだ訳ではなく、母の友人のジャーナリストの方に薦められて応募しました。母はそんなに強く薦めた訳ではありません。

――― 映画製作のエネルギーは?
監督:私は生まれつきエネルギッシュなの
!(笑)

――― 困難に直面したときの対処法は?
監督:映画製作はとても大変なことで、毎日新しい問題が発生しています。それを全部お話しするには1ヶ月は東京に滞在する必要があります(笑)。私は常に出たとこ勝負です。問題が発生したらその時に考えます。予めプランというものは立てない主義です。予定は決定ではありませんから(笑)。

――― 監督からの演技指導は?
マチルド:監督は実際やって見せてくれたので、真似すればよかったのでとてもやりやすかったです。
監督:でも、彼女自身のアドリブも多くて、私が求める以上のものを表現してくれたわ。特に狼とのシーンでは、彼女は狼に好かれていてミーシャが実在するかのようでした。
大人と違って言葉より行動で示しました。

――― 卓越したマチルドという女優は?どうしてあのように迫力があるの?
監督:映画の神秘です。いくら舞台でいいお芝居をする俳優でも、映画でいい演技ができるとは限りません。演技の上手い下手ではなく、その人が持っているカリスマ性のようなものが映画では活かされていくから不思議ですよね。恋に落ちる瞬間と同じようにね。言葉では説明できない何かを感じるものよ。

――― 恋の例えが多いですね? さすがフランスの方ですね。
監督:いえいえ、ヨーロピアンよ!(笑)

――― 狼との関係は?
監督:両親から引き離されていたから、特別な肉親の愛情があったと思います。特に母親を求める気持ちが強かったようです。
マチルド:完全に親子の関係でした。

――― 日本文化の中で参考になったものは?
監督:この撮影に入る前に黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』を2度見ました。フランス人は日本映画が好きです。アメリカ映画と比較して、作品に深いものがありますね。『楢山節考』のような日常生活の中で力強さを感じさせてくれるものが多いですね。

――― マチルドちゃんから見た監督とは?
マチルド:優しく思いやりのあって才能のある人です。

――― 撮影中の辛かったことは?また、楽しかったことは?
マチルド:すべて楽しかったけど、特にミーシャを助けてくれるエルネストおじさんといたときが一番楽しかったわ。

――― ミーシャの旅に負けない位大変なロケーションだったように見えますが、一番大変だったことは?
監督:撮影中も雰囲気はとても良かったわ。でも、天候は厳しかったわ。雨が多かったり、雪が欲しいシーンで雪が少なかったりとね。


  ミーシャの孤独な旅は大変過酷なものだったが、少女のパワフルで美しい冒険映画としても成功している。戦争の悲惨さを直接的に訴える映画が多い中、子供の目を通して戦争を描いた作品は、『禁じられた遊び』(1952年)のように強いインパクトで私達に訴えてくるものがある。是非、子供にも見せたい作品だ!


『サガン−悲しみよ こんにちは−』 ディアーヌ・キュリス監督インタビュー
ゲスト:ディアーヌ・キュリス監督
(2009年3月12日 ホテルオークラ)


(2008年 フランス 2時間2分)
原題:Sagan
監督:ディアーヌ・キュリス
出演:シルヴィ・テステュー、ピエール・パルマード、ジャンヌ・バリバール

配給:ショウゲート
公開:2009年6月6日〜Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほか
関西では、6月20日〜梅田ガーデンシネマにて、以降7月〜京都シネマ、シネ・リーブル神戸にて順次公開

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作品紹介→
 小説『悲しみよ こんにちは』が世界的ベストセラーとなり、18歳で華々しく文壇に躍り出たフランソワーズ・サガン。若くして自分の力で富と名声を得たサガンだったが、その後の人生は波乱万丈だったようだ。本作は、2004年に69歳で亡くなるまでの51年間を、その時代の細やかなディテールにこだわって描いた出色の作品である。
 また、サガンが憑依したようなシルヴィ・テステューの迫真の演技は、サガンの自由で独立した精神の裏で、常に孤独を恐れる繊細な女性像を際立たせて、正に絶品!


