「慰霊の日」と一致するもの

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本州から来た少女の目線で、ウチナーンチュの心を映し出す
『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』平良いずみ監督インタビュー
 
 沖縄のフリースクール、珊瑚舎スコーレに通っていた石川県出身の坂本菜の花さん。学校に通いながら北陸中日新聞で「菜の花の沖縄日記」を連載していた菜の花さんの言葉の力、そして相手に対する思いやりと、自分が感じた驚きや疑問の奥にあるものに向き合う勇気が、観る者を惹きつける。そんな若い菜の花さんの目線で、沖縄の過去、現在を映し出す、沖縄テレビ放送開局60周年記念作品となるドキュメンタリー映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』が、7月24日(金)より京都シネマ、7月25日(土)より第七藝術劇場、今夏元町映画館他全国順次公開される。
 
 監督は、沖縄テレビ放送でキャスターを務めながら、ドキュメンタリー番組の制作にも力を注ぎ、高い評価を得ている平良いずみ。沖縄県内、県外問わず、特に若い世代がSNSやネット記事の断片的な情報を鵜呑みにしてしまう今、沖縄に横たわる様々な問題、そこに住む人たちの暮らしが脅かされているということを、どうすれば抵抗なく観てもらえるかに心を砕いだという本作は、津嘉山正種さんの柔らかい語りと、菜の花さんの言葉で、沖縄の人たちの葛藤や生きる力を優しく紡ぐ一方、辺野古新基地反対運動の最前線、高江に足を運んでの取材、そして菜の花さんが初めて故・翁長知事と出会ったという5万人以上が参加した県民大会など、米軍基地が集中することによる被害に対する沖縄の人たちの闘いも刻み込んでいる。
本作の平良いずみ監督に、お話を伺った。
 

 
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■人間的に澄み切っていて、本当に素晴らしかった主人公、菜の花さん。

――――沖縄の情景を映し出しながら、上間綾乃さんによる、うちなーぐちバージョンの「悲しくてやりきれない」で始まり、エンディングは南アフリカで白人支配への抵抗歌として歌われた賛美歌「コシ シケレリ アフリカ」を菜の花さんたちが合唱して終わります。鎮魂歌のような2曲に包まれ、優しく心に染み入る作品になっています。
平良:本当に肩の力を抜いて、観ていただきたいという思いがありました。三上智恵監督作品(『戦場ぬ止み』他)のように、私も普段は、沖縄の人たちの基地反対への思いを直球で描いていたのですが、私のドキュメンタリーの恩師から「そろそろ変化球も覚えた方がいい」とアドバイスされたのです。だから今回は、入りは柔らかくし、その中で沖縄に横たわる問題を観ていただけるように構成しました。
 
――――本作のナビゲーターとなる坂本菜の花さんの存在感と彼女が紡ぎ出す言葉に心洗われますね。
平良:菜の花さんは人間的に澄み切っていて、本当に素晴らしかったです。また菜の花さんが通うフリースクール、珊瑚舎スコーレの星野人史校長は「人は文章を書く生き物だ」とおっしゃっておられ、自分の言葉をいかに持つかということに重点を置いた教育をされています。それもあり、菜の花さんの言葉が、直球でズシリと響くんです。
 
――――石川県出身の菜の花さんが沖縄の珊瑚舎スコーレに入学したきっかけは?
平良:菜の花さんの実家である旅館には文化人の方がよく集まり、交流があったそうなのですが、石川テレビのディレクターから珊瑚舎スコーレのことを押してもらったのがきっかけだったそうです。そのディレクターとは、菜の花さんの父親が地元の珠洲市で原発反対運動を先頭に立って30年間続けてきた関係で知り合ったそうで(結局原発計画は消滅)、菜の花さん自身も嫌なことを嫌と主張することで成功体験を得ることができることを知っているし、分断される悲しみも小さい頃から知っているのです。実際に、原発反対運動をしているがためにお客様が減ってしまった商店へ、菜の花ちゃんが遠路はるばる足を運んでいる姿を偶然目撃したテレビ局の方もいらっしゃいました。
 
 
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■「被害者意識はもうたくさん」という観る側の気持ちも受け止めなければいけない。

――――この作品を作るにあたっては、様々なジレンマがあったそうですね。
平良:沖縄のメディアに身を置いていると、無力感にさえなまれない時はないですね。伝えようと思っても、なかなか伝わらない。でも2017年12月、普天間第二小学校で体育の授業をしている時に、運動場に米軍ヘリコプターの窓が落ちたのです。一人の親として、こんな事件が起きても尚、アメリカや米軍に対して黙っているこの国は、おかしくないかという怒りがこみ上げました。保護者にインタビューをしても、怒り、不安、悲しみが押し寄せるばかりで、お互いにただただ泣いてしまって、取材にならないんです。ただ、私の仕事は伝えることですから、そこで諦めては、もし重大な犠牲が出てしまったら悔やんでも悔やみきれない。一方、「被害者意識はもうたくさん」「もうお腹いっぱいなんだよね」という観る側の気持ちも受け止めなければいけない。そういう意味で、今回菜の花さんという逸材に出会えたのは、大きな突破口になりました。
 
 

