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『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

 
       

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作品データ
原題 The White Crow 
制作年・国 2018年 イギリス・ロシア・フランス合作
上映時間 2時間7分
原作 ジュリー・カヴァナ著「Rudolf Nureyev: The Life」
監督 監督:レイフ・ファインズ(『イングリッシュ・ペイシェント』『太陽の雫』『オネーギンの恋文』『グランド・ブダペスト・ホテル』)  脚本:デヴィッド・ヘアー
出演 オレグ・イヴェンコ、アデル・エグザルホプロス、セルゲイ・ポルーニン、ラファエル・ペルソナ 、レイフ・ファインズ
公開日、上映劇場 2019年5月10日(金)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ二条、シネ・リーブル神戸 ほか全国ロードショー

 

至高のバレエ芸術を目指した伝説のダンサー、ヌレエフ。

緊迫の亡命が物語る“魂の人”の真実がいま明らかになる!

 

20世紀最高のダンサーといえば、前半がニジンスキー(1890-1950)、後半がヌレエフ(1938-1993)と二人のロシア人の名が挙げられる。本作は、至高の芸術を目指し近代バレエの歴史を変えたと言われるルドルフ・ヌレエフの人物像について、1961年に23歳で亡命するまでを、彼の生い立ちを織り交ぜながら真実に迫る一大叙事詩である。ロシアの文化・芸術に造詣の深いイギリスの名優レイフ・ファインズが自ら監督・出演、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館やパリのガルニエ宮・ルーブル美術館などで撮影を敢行。本物のプリンシパル、本場での撮影にこだわり、スリリングな亡命シーンをクライマックスにダイナミックな豪華さで圧倒する渾身作の登場である


whitecrow-500-12.jpg主演のヌレエフを演じたのは、本作が映画デビュー作となるタタール国立バレエ団(ロシアのカザン市)のプリンシパル、オレグ・イヴェンコ(今年23歳)。まずヌレエフを思わせる容姿とその踊りに目が釘付けになる。『ラ・バヤデール』『ローレンシア』『白鳥の湖』とお馴染みのソロで踊るシーンは圧巻!予想以上のダイナミックな華麗さで魅了する。さらに、ヌレエフの同僚のユーリ・ソロヴィヨフ(1977年に自殺)を演じているのは、あのドキュメンタリー映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』で一躍世界にその名を轟かせたセルゲイ・ポルーニンが、これまた迫力の跳躍を見せて、当時のソ連バレエのレベルの高さを印象付けている。


whitecrow-500-4.jpg他にも、パリでヌレエフに文化的刺激を与える人物、クララ役に、『アデル・ブルーは熱い色』のアデル・エグザルホプロスがクールなパリジェンヌをジャンヌ・モローのような貫禄でフォロー。パリ・オペラ座のダンサー、ピエール・ラコット役には、『黒いスーツを着た男』のラファエル・ペルソナ。そして、ヌレエフにバレエの真髄を教えるプーシキン役には、レイフ・ファインズ自らが演じて重厚さを醸し出している。(プーシキンの教え子のミハイル・バリシニコフも1974年に亡命している)。


whitecrow-500-5.jpg第二次大戦後、宇宙開発にしのぎを削っていた冷戦激化の時代、ソ連のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)にあるキーロフバレエ団(現在のマリインスキーバレエ団)のトップダンサーの一人だったヌレエフ(23歳)は、1961年、パリ公演を終えロンドンへ向かうパリの空港で亡命して世界に衝撃を与えた。彼は本当に亡命したかったのか?家族も恩師も友人も何もかも捨ててまで、彼が求めていたものとは?


