原題 | Mila |
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制作年・国 | 2020年 ギリシャ、ポーランド、スロベニア |
上映時間 | 1時間30分 |
監督 | 監督・脚本:クリストス・ニク 共同脚本:スタヴロス・ラプティス |
出演 | アリス・セルヴェタリス、ソフィア・ゲオルゴヴァシリ、アナ・カレジドゥ、アルギリス・バキルジス |
公開日、上映劇場 | 2022年3月11日(金)~テアトル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 他順次公開 |
ケイト・ブランシェットを魅了したギリシャの奇才
記憶を失くした男の喪失と再生をシュールに描写
記憶喪失症という奇病が流行する社会で、一人の男がある実験によって本来の自分を取り戻すまでの物語に、なぜにこんなに惹きつけられるのだろう――決して一元的な物差しでは測れない人間性の奥深さと、記憶がつかさどるアイデンティティの意味を、飄々とした主人公のリズムの中に感じ取ってしまうからだろうか。そこには、抑圧された社会ではなく、自分の意志で自由に生きられる歓びが感じ取れる。
2020年のヴェネチア国際映画祭で上映され、その「独創的で普遍的な物語」が絶賛され、当時審査委員長をしていたケイト・ブランシェットを魅了。完成後にもかかわらず、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加することを熱望したというから、斬新な感覚で描く人間賛歌として受け止められたのだろう。最近、『テーラー 人生の仕立て屋』や『PITY ある不幸な男』など、人物が変化していく様子を独特なテンポと凄みのある映像で捉えた作品が続けて公開されているギリシャ映画。本作もそんなシュールで印象深い一本となるに違いない。
誰も居ない部屋で鬱々と過ごす一人の男(アリス・セルヴェタリス)。アパートを出て花屋でミモザの花束を買ってどこかへ歩いて行く……場面はいきなり終点に着いたバスの中。運転手に起こされ、行き先や名前を聞かれても答えられない。世の中は“記憶喪失症”という奇病のパンデミックの最中で、この男も突然記憶を失ってしまったのだ。収容された精神科病院で様々な治療を受けるが改善の兆しはなく、新たな実験が試みられることに。男は住居と生活費を与えられ、毎日のように送られてくるカセットテープに録音された指令に従うことを課せられる。そして、その都度、証拠としてポラロイドカメラで写真を撮り、アルバムに収めていくのである。
いつの時代か分からないが、ガラケーの携帯電話が使われているかと思えば、オープンリールのテープレコーダーやカセットテープにポラロイドなど、やたらレトロな道具が登場する。パンデミックなのに街は至って穏やか。記憶は失っているが、林檎を毎日食べるのは忘れていない。映画館で知り合った女性(ソフィア・ゲオルゴヴァシリ)の突飛な行動に驚きつつ、彼女は自分が受けている実験の先輩であることが分かる。淡々と課題をこなしていく真面目な男は、意外にもダンスが上手く、明らかに変化していく様子にハッとさせられる。公園で犬に懐かれて、思わず「マルー」と呼んでみたり、果物屋さんで「どの辺に住んでいるの?」と聞かれて、思わず旧住所の番地を言ってみたり……。
自分自身を形成するものとは一体何なのだろう。身元不明のままでは失った記憶を辿ることもできず、新たな生活を始めても未来図も描けない。思い出さない方がいい記憶もあるかもしれない。だが、過去の記憶と対峙し乗り越えてこそ、今を生きて、未来を楽しむことができるというもの。飄々としてユニークな主人公だが、最初に買った花束の意味と、林檎が好きな理由がわかってくると、深い悲しみを乗り越えた先の晴れやかさが心に沁みてくる。
本作が長編映画初監督作となるクリストス・ニク監督は、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・ミッドナイト』で、ヨルゴス・ランティモス監督の『籠の中の乙女』で助監督を務めていたらしい。俳優との接し方によって優しい人物像を構築する方法や、奇抜なアイデアを躊躇なく実践していく撮影方法など、シュールさの中にも人間味の温かみを感じさせるのは、そうした名匠たちの影響が反映されているからかもしれない。
(河田 真喜子)
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/ringo/
配給:ビターズ・エンド
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