■対岸の火事ではく、住民の意思表示が簡単に踏みにじられてしまう今の国のあり方を感じてほしい。

――――テレビ版を映画化したことで、より伝えたかったことや、その狙いを教えてください。
平良:沖縄で放送したテレビ版はありがたいことに大きな反響をいただきました。年に一度、FNSドキュメンタリー大賞という系列局のドキュメンタリーを全国放送する枠があり、本作のテレビ版も深夜に全国放送されたのですが、なかなか気づいていただけない。地方のドキュメンタリストたちが届けたくても届けられない中、系列の東海テレビが映画化の道を開いてくださったので、絶対に映画化したいと思っていました。今回映画版に入っている菜の花さんの卒業後の沖縄というのは、本当に激動の時期でした。翁長知事が急逝され、県民が意思を示して、若い青年がハンガーストライキまでしてようやく県民投票が実現し、全県民がそれぞれの立場で心を砕きながら、懸命に自身の一票を投じたのです。でも翌日すぐに辺野古の埋め立てが再開してしまった。本当にこの国の民主主義は大丈夫だろうか。沖縄のことだけだろうという対岸の火事ではなく、みなさんが住んでいる所でも住民投票で意思を示したのに、それが簡単に踏みにじられてしまう今の国のあり方を感じていただきたいと思っています。
 
――――県民大会では翁長知事の掛け声とともに、県民が一丸となっている姿が映し出されますが、生前最後の県民大会は、まさに命がけで魂の言葉を遺しておられました。
平良:翁長知事は元々、辺野古推進派だったので、メディアとしては本当にこの人が辺野古反対を貫くのかという視点を持つことも必要でした。でも、亡くなる直前に参列した慰霊の日では、ご自身が余命いくばくもないことを知りながら、献花台に自らの足で花を手向け、自分が県民の代弁をするという使命感を貫かれた。あの命をかけた姿はフィルムに刻まなければという思いもありました。
 
 
 
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■「ちむぐりさ」という言葉に込められたウチナーンチュの思い。

――――タイトルになっている「ちむぐりさ」という言葉は、沖縄の人にとってどんな言葉なのでしょうか?
平良:今まで20年ぐらい、いろいろな所で取材をしているのですが、「ちむぐりさんさね」という言葉を度々聞いています。先ほどの、米軍機の窓が落下した普天間小学校取材で、お母さん方も「普天間基地は明日にでもなくなってほしいけれど、それが辺野古に移ることに関して、絶対に許せない。自分たちと同じ気持ちを、辺野古の人がするなんて、それはちむぐりさんさね」と。どうしてこんな小さな沖縄の中で、基地をたらい回しにしなくてはならないのかという思いも、この言葉には込められています。
 
――――沖縄の人たちを分断させるという国の思惑が、まさにここにありますね。
平良:映画化するにあたり、沖縄の若い人や県外の若い人たちに、沖縄が今に至る経緯をちゃんと伝えたいという思いもありました。インターネットで辺野古のゲート前に座り込んでいる人たちを見た人が、すごく嫌悪感を抱かせるような言葉をSNSに投稿したり、テレビ版を県外の大学で上映してもらった時、「なぜ国がやるということに対し、沖縄はずっと反対をしているのか」「ゲート前に座っている人たちに対し、地元ではすごく嫌悪感を抱いているのではないか」という質問が寄せられたのです。私たちの暮らしが脅かされているから悔しい思いをし、そこに座り込んでいるのだという、そこに座る人たちの怒りや、座る行為の向こう側を見せる努力を今までしてこなかったことを反省しました。切り取った映像だけで状況を判断している人たちに対し、私たちができることは何なのかを考えて、今回は作っています。
 
 
 
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■夜間中学に通う高齢者のみなさんの証言から、今に続く沖縄の問題を感じて。

――――珊瑚舎スコーレでは菜の花さんのような若い生徒と共に、若い頃戦争で学ぶことができなかった高齢者のみなさんが共に学び、劇や行事も一緒に取り組んでいる姿が、とても印象的で、沖縄の歴史がここからも垣間見えました。
平良:実はこの作品を撮るきっかけになったのは、3年前に撮った夜間中学に通う高齢者のみなさんを主人公にしたドキュメンタリーなんです。取材していたみなさんがご卒業されるのと同時に入学してきたのが菜の花さんで、彼女が書いた新聞が貼られているのを見て、目から鱗が落ちました。
 
戦後70年企画として作っていたので、最初はこちらも戦争で傷ついた方達だと思い、肩に力が入っていたのですが、実際にお会いすると、みなさんが底抜けに明るくて、「お姉さん、おいで」とか「分数分からないから、おばあに教えなさい」と声をかけてもらい、毎日楽しく取材に行っていたのです。そこから実際に若い頃のお話を聞きはじめると、学校に通っていなかったことが、これだけ人生に暗い影を落とすのかと痛感しました。字が読めないから、商売相手から騙されても泣き寝入りするしかなかったり、役所に補償金の手続きに行っても、字が書けないことで傷つけられることも多く、結局は手続きできずに帰ってきたりもしたそうです。若い人たちに、それが今も続いている問題だと少しは感じてもらえたらという気持ちで作りましたね。
 
――――菜の花さんには、観客の私たちも教えられること、目を見開かされることがたくさんありましたが、作り手の平良監督にとっては勇気付けられる存在だったのかもしれませんね。
平良:本当に勇気付けられています。今年の慰霊の日の前日も、嘉手納基地で火災が発生し、塩素ガスが発生したにも関わらずアメリカ軍はすぐに地元に通報もしないという事故が起き、日々無力感を突きつけられ、きちんと伝えられているのかと自問自答しました。そんな時に菜の花さんの言葉や、彼女が引用したガンジーの言葉を思い出し、自分を変えられないために、頑張らなくてはと思っています。今まで人に魅せられて作品を作ってきましたし、被写体に惚れ込みすぎる長所を生かして頑張りなさいと恩師も背中を押してくれたので、これからも人間賛歌を作っていきたいですね。
(江口由美)
 

