制作年・国 | 2020年 日本 |
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上映時間 | 2時間26分 R15+ |
監督 | 監督:井筒和幸 脚本:佐野宜志、都築直飛、井筒和幸 主題歌:泉谷しげる |
出演 | 松本利夫、柳ゆり菜、中村達也、清水伸、松角洋平、遠藤かおる、佐藤五郎、久場雄太、阿部亮平 |
公開日、上映劇場 | 2020年12月12日(土)~K’s cinema、12月19日(土)~第七藝術劇場、12月18日(金)~京都みなみ会館、出町座 他全国順次公開 |
~さながらホンモノ、生々しい“群像劇”~
ヤクザとは縁もゆかりもなかったが、学生時代から“ヤクザ映画”はいつも隣にあった。もっぱら東映で数多く作られた“任侠映画”はほぼ週代わりで新作が公開され、毎週のように通った。高倉健「日本侠客伝」と「昭和残侠伝」。両雄の鶴田浩二は「博奕打ち」シリーズ。女だって負けていない。藤純子がキリリとした女侠客にふんした「緋牡丹博徒」シリーズ…。ほぼ毎月、シリーズ作品を送り出した映画会社も映画館も活力にあふれていた。“任侠映画”狂から映画マニアになった男には幸せな時代だった。健さん、鶴田はほぼ全作見て、孤高の生きざま、男気にシビれたものだ。熱狂していた頃でも、中身はフィクション、映画はきれいごとと分かってもいた。そんな“侠客”の生き方を赤裸々に描いた作品が現れた。“本物”にこだわる井筒和幸監督「無頼」だ。
鶴田、高倉、藤純子はもういない。「無頼」の主役はどこにでもいそうなあんちゃん、井藤正治(松本利夫)。初代EXILEのパフォーマーで今は俳優、だからさほど顔を知られていない彼が、パワフルな群像劇に強烈なリアリティを付け加える。
身近な“終戦後史”が生々しい。主役は侠客とはほど遠い、お腹を空かせた子供だ。「もはや戦後ではない」と言われた冒頭(昭和31年)、屋根に登った子供が、トタンをはがしている。副業はアイスキャンデーの売り子。わずかばかりの金を稼ぐため、危ない仕事に命を賭ける、その生きざまこそが“無頼の出自“”だった。
甲斐性なしの父親をたたき出し、日雇い暮らしを始めてカツアゲ、売血の挙げ句、鑑別所行き。そんな時、父親の訃報が届く。時は安保闘争で騒然とする1960年、彼には貧乏こそが敵だった。
1963年、ケネディ大統領が暗殺された年、21歳の正治(斎藤嘉樹)は、兄貴分のヤクザから「シマを持たせてやる」とそそのかされ、地回りが巣くうバーへ斬り込む。ぶち込まれた刑務所では差し入れひとつ届かない。世間は東京五輪(1,964年)で沸き返っていた。所得倍増に湧く時代、正治は「俺もヤクザで所得倍だ」と決意して“ヤクザの道”へのめり込んでいく。
ほぼ同時代を生きてきた男にはアウトロー語録の金言が盛りだくさん。それは井筒監督の心の雄叫びでもあろうか。「男の仕事で命を賭けられるのはヤクザしかないからな」、「親がド甲斐性なしやったら極道やるしかないがな」……。時代変わって、暴対法が成立。正治は「ヤクザは生きるなってことだろ。生まれた時から引きずってる境遇があんのにな」とコボしもした。
ヤクザたちの銃撃シーンの生々しさに驚くばかり。敵を見つけて銃でいきなり乱射。そのど迫力にはびっくりだ。これだけ見ても従来のヤクザ映画とは別格。井筒監督の気合の入れようが分かる。映画にも登場する伝説のマフィア映画「ゴッドファーザー」へのオマージュか。ひたすら“あぶれ者”として戦後史を生き抜いてきたは男たちの群像劇は、未来へ向かう男へのメッセージもしくはゲキかも知れない。
(安永 五郎)
公式サイト: http://www.buraimovie.jp/
配給:チッチオフィルム
(C)2020「無頼」製作委員会/チッチオフィルム