『許されざる者』
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原題 | YURUSAREZARU MONO |
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制作年・国 | 2013年 日本 |
上映時間 | 2時間15分 |
監督 | 監督・アダプテーション脚本:李相日 |
出演 | 渡辺 謙、柄本 明、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子、近藤芳正、小澤征悦、三浦貴大、滝藤賢一 / 國村 隼、佐藤浩市 |
公開日、上映劇場 | 2013年9月13日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸 他全国ロードショー |
~“許されざる者”たちへの鎮魂歌~
ハリウッド最高のスターにして名監督、クリント・イーストウッドのアカデミー賞受賞作『許されざる者』(92年)を日本でリメイク、などと言う無謀なことがよくできた、と思った。『フラガール』『悪人』などで知られる若き名匠・李相日(リ・サンイル)監督の『許されざる者』は場所を北海道に変えて人斬りたちの凄惨な末路を描く。過去の悪業を悔いる男たちへの鎮魂歌、本家クリント・イーストウッドの役者としての転換点になった作品でもある。重厚な映画に通底する「懺悔」という主題を引き継いだと思う。
李相日監督が名付けた「アダプテーション脚本」はほとんどオリジナルそのままだ。改心した“人斬り十兵衛(渡辺謙)”が再び剣を取るのは明治13年。クリント版の1880年と同じ。かつて人殺し稼業で名をとどろかせながら今は引退して農作業に励む初老の男という主人公や、貧困のためやむを得ず「賞金1000円」(米版は1000ドル)のために死地に赴くという動機、加害者と被害者の状況やセリフまで踏襲している。
学生時代に『許されざる者』を見て衝撃を受けた李相日監督は「ハリウッド全盛時代に1本ドンと木が立っているような衝撃を受けた。制御出来ない力や暴力というテーマを引き継ぎたい」と話す。監督の狙いはこの主題を日本に置き換えることにあったに違いない。
釜田十兵衛(渡辺)は時代が移り変わる幕末に大勢の志士を斬りまくり“人斬り”と恐れられたが、幕府軍が敗れた後、蝦夷地に逃れ、討伐隊の前から姿を消した。11年が過ぎた明治13年、農夫としてひっそり暮らす十兵衛の前に一緒に戦った昔の仲間・金吾(柄本明)が現れる。女郎を切り刻んだ2人の開拓民を仕留め賞金1000円を折半しようと持ちかける。
十兵衛は妻と出会って家庭を築き、二人の子供にも恵まれてすっかり人が変わっていた。3年前に妻を亡くしたが、墓を守って静かに暮らしている彼は「もう人は殺さない」と断る。だが、極貧生活に困り果てた十兵衛は、賞金稼ぎのために11年前に封印し錆付いた刀を取り出し、ようやく乗ることが出来た馬で金吾を追いかける。子供たちには「2週間で帰る」と言い残して。
明治初頭の北海道は和製“許されざる者”にふさわしい土地だった。そこ宿場街・鷲路の地では、無法者たちが暴れ、初代警察署長一蔵(佐藤浩市)が権力をふるっていた。酒場で若い女郎なつめ(忽那汐里)が客に顔を切り刻まれるという事件が起こっても、署長は犯人の佐之助(小澤征悦)、卯之助(三浦貴大)兄弟を軽い処罰で済ませる。これに怒ったお梶(小池栄子)たち女郎仲間は1000円を出し合い、賞金稼ぎに呼び掛ける。十兵衛や金吾はこの呼びかけに乗ったのだった。元人斬りの“もうひと仕事”と新政府を代表する署長の争いは新旧勢力の対決でもあった。
登場人物が複雑な現地情勢を反映する。十兵衛たちにピストルの腕前を売り込んだ若者沢田五郎(柳楽優弥)はアイヌ人。十兵衛たちより先に押し掛けた剣の腕自慢・北大路(國村隼)は最後の武士勢力だったが、一蔵署長にあっさり撃退される。彼らと入れ替わるように十兵衛たち3人の賞金稼ぎは署長が待ち構える町に到着する…。しゃも(和人)の開拓民、彼ら目当てにやって来た女郎たち、先住民アイヌ、新政府の支配がまだ行きとどかない中、幕府軍の残党は果たして仕事を果たせるのか?
十兵衛を演じた渡辺謙は、オリジナルで枯淡の境地に達していたイーストウッドに比べたら若過ぎるが、最底辺を見てきた男の深い絶望、人斬り稼業の果てにようやく安住の地を見出した男の陰りが画面から漂った。
―― ご注意!これ以降、ネタバレあり ――
最初に誘いに来た金吾が「実はお前が怖かった」と告白し、あっさりと離脱した後、十兵衛と五郎が一人ずつ敵をしとめる。五郎もまた「5人殺した」のは嘘で初めての人殺しだった。彼も人をあやめたことにおののき「賞金は要らない」と言って逃げる。十兵衛が本当に人斬りの血に目ざめたのは、捕まった金吾が一蔵署長に惨殺され、飲み屋の前に見せしめに放置された時だった。下級武士とはいえ、人を斬ることを生業としてきた人間の性(さが)は隠しきれない。十兵衛は署長らが手ぐすね引いて待ち構える中、敢然と単身殴りこむ…。
最愛の妻への「もう殺さない」という誓いも忘れて、撃って斬って凄まじい戦いで“人斬り”の恐ろしさを見せつける。爽快感にはほど遠い無残な殺戮には、依頼者の女郎たちも顔を背け、いくら人を斬っても血と虚しさだけしか残らないことを見せただけだった。 それは十兵衛が「人を斬って、斬って斬って最後には誰かに斬られて死ぬ。ただそれだけの人生だと思っていた」と予感していた通りだった。
★【和製リメイクに見る「映画遺産の伝承」】
李相日監督『許されざる者』は、クリント・イーストウッド監督・主演映画のリメイクとして注目されているわけだが、イーストウッドでリメイクといえば、誰もが彼の原点であるマカロニ・ウェスタン『荒野の用心棒』(’64年)を思い出すだろう。李監督版のエンドタイトルに「ドン・シーゲル監督、セルジオ・レオーネ監督に捧げる」とあるのは映画の歴史への尊敬。ドン・シーゲルは『ダーティハリー』(第1作)の、セルジオ・レオーネはもちろん『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』の監督。イーストウッドと両監督へのリスペクトを表したものであることは言うまでもない。
そして『荒野の用心棒』は黒澤明監督『用心棒』(’61年)の国境を越えたリメイクであることも知られる通り。黒澤リメイクから出発したイーストウッドが、ピストルを容赦なく撃つハードな刑事もの『ダーティハリー』でハリウッドでも大スターになり、アカデミー賞作品『許されざる者』から一転、深みを感じさせる真の男になった。そんな作品が回り回って日本に帰って来た、というのが李相日監督『許されざる者』ではないか。そこには、映画の輪廻転生、何世代にもわたる映画遺産の伝承という根強い力があるように思う。
(安永 五郎)
公式サイト⇒ http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/index.html
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