<作品情報>
『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』
(2020年 日本 123分)
監督:平良いずみ 
語り:津嘉山正種
出演:坂本菜の花他 
7月24日(金)〜京都シネマ、7月25日(土)~第七藝術劇場、今夏元町映画館他全国順次公開
※第七藝術劇場、7/25(土)14:45の回 上映後、平良いずみ監督、山里孫存さん(本作プロデューサー)によるリモート舞台挨拶あり
公式サイト → http://chimugurisa.net/
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沖縄のために身を捧げた“不屈の男”の原点は、戦争への憎しみと怒り。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』佐古忠彦監督インタビュー
 
 戦後アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑戦を挑んだ男、瀬長亀次郎の人生を通じて沖縄の戦後史を描いた前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』から早2年。瀬長亀次郎の素顔や、彼の肉筆の日記から浮かび上がる不屈の精神を捉え、よりカメジロー像に深く迫る最新作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(カメジロー2)が、9月6日(金)より豊岡劇場、9月7日(土)より第七藝術劇場、京都みなみ会館、元町映画館、今秋シネ・ピピア他全国順次公開される。
 
 監督はキャスター時代(「筑紫哲也NEWS23」)から精力的に沖縄取材に取り組み、初監督作となる『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』で、沖縄のためにその身を捧げた瀬長亀次郎åの人生から沖縄戦後史を浮かび上がらせた佐古忠彦。上映後は「もっと闘うだけではない亀次郎さんの素顔を見てみたい」「なぜ“不屈の男”になったのか理由を知りたい」という反響が寄せられたという。再度日記を読み込むことから始めたという本作は、亀次郎の肉筆をクローズアップで見せ、その時の心情を浮かび上がらせている。また、沖縄の主張と政府の対応を佐藤首相に問う、亀次郎の魂の論戦シーンは必見だ。
 
 本作の佐古忠彦監督に、人間、亀次郎によりフォーカスしたカメジロー2(通称)の見どころや、より沖縄と本土の分断が深まる今、本作を公開する意義について、お話を伺った。
 

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■大反響を呼んだ前作で、闘う男としての瀬長亀次郎を認識してもらった。

━━━前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』は、沖縄で今でも語り継がれる瀬長亀次郎さんのことを、本土や世界の人が知るきっかけになりました。実際に前作を公開してどのような手応えを感じましたか?
佐古:なぜ沖縄と本土の溝が深まり続けるのか。それは戦後史への認識が抜け落ちていることが大きいと思い、テレビ版から始まり、前作の映画化で亀次郎さんにアプローチして、沖縄を中心にした戦後史を見ていきました。公開時は、沖縄だけでなく、その熱が東京に伝わり、どんどんと広がって、どこでも入場待ちの行列を作っていただきました。「こんな人物がいたとは知らなかった」というお声もあれば、亀次郎さんと同時代に生き、その時代感を共有してくださる方もおられました。上映後も劇場内が亀次郎愛に満ち溢れていましたね。見ていただいた方には伝わったと思いますし、闘う男としての亀次郎さんを随分認識していただいたのではないかと感じています。
 
 

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■カメジロー2は日記を再度読み込み、世に知られないけれど、詳しく記述している事件を取り上げ、筋立てを作る。

━━━カメジロー2ということで、前作を見ていない方に配慮しつつ、新しい亀次郎像を見せるというのは、難しい作業だったのでは?
佐古:確かに頭を悩ませました。タイトル一つとっても「2」と続編を匂わせるものを入れてしまうと、前作を見ていない人が敬遠してしまうかもしれない。だからあえてタイトルに入れず、本作だけ見ても全てがわかるように、そして前作を見た人にはもっと亀次郎さんのことを知ってもらえるようにしたいと思いました。なぜ亀次郎さんが怒り、闘うのかを説明するにあたっては、前作と重なる時間は既視感がないように違うエピソードで歴史を振り返っています。いわば、前作は大きな歴史の流れがあり、そこに亀次郎さんの日記の記述を探していったのですが、今回は先に日記を読み込み、取捨選択をしながら一本の筋立てを作り、そこに映像をはめ込んでいく。ですから、世に知られる大きな事件より、世の中に知られていないけれど、亀次郎さんが詳しく記述している事件を取り上げているところもあります。
 
例えば、今回取り上げた輸送機の墜落事故。嘉手納基地の横での飛行機墜落事故は、この3年前に起きた宮森小学校での事故のように大きく現代にも語り継がれているというものではありませんが、亀次郎さんは日記の中で「3度目」と書いた上で、その謝罪について「いつも米軍は口先だけだ」と怒っています。今でも沖縄で米軍が事故や事件を起こせば、米軍幹部が沖縄知事に謝りに行くけれど、結局同じ悲劇が繰り返される訳で、亀次郎さんが怒る状況から現在が見えてくるのです。
 
 

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■戦後史だけでなく、家族とのエピソードが詰まった亀次郎さんの日記秘話。

