原題 | Sages-femmes |
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制作年・国 | フランス |
上映時間 | 100分 |
監督 | ・脚本:レア・フェネール |
出演 | エロイーズ・ジャンジョー、カディジャ・クヤテ、ミリエム・アケディウ |
公開日、上映劇場 | 2024年9月27日(金)よりテアトル梅田、アップリンク京都、シネ・リーブル神戸にて公開 |
受賞歴 | 第73回ベルリン国際映画祭 審査員特別賞、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2023観客賞 |
~命の現場に光はあるのか~
日本では少子化のあおりを受けて産婦人科がどんどん閉鎖され、出産したいのに産む場所がみつからないという現象が起きているが、冒頭からER救急病棟かのような人員の多さと、緊迫した助産師たちの働きぶりに目を見張った。多胎児妊婦専用の病室もあり、ナースステーションの中央管制モニターでは、各部屋に産前で入院(もしくは待機)している妊婦のお腹の中にいる赤ちゃんと母親の心拍が常に映し出され、何か異常な動きがあれば処置できるようになっている。わたしは双子を産む前に2ヶ月ぐらい入院を経験し、帝王切開しているし、初産のときは前日夜に入院し、翌日に助産師さんたちの掛け声のもと、普通分娩で長女を出産しているのだが、国が違うとはいえ、今はこんなに進化しているのかと密かに驚いていた。さらに驚くべきことに本作で登場する多数の出産シーンは全て妊婦さんに許可を得て、彼女たちの出産を撮影したという。直接赤ちゃんの頭が自分の体から出てくる瞬間をわたしは見ることができなかったが、うん十年経ってそれを疑似体験するかのような命の誕生現場の数々を目の当たりにし、とても感慨深かった。
本作は、研修期間を終え、公立病院の産婦人科で働き始めた新人助産師でルームメイト同士であるルイーズとソフィアの葛藤や挫折、成長と、助産師たちが置かれた厳しい労働環境、さらに出産のため病院を訪れる、もしくは救急車で運ばれる妊婦たちの置かれた状況にも迫った群像劇だ。忙しいあまり、ベテラン助産師で研修係のベネに時間をかけて教えてもらえず右往左往するルイーズ。現場経験が豊富で、指図されずとも自分の仕事を見つけ、出産の担当を受け持つようになるソフィア。新人のふたりの明暗が分かれたかと思われたが、ソフィアが担当した難しい状態の妊婦が、トラブルの末生まれた赤ちゃんが無呼吸状態であることから蘇生措置をすることに。この体験がトラウマとなり、ソフィアに焦りが生まれ、ついには一時出勤禁止を言い渡されてしまう。
心拍モニターが故障していたこと、一人で緊急に二人も同時に受け持つという限界を超えた人員配置など、非常事態が起きた原因は根深く、ストを訴える助産師もいたが、その場を丸く収められてしまったことは、根本的な労働環境改善の難しさを物語る。突然出産の方法が変わり不安を覚える妊婦やその家族に、「大丈夫です。心配はないですよ」と声をかけ、全面的にケアをする助産師たちだが、そんなスタッフたちが私生活を犠牲にし、手術室が一つしかないという物理的理由で本来するべきケアができないことに悩む姿も描かれ、これは政治的問題でもあることを示している。出産しても行き場のない移民女性アガジの絶望的な表情と赤ちゃんに対するそっけない態度は、この国で生き延びること自体が困難であることの証だ。
フランスが抱える社会問題を凝縮したような物語だが、その中でルイーズの成長を感じたシーンをご紹介したい。妊婦に自分の体験から麻酔をして無痛分娩を猛然と勧める付き添いの母親をなんとかなだめて部屋の外に出し、妊婦本人に自分のやりたいお産を問いかける。産む本人の気持ちを尊重するという基本的なことを思い出させてくれたルイーズの落ち着いたケアが、小さな光のように見えた。映画の最後には、助産師たちが実際に待遇向上を求めてデモを行う様子が収められている。大変かつ非常に重要で専門性のある仕事であるにも関わらず、人員削減のため労働時間が長く疲弊してしまう助産師たちの訴えを無にしてはいけない。助産師のみなさんこそが妊婦たちの光であり、支えであるのだから。
(江口由美)