  取材初日のお一人目がディアーヌ・キュリス監督でした。シネルフレの単独インタビューに快く応えて下さいました。(感謝)

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――― 伝記映画というものは壮大な物語ですが、沢山あるエピソードの中から絞っていくポイントは何ですか?
それは主観的な選択なんです。このエピソードは自分にとって大切だと思ったら採り入れるというように、無意識に主観が入ってしまいます。描こうとする対象は自分自身のポートレートでもあるんです。
――― ご自身が投影されているのですか?
そうですね。勿論、サガンが交通事故に遭ったとか、薬物依存症になったとか、これは避けられないという必要なエピソードはあります。でも息子がいることや共通する部分も多く、何か通じるものを感じて自己投影しているんです。


――― サガンはなぜあそこまで孤独を恐れたのでしょうか?
彼女にとって孤独はとても大切なテーマだったんです。小説家サガンの二大テーマ、すなわち愛と孤独。それは幼児期にすでに前兆があったようです。今回子供時代は描いておりませんが、彼女のお姉さんのお話や資料から解ったことですが、子供の頃から非常に頭が良く他の子供と合わなかったようです。それで一人で過ごすことが多かったとか。


それと、彼女は妥協できない女性だったということも大きな要因でしょうね。自分に対しても人生に対しても非常に厳しかったようです。例えば愛が終わったら、他の女性だったら何とか繋ぎ止めようと妥協するところを、彼女はきっぱりと関係を絶つ。そういう厳しさや要求の高さが益々彼女を孤独にしてしまっていたようですね。好きでもない人と偽りの関係を続けるようなことは絶対にしない。嘘が大嫌いで、本音で気楽に付き合える人と一緒にいる方が良かったようです。
――― サガンを知らない若い人にも是非見て欲しいと思いますが、注目すべきポイントは?
サガンは時代を超越した自由な思考を持っていた人です。破天荒なライフスタイルを学ぶのではなく、偏見を持たないリベラルなところや、人間や人生を心から愛した人だったというところを見て欲しいですね。
人を愛する自由さとか、社会や男性に対して自立して生きることとか、社会の規律を乱さず自由を謳歌したところを学んで欲しいですね。
――― 監督作の『年上の女』でも感心したことですが、ロケーションやインテリア、衣装など、その時代のスタイルを効果的に採り入れてますね?
そうなんです!ワクワクしながら作っています。私は、自分が生きている時代より違う時代を描くのが好きなんです。もう存在しなくなっているディテールを採り入れることがとても大好きで、ディテールこそ真実を伝えていると思っています。観客の皆さんにも、そうしたディテールを通して物語の真実を感じて頂けることを目指しています。私自身、そういう映画があれば見たい!と思いますから。


――― ロケーションはドーヴィルですか?
はい、ノルマンディー一帯です。彼女はあの一帯がとても好きだったんですね。ジャガーに乗ってドーヴィルのカジノへ行くというのが、彼女の好きなライフスタイルだったんです。
実は、最初の頃はドーヴィルではなくサントロペへ行っていたんです。フランス人としてサントロペの良さを発見したのは、サガンとブリジット・バルドーだったんですよ。ところが、あまりにも有名になって観光客が押し寄せて来たものですから、それでサガンはドーヴィルへ移ったんです。
――― 演出は細かい方ですか?それとも俳優に任せる方ですか?
俳優に任せる方です。俳優がその役を解釈して体現する訳ですから、彼等に任せる方がいいと、益々考えるようになってきました。特に本作ではシルヴィ・テスチュウですから、全く演技指導する必要はありませんでした。脚本もありましたが、彼女はサガンの資料などでリサーチして、サガンになりきろうとしていました。サガンという人は、フランスでもドキュメント資料が残っている有名人のひとりでしたので、彼女はそうした資料で勉強していましたから、私が下手に言わない方が上手くいくと確信しておりました。


監督とは、最初に見る観客と同じなんですね。そこで違和感を感じたらテイクを重ねます。私はそんな観点で演出をしています。
                            (以上)

『サガン−悲しみよ こんにちは−』 トークショー(監督&サガンの息子さん)
ゲスト:ディアーヌ・キュリス監督&
         サガンの息子:ドニ・ウェストホフ氏

聞き手:関口裕子(バラエティ・ジャパン編集長)

(2009年3月14日 TOHOシネマズ六本木)
配給:ショウゲート
公開:2009年6月6日〜Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほか
関西では、6月20日〜梅田ガーデンシネマにて、以降7月〜京都シネマ、シネ・リーブル神戸にて順次公開
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 TOHOシネマズ六本木で上映後開催されたトークショには、今回特別にサガンの実の息子であるドニ・ウェストホフ氏がディアーヌ・キュリス監督と一緒に登場! 場内の観客は思わぬゲストに歓声をあげていた。それにしても、小顔でシャイなところは劇中のサガンそっくり! 映画の中ではあまり母親・サガンとの交流の場面がなかったが、実際の親子関係はどうだったのだろうか? 今回の映画化をどう感じているのだろうか? 興味津々。
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――― サガンを描こうと思った理由は?