━━━今回は亀次郎さんのよりパーソナルな部分を捉えるために、230冊を超える日記を再び読み込んだそうですが、そこでどんな発見があったのですか?
佐古:前作の上映後半年ぐらい経ってから、カメジロー2に進んでみたいという気持ちが芽生え、再び日記を読み込む作業を始めました。元々亀次郎さんの次女、内村千尋さんが「父の日記には戦後史が詰まっているので、これを世に出したい」とおっしゃっており、政治と沖縄に関する部分も多いのですが、一方で家族のエピソードもたくさんある。お嬢さんがやった宿題を褒める日もあれば、「フミ(妻)と大喧嘩」と一言だけ書いてあったり、亀次郎さんは映画がお好きだったのでお嬢さんと一緒に見に行った映画の感想も書いていました。また、なぜ闘うのかの原点も記されていました。
 
━━━亀次郎さんの次女、千尋さんは舞台挨拶も佐古監督と一緒にご登壇されていますが、カメジロー2を作るにあたり、かなり力になってくださったのでしょうか?
佐古:千尋さんがいなければこの映画はできなかったでしょう。私たちテレビ局では持っていないような写真や映像をはじめ、ありとあらゆる資料をご提供いただきましたし、亀次郎さんが投獄中に自身を小説「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンと重ね、孫娘をコゼットと呼んだというエピソードも千尋さんとの会話の中から教えていただきました。千尋さんとお話する中で知った亀次郎さんの知られざる一面が本当に多かったんです。先行公開した桜坂劇場の舞台挨拶では、千尋さんのことを主演女優と紹介されていましたし(笑)不屈館だけでなく、千尋さんのご自宅にその5倍ぐらいの資料をお持ちなので、欲しい資料は逐一探していただきました。
 
 

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■不屈の男の原点は戦争への憎しみと怒り。

━━━映画の冒頭にも日記の一文が登場しましたが、その狙いは?
佐古:1969年、沖縄が日本への復帰が決まった年の慰霊の日の日記ですが、「恨みを飲んで殺された仲間たちの魂に報いる道は何か」と書いています。ラストに登場する佐藤首相との国会論戦で、「これは白骨であります」と写真を見せつけ、「再び戦場となることを拒否する」と断言しますが、何が彼をそうさせたのかと言えば、やはり沖縄戦、戦争への憎しみが原点にある。亀次郎さんが一番大事にしていた人間の尊厳も踏みにじられてしまうのですから、戦後アメリカ軍による軍事占領は耐えられなかったでしょう。加藤周一著「抵抗の文学」を読んだ後の感想と交えて「憎しみではなく、怒りの爆発だ。国民への愛情があるからなのだ」とも書いていますが、なぜ闘うのかという問いに対する人間のありようが見えます。一本筋が通っていますね。
 
━━━そこで一本の道が映し出されるのが新鮮でした。一貫した主義を貫く亀次郎さんの人生に重ねているようでした。
佐古:亀次郎が仲間たちの魂に報いる道、一筋に歩いた道をイメージしています。前作はガジュマルの樹で始まり、一本の道で終わったので、今回はその道で映画が始まり、最後はガジュマルの樹で終わります。2本の映画が不屈の精神の輪でつながるようにしています。
 
━━━亀次郎さんの不屈の精神を支えたのは、亀次郎さんを支持する沖縄のみなさんだったのでしょうね。
佐古:亀次郎さんは、あるインタビューで「カメさんファンがたくさんいますが」と問われ、沖縄の市民のことを「ファンというより友達だな」と語るように、先生と言われることを本当に嫌い、常に民衆と共に歩んでいました。そんな政治家は、なかなかいないと思います。
 
 
 

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■亀次郎さんは、アメリカ側の意図を読み取る分析力と先見性を持っていた。

━━━さらに、日記を紐解く中で、亀次郎さんの「先を読む力」にも注目されたそうですね。
佐古:亀次郎さんは、宮古島の刑務所で他の受刑者と隔離され、喋る相手はネズミぐらいという孤独な中で、奥さんからの手紙を待ち焦がれていた一方、すごく勉強していたんです。日記以外に学習ノートがあり、そこには領土問題、資本論など様々なことがびっしりと書かれていました。出所後に市長になりますが、アメリカ軍から市長を追い出される2ヶ月前には、日記に彼らが何をするかを書いています。実際、亀次郎さんは市長を追われ、でもすぐに、後継候補を立てました。またアメリカ軍から被選挙権まで奪われると、逆に立候補をし続けて、民衆からの支持を得ることでそれを打破すると書き、それを実現させました。また日米返還協定の前に、1969年佐藤・ニクソン会談で核密約のあったことが後年明らかになるのですが、亀次郎さんはそれ以前に「核隠し」「有事の場合持ち込む」と日記に書いているのです。アメリカ側の意図を読み取る分析力と先見性が、亀次郎さんの行動力の裏付けになっています。
 

 

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■本土と沖縄、沖縄のやり方はダブルスタンダード。

━━━亀次郎さんを見せしめにし、沖縄市民から土地も人権も奪う一方、今夏デジタルリマスター版が公開された『東京裁判』ではアメリカが本土市民の抵抗を逸らすために、天皇責任を問わぬ形にしたエピソードが語られました。この2作を見ると、アメリカの戦後日本に対する占領政策の使い分けが露わになっています。
佐古:最大の民主主義国家アメリカが日本に対して行ったダブルスタンダードです。例えば本土に対しては労働組合を認め、労働者にどんどん権利を与えていくので、ストライキも認められたのですが、沖縄の場合は権利を全て握りつぶされていきます。
 
