制作年・国 | 2017年 日本 |
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上映時間 | 2時間29分 |
原作 | 司馬遼太郎「関ケ原」(新潮文庫刊) |
監督 | 監督・脚本:原田眞人 |
出演 | 岡田准一、有村架純、平岳大、東出昌大、役所広司 |
公開日、上映劇場 | 2017年8月26日(土)~ 全国ロードショー |
~ストイックな三成vs腹黒オヤジの家康~
天下分け目の戦い、関ヶ原。西暦で1600年と覚えやすい。日本式で言えば、慶長5年。天下人、太閤秀吉が没して2年後のこと。石田三成率いる8万の西軍と徳川家康を総大将とする10万の東軍がぶつかり合い、東軍の勝利と相成った。以降、家康の支配力が増大し、やがて大坂の陣で豊臣家滅亡へと至る。日本史の中でとびきりビッグでドラマチックな出来事とあって、これまで数えきれないほど小説の題材となり、映画やテレビドラマでも描かれてきた。
本作は作家、司馬遼太郎さんが1974年に書き上げた『関ヶ原』を映画化したもの。何とこの小説が映画になったのはこれが初めてだという。司馬さんの原作小説を映画化した作品は、これまで『梟の城』(1963年、99年)、『暗殺』(64年)、『燃えよ剣』(66年)、『御法度』(99年)など12作しかない。意外と少ないのだ。なんでやろ? 長編が多いから、1本の映画にまとめるのが難しいのかもしれへんなぁ。
司馬さんの『関ヶ原』の主役は石田三成だ。どちらかと言えば、地味で脇役的な存在だった人物を主役に大抜擢したのは、ある意味、画期的だと思う。頭が切れ、ソロバン勘定に秀でた官僚派の象徴。秀吉にはいたく重宝がられたものの、加藤清正や福島正則といった武断派(体育会系?)とはソリが合わず、嫌われた。抜け目のない小賢しい人物、しかも情に流されないクールな男というイメージが根づいており、戦国武将の中ではあまり人気がない。要は派手さがなく、人間としてオモロクないのである。
しかるに、この映画(小説もそうだが)での三成は非常に人間味にあふれている。主君秀吉亡き後、世は実力者の徳川家康へとシフトしてきているのに、それを断固、認めず、幼い秀頼が後を継いだ豊臣家の存続をひたすら願う。亡き秀吉との約束事を巧みに破り、秀吉恩顧の武将を分断させ、本性(天下取り)をむき出しにしてくる家康の傍若無人さがどうにも許せない。忠誠心の塊と言えば聞こえはいいが、とことんストイックな男。そんな三成の一挙手一投足を丁寧にすくい取り、喜怒哀楽ぶりを如実に描いている。
理性ばかり働く人物と思われているけれど、実は情に厚いという意外な面を浮き彫りにしている。秀吉の甥、秀次が謀反の罪で咎められ、一族郎党が京都の六条河原で斬首されるときの苦渋の表情はとりわけ印象深い。さらにスパイとなって働く伊賀の「くノ一」(女忍者)、初芽(有村架純)にあろうことか恋情を抱くのだから、よほど感性豊かな人間といえる。このように従来の三成像と異なった面をこれ見よがしに強調しているのが面白い。
「義」を重んじる三成に対し、家康は非常に現実的でしたたか。誰が言ったか知らないが、「タヌキオヤジ」そのものだ。ストレートに物事を処理していく実直な三成とは対照的に、家康は抜け目なく、裏技ありきで天下を狙っていく。映画では、その腹黒さがかなり強調され、かつてないほどの「大ダヌキ」に描かれていた。つねに威風堂々とした人物に思われがちだが、実際は神経質なところがあり、窮地に陥ると指の爪を噛むクセがあったらしい。そういう細部もきちんと盛り込まれていた。この映画のような歴史モノは流れ(筋)がわかっているだけに、「事件」の解釈ともども、人物の描き方が映画の良し悪しを左右する。
この映画では、三成を「正義の使者」と好意的に捉え、家康を「悪の権化」(言いすぎたかな?)と見ている。人間的にはひと回りもふた回りもでっかい家康に青二才の三成が果敢に食らいついていく、そんな構図だ。実際、石高からすれば、250万石の家康に対し、三成はわずか19万石。格が全然ちゃう! 弱者が強者にチャレンジする姿が見どころの1つかもしれない。そこに「義」を絡ませる。剣豪の島左近(平岳大)が「天下ことごとく利に走るとき、ひとり逆しまに走るのは男として面白い」と三成に仕える。このセリフが映画のテーマそのものだと思う。
三成役の岡田准一はこれまで時代劇映画に何度も出演した実績を生かし、難なく大役を果たしていた。小柄な人なのに、今回はことさら大きく見えた。乗馬がうまい、うまい! とりわけ疾走する馬に乗りながら手ヤリを投げるシーンにはうならされた。よほど身体能力が発達している証左なのだろう。ただ、ちと肩に力が入りすぎていたように思えたのだが……。
対する家康役の役所広司は実力と存在感をいかんなく出し切っていた。これまでNHK大河ドラマ『徳川家康』で主演した津川雅彦が一番、家康らしいと思っていたのだが、それをはるかに凌駕していた。お腹をだぶだぶにさせ、丸丸太ったブタのような(タヌキとちゃう!)家康が含み笑いをしながら、腹心の本多正信と奸計をめぐらせる場面なんて、これぞぼくが思い描いている家康丸出しだった。岡田クンには悪いけれど、インパクトの強さでは圧倒的に役所サンに軍配が上がる。
両者の思惑と確執が抜き差しならぬ状況へと突き進む。そこに純主役級の男気ある島左近、関ヶ原のキーパーソンとなる小早川秀秋(東出昌大)、三成を嫌悪する加藤清正(松角洋平)、福島正則(音尾琢真)らの人物が脇を固める。前述した三成と初芽との恋物語は重要なサブプロットだが、もう少しサラリと流してもよかったような気がする。やたら多くの人物が登場するが、この激動期の歴史をある程度、知っておれば、十分、楽しめる。強いて言えば、もう少し登場人物を整理してもよかったかもしれない。
さて、西軍と東軍が対峙したクライマックスの合戦のシーン。てっきりデジタル映像を駆使し、戦の全体像を俯瞰で撮ってくれるものとぼくは期待していた。しかし部分的な戦闘を実写で撮影する従来の方法が用いられた。ファンタジー映画『ロード・オブ・ザ・リング』などでそうしたダイナミックな映像を観慣れているだけに、残念無念。技術的には十分、可能だと思うのだが……。まぁ、それでもエキストラが3000人、延べ400頭の馬が使われたというのだから大スペクタクルだ。
原田眞人監督が四半世紀前から映画化を構想していた作品。確かに創作への熱意が銀幕からビンビン伝わってきた。それにしても思う。関ヶ原で、あるいは大坂夏の陣で徳川家康が戦死していたら、その後の日本はどうなっていたかと……。そんな映画をぜひ観てみたい。
(武部 好伸:エッセイスト)
公式サイト⇒ http://wwwsp.sekigahara-movie.com/
©2017「関ヶ原」製作委員会