原題 | JUDY |
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制作年・国 | 2019年 イギリス |
上映時間 | 1時間58分 |
原作 | ピーター・キルター(舞台「End of the Rainbow」 |
監督 | ルパート・グールド |
出演 | レネー・ゼルウィガー、ジェシー・バックリー、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェル、マイケル・ガンボン、ダーシー・ショー、ロイス・ピアソン |
公開日、上映劇場 | 2020年3月6日(金)~全国ロードショー |
~伝説のミュージカル女優、その悲惨で華麗なる最晩年~
ぼくが中学2年生のときだったから、かれこれ半世紀以上前の1968年、大女優ジュディ・ガーランドの死去をニュースで知り、「えっ、まだ生きてはったんや!」とめちゃめちゃ驚いたのを覚えています。なにせ大昔の女優という印象が強く、完全に「過去の人」になっていたからです。しかもかなりの高齢と思いきや、享年47という早逝……。ショックでした。
小学生のころ、大阪・ミナミの映画館でリバイバル上映されたミュージカル映画の名作『オズの魔法使い』(1939年)を観て、『虹の彼方に(オーバー・ザ・レインボー)』を歌うドロシー役の小柄で健気なジュディ・ガーランドがまぶたに焼き付きました。このとき彼女は青春真っ只中の17歳。見た目は可愛かったけれど、ぼくのタイプではなかったので、トキメキはなし(笑)。
その後、この女優を観る機会がぷっつりなくなり、以来、虹の彼方ではなく、忘却の彼方へ……。そんな折に訃報を聞いたのです。
学生時代、これまたリバイバルで観た『スタア誕生』(1955年)で、「あの子役がえらい演技派になりはったんや」と感慨深く思いました。それを機に何となく気になり、この女優の足跡を調べると、かなりドラマチックな人生を歩んできたのがわかりました。というか、転げ落ちるような生き方です。
『オズの魔法使い』で一躍、スターダムへ駆け上りながらも、美貌コンプレックスと肥満の恐怖からドラッグとアルコール漬けになり、不眠症と不安神経症に悩まされっぱなし。映画の撮影でも遅刻と無断欠勤の常習犯に……。こうしたマイナス因子によって4回も離婚してはります。女優のライザ・ミネリは、2番目の夫ヴィンセント・ミネリ監督との子です。
『スタア誕生』で見事カムバックし、アカデミー主演女優賞が確実といわれていたのに、『喝采』のグレース・ケリーに持っていかれて自暴自棄になり、ますますドラッグとアルコールの日々に……。映画界から締め出された彼女は天性の歌声を活かしてショウビジネスの世界に活路を見出し、巡業で生計を立てていました。しかし金銭感覚がゼロで、借金まみれ。宿泊代がなくなり、ホテルから追い出されて路頭に迷っていました。その憐れな姿が本作でも描かれていましたね。
そんな折、5週間の英国ロンドン公演の話が舞い込んできたのです。この映画はそこに焦点を絞っています。つまりジュディ・ガーランドの最晩年です。どんな日々を過ごしていたのか……、やはり気になりますね。アメリカでは落ち目で忘れられた存在になっていましたが、イギリスではまだまだ人気が健在で、会場のクラブは連日、満席。そのステージに臨んでいた日々にカメラは肉迫していきます。
このときもかなりヤバイ状況でした。最愛の幼い娘と息子と離れ、単身で渡英していたこともあって、精神状態がグラグラです。でも、ひとたびステージに上がるや、驚くべきエンターテイナーに変身し、客を魅了します。これぞプロですね!
危ういジュディに扮したレネー・ゼルウィガーがとにもかくにも素晴らしい。顔立ちがまったく異なるのに、メイクによってジュディと瓜二つに。声質と話し方まで似させ、まるでクローン人間のようにすら思えました。ミュージカル映画『シカゴ』(2002年)で見せたレネー持ち前の歌唱力と演技力が炸裂し、なんとも圧巻のステージを披露してくれはりました。今年のアカデミー賞主演女優賞に輝いたのは当然です!
このときのジュディと今のレネーが同じ年なんですね。どこを見ても、伝説のミュージカル女優になり切ってはりましたわ。1人でいるときの得も言われぬ孤愁と舞台でのオーラをまき散らす華麗さ。そのギャップを難なく演じ切っていたのはさすがです。劇中、数曲熱唱していますが、ジュディ十八番のスタンダード曲『Come rain or come shine(降っても晴れても)』で、レネーが発する伸びのある声には卒倒しそうになりました。
世話の焼けるジュディの面倒をみるロザリン(ジェシー・バックリー)がなんとも慎ましやかで、独特な品位をかもし出していました。典型的な英国人女性ですね(俳優はアイルランド人!)。ジュディとの距離感がなかなか絶妙でした。
5人目の夫となる年下のアメリカ人青年実業家ミッキー(フィン・ウィットロック)との出会いの場がロサンゼルスでのパーティーでした。そこで娘のライザ・ミネリがちょこっと登場しますが、この母子、あまり密な関係でないのがうかがい知れ、そこが非常に興味深かったです。ミッキーとの恋愛は寂しさを紛らわせるためだけのようで、見ていてしんどかった。
ハリウッドの撮影所で働いていた若かりしころのジュディのシーンが随所に挿入されます。相手役のミッキー・ルーニーに恋情を抱いていたのに、「恋はご法度!」と諦めざるを得なかったんですね。あゝ、気の毒……。ミュージカル映画を量産していたMGMの御大、ルイス・B・メイヤーによるパワハラも描かれていました。古き良き時代のハリウッドの秘話がちょくちょく出てきて、映画通にはたまりませんな。
「無垢からの離反」の象徴――。川本三郎さんの著書『ハリウッドの神話学』(中公文庫、1987年)には、ジュディ・ガーランドがこう評されています。さらに、「“虹の彼方”に夢を見ることができなかった」とも。でも、あがきながらも必死になって、最後の最後までステージを務めようとした彼女はきっと素敵な夢を見ていたのではないかとぼくは思うのです。
今、ふたたびその本を手に取ってページを繰ると、「ママはハリウッドを憎んでいました」というライザ・ミネリの言葉が目に飛び込んできました。異国のイギリスで客死したジュディの葬儀が、自分を育ててくれた馴染み深いハリウッドではなく、縁遠い東部のニューヨークで執り行われたのはそういうことだったんですね。
ちょっぴりセンチな気分に浸っていると、映画のラストで観客と一緒に合唱した『虹の彼方へ』のメロディーが脳裏によぎってきました。深い人生ドラマを添えた滋味ある音楽映画でした。
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト⇒ https://gaga.ne.jp/judy/
(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019
配給:ギャガ