原題 | Lahn Mah |
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制作年・国 | 2024年 日本 |
上映時間 | 2時間6分 |
監督 | 監督・脚本:パット・ブーンニティパット(TV版「バッド・ジーニアス」) 共同脚本:トサポン・ティップティンナコーン 撮影:ブンヤヌット・グライトーン |
出演 | プッティポン・アッサラッタナクン(ビルキン) ウサー・セームカム サンヤー・クナーコン サリンラット・トーマス(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』) |
公開日、上映劇場 | 6月13日(金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX堺、京都シネマ、シネ・リーブル神戸、MOVIXあまがさき 他全国順次上映! |
〜タイのA24・GDHの新作はビルキンが主演!〜
タイを代表する俳優・歌手として人気のビルキン主演の本作は、国内はもちろんアジア各国で大ヒットを飛ばした。清明節(日本のお盆)の日、メンジュ(ウサー・セームカム)を旗頭に長男のキアン、長女シウ、シウの息子エム(ビルキン)次男ソイの5人で墓参りに来ている。毎度のことながらキアンの妻と娘は来ない。メンジュは借金こそないものの夫に先立たれ1杯10〜20バーツ(10バーツ=43.8円)のお粥を売って生計を立てている。立派な墓が欲しいとこぼしながらエムに果物や花を供えるよう指示する姿はかくしゃくとしているが、この直後に病気が見つかる。
そのころ従姉妹のムイ(トンタワン・タンティウェーチャクン)が祖父の介護をして家を相続したと聞いたエムは自分にもチャンスがあると考える。高齢者への関わり方、好かれる秘訣を尋ねると、ムイは伯父たちにはなくて自分たちにあるもの、それをあげるのだと答える。勢い込んでメンジュの世話を買って出たエムだったが・・・。
本作はGDHの作品を多く手がけてきた脚本家トッサポンの実体験を元にしているという。ムイやエムの無邪気さの奥に見え隠れする、フレッシュな感情の源泉はそこにあったようだ。監督、プロデューサーを含めた4人によって脚本はさらにブラッシュアップされる。ときはコロナ禍。打ち合わせがZOOMで行われたことも脚本に影響をもたらした。この時期、帰省や面会ができなかった人は少なくない。誰もが自然と家族を見つめ直した時期だったのだ。タイではかつて20人規模の同居家族は珍しくなかったらしい。しかし時代と共に家族の形態は変化する。プロデューサーから出た「持っていることさえ忘れている家族」という言葉が心に残る。
兄弟それぞれにキャラクターがあり事情がある。妻に押され気味のキアン、借金を抱えながらメンジュに対しては虚勢を張るソイ、シウはシングルマザーでエムは大学を中退し無職。はじめはそっけないメンジュだったが、正直で屈託のないエムのいる生活に安らぎを感じ始める。早朝からお粥の仕込みを手伝い、メンジュのスパルタぶりに音を上げるかに見えたエムもやがてメンジュに心を寄せるようになる。共に過ごすことの有り難さがメンジュとエムが炊くおかゆの湯気から立ち昇るようだった。
舞台となったタラート・プルーは、近代的なビル群の背後に黄金色に輝く仏像が聳える都市の顔と一歩路地に入れば庶民的な屋台や古い住宅がひしめき合う、新旧織り交ぜた人気のスポットだ。祭事や生活様式もどこかエキゾチック。例えば、徳を積むため無縁仏を祭る棺桶を寄付するという慣わしがある。同時に願い事を書いて架ける。日本の絵馬のようなものだろう。また、お墓の周りに丸鶏を供えたり爆竹を鳴らしたり、そんな生活に根ざした映像のなかに二度、虹が登場する。なんとこれが本物だったという。絶妙なタイミングに撮影クルーは湧き立った。その虹を使ったもう一つのシーンでは切ない対比を生み出す。
30年近く前、他県に住む祖母が亡くなり、きょうだいで葬儀にかけつけたとき、姉が言った言葉を思い出した。「おばあちゃんてどういう人やったんやろう」それまで祖母がどんな人だったのか考えたことがなかった。いつも穏やかで優しかったが、数年に一度しか会う機会はなく、それも高校生のときが最後だった。老衰で、苦しむことなく逝った祖母の葬儀は和やかに笑顔の中で行われ、めったに顔を合わせる機会のない親戚たちと「次はおめでたいことで集まろう」と言い合った。私にも「忘れていた家族」がいたことに気づいた。エムはメンジュと過ごすなかでメンジュがどんな人だったのか少しづつ知っていったにちがいない。観れば眠っていた記憶が蘇る、そんな映画だ。
(山口 順子)
公式サイト:https://unpfilm.com/lahnmah/
配給:アンプラグド
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