制作年・国 | 2022年 日本 |
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上映時間 | 1時間49分 |
原作 | ⼤前粟⽣「ぬいぐるみとしゃべる⼈はやさしい」(河出書房新社 刊) |
監督 | ⾦⼦由⾥奈 |
出演 | 細⽥佳央太 駒井蓮 新⾕ゆづみ |
公開日、上映劇場 | 2023年4月7日(金)~京都シネマ/京都みなみ会館にて先行公開、4月14日(金)~新宿武蔵野館、4月21日(金)~シネ・リーブル梅田nいて1週間限定上映、4月22日(土)~元町映画館、4月29日(土・祝)~第七藝術劇場 ほか全国順次ロードショー! |
~じわじわくる、対話の入り口の物語~
意外とぬいぐるみとしゃべる人は珍しくないのではと思っていたが、ぬいぐるみサークル、略して“ぬいサー”の人たちは、想像以上に、ガッツリ、ぬいぐるみと喋っていた。ぬいぐるみ作りをする手芸サークルとは世を忍ぶ仮の姿、実はぬいぐるみに思いの丈をぶつけるサークルなのだ。たしかに、ふわふわして柔らかく海綿のように伸縮性のある彼らなら、大きな悩みから人に聞いてもらうほどのことでは・・・という呟きまで吸い取ってくれそう。そして弱さを見せてもいいんだよ、と包み込んでくれるようではないか。
ここにはひとつ重要なルールがあって、人がぬいぐるみに話している内容を聞いてはいけない。ぬいぐるみと話すだけなら家で一人でいるときにいくらでもできる訳だが、同志がいて、そこにコミュニティがあることが大きな支えになっているのだろう。
さて、今年の新入部員は三人。希望を胸に入学したのに、いつしか大学に出てこれなくなってしまった麦戸(駒井蓮)。そんな彼女を心配しながら自らのアイデンティティに悩む七森(細田佳央太)。入部したのにぬいぐるみと話そうとしない白城(新谷ゆづみ)。三者三様で実はみんな少しづつ日常に倦みている。傷ついた!と言える者と傷ついてなんかない!と強がる者、どちらが本当は強いのか。比べることはできないが内出血でもやはり血は流れている。そんな人間の弱さにフォーカスして丁寧にすくいとった物語である。
初見ではセンシティブ過ぎて痛々しく感じてしまったのだが、何故かその後も物語がじわじわとせまってくる。そう、作中に出てくる七森のクマのぬいぐるみが時おり発光・明滅するように。大学に出てこれなくなった麦戸と同じ気持ちを鑑賞後に追体験したという声を聴いたことも一因だ。
若い頃は視野が狭い、視野を広げろとよく言われる。正直、私も、旅に出たり何か行動を起こすことで見えてくることもあるのではないかという感想を持った。しかし、この物語が描こうとしていることは、新しい世界の扉を開けることではなく、日常の中で一歩、いや半歩でも踏み出すことだったのだろう。経験値が少ないと目の前の問題がすべてのように感じてしまうことがある、経験上それを知っていると、もどかしく感じてしまうこともある。しかし、逆に経験を積んだことで自分の経験則の中から答えを導いてしまったり、またそれを過信してしまうおそれがあることに気付きハッとした。
また、この作品が色濃くにじませているのが孤独だ。ある調査によるともっとも孤独を募らせている世代は、高齢者かと思いきや若年層だという。そして、若年層の相談相手は2003年をピークに友人から母親へシフトしたという調査結果もあるそうで、現代の若者はどんどん友人に相談しなくなっているという現実がある。進学を機に一人暮らしを始めれば、まさにこの作品が描いている世界そのものだ。そして物語は思いを表出する、しないだけでなく、その背景にある個々のつらさにもスポットを当てる。彼らの苦悩をすべて表現しきることは難しいだろうが、少なくとも「ないことにしない」ことに果敢に挑戦した骨太な作品だ。ぬいぐるみ側の視点からの描写があるのも面白い。
自分自身と対話する人、人と対話する人。山登りしながら自然と対話する人。自転車に乗って風と対話する人。絵を描いたり写真を撮ることで対象と対話する人、そして、ぬいぐるみとしゃべる人。彼らの半歩先の風景をたしかめてみてほしい。体感時間は二十歳をピークに年々短くなっていくという。そう考えると、その半歩は月面着陸級の一歩なのかも知れない。
(山口 順子)
公式サイト:https://nuishabe-movie.com/
配給:イハフィルムズ
©映画「ぬいぐるみとしゃべる⼈はやさしい」