制作年・国 | 2022年 日本 |
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上映時間 | 2時間1分 |
原作 | 平野啓一郎「ある男」(文春文庫) |
監督 | 監督・編集:石川慶 脚本:向井康介 撮影:近藤龍人(J.S.C) 音楽:Cicada(Taiwan) |
出演 | 妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、清野菜名、眞島秀和、小籔千豊、坂元愛登、山口美也子、きたろう、カトウシンスケ、河合優実、でんでん、仲野太賀、真木よう子、柄本 明 |
公開日、上映劇場 | 2022年11月18日 (金)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、 kino cinema神戸国際 ほか全国ロードショー |
~自分とは何か? アイデンティティーを探るひと味違ったミステリー~
男が鏡と対峙しているのに、そこに映った姿はこちら向きではなく、同じように背を向けたうしろ姿――。ベルギー生まれのシュルレアリスム画家、ルネ・マグリットの有名な作品『複製禁止』をいきなり冒頭で見せつけられ、正直、面食らってしまいました。なんでこんなけったいな絵画を使ったのか?
自分の存在を否定する、自分が自分ではない、自分とは何なのか――。この絵には、そうした想念を抱かせる不思議なパワーがあります。本作『ある男』の原作者、小説家の平野啓一郎さんは、自分というものについて考察を深め、「分人主義」という新しい人間モデルを提唱しています。それは、人間とはいろんなシチュエーションによって別の自分を持っており、その集合体であるという考えです。
これ以上、続けると哲学の話になりそうなので、ここで止めておきますが、この映画も多分にそういう概念が反映されていると思えるのです。一体、あいつは何者なのだ? そして自分は何なのだ? そこを問いかけてきますから。だんだん、ワケがわからなくなりますね。すんません、ここからちゃんと映画のことを書いていきます(笑)
ある一件から夫と離婚し、小学生の息子・悠人(坂元愛登)を連れて実家の宮崎県に戻って来た里枝(安藤サクラ)が、林業会社で働く大祐(窪田正孝)と再婚し、娘を授かり、一家4人で幸せに暮らしていました。大祐は寡黙で、どこか陰のある人物ですが、妻子に限りない愛情を注いでおり、良き夫、良きパパの典型例です。
ところが作業中の事故で急死したことを機に、あっと驚く事態へ。葬式に駆けつけた大祐の兄、恭一(眞島秀和)が遺影を見た途端、「これは弟ではない!」と言ったのです。えっ! そんなアホな~。里枝は驚愕するばかり。それでは愛していた夫は一体、何者やねん? もう完全にミステリーですね。こういう展開、たまりません。
彼女は離婚調停を担当した弁護士、城戸章良(妻夫木聡)に調査を依頼します。この弁護士さん、ニセの大祐を「X」と呼ぶのですが、何だか推理小説風でゾクゾクさせます。ホンモノの大祐はどこにいるのか。ひょっとして「X」に殺されたのか…。ますます面白くなってきます。
調査はしかし、暗礁に乗り上げるも、城戸が同じ事務所で働く弁護士(小籔千豊)からある情報を得たことから、物語がいよいよ佳境に差しかかってきます。これ以上は言いたくても言えませんが、ちょっぴりヒント(笑)。「X」は幼いころに計り知れないほど大きな出来事に遭遇し、それがトラウマとなり、別人になって生きることにしたのです。
この辺りから、ドラマの軸が狂言回し的な城戸の方にシフトしてきます。彼は在日コリアン3世で、「X」の素顔に迫るにつれ、自分のアイデンティティーとは何なのかと自問するようになるのです。つまり、「X」と自分がどこかオーバーラップしているように思え、どんどん迷路に迷い込んでいきます。
こちらの話の方がぼくにはむしろ興味が惹かれました。人間には、他者・別人になりたいという変身・変心願望があります。「X」が大祐に変身し、城戸も意識の上で日本人になったり、韓国人になったりしているようです。里枝も他の登場人物もみなそうです。そういうところに「分人主義」の一端を垣間見ることができるかもしれません。こんなこと書くと、またワケが分からなくなりますね(笑)。
全体としてセリフが少なく、観る者に「?」を投げ続け、最後まで詳しく描かず、想像に任せる、そんな映画に仕上がっていました。監督は、デビュー作『愚行録』(2017年)で注目を集め、『蜜蜂と遠雷』(2019年)で地歩を固めた石川慶。『愚行録』でミステリーの演出の極意を会得したようで、本作でさらにブラッシュアップさせ、グイグイ物語に引きずり込ませたのはお見事。脚本の向井康介と主演の妻夫木聡も『愚行録』で監督とタッグを組んでいましたね。
キャストが実力派ぞろい。弁護士役が初めての妻夫木は得も言われぬ存在感を放ち、いい味を出しています。里枝役の安藤サクラは感情を表すのがすごく巧い俳優だと改めて実感。NHK朝の連続テレビ小説『エール』(2020年)で堂々と主役を張った窪田正孝が、ここではナゾの「X」を妖しく演じていました。あの不気味な目付きがクセモノです。
「X」の真相にたどり着くヒントを城戸に与えた詐欺師役の柄本明の毒々しさが印象深かったのですが、大阪弁のイントネーションが今ひとつ。あゝ、残念。名優なんですから、ちゃんと喋ってくださいな(笑)。ラストで想定外の行動をサラッと演じた城戸の妻役、真木よう子はさすがでしたね。
ここでもう一度、ルネ・マグリットの絵画『複製禁止』をじっくり眺めてみると(もちろんネットで!)、描かれたうしろ姿の男が、「X」でもあり、城戸でもあり、ぼく自身でもあり……。ラストシーンがこの絵を模した映像。「なるほど!」と心の中で手を打ちました。
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト: https://movies.shochiku.co.jp/a-man/
企画・配給:松竹
©2022「ある男」製作委員会