原題 | 原題:白日青春/英題:The Sunny Side of the Street |
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制作年・国 | 2022年/香港・シンガポール/広東語・ウルドゥ語 |
上映時間 | 1時間51分 PG12 |
監督 | 監督・脚本:ラウ・コックルイ(劉國瑞) 撮影監督:リョン・ミンカイ(梁銘佳) |
出演 | チャン・バクヤッ(陳白日)=アンソニー・ウォン(黃秋生) ハッサン(哈山/Hassan)=サハル・ザマン(林諾/Sahal Zaman) チャン・ホン(陳康)=エンディ・チョウ(周國賢) アフメド(阿默/Ahmed)=インダージート・シン(潘文/Inderjeet Singh) |
公開日、上映劇場 | 2024年1月26日(金)~新宿シネマカリテ、なんばパークスシネマ、MOVIXあまがさき、3月15日(金)~京都シネマ、順次~神戸元町映画館 他全国順次公開 |
居場所を求めて…
難民にも移民にもなれず中継地で漂う人々
ちょうど今年20周年記念上映が行われている『インファナル・アフェア』シリーズ(2002-2003)のアンソニー・ウォン8年ぶり待望の復帰作。難民認定を待つパキスタン人・アフメドとタクシー運転手・パクヤッの接触事故をきっかけに生まれたパクヤッ(白日)とアフメドの息子ハッサン(青春)との奇縁を人間味ゆたかに描いた。
移民許可を得るため香港に滞留中のアフメドは同胞の助けで細々と、息をひそめるように暮らしている。香港に渡ってから生まれた息子ハッサンはすでに10歳になっていた。一方のパクヤッは永住権を得ているが元はと言えば同じような立場。しかし事故の相手が難民と見るとたちまち高飛車になる。社会的弱者がさらに弱い者に鞭を振るう図式が何ともやり切れず、自分の過失を棚に上げ誠意のかけらもない態度に腹立たしさで歯ぎしりしたくなる。
そんな一見こずるい男を生々しく演じたアンソニー・ウォンだが、実人生ではパキスタンを追われたアフメドと重なるところがある。2014年の反政府デモ(雨傘運動)を支持したことで中国・香港の映画界から干され台湾への移住を余儀なくされたのだ。そして監督のラウ・コックルイは長編は本作が初となるが、それ以前に香港の難民の記録映画を撮っており自身もまた中華系マレーシア人4世で現在は香港へ移住している。その実存が作品のなかに息づいている。
前述のようにパクヤッの行動も善か悪かで量れば答えは明白だが、その人をその行動に駆り立てる動機と呼ぶ以前の、まるで脊髄反射のようなもの、それが滲み出ているのだ。また、元弁護士としての職業倫理や正義感から妥協を許さないアフメドの行動もまた脊髄反射かもしれない。ハッサンを演じたサハル・ザマンも役どころと同じパキスタン系。同郷の大人のささやかな結婚式の夜、カナダへの移住が決まった幼なじみと並んで座るショットは『小さな恋のメロディ』(1971)のようで、薄暗がりの中でそこだけ煌めいて見えた。もう一つの結婚式との対比も香港社会の複雑さをよく表している。
近年は移民の現実を正面から描いたものが増えた印象だ。『ミナリ』(2020)や1月に公開される『ニューヨーク・オールド・アパートメント』然り。これまでも制作はされていたのだろうが、より広く届くようになったのではないだろうか。
環境が人に与える影響は小さくない。親子でありながらアフメドとハッサンの生き方は180°違う。高等教育を受けた父親はどんなに困窮しても矜持を捨てることができないが、不条理を味わいながら育った息子はつい盗みを働いてしまう。思春期の入り口はちょっとしたきっかけで足を踏み外す季節でもあり、その狭間で妻は板挟みにあっている。そうなると業が深いのはむしろアフメドなのかとすら思え、パクヤッの当初の行動を許すことはできないまでも、あり得るという気もしてくる。パクヤッにもまた息子がいるのだ。
さて、ラストシーンのパクヤッの決断をどう捉えるだろうか。私は違う選択を祈ったのだが、ある曲の”人のためにできることはあれど、人のために生きることができない”という歌詞が頭をよぎると見え方が変わった。パクヤッはハッサンとの出会いによって疲弊するばかりの人生で圧縮され封印されていたものがほどけたのだろう。ハッサンの中国名”青春”は「苔」という詩の一節から取ったもので、この詩のなかに”白日”という言葉も出てくる。全編を観終え改めてこの詩を反芻すると味わいが増し、不透明な未来に希望を投げかけてくれる気がした。
(山口 順子)
公式サイト: https://hs-ikite-movie.musashino-k.jp
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配給:武蔵野エンタテインメント株式会社
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