原題 | 小畢的故事 |
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制作年・国 | 1983 年 台湾 デジタル・リマスター版 |
上映時間 | 1時間34分 |
原作 | 原作・脚本:原作・脚本:チュウ・ティエンウェン(朱天文) |
監督 | 監督・撮影:チェン・クンホウ(陳坤厚) 脚本:ホウ・シャオシェン(侯孝賢)、ディン・ヤーミン(丁亞民)、シュー・シューチェン(許淑真) |
出演 | 秀英、小畢/畢楚嘉、畢大顺、 |
公開日、上映劇場 | 2023 年 7 月 22 日 (土)~新宿 K’s cinema、9月~シネ・ヌーヴォ ほか全国順次公開 |
~40年の時を経て、いま蘇るホウ・シャオシェンの世界~
ホウ・シャオシェンの幻の名作が、この度デジタルリマスターで日本初公開となる。ホウ・シャオシェンと言えば日本では『珈琲時光』(2004)がもっとも有名ではないだろうか。『東京物語』へのオマージュがこめられた小津安二郎生誕100年記念作品であり、その作家性にも通じるものがあると言われる。本作はそれよりずっと以前1983年の作品で制作・脚本での参加。おそらく小津作品との接点はまだないはずだが、やはり不思議な親和性を感じるのだった。また、のちにタッグを組む脚本家チュウ・ティエンウェンとの縁の始まりであり、台湾映画を世界の舞台へと押し上げるきっかけともなった重要な作品だ。
1960年代、シウインは淡水という港町に幼い息子アジャと共に嫁いでくる。結婚の条件はただ一つ、息子を大学に行かせること。結婚を機にビー氏の養子となったアジャはシャオビーと呼ばれるようになる(シャオ=小は子どもを指す)。やんちゃでいたずら好きのシャオビーとは対照的にシウインは無口で表情が乏しいが芯の強い女性だ。昔馴染みの友人が訪ねてきたときだけは女同士はしゃぐ場面もあるが、つねに寂し気な空気をまとっている。その訳は回想シーンから浮かび上がってくるのだが、そんなこんなも乗り越えて幸せをつかんだかに見えた。しかし、ある日シウインは命を絶ってしまうのだった。すべてが会話と隣家の少女シャオファンの視点によって構成されているため、実際にどんな心の動きがあったかはわからず、それが物語に不思議な余韻を残す。
思えば初めからシウインの輪郭はおぼろであった。心情は痛いほど伝わって来るのに核心が見えない。それは時代と無関係ではないだろう。女性が自己主張できるような時代ではなく、幼い子どもを抱えているとなれば尚さらだ。シウインがもっと楽に生きられる方法はなかったのだろうかと考えてしまうのは、彼女が幸せそうに見えなかったからなのか。いや、夫への恩義に報いるため家族のため、家事・育児をこなす日々は傍目にも活気に満ちていた。シャオビーの下に二人の子をもうけ、その時々の喜びも確かにあった。ただすこし窮屈そうに見えた。それは現代にも共通する窮屈さなのかもしれない。自分の手の届かない領域に片足を入れ始めた息子に戸惑うシウインの思いが、やんちゃで無軌道に見えたシャオビーが抑え込んでいた鬱屈が、勝手な想像ではあるが作品を離れて心を揺さぶる。
何かを選び取ることは何かを捨てることでもある。ずいぶん前のことだが、作家の五木寛之氏が「あきらめる」とは「明らかに極める」ことだと書いておられた。諦めることをネガティブに捉える必要はない、達成できなくても最後までとことんやったら手放せば良いというニュアンスだったと記憶している。そんなことを思い出した。そして、一家が越してきたときから付かず離れず、それとなく見守っているシャオファンの存在がこの物語にしなやかさと爽やかさを添えている。この語り口の上手さに脱帽の映画体験だった。受け取るものは人それぞれだろう。私は「それでも、生きていく」というメッセージを受け取った。
また、タイトルの通り少年の魅力がみごとに活写されている。おぼつかない足取りでカルガモのように小さな隊列を作るさま、学校帰りにピンポンダッシュをしたり、塀づたいに実った果物を取ったり。兄の真似をしたくて後をつけるのも、それを追い払うのも、やはり少年。長じてはグループ同士の抗争など、様々な年代の少年がとてもよく描けている。この機会にぜひ多くの人に観て欲しい作品。
(山口 順子)
《台湾巨匠傑作選 2023~台湾映画新発見!エンターテインメント映画の系譜~》はこちら⇒
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