制作年・国 | 2022年 日本 |
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上映時間 | 2時間19分 |
原作 | 井上荒野(『あしらにいる鬼』朝日文庫) |
監督 | 監督:廣木隆一 脚本:新井晴彦 |
出演 | 寺島しのぶ、豊川悦司、広末涼子、高良健吾、村上淳、蓮佛美沙子、佐野岳、宇野祥平、丘みつ子他 |
公開日、上映劇場 | 2022年11月11日(金)~梅田ブルク7、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、T・ジョイ京都、MOVIX京都、kino cinema神戸国際ほか全国ロードショー |
たかが恋、されど恋。
人生を変えるほどの恋に出会う天国と地獄。
2021年11月にこの世を去った瀬戸内寂聴について、“にこやかでおしゃべり好きな尼さんのタレント”みたいに思っていた若者もいるが、多作な作家であり、恋多き女だった。先輩作家の井上光晴と抜き差しならぬ関係となり、そのすったもんだに終止符を打つように出家した。そのいきさつや裏事情をモデルとした小説『あちらにいる鬼』は、井上光晴の長女で直木賞作家となった井上荒野によって書かれた。それがこのたび映画化されたのだが、いろいろな意味で吸引力の強い作品だ。
1966年、まだ駆け出しの作家・長内みはる(寺島しのぶ)は、講演旅行で一緒になった作家・白木篤郎(豊川悦司)に惹かれてゆく。白木には妻子があり、もうすぐ第2子が生まれる予定だし、一方、みはるもくっついたり離れたりを繰り返してきた男と同居している。いわゆるダブル不倫。あちらにもこちらにも愛人を作り、嘘を重ねてきた白木だが、妻の笙子(広末涼子)は、何食わぬ顔で夫の尻拭いをしている(される側=愛人側はけっこうキツイというのが映画の中でも描かれている)。笙子は夫を問い詰めたり、激高したりすることがない。しかし、みはるは笙子のように涼しい顔を保つことができない。白木を独り占めしたい、でもそんなことできないというジレンマに責め立てられ、おまけに“みはる後”にも白木はあっちゃこっちゃの女性に誘いをかけているという事実を突きつけられ、ついに出した結論は「出家」だった。
どうしようもない“恋愛病”の男が、夫や恋人になった場合、どうするか?ストレスの多い順に上げると、①我慢する ②割り切る、つまり執着しない ③見切りをつける。ところが、厄介なことに、恋愛は一筋縄ではいかないし、自分の心ですらそう簡単に操縦できないのである。だから、この映画のみはるの苛立ちはすごくよくわかる。平然とした顔の笙子のほうが怖いくらいだ。夫を観察する目の正確さには驚くが、彼女もドロドロとしたものを抱えていたはずだ。わかりやすく表に出すか出さないかの違いがあるだけ。でも、上記の分類でいけば、結局みはるは③を選び、笙子は①と②を何とか自分に課して乗り切ったというところだろう。
監督の廣木隆一も脚本の荒井晴彦も男性だからなのか、大いに問題アリの白木に対する視座の置き方が少々甘いように感じる。女性監督ならどうだっただろうか。一概に言えないけれど、想像する楽しみは残される。ある意味、ドロドロ状態になりかねないこのダブル不倫がどこかユーモアすらまとっているのは、皮肉にも男性目線だからかもしれない。ひとりの男を取り巻く妻と愛人が、お互いに“同志”と認め合える境地に達する…そういえば、『源氏物語』にもこれに近いシチュエーションがあったと思うが、それは表向き。そう安々と同志になんてなれはしないというのが現実で、いにしえの紫式部もそれをちゃんと理解したうえで書いていたと思う。
そんなあれこれを考えさせられる実に興味深い内容だった。女装はどう見ても似合わないトヨエツの意外な脚線美に驚くシーンがあったり、昔どこかでお会いしたけど名前が思い出せない、誰だ、誰だったっけというあのイラっとする状況から救ってくれたのが、エンドクレジットに刻まれた丘みつ子の名前だったり…。サプライズもありました。しかしまあ、寺島しのぶの坊主頭はなかなかにカッコよく美しい。断髪前に愛する男が髪を洗ってくれるシーンにもじ~いんときた。寂聴さんが生きてはったら、面白がって観はったやろなあと確信する。
(宮田 彩未)
公式サイト: https://happinet-phantom.com/achira-oni/
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
©2022「あちらにいる鬼」製作委員会