whitecrow-500-3.jpg1938年、ウラジオストックへ向かうシベリア鉄道の汽車の中で生まれたルディ(ルドルフ・ヌレエフの愛称)は、幼少期は痩せてひ弱なため他の子供らと遊ぶことなく、「ホワイト・クロウ=はみだし者」と呼ばれていた。6歳の時、初めて行ったオペラ劇場のあまりの豪華さに圧倒されて、「ここで生きたい」と思った。軍人の父親には理解されなかったが、優しい母親にバレエ教室へ連れていかれ、ようやく「ホワイト・クロウ=類稀なる者」として頭角を現していく。


whitecrow-500-1.jpgヌレエフの目的達成のためなら上に盾突く反骨精神は至るところで登場する。17歳、モスクワ舞踏学校の誘いを蹴り、ひたすらレニングラードを目指してワガノワ・バレエ・アカデミーに特別編入を許可されたが、プーシキンが指導する上級クラスを希望して校長に直談判。さらに、キーロフバレエ団の芸術監督に嫌われ地方へ左遷されそうになると、共産党本部へ直談判。却下されるとツバを吐く始末。スターリン時代ならとっくに銃殺刑かシベリア送りになりそうだが、フルシチョフ時代には、カラシニコフ(銃)に次いで世界に誇れるバレエへの締め付けもゆるくなっていたようだ。それでも、ヌレエフが要注意人物としてマークされていたのは事実。


whitecrow-500-7.jpg初めての海外公演のパリ滞在中も、好奇心旺盛のあまり門限無視で出歩くヌレエフには厳しい監視が付いた。だが、それをものともせず、フランスの文化・芸術を吸収して回るヌレエフ。そして、次の公演先のロンドンへ向かうパリの空港で事件は起きた。急に芸術監督から帰国を言い渡されたのだ。それが何を意味するのか、ヌレエフには直ぐに理解できた。人生を賭けた重い決断を迫られることになる――その時、ヌレエフが母に手を引かれ初めてバレエ教室へ行ったシーンが挿入される。「自分で考えて決断する」「家族との訣別」「踊ることが生きること」を静かに物語るその映像の編集が実に絶妙!健気に民族舞踊を踊る幼いヌレエフの姿が、その後の波乱万丈の人生を物語るようで、胸が締め付けられる。


whitecrow-500-6.jpg並々ならぬバレエへの情熱は時として彼を非情にし、孤独にした。そして、何ものにも囚われず自由に踊るために自由な世界を切望する。あの時、帰国命令が出なければ亡命することもなかったかも知れない。だが、傲慢で他者を寄せ付けない反抗的なヌレエフは、その後の厳しい社会主義国家で生き抜くことは難しかっただろう。彼の持つカリスマ性にひれ伏し、究極のバレエ芸術を目指し共に精進できる自由な世界が彼には必要だったのだ。「生きることは踊ること。踊ることは生きること。」――ヌレエフの生き方は、バレエ界だけでなく多方面の芸術家に脈々と受け継がれ、21世紀にはいっても「~のヌレエフ」と称されることも多い。


(河田 真喜子)

公式サイト⇒ http://white-crow.jp/

  © 2019 British Broadcasting Corporation and Magnolia Mae Films



【あとがき】
ヌレエフは亡命後イギリスのロイヤルバレエ団やウィーン国立バレエ団、そしてパリ・オペラ座バレエ団などで活躍。ロシアの成熟したクラシカル・バレエが紹介されると同時に、彼のために次々と新しい振付けの作品が生み出された。自らが振付けした作品を多く残しており、多くのダンサーに影響を与え、近代バレエ史に大きな変革をもたらしていった。


彼が再びロシアの地を踏んだのは、亡命から26年後の1987年。死期の近い母親に会うために48時間だけ帰還が許されたのだ。同性愛者だったヌレエフは1993年にエイズで死亡(享年54)。その頃は多くのスターがエイズで亡くなっている。


1991年にはクイーンのフレディ・マーキュリーが、1992年にはヌレエフの亡命が物語の一部に盛り込まれた『愛と哀しみのボレロ』(1981年)でモーリス・ベジャール振付けの有名な「ボレロ」を踊ったジョルジュ・ドンが、1993年にはヌレエフが、そして、1994年には「氷上のヌレエフ」と謳われアイススケートを現在のようなアーティスティックなスポーツに成長させたジョン・カリーがエイズで亡くなっている。(5/31公開のドキュメンタリー映画『氷上の王、ジョン・カリー』をご参照下さい)


 
 
 
 

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