原題 | 阿拉姜色 Ala Changso |
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制作年・国 | 2018年 中国 |
上映時間 | 1時間49分 |
監督 | ソンタルジャ |
出演 | ヨンジョンジャ、ニマソンソン、スイチョクジャ、ジンバ |
公開日、上映劇場 | 2020年2月8日(土)~岩波ホール、2月22日(土)~第七藝術劇場、2月29日(土)~京都シネマ、3月14日(土)~元町映画館 他全国順次公開 |
~遥かなる巡礼地を目指して結ばれる家族の絆~
チベット有数の巡礼地ラサ。ダライ・ラマの流れをくむチベット仏教の聖地だ。なかでも、特に信心深い者は五体投地でかの地を目指すという。すなわち、両手、両膝、額の五箇所を地面に付け祈りを捧げるという、仏教の最も丁寧な礼拝の方法である。「地に伏して祈り、また立ち上がっては伏して祈る」の繰り返しで一度に身長分の距離しか進めないため、はじまりの地から結願まで数か月から一年もの歳月を要するという。
夫ロルジャ(ヨンジョンジャ)と義父と三人で穏やかに暮らしていたウォマ(ニマソンソン)は哀しい夢を見て目覚めた朝、ラサに向かう決心をする。近年は歩いて訪れる人も多いなか五体投地で行くというウォマを心配する家族。しかも、実家には再婚を機に預けたままの亡夫との一人息子ノルウ(スィチョクジャ)がいる。
未練を断ち切るようにして出発したウォマだったが、いつしかロルジャ、ノルウも加わり、しまいには迷子のロバまでついてきて、牛に引かれて善行寺参りならぬ、ロバに引かれてラサ参りとなる。字面だけ見るとユーモラスなようだが、このロバの存在も欠かせぬエッセンスになっている。
ストーリーはシンプルで、ラサを目指す道中を淡々と映し出す。説明らしい説明もほとんどなく映像で見せるのみだ。普段、謎や伏線に神経を張り巡らせる作品ばかり観ていると物足りなくなりそうなものだが、充分に満足できるから不思議である。親子や夫婦の情に国境はないのも確かだが、実は設定や背景といったものより、表情や情緒をそのまま見せることこそが物語だと思える作品世界なのだ。監督は『草原の河』のソンタルジャ。ソンタルジャ監督の作風はやさしい。ことばが少ないことが心地よい。映像が語りかけてくる。それは、郷愁であったり、思い出であったり、大切な誰かへの想いであったり、スクリーンを観ながらいつしか自分自身との対話が生まれているのだ。
旅をするなかで、ウォマがラサの地を目指した理由が少しづつ明らかになり、それをきっかけに各々の思いが噴出し、ゆっくりと交わってゆく。淡々とした会話のなかに驚くほど豊かな情感が立ちのぼってゆく。雄大な自然の風景が季節の移ろいによって彩られ、坊主頭だったノルウの伸びた髪が雄々しく、ラサまで目前に迫った日の、血のつながらぬ父と子の散髪のシーンが胸に残る。寂しさを持ち寄って寄り添う姿に幸多かれと願わずにはいられない。
巡礼と言えば日本では何といっても四国八十八か所巡りだろう。功徳を積み、来世をより良いものにするために行うというチベットの巡礼は、日本のお遍路とはニュアンスが違うのかもしれないが、行き交う人が巡礼者に食べ物を渡す「お接待」は同じ。労いの意味はもちろんだが、この作品を観て、心の底にはそれぞれの祈りがあり、それを託す意味もあるのかもしれないと思った。遥か遠い山岳地帯の人々や脈々と続く祈りの歴史にひととき触れられる作品。
(山口 順子)
公式サイト⇒ http://moviola.jp/junrei_yakusoku/
(C)GARUDA FILM
配給:ムヴィオラ