━━━旅券を剥奪された亀次郎さんが唯一の夫婦旅行で、海の向こうへの思いをナレーションにのせて語るシーンがとても印象的でした。
佐古:現存している亀次郎さんの日記とフミさんの日記で、同じ日のものがあったのです。作ったおにぎりの数やおかずの中身、出発時間まで事細かに書かれていたのが、本当に一致していて、夫婦の仲睦まじさを感じました。本土を見るために、旅行に行った時の様々な会話をナレーションで再現していますが、祖国を見に行ったという特別な思いがあったのだと思います。
 
━━━そのナレーションは、役所広司さんが亀次郎さんの声を担当していました。すごく包容力がありましたね。
佐古:前作をご覧いただき、すぐにご快諾いただいたのですが、力強い演説にせよ、ご家族に対する言葉にしても、役所さんにお任せして亀次郎の世界を作っていただきたいと思っていました。役所さんも「すごい人がいたものだね」という風におっしゃりながら、亀次郎さん自身の映像は非常にキャラクターがしっかりしているので、声でどのように世界観を作り出すのか、随分考えていただいたと思います。本当に深く広い感じが出ていて、感動しました。
 

 

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■亀次郎さんや沖縄の皆さんのおかげで沖縄占領下の歴史、沖縄の気持ちを伝えることができた。 

━━━前作にも登場したハイライトの沖縄の主張と、政府の対応を佐藤首相に問う亀次郎さんの国会答弁シーンですが、今回はその全容を映し出し、魂の熱弁が胸に刺さりました。

 

佐古:国会議員になった亀次郎さんが民意を代弁する姿を描きたかったですし、あの亀次郎さんの演説はこの映画で描いてきたことが全て込められています。私も佐藤総理を追及する様々な言葉がすとんと胸に落ちてきましたし、さらに50年前の国会であんなに熱のこもった議論があったことが新鮮でした。当時は国会の場に、意見が違っても、それを認め、論じ合う姿勢があったんだと感じます。
 
━━━佐古監督は、15年に取材を始めてから4年間亀次郎さんに向き合っておられる訳ですが、取材を始める前と今とで、ご自身にどんな変化がありましたか?
佐古:テレビでは沖縄戦を伝える1時間半の特別番組など、様々な番組で沖縄のことを取り上げ、それにより伝えられたこともあったと思いますが、亀次郎さんや沖縄の皆さんのおかげで沖縄の占領されていた歴史、沖縄の気持ちを伝えることができた。それに対する感謝の気持ちが、まずあります。亀次郎さんの日記は色々なテーマで切り取ると、もっと様々なストーリーがありますので、まだまだ不屈の男にはまっていくと思います。
 

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■「少数派になることを恐れるな」日本戦後史の共通認識ができるものを提示し、議論に結びつけるきっかけづくりをしたい。

━━━最後に、前作のインタビューで、筑紫哲也さんから「自由の気風」を学んだとおっしゃっていましたが、今メディアで自由の気風がどんどん失われる中、佐古監督はこれからどのような役割を果たしていきたいですか?
佐古:自由の気風がなくなった時に、何が起こったかは歴史が教えてくれています。今の世の中どうなのかといえば、最近では忖度という言葉もよく話題になる。伝えるべきことをどこまで伝えているだろうかと、私もメディアの一人としてよく考えます。筑紫さんは「少数派になることを恐れるな」とおっしゃっていましたが、たとえ伝えていることが少数派であったとしても、だからこそ伝えなければいけないことがあります。私たちの仕事で、議論をするための一つの材料を提示することは重要な役割です。お互いに事実の認識を共有しなければ、まっとうな議論になりません。沖縄をめぐる今の議論も、戦後史の認識が抜け落ちたままでは、議論は的外れになってしまいます。そういう意味で、もう一度向き合うべきものを提示し、議論に結びつけるきっかけになればと思いますし、そういう仕事をさらに進めていきたいですね。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』
(2019年 日本 128分)
監督:佐古忠彦
出演:瀬長亀次郎他
語り:役所広司、山根基世
2019年9月6日(金)〜豊岡劇場、9月7日(土)~第七藝術劇場、京都みなみ会館、元町映画館、今秋シネ・ピピア他全国順次公開
(C) TBSテレビ

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~占領軍に立ち向かった瀬長亀次郎を通して沖縄戦後史に目を向ける~

 
戦後アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男、瀬長亀次郎の人生を通じて沖縄の戦後史を描いたドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が、9月16日(土)より第七藝術劇場、元町映画館、9月23日(土)よりシネマート心斎橋、京都みなみ会館他にて全国順次公開される。
 
監督は、「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、精力的に沖縄取材に取り組んできた佐古忠彦。初監督作品となる本作では、不屈の精神で沖縄のためにその身を捧げ、今も沖縄で市民の支持を得続けている瀬長亀次郎の人生を、大量の資料や証言を基に編み上げた。
本土が戦後の復興と民主主義を手に入れる中、語られることのなかった沖縄戦後史も証言と共に明らかになっており、沖縄を改めて理解する手がかりとなることだろう。
 
本作の佐古忠彦監督に、沖縄取材を積み重ねる中で感じていたことや、瀬長亀次郎が沖縄の人々に与えた影響、戦後沖縄の辿ってきた歴史についてお話を伺った。
 

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■本土が知らなかった、沖縄にある不条理に、いつも取材の中で出会っていた。

