
| 制作年・国 | 2024年 日本 |
|---|---|
| 上映時間 | 1時間38分 |
| 監督 | 監督・脚本:吉田浩太 プロデューサー:後藤剛 撮影監督:関将史 撮影: 関口洋平 主題歌:浜田真理子「かなしみ」 |
| 出演 | 西原亜希、イトウハルヒ、小野塚老、みやなおこ、芦原健介、丸山奈緒、橋野純平、芹澤興人、はな |
| 公開日、上映劇場 | 2025年10月10日(金)~新宿武蔵野館、10月24日(金)~京都シネマ、11月1日(土)~第七藝術劇場、元町映画館 他全国順次公開 |
〜居場所とは、存在意義とは〜

大阪アジアン映画祭で入選を果たした吉田浩太監督の『スノードロップ』が反響を呼んでいる。10月10日の新宿武蔵野館を皮切りに関西では10月24日から順次公開予定だ。本作は実話を元に生活保護と介護の現実を描く。
ある日、葉波家に20年前に失踪した父・栄治(小野塚老)がふらりと戻ってくる。激昂した姉は父を許すことはなかったが、母キヨ(みやなおこ)に頼み込まれ妹の直子(西原亜希)は不承不承、父を受け入れる。それから10年、新聞配達をしながら家計を支えてきた父が、持病の悪化により仕事を続けられなくなってしまう。そのときすでに母は認知症を発症していた。直子が介護を引き受けており、唯一の働き手を失った一家は生活保護の申請に踏み切るのだが・・・。
始まりから不穏なムードが漂う。直子に笑顔はなく、常に画面は曇り空のよう。そんななかケースワーカーの宗村(イトウハルヒ)の存在が観ている私たちにとっても救いとなる。親身に相談に乗る宗村は、葉波家の窮状を知り、介護サービスも受けられるよう便宜を図る。このあと物語は新たな展開を見せる。この緩急がみごとだった。ぎりぎりまで丁寧に丁寧に積み上げていくが、説明過多なところがない。十分に状況を理解させた上での省略が鮮やかだ。
また、西原亜希の演技が白眉。直子は極端に口数が少ないが、目の動きが心の中の何かを映し出している。宗村が「一緒にがんばっていきましょう」と声をかけたときの直子の表情は演技とは思えないほどだ。
ケアシステムの基本概念として自助、共助(互助)、公助の三種類がある。防災をきっかけによく聞かれるようになったが、貧困問題は表面化しづらい。特に日本は自助の精神が強すぎると世界的にみても言われているし、実感としてもある。私自身、直子の状況を八方塞がりのように感じたのは、自助の精神が強かったからだろう。生活保護の何たるかは宗村の訪問審査によって、どのような条件の下で受理されるのか、そのためにはどのような手続きが必要なのかということが、おおまかに理解できる。しかし、本作はその奥にもう一枚の壁があることを静かに提示する。

この物語は制度と実態の乖離を静かに指し示すのだ。生活保護は”文化的な最低限度の生活”を保障するものだが、それ「だけ」では”幸福追求の権利”は保障できないと言っているようだ。困っていたら助けを求めていい、いや求めるべきなんだと、それが公助なんだと、本作は目を開かせてくれる。本当に困ったとき、知らなければどこに助けを求めればいいのかわからない。それを周知・啓蒙する役目も果たした。西原亜希の深い眼差しとイトウハルヒの真摯な苦悩や葛藤が、私たちの心に確かな足跡を残してくれる。支援を受ける立場、支援する立場のそれぞれに自分を置いてみる新たな視点を与えてくれるものだった。いつか誰かの助けになれると思えば心は軽くなるはずなのだ。吉田監督自身、闘病中に生活保護を受給した経験があるという。その意義を映画を通して語りかける。それは映画の内容だけでなく、映画というものの力まで感じさせるものだった。印象的な俯瞰ショットや様々な表情を見せる空模様が物語をさりげなく補完する。
そして、これは”居場所”の物語でもある。栄治が20年ぶりに戻ったのも他に居場所がなかったから。みんな”居場所”を求めて、存在意義に悩みながら生きている。観ていて心は重くなる。生活と老いは誰にとっても切実な問題なのだ。しかし、最後まで観たとき、心に温かいものが満ちてくる。
(山口 順子)
公式サイト:https://snowdrop-film.com/
製作 クラッパー
宣伝・配給:シャイカー 配給協力:ミカタエンタテインメント
©クラッパー


