原題 | 原題:SERRE MOI FORT /英語題:HOLD ME TIGHT |
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制作年・国 | 2021年 フランス |
上映時間 | 1時間37分 |
監督 | マチュー・アマルリック |
出演 | ヴィッキー・クリープス(『ファントム・スレッド』『オールド』)、アリエ・ワルトアルテ(『Girl/ガール』) |
公開日、上映劇場 | 2022年8月26日(金)~Bunkamuraル・シネマ、9月2日(金)~シネ・リーブル梅田、京都シネマ、近日~シネ・リーブル神戸 他全国順次公開 |
~往年の名作とポップカルチャーが融合した唯一無二の映画体験を!!~
何か起こった時、起こるまで何も知らなかったはずなのに、ああ、やはり・・・と思うことがある。予感とか予兆と言うほど明確なものでなくても、気配と言えばいいだろうか。そう、この作品は終始、不穏なムードに包まれている。
冒頭、カメラはカードをめくる女の姿を捉えている。ゲームの結果が思わしくないのかイライラとカードをかき混ぜる女。一転、画面は生活感を取り戻す。女の名はクラリス。クラリスは夫マルクと娘リュシー、幼い息子ポールの四人暮らしだが、ある朝ふらりとどこかへ出かける。理由も行先も明かされず、クラリスの道行きと残された父子の暮らしぶりが交互に描かれる。
時系列はバラバラでクラリスの空想と現実が入り乱れる。時折、いないはずのクラリスが家族の元にいるかのように、同じシーンが別の角度から配置され、あたかも夫婦や母娘の会話のように再構築される。また、時間の経過と共にクラリスの心象風景が別のドラマを生み出してゆき観る者を翻弄する。次第に混沌を増す物語はやがて意外な方向へと集約され、最後にカードの意味が明かされる・・・。
監督はマチュー・アマルリック。名匠オタール・イオセリアーニ作品で俳優としてデビューし「潜水服は蝶の夢を見る」で広く知られるようになった。監督としてもカンヌ国際映画祭で二度の受賞歴があり、国内外で高く評価されている。
メディア紹介は「家出をした女性の物語、のようだ」の一文のみで「彼女に何が起きたか」については監督じきじきに緘口令が敷かれ詳細は謎に包まれている。作品世界はとても独特だ。公式HPの作品紹介に“モンタージュ”という言葉が使われている通り、物語の断片がピアノの音色や音楽のフレーズと共にコラージュされている。特にピアノが、音響効果はもちろん装置としても象徴的に使われ音楽映画の側面も大きい。
クラリスを演じるのはヨーロッパ随一の女優との呼び声も高いヴィッキー・クリープス。時空の裂け目に落ちたような、現実感がなく浮遊しているような、そんな緊迫感を体現した佇まいがみごとだ。
アマルリック監督はこの作品を撮るにあたり、往年の名作からピクサーのアニメーションまで古今東西のメロドラマを観漁ったそうで、特にコッポラの「雨の中の女」には通底するものがあるようだ。メロドラマというと恋愛ものの代名詞のようだが、元は歌と劇が一つになった演劇形態のこと。戯曲を元にポップな語り口で重厚な物語を展開する本作は、両方の意味で王道と言えそう。
特徴的なのは、可能な限り説明を排して映像と音楽だけで物語を紡いでいること。時おり意味深なセリフがポーンと投げられ、我々観客の胸に小さな波紋を残すのみだ。この省略がエモーションのひとつひとつを単純に喜怒哀楽に帰着させることなく輝かせている。その儚さと切なさは暴力的と言っていいほど。ヒントを残しつつ考える時間を長く与えずわずかにフェイズをずらしてゆくことで、その場の感情に流されることなく純粋にシーンそのものを味わうことができる。ムードだけを感じ取りながら。そうしてバラバラだったピースがひとつの像を結んだとき、あらゆる伏線が意味を持って迫り、遅れてきた感情が全身を包み立ち上がれなくなる。
昔の映画館は入れ替え制でなく、エンドロールが終わってもそのまま居残ることができた。もしそれが今も許されるならば、シートに深くもたれ余韻に身を任せながら二度目の上映を待つだろう。そんな映画体験をぜひ味わってほしい。
(山口 順子)
公式サイト: https://moviola.jp/kanojo/
配給:ムヴィオラ
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