原題 | Viceroy’s House |
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制作年・国 | 2017年 イギリス |
上映時間 | 1時間49分 |
監督 | 監督・脚本:グリンダ・チャ―ダ(『ベッカムに恋して』) |
出演 | ヒュー・ボネヴィル、ジリアン・アンダーソン、マニーシュ・ダヤール、フマー・クレイシー、マイケル・ガンボン |
公開日、上映劇場 | 2018年8月11日(土・祝)~新宿武蔵野館、9月8日(土)~シネ・リーブル梅田、9月22日(土)~シネ・リーブル神戸 他全国順次ロードショー |
~大英帝国没落の象徴、インド分離独立の裏舞台は?~
北アイルランド紛争がたけなわの1979年8月27日、アイルランド共和国北西部のドネゴール湾に停泊していた一隻のヨットがIRA(アイルランド共和軍)暫定派の手で爆破されました。IRA暫定派は、アイルランドの統合をめざすカトリック系軍事組織IRAから袂を分かった過激なテロ分子です。
そのとき標的にされたのが本作の主人公である英国のルイス・マウントバッテン卿(1900~1979年)でした。当時、IRA暫定派はサッチャー首相暗殺未遂事件に象徴されるごとく、英国政府の重鎮を狙っていました。しかし79歳のご老人を殺める必要があったのでしょうか。非業の死と言わざるを得ません。
そのマウントバッテン卿が英国領インド帝国の最後の総督であったことをぼくは長らく知りませんでした。この人、若かりしころに英国海軍に就役し、のちに海軍元帥に任命されています。第二次大戦中はビルマ(現在のミャンマー)で対日戦争を指揮し、勝利に導いたことで、「ビルマのマウントバッテン」の異名があります。よほど日本軍に痛めつけられたのでしょうか、終生、〈アンチ日本〉を貫いていました。
インド帝国の副王でもある総督にマウントバッテンが着任したのが1947年2月21日。1773年のベンガル総督の時代から数えると33人目の総督で、唯一、王族の総督でした。何しろ曾祖母が大英帝国の全盛期を築いたヴィクトリア女王なのです。
そんなマウントバッテンには大きな任務が与えられていました。それは英国が植民地インドを手放し、独立を実現させることでした。最後のインド総督として就任後、独立に至るまでのスリリングな6か月間を本作が再現しています。
英国は第一次大戦と第二次大戦を経て、戦勝国になったにもかかわらず、国力(経済力と軍事力)の衰退に歯止めがきかず、「7つの海」を支配する超大国の地位から滑り落ちていました。インド統治はもはや限界。植民地支配の礎となった東インド会社の設立(1600年)以来、300年以上も握ってきたインドの主権を譲渡する際、いかに「名誉ある撤退」を演じ切れるか、そのお膳立てをするのが最大の課題でした。
ヒュー・ボネヴィル扮するマウントバッテン卿はいかにも温厚で、善良な英国紳士丸出しです。王族ゆえ、どこを見ても、「ええしの子」(「良家の子」の大阪弁)。実際は海軍で鍛えてきただけに、軍人らしい剛直な人だったそうですが、映画ではその辺りをそぎ落とされていました。妻のエドウィナはアメリカ人女優ジリアン・アンダーソンがイギリス英語を巧みに操り、インド人にシンパシーを寄せる人道主義者・理想主義者の女性として描かれていました。娘のパメラは理知的で冒険心あふれるお嬢さん。
そんな一家が暮らすデリーの総督官邸は大英帝国の威光をいかんなく示していました。500人の使用人、大広間と迎賓室がそれぞれ34部屋、食堂が10室……と想像を絶するほどの超超超大邸宅!! 新総督の下で働く青年ジート(マニーシュ・ダヤール)とパメラ嬢の世話係をするアーリア(フマー・クレイシー)との恋愛模様をサブ・プロット(脇筋)に設え、この官邸を舞台に物語が繰り広げられます。
本筋はズバリ、インドの独立です。そこに立ちはだかるのが、統一インドを主張するヒンドゥー教徒とシク教徒の国民会議派(代表・ネルー)と、パキスタンの分離独立を唱える少数派イスラム教徒のムスリム連盟(代表・ジンナー)との対立です。ガンジーによる反英独立闘争はゴール寸前で、あとはいかなる形で英国から独立すべきかという段階にきていました。統一インドか分離独立か――。
ガンジーは前者を実現するために非暴力・不服従の独立闘争を続けてきました。だから、「平和を保つには、独立後の初代首相をイスラム教徒のジンナーにすべきだ」と譲歩する発言を述べています。その柔軟な態度がヒンドゥー教徒の原理主義者の逆鱗に触れ、のちに暗殺されます。
大英帝国はその宗教対立とカースト制度を利用し、インドを分割統治してきました。したたかな植民地支配。それが独立を目前にして最大の難題として降りかかってきたのだから、皮肉なものです。ヒンドゥー教徒のジートとイスラム教徒のアーリアの翻弄される姿がまさに対立の縮図になっていました。
総督のマウントバッテンは統一インドによる独立を望んでいたと思います。本国政府はしかし、分離独立に傾いていきます。このとき戦時内閣を率いたチャーチルは在野に下っており、労働党のアトリー政権下でしたが、チャーチルが首相時代にすでに分離独立路線が敷かれていたことが映画の中で明かされます。すべて英国の利権に沿ったもの。帝国主義者・植民地主義者のチャーチルのどす黒い野望……。
結局、イスラム教徒の多い西部パンジャブ地方と東部ベンガル地方はパキスタンとして分離され、それ以外がインドとして独立することになります。その際、パキスタンとなる地に暮らしていたヒンドゥー教徒がインドに移り、インドにいたイスラム教徒がパキスタンに向かいました。その数、1400万人といわれています。史上最大の大移動!
その最中、約100万人が武力衝突や虐殺で命を失い、難民は数知れず。以降、インドとパキスタンは敵国同士となり、北部カシミール国境問題で紛争を起こしています。喜ぶべき独立の日(パキスタンは8月14日、インドは8月15日)、ガンジーの悲嘆に暮れる様子がとりわけ印象的でした。英国の元植民地はどこも紛争地ばかり。ほんまに罪深い国ですね。
この大移動については、リチャード・アッテンボロー監督の大作『ガンジー』(1982年)やインドのオリンピック選手を主人公にした『ミルカ』(2015年)でも触れられていますが、グリンダ・チャーダ監督が撮った本作が圧倒的に濃厚です。なぜなら、監督の祖父母が大移動を経験し、辛くも生き延びていたから。風化しつつある「負の歴史」を自分のルーツとして描いた監督の意気込みと姿勢は大いに評価したいと思います。
最後に冒頭で書いたマウントバッテン卿の爆殺事件に戻ります。インド・パキスタン分離独立は「マウントバッテン裁定」と呼ばれています。北アイルランドがアイルランド共和国から分離され、英国領になっている現状を憂うテロ分子が、マウントバッテン卿を〈分離主義者〉のシンボルと決めつけて狙いを定めたのです。実際はそうではなかったのに……。こじつけの論法。あゝ、悲劇でした。
武部 好伸(エッセイスト)
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