原題 | 原題:Hytti nro 6 英題:Compartment Number 6 |
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制作年・国 | 2021年 フィンランド=ロシア=エストニア=ドイツ |
上映時間 | 1時間47分 |
原作 | ロサ・リクソム フィンランディア文学賞受賞「Compartment No.6」 |
監督 | 監督・脚本:ユホ・クオスマネン『オリ・マキの人生で最も幸せな日』 |
出演 | セイディ・ハーラ/ユーリー・ボリソフ/ディナーラ・ドルカーロワ(『動くな、死ね、甦れ!』)/ユリア・アウグ |
公開日、上映劇場 | 2023年2月10日(金)~新宿シネマカリテ、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、2月17日(金)~京都シネマ ほか全国順次公開 |
~線路がつなぐ、旅と「他者」と遺跡のおはなし~
今の時代グーグルマップで世界各地を簡単に見て回ることができる。けれどもその景色に異国情緒を感じることはあまりない。そんななかフィンランドから久しぶりにしっかり時間と距離と旅情を感じさせてくれる一本が届いた。舞台はモスクワから世界最北端の地ムルマンスクを結ぶ鉄道の客室だ。今は撮影できる状況ではないが、ロケは開戦の1年前に行われた。距離にして1489km、走行時間はひと晩の停車を挟んで35時間の長旅である。
1990年代のモスクワ。ラウラ(セイディ・ハーラ)はフィンランドから来た留学生だ。ペトログリフ(岩面彫刻)を観に行く旅は、恋人のイリーナと行くはずだった。ところが、旅行をドタキャンされただけでなく近ごろ何かよそよそしい。不安を感じつつ一人極北の地へと向かうのだが、同じ客室を使うのは鉱山で働く男リョーハ(ユーリー・ボリソフ)だった。ウォッカの酒瓶につまみを広げ酔って絡むリョーハに嫌悪感を隠さないラウラ。外は見るべき景色もなく吹雪また吹雪。ビデオカメラを構えるものの車窓の風景はまるでラウラの心を映しとったかのように荒涼としている。たまらず車掌に部屋の移動を頼むが、すげなく断られ食堂車で時間をつぶすラウラ。そこへリョーハが意外な誘いをもちかける。停車する町で知人の老婆を訪ねるから一緒に来ないかというのだ。
カンヌ国際映画祭でデビューを飾ったユホ・クオスマネン監督だが今作もみごとグランプリに輝いた。作風はノスタルジックと言われるが、クオスマネン監督の興味は「他者」との出会いだという。「他者」の意味には併合と独立を経たロシアとフィンランドの歴史的背景が密接に関係している。リョーハはラウラにロシア自慢をしイリーナや周囲の人たちも何やら上から目線。ラウラは異国の地で疎外感を感じていたのだろう、途中の駅からフィンランド人が乗り込んでくると客室に招き入れる。ラウラを中心にするとこの旅の第一の他者はリョーハであり、第二の他者は老婆、そして第三の他者は同郷の男といったところだろう。ラウラの中で彼らの印象は様々に変わってゆく。
先入観や各々の価値観、心の距離感の変化が繊細に表現されて興味深い。そしてそれを観る私たちもまた他者なのだ。北極圏の人たち、と一括りにしてしまいそうだが当然ながら一人として同じ人間はいない。ラウラは「大丈夫?」と聞かれると「完璧よ」と答える。みんな孤独や無力感を強がりで隠していたりする。
ところで、私が感じるこの映画の大きな魅力は体感だ。わずか2時間の間に35時間が感じられた。古びた寝台車には人々がひしめき合いごった返している。その中を泳ぐようにラウラが彷徨うシーンは生活感や土地の空気を感じさせ、心理的にも物理的にも窮屈な空間をさらに暑苦しく表現する画面づくりに圧倒される。しかし、この撮影は実際に”すべてが地獄のように遅く、狭い空間で十分な酸素もなく、匂いもひどかった”そうで、みごとにそれが映し出されている。長く感じたり短く感じたり時間は伸び縮みする。近づいたり離れたりする人と人との心の距離もこれに似ている。リョーハの瞬きを忘れた寂しげな目が忘れられない。
ペトログリフとは岩石や洞窟の壁に刻まれた彫刻のことで一万年前に描かれたものだと言われている。クオスマネン監督はこれを”過去からの永続的な痕跡”であり存在の証と考えている。そして、本作は自身のペトログリフなのだと。芸術は表現すること、その瞬間にこそ意味があるのかと思っていたがそれが後世に残るとしたら。たしかに一瞬の出会いが永遠になることもある。それは人と人との出会いに限らないし、またほんの一瞬の邂逅が一生のお守りになることもある。思いがけず遠い記憶が蘇ってきた、なるほどこれがノスタルジーだ。さて他の人はこの映画を観てどんなことを思うのだろう。
(山口 順子)
公式サイト:comp6film.com
配給:アット エンタテインメント
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後援:フィンランド大使館