原題 | BLINDSPOTTING |
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制作年・国 | 2018年 アメリカ |
上映時間 | 1時間35分 |
監督 | カルロス・ロペス・エストラーダ |
出演 | ダヴィード・ディグス、ラファエル・カザル、ジャニナ・ガヴァンカー、ジャスミン・ケパ・ジョーンズ、ウトカルシュ・アンブドゥカル他 |
公開日、上映劇場 | 2019年8月30日(金)~大阪ステーションシティシネマ、9月14日(土)~京都シネマ、神戸アートビレッジセンターほか全国順次ロードショー |
いまだに根強いアメリカ社会の問題とともに、
観る者の先入観を照らし出す
ラップ・ミュージックは英語を使う黒人のものと思われていた時代は過ぎ、各国でそのジャンルに該当するミュージシャンが多く現れた。もちろん日本語を操る日本人ラッパー達も頑張っていて、最近は、ZORN、BAD HOPなどが人気の上位なんだとか。あっこゴリラというユニークな芸名の女性ラッパーもいるし、それぞれに特色があって面白い。
そしてこの映画なのだが、主演の二人は高校以来の友人同士で、フリースタイルラップをしながら育ったという。黒人のダヴィード・ディグスは、実験的ヒップホップグループClippingを結成、ブロードウェイ・ミュージカル『ハミルトン』で脚光を浴び、トニー賞ほか数々の賞に輝いたほか、映画『ワンダー 君は太陽』(スティーヴン・チョボスキー監督/2017年)にも出演したラッパー兼俳優。一方、ヒスパニック系白人のラファエル・カザルは、ライター、スポークン・ワード・アーティスト、プロデューサー、教育者など多彩な顔を持つ。この才能あふれる二人が脚本も担当。社会派ドラマとしていろいろ考えさせられるけれど、その一本調子でなく、コメディを含んだ“バディ映画”としても楽しませてくれる。
カリフォルニア州・オークランド。黒人のコリン(ダヴィード・ディグス)はある事件がもとで逮捕されたが、1年間の指導監督期間という条件付きで、社会に戻ってきた。同じ引越し業者で働く白人のマイルズ(ラファエル・カザル)と、元のように行動を共にすることが多くなるが、黒人の妻を持ち、言葉遣いもほとんど黒人っぽいマイルズに、コリンは或る種の危惧を抱いていた。マイルズが気軽に銃を買ってしまうようなあまりに軽薄な男で、何かの騒動に巻き込まれると、コリンの社会復帰も元の木阿弥になるからだ。そして、指導監督期間の残りがあと3日となり、何とか無事に過ぎていってほしいと願うコリンだったが、白人警察官が黒人を射殺する現場を目撃してしまう…。
この映画の重要な脇役は、変化し続けるオークランドという街。1940年代や50年代には、アフリカ系アメリカ人のビジネスやカルチャーが栄え、“西のハーレム”と呼ばれていたらしいし、1960年代なかばには黒人民族主義運動を展開したブラックパンサー党がここで結成された。しかし、現在では多人種が住み着き、経済活性化とともにものの値段が上昇し、コンビニでは健康志向食品があふれかえる。その背景として「ジェントリフィケーション」という政府の政策がある。これは、もともと低所得者層が住んでいた地域に富裕層を誘致することで、地域の生活レベルを上げる、その結果、家賃なども上がり、低所得者層が抑圧・排除されることになるわけだ。このあたりを押さえておくと、「なるほど!」と思うシーンがいろいろ出てくる。
題名の「ブラインドスポッティング」とは、日本語でいわゆる盲点を指す。二通りの見方が可能だが、一度に片方しか見ることができない場合、もう片方がブラインドスポッティングとなる。同じオークランドで育ち、同じような経験をしてきたコリンとマイルズだが、黒人と白人というだけで、お互いに見えていないものがあるということだ。特に、黒人コリンが抱えている日常的な恐怖感!白人の偏見で離れ離れになった黒人カップルを描いた『ビール・ストリートの恋人たち』(バリー・ジェンキンス監督/2018年)を思い出した。
アメリカ社会の闇を描きつつ、随所に散りばめられたユーモアがトーンを明るくする。映画そのものがラップ・ミュージックという感じなのだが、試写で観た際には、エンディングのラップ・ミュージックに字幕が付いていなかった。日本語に訳しても日本人には真意が伝わりにくいからだろうか。どんな詩が歌われていたのか、ちょっと気になる。
(宮田 彩未)
公式サイト⇒ http://blindspotting.jp/
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