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『生きる LIVING』

 
       

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作品データ
原題 Living 
制作年・国 2022年 イギリス
上映時間 1時間49分
原作 黒澤明 監督作品『生きる』
監督 オリヴァー・ハーマナス  脚本:カズオ・イシグロ 音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ
出演 ビル・ナイ/エイミー・ルー・ウッド/アレックス・シャープ/トム・バーク
公開日、上映劇場 2023年3月31日(金)~TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS他)、T・ジョイ京都、OSシネマズミント神戸、ほか全国ロードショー

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~70年ぶりにイギリスで甦った黒澤映画の名作~

 

日本映画のベストワン作品は? そう問われれば、ぼくは迷うことなく、黒澤明監督の『生きる』(1952年)を挙げます。なぜなら、ぼくの人生に計り知れないほど大きな楔が打ち込まれたからです。その黒澤映画が70年ぶりにイギリス映画として甦りました。それが本作『生きる LIVING』です。しかもノーベル文学賞を受賞した日系英国人の作家、カズオ・イシグロが脚本を書いたというから、興味が湧かないはずがありません。


ikiru-500-5.jpg戦後8年、1953年のロンドン。役所の市民課長、ウィリアムズ(ビル・ナイ)は寡黙で、身だしなみを整えた、見るからに英国紳士丸出しの中年男性です。毎日、決まった時間に出勤し、黙々と事務処理をこなし、決まった時間に退出する。実直な人物と言えば聞こえはいいけれど、勤労意欲に乏しく、惰性で仕事を続けており、覇気がまったく感じられません。


そんな主人公が余命いくばくもないことを知り、「はて、今まで自分の人生は何だったのか!?」と自問し、焦りまくります。趣味がないので、何をしていいのかわからない。バカ騒ぎをしても虚しいだけ。息子に胸の内を伝えようにも、その機会をつかめない。


ikiru-500-3.jpg悶々とした挙句、地域の主婦たちから陳情のあった案件を何とか実現させようと奔走します。そう、死を前にして、俄然、生き始めたのです! ここに映画のテーマが凝縮されています。このパラドックスがすこぶる面白い!


ウィリアムズに、生きる悦びを教えた元部下の若い女性マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)の存在が大きい。学歴や肩書きではなく、自分の実力だけで人生を歩んでいこうとする姿に共感したのです。やはりアクションを起こすには、トリガー(引き金)が必要なのでしょうね。


ikiru-500-10.jpgこの機会に、志村喬が主演のオリジナル映画を久しぶりに観ました。よくできた良質の映画、いや、やっぱり傑作やなぁと改めて実感した次第。設定も内容もほぼ同じですが、やはりそこは日本とイギリス、情景や人物像がかなり異なっていました。戦時中、ロンドンも空襲被害が甚大だったとはいえ、戦勝国と敗戦国の差が歴然と現れていました。


ikiru-500-7.jpg例えば、黒澤映画では、まだ敗戦のどさくさ感がにじみ出ており、役所内の仕事場は書類が山積みにされていて雑然そのもので、建物が汚く、登場人物の服装も貧相です。それに比べ、今回のイギリス版は思いのほか整然としており、みなシルクハットに端正なスーツ姿。役場も実に荘厳な建物でした。ホンマに同時期の物語なのかと首を傾げたほど。役場を撮影した場所が、かつて大ロンドン議会場として使われた旧ロンドン・カウンティ・ホールと知り、納得できましたが……(笑)。


黒澤映画では、お通夜の席で、同僚たちが突然、生気を漲らせた亡き上司を回想し、その理由を探っていくシーンが極めて重要でした。しかしお通夜は日本独特な風習なので、イギリス版では割愛され、葬式の後の集いと、同僚たちが帰宅する列車内でのやり取りで変身したウィリアムズの実像に迫っていました。まったく違和感がなかったです。


ikiru-500-8.jpgで、ここでいきなり、『生きる』がぼくの人生に多大な影響を与えた理由を書かせてもらいます。かれこれ半世紀前、20歳(大学2年生)の時、たまたまリバイバル上映していた『生きる』を観て、雷に打たれたような衝撃を受けました。なぜなら、当時のぼくは何の展望もなく、空疎な日々を送っており、主人公と重なったからです。同時に、「人生、1回限り、毎日、悔いのないように生きよう」と思い知らされ、それが《生きる信条》となりました。


映画なんて所詮、娯楽の産物と思っていたのに、人生観を変えるパワーがあるとは! そのうち、ぼくの意識をプラス志向に変えてくれた黒澤監督が、何だか《人生の師》のように思え、新聞記者になった時、「記者をしている間に、絶対、黒澤監督と単独インタビューするんや!」と一大決心をしたのです。


黒澤明監督 -240.JPG初任地の京都支局では警察担当でしたが、畑違いを承知で、暮れに監督への取材の要望を添えた年賀状を送るも、案の定、返信なし。その後、ますます縁遠い科学部へ異動し、それでもダメ元で、毎年、「ラブレター」を送り続けました。もちろん空振りの連続。そして念願の文化部の映画記者になり、1994年の暮れ、「取材OK」の返信が来たのです。ヤッター!! 16年がかりでやっとこさ実現しました。

(右の写真は、武部好伸氏撮影の黒澤明監督)


ルンルン気分で東京・世田谷の黒澤邸を訪れ、84歳の「世界の巨匠」と対面しましたが、風邪気味で少し熱もあった監督から「君、20分ほどで切り上げてほしい」。ガーン! せっかくのチャンスを台無しにしてはアカン。そう思ったぼくは、20歳の時に『生きる』を観てから今に至るまでの経緯を訥々と説明すると、監督はトレードマークのサングラスを外し、目頭を手で擦ってから、「2時間あげるよ」――。


ヤッター!!! 本気度と誠意を見せれば、気持ちが通じるモンなんですね。当時、映画を撮れず、メディアと距離を置いていた監督が心を開けてくれ、素晴らしいインタビュー記事になったのは言うまでもありません。この一連の経験から、ぼくはこう実感したのです。「投げたエネルギーはいつか返ってくる」――と。


長々と綴りすぎましたが、そんな訳で、『生きる』が何と言ってもぼくのベストワン映画です。日本版では「ミイラ」、イギリス版では「ゾンビ」とあだ名をつけられた主人公が、愛唱歌を口ずさみながら、黄泉の国へと旅立っていくシーンが非常に印象深いです。その歌は、黒澤映画では、「命短し~」で始まる『ゴンドラの唄』。今回は、スコットランド民謡の『ナナカマドの木』。ウィリアムズをスコットランド系に設定しているところがニクイ。


ikiru-500-1.jpgカズオ・イシグロは黒澤映画を深くリスペクトし、しっかり読み解いていますね。テーマがぶれなかったし、主演のビル・ナイを志村喬にだぶらせて見せてくれましたから。オリヴァー・ハーマナス監督はまったく知りません。よくぞ偏差値の高いリメイクに挑んでくれはりました。ご立派! 


観終わってから、改めてこう思いました。「日々、丁寧に生きよう!」――。映画にはすごいパワーがあるんですよ。

 

武部 好伸(作家・エッセイスト)

公式サイト:https://ikiru-living-movie.jp/

製作:Number 9 F

配給:東宝

©Number 9 Films Living Limited

 

 
 

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