制作年・国 | 2023年 日本 |
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上映時間 | 1時間40分 ※PG-12作品 |
原作 | 河林満「渇水」(角川文庫刊) |
監督 | 髙橋正弥 脚本:及川章太郎 音楽:向井秀徳 企画プロデュース:白石和彌 |
出演 | 生田斗真 門脇麦 磯村勇斗 山﨑七海 柚穂/宮藤官九郎 池田成志/尾野真千子 |
公開日、上映劇場 | 2023年6月2日(金)~TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS他)、T・ジョイ京都、109シネマズHAT神戸 他全国ロードショー |
~心の水栓を開くとき、滞っていた感情がうごきだす~
岩切(生田斗真)の仕事は「停水執行」。水道料金を滞納している世帯を訪問し徴収できなければ水栓を閉じることだ。ものものしい響きだがライフラインを切るとはそのくらい重いことである。給水制限が実施されるほどの日照り続きとなればなおのこと。玄関口で押し問答になったり罵声を浴びせられたりするなかで、ある者は罪悪感に苛まれ転属を願い出、ある者は職場を去る。それでも岩切は淡々とまるでロボットのように職務をこなしてゆく。そんなある日シングルマザー(門脇麦)の一家と知り合う。執行の寸前、幼い姉妹と出くわしたことで珍しく1週間の猶予を与えた岩切だったが、次第に母親の姿を見かけなくなる。並行して描かれる岩切の家庭では、妻(尾野真千子)が子どもを連れて実家に帰ったきり戻ってこないのだった。
原作は1990年に発表された河林満の同名小説。自身も執筆当時は市の職員だっただけに状況がリアルに描写されている。これを企画から10年越しで映画化にこぎつけたのが髙橋正弥監督だ。ただし結末については改変を加えた。そこにこそ監督の思いが詰まっていると言えるだろう。自らも母親に甘えたい気持ちを抑え必死に妹の面倒を見る恵子(山﨑七海)と蒸発した父親の帰りを待ちわびる妹の久美子。それは是枝裕和監督を世界に知らしめた『誰も知らない』を彷彿させる切実さだ。30年近く前、実際に全国規模の水不足があった。当時それを死に結びつけて考えることはなかったように思う。しかし、いつも真っ先に被害を被るのは弱者なのだ。
作品を通して覗いた世界は想像以上の広がりを見せ、異常気象から始まって貧困、虐待、差別、災害・・・。世間に起こるあらゆる社会問題を芋づる式に想起させる。姉妹とややオーバーラップする岩切の幼少期は、実際に何があったのか語られず断絶した親子関係が示されるのみだが、裏を返せば仔細に描かなくても現実が物語を補完してくれる。そのくらい珍しくないことなのだ。岩切の人物描写が淡々としていることで作品全体に乾いた印象を与え、より一層テーマに深みを与える。そんななか岩切とペアを組む後輩の木田(磯村勇斗)だけが重苦しい空気に程よい軽さを与え、物語をかみくだいて伝えてくれる存在となっている。
また水の表現が多彩だ。他人の家の水栓を閉じて帰宅し風呂水で庭に水やりをする。それが岩切のルーティンだったが、ある日息子に会いに行った帰りにぐうぜん滝を見つけ、ごうごうと唸る水の生命力にふれる。水には浄化作用や淀みを押し流す強さがあるのだろう、岩切のなかで何かが変わる。前者の無味乾燥さと後者の活き活きした表現の対比が小気味よい。聞けば水のダイナミズムを感じさせるシーンはフィルム撮影で臨んだという。そして、岩切は突き動かされるようにある行動に出る。他人と関わらず家族すら遠ざけてきた彼が、傷ついた獣のような恵子の瞳を見たとき、彼女の中にかつての自分を見たのかもしれない。他人を救うことは自分を救うことでもある。同じ地平に立つ者の声だけは聴き分けることができるのだ。岩切が感情の蓋を開いたとき、諦めたようないつもの表情は消える。彼が世界とつながった瞬間だ。
考えることに疲れると人は流される。立ち止まる方がずっと労力が要るからだ。喉が渇いたと感じたときには体内の水分量はすでに相当失われているという。心も同じかもしれない。自らの感情、そして目の前の人間の感情に目を向けたい。向き合うこと、ふれあうこと、そして生きる力を見せてくれる一本。髙橋監督がスクリーンに映し出したもの、それは一片の希望だ。
(山口 順子)
公式サイト:https://movies.kadokawa.co.jp/kassui/
配給:KADOKAWA
©『渇水』製作委員会