原題 | 原題:Dnevnik masinovodje 英題:TRAIN DRIVER’S BOUQUET |
---|---|
制作年・国 | 2016年 セルビア、クロアチア |
上映時間 | 1時間25分 |
監督 | 監督・脚本:ミロシュ・ラドヴィッチ |
出演 | ラザル・リストフスキー、ペータル・コラッチ、ミリャナ・カラノヴィッチ、ヤスナ・デュリチッチ、ムラデン・ネレヴィッチ、ニーナ・ヤンコヴィッチ、ダニカ・リストフスキー |
公開日、上映劇場 | 2019年8月17日(土)~新宿シネマカリテ、8月31日(土)~京都シネマ、他全国順次公開 |
~セルビア発、親子4代つづく運転士の物語~
なんともユニークな作品。日本とかアメリカでこれを作ったら、もっとキッチュでマニアックな仕上がりになりそうだけど、バルカン半島の小国セルビアののどかな田園風景のなか言葉も文字も馴染みのない、いい意味で異次元の世界だから肩の力を抜いて観ることができる。外国映画の楽しさはまさにこういうところにある。見知らぬ景色に見知らぬ文化。見知らぬ誰かをみつける喜び。
シーマは孤児院で育った10歳の少年。出生の秘密を知らされたある日、絶望した彼はふらふらと線路に入って行ってしまう。そのとき列車を運転していたのが、イリヤ(ラザル・リストフスキー)だった。長年、運転士として働いてきたイリヤは踏切で立ち往生する車や飛び込みなど、心ならずも事故に巻き込まれる経験に何度も見舞われていた。悪夢に苛まれカウンセリングを受けるも、カウンセラーの方が参ってしまう始末。抱えきれないトラウマも所詮はひとり抱えてゆくしかないと諦観し、定年を迎えようとしていた。そんな二人が首尾よく(?)出会い、やがて親子の絆を結ぶ。数年後、すっかり大人になったシーマ(ペータル・コラッチ)は鉄道学校を優秀な成績で卒業し、イリヤの跡を継ごうと志すのだが・・・。
舞台はおよそ幅3m、高さ4m、長さ18m程の細長サイズ。丹精込めた菊が咲きほこる”庭”の頭上には等間隔に嵌め込まれた蛍光灯が灯っている。それはズバリ列車の車両である。ここは操車場の一隅か?はたまた簡易宿泊所か?夜は車両通過音イントロクイズで盛り上がり、たまにヤゴダ(ミリャナ・カラノヴィッチ)の店(これまた車両を改造した酒場)でくつろぐ。鉄道ファンにとってはまさに夢の空間ではなかろうか。ベオグラードの鉄橋を渡る電気機関車の赤くつるりとした顔つきは愛らしく、長年列車の運行に携わってきた人たちだから時間に厳しく1分単位で生活しているところも面白い。しかし、鉄道関係者にとって鬼門とも言うべき事故の描写も容赦なく出てくる。
新米運転士のシーマは事故に怯えるあまり、日常生活に支障をきたし始める。随所にブラックユーモアをちりばめながらも、それでいて根底には人間味あふれるストーリーがあって、シーマを救おうと懸命になるうちイリヤも長年の苦しみから解放される。すべてが列車に始まり、列車に終わる。傑作なのがシーマの初体験も列車の中だというエピソード。ここまで徹底していたらみごと!
監督はミロシュ・ラドヴィッチ。どうやってこの奇想天外なストーリーを思いついたのかと思ったら、蒸気機関車の運転士だった祖父をモチーフにしているという。ファンタジーの中にある不思議なリアリティの正体がわかった。製作は困難を極め、それ自体が命の危機の連続であったとか。なんと撮影は日々25,000ボルトの高圧電線の下で行われ、いつ事故が起こってもおかしくない状況だったというのだ。リアリティは追求しようとしても、たやすく実現するものではないが、無意識下の真剣勝負にこそ息が吹き込まれるものなのかもしれない。実に淡々と、あらゆる要素をコンパクトにまとめあげた渾身の作品。
ちなみにセルビアと日本には意外な縁があり、今年も6月に第5回日本セルビア映画祭が東京で行われたばかり。風光明媚なセルビアの魅力とセルビアのデ・ニーロと呼びたいぐらい、渋いラザル・リストフスキーの魅力にもはまった一本!
(山口 順子)
公式サイト⇒ http://tetsudou.onlyhearts.co.jp/
©ZILLION FILM©INTERFILM