━━━瀬長亀次郎さんをお知りになったきっかけは?
20年以上も沖縄へ取材で足を運ぶ中で、いつの間にか沖縄の戦後史に残る一人として、瀬長亀次郎というお名前は耳にしていました。沖縄の人たちにとても鮮烈な印象を残している人なので、いつかきちんと向き合いたいとずっと思っていたのですが、その機会がなかなか掴めなかった。戦時中の沖縄、そして今の基地問題は断片的に取り上げてはいましたが、今につながる歴史を体系的に取り上げるということが抜け落ちていたのです。ここにアプローチし、今の状況を理解するものに繋がればという思いがありました。
 
━━━95年に起きた沖縄米兵少女暴行事件が沖縄で取材をするきっかけになったそうですが、現地取材を続けていく中で実感したことは?
取材を積み重ねることで自分自身も沖縄のことを勉強していったのですが、本土が知らなかった、沖縄にある不条理にいつも取材の中で出会っていました。最初、焦点を当てたのは地位協定の不平等さでした。地位協定は安保条約に付随していますから、日本全国の基地がある町に適用されるものです。事件や事故があった時の補償問題など、どうしても基地が集中している沖縄で起こるケースが多く、本土の人たちがあまり感じないような不平等さ、理不尽さを味わっていることが、私も徐々に分かっていきました。
 
 
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■筑紫哲也さんが大事にした「自由の気風」。議論の大切さやメディアの果たす役割を追求する姿勢を学ぶ。

━━━これらの取材をしながら、佐古監督は10年間「筑紫哲也NEWS23」に出演しておられましたが、筑紫さんと一緒に仕事をする中で学んだことや、今でも胸に刻んでいることはありますか?
筑紫さんはあれこれ指示をする方ではなく、いつも後ろから見守って下さるタイプでしたが、私が沖縄取材をし、様々な特集を作る中で、5月15日(沖縄本土復帰記念日)や、6月23日(沖縄慰霊の日)など沖縄にとって節目となる日には、一緒に沖縄に出かけて中継をし、色々な経験を一緒に重ねてきました。
 
筑紫さんがよくおっしゃっていたのは「沖縄からこの日本が見える」。沖縄から色々な日本の矛盾が見える。それがあり続けるからこそ、私もずっと取材を続けていますし、筑紫さんにとっても私にとっても沖縄の存在は大きいです。物を考える原点になっています。
 
また、筑紫さんがいつも大事にしていた言葉の一つに「自由の気風」があります。「色々なことが自由に議論できなくなる世の中になると、何が起こるのかはこの国の歴史が証明している。自由の気風を絶対守っていかなければならない」と思われていた方でした。色々な考えがあっていいし、議論をむしろ楽しむぐらいの世の中を維持していかなければいけないとよくおっしゃっていました。私も自分がニュース番組を担当している時、相対する意見を持つゲストを招くこともよくありましたが、いかにご覧いただいている方に考える材料を多方面から提示できるか。それが私たちの役割です。そして、議論の大切さ、それができる社会であること、そのためにメディアが果たす役割は何なのか。それらを追求する姿勢が、筑紫さんを通して私の中に根付いたのではないかと思っています。
 

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■瀬長亀次郎さんを通して沖縄戦後史を見ると、今まで取材した点と点が繋がって線になる。

━━━瀬長亀次郎さんの人生を通して沖縄の戦後史を今、描こうとしたのはなぜですか?
ニュースでは、どうしてもその日起きたことを切り取るだけで、なぜこのようなことが起きるのかという全体像が見えません。特集として報道することもありますが、それでもどこまで伝えきれているのか不透明です。一面的な部分を見て、「また反対している」と批判的な声が出てきますが、よく考えてみれば本土は当たり前のように平和憲法を手に入れ、経済的な復興を遂げた訳です。でも一方で沖縄の戦後史に何があったのかは伝わっていません。本土の認識からすっぽり抜け落ちている部分ですが、そこに目を向ければ本土との溝や温度差が少しでも埋まることに繋がるのではないか。
 
そう考えた時、沖縄の戦後史の中で占領軍に立ち向かった瀬長亀次郎さんを通して戦後史を見ると、皆さんに伝えられることがあるのではないかと思いついたのです。今でも続く県民大会や翁長知事が誕生した後の空気を見ると、私が取材で見聞きしていた時代に似ているのかもしれない。実際にそういう話を現地で聞いたことがあり、点と点が繋がって線になっていく感覚がありました。
 
━━━瀬長亀次郎さんの取材を重ねる中で、新しい発見はありましたか?
亀次郎さんはたくさんの日記や資料を残していますが、それらを調べ、関係者に取材すると、こんなにエピソードが多い人だったんだと。調べれば調べるほど溢れてくるのですが、全部を映画に入れる訳にはいきませんから(笑)。亀次郎さんの存在感の大きさもどんどん分かってきましたし、いまだにそれは続いています。最初に沖縄で本作を公開した時、集まってこられた人の多さもしかりですし、頂いた感想も含めていかに亀次郎さんが愛され、今も求められている存在なのかを改めて意識しました。大昔の偉人という訳ではないにも関わらず、現在の人が教えを乞う訳ですから、稀有な存在だったと思います。
 
 
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■沖縄は戦争が終わって、平和も民主主義も来なかった。だからこそ声を上げ続けている。