監督:お会いしたことはなかったのですが、2004年9月に亡くなられて、彼女の写真やプロフィールなどを各メディアで目にして、これは映画になるな〜と感じたんです。


――― 特にそう感じた点は?
監督:彼女の人生そのものが実にドラマチックだったのです。一所懸命自分の人生を生き、自由で独立した精神と、時代の先端を生きていた模範にしたいような点とそうでない点も合わせて、ドラマになると思いました。
――― 製作に当たり、サガンの息子さんとはどのようなことを話し合われたのですか?
監督:彼に会う前に、サガンのインタビュー素材を沢山見たり、他の家族の方や友人などからもお話を伺ったりしました。そして、彼に会った最初の頃は大変緊張しました。だって、サガンにそっくりなんですもの。彼に金髪のかつらを着けさせたら瓜二つですよ!(笑)
とにかく、彼が納得してくれない限り製作はしないと決めていましたが、彼は励ましてくれたり批判的なことも言ったりして、私の力になってくれました。 私、貴方のこと裏切った?
ドニ:いえいえ、そんなことはありませんよ。僕の方こそ、母が亡くなって間もない頃でしたから、映画化のお話はとても嬉しかったです。母のことを忘れないで欲しい、という思いもありましたし・・・。

――― ドニさんにとって、母親がサガンだということは?
ドニ:よく聞かれることですが、大変答えにくいことです。私にとって母はサガンしか知りませんので、他の母親と比較しようがありません。意外かも知れませんが、母は私に愛情を注いでくれました。一緒に居なくても心は通じ合っていました。
――― サガンはお金に無頓着だったようですね?
監督:自分の才能で若くして大金を稼ぎましたが、お金を数えるより、人生を楽しむことの方が大事だ、というのが彼女の基本だったようです。お金を派手に遣い、他人にもあげていました。物質的なことに拘らない、本当の意味で芸術家だったと言えます。
ドニ:さすがに最後の方はお金に苦労していました。それでも、「お金は下男であり主人ではない」と言っていました。物を得るための手段としか考えていなかったようです。
映画の中で、カジノで大儲けして車で走り去るシーンでお金が散乱していましたが、あれほど存大ではなかったと思います。

監督:あくまでメタファーよ、メタファー!(笑)

ドニ:叔母から聞いたのですが、家のなかでは常に帽子BOXの中にお金を入れていて、家に出入りする人の中でお金に困っている人は自由に取っていい、と言っていたそうです。

ここで、サプライズ・プレゼントが!
なんと、サガンが好きだったレストラン「マキシム・ド・パリ」(東京支店)から、彼女の好物・特大ミルフィーユが届けられた。


ドニ:ありがとうございます。母は大変小食でして、ミルフィーユを食べる時もいつも半分しか食べませんでした。ミルフィールとは1000枚の葉っぱを重ねる、という意味があるのですが、「私のは500にして」などと言っておりました。

【以降、観客からの質問タイム】

――― 素晴らしい映画でした。是非サガンの本も読んでみようと思いました。
監督:サガンの本を読む気になって頂けたら、それは最高の讃辞です。

――― 主演のシルヴィ・テステュさんについて教えて下さい。
監督:最初から彼女に演じてもらおうと思っていました。素晴らしい女優ですし、サガンとの共通点が多い人です。スポーツカーが大好きでタバコをスカスカ吸うし、また、彼女も本を3冊出版していますし、自由奔放なところも共通していますね。役作りのためにかなり努力していましたよ。
――― ドニさんは、有名人の子供ということで苦労した点は?
ドニ:小さい頃から、「あなたは普通の子供だから」と言ってくれたので、平穏な子供時代を送れました。学校でも、サガンの姓は使わずに父親の姓・ウェストホフを使っていましたから、サガンの息子だと特別な目で見られることはなかったです。それにマスコミからも守ってくれましたし。
ある時、母を迎えに空港へ向かう途中、遅れそうだったので空港サービスへ電話したのです。「サガンの息子ですけど母へ伝言を・・・」。ところが、ジョークだろうと信じてもらえず、母への伝言も伝わらなかったという経験があります。

