原題 | SIR |
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制作年・国 | 2018年 インド・フランス合作 (ヒンディ語・英語・ラマーティー語) |
上映時間 | 1時間39分 |
監督 | 監督・脚本:ロヘナ・ゲラ |
出演 | ティッロートマー・ショーム『モンスーン・ウェディング』、ヴィヴェーク・ゴーンバル『裁き』、ギーターンジャリ・クルカルニー『ガンジスに還る』 |
公開日、上映劇場 | 2019年8月9日(金)~テアトル梅田、8月17日(土)~京都シネマ、8月23日(金)~シネ・リーブル神戸 他全国順次公開 |
~”絶対に起こり得ない物語”を通して、インド社会の不条理にもの申す~
打ち寄せる波の音、鉛色の空に遠く霞むビル群。赤、青、紫、原色の生地に大判の花柄を合わせたサリーの鮮やかさ。商店街に吊るされた食材に料理のシーンも印象的で何とも五感を刺激する作品だ。そして何より心が動かされる。
世界有数の商業都市ムンバイの高級マンション。資産家の新婚家庭にメイドの職を得たラトナ(ティロタマ・ショーム)は19歳にして未亡人だ。雇い主の結婚式の夜、実家に帰省していたラトナは何故か呼び戻される。急いで駆けつけてみると、なんと結婚は破談になり、憔悴したアシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)が一人うなだれていた。そこから、貧しい農村には帰れないラトナとアシュヴィンの思いがけない共同生活が始まる。傷心の雇い主を飾らない言葉で励ますラトナに徐々に心を開き始めたアシュヴィンは、やがて「旦那様」と呼ばれることに抵抗を感じ始めるのだが・・・。
インド映画もこんなにも抒情的な世界を描くのかと驚いた。ムンバイと言えばボリウッド発祥の地だが、歌も踊りもほとんどなく、しっとりとした情感で見せるストーリー運び。起伏も少なく、大きな事件も起こらないが、心をつかまれ最後まで見入った。メイドの傍ら、デザイナーを夢見て洋裁学校に通うラトナの姿に、かつての自分を思い出すアシュヴィン。二人が惹かれ合う過程がごく自然で、観ていて心がほんのり温かくなる。
しかし、これが単純な恋愛映画でないことは明らかだ。富裕層と貧困層の間には厳然たる壁があり、インドでは未亡人に恋愛、再婚などの自由は許されないという。”絶対に起こり得ない物語”とはロヘナ・ゲラ監督の家族の言葉なのだ。カーストによる差別は法律で禁じられているものの、そもそもの考え方は、現世で徳を積み上位カーストに生まれ変わる、というもの。すなわち現世での下剋上はあり得ないという発想なのだ。それ程インド社会は古い因習に縛られている。それでも夢に向かって努力するラトナの姿は挑戦そのものであり、その姿を描くことこそが、この女性監督の挑戦であり、少しでも社会を変えたいという切実な思いなのだ。
それに共鳴したのが「モンスーンウェディング」のティロタマ・ショーム。まっすぐ相手を見据える目が印象的だ。相手が雇い主でも自分の意見をはっきりと言うヒロインの実直さがその表情とあいまって胸に響く。聞けば、彼女自身スクリーンデビューののち一旦休業して大学に入り人権問題に取り組んだ経験を持つというから、これは演技を越えた彼女自身の叫びなのだとわかる。格差社会、ムラ社会の厳しさはロマンスで即解決できるほど単純な構造ではないのだろうが、彼女の瞳を見ていると、千里の道も一歩から、と信じる気持ちが湧いてくる。
冒頭にも書いた映像の美しさだが、海沿いに建つマンションからの眺めは絶景そのもの。足元にはアラビア海を臨み、遠くに林立するビル群はマンハッタンと見紛うほど。メイド仲間と仕事の合間に見る景色、アシュヴィンと切ない思いで見る夜景、テラスから見る風景はその時々でいろいろな表情を見せてくれる。なんて美しい作品世界なんだろうと思えば、ゲラ監督はインドで生まれ育ち、カリフォルニア、ニューヨーク、パリでも生活経験があるという。インド社会の根幹を客観的に見極める目の確かさにも納得だ。完成された世界観で、映画という媒体の持つ力が存分に感じられる作品。
(山口 順子)
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