━━━瀬長亀次郎さんは、アメリカの軍事占領下に置かれた沖縄で、率先して民主主義を求めて団結し闘う旗印になっていました。これが今につながる沖縄の活動の原点のように見えました。
平和憲法が手に入ることで、日本は軍国主義が終わり民主主義を手に入れた訳ですが、沖縄だけはあの戦争が終わっても平和も民主主義も来なかった。本土は民主主義を与えられたのですが、沖縄は自分たちで民主主義を獲得しなければならなかった。ひょっとすれば今も本当の意味で民主主義を獲得しておらず、だからこそ声を上げ続けているという面もあるでしょう。
 
━━━戦後、瀬長亀次郎さんらを筆頭に沖縄の人たちが声を上げ続けた歴史が、今の民主主義に対する思いの強さに受け継がれていますね。
自分たちの思いを公に言えないような時代に、明確な言葉で沖縄の主張を演説する亀次郎さんに人々は希望を託す訳です。家族で集会の場に出かけていくというのは、ある種はじめての政治参加であり、集会に行くこと自体が自分たちの意思表明になっていました。その頃から時が流れても、同じように県民大会が行われているのは沖縄以外にありません。そこで出てくるテーマは不条理なことばかりで、戦後から続いているのと変わりません。その一つ一つが沖縄でどこまで解決されているかを見つめると、また見えてくるものはあるのではないでしょうか。
 

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■亀次郎さんは、戦後早々から男女平等の実現に動く先進的な面を持っていた。

━━━取材では瀬長亀次郎さんの娘さんも登場し、在りし日の父のことを語っておられましたが、父親としての亀次郎さんはどんな素顔があったのでしょうか?
とても怖かったみたいですよ。よく怒られたそうなのですが、日記を見るとなぜ子どもたちを怒ったかが書かれていたそうで、亀次郎さんが亡くなってから日記を見て初めて自分が怒られた原因が分かったそうです。一方でとても家庭的な面があり、刑務所に収監された時からの習慣で、朝の5時から家族の洗濯物をしていたそうです。洗剤が残るともったいないから、家族に洗濯物の残りがないかと声をかけてと。なぜそのようにしていたかと言えば、奥様が雑貨のお店の仕事をされていたからで、自分も楽しくて(洗濯を)やっているのだから感謝しなくともよろしい、と日記に書いているのです。今でいう「女性が輝く社会」を目指す、とても先進的な面を持っていました。労働法の審議でも、男女平等を唱え、産前産後に二カ月の休暇を女性に与えるべきだと訴えていましたから。あんな昔に男女平等の実現に動いていたという意味でも、なかなかいない人だったのではないでしょうか
 

■ハイライトの国会での論戦、亀次郎さんの訴えは沖縄の思い。

━━━瀬長亀次郎さんが、衆議院議員に当選後、明瞭かつ的確に沖縄の主張と、政府の対応を当時の佐藤首相に問う論戦は、様々な思いが胸をよぎるシーンです。この論戦を盛り込んだ意図は?
あの論戦は、ある種本作のハイライトだと思っています。沖縄の思いを時の首相にぶつける。その首相は沖縄返還の立役者と言われていますが、密約をしていたことが後に明らかになっています。とても象徴的なシーンですし、あそこで訴えている言葉は沖縄の思いなので、絶対に入れたいと思いました。亀次郎さんが行った50年代の演説動画は残っていませんが、多分このような調子で民衆に訴えかけ、そしてアメリカにも向かって行ったと推測できるという思いもありました。また、首相もタジタジになりながらも主張の違いを認めた上で、誠意をもって答えているように見えたのです。今の政治との比較もできますし、古い話のように見えて、一つ一つのテーマに今日性があると思います。
 
━━━最後に、これからご覧になる皆さんにメッセージをお願いいたします。
なぜ今沖縄がこのような状態なのか。それは歴史があるからなので、歴史を見ることで今が見えるという思いで制作しました。私たちの認識から抜け落ちていた沖縄の戦後史に目を向けることで、今ある状況、これからの沖縄やこの国の在り方も含めて、どうしていけばいいかを自分たちの問題として考えられるきっかけになればと思っています。
(江口由美)
 

<作品情報>
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
(2017年 日本 1時間47分)
監督:佐古忠彦
出演:瀬長亀次郎他
語り:山根基世、大杉漣
テーマ音楽:「Sacoo」作曲・演奏 坂本龍一
2017年9月16日(土)~第七藝術劇場、元町映画館、9月23日(土)~シネマート心斎橋、京都みなみ会館他全国順次公開
(C) TBSテレビ
 

Wellington-b550.jpg『ウェリントン将軍〜ナポレオンを倒した男(仮)』監督、バレリア・サルミエント トーク<フランス映画祭2013>

Wellington-1.jpgLines Of Wellington  2012年 フランス=ポルトガル 152分)

監督:バレリア・サルミエント
出演:ジョン・マルコヴィッチ、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ、ミシェル・ピコリ、イザベル・ユペール、キアラ・マストロヤンニ、メルヴィル・プポー 他

2012年 ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門 正式出品作品
※2014年、シネスイッチ銀座他全国順次公開(配給:アルシネテラン) 


 

〜戦争はいつの時代にあっても悲しく、いたましい〜 

 

