アメリカでドーナツと言えば真っ先に浮かぶのは”ダンキンドーナツ”だろう。ミスタードーナツもここから派生している。しかし、実はカリフォルニア州のドーナツ市場の9割を占めるのはカンボジア系だという。カンボジアからこれ程の人員が流入していたとは！発端は1970年から続く内戦とポルポト政権による弾圧だった。これは無一文でアメリカへ渡り一代でドーナツ王国を築き上げたカンボジア人実業家の栄枯盛衰の物語だ。総指揮を務めたのはリドリー・スコット。

1941年カンボジアの貧しい家に生まれたブンテク（のちのテッド：上記写真左）は５才のとき父親が失踪、中国人の母親に女手一つで育てられた。陸軍少佐としてタイに赴任していた1975年祖国が過激派組織クメール・ルージュによって制圧され帰る国を失ったテッドは命からがらアメリカへ亡命する。教会の雑用に始まり、いくつも仕事を掛け持ちし不眠不休で働きながらドーナツ店開業にこぎつける。クリスティドーナツ１号店の誕生である。その後、親類縁者が次々渡米するとテッドは彼らにドーナツ作りを教え独立の手助けをする。テッドが面倒を見たその数なんと１００世帯。注目すべきはクリスティドーナツの名を冠した店ではなくそれぞれが独立した店だったことである。画一化されたものでなく各々の個性が活かされたこと、それこそが今なおカンボジア勢が存続するゆえんでもある。移民政策を推進したフォード大統領に恩義を感じたテッドは共和党を支援し続け、1991年にはブッシュ大統領から表彰を受けるまでになる。しかし、やがて運命の歯車が狂い始める。

そう言えばアメリカ人はドーナツが好きである。１人当たりの年間消費量は31ケ。映画やドラマで警官がパトロール中に立ち寄るのは決まってドーナツスタンドだ。当時24時間営業しているのはドーナツショップくらいで現代のコンビニのような存在だったのだろう。警官にサービスすることで集客と犯罪の抑止効果の両方を得たという説もある。それ程アメリカ社会にドーナツが浸透していた訳だ。朝食の定番はドーナツとコーヒー。日本人にはあまり馴染みのない光景にもうなづける。ある後継者は言う。「僕たちにとってドーナツはお菓子以上の物だ」日本人にとってのドーナツとアメリカ人にとってのドーナツ、そして移民にとってのドーナツはまるで違う食べ物なのだろう。強制労働や飢餓に苦しんだ人々にとって甘く柔らかな舌触りは夢のようなものだったにちがいない。そこに色とりどりのトッピングを施せばなおのこと。先駆者がドーナツによって切り開いた豊かな暮らしはアメリカンドリームの象徴そのものだったにちがいない。　

さて、そんなドーナツ王国の一翼を担った第一世代は高齢化により引退。幼い頃から家業を手伝わされた第二世代も高等教育という恩恵に浴し廃業する者も現れる一方でＳＮＳ全盛の現代、生き残りをかけた熱いドーナツ戦線は新しいムーブメントを起こしていた！これは単にある起業家の生涯を描いた物語ではない。ドーナツというひとつの巨大マーケットが芽吹き、成長し、変遷を遂げていく過程を時代に照らした壮大な移民の歴史でもある。そして、そのぶ厚い砂糖のうねりの中で生きた人々の人生は決して甘くはないが、苦みも辛みも全編を通してカラフルなドーナツのようにポップにまとめ上げたところが面白い。何よりいたずらっ子のようなテッドの笑顔がそう感じさせるのかもしれない。

観終わってみるとまるでテーマパークか何かから出てきたようにすべてが一夜の夢のごとく儚くも見えるのだが、世界最大の多民族国家・アメリカにカンボジアの刻印を刻んだことはまぎれもなく民族の誇りだろう。そんな味わい深い１本。

（山口 順子）　

公式サイト：http://donutking-japan.com/

配給：ツイン

© 2020- TDK Documentary, LLC. All Rights Reserved.