原題 | 原題:Der Hauptmann 英題:The Captain |
---|---|
制作年・国 | 2017年 ドイツ、フランス、ポーランド |
上映時間 | 1時間59分 |
監督 | 監督・脚本:ロベルト・シュヴェンケ(『フライトプラン』『RED/レッド』『ダイバージェント』シリーズ) |
出演 | マックス・フーバッヒャー、ミラン・ペシェル、フレデリック・ラウ、アレクサンダー・フェーリング、ベルント・ヘルシャー、ワルデマー・コブス |
公開日、上映劇場 | 2019年2月8日(金)~シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、2月9日(土)~京都シネマ 他全国順次公開 |
自国の歴史上の蛮行を映画化することで現代人に警鐘を鳴らす
ドイツ人監督の未来志向の英断と勇気に敬服
本作は、第二次世界大戦末期のドイツ、徹底抗戦を強行するナチス軍と脱走兵による犯罪とで混乱を極めていた中、ヴィリー・ヘロルト(20歳)という脱走兵が、拾った軍服で大尉に成りすまして残虐の限りを尽くしたという実話を基に映画化されている。煙突掃除人だった若者が、終戦前の1か月足らずの内に、他の脱走兵やナチス高官たちを手玉に取って自国民を虐殺し、逮捕後には特殊部隊のリーダーとして前線へ送られたなどと、にわかに信じがたいことだ。それは、「制服」と「権威」に弱い民衆心理がもたらした「盲従」という悲劇に他ならない。
長年ハリウッドで活躍してきたロベルト・シュヴェンケル監督が15年ぶりにドイツで撮った映画は、「国や時代を問わず現代でもこうした“小さな独裁者”を生み出す危険性が大いにあることを肝に銘ずるべきだ」と警鐘を鳴らしている。戦争や紛争や革命などで生じる悲劇を英雄ではなく末端の加害者を描くことによって、誰しもが加害者になり得るという危険性を震撼させる問題作である。
1945 年 4 月初め、連合軍とソ連軍に攻められ敗色濃厚のドイツでは、戦いに疲弊した兵士たちが脱走したり軍規違反が横行したりしていた。部隊を脱走して命からがら逃げ伸びたヘロルトは、道ばたに打ち捨てられた軍用車の中で軍服や勲章の入ったスーツケースを発見する。それを身に着けて親衛隊の大尉に成りすまし、ヒトラー総統の命令と称する架空の任務をでっち上げては言葉巧みに嘘を重ね、次々と脱走兵や収容所の高官たちを服従させていく。中には、ヘロルトの制服がダブダブなのを不審に思った脱走兵もいたが、逆に大尉の威光を利用しようと合流する者もいた。
当時、ドイツ北西部には15か所の収容所があり、その中の6か所はドイツ軍の脱走兵や規律違反者たちを収容していたという。その中のアシェンドルフ収容所に到着したヘロルトは、一晩に90名もの収容者を死刑にする命令を下している。軍服を拾ってからわずか二日目のことである。一体何が彼にそうさせたのか? 思いがけなく手にした権力に陶酔するあまり正常な神経がマヒして、彼の中の残忍な悪魔が暴走していくのだった。
「制服」と「権威」に盲従してしまう危険すぎる国民性というのはドイツ人ばかりではない。ドイツは、『es(エス)』(2002)と『ウェイヴ』(2008)という映画で、支配する者と支配される者の関係性を実験的に行った結果、瞬く間に支配する側が暴走する恐怖を描いている。いずれもアメリカの大学と高校で実際に行われた実験によって起きた事件を基にした映画である。ドイツの戦争を知らない世代であっても、ナチスによるファシズムは権力を持った人間の狂暴性を象徴しており、その危険性を映画化することは使命だと考えているのだろうか。歴史劇や社会派の作品の少ない日本映画界も覚醒してほしいと、心から願わずにおられない。
(河田 真喜子)
公式サイト⇒ http://dokusaisha-movie.jp/
(C)2017 - Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film