原題 | Die Unsichtbaren |
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制作年・国 | 2017年 ドイツ |
上映時間 | 1時間51分 |
監督 | クラウス・レーフレ |
出演 | マックス・マウフ、アリス・ドワイヤー、ルビー・O・フィー、アーロン・アルタラス、ヴィクトリア・シュルツ他 |
公開日、上映劇場 | 2018年7月28日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、テアトル梅田、8月4日(土)~京都シネマ、シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショー |
~生き証人たちのナマの声とともに描くユダヤ人の苦難史~
中学生の頃、アンネ・フランクの『アンネの日記』を読んだ。それが、ナチスに抑圧され、虐殺されたユダヤ人のことを知る初めての一冊だった。作家かジャーナリストになることを夢みる多感な少女アンネが綴る文章のみずみずしさに惹かれ、時代も境遇も全く異なる彼女に共感を覚えた。だが、告白すれば、外からはわからないカラクリ部屋のような場所にアンネが暮らしていたということに、子どもの私は何だかワクワクするようなものを感じてもいた。子どもというのは浅はかだから、その気持ちは、台風の前に周囲の大人たちがバタバタと家の周囲に備えをしたり、大量のおむすびを作ったりするのを見てワクワクするのと似ていた。
非日常は、短い時間だからこそ人をワクワクさせるが、日常そのものが非日常となること、それも命にかかわる非日常が延々と続くことは、精神的にも肉体的にも人を疲弊させる。アンネ・フランクも2年もの間、本棚の後ろに隠された部屋に閉じ込められていた。この映画を観て、大人になって久しい私は、潜伏することに伴う恐ろしさ、そして、それ以前に、同じ人間であるのに潜伏しなければならない理不尽さに対する怒りを、改めて強く感じたのだった。
戦時下のドイツ、1943年6月19日に、ナチスの国民啓蒙・宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスは、首都ベルリンからユダヤ人を一掃したと宣言。だが、実は、約7000人のユダヤ人がベルリンに潜伏し、そのうち1500人ほどが終戦まで生き延びたという。監督のクラウス・レーフレはこれに着目した調査を進め、今や老境に入った4名の生存者にスポットを当てた脚本を書いて映画化した。彼らへのインタビューと、それに基づいたドラマをミックスさせた、非常に説得力のある構成になっている。
収容所行きを免れたツィオマ(マックス・マウフ)は、ドイツ人兵士だと偽りつつ空き家から空き家へと移動し、同胞ユダヤ人のために身分証を偽造した。戦争未亡人のふりをして、ルート(ルビー・O・フィー)はドイツ将校の家にメードとして雇われた。ヒトラー青少年団の制服を手に入れたオイゲン(アーロン・アルタラス)は、反ナチスの宣伝ビラ製作に関わった。ハンニ(アリス・ドワイヤー)は、髪をユダヤ人らしくないブロンドに染め、映画館で知り合った男の母親の家に匿われた。
いずれも、自分たちの素性を隠さねばならず、“キャッチャー”と呼ばれる密告者たちの鋭い目から逃れるべく、さまざまな手段を講じた。危険を察知するアンテナを常に作動させていなければならず、状況次第で居場所を移す必要に迫られた。そのピリピリ感は如何ほどであったろう。その緊迫感が映画全体を覆っている。それでいて、膨大な数のユダヤ人が殺されているという状況を、きちんとユダヤ人が把握できなかったという情報統制の怖さも映画は伝えてくれる。
この映画に登場する4人の、何とかして生き抜こう、生き延びようという強い意志力に感嘆する。そして、そんな彼らに、自らの危険を冒してまでも手を差し伸べた人たちがいたことに胸を突かれる。複雑な気持ちもあるだろうが、すべてのドイツ人が悪かったわけではない、自分たちを助けてくれた人たちがいたのだという思いが、生存したユダヤ人たちの中にずっと温存されてきたことを見るのも、この映画の深い味わいの一つである。
(宮田 彩未)
公式サイト⇒ http://hittler-kiiroihoshi.com/
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