Wellington-2.jpg 1810年、ナポレオン皇帝の命により、マッセナ元帥(メルヴィル・プポー)はポルトガル征服を企てる。対峙するのは、ナポレオンの宿敵、ウェリントン将軍(ジョン・マルコヴィッチ)が率いるイギリス・ポルトガル連合軍。ナポレオンがポルトガルに侵攻してからから撤退するまでの間、ウェリントン将軍が張った防衛線のもとで、さまざまな人々の人生が交差し、スクリーンの上で語られる。チリ出身の巨匠、ラウル・ルイス監督は、本作に取り組んだものの撮影前の2011年に他界。ラウルの伴侶であったバレリア・サルミエントがその遺志を継ぎ、メガホンをとった。

  戦争は、何時にあっても何処においても、同じように悲しい。巻き込まれ、犠牲となるのはいつも弱者である。多くの女性や子供たちが心を踏みにじられるさまは、女性監督だからこそ成し得た描写なのだろうか。心休まるのは、短いシーンでときおり登場する、多くの名優たちだ。華やかな大スターの存在が、「今起こっているのは現実ではない、映画の出来事なんだ」と一瞬でも感じさせてくれる。たとえこれが歴史的史実に基づいた作品であったとしても。 

(田中 明花)


映画上映終了後、バレリア・サルミエント監督が登壇。昨年の同映画祭で上映された『ミステリーズ 運命のリスボン』の故ラウル・ルイス監督の最後のプロジェクトを引き継ぎ、本作を完成させた。東京フィルメックスの市山尚三プログラミング・ディレクターの進行で、観客席とのQ&Aが行われた。

まず、市山氏より、制作の経緯についての質問が出された。

Wellington-b1.jpgバレリア・サルミエント監督:ブサコの戦い(ナポレオン軍のポルトガル撤退)があってから200周年ということで、映画の舞台となった、ポルトガルのトレス・ヴェドラスからオファーがありました。 まず、プロデューサーのパウロ・ブランコさんに依頼があり、脚本のカルロス・サボガさんが決まり、ラウル・ルイス監督(以下ラウル)へ話が来たのです。 精力的に準備を進めていたラウルですが、残念なことに健康を害してしまい、撮影が始まる前に世を去ってしまいました。それでも、彼の魂はいつも私のもとにあり、撮影の間ずっと付き添ってくれました。

――― 原作はあったのでしょうか?
バレリア・サルミエント監督:数々の歴史的証言—— マルコ将軍の回顧録や、英国人の手記などを参考に、物語をつくりました。


続いて、観客席から次々に質問が寄せられた。

Wellington-3.jpg――― この作品を通してもっとも伝えたかったことは?
バレリア・サルミエント監督:この戦争が、私たちにどのような結果をもたらしたのか、今日のヨーロッパがいかに残酷な事実を経た上で成り立っているのか、それを伝えたいと思いました。ヨーロッパの現在の政治的状況などを考えると、このような映画をつくることには大きな意味があると感じたのです。
 敗北の歴史だからでしょうか。フランスでも、この史実についてはなかなか語られないのが現状ですが、ポルトガルにおける敗北というのは、後々に因縁を持つウェリントン将軍との最初に対峙した場所であるという点が興味深いと思います。

――― 国際的なスター俳優がたくさん出演されていますね。
バレリア・サルミエント監督:ラウルの作品に出演した彼らは、ラウルにオマージュを捧げる思いで参加してくださいました。

Wellington-b2.jpg――― 参考資料について
バレリア・サルミエント監督:マチュー・アマルリックが演じたマルコ将軍の回顧録の中で、彼はマッセナの悪口を書いています。「マッセナは愛人のことばかりにかまけていて、ちゃんと戦争をしていないじゃないか」と(笑)。
 資料として特に面白いと思ったのは、当時の戦場を描いたデッサン(英国側が残したものが多かった)が、ポルトガルのロケハンで役立ちました。有名ではない戦場が描かれていたので。また、当時ポルトガルで仕事をしていた英国人らが書いた手記が役立ちました。その1つが、映画に登場したクラリッサという若い女性が書いた手記です。 

――― ジョン・マルコヴィッチの大ファンです。彼の魅力、撮影現場でのエピソードなどを教えてください。 
バレリア・サルミエント監督:ジョンは、ラウルのとてもいい友人でした。穏やかで優しく、それは私に対しても変わらず、仕事をしている間、とても心地よい時間を過ごしました。そして、虚栄心に満ちた人物(=ウェリントン将軍)を見事に演じてくれた、偉大な俳優でもあります。

――― ナポレオンによく似た構図のウェリントンの肖像画がありましたが、歴史的事実に基づいたものなのでしょうか? あのような肖像画が、実際に存在しています。
バレリア・サルミエント監督:ウェリントンは生まれ年もナポレオンと同じく、お互いに意識しあっていました。そのライバル心が、肖像画にも表れていると思います。映画に登場した画家も実在し、ナポレオン侵攻の絵を残しています。
  映画の中で、ウェリントンは手を隠していましたね。なぜ手を隠すかというと、当時は手を描くと、画家にその分の料金を請求されてしまうからだそうです(笑)。

――― フランスの若い観客の反応はどうだったのでしょうか?
バレリア・サルミエント監督:驚いていたと思います。学校で歴史は学びますが、フランスの若い世代はポルトガルのことは教わりません。また、彼らにとって戦争は遠い存在です。だからこそ、戦争を学ぶのに映画はとても入りやすい手段だと思います。


 上映された6月23日は、沖縄の「慰霊の日」(太平洋戦争において沖縄戦が終結した日)にあたる。その思いと重ね合わせたという観客の声があり、一瞬、会場全体が鎮魂の空気に包まれたように感じられた。

 

 

 

 

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