制作年・国 | 2019年 日本 |
---|---|
上映時間 | 2時間9分 |
原作 | 吉田修一(「犯罪小説集」角川文庫刊) |
監督 | 監督・脚本:瀬々敬久 |
出演 | 綾野剛、杉咲花/村上虹郎、片岡礼子、黒沢あすか、石橋静河、根岸季衣、柄本明 /佐藤浩市 他 |
公開日、上映劇場 | 2019年10月18日(金)~TOHOシネマズ梅田 他全国ロードショー |
~Y字路が象徴する“田舎の悲劇”~
複雑な今の世をまるごと描き出そうとする瀬々敬久監督の仕事は、時に難解だけれど、見る者の胸に突き刺すような痛みを残す。今作のテーマはズバリ「阻害された孤独な男の怒り」。綾野剛演じる主人公が、限界集落の排他的な小世界で暮らす鬱屈を余すところなく描き出す。移民問題や地場産業と地方経済の衰退、様々な問題をふたつの事件に象徴して描いた問題作だ。
青田ひろがる地方都市の夏祭りの日、偽ブランド品を売る母親が男に恫喝され暴行される。息子・中村豪士(綾野剛)もかけつけるが、移民ゆえ言葉が不自由で解決出来ない。そこで、仲裁したのは藤木五郎(柄本明)だった。同じころ、青田から山間部へと別れるY字路で五郎の孫娘・愛華が姿を消す。懸命の捜索空しく、赤いランドセルが見つかっただけに終わる。直前まで一緒にいた紡は苦しみ続けることになる。
この事件が主人公たちを貫いて、物語が展開する。12年後、大きくなった紡(杉咲花)は東京に出て、青果市場で働くが、愛華ちゃん失踪事件に「なんで私だけ生き残っているのか」と悩み続ける。祖父の五郎も事件を引きずり、諦めることなく行方を探し続けていた…。
幼児の虐待死事件も痛ましく腹立たしいが、“幼児失踪”事件にも胸が痛む。つい先ごろも現実に失踪事件があり、警察や自衛隊の懸命の捜索も実らなかった。数年前、2歳の幼児が発見されたのは“神の仕事”だったに違いない。不安と絶望、ついさっきまで一緒にいた少女や祖父の痛切な思いはいかばかりか、想像に難くない。
12年後、同じY字路で少女が消息を絶つ。まるで“再現”のようで、豪士が村民の疑念を一身に集める。彼はヤケになってとんでもなく衝撃的な行動に出る。
地方都市には時に因縁深い場所があり「そこに行ってみないとわからない空気がある」と原作の吉田修一氏は言う。Y字路という場所が象徴的な意味を持つ。運命の別れ道か、悪意の発端か、複数の人間に深い傷跡を残す。そんな場所は都会では想像も出来ない“因縁の場所”。少女失踪の謎は最後に明らかになるのだが…。
一方で、村に帰ってきた中年男・善次郎(佐藤浩市)は亡き妻を思いながら、愛犬と静かに暮らす日々。養蜂で村おこしを計画するが、こじれて村人から拒絶され、村八分状態になり、やがて“狂気”の事件に発展していく。
Y字路児童失踪事件も限界集落での大量殺人事件も実際起きた事件である。それらを小説にした吉田修一原作の「犯罪小説集」をベースに瀬々監督が脚本にまとめて映画化。こうした犯罪は、田舎に限らないだろう。「人間や集団が作り出す“ムラ社会”による思想から散々否定された男たち。犯罪とは“感情のボタンのかけ違い”から起こる」と瀬々監督は語る。
だが、なぜこんな悲惨なことが起こるのか? 巷に起こる様々な事件は、多くの人々が見果てぬ“楽園”を追い求めた結果の故なのか。ラスト、Y字路で紡と愛華ちゃんが並んで歩くシーンは夢か幻か、はたまた見果てぬ願望か。綾野剛と佐藤浩市の内に秘めた鬱屈とした心情がひしひしと伝わり、深く心に残る作品でもある。
(安永 五郎)
公式サイト ⇒ https://rakuen-movie.jp/
(C) 2019「楽園」製作委員会