――― 映画の中では、息子の存在が希薄だと感じたのですが、実際は?
ドニ:ある時期、母から遠ざかっていましたが、それ以外はずっと一緒でした。亡くなった時も傍にいて看取りましたから。

監督:私自身の息子に対する罪悪感を映画の中に採り入れたため、実際のサガンと違うかもしれません。息子から、いつも仕事ばかりして一緒にいられないと文句を言われていますから。今回息子も一緒に来日したのですが、今頃息子は渋谷辺りでスネていると思います(笑)。

――― 最後の方のアストリッドという女性との関係がどうも解らないのですが、お金持ちの変な人に捕まった、という感じなんでしょうか?
ドニ:その通りです(笑)。
                      (以上)


『未来の食卓』 監督インタビュー
『未来の食卓』
〜“安全な食生活”、未来のために今できること〜

(2008年 フランス 1時間52分)
監督:ジャン=ポール・ジョー
出演:エドゥアール・ショーレ、ペリコ・ルガッス

2009年9月19日〜第七藝術劇場、近日〜京都シネマ、神戸アートビレッジセンター
公式サイト⇒ http://www.uplink.co.jp/shokutaku/
作品紹介 ⇒ こちら

レッドカーペットでのダンディーなジャン=ポール・ジョー監督
 監督のジャン=ポール・ジョー氏は、自らも癌を患い、生死をさまよう程の重病だったという。なぜ自分が癌を発病したのか? その疑問を解明するために、食の安全性と農業の現状にカメラを向けることになる。それは監督の決死の製作だったに違いないのだが、作品はガブリエル・ヤレドの優美な音楽と豊かさを感じさせる映像美で、いたって穏やかなドキュメンタリー映画に仕上がっている。美しい田園風景の中に潜在する農薬汚染や環境汚染を、南仏の小さな村の取り組みを中心に、詳細なデータと将来像を示しながら見えない恐怖を捉えて説得力がある。

――― 農業国フランスでこのような農薬汚染の実態を描いて、クレームはなかったのですか? 何が一番問題でしたか?
いいえ、ありませんでした。一番の問題は、資金調達と配給会社を探すことでした。誰もこんなに成功するとは思わなかったのです。

――― バルジャック村の人々の反応は?
村で開催した試写では約700人の方に見てもらいました。子供達の素直な反応と共に、親達もとても満足してくれて、給食に切り替える人が増えてきました。
(フランスでは、給食を食べるか弁当持参かを選択できるらしい)

――― 給食のシーンで、食材別に添加物の具体的数値が表示されていましたが、リサーチはどのようにされたのですか?
3人の研究者が協力してくれました。その中のフランソワ・エイユレットが2冊の研究データ本を出版していますが、いずれも企業からのクレームや訴訟などはありません。その数値が否定しようがない正しいものだということです。

――― 製作のきっかけは、ご自身の病気と関係していますか?
はい。癌の検査結果を待っている時、もし生き延びられたら、この問題にカメラを向けようと思ったのです。

――― そうした監督の決死の思いが込められて製作された訳ですが、今後のドキュメンタリーの在り方や行方についてどう思われますか?
映画はとても大事な役割を持っていると思います。その理由は、この地球上で生きている人すべてが「ACTER(俳優)=動く人」であるのですから、一般の人々がフィルムに映ることがあってもいいのでは? さらに、環境をテーマとした映画は重要になってくるでしょう。1956年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したジャック・イヴ=クストー監督の『沈黙の世界』が初めての環境をテーマにした作品といえるでしょう。近年では、アル・ゴア氏の『不都合な真実』が重要な役割を果たしていますね。
――― 作曲家ガブリエル・ヤレド氏へのアプローチはどのように?
プロデューサーでもある妻のベアトリスが、先ず彼に手紙を書きました。そして、編集中の3時間ものを見てもらって、GOサインを出してもらったんです。彼は電波障害に関心を持っていて、環境問題に対する意識がとても高かったのです。

――― 今後の映画製作のご予定は?

今年の春から撮影に入り、2010年の終わりに終了予定です。カナダのモントリオール近郊を舞台にして、自然破壊の現状を捉えるつもりです。
 本作は、2009年フランス映画祭で上映され、監督とプロデューサーでもある奥様とご一緒にインタビューに応えて下さった。美男美女のカップルで驚いたが、取材中病弱な監督を心配そうに見守っておられた奥様の表情が印象的だった。カナダでの撮影は、より厳しい自然との格闘になりそうで、心からご健闘をお祈りしたい。

 

 
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